« 2017年6月 | メイン | 2017年8月 »

2017年7月

2017年7月26日 (水)

虚空蔵菩薩と高野山四天王のご縁

 2014年9月21日、1年弱待った虚空蔵菩薩座像(桧、5寸)が自宅に納佛された。松本明慶先生に製作をお願いした時、「いま大事な仕事にかかっているので、彼岸過ぎまで待って欲しい」と言われた。虚空蔵菩薩は寅年生まれの守り佛である。今まで無事に生きてこられたのを感謝するのと、今後の守り佛として見守ってもらうため、明慶先生に製作をお願いした。

 明慶先生の大事な仕事とは、てっきり運慶の菩提寺、六波羅蜜寺に納める阿弥陀仏だと思っていたが、そうではなく高野山1200年開創記念事業で納める四天王の製作であった。自宅に納佛された日、三好眼科(福山市)の三好輝行先生ご家族が、大原野の松本工房で納仏前の四天王を拝観された。高野山の中門再興で、その中に安置されてしまうとじっくり見るのが難しいため松本工房に来られて拝観された。その拝観日が虚空蔵菩薩像の自宅納佛日と同じであったのも、ご縁でした。三好輝行先生からの連絡で、私も松本工房へ出かけるご縁を頂いた。

虚空蔵菩薩とは、

広大な宇宙の無限の智慧と慈悲を持った菩薩である。そのため智慧や知識、記憶といった面でのご利益をもたらす菩薩として信仰されている。「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って、真言を百日間かけて百万回唱えるという修行を修した行者は、あらゆる経典を記憶し理解して忘れることが無いという。もともとは地蔵菩薩と虚空蔵菩薩が対になっていたと思われる。空海が室戸岬の洞窟御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説はよく知られている。日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行った。また、京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く十三詣りという行事が行われている。

忘れることは人間の徳性

 忘れない人とは、神であり、「人でなし」。1979年頃、私も仕事で悩みを持ち、人生に迷っていた。ある新興宗教の教祖著の『密教入門(求聞持聡明法)』(角川選書、絶版)を読み、それに嵌りかけたことがある。しかし物理的に凡人が、真言を百日間かけて百万回唱えるという修行が出来るわけがない。冷静に考えると、記憶を絶対に忘れないとは、人間でなくなることである。過去の嫌な失敗談を何時までも覚えていては、地獄である。今まで何回、嫌なことで死にたいと思ったことか。それが人間の特性として、忘れるから良いのであって、何時までも覚えていることは決して善ではない。

60にして、59の非を知る

 当時は天中殺も流行した時代である。この新興宗教の手法を盗用して、オウム真理教が勢力を拡大して、地下鉄サリン事件(1995年3月20日)を起こした。有名大学出の若者が堕ちていった。頭が良い人は、楽をして成功を手に入れたがる。人とは愚かな存在で、歳を取らないと己の愚かさに気がつかない。人は愚かな事をしてみて、初めて愚かな事をしてはダメと気づく。人は毎日が新しい過ちを犯す。だから毎日が新しい自分の発見の日である。人は60歳にして、59歳の非を知る、である。だから人は一生修行である。

日野原重明先生の佛性

 日野原重明先生(1911年10月4日生)が、2017年7月18日、延命治療も拒否され、105歳で現役のまま亡くなられた。ご冥福をお祈り申し上げます。氏は地下鉄サリン事件のとき聖路加国際病院でサリンに曝された患者の治療に奮闘された。氏は東京大空襲の際に満足な医療が出来なかった苦い経験から、過剰投資ではとの批判の嵐の中、大災害時など大量被災者発生時にも対応できる病棟として、広大なロビーや礼拝堂施設を備えた聖路加国際病院の新病棟を断固として建設した(1992年)。この備えは地下鉄サリン事件(1995年)の際に遺憾なく発揮され、通常の機能として広大すぎると非難されたロビー・礼拝堂施設は、緊急応急処置場として機能した。日野原院長の判断により、事件後直ちに当日の全外来受診を休診にして被害者を無制限に受け入れた。同病院は被害者治療の拠点となり、朝のラッシュ時に起きたテロ事件であったが、治療現場の混乱が最少に抑えられた。この時の顛末はNHKドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』に詳しい。

 氏はクリスチャンであるが、生年と生月から、氏の守り本尊は阿弥陀如来である。阿弥陀如来は一切の衆生を救うため48の誓いを立てた仏様である。氏の一生を見ると、まるで阿弥陀如来が乗り移ったような経歴である。宗教の本質と教えはどの宗教も同じで、生まれた国とその表現が違うだけである。製造物が消費者に一番近い場所で、現地生産されるのと同じことである。合掌。

