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2017年9月 8日 (金)

新地蔵菩薩尊の開眼法要

 快晴に恵まれた2016年4月30日9時、大倉家、山田家の両家、丸順の今川順夫名誉会長、石寅の4代目藤井社長も参列され、総勢50名ほどの参列者の中、室村町四丁目新地蔵菩薩像の開眼法要が執り行われた。読経の前に藤井社長が巻いたさらしの紐を取り、大倉家、山田家の方がさらしを取り(除幕)、新お地蔵様が姿を現された。最後に、藤井社長が6尺の杓丈を左手に挿して、完成である。杓丈は教義的には煩悩を除去し智慧を得る効果があるとされる。

 

地蔵尊の思い出

 今川名誉会長は幼年期、この近くに住んでみえて毎日、お地蔵様に「行ってきます」と挨拶をして出かけ、帰ってきたら「ただ今」と挨拶をして親しんでいたという。現在93歳で足が少し悪いがお元気で現役である。「地獄のシベリアに抑留されても生きて帰ってこられた。現在も93歳で元気なのは、このお地蔵様が守っていただいたご利益ではないか思う」と挨拶をされた。木村自治会長が、「この地区の77歳以上の老人は52人で、住民の18.1%を占め、この興文学区では断トツの比率である。全国平均で75歳以上の比率が12.3%(平成25年)(77歳以上比率は推定10%)を考えると、これは延命地蔵菩薩尊が105年間もこの地区を見守り続けていただいたお陰ではないか」と披露された。

 

住職からの歴史の説明

 妙永寺の竹中住職様が、開眼法要の読経の後にお寺とこのお地蔵尊の歴史のお話をされた。明治43年当時、鐘紡(前身の鐘淵紡績、その後の鐘紡、カネボー)の社員やこの地区の住民で亡くなる人が多いので、鐘紡が妙永寺の現在の住職の曽祖父の住職に相談をして延命地蔵菩薩尊として建立したという。土地は大倉家が提供し、石寅(創業明治15年)の初代の藤井寅吉氏(寅年生れ)がお地蔵様を彫りあげた。当時は現在より南に10mほどに位置していて、その前に同志館という地区の公民館があったという。妙永寺は大垣城が築城される(伝・明応9(1500)年)前からある歴史ある浄土真宗のお寺である。昔は仏教を信ずることは敷居が高くて、地位が高い人やお金持ちしか仏教に帰依できなかった。浄土真宗では阿弥陀佛に帰依する本来であるが、延命地蔵菩薩像を身近にして拝む人が増え、民衆にも仏教が広まったという。

 

大垣の繊維産業の興亡

 鐘紡は当時の花形の一流企業であった。赤レンガの鐘紡の工場倉庫(図1)が、現在は大垣市産業遺産として室村町3丁目の六甲テキスタイル(株)の敷地内に保存されている。時代の変遷で、大垣の繊維産業は壊滅した。父は近江絹糸紡績大垣工場が出来た時、第一陣として彦根工場から転勤になって大垣に来た。私は満1歳になってから、大垣に転居した。時に地蔵尊は生誕41歳の働き盛り(?)である。地蔵尊の働き盛りの時は、大垣を始め日本の繊維産業は大盛況になりつうある時であった。大垣は水が豊富で、九州や遠方の各地から集団就職で多くの女子が大垣の繊維産業に就職をした。しかし繊維産業にも生老病死がありその衰退に合わせて、父が勤めていた近江絹糸紡績大垣工場も消え、現在は工場跡が駐車場、新興住宅地に変貌している。お地蔵様の明治、大正、昭和、平成の105年間の時代が終った。私はその歴史の半分の64年間を共有できたのは幸せである。

 

図1 鐘紡の工場倉庫 2016年5月4日撮影

図2 藤井社長がさらしの紐を解く

図3 大倉家と山田家で除幕

図4 姿を現した地蔵尊。手前は石寅の藤井社長

図5 今川名誉会長の挨拶

図6 開眼法要の読経

図7 妙永寺の竹中住職様から地蔵尊の歴史解説

   住職様が地蔵菩薩尊建立の経緯をお話しされた。

   前列 山田様、大倉様、今川名誉会長

 

2017-09-08

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2017年9月 7日 (木)

