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2017年7月

2017年7月15日 (土)

一本道を歩く

 人生とは、バイキング料理店と同じ形式である。多くの料理の皿を目の前にして、何を食べようが食べまいが、どれだけ取ろうが自分の自由である。その代金は、自分の「果断から始める行動」という対価で支払えばよい。人生とは、ごまんとある人生道(仕事、諸芸、宗教等)の中から一つの道だけを選んで歩むこと。どれだけ道が沢山あっても、選べるのはせいぜい2つである。その一つを選んで歩み始めても、横道に美味しそうな道が誘惑するが如くに現れては消えていく。それに足を踏み出しそうになるのを我慢して、脇目も振らず歩むのが正しい人生である。その誘惑に負けると、人生をさ迷う徘徊者に落ちぶれてしまう。隣の芝生が青く見えてしまうのは、自分の目が欲目症候群に罹っているからだ。

ただひたすら一本道

 この道より外に我を生かす道なし。この道を歩く。私は、ただひたすら一本道を心に刻んで、心眼をもって行く末を見つめ歩みたい。道を選ぶ前の前提として、バイキング料理店に入るなら、せめて上流のお店に入れるように精進をしたいもの。下流バイキング料理店では、人生の腹下しを起こす。少にして学び、良い学校に入ることは、人生成功の保証にはならないが、壮での活躍の場に恵まれるご縁がある。壮にして学べば、老いて衰えず。下流の徘徊老人に落ちぶれることもない。老いて学べば、死して朽ちず。そうすれば後進を導く学びの舗装道路を建設できる。

東山魁夷画伯の選択

 人生では、時を選び、場所を選び、何を捨てるか、何を残すかが問われる。何を取り込むかではない。人生では多くのものを捨てなければ、取り込んだもの重みと雑多さで迷いの世界に没入してしまう。捨てるにはかなりの痛みを伴う。捨てる決断、それが人生経営だ。自分人生の経営者は決断が仕事である。

 2016年5月15日16:00、新戸部八州男社長の案内で、東山魁夷画伯が「道」をスケッチした現地の八戸市種差海岸に辿り着いた。海岸沿い道路の横に広がる風光明媚な風景に感動した。太平洋の荒波が打ち寄せる海岸は絶景である。東山魁夷画伯は、その絶景の風景の中から右手に見える海岸風景を削除した。灯台を消し去り、道の周りの柵や樹木を消し、情景を単純化した。時を選び、朝もやに包まれた道だけを幻想的に浮かび上がらせた。下町の銭湯に描かれるような壁絵まがいのモチーフを、東山魁夷画伯は精神的な絵として昇華させ、魂の絵に創り上げた。まるで誰もいないフルオーケストラ用の大ホールで、柔らかな薄明りの照明下、静かなソロピアノの曲を弾くがごとくの演出である。東山魁夷画伯は風景を見ず、求道者として風景の中に己の魂を観つめる。東山魁夷画伯は近くの牧場に泊めてもらい、日の出前の朝もやの煙る時刻(朝4時前?)にこの構図をスケッチした。この土地は本土で最東端に位置するので日の出時刻が本土では一番早い。昭和24年(1949年)ごろの終戦直後でモノも食料も交通機関も貧困であった当時に、この東京から遠いこの場所に4度目にこの地を訪れて、この絵を描いた。画伯が1941年にこの地を最初に訪れたとき、頭の隅にこの構想が生まれていたようだ。10年の歳月の間、その温めた構想を具現化した。その間に徴兵があり、両親の死があり、敗戦があった。その背景でこの絵は生まれた。画伯の魂の遍歴が透けて見える。来てよかったと感動した。次回は、東山魁夷画伯が描いた朝4時前に、この地に立ちたいと思った。

 

図1 八戸市種差海岸沿いの道路  2016年5月14日撮影

   東山魁夷画伯は赤枠部を切り取り下図の「道」を描いた。

図2 東山魁夷画伯作「道」 ed:587/1000

 

2017-07-15

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2017年7月14日 (金)

