l1_吾が人生の師天王 Feed

2019年1月 8日 (火)

己を支え、人を支えてこそ人の道

 重き荷を背負おわされるのは、佛様からの慈しみである。重いからこそ人生を歩く力が付く。受験勉強もスポーツも、頭の筋肉、足腰の筋肉をつけるには負荷をかけないと、筋肉は強くならない。自分を甘やかした生き方では、弛んだ人生しか歩めない。人生力とは、重き荷を背負ってこそ向上する。その重き荷を遠くに長く運んでこそ人の道である。

 背負う荷が重いのではない。背負う力が弱いのだ。軽くする智慧がないのだ。遠くに運ぶ知識が欠けているのだ。頭の汗をかいて、智慧を出す能力を鍛えてこそ、人生を力強く歩める。負荷をかけないと、極楽トンボの生活に陥り、認知症への道をまっしぐらである。持国天は国を支えている。総理大臣は国を動かしている。己は自分を支えている。天はあなたに総理大臣の仕事をしろとは言っていない。それに比べれば、凡人の持つ荷など軽いもの。己を支えるのは自分である。天は自ら助けるものを助ける。東西の教えは同じ事を言っている。

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仕事量Jは下記の式で表される。

  J=μ×W×L

     μは摩擦係数 ,  Wは仕事の重さ,  Lは運ぶ距離

μとは世間の摩擦

 μとは仕事と大地(世間)との滑り摩擦係数。仕事量ロスを減らすには、摩擦係数を小さくすれば良い。摩擦係数を小さくする技が、知識であり、智慧である。人と人との間の摩擦を減らす潤滑剤は笑顔である。苦渋に満ちた顔つきで力任せに運んでも、笑顔の智慧を使った仕事には及ばない。己が非力ならば、みんなの力を借りて智慧を出せば、大きな仕事ができる。

 一人で運ぶから大変なのだ。一人で荷を持つから、遠くには運べない。重い荷はみんなで運べば、遠くに少しは楽に運べる。笑顔があれば皆が協力してくれる。みんなで協力して運べば、重い荷も軽くなる。

 

皆の力

 明慶先生が、一人で悩んでいた岩田明彩師に言った言葉、「何を一人でもがいているんや、みんなそばにいるぞ。みんなを信じてもっと頼りなさい」。仲間は人生の宝である。身の回りには宝が一杯ある。宝が目の前にあるのに助けてもらわないのは、米蔵の前で餓死するようなもの。己の心を開き、人生の門を開けば、みんなの笑顔が出迎えてくれる。赤信号、みんなで渡れば怖くない。重い荷物、みんなで持てば軽いもの。それが組織の力である。

 人は及ばないから、少しでも良くなろうと努力をする。金も力も有り余ってあれば、努力などしまい。そうなれば堕落の道しか無い。及ばないから、みんなで足りないところを補い合ってこそ人間社会である。人に頼むのに躊躇するのは、己の我があるからである。我を無くせばうまく行く。

 

櫂の木

 「皆」とは「比」+「白」からなり、「比」とは人が並んでいる様を表し、「白」は、モノを言う意味と、人が声をそろえて言うの意味から、みな、ならぶ、とも、の意味を表す。

 「偕」とは、「人」+「「皆」で共にするから、「つよい」である。一人の人間は弱いが、皆が集まれば強い組織となる。力ある人は我を張らない。我があると揃わない。

 「喈」は「口」+「皆」で、人が声を揃えて言うで、気心が揃って和らぐの意味を表す。

 「楷」とは「木」+「皆」で、枝や幹が正しく並ぶ木の名を表す。転じて整った手本の意味を表す。曲阜(山東省)の孔子廟に子貢がみずから植えたといわれる木の名である。

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Photo_10   櫂の木の春夏秋冬

 「楷の木」が大垣市スイトピアセンター内の図書館横に植えられている。学名「トネリコバハゼ」、和名「久志能幾」と言う。中国山東省曲阜の聖廟に、孔子の高弟子貢の手植えの「楷の木」二世が、今も鬱然と繁り紅葉するところから黄連樹とも呼ばれる。この公園に植えられた樹は、曲阜聖林から採取発芽させた東京湯島聖堂内苑の樹から取り木された唯一の木で、学問文化に深い由緒をつなぐ名木である。