学縁同源

 自分の人格形成・運命形成は、どれだけの「人」を「食する」かにかかっている。それは医食同源、孟母三遷とも合い通じる言葉である。「喰えん人」と席を長く同じくして食らえば、未来の運命は暗い。「喰えん人」との縁を切れば、良きご縁との出会いの確率が高くなる。人生の活動曲線内のご縁の総量は一定である。悪しき縁が入って来ると、その分の良きご縁が、全体からはじき出される。それが「縁の総量一定の法則」である。

 命とは自分が使える時間を言う。縁に接するとは、自分の時間を消費する行為である。縁無き人や悪しきご縁の人と時間を過ごすのは、時間の浪費である。人の一生は80年、29,200日で、一日一人とご縁を結ぶとしても29,200人である。一億の人口の日本人だけでも0.03%に過ぎない。年齢が65歳なら、残り人生15年で5,475名としかご縁を結べない。年賀状の相手でも、親密なる関係者は50人前後と言う。限られた人生時間で、ご縁を結ぶ人の選定は慎重にしたい。一人の悪しき縁の人と時間を過ごすとは、その分の時間を良きご縁と接せる時間を失うことになり、大事なご縁を無くすこと。

 

一番多く接せるご縁

 家に仏壇・神棚の無い家庭で育った子供に不良になる確率が高いという。親が仏壇に手を合わせるという後姿の「ご縁」に接する機会がないと、縁の器に悪い縁が入ってくる。ハーレムで育った子供に犯罪が多いのも当たり前の事実。人は一番多く見た通りの人生を歩む。

 親がご先祖に礼を尽くさないと、また親がお礼の挨拶を満足にしないと、子供も同じように、まともな挨拶もできず礼状一つ書けないままに育つ。最近の慶弔の場で身近で見た現実である。お礼をしないというご縁の「人生運」が入ってくると、常識的なご縁を取り持つ「人生運」が出ていく。その総量は一定である。だから、その人の運勢が良くなるわけがない。運が悪いとぼやいても故あること。

 

2017-09-07

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室村町四丁目地蔵菩薩尊の輪廻転生

 死があるから生がある。死なくして生はない。死がなく永遠に今のままが続くのも地獄である。その地獄も永遠に続くわけではない。その地獄もいつかは春になる。諸行には何時かは終りが来る。常に変化する「無常」であるのがこの世である。そう思うとき、105年ぶりに新しい魂を宿したお地蔵様が、生まれ変わるのは喜ばしいことである。

 2016年5月初旬の開眼法要に向けて、岡崎市石工団地の「石彫の戸松」(明治35年創業)4代目戸松政洋社長が、新お地蔵様を製作されていた。

 

新地蔵菩薩尊の誕生

 2016年4月16日、事前にお地蔵さん用の真新しい土台が据え付けられた。

 2016年4月19日の朝8時に岡崎の石工団地を出発した石田石材工房の石田観仙師の運転で、新しいお地蔵さんが運ばれてきた。午前10時より始めて2時間ほどで無事に据付工事が終った。開眼法要は4月30日、9時からと決まった。

 日柄の良い2016年4月27日(大安)、室村町四丁目地蔵菩薩尊像回りの最終仕上げが完了した。その後、お帽子を被せ、お体にさらしを巻いて封印して、4月30日の開眼法要に向けての準備が整った。

 私は一連のお地蔵様設置工事の見学は初めてのことで、構えて写真を撮った。前の地蔵尊のお顔は、童の幼さが残る面影であったが、新しい地蔵尊は日本の成熟さに合わせたように、少し大人びたお顔の地蔵尊になっている。帽子のない状態でのお姿を写真に収める機会が少ないので、早朝から撮影を開始した。曇り日でコントラストが付きすぎず、よき撮影日和であった。

 

図1 台座が完成 2016年4月16日

図2 トラック上の地蔵尊を見つめる石田観仙師と石寅の藤井重雄社長

図3 蓮華台の設置

図4 地蔵尊を慎重に持ち上げる

図5 地蔵尊を慎重に持ち上げる

図6 地蔵尊を慎重に設置

図7 お顔の撮影

  帽子のない状態でのお姿を写真に収める機会が少ないので、早朝から撮影を開始した。曇り日でコントラストが付きすぎず、よき撮影日和であった。

図8 帽子をかぶったお顔

図9 お体にさらしを巻く藤井社長

図10 水受けもステンレス製取り外し式で掃除が楽になった。

   花立ての水入れも容量アップ。蝋燭立ても最新式。

図11 2016年4月27日09:00 開眼法要の準備完了

 

2017-09-07

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2017年9月 6日 (水)