 

十二支と生誕月による御守本尊

千手観音菩薩

 子年と12月生まれ。一切衆生を救うため、千の手と千の目を具足し、目と手はその慈悲と救済のはたらきの無量無辺なことを表す。一つの手で二十五有を救うとされる。観音様の中でも功徳が大きく、「蓮華王」と呼ばれることもあります。どんな美人も生まれて人生を謳歌しても、不美人に生まれて悲嘆に暮れても、死んでしまえば髑髏である。皮一枚の出来不出来が美人、不美人を分けるが、死んでしまえば同じ髑髏である。それを千手観音菩薩は髑髏を手で持って教えている。千手観音菩薩の下のほうにある手に持つものは、現実社会での道具を表し、上側にある手に持つものほど、佛に近い世界で使う道具を表している。莫大な財産を集めても死ぬときは裸で旅立つ。

虚空蔵菩薩

 丑・寅と1・2月生まれ。虚空蔵菩薩は計り知れない智慧と福徳を具え、衆生の諸願を成就させてくれる菩薩で、頭に寶冠、手に福徳の如意宝珠、智慧の宝剣を持つ。胎蔵界曼陀羅虚空蔵院の主尊である。

文殊菩薩

 卯年と3月生まれ。「文殊の知恵」と言われ、諸仏の智慧を司る菩薩。釈迦如来の左側に侍し、右手に知剣、左手に青蓮花を持つ。普遍の悟りと智慧をもたらす。獅子に乗っている。

普賢菩薩

 辰・巳年と4月生まれ。釈迦如来の右の脇侍。白像に乗り、理知、功徳、教化、衆生を生死の苦海から救い、悟りの境地(彼岸)に導くとされる。普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味。「布施・特戒・忍辱・精進・禅定・智慧」の6つの力で迷える衆生を救うとされる。信仰する人を叱咤激励し、正しい道へと導いてくださる。尚、この菩薩の立てた十大願は一切の菩薩の行願の旗幟とされる。

勢至菩薩

 午年と6月生まれ。阿弥陀如来の脇侍。智力を象徴し、智慧の光をもって万物を照らし衆生の迷いを除き、無上力を得させ、苦を取り除く偉大な力を持つ菩薩で、悟りの境地に導いてくれる仏様です。

大日如来

 未・申年と7・8月生まれ。摩訶毘盧遮那仏。真言密教の教主で、宇宙の万物の智慧と慈悲の表徴。内は真如法界を照らし、外は一切衆生を照らす。一切の徳の総摂とされる。金剛を智法身、胎蔵を理法身とした二身を畢竟不離一体とする。

不動明王

 酉年と9月生まれ。五大明王、八大明王の一で、その主尊。種々の煩悩、障害を焼き払い、悪魔を降伏して行者を擁護し、菩提を成就させ長寿を得させるとされる。大火炎を背負い、右手に剣、左手に索を持つ。剣で衆生の煩悩を断ち切り、羂索で人を救い上げる。その目には怒りと慈しみがこもる。

阿弥陀如来

 亥・戌年と10月生まれ。一切の衆生を救うため48の誓いを立てた仏様。浄土宗、真宗の本尊で、無限の慈悲と永遠の存在と徳を与えられる。この仏を信じ、その名を唱えれば死後ただちに極楽浄土に生まれると言われる。

 

図1 松本明慶先生と三好輝行先生ご家族。 (写真は三好輝行先生提供)

   後は高野山に納佛予定の広目天・増長天像。松本工房にて(2014年9月21日)

図2 虚空蔵菩薩座像(桧、5寸) 松本明慶先生作

 

2017-07-25

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

___1

24k8a04291

2017年7月25日 (火)

時間創出1001の磨墨智 1(改定)

1.時間の有限性に気づくのが最大の時間創出

 人生は、総合力の問われる死活ゲームである。その敵の一つは自身の優柔不断さである。己が司令官として駒を動かし相手と戦うのだが、その真の対戦相手は「時間」である。もし、己がためらっていたら、相手はどんどん先に進んでしまう。己の対戦相手は決して優柔不断でない。息をしている間に、どれだけのことを為すかである。全員の行き先が死である。そこから人生を考えること。

 

四季は、なお、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は、前より来らず、かねて後ろに迫れり。人みな死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来たる。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。

        (吉田兼行『徒然草』第155段  1331年)

 

成年重ねて来たらず。一日再び晨(あした)なり難し。時に及んで当に勉励すべし。歳月は人を待たず。(陶淵明(365~427年)『雑詩十二首』)

 

