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2017年9月23日 (土)

人となれ、人となせ人

 今の自分が嫌で、新しい自分に変わりたいと言う人は多い。しかし変われる人は少ない。それは何故そんな自分のなってしまったかの原因を突き止めずして、小手先の手段で変わろうとするから、変われないのだ。人は生まれてから1日20回の決断をして、6歳までに43,800回の決断を繰り返し、人としての思考回路が育つ。6歳までに脳の80%が完成する。そんな強固な訓練をして固まった脳(固定観念)を変えるのは至難の業である。

 

人を磨くのは人

 人は、ダイヤモンドのような素質を持っている。それを磨くのは、人でしかできない。人は、人からもまれて、叩かれて、笑われて、罵倒されてこそ、磨かれて己が持つダイヤモンドに変身する。人は、一人では人になれない。艱難辛苦が人を輝ける人にする。読書が人を育てるように、世間という書物を読み体験することで、人を人にする。

 

角熟を目指す

 人は、神佛を目指してはならない。あくまで人として人になるべきである。神佛は「人ではない」。人が完全無欠の神佛を目指すと、「人でなし」となってしまう。欲を持ち、人としての欠点もあってこそ人である。生きるという欲まで捨てたら、人でなくなる。指導者として欲を持つなら、人格を高める欲を持つことだ。人として人格を極めれば、神仏にはない欠点が人間味となる。円熟ではなく、角張った欠点を抱えたまま長所を伸ばして熟する(角熟)のが人の道である。

 

人として死にたい

 人は、食欲・物欲・性欲だけを求める生き方をすれば、畜生界の存在になり下がる。人なれば、目の前にぶら下げられた餌を自制すべし。今はあまりに美味しすぎる餌が溢れている。自制心をなくしたら、人ではなくなる。グルーバル経済主義の化け物に取りつかれた輩は、死ぬまでに使い切れない財を独り占めにして、99%の他人の生き血を吸って繁殖し、最後は死病に倒れる。いくら財を貪っても、生物である以上は死からは逃れられない。

 人は寝て一畳、立って半畳、食べて一升、死んで残るは灰塚一握である。強欲に走るから、不幸になる。利他少欲であれば幸せである。強欲に取りつかれた死鬼衆としてではなく、人に成長して、人として死にたい。

 

2017-09-23

久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年9月22日 (金)

吾がトロッコ人生

 人生の道は鉄道に似ている。基幹路線もあればローカル線もある。そこを走る列車にも新幹線もあれば、急行電車も鈍行列車もある。どんなに速い列車でも鈍行列車を使っても、途中下車さえしなければ、目的の到着駅には必ず到着する。早い遅いはあるが、いつかは終着駅に着く。人生の旅の終着駅は死である。最速の新幹線で行けば、早くは着くが途中のいろんなご縁をすっ飛ばしての到着となる。到着が目的ではなく、その過程が人生の目的である。鈍行電車には時間が多くあり、多くのご縁と出逢いがあり、景色を楽しみながらの旅となる。どちらが良いか悪いかの問題ではない。その人が選択した人生であり、その結果の運命である。

 

手押しトロッコ

 多くの路線、電車の中でも、なぜか私はトロッコに気が引かれる。トロッコは、必要な時に必要な場所に必要な線路が引かれ、必要な物資を運んで、お役目が終れば線路が撤去される。人生の後始末が美学のように思えて、好きな乗り物である。まだ日本が高度成長期に突入する前の昭和30年頃で、私が幼少のころ、地元の建設現場に工事用の手押しトロッコがあり、夕方になって作業員達が帰った後、ガキ仲間と一緒にトロッコで遊んだ記憶がある。自分の力で押して進行できる趣が好きだ。

 

生業を楽しむ

 吾が人生路は既定の路線ではなく、自分に必要な経路に新しいトロッコ線路を敷設して己が荷物をトロッコで運ぶのが良い。それが第三の人生に分相応である。出世競争も、追い越しもなく、時刻表もなく、人生の使命を黙々と運ぶ。それが生業である。皆さんが楽しんでいる歓談の場で、場の空気も読めず出世話しを押し付けるようでは、会社の元肩書きは空しい。そんな生臭い話に興ずるよりも、黙々と自分の生業を楽しむ。それが本当の人生ではないか。周りを気にして、智に働き、情に流され、意地を通せば、人生の脱線転覆である。会社人生で、ストレスのため病気になり早死にした仲間がなんと多いことか。住みにくい現世では、定年までは世の中へのお勤めとして精進して、その年季奉公が終った後の第2、第3の人生は、世のシガラミに囚われずに、自分のトロッコ路線を進みたいと思う。