 この樹は戸田公入城350年(昭和60年・1985年)を記念して、大垣文化連盟が、スイトピアセンター内の公園に植樹した。封建時代の藩主を称えて植樹されるのは、戸田公が大垣の学問文化の発展に多大の貢献をされ、その威徳が未だに輝いている証である。1985年は、私が初めての海外体験としてスウェーデンに4ヶ月間の出張をした年である。

 この樹は春には緑豊かな葉を飾り、夏は蝉の抜け殻を抱き、秋には紅葉が鬱然と繁る。冬は全ての葉が落ち、まる裸となる。それは次の春に向けて内部蓄積をする姿でもある。人生の春夏秋冬を表している姿は、一つの教えである。

 

2019-01-08  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年1月 7日 (月)

正しい道を考えながら歩く

 「スラスラ書いても正しく書く。漫然と習うより考えて書く」(恵峰先生)。正しい道で考えることが大事である。書道もピアノ道も人生道も同じである。河村義子先生からも、「漫然とピアノのキーを叩くのではなく、指の先の動きに神経を集中させて、考えながら指を動かしなさい」と教えられた。正しくない道で、頭を真っ白にして修行しても無駄である。宗教狂団に入って最大の努力をしても、行き先は絞首台である。

 人と会うにしても、漫然と会うのではなく、相手の行動と姿を見て考え、相手が佛として演技をしていると考え、裏に潜む考えや意図を考えたい。相手が漫然と振舞っていれば、その本心は赤裸々になっている。相手の潜在意識まで見抜かないと、己が地獄に引きずりこまれる。時として相手は獲物を狙っている逆縁の菩薩である場合もある。その出会いは一期一会。どんな出逢いにも学びがある。学ぶ気がないから騙される。相手は言葉以外に93%の情報を表情、身振り、服装から本心を伝えている。口で誤魔化しても外見や素振りを見れば、その本心は明らかである。それが人を観る目である。

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河村義子先生の指導

 仕事、芸道、人生道では、正しい道を正しい歩き方で、正しい姿勢で考えながら進まないと、誤った固定観念に囚われて迷いの道に迷い込む。良き師の指導こそが人生の宝である。人生曼荼羅では、出あう人皆我師である。

 この頁のピアノを弾いている写真を、当初、あるピアノの先生のHPから引用した。それは中学生の生徒が弾いている写真であった。それを河村義子先生が見て「手の甲の位置が低く正しい弾き方ではない」と指摘された。正しい弾き方の写真でないと間違った道を教えることになる。ネットには玉石混合の情報が溢れている。世間も同じである。正しい師について学ばないと間違った道に迷い込む。心して道に励みたい。(初稿2015年1月)

 そのご縁があって、河村義子先生のピアノを弾く手を撮影する記録が残せた。ご縁に感謝。

Photo_2 恵峰先生は考えながら三好輝行先生のお祝い色紙の末尾から筆を運ぶ。20141113

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どの指を何処まで飛ばすのか考えながら弾く河村義子先生の指運び  2015123

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馬場恵峰書     2014年の年末に書かれた。この直後、便秘で断腸の思いをされた。無事に済んでなりよりでした。Photo_4恵峰先生書 

2019-01-07  久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月 6日 (日)

死に支度

 今まで出会った人を振り返れば、自分という存在が分かる。泥棒を求めて旅すれば、泥棒に出会う。佛を求めて旅すれば、佛にご縁のある人に出会う。菩薩の「謦咳」に接すれば、その気が己の肌から体に入ってくる。それが人生での佛との出会いで、人生曼荼羅である。役割・資格・地位・機会等の物理的な出会いのプロセスが、胎蔵界曼荼羅で表され、精神面での出会いと成長の過程が、金剛界曼荼羅で表現される。

 

命とは

 人は多くの人と出会い、叩かれ虐め抜かれて、自分という佛が脱皮・成長しなければ次の界に進めない。「命」とは「人」が棒「一」「叩」かれる様を表している。一人では人になれない。叩いてくださる他人様あっての人である。何時までも成長しない人が、周りに迷惑をかける。人は日々成長している。己の怠慢が、成長している周りの佛に迷惑をかける。成長していないと、それが悟れない。そのために増長天の存在がある。

 

成仏とは

 今立っている界段を卒業しないと、次の界で場違いの扱いを受ける。まず今、立っている界段で、次の界に行くための死に支度をすべきである。次の界で生きていくためには前の界を殺さなければならない。それが成佛である。死無くして新しい世界は生まれない。死ななければ前世に未練を残す幽霊である。卒業するためには、最後の最期まで、現役で前向きに倒れて成佛したい。

