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2017年7月

2017年7月21日 (金)

上達の秘訣は、耳4、目3、手3分

 2017年7月19日、馬場恵峰師のかな書道の「いろは教室」の聴講をした。そこで書道の上手になる秘訣を教わった。良く考えると、これは書道だけでなく、芸事を始め仕事や人生での全てに当てはまることに気が付いた。

耳4分

 書道上達の秘訣は「耳4、目3、手3分」であるという。目でお手本をみて、実際の手を動かして練習をする。しかしそれだけでは上達しない。耳の4分が大事である。耳とは師の教え、人の批判である。それがあって自分が成長できる。いくらお手本をみて人以上に練習をしても、師の教えがないと我流になり成長が止まってしまう。

 並みの学者は、耳3、目3、手3分である。学者は最後の一分の詰めが足りない。学者は自己独善で人の言葉に耳を貸さない。だから理論倒れの経営をする。学者が大成功して大金持ちになったという話を聞いたことがない。自分のやったことを師が、他人が、第三者の目で批判してくれて、初めて己の問題点に気が付く。自分では自分の背中は見えない。自分の最大に理解者は、批評家である。

目3分

 考えて書かないから、いつまでたっても上達しない。お手本ばかり見て練習しても上達しない。実践では時代も世相も変わりそれに合った自分の字を考えて書かないと、お手本以上にはならない。頭で覚えて書かないと、自分の字にならない。いくら経営の教科書通り、先代の経営の通り、師匠の経営通りにやっても、時代も世相も変わっているので、それに合った経営をしないと、うまくいくはずがない。

手3分

 いくら練習を積んでも、間違った方法で練習をしても間違ったままのレベルにしか達しない。やればやるほど、そのやり方が固定されてしまう。やればやるほど唯我独尊に陥る。

時間を盗め

 時間を盗み惜しみて手本の字を自分のものにせよ。経営の教科書の内容を自分のものとせよ。

継続が力

 続けていれば、いつかは好きになり、自然と時間も生まれて来る。

逃げの心

 私は字が苦手、練習する気になれない、は逃げの人生である。跡取りで親から二代目の社長として経営を任されても、経営は苦手、経営の勉強をする気になれないのでは、逃げの経営で倒産間違いなし。

目にみえないものに籠る魂

 目に見えないもの目を向ける人が成功する。だから目の付け所という。馬場恵峰師は身銭をきって原田観峰師の書を多く購入した。これほど多く原田観峰師の書を所蔵しておられる方はいない。観峰師の書を見ていると、観峰師の魂が自分に乗り移ってくるのを感じるという。その霊魂が恵峰師を指導されたという。

天国暮らしの大学教授

 その昔、年間12回、年間50万円の講習料で経営セミナーに参加したことがある。その経営セミナーは講師が2名であった。一人は大学教授である。知人の社長の数名は、その大学教授の欠点をすぐ見抜き、その講義時間の時は研修会場を抜け出しタクシーで昼間から飲み屋に行って飲んでウダを巻いていた。その講義が終わり夜の懇親会の時間になると帰ってきた。思えば、その大学教授の講義内容は、簡単な話を難しく表現していて、私もよくわからなかった。ある社長が「先生が称賛されるその偉人のお話はよくわかるのですが、それでそれを我々の経営のどう役立てればよいのでしょうか?」と質問をしたが、その教授は答えられなかった。その講師は講義時間の終了時間を「必ず」守らなった。経営者にとって時間は命である。たった2時間の自分の講義時間の経営もできずに、中小企業の社長たちに講義をするのがおこがましい。企業存亡の修羅場で生きている社長たちと違って、大学は腑抜けの天国である。この種の大学教授とは唯我独尊で、耳を持たない仏さまである。逆縁の佛様で、反面教師の役を務める。

 

2017-07-21

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2017年7月19日 (水)