あと何回、除夜の鐘を聴けるか

 人生はどのイベントも全て回数券の世界である。どんなにお金があっても、どんなに多くの回数券を持っていても、それを使える回数は一定で上限がある。使えずに残れば紙くずである。あの世には持っていけない。回数券の一回一枚の使用こそ、一期一会である。ある人との出合いは、使えるはずの他の99.93%の「出会い回数券」を捨てることと認識すべきである。一枚一枚を大切に使いたい。

 

選択

 回数券の残り枚数の少なさに気づくのは、還暦も過ぎ体の衰えを覚え、同窓会で、仲間の死が2割を超えたことを知った時である。なぜもっと早く気づかないか、己の愚かさをつくづくと感じる時が、智慧が付いた証である。

 65歳の自分には、平均寿命から数えれば、「除夜の鐘聴講券」もあと15枚分(目標寿命からでも30枚分)しか残されていない。5年毎に開催の「同窓会参加券」ならあと数枚しか残っていない。そう思うとき、一日一日の大事さを認識して、下流の縁を避け、出会う縁の質を高めることで、残り人生の質を高められる。その縁とは、付き合う人の選択、師の選択、本の選択、TV番組の選択、食品の選択、住居、集会、演奏会であったりする。その縁の集合体が自分の人生なのだ。そのご縁を慎重に「選択」することが、人生を輝かせはしないが、後悔の少ない人生を送ることにはなる。選択とは一つを選択すれば、もう一つは捨てることだ

 

果断

 素晴らしい人生ではなくてもよい。後悔のない人生であれば、幸せである。福は授かりものだが、幸は自分で掴み取るもの。数ある縁の中で、多くの悪縁を絶ち切って1つの良きご縁を残す。それが果断である。縁を切る「決断」をしても、「果断」ができなければ意味がない。一つの樹に多くぶら下がる果実の芽の中から、一つだけを選択して他は切り捨てるのが果断である。果断しなければ、多くの中途半端な美味しさの果実が実るだけである。

 馬場恵峰師は、85歳の時、チャイナから100mの巻物の原紙を買ってきて、今まで誰も書いたことのない100mの巻物の揮毫に挑戦された。残り少ない人生で、他のやるべきことを切り捨てて、後世に残す書のお手本として100mの巻物の揮毫に取り組まれた。完成まで2年間を要した。それを聞いて、弟子として記録に残さねばと、2014年4月17日、長崎に飛んだ。それこそ一期一会である。その写真集もそれから3回の撮影のやり直しを経て、やっと完成に近づいた。それも最初の果断がなければ完成しなかったご縁である。その写真集を今秋に出版する準備をしている。何事も完成までに3年はかかるものと悟った。私の人生の回数券を使い切る前に、3枚もの撮影回数券を使うという果断をして良かったと思う。

 

魂の上達

 死に向かって生きる身の上で、人として生きたい。人として尊厳ある魂の「上達」を目指して生きたい。人として金儲けの達人を目指すのは「下達」を目指すことである。それは魂の堕落である。(2015年記)

 

図1 「百m巻物」を2年がかりで書き上げた馬場恵峰先生(87歳) 

  2014年4月17日撮影

 

2017-09-06

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地蔵菩薩信用金庫に手をあわせて

 お地蔵さんに手を合わせる心は、お地蔵さんを信用しての無心の祈りから起こる。お地蔵さんは裏切らないという信用である。ご先祖や両親の位牌の前で合掌する心境に似ている。親類縁者の中には、お願いしても助けてはくれまいと思う人がいないわけではない。そう思われるだけ、その人の生前の行動が記憶遺産として残っている。それは負の遺産である。いくら金銭を残して逝っても、人の心の琴線には響かない。

 

この世に残す遺産

 人がこの世に残す遺産とは、生前の信用である。あの人なら、あの世からでも見守ってくれているはずと思われることは人徳である。まさに信用金庫の財産である。そんな存在を目指して自分信用金庫を守っていきたい。お地蔵様とは「見守り信用金庫」の頭取である。無限の慈悲を無利子で貸し出してくれる。

 教育で教師、師匠の最大の役目は子供、弟子を見守ることである。一流の師は弟子にあれこれとは言わない。黙って背中を見せ、弟子の修行振りを見守る。あれこれいうのは二流の師匠である。将棋の世界でも、師匠が弟子に直接指導をする将棋は、見込みなしと判断して、暇を出し最後に打つ将棋である。弟子は答えを持っている。その答えを自分で見出すのを師匠は黙って、爪を血が出るほど噛みながら待っている。あの世から佛様が見守っていてくれるという安心感は師匠の愛に似ている。