Photo  馬場恵峰書  2006年

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 恵峰先生の教室にて  201312

 右の軸を伊勢神宮御神水の磨墨と見て即入手した。

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2019-01-06  久志能幾研究所 小田泰仙

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2017年12月11日 (月)

リース佛件の告知

 己の体は、ご先祖様、佛様からのリース物件なのだ。リース契約とは、リース期間が終れば借りた品物を全て返却するのが原則である。一般のリース物件は耐用年数でその期間が設定されている。耐用年数後は廃棄処分されるようにリース期間が定められている。リース期間中に使用者の誤使用や酷使で毀損したら弁償するかリース解約となる。

 

人間の体は仏様からのリース佛件

 人間の体は平均80年リースの貸借品の佛件である。借り物だから、大事に使わないと大家さんがこれ以上酷使されてはたまらないとリース終了前に物件を引き上げてしまう。リース契約の破棄通知とは、己の体の放漫経営からくる病気の宣告である。大家さんという佛様が体の使用状況をみていて、37兆個の細胞の直訴により、閻魔帳を見て審判を下し、佛剣でリース契約書を叩き切る。それを「何で私だけが」、「運が悪い」、ではリース会社社長の佛様は困惑である。全て自業自得であるのに。

 

リース期限の告知

 自分の体は自分のものと思って酒池肉林で漫遊するのは不遜である(その誘惑に駆られるのは生きている証し?)。社長なら、数10人、数百数千人の社員、家族がぶら下がっている。己の体調不良が原因で経営判断を誤れば、社員が路頭に迷う。中小企業の起業10年後の生存率は5%である。社長の一秒一刻の判断ミスが、会社の命取りとなる。不健康な体では、まともな経営判断は出来ない。

 体の不調は、佛様からのリース終了の通告なのだ。二重顎、肥満、物忘れ、組織トップの座への執着心、聞く耳を持たない傾向、尊大な姿勢は、その症状なのだ。通常は2期の任期の座に5期もしがみ付くには、その典型的な症状である。自分では認知できないので、人からの助言だけが頼りである。しかしその助言が聞こえなくなるのが、この業病の特徴である。この病気は第三者からの強制的な引退勧告しかない。時には死神がその役を演じる。

 大垣市長の職は激務である。そばから見ていて気の毒になる。なにもそんな座にしがみ付かなくても、とは思う。既に先代2人の市長が、現役で倒れた。

 

天之機緘不測

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ、日々を大切に、己の体を大切に、生き活かされる人生を大切に、与えられた運命を正しく生きよ」と佛は諭す。

 今日、12月11日は、東日本大震災から6年9か月目である。死者不明者2万2000人超の大震災であった。下図の衝立は、東日本大震災で倒壊した神社の再建で端材となった桧を使って、大工新立広美さんが作られた。それに馬場恵峰師に揮毫をお願いした。当時、私は年金生活者になったばかりであったが、岩手県の齋藤明彦さんとご縁ができ、この震災の被害に遭われた山田町と日本赤十字に計50万円を寄付した。この衝立とのご縁は、仏様からのお返しと思い手を合わせている。合掌。

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2017-12-11

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月 9日 (土)

速く早く走れることの意味

 ウサギのように速く走れるとは、速くしか走る能力が無いことである。遅く走ることができない。其の咎は、後から、それも晩年に訪れる。

 飛行機でも速く飛べる機体は、遅く飛ぶと失速してしまい墜落する。ゆっくりの遊覧飛行は出来ない。離着陸のために広大な飛行場が必要で、その騒音は凄まじい。この世に存在するモノには各々に役割があり、速く飛ぶだけが良い能力ではない。一面から見れば長所だが、別に見方では欠点にもなる。人でも同じで、己の能力(性能)の高いか低いは人生の価値には影響しない。与えられた能力を何に使うか(使命)を考えよう。

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29l4a9733 岐阜基地航空祭 2016年10月30日

3img_64001  馬場恵峰師書

世で言う能力の高い人とは

 頭がいい、頭の回転が速いとは、馬鹿になって物事に取り組むことが出来ないこと。物事の損得勘定に最初に考えが行ってしまう。また人が馬鹿に見えてしかたがない。物事を利害関係、合理的にしか考えられず、傲慢になりやすい。合理的にしか考えられないのは、視野の狭い偏った思考能力である。だから嫌われる。