正しく狂って酔狂道を共に歩く

 10年ほど前から東山魁夷画伯の描いた「道」の現地を見たいと思っており、本書『詞天王が詠う老計・死計』の執筆の過程で、現場写真を載せることを思い付き、現地に飛ぶ決断をした。青森の新戸部八州男さんのお言葉に甘えて現地に案内して頂いた。

 新戸部さんが現地の仲間に聞いても「道」の場所を知っている経営者は皆無であった。新戸部さんも58年も弘前っ子として「道」の存在は知っていたが、行ったこともないという。今回、現地を見たいという酔狂な男に初めて出会ったという。仲間の中には「ヒガシヤマカイイとは何ですか?」とまで言う人もいて、日本文化の歴史の風化をお互い嘆きあった。ネットで調べておおよその位置を割り出し、とにかく現地に向かった。

大垣祭りと石田三成公のご縁

 大垣祭りは2015年に文部科学省から文部国重要無形民俗文化財に指定し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に提案している。今年が指定後の初めての大垣祭りであったので、2016年5月14日、私も構えて写真を撮った。

 大垣まつりの軕の起源は、慶安元年(1648)に大垣城下町の総氏神であった八幡神社が、大垣藩主戸田氏鉄公により再建整備されたおり、城下18郷が喜びを神輿3社の寄進で表し、大垣10か町が10両の軕(出しもの)を造って曳回したのが始まりといわれている。2016年現在は13軕が整備されている。2017年現在は、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。

 「道」の現地撮影の翌々日に弘前のお寺を回って、大垣城に縁のある石田三成公の縁者のお寺や墓に参拝した。新戸部さんとのふとした話から出た石田三成公の縁者のお墓が弘前市内のお寺にあるとのことで、今年の大垣祭りの撮影はご縁の前哨戦になった。関ヶ原の戦い(1600年)で、西軍の大将の石田三成公は大垣城を作戦本拠地としていた。関ヶ原の戦いの後、戦勲あった戸田氏鉄公が大垣城主となった歴史である。

種差海岸の現地へ飛ぶ

 大垣祭りを撮影した翌日、2016年5月15日、小牧空港からFDAのERJ175で青森空港に飛んだ。青森空港に新戸部さんが迎えに来て、種差海岸の現地に向かった。 たかが一枚の絵「道」のスケッチ現場を見に、1,000キロも離れた場所に出かける酔狂さ、また空港から3時間も車を飛ばして案内された新戸部さんの酔狂さもお互い呆れものであった。そのご縁も2006年の前職の会社の合併から繋がったご縁であり、それがご縁で馬場恵峰先生とのご縁ができ、新戸部さんとご縁ができ、ご縁の不思議さを感じた。関ヶ原の戦いでは、馬場恵峰先生のご先祖馬場春信公の元家臣が井伊家の武将として赤備えで戦っている。

酔狂道のご縁

 今回の酔狂道には、大きなご縁が横たわっていた。馬場恵峰先生を介してご縁のあった友と一緒に歩いての発見である。やはり現地現物で、その現場に行かないと新たな発見はない。そのお陰で、ものの観方の再発見と400年前の歴史のご縁に出会えた。青森に埋まる観光資源、大垣・彦根と弘前が繋がるご縁の発見、行政の怠慢を垣間見た出張旅行でもあった。酔狂道もたまにはよいものだ。日々の心がけが良ければ、人は正しく狂うことで、佛様からの良きご縁に恵まれる。酔狂道とは夢の道。

 

図1 大垣祭り 試楽祭 2016年5月14日

図2 松竹軕の演台で長唄を舞う上田愛心さん(8歳)2016年

図3 FDAのERJ175

図4 青森を目指して

図5 ムジコクリエイト社長 新戸部八州男氏

図6 「道」の解説パネル

 

2017-07-13

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タバコが頭を悪くする

⑷ 頭の働きが10%悪化

  1. 頭脳労働への影響

 国立公衆衛生院の浅野牧茂氏の実験報告によると、タバコ2本を1分間にひと吸いというペースで15分間、被験者に吸わせ、タバコを吸う前と後で、どの程度、頭の働きが違うかを調べたところ、答えを正確に出せる時間が、フィルターつきタバコで6%、両切りタバコで12%も多く要した。