 

仏さま発行の「安心」カード

 契約社会では、契約書に書いていないことは実行しなくてもよい。欧米の宗教では、神の前に宣誓して契約をする。それを破れば、地獄に堕ちる契約である。日本の佛様は契約に書いてないことでも、それを超越して見守ってくれる。寛容な心が溢れている。両親のご精魂もお地蔵様も、自分を暖かく見守ってくれる。それは手を合わせてくれる相手が泥棒でも同じである。契約社会での厳格な西洋の神に前では、泥棒は畏れ多くて手など合わせられまい。クレジットとは信用のことである。人が信用できない社会では、クレジットカードで個人の信用を天秤にかける。その人が信用できないから、クレジットカードで信用をバックアップする。そんな拝金主義者の世界では信用も絵に描いた餅である。お地蔵さんは「安心」というご利益を与えてくれる。来世は契約書のない世界で修行を積んで生きていく。あの世のパスポートは信用である。

 室村町四丁目地蔵菩薩尊は、雨の日も風の日も、雪の日も炎天下の日も空襲に襲われた日の劫火にも負けずに皆さんを105年間にわたって見守って頂いた。見守ってくださったというご利益に感謝です。合掌。

 

2017-09-06

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2017年9月 5日 (火)

老いてからの心構え

・子供にこうして欲しいと思うな

 息子には他人の女が付いている。息子には息子の人生がある。

   息子は昔の己の姿。子は己と同じ過ちを経験して成長していく。

 温かく見守ろう。

・今日は、今日のことを仕上げよ

 過去は胸にしまえ。今日が最期の日と思え。

 明日があると思うな。今のうち。一日、一生。一瞬、一生。

 人のことを構っている時間はない。

・人の長所だけを見よ

 意識して探さないと、欠点だけが目につく。

 成長がないと視野が狭くなり、長所が見えない。

 見えてくる人の短所は、昔の己の姿。 

 一段上からの視線で、佛様の視線で物事を観よう。

・心を健康に保て

 体が健康でも、心が病めば、生きた屍である。

 健康でなければ幸福はない。

 「健」とは体の状態、「康」は心の状態。

 体と心が共に健康でなければならない

・老いを受け入れよ

 自然に逆らうとは神佛に逆らうこと。自然体が一番よい。

 生あるものは生老病死。今更つっぱっても大人げない。

 死ぬときは、死ぬのが良い。己が死ななければ、若手が育たない。

 老いなければ見えてこないない世界がある。65歳で64歳の非を知る。

 その非が見えるようになることは、素晴らしいことだと認識しよう。

 長く、組織に長の座にいると周りが見えなくなる。周りが本当のことを言えなくなる。周りの陰の悪口を仏の声として受け入れよう。それが受け入れなければ、耳が聴こえないという老害である。どんな優秀な人でも、老いは避けられない。まだは、もうなり。

・消費をして日本経済を活性化せよ

 あの世にお金を持っては逝けない。老人にできることはお金を使うこと。消費は世の為人の為。消費は人の為ならず。お金を使えば、経験というお宝が自分に帰ってくる。お金を使わないから、知恵がつかない、人が去っていく。自分に投資しないと、老いてからの人生が惨めである。ガソリンが満タンもまま、人生飛行の着陸では、ハードランディングになってしまう。時には遺族が大炎上である。美しく優雅に着陸すべし。老いは、人生飛行の着陸態勢である。

馬場恵峰師の講演をもとに、記述しました。

2017-09-05

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2017年8月27日 (日)

55年間の加減乗除

人生経営の中間決算後

  2016年3月4日、謝恩の意味を込めて中学の時の恩師・子安一徳先生と会食をしたら、今度の4月に中学の同窓会があるとの情報を教えて頂いた。中学を卒業してから住所を数回変わっているので、同窓会の案内が届いていなかった。ご縁として早々に幹事に連絡を取り参加を決めた。

 

妖怪変化

 2016年4月23日の同窓会で55年ぶりに会う仲間の顔は、記憶の忘却と体形と顔の変貌で見分けはほとんど不可能であった。かろうじて憶えている名前で名札を見て確認し、その仲間をその変貌振りに驚嘆するばかりである。当時58kgであった精悍な柔道少年が、95 kgの肥満体に変貌している様は半世紀の年月の流れを感じさせる。女性は男性以上に変貌が激しくて記憶が全く役に立たない。 自分のクラス44名中で、8名が既に他界していた現実には考えさせられる。多くの知っている昔の学友の名前の欄に「亡」との記載があり、愕然とした。生きていることと健康の有り難さをつくづくと感じた。