時間の浪費   p 35

その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。 (セネカ「人生の短さについて」3-4(中野孝次訳))

 

 セネカの言葉には死の影が付きまとう。セネカは暴君の第5代ローマ皇帝ネロロの幼年期の家庭教師として有名な哲学者・政治家である。ネロが皇帝に即位後は有能な家臣として手腕を発揮したが、不興を買い遠い異国の僻地に飛ばされたり、またローマに呼び戻されるというネロに人生の運命を弄ばされる。ネロの暴政に嫌気が指し引退を申し出でたが許されず、悶々と政治に携わることになる。最後は、ネロの気まぐれで自殺を強いられることになる。その前兆を感じているが故に、文章に死を意識した言葉が匂う。セネカは死に際し、「ネロの残忍な性格であれば、弟を殺し、母を殺し、妻を自殺に追い込めば、あとは師を殺害する以外に何も残っていない」 (タキトゥス「年代記」15.62)を残したと言われる。

 師を殺すのは、自分の過去を殺すのと同じである。時間との対戦相手は、自分を殺す教え子かも知れない。歴史書とは、運命の冷酷さを教えてくれる教科書である。

 

2017-07-25

久志能幾研究所  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

Photo

首を吊らんと分からん人ですか?

 某情報システム会社が、その会社としてあるまじき情報漏洩という不祥事を起こした。その原因には深刻な病巣を含んでいたので、私は再発防止を求めた。それに対して、「全幹部を集めて、再発防止の対策を協議しています。第一歩として社員教育を推進しており、次回にその結果を報告します」と承認者不明のお詫び書類と、矛盾に満ちた再発防止書を持参した。事後処置の一連のお粗末さに呆れていた私は、「報告していだく必要はない。どうするかは、あなたの会社の問題なのですから」と言い渡した。その言葉を鵜呑みにして安心したのか、その後、その会社から、その後の改善の経過報告は無い。また、その後も仕事ぶりに目に見えた改善も見られなかった。最近になって、過去に蒔いた悪い種があちこちで芽を出しつつあり、その火消しにおおわらわとなっている。

初期消火の失敗

 人間だから、仕事をすれば誰しもミスや間違いは起こす。そんなことは問題ではない。仕事を多くする人ほど、失敗を多くする。それ故、失敗は多くすれば良いと思う。要は、その不祥事に対して、いかに早く火を消し、再発防止をするかである。失敗を経験してそれを糧に人間は成長する。その失敗から、どれだけ多く学ぶかが問われている。お客さまが怒っている、という事実に対して、まず速やかに、お詫びと事後処理を講じる必要がある。問題を起こした相手先に対して、その対応を間違えると更にこじれる元となる。不祥事が起きたのなら、相手と状況に合わせてそれ相応の職位の人間が速やかに出向かないと、火に油を注ぐ結果となる。トラブルは人間の感性、感情の問題であり、実務上の被害は意外と低い。今回が正にそうであった。不祥事に対して謝りに来たのは、若いマネージャーだけであった。当社としては、過去の経緯と後処理のお粗末さもあり、何か侮られた気分となり、ますます私の心証を害し、問題がこじれてしまった。「当社や私は、そんな程度にしか見られていなかったのか。確かに相手にとって当社からよりも、儲かる大手取引先があるわい」と邪推をしてしまう。そう相手に思わせたら、思わせた方が悪い。そう思わせるような状況を過去の対応で作り出している。

 問題がこじれたまま、1カ月以上も経ってから、その上位職制の部長が謝りに来た。そのマネージャーの対応が問題になっているから、その上位職制が速やかに火を消しに出向かないと、問題は解決しない。これは再発防止と両輪をなす初期消火の鉄則である。しかし、問題がこじれてしまった時点で、責任は部長の上位職制に移行した。それは誰の問題か、である。問題になるのは、事故そのものではなく、当事者間の信頼関係の問題である。結果して、会社の誠意が疑われる問題に発展していった。

雪印乳業食中毒事件、タカタエアバック事故

 それと同じ経過でボヤが大火になったのが、2000年の雪印乳業食中毒事件である。食中毒被害事態は生死に関わる事態にはならなかったが、世間に対する信頼関係が破綻して、会社の信用は地に落ちた。社長の「私は寝てないんだ」との発言が、会社の存続が問われる事態に発展した。

 エアバック事故のタカタの問題でも、二代目重一郎社長が事故への認識が甘く経営破綻に至った。タカタは祖父にあたる武三氏が、1933年に彦根市で創業した。2代目の重一郎氏がシートベルトやエアバッグなどの新規事業に参入して業容を拡大した。高田家が事実上、株式の半数以上を保有して時価総額で2000億円以上に達していた。国内有数の富豪だった一族の資産もほぼすべてが消失した。