 テストは、漢字が意味する色とは異なった色彩で印刷された文字 100個(4種)が無作為に10×10行のマトリックスに配置されたのを読んでいき、間違いに気づいた場合は読み直して、全部を呼称し終わるのに要する時間を計測する。 (浅野牧茂・大久保千代治:『日衛誌33:346,1978』)

 

  1. 脳内血流量の減少

 また最近の東北大学の研究発表では、常習喫煙が脳内血流を減らしていることを明らかにしている。血の巡りが悪くては創造性ある仕事はできない。たばこが健康にも頭にも悪いことを理解しながら止めれないのは、たばこによって頭が悪くなっているからである。タバコを吸うとスーッとして気持ちがいいというが、要は頭に血が十分に行かないのでボーっとするに過ぎない。それを気持ちがいいと、「ああカンチガイ!」をしているだけである。

 

脳内血流量への影響

非喫煙者      脳100gあたり 75㎖/分 

ヘビースモーカ   脳100gあたり 65㎖/分 (▲12.5%)

    男女20~80歳 111 人の調査 

   (「シガレット喫煙の知的作業能率に及ぼす影響」より

          浅野牧茂著『たばこの健康学』大修館書店 1985年)

 

  1. 頭脳労働価値の損害

 タバコを一日20本吸う管理職の平均年収を、計算単純化のため 1,000万円として、上記実験結果をもとに一人当たりのその頭脳労働価値の低下の損害を試算すると

 本  分       円    H       日 

20 × 5/60 ×(10,000,000 ÷2,000 ) ×0.1 × 1 =     833 円/日

 20 × 5/60 ×(10,000,000 ÷2,000 ) ×0.1 ×240 =約200,000 円/年

 

 アイ電機設備伊藤社長の試算では、年間 531,420円のタバコ経費している。それと合計すると、一人当たり年間70万円を越える「お金」が文字どおり「煙」と消えている。貴社には、何人の喫煙者がいるのだろうか。計算すると恐ろしい。これに慮らない神経こそがさらなる恐怖である。

 

ニコチン中毒の理論解析

 習慣喫煙者にタバコを6 時間ほど禁煙状態にして(通常30 分に一本吸う頻度)、タバコを我慢している状態にする。その時点で脳波を見ると、基本的な脳波成分であるアルファ波の周波数は、平均で9Hz 前後であった。それがタバコを一本吸うと、あっという間に10Hz ぐらいに周波数が上がる。アルファ波は覚醒度と関係が深く、非常に集中力を高めて頭をフルに働かせている場合や精神的に清明でリラックスしている場合は周波数が高くなり、逆にうとうとしてきたり、集中力がなかなか保てなかったりする状況では、アルファ波の周波数は低下している。これで、タバコを吸うとあっという間に頭はすっきりして、ホッとした精神状態に変化する過程が脳波で確かめられた。表情を見ると目がぱっちりしてくるのが明白である。タバコの効用として、すっきりするとか仕事の能率があがるとか、集中力が高まるとかの項目が挙げられる。アルファ波の変化という点からみても、そのような状況は起こっている。

 非喫煙者の脳波は、最初から10Hz 前後でアルファ波は安定していた(前述の実験で)。タバコを吸わなくても集中力を保つことに障害なく、リラックスした状態である。この違いこそが、ニコチン中毒の一面である。ニコチンはアセチルコリン受容体に作用するが、中枢神経系のアセチルコリン神経系は脳の全般に分布して、覚醒や脳機能の活動性全般に作用する。喫煙による大量のニコチン供給により起こるアセチルコリン受容体の機能変化が依存の形成の本態です。高濃度のニコチンがないと正常に機能しなくなるのだ。禁断症状を通して、ニコチンを脳が勝手に要求するため、ニコチン中毒になると己の脳の指令に従ってせっせとタバコを吸う。習慣喫煙者では、タバコを吸ってニコチンを脳に供給しないと、非喫煙者並の穏やかな精神状態であるアルファ波の周波数を維持できず、脳からの指令でタバコを「吸わされる」