 トロッコに集めることだけ、入れて運ぶだけに忙殺された人生を送る人は、目的地に着いたとき、荷は降ろさねばならず、置いて行かねばならぬことを悟り、そこで何のために生きてきたのか覚醒して愕然とする。目の前の財に身が眩み積むことだけを考えると、虚の世界に取り付かれた亡者となる。それは集めても集めても、満足しない死鬼衆である。人は見たい物しか見ていない。美しく見える虚の世界に振り回されてはならぬ。

 

図1 馬場恵峰書(2017年入手)

 

2017-09-22

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2017年9月19日 (火)

予告 「100m巻物」の出版

 来る10月11日に100m巻物の馬場恵峰書『百尺巻頭書作選集』を出版します。本日、ユタカコピー㈱との印刷の詳細打ち合わせが終り、明日から印刷の工程に入ります。10月中旬より販売いたします。

 A4横サイズ、全144頁、価格7,000円です。

 

 本ブログは、下記のブログ内容と一部ダブりますが、総まとめとしてご参照ください。

 下記はブログは、詳細情報として、ご参照ください。

   「100mの巻物」という人生(1/2) 2017年8月20日掲載分

 「100mの巻物」という人生(2/2) 2017年8月21日掲載分

           カテゴリ「詞天王が詠う老計・死計 」

『百尺巻頭書作選集』の内容

 本書は、書を学ぶ人のため、書芸の流派を超えて、書は心の鏡、文章は心の声なるものを紙面に分かりやすく多用化して揮毫された。後世に残すために書のお手本として、全種類の書体を揮毫されたのが、本書である。詩仙李白から始め「十首」、「六首」、「60」二字、「50」三字、「40」四字、「52」五字、「35」文、六字「八句」七字「七」、八字「十句」計262課題、唐詩16種、恵峰随筆、絆他9課題、知己塾講話26講(この分だけで15m)、恵峰詩文44、歌詞加古川旅情他恵峰作歌詞24、扇額「30」、扇面かな「21」、古典5、子供のしつけ方10条他名文「10」、一休いろは歌「48」、各種型状かな文42、訓言「10」等々550課題大文字、中字、細字、かな古典、現代かな調和体等の集大成である。

 師の気力自己挑戦の巻を手に取って見て頂きたい。実物を見るのは4人がかりで大変だが、本の形で皆さんに見て頂けるようにしたのが本書である。師は上手でなくとも、真似していただけるような書を残したいとして揮毫された。素人の私からみて3カ所のミスがあるが、きちんと修正はされている。100mの巻物でたった3カ所のミスしかないことに驚嘆である。それも明治の三大名筆、近代書道の父と呼ばれた日下部鳴鶴の書を上回る名筆である(私の感想)。まさに神業で、それでミスがなければバケモノである。師が生身の人間であることの証明ともなる。

 

撮影の経緯

 本書は、日本人も中国人も書いたことの無い100mの巻物に馬場恵峰師が挑戦され、2年がかりで2014年初春に完成された。この話を先生から聞き、こういう御縁は生涯でも滅多にないと感じ、また弟子としても記録に残さねばと思い、2014年4月10日、写真を撮らせて頂くために長崎に飛んだ。写真撮影で百mの巻物を扱うのに、一人では無理なので助っ人として福田琢磨様に応援を頼んで出かけた。

 なにせ百mの巻物なので、まだ誰もこの作品を全部鑑賞した人はいない。たまたま写真撮影の前日に、知己塾の日程を一日間違えてお弟子さんが先生宅を訪れるという御縁があり、私の写真撮影の話を聞いて、それなら、私もお手伝いをさせてもらうと三名の書友の方が写真撮影の応援を頂いた。撮影を開始するととても2人では無理で、応援の書友の方に感謝と、日程を間違えてこの写真撮影の御縁に巡り逢うありがたさを感じた。

 当日200枚ほどの撮影をしたが、帰宅後詳細に確認するとピントがあまく、不出来な写真があったので、再度、取り直す決断をして、一週間後に再度、長崎の飛ぶという御縁ができた。当日は4時半起床、6時32分発の電車に乗り7時50分発の飛行機でセントレアから長崎に飛び、3時間ほどかけて400枚前後の写真撮影(各2回撮影)をして19時50分発の飛行機でトンボ帰りをして22時30分に帰宅した。さすがに疲れが二、三日残ってしまったが、心地よい疲労感のある経験であった。