 この種の問題は、いかに初期の処理、事後処理が大切かを示している。社長がその事象を作り出している。これは会社の経営責任、経営理念の問題である。子供が不祥事を起こしたら、管理監督責任上、親が謝りに来るもの。それと同じで、状況判断もできず、不祥事の対応をしたことに、経営に対するあなどりがあった。

自動車部品業界の再発防止

 自動車部品業界では、問題が発生すれば、客先から言われなくても、きちんとその再発防止をして、お客様に報告するのが不文律である。大きな品質問題を起こせば、客先の品質保証部が乗り込んできて、ラインの工程監査が始まる。そうやって、自動車部品業界は品質を死守するため日々戦っている。この業界では、起こした不具合の再発防止を打たず、経過を報告しない場合は、お客さまからの仕事がなくなるとの単純明快な掟がある。報告がないのは、対策をしていないこと。当たり前の処置を当たり前にしないと、グループ会社全体が危機状態に陥る。自動車部品の品質問題は、人の命に直結し、リコールにも発展する。

学校文法と伝達文法の違い

 ノーテンキなその会社は、「報告の必要はない」の言葉どおりに受けとって、その後の報告はない。「私には他社にその再発防止を報告させる権利はない。しかし報告しないと、貴方の会社の仕事が無くなるよ」との言外の意味を解釈する能力がなかった。つまり、「日本語」の意思伝達能力がない。その会社は、仕事がなくなる事実を突きつけられないと、「分からん」会社のようである。その会社の幹部は、言葉を「学校文法」で理解しただけであった。高度な社会では「伝達文法」で情報が伝達される。そしてその後は、何もなかったかのようにノーテンキに仕事の提案をしてくるが、見切りを付けた私は、別の会社へ切り替える段取りを静かに開始した。そうしないと、私の首と私の会社が危ないからだ。責任者の役割は、「組織の成果を出し、部下を幸せにする」である。

業界のDNAの格差

 会社にはもって生まれたDNAがある。自動車部品メーカはそのDNAで動いている。今回の事象でコンピュータ屋と自動車部品メーカのそれとは大きな違いがあることを再認識した。コンピュータ業界はコンピュータ画面だけで仕事をする体質が影響するのか、汗をかいて製品の品質を死守するとの姿勢が製造業に比べて希薄だと感じた。コンピュータは自動車と同じで、人類が初めて自分の思いのままに操れる快感を得ることができた初めての機械であった。人はその性能ゆえに人との関与を忘れて、そのご主人様の特権に酔いしれる事もあるようだ。それが遠因で、コンピュータを使えば全て何でもできるとの思い込みが、人とのコミュニケーションを希薄にしたようだ。その体質から来るせいか、生のユーザーの声を聞こうとしない体質になっているようだ。DNAは会社の危機状態の時、その本質が浮かび上がる。

首を吊らんと分からん人

 ある経営者が経営に行き詰まり、その事情を察知した友人の社長が何とか助けようと手を尽くしたが、力及ばずで、その経営者は首を吊って全てを精算した。その社長は援助の手の力及ばずを悔やんで、師と仰ぐ禅僧に、その事を懺悔したら、「その人は、首を吊らんと分からん人であったのです。あなたが、そこまで悔やむ必要はない」と慰められたという。

日本の自殺者

 日本では年間34,000人弱が自ら命を絶つ(2003年当時、2015年は24,025人)。その内、35%は自営業者である。実に12,000人弱である。また全自殺者中、管理職は6%(約2,000人)にも達する。中小企業の経営者や大手企業の管理職は、命懸けでビジネスス戦争を戦っている。特に自営業の経営者は孤独である。孤独であるからこそ、自分の能力を高めないと生き延びられない。危ない事象は全て事前に表れている。それをどう解釈し、どう行動に結びつけられるかが問われる。それが知恵である。知識がいくらあってもダメなのだ。人が過去の記憶の全ては、脳の中にしまわれている。死の直前に、過去の全ての記憶が走馬灯を見るかのように、一瞬のうちに記憶の撮影フィルムが超高速で、目の前を横切るという。首の肉に縄が食い込む時、薄らぎゆく意識の中で、全てを理解するのだ。しかし、その時では遅い。あなたは、首を吊らんと分からん人ですか?    (2003-08-24 初稿)

 

2017-07-25

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

インプラント 13(動機、衆知)

3.10 動機善なりや? 