 記憶力が優れているとは、部下の失敗を何時までも覚えていて、部下にその嫌味を言って部下から嫌われる。また己の失敗をいつまでも引きずることにもなる。

頭が良くて早く出世する能力は、エリートコースに乗り、下積みの経験をせず直ぐ課長や所長・役員になって人生を謳歌すること。それが長い人生でプラスなのかマイナスなのかは別問題である。人生は長い目で見るとプラスマイナスゼロの世界である。

 

能力の高い人の末路

 そうやって部長や役員での仕事として人のアラ探しや指示することだけは出来るが、実務や実生活では何も出来ない人間が出来上がる。退職後に、やることが無く、認知症に罹りやすい落とし穴が待っている。長年、気ばかり使って頭を使わなかった警察署長、校長先生等が認知症になりやすいという。接待の宴会続きで旨いものを食べてばかりいると糖尿病、高血圧、肥満の罠が待っている。

 

2017-12-09

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2017年12月 8日 (金)

ウサギと亀の狂騒曼荼羅

 ウサギと亀の競争の寓話では、地道な努力が必要と教えられてきた。それは小人としては正しいのだが、大人なら別の観点での悟りの見方が必要である。

 修証義に曰く「たとい佛に成るべき功徳熟して円満すべしというとも、尚お廻らして衆生の成仏得道に回向するなり、或いは無量劫行いて衆生を先に渡して自らは終に仏にならず、但し衆生を渡し衆生を利益するもあり」。道元禅師は、人の為に尽くすならば、自分は成仏しなくてもよいとまで言っている。

 

人生の勝負

 亀は歩いている途中でウサギが寝ているのを見て、なぜ起こしてやらなかったのか。たかがある場所までの競争ではないか。一緒にゴールをする発想がなぜとれないか。シャカリキに競争しなければならないのか。人生のゴールは死である。隣国の財閥の総帥は、使い切れないほどの財産を前に、集中治療室でこん睡状態にある。うさぎと亀の勝負など、最終ゴールに比べれば愚かな戦いである。それは自分だけよければ良いというのは、利己主義者(グローバル経済主義者)の考えである。幼児曰く「なぜ亀はウサギを起こしてやらなかったの。意地悪ね」。童子の純粋な目とは、佛の目である。目先の小欲に溺れた大人には、考えが及ばない。もっと大慾を持てと、佛はいう。

 

人生の競争相手

 人生の競争相手は佛である。その佛がうさぎと亀の二役を演じて、己を試す。その佛が自分の至らない点を真摯の教えてくれる。ウサギと亀の教えを、人生の教えとして佛が曼荼羅で舞う。

Photo  馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」より 

2017-12-08

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2017年12月 5日 (火)

鬼神の監視 

ドライブレコーダーの眼

 青森の社長からの紹介で、地元の某社長の会社に車検を依頼したが、その過程で不祥事が発覚した。ドライブレコーダーはその不祥事を記録していた。その社長との過去の付き合いでは、何か違和感が度々あった。今回、それが納得させられた。今回の不祥事を機に、その社長とは縁を切った。

 

露見の経緯

・三好輝行先生宅を訪問した2013年10月25日、車検を依頼

・納車後に、ガソリンがほとんど無いことが露見。

  3割ほどはガソリンが残っているはずだが、記録から見ると納車までにかなり走行している。車検指定工場なら、陸運局まで行くまでもないはず

・説明中に社長の無断携帯

  彼は、納車の説明時、携帯に電話がかかってきて、私に断りも無く話を始めた。彼は、私の目の前で携帯電話をするのが今回で4回目である。以前にきつく注意をしたが、直らない。客の前で断りもなく電話をするとは、目の前の私よりも他の客が大事であるとのメッセージである。侮辱であり、時間泥棒(命=時間)である。時間を大事にする私には許せない。

 

ドライブレコーダーの記録動画

 ガソリン残量の疑惑に関し、自車のドライブレコーダーを思い出した。その記録を再生してみると、業者としてあるまじき行動と声が録画されていた。以前から彼の行動には違和感があり、その原因が判明した。ある人に感じる違和感とは、己の内なる佛が発している警告である。鬼神の警告を見逃さないことで、人生航路を無事に航海できる。

 