 その後2年余が経過して、恵峰先生の書の写真集を作成していく過程で、カメラが世代交代し、今の目で見ると当時の撮影の拙さが目についてきたため、カメラを最新型に更新して、2016年11月28日に再度撮影する決断をして、完成したのが今回の書である。

 前回からカメラ、三脚、照明装置、水準器が変わり、撮影技術、編集技術が回数を重ねることで向上して、現時点ではほぼ満足で来る仕上がりとなった。やはり経験を積まないと何事も向上しない。また良い機材は良い結果をもたらしてくれることを再確認した。高いものにはわけがある。

 2017年5月に、初めて馬場恵峰書『報恩道書写行集』を出版して、その過程で多くの学びがあり、その反省を2冊目のこの「百尺巻頭書作選集」に反映できた。何事もやってみなければ分からないことばかりである。初めてこの100mの巻物を撮影して3年目してこの出版が完成する。感慨無量である。感謝。

 

2017-09-19

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2017年9月17日 (日)

地蔵異聞 首刎ね

誰がお地蔵さんの首を刎ねたのか?

 日本は仏教が聖徳太子によって積極的に導入されて以来、宗教戦争のような悲惨な争いが少ない稀有な存在である。聖徳太子は仏教を導入したが現存の日本の神も敬うという姿勢をとってその布教に努めた。それが神仏習合の文化を育てた。それに比べれば、西洋の宗教戦争は排他的で、それゆえ悲惨で残酷であり、長く西洋史に刻み込まれている。その名残が中東の紛争に現れている。西洋の宗教戦争は2,000年間も続く争いである。それに比べれば、日本の宗教戦争は小さな争いではある。

 

全てを受け入れる

 相手の思想を認めず、排他的な考え方を取るから残酷な結果を生む。仏教に思想は、人生の全てを受け入れる、である。それは仏教という範疇にとどまらない素晴らしい考え方である。会社を経営して、己の人生を経営するにおいて、大事にしたい考え方である。西洋人が偉いのではない。たまたま西洋に生まれただけである。その考えで、多くのアジア人が欧州人に虐殺された。エートが偉いのではない。たまたま記憶力が良いという恩恵を神仏から恵まれただけである。それを、俺は偉いのだと、相手を認めないのは、己が一番偉いという思い上がりである。神仏は、その才能を世にために使えというはずである。東大を出た山尾志桜里議員も、豊田真由子議員も、この世で役立つためにその才能を神仏から与えられたはずなのに、何を勘違いしたことやら。頭がいいとは、物事をお利口さんにしか考えられない愚かな頭脳構造である。人生では、バカになって取り組まねば成就しない仕事が数多くある。人間は損得勘定で生きているわけではない。

 

廃仏棄却騒動

 仏教の一番大きな危機は、明治初期に発生した廃仏棄却騒動である。廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈)とは、新政府によって慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発せられた太政官布告(「神仏分離令」「神仏判然令」)、および明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」などの政策によって仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃した。「廃仏」は仏を廃し(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味し、廃仏棄却で神仏分離を押し進めた。

 神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図しなかったが、結果として廃仏毀釈運動となった。神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などが見られた。1871年(明治4年)正月5日付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収した。廃仏棄却では、国宝級の仏像が多く破壊されたが、それがなければ現存するものの2倍もの国宝級仏像が残っていたはずといわれるほどの騒動である。

 それでも全国でその程度の差は大きい。美濃国(岐阜県)の東濃は廃仏棄却が激しかったようだが、同じ濃尾地区でも西濃の大垣では廃仏棄却の痕跡はない。美濃国の苗木藩では、明治初期に徹底した廃仏毀釈が行われ、領内の全ての寺院・仏壇・仏像が破壊され、藩主の菩提寺(雲林寺)も廃され、現在でも葬儀を神道形式で行う家庭が殆どである。一向宗が強い三河や越前ではこれらの処置に反発する一向一揆が見られた以外は、全体としては大きな反抗もなく、わずか2、3年後の明治4年(1871年)頃には終息した。

 

首刎ね

 彦根市の長松院の墓地に安置してある百体ほどのお地蔵さんの首が全て刎ねられている。だれがこんなことをしたのか。長松院だけではなく、彦根中のお寺も同じ状況である。お寺は存続しているので、お地蔵さんだけが被害にあっている。大垣や他の区域ではお地蔵さんの首が落とされた事例や寺院の破壊は見られない。彦根では、墓地にあるお地蔵さんの首だけが被害に遇い、堂内の仏像は壊されなかったようだ。彦根天寧寺には有名な五百羅漢像があるが、それが首を落とされた形跡はない。