馬場恵峰師の生前葬に参列 

 2016年12月8日、長崎県波佐見町で開催された馬場恵峰卒寿記念写経展を撮影するため、セントレアから福岡空港へ飛び、そこから高速バスで波佐見町を訪問した。この写経展は、大正・昭和・平成と、今まで誰も成し遂げていない。馬場恵峰師の九十歳という年齢から考えると、この写経展を今回開催された師の尊い想いが会場から伝わってくる。馬場恵峰師の人間としての歩みの証がこの写経展である。師はこの写経展を「己の生前葬として、自分の想い、書を通じて仏との語らい、宗派を超えての写経で歩みし生きざまを、参列の皆さんの人生への餞として開催した」と語られた。

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、避けられない生老病死を経て、浄土に旅立つ。恵峰師は、生きている間に、どれだけ多くのお世話とご縁を頂いたか、その報恩感謝の気持ちをこの写経書展で示された。恵峰師は、それができるもの「今のうち、生きているうち、日の暮れぬうちで、感謝の表現をするなら、生きているうちにすべき」として卒寿記念の開催の決意をされた。

 恵峰師は、生まれ故郷で写経展を開催できる仏縁、それに足を運んでくれる人との仏縁は、天の計らいであるという。生涯の旅をする皆様方が、写経展で仏法の花の一端に触れていただき、現実の歩みの半生と先祖供養の一端として受け止めて頂けたら、恵峰師として本望だという。

天之機緘不測

 天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰師は力説される。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚鏡の上に踊る虚花に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰師は訴える。

「競争」と「共生」のすれ違い

 時代の流れで、世の書展は競書が多い。それは他人相手の闘いである。それに反して、写経展は全くその対極にあり、自分との闘いの所業の展示である。それは仏道修行の一環であろう。「競争」という言葉は、明治以前には日本に存在しない。日本が開国して西洋の思想が入ってきて、福沢諭吉翁が翻訳時に創作した言葉である。西洋での弱肉強食の競争には必ず、勝者と敗者が生まれる。仏教にはその思想が薄い。東洋思想は共生である。日本で別の形で花開いたの形が「道」の思想である。武士道、書道、華道、等の芸事には勝者も敗者もない。日本の哲学は共生、利他、切磋琢磨、自己精進という言葉で象徴される。日本では、他人を蹴落として勝者になるのは美学とされない。それに写経はよく似合っている。西洋で、修行として聖書を写経するとも聞いたことがない。是非ではなく、そういう世界が存在するのを我々は認めるだけでよかろう。

写経展を回顧

 恵峰師は、この写経展を総括して「老人の身は従容として、時を刻む流れに任せる人生なれば、諸冊に学び、残れし人生、その所、時を大切に、余生を楽しむ歩みこそ大切なり」と写経展を回顧して漢詩を揮毫された。

己の写経修行

 ご縁があり、平成二十七年末に当家のお墓を三基改建した。その時、お墓の納めるため、毎日一枚のペースで、お墓の開眼法要前の四ケ月間で、為写経を百十枚ほど書き上げた。毎日、斎戒沐浴してからの為写経である。その後、三か月ほど中断したが、思いついて写経を再開して、今は7日に一枚のペースで為写経を継続している。写経をして体得したことは、写経は誰のためでもない、己の仏道修行なのだ、である。修行とは自分を見つめることである。謙虚になると自分の至らなさが見えてくる。ご先祖のご恩が見えてくる。恵峰師もそれを目指して写経をされてきたのだと思う。師は今までに2万字余を写経された。それも半紙ではなく、軸や巻物に直接、である。半端な所業ではない。

写経展撮影の仏縁

 今回、自分として写経展を撮影する佛縁を頂いたことに感謝である。恵峰師との出会いの縁、書の撮影のため現代最高の撮影機材を買えたご縁、ここ数年間、恵峰師の書の撮影をしてきてベストの撮影技術を習得できたご縁、撮影のお手伝いの書友の皆さんの協力があってこの写経展の写真集が完成した。どれが欠けてもこの写真集は生まれなかった。まさに佛縁である。