 上記は東北大学保健管理センターの資料「禁煙を考えている方へのサポート情報」を要約。詳細は下記を参照

http://www.bureau.tohoku.ac.jp/anzen/occ_saf_heal_office/file/08-04-01.pdf

 

2017-07-14

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インプラント 4 自然の摂理

3.1 自然の摂理からの判断

 

 インプラントの技術開発は西洋医学の成果である。理論的には素晴らしい技術である。西洋医学の世界では、その部分の治療に関しては完全に直りました、手術は成功しましたった、しかし、患者は死にました、との話しが多い。部分最適の考え方である。部分最適に対して全体調和、自然との調和を考えるのが東洋医学、日本の経営哲学の考え方である。

 松下幸之助翁は、宇宙根源の真理を追究して「宇宙に存在するすべてのものは、常に生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である」との著書を出された。

 

新しい人間観の提唱

 宇宙に存在するすべてのものは、常に生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である。人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。人間はたえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができる。かかる人間の本性は、自然の理法によって与えられた天性である。( 昭和47年5月 松下幸之助著『人間を考える』PHP研究所)

                

 万物の一員である人間も生成発展する。それが老化現象であっても、加齢現象であり、生物の成長の正常な営みである。しかし、そこに生物ではない無機物の金属とセラミックの歯が人に埋め込まれた場合、生成発展するものと成長しない無機物との間に不整合が起こるのは自然の摂理である。どうしても「無理」が生じると思う。

 組織社会でさえも、異質の人間が入ってきた場合、たとえそれが正しい人間でも、組織防衛として、その異質な人間を排除しようとする防衛機能が働く。私も企業合併で、死に直面するような体験をした。実際に死んだ仲間もいる。それが自然の摂理であり、人の力では対応が難しい自然現象である。それがインプラントにも当てはまると思う。自然の摂理に基づいた経営思想から見ると、インプラント技術は自然の法則から見て無理がある。無理とは「理」が「無い」と書く。この技術は自身の体の経営には無理がある。後10年しか生きないつもりなら、インプラントでもよいかもしれないが、95歳まで生きる計画をしている私にとって、現在のインプラント技術には「無理」があると判断した。

 インプラントを開発したブローネマルク教授は、インプラントにまつわる死亡事故を含めた最近の悪い事件に関して、下記のコメントをしている。意味深長な言葉である。

 「人間は自然の創造物に対して、なんでもできると思い上がってはいけません。実際、私たちの限界がどこにあるのかわかりません。ですから、可能な限り安全性を優先し、常に経験のある人と仕事して、多くのことを学ぶべきです」(『「いい歯科インプラント治療医」を選ぶ!』p16(週刊朝日MOOK)より)

 

2017-07-14

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正しい道を考えながら歩く

「スラスラ書いても、正しく書く。漫然と習うより、考えて書く」(馬場恵峰師)。正しい道で考えることが大事である。書道もピアノ道も人生道も同じである。

「漫然とピアノのキーを叩くのではなく、指の先の動きに神経を集中させて、考えながら指を動かしなさい」と河村義子先生からも教えられた。正しくない道で、頭を真っ白にして修行しても無駄である。宗教狂団に入って最大の努力をしても、行き先は絞首台である。

 人と会うにしても、漫然と会うのではなく、相手の行動と姿を見て考え、相手が佛として演技をしていると考え、裏に潜む考えや意図を考えたい。相手が漫然と振舞っていれば、その本心は赤裸々になっている。相手の潜在意識まで見抜かないと、己が地獄に引きずりこまれる。時として相手は獲物を狙っている逆縁の菩薩である場合もある。その出会いは一期一会。どんな出逢いにも学びがある。学ぶ気がないから騙される。相手は言葉以外に93%の情報を表情、身振り、服装から本心を伝えている。口で誤魔化しても外見や素振りを見れば、その本心は明らかである。それが人を観る目である。

エピソード

 仕事、芸道、人生道では、正しい道を正しい歩き方で、正しい姿勢で考えながら進まないと、誤った固定観念に囚われて迷いの道に迷い込む。良き師の指導こそが人生の宝である。人生曼荼羅では、出あう人皆我師である。