JALを再建させた京セラの稲盛和夫会長が、新事業やプロジェクトを始めるときに自分に問う言葉が「動機善なりや 私心なかりせか」である。世のため人のために行う事業であれば、絶対に成功する。稲盛氏はそうやって新事業に進出し、成功させてきた。

 インプラントの最初はスウェーデンのブローネマルク教授の善意により開発され、教授は本件に関する特許も取らなかった。しかし、現在のインプランとは、医師にとっては、利益率の高い商売として「資本の論理」に支配されている。それ故、供給側は過剰な利益を上げている。現在の歯科医にとっても、「動機が善」とはとてもいえない。動機が善でもない医療行為が、何らかの悪影響を患者に及ぼしていると考えると、手術は避けるべきと私は判断した。そもそもインプラントは医療行為ではない

 

3.11 衆知を集めて決断

 今回の調査で北は北海道から南は宮崎まで、私から見て、歯の悪くなる年代の人であって、見識ある全国の知人(多くは中小企業の社長)に問い合わせをして情報を収集した。これは松下幸之助翁がいう「衆知を集める」経営手法である。

 この聞き込みの結果は、63人中、25人がインプラントに反対である。人間の体に関する問題であるから、多数決で決める問題ではなく、危険性が少しでもあれば、止めるか、当面様子を見るのが妥当な判断であると結論を出した。それも少しではなく、全国の見識ある人たちの4割が反対である。

 

聞き込みデータのまとめ

  インプラントに対して

否定派    25人

肯定派    19人

無関係派   19人

―――――――――――

合計     63人

  

2017-07-25

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2017年7月24日 (月)

時間創出1001の磨墨智 647(風が吹くまで昼寝)

647.風が吹くまで昼寝をしよう

 「風車 風が吹くまで 昼寝かな」 (広田弘毅)

 不遇の時には、あがいても無駄なエネルギーを使うだけ。風が吹かない時は自分を充電する時間にしよう。風が吹いた時、充電したエネルギーが時間を圧倒する。首相を務める能力のある広田弘毅が左遷で、閑職のオランダ公使に飛ばされた。彼は、1926年(大正15年)11月から1930年(昭和5年)9月までオランダに滞在した。その時期は辛かったはずだ。彼はそのオランダ公使赴任中の雌伏期間に、本を読みまくっていた。その後、大風が吹き、外務大臣(第49・50・51・55代)、内閣総理大臣(第32代)、貴族院議員などを歴任した。第二次世界大戦後の極東軍事裁判で文官としては唯一のA級戦犯として有罪判決を受け死刑となった。その生涯は城山三郎著『落日燃ゆ』に詳しい。

長い休止符

 舟越圭「長い休止符」は、バイオリン(仕事)を奪われた演奏家が、弾きたくても楽器がなく、呆然と手を動かす様を表している。長い自身の影の横に、奪われたバイオリンが、影として地面をさ迷っている。この作品をメナード美術館(小牧市)で見て衝撃を受けた。ある時期、私も閑職に飛ばされて仕事のない悲哀を体験させられた。鬱症状もでて自殺も考えたこともある。でも意思を持って病気を治し、復帰をした。それで今の自分がある。負けていたら今はない。(著作権の関係で「長い休止符」の写真が掲載できないので、「舟越桂  長い休止符」で画像を検索して見てください。)

 その経験があるから仕事をする意味が理解できる。社員として保証されても、お金があっても、仕事がない状態は地獄である。人は失ってみて始めてその価値に気づくもの。仕事のない死んだ時間を、次のチャンスのための準備時間にしょう。それは神様が与えてくれた黄金の時間である。勉強し放題である。不遇の時期、自己充実を図っていると、組織の方からにじり寄ってくる。

図1 オランダの風車の横で 1997年

 当時、上司の不興を買って、花形の主力製品の開発業務から日の当たらない部署であるお国のプロジェクトの仕事に飛ばされた。そのプロジェクトの成果発表会を英仏蘭独の大学、研究所へ海外出張して行った。写真はオランダの国立研究所で発表をした後、市内観光で立ち寄った風車の館。本来、部長が出張するはずであったが、部長がドクターストップで海外出張できず、その代理としてお鉢が私に回ってきた。神様からのご褒美のような美味しい海外出張であった。栄光も地獄も長くは続かない。その仕事も2年後には終わり、私は超多忙の部署の異動となった。風が吹かない時期はせいぜい2年間である。長い人生中では一瞬である。

 

2017-07-24

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

1_2

インプラント 12(時間価値)

