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2017年7月19日 (水)

馬場恵峰師の生前葬に参列 

 2016年12月8日、長崎県波佐見町で開催された馬場恵峰卒寿記念写経展を撮影するため、セントレアから福岡空港へ飛び、そこから高速バスで波佐見町を訪問した。この写経展は、大正・昭和・平成と、今まで誰も成し遂げていない。馬場恵峰師の九十歳という年齢から考えると、この写経展を今回開催された師の尊い想いが会場から伝わってくる。馬場恵峰師の人間としての歩みの証がこの写経展である。師はこの写経展を「己の生前葬として、自分の想い、書を通じて仏との語らい、宗派を超えての写経で歩みし生きざまを、参列の皆さんの人生への餞として開催した」と語られた。

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、避けられない生老病死を経て、浄土に旅立つ。恵峰師は、生きている間に、どれだけ多くのお世話とご縁を頂いたか、その報恩感謝の気持ちをこの写経書展で示された。恵峰師は、それができるもの「今のうち、生きているうち、日の暮れぬうちで、感謝の表現をするなら、生きているうちにすべき」として卒寿記念の開催の決意をされた。

 恵峰師は、生まれ故郷で写経展を開催できる仏縁、それに足を運んでくれる人との仏縁は、天の計らいであるという。生涯の旅をする皆様方が、写経展で仏法の花の一端に触れていただき、現実の歩みの半生と先祖供養の一端として受け止めて頂けたら、恵峰師として本望だという。

天之機緘不測

 天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰師は力説される。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚鏡の上に踊る虚花に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰師は訴える。

「競争」と「共生」のすれ違い

 時代の流れで、世の書展は競書が多い。それは他人相手の闘いである。それに反して、写経展は全くその対極にあり、自分との闘いの所業の展示である。それは仏道修行の一環であろう。「競争」という言葉は、明治以前には日本に存在しない。日本が開国して西洋の思想が入ってきて、福沢諭吉翁が翻訳時に創作した言葉である。西洋での弱肉強食の競争には必ず、勝者と敗者が生まれる。仏教にはその思想が薄い。東洋思想は共生である。日本で別の形で花開いたの形が「道」の思想である。武士道、書道、華道、等の芸事には勝者も敗者もない。日本の哲学は共生、利他、切磋琢磨、自己精進という言葉で象徴される。日本では、他人を蹴落として勝者になるのは美学とされない。それに写経はよく似合っている。西洋で、修行として聖書を写経するとも聞いたことがない。是非ではなく、そういう世界が存在するのを我々は認めるだけでよかろう。

写経展を回顧

 恵峰師は、この写経展を総括して「老人の身は従容として、時を刻む流れに任せる人生なれば、諸冊に学び、残れし人生、その所、時を大切に、余生を楽しむ歩みこそ大切なり」と写経展を回顧して漢詩を揮毫された。

己の写経修行

 ご縁があり、平成二十七年末に当家のお墓を三基改建した。その時、お墓の納めるため、毎日一枚のペースで、お墓の開眼法要前の四ケ月間で、為写経を百十枚ほど書き上げた。毎日、斎戒沐浴してからの為写経である。その後、三か月ほど中断したが、思いついて写経を再開して、今は7日に一枚のペースで為写経を継続している。写経をして体得したことは、写経は誰のためでもない、己の仏道修行なのだ、である。修行とは自分を見つめることである。謙虚になると自分の至らなさが見えてくる。ご先祖のご恩が見えてくる。恵峰師もそれを目指して写経をされてきたのだと思う。師は今までに2万字余を写経された。それも半紙ではなく、軸や巻物に直接、である。半端な所業ではない。

写経展撮影の仏縁

 今回、自分として写経展を撮影する佛縁を頂いたことに感謝である。恵峰師との出会いの縁、書の撮影のため現代最高の撮影機材を買えたご縁、ここ数年間、恵峰師の書の撮影をしてきてベストの撮影技術を習得できたご縁、撮影のお手伝いの書友の皆さんの協力があってこの写経展の写真集が完成した。どれが欠けてもこの写真集は生まれなかった。まさに佛縁である。

生前葬での喜び

 生前葬では語感がよくないが、生前葬は良いものである。故渡部昇一師もそれに類したことをして、良かったと感想を述べておられる。生前に親しい人たちと顔を合わせ、会食で今まで生きてきたご恩に報いる。生前葬をした後、恩師や友人の訃報に接せると、あのとき生前葬でお互い元気な姿で、昔を懐かしあえたのが何よりの供養だったという。死んでから葬式に参列してもその喜びはない。写経展という生前葬で、多くの先生の知人が訪れてくれた。何よりの喜びであると思う。

 

2017-07-19

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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