 

ローリング ストーンズ

 今回の中学の同窓会では昨年の高校の同窓会ではあまり感じなかった人の成長の差のばらつきを感じた。65年も人間をやってきて、中学生の頃とあまり変わっていない人格に、成長のなさを感じた人も多くいた。佛様が55年間に与えた試練をどう受け止めたかが垣間見れた再会であった。開けている大垣ではあるが、地元で田舎の風習に染まって育ち、外の文化に触れなかったためか、宴会でその天性爛漫な性を露天し成長していない様を出す人が多くいた。外の空気に触れる大事さを感じ、自分の成長の位置づけを感じることが出来、あちこちと流されて多くの経験を与えられたことに感謝をした次第である。

 宴会に後半になり、宴会会場でカラオケ大会が始まり小時間ほど大騒音の中の宴会場となった。騒音のため歓談もままならぬようになったので、暫く外のロビーでそこにいた仲間と雑談をしてすごした。会場の多くの人がカラオケなど聞いてはいないのだが、歌う者だけが盛り上がっている。こういう場でのカラオケ大会は初めての経験である。65歳にもなってこういう場でカラオケ大会を企画する神経と、歌って自己満足して、人と場の空気を読めない神経に幼さを感じた。幹事たちの閉鎖的な成長していない田舎の感性を感じて、50年間の人生試練の加減乗除の差を感じた。歌いたい人は別室で自分達だけで楽しめばよい。多くの人が歓談したい場では、カラオケはご法度である。それは音の暴力である。それが分からない人に説法をしても始まらないので、そっとその場を離れるのが賢明であろう。

 

佛様からの問い

 この場の状況が現時点の現実である。思わず彦根市の天寧寺の五百羅漢像を思い浮かべた。行けば必ず己に会えるという五百羅漢である。55年が経過した同級生の姿が五百羅漢である。そこに己とそっくりな姿がある。55年間、仏様が遠火で熟成した結果が今の姿である。目の前の相手は、己を写す鏡である。現実を冷静に見つめたい。それを見て自分はどうするかが、佛様から己への問いかけである。まだ人生軌道を修正する時間は残っている。

 

図1 1961年3月  大垣北中学校 Jクラス 卒業アルバム 

    中央は子安一徳先生、3列目中央が著者

図2 2012年11月18日  恩師の子安一徳先生と再会

    大垣文化連盟の応接室で。大垣文化連盟の理事長で現役

図3 天寧寺の五百羅漢(彦根市)

 

2017-08-27

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2017年8月23日 (水)

大村藩熟女隊アッパレ賞

 クリスマスも近い2016年12月15日、宅急便でビックリプレゼントが届いた。包装の表の文面を読んで、九州女性のやさしさに感激でした。開封するのが畏れ多く、またもったいなくもあり、中身が食べ物ではないと推定して、暫く開封せず、応接机の上に飾って、しばらくそのままにしておいた。なかなかに泣かせる文面で、「熟女隊」、「アッパレ賞」とデザインも含めキャッチコピーとしても秀逸でした。デパート経由の単なる贈答品とは違い、格別の嬉しさが込み上げてきた。長い人生で、女性軍団からこんな素晴らしい贈り物をもらったのは初めてでした。またこの歳になるまで「アッパレ」とほめられるなど経験がなく、なにかくすぐったく、嬉しくもあった。

 もったいなく開封が遅れたことで、後で「苦労して商品を選定したとのに」と、泣き言を言われてしまったのには、閉口でした。大事なお宝の写真撮影は大変で、構えてしまうのですよ。きっと下図のような雰囲気で、このプレゼントのアイディアを考えてくれたのだろうと推察した。「大村藩熟女隊」に感謝。

 「あっぱれ!アッパレ!!」とお殿様から褒められたようで、大村藩おんな浄主「直寅?」に敬意を表して、「熟女隊」を「大村藩熟女隊」に昇格させました。

 

2017-08-23

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2017年8月22日 (火)