生前葬での喜び

 生前葬では語感がよくないが、生前葬は良いものである。故渡部昇一師もそれに類したことをして、良かったと感想を述べておられる。生前に親しい人たちと顔を合わせ、会食で今まで生きてきたご恩に報いる。生前葬をした後、恩師や友人の訃報に接せると、あのとき生前葬でお互い元気な姿で、昔を懐かしあえたのが何よりの供養だったという。死んでから葬式に参列してもその喜びはない。写経展という生前葬で、多くの先生の知人が訪れてくれた。何よりの喜びであると思う。

 

2017-07-19

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7月20日 長崎出張のためブログ掲載をお休みします

インプラント 8(健康)

3.5 判断の基本原則は「健康」

網膜はく離で失明状態に

 加齢の影響で白内障を患い、国家資格取得の受験勉強にも差支えが出てきて、いままで躊躇していた手術をする一大決心をした。なにせ眼の手術には大きな恐怖心がある。手術は普通の人の3倍を要したが、なんとか無事に完了した。しかし、白内障手術の1ヵ月後、網膜はく離を患い、2週間ほどの失明状態となってしまった。あって当たり前のこと、見えて当たり前のことがいかに幸せかと、人生観が変わった。眼で見える大事さ、失って初めて分かる健康の有難さある。

 仕事をするにせよ、受験勉強をするにせよ、生きていくためには健康が何よりも大事である。健康でなければ何もできない。それを眼の患いで痛感した。人生観が変わり、時間の有限性を格物致知した。体験がなければ、本当の知識・知恵とはならない。そして、今が大切、生きているうち、日の暮れぬうち、眼の見えるうちに、人生でやるべきことを、実行しなければならないと悟った。まだ道半ばであることを痛感した。日暮れて道遠し。

幸福の前提条件

 歯を失ったのは、自身の健康管理の不行き届きで、大きな後悔である。その対応と再発防止が問われる。「下の歯が無くなると、他の歯に負荷がかかるため全体の歯が悪くなる恐れがある。上の歯がないと、上の歯も痛めるのでインプラントか入れ歯を入れたほうがよい」と半脅しみたいな説明があった。歯科医の言葉を信じて、インプラントを入れる話が進んだ。歯も内臓の一部である。異物を体に入れるリスクを十分に検討すべきである。また常識的に、歯の一本欠損したくらいの障害は、体は自己保全力で対応するはずである。そのその点でインプラントを安易に勧める医師には要注意である。まずその内容を自分で検討すべきである。幸福はまずなによりも健康の中にある。

 

2017-07-19

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2017年7月18日 (火)

カテゴリー「時間創出1001の磨墨智」追加

 いつも時間の貴重さを痛感する。時間こそなにものも変えがたい資源なのだ。失ったお金、モノは取り返すことができるが、失った過去の時間はどれだけお金を積んでも取り返せない。その貴重な時間を創り出す手法を、本で読んだ啓示や回りの人の行動を観察、自身の日々の反省から浮かんだアイデア等の思いつくままを追記していってできたのが本書である。いろんな本から導かれた結論は、いかに時間を稼いで人生目標を達成するかに尽きる。

 時間管理をする目的は、自分の人生目標の達成である。我々は常に「私は何のため生きているの?」と自問自答を繰り返すべきだと信じる。それが曖昧だと、生き方も曖昧、時間管理も緊張感に欠ける。

 人生目標達成も、責任者として生きるか、被害者として生きるかで最終的時間管理が全く違う。責任者とはリーダーである。リーダーは、組織が成果を出せる方策を選択する。その決断が時間を創る。組織は2人いれば組織体である。だから家庭も組織である。その社長は旦那さんで、家庭事業部長は奥さんである。長が時間管理をできないと家庭は怠惰な組織となる。

 1993年に、「ラーキン著の時間管理」を参考に作成した100弱のアイテムは、2000年に1000余アイテムにまで増え、私の時間に関する意識が高まった。私はこのアイテム全てを守れてはいないが、こうありたいとの意識で生きている。