鬼の諦め

 本来なら彼を詰問すべきだが、諦めた。以前に、きつく叱ったこともあったが効果がなかった。自分も叱るのが空しく感じる。言っても仕方のない人には誰も注意をしない。鬼が何も言わないのは、恐ろしいこと。

 「諦める」とは物事の真実が明らかになることである。仏教用語で、まこと、真理を意味する。諦は、「言」と音符の「帝」からなり、しめくくるの意味を表す。言葉でしめくくり、つまびらかにする意味を表す。師から言ってもらえる内が花である。そうでないのは、彼が今まで積み上げてきた負の積善の結果である。佛の顔も三度まで。それを過ぎると、佛が閻魔大王に変身する。

 

信用のまた貸し

 人を紹介するとは、自分の信用金庫のまた貸しの行為である。半面教師としての鬼の教えであった。私も彼の会社の車検の紹介活動を知人達にしており、赤面の至りである。鬼の眼は、己の魂を見透かし「人を見る目をもっと養え」と言っていた。

1   ドライブレコーダーの記録動画

鬼の眼

 このドライブレコーダーは前職の会社で在職中、自動車技術会関西支部活動でお世話になった富士通テンの製品である。並製品より高価(約4万円)であったが、ご縁のある会社なので、この会社の製品を指名買いした。

 この製品は、エンジン稼働中の間、常時録画タイプである。常時上書きで過去2時間分の走行記録が録画される。事故の場合はどちらに非があるか、証拠として自分の身を守ってくれる。事故があった場合は勿論、常時録画がされているので、警察にこの記録を証拠として提出する場合では、自分の日頃の走行状況も録画されるので、違法な運転はできない。常に警察官(「鬼」)に監視をされて運転をしているようなものである。結果として安全運転をすることで、交通事故の確率も大幅に減る。それが時間創造である。自身の内にいる「鬼」を無視しての運転は出来ない。安全運転の人生航路である。

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 「魂(オニ)」白檀 松本明慶師作、眼入れは岩田明彩師

手術の録画

 眼の手術で大変お世話になった三好輝行先生(三好眼科)も、ご自身の手術を全て録画されている。その数52,000件。医療訴訟に備えてのことではあるが、手術の全てを鬼が監視していると同じである。腕に自信がないとできない行である。(2013/10/31記)

4  馬場恵峰師書

2017-12-05

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2017年12月 3日 (日)

地獄界を作る鬼

 地獄界はあの世ではなく、この世で己の内なる鬼が創る世界である。他人に対する優越感が暗転した時に受ける絶望感が鬼となり己を苦しめる。他人から見ればなんでもない状況を、己が己を地獄に突き落とす。全て己が作り出した因果の世界である。

 生老病死は世の定めである。人は生まれ老い病気になって死んでいく。それを苦にして地獄の苦しみを味わうのは、己の傲慢である。人に不老長寿はありえない。人は必ず死ぬことを前提に生きていれば、己の体を大事にするし、他人にもむごいことはできない。他人を敬えば地獄は見ない。己の劣等感、傲慢さ、体の酷使が地獄の鬼を作り己を苦しめる。

 組織の頂点を極めても、何時かはその座を去らねばならない。どんなに売れる製品でもいつかは売れなくなる。その栄光を背負っていると、己の鬼の虚栄心が己を苦しめる。

 

地獄に堕ちた元上司

 私の元上司で、飛ぶ鳥を落とす勢いのやり手の人がいた。それ故、敵も多かった。ある不祥事でその座を追われたが、年老いてもその自信過剰の意識は抜けなかったようだ。女もあちこちに作り、奥さんを苦しめたという。初老になり脳出血で倒れて、車椅子の生活になり、奥さんの介護なしには生きていけない体になった。毎日、リハビリが必要な体であるが、外を歩いて己の惨めな姿を近所の敵に見せたくないという。女で泣かされた奥さんが、夫の体を治そうと無理やり外のリハビリに連れ出すのだが、本人は地獄の苦しみであるという。自分は笑われていると思い込み、結局そんな惨めな姿は見せたくないと、自宅を売り引き払って、市内ではあるが別の場所に移転をしたという。老いれば、病気になるもの自然である。それを自分の過去の栄光を背負い、己を地獄の世界に追い込んでいる。そんな過去のしがらみを捨てれば、もっと楽になれるのにと思う。

 