 

地方の廃仏棄却

 日本の他の地域では五百羅漢像の首を落とされた事例もある。廃仏棄却の形態は地方でその現れ方の差が大きい。彦根ではある宗派のお寺が潰され神社に知行されたが、そういう例も地方によって差が大きい。どれだけ明治政府に従順であったか、権力に密着していたかでその影響の差が大きいようだ。明治政府の重鎮であった殿様がいる藩の殿様の菩提寺は潰せまい。クソ真面目に廃仏棄却に励んだ藩は、外様で政府に媚を売りたかったかもしれない。明治政府成立に貢献した藩は、大らかに構えていたのかもしれない。大垣藩も彦根藩も明治政府成立の立役者ではある。

 彦根でも、廃仏棄却は進んだが、多くのお寺は潰されなかったが、ある宗派のお寺が集中的に潰されて、現在では墓地しか残っていない。その傾向は彦根だけであるようで、廃仏棄却の地方での温度差はかなり大きい。その檀家が存続できたお寺を妬んで、お地蔵さんの首を刎ねる蛮行に及んだのかもしれない。廃仏棄却にも権力闘争の風が吹いていたようだ。だから弱いものはモノに当たった憂さを晴らすようだ。それでも堂内にある仏像までは手が出せない臆病者であったようだ。当時のお寺は権力と密着していたので、力を持っていたのであろう。

 

図1 首を刎ねられた地蔵菩薩像 (彦根の寺院の墓地)

 

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2017年9月16日 (土)

地蔵異聞  ドラえもん地蔵

 地蔵菩薩尊は生きとし生けるもの、衆生一切を救ってからでないと自分は涅槃寂静しない、とお誓いされて修行されている菩薩である。まるで暗い人生航路を行く大型船の船長のようである。乗員の安全を祈願して、船が難破したときは、乗員が全員下船しないと船長は船から脱出しない。船と運命を共にすることも多い。それが船長の役目でもある。自分を犠牲にしてでも、仏縁の人を救う方はすべて地蔵菩薩である。

 

縁なき衆生

 そのお地蔵様にも唯一救えない衆生がある。それは「今世で縁の無かった者」である。たった一度でも、生前にお地蔵様に手を合わていれば、それを仏縁と為し救ってくださる。しかし、子供にそんなことを言っても理解できないが、ドラえもんには子供がみんな反応する。ドラえもんの頭を撫で、そして自然とドラえもん地蔵に手を合わす。それで仏縁ができる。子供を連れてきた両親、祖母祖父も、全員に仏縁ができる。観音様は三十三の姿に変身して衆生を救う。ドラえもんは地蔵様が変身したお姿である。

 某寺院のドラえもん地蔵では、小学生が自転車で来て手を合わせている姿をよく見るし、お寺の子も学校に行く前に、ドラえもんに「行ってきます!」と挨拶して登校している。微笑ましい姿である。そんな子供は成人しても不良にはなるまい。ドラえもんは「これでいいのだ!」が決まり文句である。恵峰先生もドラえもんのこの言葉が大好きだとおっしゃる。この言葉の意識下には、現状の自分の精進を認め、相手を認め、そこから出発する心が感じられる。多くの仏像の中で、地蔵尊だけが我々と同じ視線か下から我々を見てくださる。上から視線ではなく、地蔵尊は自他を同じ視線で観て、現状を認め高望みせず、悲観せず、見下さず、ひたすら吾が道を歩むことを教えてくださる。

 

知的財産

 このドラえもん地蔵は中国で作られた石像である。一時期、ミッキーマウスやドラえもんの模造石像が大量に日本に入ってきてことがあった。明白な著作権違反品で、公正取引委員会がその石像を置いてある石材店に行政指導をして、廃棄処分を指導した。その処理に困った販売店がお寺に寄進をした一つが、このお寺に安置された経緯のようである。だからこのドラえもん地蔵の裏側にはあるべき小学館の著作権の表示が無い。ご縁でこのお寺に安置されたのも仏縁であろう。営利目的で置いてあるわけではないし、お寺という場所なので、許されると思われているようだ。しかしお寺は公共の場所である。違法な物品を設置は問題がある。空港の税関でも、中国製の贋物ルイビトンのバックは没収である。それが知的財産侵害物に対する法治国家の正しい処置である。このドラえもん地蔵中国製で、知的財産権の違法製品である。こういう事例が、日本の雇用を破壊していく。大きな堤防の決壊も小さな蟻のひと穴からである。