 この頁のピアノを弾いている写真を、当初、あるピアノの先生のHPから引用した。それは中学生の生徒が、ピアノを弾いている写真であった。それを河村先生が見て、手の甲の位置が低く正しい弾き方ではない指摘された。正しい弾き方の写真でないと、間違った道を教えることになるところであった。ネットには玉石混合の情報が溢れている。世間も同じである。正しい師について学ばないと、間違った道に迷い込む。心して道に励みたい。

 

図1 恵峰先生は考えながら三好輝行先生のお祝い色紙の末尾から筆を運ぶ。

  2014年11月13日

図2 どの指を何処まで飛ばすのか考えながら弾く河村義子先生の指運び

  2015年1月23日

 

2017-07-14

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奴隷にされたご先祖

 対談『中西輝政・古田博司「国家が試されるとき」』(Will 2016年7月号)を読んでいて、シベリア抑留とは奴隷制度に起因することに納得した。欧米・支那の狩猟民族にとって、打ち負かした敵国の兵士は皆殺しにするか、捕虜として本国に連れ帰り奴隷として働かせるのが2000年来のDNAであった。

 かの高橋是清元総理大臣でも、アメリカ留学時(1867年)に騙されて売られ、奴隷にされて働かされた。アメリカの奴隷解放宣言は1865年であるが、黄色人種の日本人には適用されなかったようだ。米国人は異教徒を奴隷にすることになんら罪の意識は感じない。米国の南北戦争当時、(しぶしぶ、大義名分として)奴隷解放宣言をしたリンカーンでさえも、当初は南部の現状では黒人奴隷の存在はやむを得ないが、その拡大には反対する、という程度であった。自由貿易主義全盛であったイギリスは、産業資本家が奴隷制賛成の南部を支持したため、英国政府もそれに動かされていた。それが欧米のDNAである。

父のシベリア抑留

 父も終戦後、シベリアに抑留されたが、生きて帰れたから今の私の命がある。父の弟は、終戦後の昭和21年にシベリアの土になった。従兄は父の顔も見ずに育った。今川順夫名誉会長もシベリア抑留を経験し、重労働の辛酸をなめて帰国して、シベリアでの地獄の体験が今日の成功に繋がっている。今川順夫名誉会長も新地蔵菩薩尊の開眼法要で、「室村町4丁目地蔵菩薩尊に守られたようだ」と回想しておられた。出征に出かけるとき、地蔵尊に無事を願い、昭和27年に生還できた今川氏は、地蔵菩薩尊に感謝をしたという。今川氏を出迎えた地蔵菩薩尊は、大垣空襲(昭和20年7月29日)で身代わりとして黒焦げの状態であった。しかし今川さんを見つめる目は優しかった。

非道なシベリア抑留で邦人10万人が帰らぬ人となったが、ソ連が罪を認めたことはない。それはソ連が歴史的に奴隷制度を抱えた民族だからだ。勝った国は敗戦国の民を奴隷にするのが当然なのだ。ソ連にとって奴隷の生死など知ったことではない。それが、狩猟民族の本質である。

現代の奴隷制度

 現代でも奴隷制度は生きている。オーストラリアの富豪、アンドリュー・フォレスト氏が設立したウォーク・フリー財団の調査による『Global Slavery Index』は、世界167ヶ国で4,580万人が奴隷状態であると指摘する。これには日本も含まれ、ブラック企業で働き自殺をした若者も含まれる。これもある種の奴隷である。100円ショップの商品の製造で、低賃金で強制的に働かされているチャイナの子供たちは、奴隷と同じである。まともな労働対価では、絶対に100円では100円ショップ製品は作れない。奴隷として働かされて、作られた製品には魂が籠っていないので、すぐに壊れる。100円ショップで商品を買うとは、奴隷制度の黙認だから、私は絶対に利用しない。