3.9 時間価値からの判断

 インプラントを入れると、定期点検を一生続けなければならない。医者の言う半年後とか、聞き込みでの回答の1~2ヶ月の頻度、1ヶ月に2度とか、多々の情報が錯綜して明確ではない。仮定して、2ヶ月に一度でその費用を試算すると、莫大な費用が計上される。それよりも、命の価値と同じ時間がもったいない。これはインプラントの奴隷となることである。またインプラントを入れて健康を損なうとは、命を失うこと。

 医院に通うと、どうしても精神的な影響を強く受けるのも、問題である。その分、その人が生み出す付加価値の生産性が下がる。それは計り知れない。

 

費用試算

2時間×6回(年間)×30年×1万円/時間 = 360万円

・歯科医医院に通院すると、往復の時間、診療待ち時間、治療時間等で1回当たり2時間くらいは時間を要する。  

・企業経営では人件費として1時間1万円で計算しないと経営が成り立たない。まして手術を受ける人が社長ではなおさらのこと。

・この他に手術代として平均70万円が必要。

これに定期点検の診療費が上乗せとなる。

 

2017-07-24

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

 

仕事の報酬とは何か(改定)

 仕事の報酬はお金ではない。仕事の報酬は仕事である。仕事をすればそれに応じて、己を支える根が伸びる。自ずと幹が育つ。それが報酬である。それに対して、遊びの報酬は、非生産的な空しさである。遊びはお金と時間を浪費する。遊びはやればやるほどに、世の中の誰にも貢献していないことに気づき、空しさが襲ってくる。その反対にいくらやっても尽きなのが仕事である。良い仕事をすれば、更に高いレベルの仕事が回ってくる。仕事の疲れは仕事でとれる。世の為に貢献しているのを実感する。後世に千年も作品が残るならなお更である。それが仕事の真の報酬となる。お金と地位は、その後から静々とやってくる。

 その逆は、仕事が回ってこなくなる窓際族の逆報酬である。人は仕事を通して成長をし、魂を成長させる。自分の作った作品が千年も世の中で役立つなら、 最高の報酬となる。仕事とは祈りである。祈りが未来を創る。人生の最大の仕事は、自分探し、自分創りである。志を天命と信じ、人事を尽くそう。

 

 そのスマホのゲームは、社会にどんな貢献を与えているのか? ゲームのために子供にスマホを買い与えるなど、親としての責任放棄である。その天罰は20年後に巡ってくる。

 

図1 成長モデル

図2 仕事の報酬

 

2017-07-24

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

1

2

2017年7月23日 (日)

時間創出1001の磨墨智 18(自由の女神)

18.自由の女神を見つめよう

 導きの灯火が未来の時間を創る。ニューヨークの入り江に立つ自由の女神が、移民の人々を勇気づけて、未来の時間と希望を与え、今のアメリカの繁栄と時間を創った。

 

アメリカンドリーム  自由の女神からのメッセージ 

 フェリーから眺める自由の女神像と摩天楼の林立するウォール街の光景は、アメリカンドリームを人の心に喚起させる力を持っている。ニューヨークのベットタウンであるスタッテン島からウォール街への通勤フェリーは、この百年間に、数多くの人の夢と希望をマッハンタン島に運んできた。このフェリーから見る、海上に忽然と浮かび上がり近づいてくる女神像と摩天楼は、蜃気楼の中に浮んでくるように見え、ある種の感動をもたらす。はからずも米映画『WORKING GIRL』でメラニー・グリフィスの演じた、下積みから這い上がろうと必死の模索をするキャリアウーマン・テスの気持ちが実感として伝わってくる。この感情の高ぶりは、映画だけでは体感できなかった。この感動と気持ちの高ぶりは、日本おろか世界の他の都市や名所の訪問でも経験したことはなく、歳のせいか感動の薄くなった私にとって、初めての経験であった。日本の高層ビルを見ても、バス中からNYの摩天楼を見てもこんな気分にはならなかった。しかし、自由の女神が沖合から見守るウォール街の摩天楼の林立は、努力と才能しだいで自分がこれらのビルのひとつくらい持てる身分になれる雰囲気と、一旗上げようとする意欲を与えてくれから不思議である。

 こういう夢と意識をいつまでも持ち続けサムエル・ウルマンの言う「青春」でありたいものだ。映画の『ゴッドファーザ パートⅡ』の冒頭でも、この自由の女神の姿はアメリカへの移民の眼を通したで形で登場するが、実際に自分の眼で見ないとその実感動は体験できない。これは映画では得られなかった感動である。きっと夢を抱いてアメリカの土を踏んだ移民達は、この自由の女神の姿にどれだけ、勇気づけられたことかと思う。これが現在のアメリカを、世界一の国にした原動力の一つだと感じた。私も一旗揚げようという気になった。NYは、他の都市にはない目に見えない、何かを霊感させる力を持っている。これはNYが米国の一都市ではなく、NYとしての別の国の雰囲気を持っているせいかも知れない。(1994-05-11記)