 日本国内にコピー商品を輸入する行為は違法である。関税法69条11項で「輸入してはならない貨物」として「知的財産を侵害した商品」と規定されている。109条にそれ輸入してはならない商品を輸入した罪として「懲役10年以下または罰金1,000万円以下」と規定されている。

 

日本の財産を守る

 知的財産とは、今後の日本が守らねばならない大切な財産である。頭で汗をかいて生み出した知的財産は、肉体的労働からの生産物以上の価値がある。キャラクタービジネスは、矢野経済研究所の調査によると、2013年が2兆3110億円の市場規模である。それに比例した日本の雇用が存在する。それが知的財産権で中国に侵されると、その分の日本のGNP(日本の雇用)が消滅する。サラリーマン労働は8時から17時までのルーチン労働で成し遂げられるが、知的財産は24時間の考え続ける知的労働から生み出される。それをパクリで盗用されるのを見逃しては、日本の衰退の原因となる。

 また知財の盗用問題は、新幹線技術パクリ事件のような問題に発展する。中国は、新幹線の技術をパクり、自国開発だと称して日本と競合して世界の各地に新幹線を売り込み始めた。インドネシア新幹線入札で、日本は受注競争に中国のパクリ技術に負けた。中韓は違法に日本の技術情報を盗み、急速に技術レベルを上げ、日本の市場と日本の雇用を奪っていった。日本が長年頭の汗と苦労の涙をかいて築き上げた知的財産を盗んだからである。知的財産を創造するの大変だが、盗むのは簡単である。知的財産権の保護や技術の盗難防止を軽視した結果が、現在の家電業界の衰退である。何万人というリストラで、多くの家庭が泣き、日本人の雇用が消滅した。知的財産を盗むとは、それで生計を立てている衆生を困窮に追いやること。

 

不偸盗戒

 修証義に曰く「第二不偸盗戒」。道元禅師の教えは、盗むことを禁じている。ドラえもん地蔵がそれを反面狂師として教えているのは皮肉である。たかがドラえもん地蔵、されどドラえもん地蔵の問題である。石屋さんやお寺さんが日本の経済基盤を揺るがす問題をないがしろにしては、道元禅師もお嘆きである。それを見て育った子供の知的財産への不感症さが怖い。これではお寺も衰退する。

 

図1 ドラえもん地蔵

 

2017-09-16

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2017年9月15日 (金)

佛の智慧

 明治政府が発令した神仏分離令は、仏教の教えを排除することであった。列強諸国に国土を脅かされている時代、新興国家の運営では富国強兵が最優先課題であった。争いを嫌う佛心は、国の方針に合わなかった。それで廃仏棄却・神仏分離の運動になっていく。

 それに危機感を抱いた大垣市南東の鬼門を護る大悲禅院の当時の住職は、智慧を出し京都から玉姫稲荷大明神を招いて、寺院内に玉姫稲荷大明神社を建てた。それで「大明神様がいるお寺を潰せるものなら、潰してみろ」と居直ったようである。お陰で大悲禅院のお地蔵様(安永2年(1773)建立)の首も安泰で、お寺も無事に廃仏棄却の大嵐をやり過ごすことが出来たようだ。

 

戦略

 大嵐に素手で立ち向うのは愚かである。智慧を使えば、人生の荒波はやり過ごせるもの。どんな非常識な権力者、上司にも知恵を使って戦おう。いや、戦うのは愚かである。無益な戦いを省略する「戦略」を練って、知恵を使って人生を戦うのが賢者の流儀である。仏界には、知恵ある佛は数あれど、知識だけの仏さまは存在しない。

 相手が日本の最高学府を出ていても、それは記憶する能力だけが高かっただけで、知恵がある証明にはならない。仏さまはその能力を、世のために使うため授けたはずである。それを何を勘違いしたのか、ちやほやされて己が偉いのだと勘違いをして利己主義に陥りふんぞり返る輩が跋扈している。知識はあっても智慧がない。世の中を明るく「照明」する人とは、知恵のある人である。それの反面教師として、明治時代の政府高官、血迷いのイラ菅、ダマ菅と呼ばれた管直人元首相、フリンセス・山尾志桜里議員、舞踏会の華ではなく罵倒界の鼻柱・豊田真由子議員、頭を下げるのが嫌いな東大出の長の面々の顔を見ればよい。

 

大垣空襲の痕跡

 ここに建つ谷汲山観世音菩薩様も、昭和20年の大垣空襲のナパーム弾の炎を浴びていてその痕跡が痛々しい。室村町四丁目地蔵菩薩尊が去った後、現存する大垣空襲の証人様である。この谷汲山観世音菩薩様も初代藤井寅吉氏の作である。このお寺の庭にある白衣観音菩薩像も石寅さん手配で石田観仙師の作。