 仏英独等の欧州で働く移民たちは、絶対に白人社会と同じレベルにはなれない。下積みの階層で、観光客には目の届かない世界・時間帯で働かされている。パリの街で早朝に歩くと、有色人種の人(元植民地からの移民達)がゴミ回収、道路掃除等で働いているのを見る。しかし昼間の観光客が溢れる街にはそんな姿は皆無である。白人の夢みたいな生活を望んで欧州に移民しても、現実は元の国よりはましであるが、奴隷状態が待ち受ける。その蓄積された恨みが現在欧州で頻発するテロの横行である。いくら警備を厳重にしても、根本原因が解決されない限り欧州でのテロはなくならない。

 米国でも有色人種の貧困からの脱出は困難を極める。結果として奴隷と同じ境遇で働いている。白人社会と黒人社会には目に見えないガラスの壁がある。現代でも、米国は白人警察官が黒人青年を射殺しても、大して罪に問われない白人優位の世界である。

日本史で奴隷は存在しない

 日本の歴史では、敗戦国の民衆の皆殺しや、強奪してきて奴隷として働かせた史実はない。支配階級のトップ(殿様)が腹を切って、上層部が入れ替われば領土の民衆は平穏である。平和な政権交代である。欧米・支那では元支配者の血縁者や民衆までを皆殺しにするのが普通である。『十八史略』には、王族の一族郎党の抹殺、民衆の大量虐殺が横行等の歴史の記述があり、身の毛がよだつ。それに比べて、日本の平和な民族の血を誇りに思う。日本海の外には鬼が住むことを忘れてはなるまい。「男が外に出れば七人の敵がいると思え」とは、母の教えでした。国の外には7つの鬼国があると思うべし。

 

図1 室村町四丁目地蔵尊(2016年4月3日撮影)

   大垣空襲の焼夷弾で黒焦げになった跡が戦後70年経っても痛々しい。

   シベリアから生還した今川さんを優しい目で迎えてくれたという。

図2 大垣公園の恒久平和の碑 シベリア抑留戦没者慰霊碑

   裏面にダモイの会として父の名が刻まれている

図3 彦根護国神社のシベリア抑留戦没者慰霊碑   

   裏面に父の弟の名が刻まれている

 

2017-07-13

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2017年7月13日 (木)

社是とテクニカルライティング

◆ クライテリア

 文書でのクライテリア(criteria =判断・評価の標準、基準、尺度)は、トピックセンテンス(主文)で表される。企業のクライテリアは社是、会社の基本理念、社訓等で表される。会社の社是は、会社の魂である。クライテリアが明確な文章は、読んでいて気持ちがいいし、理解も速く、文書での伝達効率が高い。

 下記のデンソーと松下電器の社是は読んで、見て、声を出して読んでも、美しいと感じる。その結果として世界に通じるトップ企業として、いきいきと「生きている」のを感じる。社会から生かされている。企業を支えるのは人である。その社員の行動を規範するのは社是である。良い社是は、結果として業績のよい企業が一般的に多い。

 この2社の社是は各種の共通点がある。この社是からは、企業使命としてまず社会への奉仕、従業員の人間としての成長と幸福の達成を宣言している。社会への奉仕は単に金儲け企業でないことを宣言し、現実に社会に奉仕することで、社会から生かされている、結果として企業は繁栄(共存)している。同じことが従業員の幸福を願う意図が社是から感じられる。また企業人として自己の成長がなければ、企業の発展はあり得ない。企業は人なり、である。

◆情報の形

 そしてテクニカルライティグとしての文章の美しさ(情報伝達の強さ)と技法の美しさである。いくら真実を語っても、数十年にわたって数十万人の心に訴えかける文章は、それなりの形とエネルギーが必要である。武道、芸事、スポーツでもまず形から入るように、社是でもその形が重要となる。この文章は、目的項の明瞭さ、項目のパラレリズム、そして文章の終わりの動詞形の統一(項目の名詞形での統一)で隅々まで気が使われている。特にデンソーの文章はやさしい表現で、力強い意図を感じる。

 さらにデンソーの社是では色使いまで気をつかっている。ここでは紫の字体で表現したが、オリジナルのカタログでは紫の地に白抜きの字体で表現されている。紫とは皇室の色とか高貴なイメージの色彩である。デンソーは色使いまで気をつかっているのに感動した。デンソーの社是は、当時の日本電装のトップが早稲田大学の篠田教授と面識があり、英訳しても世界に通じる社是を作るため、社長と会長自らが上京して篠田教授に指導を仰いで作成された。