仕事の鬼

 地獄とは己が作り出す心の世界である。鬼は己の心の鏡である。鬼でも「仕事の鬼」には地獄はない。仕事に仕えて命を捧げるのは、本望であり本人にとって天国である。己の見栄や欲望だけで生きてきた鬼畜が、年老いて地獄を見る。己の心に住む鬼と対話して己の欲望を第三の目で見つめるべし。鬼に責任はない、己の心が今の世を地獄か天国かに引導する。「仕事の鬼」と笑われようとも、来世で、積年の功徳を地蔵菩薩が閻魔大王に変身して、自分を審判してくれる。

 「魂(オニ)」に目入れをした岩田明彩絵仏師は仏さまみたいに優しい方である。ところが「目入れの作業にかかると仕事の鬼になる。怖くて近寄れない」とは「仕事の鬼」の松本明慶先生の言葉である。私もそんな褒め言葉をもらいたいもの。

 

「仕事の鬼」明彩師の言葉

 岩田明彩絵仏師は、松本工房彩色部智彩堂に入門時、松本明慶師から「三年で十年分の修行をすること」と約束させられた。その後、岩田明彩師が、仕事で悩み焦りといら立ちで苦境に立って悩んでいたとき、鬼の仮面を被った仏の明慶師が言った言葉、「何を一人でもがいているんや、みんなそばにいるぞ。みんなを信じてもっとたよりなさい」。どんな仕事も一人では成し遂げられないのだ。一人で全てを成し遂げようと思うのは傲慢である。

 岩田さんは、7年前に「明彩」という雅号を拝命して、若い弟子を育てる身になった。岩田明彩師は、それが人を育てる修行であり、心の鍛錬であると己を戒めている。人を育てる為には、鬼にならねばならぬ。一番最初に育てねばならぬのは、己である。

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 魂(オニ) 白檀

 松本明慶先生作、岩田明彩先生の目入れ

 

2017-12-03

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2017年12月 2日 (土)

胸を張って浄土に行こう

 自分は、いつ死んでも胸を張って浄土に行ける覚悟があるかを自問したい。死は時を待たずに訪れる。佛様は、こちらの心の準備の整わないときを見計らって御呼びをかける。最近の天災・テロ・事故・犯罪を思うと、何時死に直面するか分からない。何時死んでもよいように、心を洗っておきたい。

 それには日々、精一杯の生を味わって生きる、やりたいことを先の伸ばしせずやり切る、佛様に後ろめたい生き方をしない、悩まない、こだわりを持たない、感謝をして生きる、人として当たり前に生きる、である。それは二千年前の賢人の教えでもある。後悔しない日々であれば、悟りの世界は近い。

 

未練

 若くして死ぬと未練が残る。練習不足で本番を迎えると、未練と後悔が湧く。若くして死ぬとは、生木を引き裂くように苦しんで死ぬことになる。やるべきことをやり切って、枯れるように倒れると苦しまないで死ねる。それは命を全うしたことへの佛様からのご褒美である。プロジェクトの命を全うしてこそ、仕事のやりがいが生まれる。佛様に顔向けできないような状態で、浄土に行っては、胸を張れない。

 

成仏

 どんなプロジェクトにも、生があり死があり、浄土がある。どんな演奏会でも2時間が経てば、その演奏会の終幕(死)を迎える。中途半端に取り組むから、未練を残して、その結末を迎える羽目になる。やるべきことをやり尽くしてこそ、納得して浄土に行ける。能の舞台でも、演奏会の舞台でも、任せられたプロジェクトでも、その幕が開いている間だけが舞台ではない。舞台に上がる1歩、1歩が演技の一部なのだ。幕が上がるまでの必死のリハーサルや準備活動が、本番舞台の前哨戦なのだ。その過程を全力で取り組んでこそ、本番でよき演技、演奏、仕事が成し遂げられて、成仏できる。その過程が、全て己の人生修行なのだ。それでこそ、次の界に行ける。中途半端に取り組むから、地獄界に突き落とされる。

 

安らかな眠り

 『幸福論』の著者として有名な法学者のヒルティは、77歳で死ぬ直前まで毎朝、早く起きて、著述活動をしていた。その日の朝も、朝の執筆活動をして朝の散歩にいった後、珍しく疲れたといってソファーに横たわって、そのまま眠るがごとくに息を引き取った。当時の77歳とは、今の97歳に相当する。

 ゲーテ曰く「よく働いた一日が、健やかな眠りを誘うように、よく働いた一生は安らかな死を迎える」。

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馬場恵峰師の明徳塾での講義でこの件の話を聞き、色紙を書いて頂いた。2012年9月