 

図1 大悲禅院 谷汲山観世音菩薩

図2 大悲禅院の敷地内にある玉姫稲荷大明神社

図3 白衣観音菩薩

図4 お地蔵様

  安永2年(1773)建立。長くお堂内に安置されていたので傷んでいない。

 

2017-09-15

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2017年9月12日 (火)

来振寺の供養の森

地蔵尊の永住の地

 105年間、室村町を見守られた室村町四丁目地蔵菩薩像は、来振寺の供養の森に安置される予定である。現在、来振寺の南側300mにある2万平米の山地を、供養の森として整備中で、平成30年春に完成とのこと。ここにご精魂が抜かれた地蔵菩薩尊や無縁佛の供養塔を建てる計画が進んでいる。この土地は先の濃尾大震災でもびくともしなかった硬い岩盤のため、供養の安住の地として最適である。岩盤が固いので、その分、開発も大変だとのこと。

 

 来振寺(岐阜県揖斐郡大野町)は霊亀元年(715)行基の創建と伝える揖斐郡内最古の名刹で、始めは法相宗で新福寺と呼ばれた。神亀2年(725)の夏、この地に黄金色の雪が降り、その瑞祥を伝え聞いた聖武天皇の命により、来振寺と改称し勅願寺に列せられたと伝えられている。七堂伽藍十二坊を建立し、後に真言宗に改宗した。

 鎌倉時代以降隆盛を極め、僧兵二百数十名を擁していたが、享禄3年(1530)6月3日の根尾川の大洪水で寺領の田畑を流失し、さらに永禄3年(1560)には、織田信長の兵火により伽藍・僧坊など全が焼失し、寺は頽朽した。

その後、慶長・元和年間(1596から1623)、豊臣・徳川両氏の朱印状を受け、領地を与えられたことにより再興した。

現在は、西美濃三十三霊場第二番札所と美濃新四国第五十五番札所となっている。

国宝の五大尊像のほか、薬師如来画像・十一面観音立像・大般若経・掛仏・駕籠など、県・町の指定文化財を多く有している。2月第1日曜日に行われる「節分星まつり」(町無形民俗文化財)は有名。

(大野町HPより)http://www.town-ono.jp/0000000474.html

 

図1 来振寺の看板

図2 来振寺の入り口

図3 来振寺の山門

図4 来振寺の山門

図5 来振寺 観音堂

図6 整備中の供養の森  2016年5月2日撮影

 

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2017年9月10日 (日)

地蔵尊の御心

 105年間、地区の住民を見守り続けた室村四丁目地蔵菩薩尊は、現在、お役目を終えて来振寺(岐阜県揖斐郡大野町)で休まれてみえる。お寺の山側の場所に仮安置されている。2016年5月2日、確認のため来振寺を訪問したが、入山禁止で鍵がかかって再会が適わなかった。不良業者が夜間に古い墓石等を不法投棄するので、その防止のためである。

 未練を残さず時間が来たら去る、それがこの世の掟。一度お別れをすると、この世では再会が適わない。昨日の自分には、もう二度と会えない。一期一会、今を大事にすべしと心を新たにした。

 

歴史の証人

 その行動が正しいかどうか、実行する前に考えたいもの。取り返しの付かないことを善意で安易にやることはないかと。105年間、風雪に耐えた地蔵尊像は歴史の証人の文化歴史遺産として保存すべきであったと思う。植民地強奪戦争の嵐の中、有色人種の日本人を人間と認めていなかった米国が、日本にした非道の証を示す証人であったと思う。米国が日本を無差別殺戮で苦しめているのを、地蔵尊はじっと見守っていた。焼夷弾の炎にも耐えて住民を見守っていた。今も続く占領政策の一環の政教分離は、日本の国力を削ぐためである。その米国は、大統領の就任宣誓式で聖書に手を置き、「神に誓って」と宗教色丸出しで宣誓をする有様である。政教分離などあったものではない。中国が靖国神社でクレームをつけるのは、日本の一致団結したときの強さを恐れてのこと。政教分離政策のため、お地蔵様を町内の公園に移設する案もままならなかった。