◆ 行動の形

 ある工場見学会(1999年)で聞いた話では、デンソー安城工場の一部門ではその部門のトップの指示で、週に一回、全員で社是を唱和している。松下電器でも毎朝の朝礼で、トップ以下社員全員がこの社是を唱和している。トップ企業にはトップ企業たらしめる、クライテリアと行動が存在する。唱和とは自己にかける暗示である。これが社員の行動を自律的で崇高なものにする。

私の趣味は人間ウォッチングで、会社ウォッチングにも興味がある。ある会社と縁が出来た時は、必ずその会社のカタログで社是を確認する。社是を見れば、付き合うべき会社かそうでないかの判断が出来るからだ。次にデンソー、松下電器の社是を記述する。

 

デンソー基本理念

社会の使命

 世界と未来をみつめ

 新しい価値の創造を通じて

 人々の幸福に貢献する

 

経営の方針

  • 魅力ある製品で お客様に満足を提供する
  • 変化を先取りし 世界の市場で発展する
  • 自然を大切にし 社会と共生する

④個性を尊重し 活力ある企業をつくる

 

社員の行動

 ①大きく発想し 着実に実行する

 ②互いに協力し 明日に挑戦する

 ③自己を磨き 信頼に応える

 

THE DENSO PHILOSOPHY

 

Mission

Contributing to a better world by creating value

together with a vision for the future

 

Management Principle

Customer satisfaction through quality products and services

Global growth through anticipation of change

Environmental preservation and harmony with society

Corporate vitality and respect for individual

 

Individual Spirit

   To be creative in thought and steady in action

   To be cooperative and pioneering

   To be trustworthy by improving ourselves

 

松下七精神 (松下電器の遵奉すべき七精神)

 1.産業報国の精神

  産業報国は当社綱領に示すところにして、我等産業人たるものは本精神を第一義とせさるべからず。

 1.公明正大の精神

  公明正大は人間処世の大本にして、いかに学識才能を有するも此の精神なきものは以て範とするに足らず。

 1.和親一致の精神

  和親一致は既に当社信条に掲ぐる処。如何なる優秀の人材を聚むるも此の精神に欠くるあらば、所謂烏合の衆にして何等の力なし。

 1.力闘向上の精神

  我等使命の達成には徹底的力闘こと唯一の要諦にして、真の平和も向上も此の精神なるはかち得られざるべし。

 1.礼節謙譲の精神

  人にして礼節を紊り、謙譲の心なくんば社会の秩序は整わざるべし。正しき礼儀と謙譲の徳の存する処社会を情操的に美化せしめ、以て潤ひある人生を現出し得るものなり。

 1.順応同化の精神

  進歩発達は自然の摂理に順応同化するにあたわざれば得難し、社会の大勢に即せず人為に偏する如きにては決して成功は望み得ざるべし。

 1.感謝報恩の精神

  感謝報恩の念は吾人に無限の悦びと活力を与ふるものにして、此の念深きところ如何なる艱難をも克服するを得、真の幸福を招来する根源となるものなり。

 

2017-07-13

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 よき会社の社是は、よい表現がされている。悪い会社の社是は、それ相応に違和感がある。その逆はあまりない。良き社是を参考に、自社の社是を見直したいものだ。社是は会社の魂である。魂は磨き続けなければならない。社是が良くならないと、会社も良くならない。私の趣味は、会社訪問やその会社とご縁ができれば、その会社の社是と会社の業態を観察する会社ウォッチングです。

 

2017-07-13

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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ピアノ騒音殺人事件 6/12(改定)

日が暮れてピアノが猫足でやって来た

 人生も還暦を過ぎ、第二の人生が回り出した頃の2014年3月23日、製作に半年を要した特注のチッペンディールのピアノが、日の暮れた夕刻に猫足でやってきた。チッペンディールのピアノは、ヤマハ中部地区の販売30年間で、私の分を含めて2台のみの珍獣である。40年来の夢であった猫の鳴音が響いた。