表紙説明:人生がどんなに揺れようと、人生砂時計の砂は冷酷に落ちていく。それを表現した砂時計です。

2017-07-18

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辰姫の菩提寺に参拝

 辰姫は石田三成公の三女として誕生した。慶長3年(1598年)ごろの豊臣秀吉の死後、秀吉の正室・高台院(ねね・北政所)の養女となる奇縁を持つ。石田三成公は三女を北政所の養女にする深慮遠謀を図っている。北政所は徳川家康とも良好な関係にあり、戦国の世を生き延びる保険として養女の縁組をしたようだ。それが関ヶ原の戦いの後の子孫の延命につながったようだ。

 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで辰姫の父・石田三成が徳川家康に敗れた。その直後に、豊臣家中で親しくしていた津軽信建によって兄・重成とともに津軽へ逃されたとも、高台院の保護下で高台院の側近・孝蔵主に従って江戸に下り縁組を整えたともいわれる(孝蔵主は三成の娘で辰姫の姉である某(岡重政室)を通じて石田家と姻戚関係にある)。

女人の関ヶ原の戦い

 慶長15年(1610年)ごろ、辰姫は弘前藩2代目藩主の津軽信枚に嫁いだ。2人の仲は良好であったとみられるが、慶長18年(1613年)に徳川家康は、家康の養女・満天姫(家康の異父弟・松平康元の娘)を津軽信枚に降嫁させた。これに対し津軽家は、徳川家をはばかって満天姫を正室として迎え、辰姫は側室に降格となる悲運を迎える。この経緯を直木賞作家の葉室麟は『津軽双花』』(講談社)として小説に描いている。輿入れした満天姫は、徳川家康におねだりをして大阪城に飾ってあった「関ヶ原合戦図屏風(六曲一隻)」を嫁入り道具として津軽に持参した。辰姫にとって父・三成の負け戦を描いた屏風を津軽家に持ち込むのは、今まで正室であった自分に対する挑戦であると感じたのだろう。彼女の胸に浮かんだのは「父の仇」という言葉であったとして、『津軽双花のお話は展開する。この屏風は弘前市でも常設ではなく、企画展のときしか実物は見学できない。その実物大の屏風の写真が、大垣市郷土館に展示されている。

辰姫のその後

 辰姫は弘前藩が関ヶ原の戦いの論功行賞として得た上野国大舘(群馬県太田市)に移され、大舘御前と称された。その後も、津軽信枚は参勤交代の折は必ず大舘に立ち寄って辰姫と過ごし、元和5年(1619年)1月1日、信枚の長男・平蔵(後の信義・第3代藩主)が誕生する。この殿様は「じょっぱり殿様」と言われるくらい我が強い藩主であった。祖父が家康に挑んだあの三成であるという自負から来ているようだ。ご先祖がやるべきことを命をかけて為したことは、負けても子孫の誇りである。

 元和9年(1623年)、辰姫は大舘で死去した。享年32。墓所は群馬県太田市の東楊寺、青森県弘前市の貞昌寺にある。幼い平蔵は江戸の弘前藩邸に引き取られ、信枚の熱意により嗣子と認められ、信枚の死後藩主を継いだ。

辰姫の菩提寺に参拝

 その辰姫の廟が、弘前市の長勝寺に建立されている。2016年5月16日、新戸部さんの案内でそのお寺を訪問した。立派なお寺の構えで、辰姫の廟は荘厳な造りで圧倒された。その正面に葵の御紋が入った御印があった。辰姫は家康の計らいで側室に落とされることになったが、本来は正室であった証として飾ってあるようで、津軽信枚の辰姫への慈しみを感じた。

貞昌寺の庭園

 辰姫のお墓は市内の菩提寺である貞昌寺にあり、立派な五輪の塔が辰姫の墓として建立されていた。お墓に参る前に、お寺のお庭を見学させて頂いて、驚嘆した。京都にあったとしても不思議ではない高いレベルの庭の造りである。こんな立派な観光資源が、あまり人知れず放置されているのは、地元の損失であると新戸部さんが嘆いていた。その新戸部さんも今回が初めての訪問であった。それが発見できた今回の旅に感謝である。地元には観光資源のお宝が埋まっている。このお宝を、歴女たちにももっと広報すべきでしょう。