 

青春              サムエル・ウルマン

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。

青春とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靱な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。 

青春とは、人生の淵泉の清新さと、心の状態を言う。

青春とは、怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青春よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心もしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥となる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から、美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受けるかぎり君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、悲歎の氷に閉される時、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ、希望の波を捉えるかぎり、80歳であろう人は青春として生きる。

     宇野収・作山宗久著 『青春』より (産業能率大学出版部刊)

 

Youth  『青春』                    Samuel Ullman

Youth is not a time of life; it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks, red lips and suppleknees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetites, for adventure over the love of ease. This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty. Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by desering our ideals.

Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

Whether sixty or sixteen, there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of game of living. In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

When the aerials are down, and your spirit is convered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

 

 この詩は夢を与えてくれる。私もこの詩を座右銘にしている。かのケンタッキーフライドチキンのおじさんが、あの事業を50歳の半ばから始めたことを思うと、肉体的年齢で青年や老人の区別などで頓着していられまい。私は死ぬまで青春として生きていきたい。マッカーサーはこの詩を東京のGHQ執務室に掲げていた。松下幸之助翁もこの詩をアレンジして、自分の座右銘にしていた。この詩を愛読した世の著名人は多い。かのマッカーサー司令官も解任されて帰国後、議会で「老兵は死なず。ただ消えさるのみ・・ 」と演説したが、この詩が頭にあればもっと違った表現をしたと思う。なんと元気のない表現であろうかと残念に思う。私は彼が軍人としての役目を終え、次の自分の青春として役目を模索していたと私は信じている。そうでなければ、この演説は、「青春」を座右銘にしてきた人の言葉ではない。

挑戦という自己投資

 青春を続けるためには、自分への設備投資が不可欠であると思う。個人でも企業でも設備投資なくして発展はない。不況だからこそ、この投資が必要と考える。不況のとき、大多数の他社が投資できない時に設備投資した会社が、景気の回復時に勝利者になる。特に人への投資は成果が出るまで、最低10年の期間がかかる。移民たちが成し遂げた投資は、「己が新大陸へ渡るという挑戦」であった。1994年春、私にアメリカンドリームを見せてくれた国際貿易センタービル106階の「場」は、2001年9月11日、同時多発テロで消滅した。しかし自由の女神が掲げる燈火は消えなかった。

 

図1 フェリー上から見た自由の女神とウォール街ビル群

右手一番高いビルが国際貿易センタービル     1994年5月3日

図2 国際貿易センタービル106階からの展望   1994年5月5日

図3 国際貿易センタービル106階からの展望   1994年5月5日

図4 国際貿易センタービル106階からの展望  1994年5月5日

    手前の昔の移民局と自由の女神の位置関係が良くわかる

 

2017-07-23

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

1

2106

3106

4106

カテゴリー「大垣からウィーンへ架ける六段」を追加

インプラント 11(安全運転)

3.8 人生の安全運転   

何が人生で最重要かで判断

 人生の街道を「自分の体」という乗り物で疾走するには、安全が最優先である。それは、自分の体に対する手術にも当てはまる。それは自動車の運転で問われる課題と同じである。その中でも、普通の運転者より高い技量が求められるテストドライバー資格での最優先事項は安全である。自動車メーカのテストドライバーに問われるのは、3Sの能力である。3Sとは、安全 (Safety)に、素早く(speedy)、滑らかに(smooth)である。これを分かりやすく言いなおすと、次になる。これは全ての仕事のやり方を象徴している。

「自分の子供が急病になって、車で病院に連れて行かなければならない。焦って安全運転を怠れば、事故で病院にたどり着けず、子供が死んでしまう。ゆっくり走れば、時間がかかり子供が死んでしまう。早く病院に行かねばならないが、スピードを出して乱暴に運転すれば、振動や衝撃で子供の容態に悪影響を及ぼし、死ぬかもしれない。安全に、素早く、滑らかに運転して、我が子を病院に送り届ける。これがテストドライバーに課せられた使命である」

 この資格の実技試験で、急ブレーキを踏むと一発で不合格である。なぜなら危険の確認・予想ができていないとの判定である。事前に危険を予測できるのに、それを怠った結果が急ブレーキであるからだ。要するに安全確認の心構えができていない。

 一番大事な自分の体に、安全性でまだまだ未知な要因がある異物を自分の体に入れる手術は、慎重な判断が必要である。それが手術を躊躇させた。手術直前に急ブレーキを踏んで、今回の手術を回避したのはよいが、人生の経営運転試験では、もっと早く気づくべきで、「まだまだ人生運転の技量が未熟で、合格点に達していないよ」との経営の神様からの声として反省している。