 

2017-12-02

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月 1日 (金)

渡る世間は鬼ばかり、鬼から身を守れ

 自分の考えを明確にし、他の邪悪な思想に取り付かれないように門番の役目をするのが四天王の役目である。目を見開き、高い視点で物を見よと教えている。目や舌や鼻が食物の危険から身を守るために四天王の役目を果たすように、心に入ってくる思想の正悪を、四天王として判断する力を付けねば生きていけない。それが出来ず滅んでいった民族は数知れない。歴史を学ばない民族は滅ぶ。

 自分達とは思想の違う民族が、世界には跋扈している歴史事実を認識しないと、無防備に正道を歩くだけでは、鬼に食い殺される。自宅でも寝るときは鍵をかけて戸締りして寝るではないか。非武装中立とは戯言である。きちんと戸締りをするから泥棒が入ってこない。プロレスラーに喧嘩を売るヤクザはいない。必要最低限の自衛の戦力は必要である。トヨタの中興の祖 石田退三氏曰く「自分の城は自分で守れ」。

 

鬼の思想

 アーリア人は「俺たちが一番優秀な民族だ」、「人のものはオレのもの」、「俺の考えが正しいと思うのは正しい」、「だから他の民俗は我々に従うのが当然」との考えで歴史を邁進してきた。力による征服で、従わなければ虐殺、よくて土地の強奪、奴隷として搾取である。原住民との言葉は、「未開の」とのユニアンスがあり、優秀な民族と自負するアーリア人は、罪の意識もなく、やりたい放題で原住民の皆殺しの戦術で世界を席巻していった。そして現在の西洋社会が構築された。中華思想も同じ傾向である。中華思想も自分達が一番偉いとの考えが根底にある。紀元前2000年から続くこの人種の思想はDNAとして今も払拭されず今も鬼畜のように生き延びている。今の中東の紛争は、植民地政策による後遺症であり、アーリア人同士の内輪揉めである。和を重んじる民族には理解不能である。

 

アーリア人の民族皆殺し歴史(中国人はアーリア人と同じ思想)

 イギリスがアテスカ帝国を皆殺し、滅亡

 スペインによるインカ帝国を皆殺し、滅亡

 英国人(現米国人)のアメリカ原住民のインディアン600万人の殺害

 イギリスが侵略しオーストラリア原住民を皆殺し、植民地として統治

 アメリカでのハワイ原住民の皆殺しでハワイ併合

 列強諸国によるインド、アジア、アフリカの植民地化

 英国は中国人にアヘンを売りつけ、因縁をつけてアヘン戦争を起した

 米軍は東京大空襲での民間人10万人焼殺、原爆での20万人の虐殺した

  東京大空襲は山の手周囲を焼夷弾の炎で逃げ道を無くして爆弾投下

  広島、長崎の原爆は米軍歴史資料で爆発実験の項に分類される。

 米軍の日本本土無差別爆撃で、非戦闘員の死傷者100万人

 ヒトラーはユダヤ人を1700万人虐殺 

 スターリンは2300万人を虐殺

 中国共産党は4000~6000万人の自国民、他国民の虐殺

 中国共産党によるチベット民族皆殺し作戦進行中   120万人の虐殺

 中国共産党による仏教寺院の破壊活動(仏教の平和主義は共産党に不都合)

 

狂祖の誘惑

 思想に犯されて誤った道の進んだ優秀な若い人たちが、つい最近の日本にも存在した。誤った思想に洗脳されて、地下鉄サリン事件を起こした。普通の人よりも頭の良い子達が、である。学校もまともに出ていない狂祖に取り付かれると、正悪の判断もできなくなり、地獄の餓鬼道に堕ちる。

 

拝金主義狂

 現在は拝金主義狂という鬼に取り付かれた人が氾濫している。拝金主義狂に犯されると、貧富の差が拡大した格差社会が出来ると、社会不安が増大し暴動が発生し、最終的には社会が崩壊する。拝金主義者は己の立っている社会が崩壊すれば、己も生きていけないことが分からない人たちである。拝金主義とは、金勘定だけがよくできる餓鬼どもが罹る病気である。