 

図1 長勝寺

図2 長勝寺山門の説明

図3 辰姫の廟。その奥に弘前藩主の廟が5つ並び重要文化財に指定されている

図4 辰姫の廟の軒先に葵の御紋が飾られている

図5 辰姫の菩提寺 貞昌寺の庭

図6 辰姫のお墓(左より2つ目) 貞昌寺

 

2017-07-18

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インプラント 5 3.2 法に準拠(改定)

法に準拠しているか

 「法」とは「三水」の「水」が「去る」と書く。水が上から下に流れるのは、何時でも何処でも誰にでも当てはまる法則である。対象の事象がその自然界の法則に合っているか、それを自問すれば、答えは自ずと見える。インプラントには自然界の法則に反している面がある。

多聞天と邪鬼の役割

 毘沙門天とは、別名「多聞天」とも呼ばれる。多聞天の名前の由来は、日に何度も法を聞くことから名付けられている。足元にいる邪鬼界の阿恵と吽形は、悪さの限りをしていたのだが、「そんな悪さをしていて、お前の3000万年後の人生(鬼生?)はどうなるのか。上の界(人間界)に生まれ変わりたくはないのか。今のままでは畜生界か地獄界へ落ちるしかないではないか」と仏のお諭しとお導きで改心して仏心を得た姿を象徴している。その姿の現れとして、毘沙門天の足元で、阿恵と吽形が足場として支えている。

 毘沙門天は本来、岩に上に鎮座されているものだが、阿恵と吽形が自分の背中を差し出して、毘沙門天に足場を提供している。まるで秀吉が、織田信長の草履を懐で温めた姿を彷彿させる。今までは、踏んづけられて卑しい姿の邪鬼を、松本明慶先生は主役を支える人生舞台の役者に格上げした。これも松本明慶先生の新しい解釈である。こういう解釈も創造の仕事である。

 己は何を支えて社会に貢献しているのか、自問したい。橋を造るのも社会に対する奉仕である。どんな仕事でも、全てが社会の役に立っている。しかし遊びは、そうではない。

六界に通じる法則

 六界とは、天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、畜生界、地獄界である。群青と赤の阿恵と吽形は陰陽の世界も象徴している。どんなものでも裏と表、プラス・マイナス、良い点、悪い点があることの象徴でもある。インプラントもいい面も悪い面もあり、それを総合判断して法により判断しろとのメッセージでもある。経営者にはそれを見極める能力が求められる。トップに上がってくる稟議書は、50.5対49.5のグレーな案件ばかりである。どちらが良いかの経営判断は、法によってきめるのも手である。そのためには、法を説く前に、法を学ばねばならない。その上で判断をするべきである。

医学書で理論を調査

 インプラント医療の法則を調べるにあたり、医学書でその理論と実態を調べた。一般解説書とは、全くレベルの違う内容で、歯科医が患者には絶対話さない内容に接することが出来た。結論は、インプラント手術は不可である。医学書が高価な点が閉口ではあったが、知らずにインプラント手術を受けることを思えば安いもの。

 

『エッセンシャル 口腔インプラント学』医歯出版 2009年 7,980円

『インプラント年鑑 2010年』クインテセンス出版 2010年 6,300円

『インプラント年鑑 2011年』クインテセンス出版 2011年 6,300円

『インプラント年鑑 2012年』クインテセンス出版 2012年 6,300円

 

図1 大佛師松本明慶先生作 多聞天  三好眼科(福山市) 三好輝行先生蔵

 

2017-07-18

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佛像の著作権は大仏師松本明慶先生にあります。

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インプラント 7(経営理念)

3.4 経営理念からの判断

  組織の憲法である経営理念が正しければ、自ずと良心的な経営・医療行為がされる。しかし、観察した歯科医院の医院理念には、問題が多い表現が多くある。それ故、信用できない歯科医院と結論できる。米国のために作られた憲法9条の一文があるが故、日本の外交政策が戦後70年間余も硬直状態になっている。かように憲法とは、全てを支配する呪文である。文書で言えば、クライテリアである。