 ピアノを購入して3年経った現時点(2017年7月)で振り返っても、良き選択であったと思う。それも猫足のピアノの選択は最高である。ヤマハの本社工場を見学した時(2013年12月17日)、案内の西郷さんが、「チッペンディールのピアノがラインで流れていると思わずワクワクする」といっていた。持つべきは、何か他とは違う付加価値を持つモノである。万人が持っているものを持っていても嬉しくはない。

『定年後』の幸せ

 それを考えると、己は他の人と違うどんな付加価値を持つのかが問われる。楠木新著『定年後』では、定年後の人は80%が不幸であるという。多くの人が、会社に残れば生前火葬で魂を燃やされ、家に帰っても妻が家の実質的な主で、夫に書斎もなく居場所がない。せいぜい図書館や書店をうろつくしかない。定年後でも元気な人は、せいぜい15%だという。昔の上司から、「古希になったので、今年から年賀状を止めます」との連絡が来ると情けなくなる。きっと幸せではないのだろうと推察してしまう。そんな人とは、こちらからお付き合いをお断りである。たとへ幸せでなくとも、幸せのふりをしていれば、幸運が舞い込む可能性があるが、最初から不幸せとして行動すれば、来るのは貧乏神だけだ。その観点で、己がその80%に入っていないと自負できるので、幸せだと思う。幸せかどうかはあくまで、自己評価である。目立たなくても、有名でなくても、キラッとする何かを持って、それを磨き続けられるならば幸せである。それを死ぬまで続ければ生涯現役である。

 

図7 猫が夕暮れにやってきた

図8 搬入

図9 部屋の中で梱包を解く

図10 こだわりのあるペダル部

図11 猫足

図12 ウォールナット製のチッペンディール(猫足形式のピアノ) ヤマハカタログより

図13 書庫兼ピアノ室に納まったピアノ。部屋はこだわりを持って畳敷きにした。天井も音響効果を考慮した構造。ヤマハ販売課長小川氏と調律師の岡本氏(右)。岡本氏は、ベーゼンドルファーを調律できる数少ない一人。名古屋では2名のみ。

 

2017-07-13

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インプラント 3 手術の可否を24観点から判断

3.経営判断

 インプラント手術の可否を、32の瞳からの経営判断をした。瞳とは、「童」心の素直さのある「眼」の意味である。松下幸之助翁の言う「素直な心でものを見る」である。24の観点からインプラント手術の可否を検証した。結論として、インプラント手術は問題が多すぎ、様子を見るのが妥当な経営判断だ。

 

     判断基準               結論

(1) 自然の摂理からの判断            ×

(2) 自分の頭で考える              ×

(3) 経営理念からの判断            ×

(4) クライテリアは何か             ×

(5) 基本原則は健康              ×

(6) 人生の安全運転               ×

(7) 時間価値からの判断             ×

(8) 動機善なりや?               ×

(9) 衆知を集めて決断              ×

(10) 歯の性能(噛む能力)             △

(11) 歯の性能(インプラントの寿命)         ×

(12) 歯の性能(美観)                        〇

(13) コストパーフォーマンスの観点         ×

(14) 安全性                            ×

(15) テクニカルライティングからの判断      ×

(16) トヨタ生産方式からの判断           ×

(17) 逆選択                          ×

(18) 機械設計者としての判断               ×

(19) 論理的解釈                  ×

(20) 何かおかしいと感じる感性での判断       ×

(21) 立場を替えて観る判断             ×

(22) 6Sの判断                     ×

(23) 観音菩薩様の耳で判断              ×

(24) 成功報酬?                    ×

 (25) 人食い土人の儀式               ×

(26) 三十六計逃げるにしかず               ×

(27) 謙虚であるか  研修修了証明書掲示     ×

(28) 分際をわきまえているか             ×

(29) 経営スタイルから判断             ×

(30) しぐさ占い                                  ×

(31) 名刺占い                          ×

(30) 人相・しぐさ占い                           ×

(31) 資料から判断                                ×

(32) 経営ポリシー                               ×

 

2017-07-13

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