自分と言う宗教

 宗教とはお釈迦様やキリスト様を信ずることではない。宗教とは人としての「宗(もと)」の教えである。元とは祖先、本家、おおもとである。「宗」は「宀」+「示」で構成され、「宀」は家屋、「示」は神事の意味である。「宗」は神事の行われる家屋、おたまやの意味を表し、転じて祖先や祖先を祭る一族の長の意味を表す。だから家系が信ずるご先祖の教え(家訓)を守ることも立派な宗教である。その家長が家訓を守って実行していれば、家長は教祖として立派な宗教家である。本多さんなら本陀羅佛教の教祖様である。だから私はお陀佛教の教祖である。

 

 お釈迦様はあの世があるともないとも、何も仰らなかった。戒名もお墓も作らずに旅立たれた。病で亡くなられたので、穏やかな死である。他の宗教の過酷な死とは違い、教祖の穏やかな死は、その宗教の雰囲気にも影響する。

 戒名も経典もお墓も後世の弟子達の創造物である。原始仏教は単純である。それでは庶民に有り難さを感じさせられないので、後世の弟子が装飾を施したのが現代の宗教である。現代の宗教は減価償却費や維持管理費、人件費がかかるので、護持会費や戒名や法事等の名目を立てお金を集めているのだ。それも方便である。それで宗教の世界が回れば佛様、僧侶、檀家の三方よしである。文化が発達したこの世なのだからそれくらいの「お化粧代」があっても良いと思う。やりすぎて金儲けが目立つ宗派が存在するが、その宗派の本質を見極めて、縁なき宗教として避ければよい話である。

 

人間としての教え

 人間としての根本の教えは全宗教とも基本的に同じで、簡潔に表現すれば、「汝殺すなかれ、汝姦淫するなかれ、汝盗むなかれ」である。それは人間社会が人間社会としてあり続けるための当たり前の戒律である。それが人間と動物の世界を分けた掟でもある。それに各民族の風土の要素を加味した教えが各宗教・宗派である。砂漠の厳しい環境で生まれた宗教は厳しい戒律となる。「目には目を、歯には歯を」である。温暖な風土で生まれた宗教は温厚な戒律となる。それを見極めてどの宗派に属して信仰を深めるかは各自の自由である。

 ちなみに仏教ではその宗派への勧誘は禁止されている。勧誘に熱を上げるのは新興宗教の特徴で胡散臭い集団である。それが宗教の真贋を見分ける一つの目印である。わが菩提寺が檀徒集めで勧誘をして歩いているという話を聞いたことがない。

 人間としてあるべき姿は、「人と比べず、ご恩ご縁を忘れず、命を大事に、自分の天命を知り、吾が道を歩く」を信条とすれば、それも立派な経典といえる。人智超えた神仏の存在を信じて畏敬して生きる。それが智慧ある人間としての生き方である。自分教を信じて、人生を全うしたい。

 

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50m写経巻物の撮影

 馬場恵峰師が卒寿記念で50mの写経の巻物を書き上げたという話を聞いたのは、2016年11月28日の百m巻物の三度目の写真撮影をするため、先生宅を訪問したときである。師はこの巻物で般若心経を十種類の書体で書き上げたという。12月8日、卒寿記念恵峰写経書展を見て、その写真撮影をし、その写真集を編集する段階で、50mの写経の巻物の一部を掲載せねば、画龍点晴だと痛感した。それで急遽、12月22日に、写真撮影のため、長崎へ飛んだ。写真撮影で50m巻物を扱うのに、一人では無理なのでいつもの撮影協力隊の皆さんに応援を依頼した。年末の忙しい中で、自称(?)「熟女・一応主婦」の皆さんが快く手伝って頂けたことに感謝です。いつもは早割、シニア割引で長崎に飛んでいるが、年末のため、いつもの格安のシニア料金が通常のビジネスクラス並みの料金に跳ね上がっていたのは想定外でした。

 今回の撮影分を含め、この1ケ月間で、計3回も長崎に出向くことになり何か導かれた縁を感じた。今回、この50m写経軸を撮影するにあたり、前から懸案であった当家の墓誌を作り直す過程で、その裏面に彫る文章を再作成する決断ができた。計20回弱の推敲を繰り返して完成した当家墓建立の経緯文である。その文面を先生に揮毫して頂くご縁ができたのも今回の写経軸の撮影での佛縁であると思う。ご先祖も喜んでおられると思う。

 

図1 書き上げた50m写経軸を説明する恵峰師 2016年11月28日夜

図2 50m写経軸の撮影風景 2016年11月29日

図3 50m写経軸

 

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