テストドライバー資格試験

 43歳のとき、異動があり新職場でテストドライバー運転資格を取得した。当時、上級資格を持った部下の指導下で訓練をした。実技訓練で部下が助手席に座り、運転訓練を受け、部下の教官から「課長は学習能力がないですね」と嫌味を言われながらの運転訓練であったのが懐かしい。たとえ部下でも、車上では教官である。何を言われてもいたし方ない。その後の運転では、安全を最優先に心がけているので、良い訓練を受けることが出来たと感謝している。その後、小さい事故はあったが、大きな事故には遭わずに無事過ごせた。取得した資格は初級の資格であったが、それでも助手席に指導教官が同乗すれば、富士山の近くにあるカーメーカのテストコースで、当時担当部署で開発中の部品を搭載した試験車の運転が出来た。今にして思えば良い経験をさせていただいた。

インプラント年鑑のテーマ

 クインッテセンス出版より毎年、インプラント年鑑が出版されている。2010年から2012年までの年鑑(各冊6,000円)を入手した(医学書の高価さに閉口)。2012年の年鑑のテーマは「世界におけるインプラント医療安全を考える」(図1)である。医師の宣伝のように安全であれば、年鑑がこのテーマは取り上げないはず。年鑑のタイトルが、インプラントに安全で問題があることを警告している。

関連エピソード

 インプラント手術は無事キャンセルできたが、その時、次の来院予約を入れざるを得なくなり、仮の予約を入れた。しかし、別の病院で2次再検査(心臓のCT)と日程がダブってしまったので、それを言い訳にキャンセルをした。その話を後藤先生(私の英語の師匠)と電話で話をしていたら、「CTはレントゲンの600倍の放射能を放射して、10万人に104人の割合でガン患者を発生させる」とのニューヨークタイムズ記事を教えられた。早々に自宅の新聞の山から引っ張り出して確認した(図2)。また造影剤は腎臓を傷めるから注意との先生の話があり、明日のCT検査をキャンセルした。これもインプラントでのご縁から生じた仏さまからのご配慮のようだ。ありがたいことです。

 先生は一度、心臓が停止したが、緊急対応の手際よさと、担ぎ込まれた医療機関が心臓病で有名な病院で、その場に名医も待機していたという偶然にも恵まれて一命を取り留めた。つくづくと運のよさ、とりもなおさず人徳の高さを感じた。どれかひとつでも欠けていたら、もうこの世ではお会いできかった先生とのご縁である。その時、心臓CT撮影で多量の造影剤が使われ、腎臓を傷められた。

 医院は治療や検査はするが、病気を治しはしない。病気を治すのは自分の体の治癒力である。過剰な検査や薬は、助けもするが、妨害する場合もある。過度な検査は新たな病気を生み出す。その治療でまた医者にかからねばならない。医師と製薬メーカ、医療機器メーカとの関係で、現在の病院は金儲けコンベアラインとなっているケースが多い。医者通いは自分の体への設備保全である。その選択は、心して構えるべき。

医学雑誌のデータ

 人の年間の許容X線量は、1ミリシーベルトである胃透視でのX線量は、3ミリシーベルトである。CT撮影でのX線量は、10ミリシーベルトである。年間3回以上CTを受けると、ガンが発生する確率が顕著になる。

電気事業連合会のPR資料(図3)

 ところが、電気事業連合会が出しているパンフレット資料では、「100ミリシーベルト以下の放射線量では臨床症状が確認されていません」と説明がある。これはあくまで原子量発電を積極的に推進している団体の資料である。「臨床症状が確認されていない」とは一時的な臨床症状であって、長期間にわたる検証ではない。“The New York Times”の記事内容と異なる。電気事業連合会は原発に対して都合の悪いことは言えない団体であるし、放射能の危険を少しでもオブラートの包んで過小に説明したい団体である。同じデータでも、立場や見方が変わるとこうも解釈が変わる。

「放射線Q&A」 電気事業連合会 2011.4 刊

  電気事業連合会とは、電力会社9社と日本原子力発電、日本原燃、電源開発からなる組合である。発行は、福島第一原発事故の直後である。このパンフレットは、自分の価値観で公表されたデータを解釈することの重要性を、皮肉にも教えてくれた。

 

図1 インプラント年鑑

図2 “The New York Times” SEPTEMBER 9,2012

図3 電気事業連合会のPR資料

 

2017-07-23

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

Photo_3

Photo_4

Photo_5