 地蔵尊をクレーンで持ち上げたときに、崩れるかと危惧したがまだまだ丈夫であった。しかしその時は遅かった。この地蔵尊改建計画は、自治会の役員会と寄贈元で決まったこと。役員でも班長でもない人達には相談もなく、全て決定してから回覧連絡があった。その時では動く力のない自分を情けなく思った。それはもっと力を蓄えよとの佛様からのメッセージであろう。それも佛の差配した佛縁である。遺族の方の意向とは違い、お地蔵様はこの地に残り皆さんを見守り続けたかったはずだと思う。

 

政教分離政策の弊害

 歴史を顧みないと、国が滅びる。室村町4丁目でも、自治会として地蔵盆をやらない時代が長く続いた。地蔵盆は宗教の問題ではない。子供達の健やかな健康を願う地域の願いの場である。1300年間も続く歴史行事である。その行事を中断していた時代を情けなく思う。占領政策の洗脳教育で、日本の強さの源泉たる神道を薄める政教分離政策が進められた。それだけ米国は強い日本の復活を恐れていた。個人主義が偏向して教えられて、欧米の利己主義、個人主義が氾濫する日本にされてしまった。その影響で写真を撮れば「家が写真に入るのでやめろ」とか地蔵盆のお下がりを投げ返すような輩が生まれる世相である。

 

己を律するもの

 個人主義とは義務を果たした上で、相手の人格を認め、社会のルールの中で個人の権利を主張することである。日本では権利ばかり主張して、社会のルールを無視して、義務を放棄している輩が跋扈している。最近も(2017年9月)、民進党の東大出の山尾議員が、社会の最低限の道徳・規範を守れないノラネコのように、ギャーギャーと下品なわめき声で、首相の揚げ足を取って悦に入っていた。人を見る眼のない前原党首が、その輩を幹事長に抜擢しようとした。今回の騒動で、前原党首に人を見る眼の無いことが露見したのは良いことだ。東大出とは記憶力という知識が優れているだけで、その知恵は経験ある賢人に劣る。それが今回の検事出身のプリンセスが、フリンセツであることが露見した。フリンセツが知識と口は達者であるが、知恵と道徳のないこと明らかになったのは喜ばしい。今の子供を駄目にしているのは、そういう親や輩である。我儘で強欲な人間を律するものが宗教である。そういう輩は、それに目をむけないので、対処不能である。己を律するのは、自分の信ずる宗教であり、ご先祖である。

 彼女の顔は不思議な顔をしている。人相学的に、今後、じっくり研究していきたいと思う。貴重なサンプルである。

 

2017-09-10

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年9月 9日 (土)

生きとし生けるものの教え

縁なき衆生

 私がお地蔵さんの姿を記録として撮影していたら、「うちの家が写真に入るのでやめろ」とけんか腰に喰ってかかってきた老人があった。地蔵尊のお祝いの席で、喧嘩腰の暴言を吐く愚かさに、老人の劣化と過剰な権利意識の発情が情けない。その老人には私が1年間、会うたびに朝の挨拶をするのだが、全く挨拶を返さない変人であった。縁なき衆生度し難し、と悟って、私はその老人を見たら避けることにした。君子危うきに近寄らず、である。親の劣化が子孫に影響を及ぼす。社会と共に生きるのが人間である。老人は、昔は社会を支えていても、いつかは老い、老人は社会から支えられる身となる。自分の位置づけを考えて、老いの道を歩みたい。縁なき衆生でも、己には生きざまの鏡である。反面教師として。地蔵尊は黙ってそれを見つめている。

 

異狂徒

 以前、ある班長さんが、ある西洋の宗派の家に、地蔵盆祭のお下がりを持って行ったら、ペスト菌の付いた汚らわしい品物かのように、それを投げつけられたと悲嘆にくれていた。たとえ宗派が違っても、班長として好意かつ責任感で届けたのに、である。当然、その家は町内の地蔵盆関係のお手伝いは一切拒否である。こういう排他性はカルト集団の教義のようだ。カルト集団の特徴の一つが排他性である。他は認めないのだ。子供は親の背中を見て育つ。その親ありて、子あり。子を見れば親が分かる。現在のその家の子の躾や非常識な行動を垣間見ても、それが分かる。その親は町内の付き合いを避け、町内の班長になっても義務としての公園草取り行事にも来ず、班長として満足にその勤めを果たさなかった。

 日本全国の経営者仲間の聞いても、今時、キリスト教徒でも地域の地蔵盆などの行事で協力するのは常識という。町内のキリスト教徒の役員さんでも地蔵盆の準備のお手伝いはしてくれる。旧約聖書では、キリスト教徒以外は福音が許されなかったが、新約聖書では「汝の敵を愛せよ」と寛容になり、キリスト教は世界的な宗教に変貌することになった。己の宗教的な都合を口実に、利己的に町内の行事に参加しないのは、異狂徒である。カルト集団と見なされてもおかしくない。