 この歯科医院の「デンタルガイドブック」で医院理念にconcept との英訳があるが、誤訳である。conceptとは概念、観念、着想、発想、考え(ジーニアス英和大辞典)であり、「理念」は philosophy である。誤訳をしている関係か、その内容レベルは行動規範のレベルでしかなく、理念で記載すべき高いレベル内容ではない。医院理念に書かれている「 ~ の維持のお手伝いします」のレベルは仕事に落としこんだ実務の内容であり、理念で書くべき内容ではない。他社の理念と比較するとこの医院理念の異様さがよく分かる。この理念の文面は、TVコマーシャルのキャッチコピーレベルにすぎず、理念とはいえない。

 理念とはその組織のトップの志、思い(念)を表した決意表明である。これが経営の成否を左右する。理念は、①錦の御旗 ②経営の物差し ③口にすることでエネルギーの源泉となる、の3つの条件が必要である。その理念は、①顧客の視点、②サービス・技術・商品の視点、③自己を超えた視点、での観点で作られる。以上の観点から、現状のこの医院の理念にはこの大事な事項が欠如している。だからこの経営理念は合格のレベルではない。

 

 Philosophy : a theory or attitude that acts as a guiding principle for behaviour

 Consept: an idea or mental image which corresponds to some distinct entity or class of entities, or determines the application of a term(especially a predicate), and thus plays a part in the use of reason or language.

                                   (Oxford Dictionary of ENGLIH)

 

医院理念  OUR CONCEPT

健康な歯は生涯の宝物

人間にとって自分の歯を生涯健康に持ち続けることができたら、これほど幸せなことはありませんきれいな歯は自分はもちろん、見ている人気持ちいいものです。患者様公共的に自分の歯で暮らせるために、健康で美しい口腔内を保てるために、スッタフ一同、明るく元気にあなたの生涯の宝物「健康な歯」維持をお手伝いします。

 

上記の経営理念での不適格な表現項目

(1)「あなた」の表現

 「あなたの生涯の宝物」「あなた」という表現は、人を見下した表現である。文章中で使う場合は注意が必要であるのに、理念の文章中で無神経に使われている。せめて「皆さんの」という表現が常識である。「あなた」との表現は、小学生の教科書や指示命令書で使う言葉である。英語でもyou を主語にしている文は低学年向けのテキストにしか使われない。

(2)「患者様」の表現

 「患者様」という表現も違和感がある。「患者」とは、病院や医師の側から呼ぶ漢語である(日本語語感の辞典(中村明著 岩波書店)。人を見下している表現の一種である。それに無理やり「様」をつけているから、違和感があり書き手の馬脚が見えるようだ。

(3)「人間」の表現

 「人間にとって自分の歯は」この場合は人間ではなく、「人」が正しい。人間とはあくまで人と人との間で社会生活をするホモサピエンスである。この文体での意味は動物としての人の話である。

(4)「きれいな歯」の表現

 「きれいな歯」とはくだけた表現で、理念という文体の中で使うのは違和感がある。「きれい」は、「美しい」、「清潔」との意味を含むが曖昧な表現で便利な言葉であり、話し言葉で使われる場合が多い。(日本語語感の辞典(中村明著 岩波書店)

(5)「気持ちいいものです」の表現

 「気持ちいいものです」は話し言葉で、格調高い文体であるべき理念の文章で使うには下品である。

(6)「公共的に」の表現

 「公共的に」が文章の副詞として異質な挿入になって意味が通じない。

(7)「自分の歯で暮らせるために」の表現

 「自分の歯で暮らせるために」は日本語として間違った表現である。「自分の歯で噛めるために」が正確な表現である。

(8)「見ている人も」の表現

 「見ている人も」はおかしな表現である。誰も見てはいない。「見る人」という表現が正しい。

(9)「明るく元気に」の表現

 「明るく元気に ~ をお手伝いします。」では異様な表現である。「明るく元気に」では動詞との相性が悪い。ノー天気な「明るく元気に」でなくても構わない。受診者の願いは、「真摯に患者の身になって」治療をして欲しい、だ。