 体に悪いことを知りながら、金儲けのために添加物まみれの食品を売るメーカは死餓鬼ではないのか。

 金や権力、強欲の本能に目が眩むとどれだけ非道の鬼になれるか、歴史が教えてくれている。その歴史を学校では教えてくれない。学校で習う歴史は、あくまで西洋の視点で、勝者の立場で見た歴史観である。洗脳教科書である。もっと目を見開いて物事を観よと広目天は言う。在れども、その気になって、持てる知識を総動員して視点を変えてみないから、真実が見えない。西洋史観に騙されてはならない。自分を守るのは自分である。自分の城は自分で守らないと家族が殺され国が滅ぶ。

 

我が家の犠牲者

 先の太平洋戦争で、父の5人兄弟のうち、2名が戦死している。父も戦後2年間のシベリア抑留を強いられた。シベリア抑留では一説に10万人の邦人が極寒の地に散った。ロシアの鬼畜の火事場泥棒による戦争犯罪である。戦争は身近にある。

 

仏の顔を被った鬼

 世には仏の顔を被った鬼が跋扈している。それを見極めないと、地獄に突き落とされる。先に民主党政権時代は、その仏の仮面をかぶった鬼に騙された最悪の時代であった。「コンクリートから人への投資」とかの美しい言葉で、日本国民は騙され、民主党が政権を取った。民主党は未来に投資をしない政策で、経済は停滞を極め、不況が続き、消費税増税でとどめを刺した。対米関係が最悪になり、防衛で隙をみせため中国が尖閣諸島でやりたい放題の事態となった。仏の仮面を被った鳩山に騙されたわけである。

 先に社会党は、非武装中立をうたい、平和をもたらす仏の真似をして国民を騙した。自衛隊を罵倒し、北朝鮮による拉致犯罪の真実は知っていても、オタカさんは知らんふりを通した。もし今、社会党を信じて、自衛隊を無くし、非武装中立をしていたら、尖閣諸島はおろか沖縄も中国に強奪されていたであろう。

 

仏の顔を被った鬼ではないか?

 大垣市も仏の仮面をかぶった市長が市政を混乱に陥れている。節約第一で、未来に投資をせず、チャラチャラした見栄えの良い行事にばかり金を使い、大事な治水や道路行政、経済活性化への投資には、金をケチる。その挙句客寄せパンダ如きドローンでの菓子まきで人身事故を起こし、その責任を下請け業者に押し付け、責任を取らない。その17年間の治世の挙句の結果が、大垣経済の停滞・没落である。

 大垣市には改革が必要だ。大垣市長の現在の政策は、一見美しいが、それは成長を阻害する政策ばかりである。それなら何もしない方が良い。保守的なトヨタを変えた奥田碩社長(1995~1999年)は「変わらないことは悪いことだと思え」「改革をしないなら、せめてその邪魔をしないで欲しい」「任務に忠実なだけではいけない。リスクは覚悟の上で収益の向上に積極的に挑戦せよ」と訴えて、トヨタを変えた。それからがトヨタが世界一への道を歩み始めた。

 現大垣市長は節約第一主義で、金を使わないことが己の任務と勘違いとしている。節約と投資の違いが理解できないようだ。それでいてトンチンカンな行事には、業者に丸投げで大金を使う。会計報告も無い。未来への投資をお願いすると「金がないんですよ、だからやれません」である。「仕事の鬼」は許されるが、「鬼のような節約」では大垣市は浮かばれない。

 

大垣の未来

 今の小川敏大垣市長の政策のままならば、大垣は没落の道へ一本道である。これこそが、仏の顔を被った鬼ではないのかと思わざるを得ない。現世代はその影響が少ないかもしれないが、鬼のような政策が、未来の市民である子供達を、確実に地獄に突き落とす。今のままの大垣市政では、大垣市の未来は暗い。一見、見た目は美しいが、誰も歩いていない街並み、お洒落なお店が見当たらず、詳細に見れば汚い街並み、日本一汚れたトイレ、朽ちた観光施設、安物買いの銭失いの設備、役人天国の市政、老人ばかりの歩行者、子供の不良の増加、買い物難民の氾濫、介護・医療産業だけが興隆、市民税の高騰、商店街の衰退、工業の衰退、名古屋のベットタウンに没落である。それを食い止める政策が急務である。

Photo

 「大垣市長よ、大垣の未来のビジョンを書いたこの巻物を観よ」と広目天は目で言っているようだ。(松本明慶大仏師作 高野山中門に納佛直前の姿 松本工房にて2015年10月8日)

 

2017-12-01

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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