(10)「維持をお手伝いします」の表現

 「維持する」、「手伝う」の2つの動詞があり冗長な表現である。一文に動詞が2つあると、英訳が困難になるし、誤訳の恐れもある。

(11)「これほど幸せなことはありません」の表現

 「これほど幸せなことはありません。」とは、何と大げさな表現か。

 改良案:「人は自分の歯を生涯持ち続けることで健康を維持できます。」 

(12)「健康な歯」の表現

「健康な歯」→「歯の健康」

(12)「お手伝いします」の表現

  企業のあるべき使命はお手伝いのレベルではない。理念にしては軽薄な表現である。

 

2017-07-18

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人生は千曲がりの山道(改定)

人生とは、千曲がりの山道を、頂上を目指して真っ直ぐに登るが如し。

 高い山ほど、真っ直ぐな道はなく、千曲がりも万曲がりにも道中は紆余曲折である。その分だけ、大きな経験という財産が手に入る。時には下り坂のときもある、誰も見ていない谷道を一人歩くときもある。誰も見ていなくても、佛様が見ている、己が見ている、お天道様が見ている。己の歩いた軌跡から10年後にその因果が回ってくる。その時目指すのは頂上で、谷ではない。頂上が見えていなくてもいい。その方向が頂上であれば、曲がりながらもその方向に真っ直ぐに歩めばよい。

瀧の上に水現れて落ちにけり    後藤夜半(神戸の俳人 ホトトギス派)

 瀧の水を人生に例え、瀧の上に水が現れては、上から落ちて瀧つぼに消えていく。人生のようにアッという間である。永い自然の時間の中では、人間が生まれて死ぬまでは、僅かな時間でしかない。瀧の水を見つめていると、人生を感じる。その瀧も四季の変化がある。自分の人生にも四季がある。それに合わせて生きないと自然の理に反する。冬になれば、必ず来る春に向けて、下へ下へと根を伸ばせ、である。

人生道千曲がりでのご縁

 馬場恵峰師には2006年に出会い、箕面の滝道の途中に立地した館で、約7年間(途中2年休止)、毎月1回、人生道と書道の教えを受けた。2005年末、創業以来65年続いた企業が合併で消滅した。30年間、私を育ててくれた会社である。名目は対等合併であったが実質は吸収合併で、会社風土が下品な状況に侵食された。その後、逆縁の菩薩の日々が続き、合併により想定外の三河から奈良への転勤となり、恵峰先生とのご縁が生まれた。逆縁の菩薩に出会わなければ、出会えなかった師とのご縁である。新しいご縁は、縁ある会社の死から生まれた。奈良に転居して、新しい研修があることを知り、住まいから1時間の距離ならと受講を申し込んだ。三河からの転居がなければ、生まれなかったご縁である。ご縁も意図をもって出かけないと、手には入らない。この逆縁の菩薩の出会いがあったため、5年後の定年延長をせず、大垣の地で新しい人生を開くご縁を手に入れた。千曲がりの道でなければ、ご縁の出会いもなく学びもなく、真っ直ぐに冥土行きである。まるで新幹線で、途中の風光明媚なご縁をすっ飛ばしていくが如し。早く行ってもゆっくりと行っても、到着する場所は死で、同じである。

 

図1、2 箕面の瀧道   登るためには下らないといけない道もある

(箕面の瀧を目指し、この山道を早朝、月に1回、7年間歩いた 2006年~2012年)

図3 箕面の瀧 2011年3月27日    

図4 箕面の瀧 2010年10月27日

 

2017-07-18

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カテゴリー「詞天王が詠う老計・死計」を追加

ご先祖探し・お墓つくりで、死天王の掌上で踊っている自分を発見した。踊りにも終わりがある。自分の残り時間を考えると、日暮れて道遠しである。死を見据えて老計・死計を立てて、一本道を歩む決意を新たにした。よく死ぬとは良く生きること。死を見つめてこそ、生が鮮明になる。

2017-07-18

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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20170718