 欧州で移民問題、テロ問題が起こるのも、地域に溶け込まず自分達の宗教の教義に固執して、周りの社会に壁を作るから問題が起こるのだ。人殺しが起こる原因は己の利己心である。

 

非自分

 町内には自治会費さえ払わない家が存在し、町内公園の草取り等の行事にも出てこない。それでいてゴミ出しだけは堂々としている。ゴミ置き場の維持管理も町内自治会の皆さんの尽力があって成立している。子供はその情けない親の後ろ姿を見て育つ。情けない日本になった。

 

非人間

 地域で暮らしは、近隣の「人」との支えあいの生活である。「人間」とは人と人の間を生きること。それができない人は人間ではない。町内会活動は人の縁を結ぶ機会である。それをないがしろにするのは、地域社会の破壊行為で人間関係の砂漠化である。その親の後姿を子供は見て育ち、非常識で利己的な人に育つ。子供の教育は学校ではなく、家庭が真の教育の場である。

 

宗教の意味

 宗教とは人間の「宗(もとなる)」の教えである。生きとし生けるものが人間として守るべき戒律である。たかがお地蔵さんの背景に家の姿が入り込む程度のことで、また善意のお下がりのお菓子ぐらいのことでケンカ腰になる大人気ない姿に日本人の精神の劣化を感じた。価値観を受け容れない視野狭窄症の考え方は大人の幼児化である。自分の頭で考えられない。相手の価値観を認めず利己的に自分の価値観を押し付けるから、争いや戦争がなくならない。その結果が欧州のテロ頻発・難民問題である。

 日本人は正月を神道で祝い、バレンタインでチョコレートを餌に愛を語り、お盆を仏式で祭り、キリスト教のクリスマスを大騒ぎし、除夜の鐘を聞いてその一年の反省を神妙にする。平和な国である。すべてを受け容れて良いコト取りをした日本宗教である。外国では考えられない不節操な宗教ではある。そのために世界で一番宗教戦争の禍の少ない国である。

 宗教は茶筒のようなもの。切り方次第で形が違う。横に切れば真円、縦に切れば長方形、斜めに切れば楕円形である。宗教はどのように切っても、見える形は違うが、その本質は同じである。どの宗教も、人間としての禁則事項、やるべき推奨事項を教えている。それを特定の宗派の教義を掲げて、末梢的なことでの争いに終始している。仏教の教えは、生きとし生けるものの命を尊び、相手を受け容れ、足るを知ることから始まる。

 

2017-08-09

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Photo

2017年9月 8日 (金)

戦友の墓標

 祖父・祖母・母の戒名の修正と追善供養の段取りとが終った2015年1月30日、昔の仕事仲間Oさんが玄関・トイレのリフォームを見学に来た。その後ロワジールホテルのレストランで会食をした。その場の昔話で、当時の部下のY君が2年前に亡くなったという話があり愕然とした。彼とは25年前の開発業務での付き合いである。その後、彼は技術部に異動して私も別の部署に異動をして、その後、事情があり退職して故郷の奈良に帰ったという。それ以来彼とは縁が切れていた。それがお墓と玄関・トイレのリフォームが一段落して飛び込んできた訃報である。

 慌てて彼の奥さんの住所に電話をしたが、既に転居したようで連絡がつかない。その後、彼の昔の仲間に連絡をして、2014年4月、55歳で胃がんのため亡くなったことが分かった。1年毎の健康診断の人間ドックで胃がんが発見されたが、その時は第三ステージで手遅れであった。その友人も慌てて見舞いに行った時は既に意識が無く、帰宅後の翌日に訃報に接したという。

 彼は当時の会社の処遇に不満で退職したのだが、その転職先がかの松下電器(現パナソニック)であった。その後、ニュースでも何度となく報道された松下電器大リストラの嵐に巻き込まれたようだ。その心労でガンになったようだ。彼は繊細な神経の子であった。体調不良でも無理をして働いていたのだろう。彼は死に場所を求めて奈良の松下電器に転職をしたようなものだ。ガンは食事とストレスからくる自己細胞の増殖暴走である。

 

松下電器権力争いの呪い

 松下電器の権力争いが松下電器の業績の迷走に拍車をかけた。業績不振は経営層の責任であるが、だれも責任をとらない。松下電器の経営層は権力争いの結果、経営が傾き、その失敗の挽回に社員の首切りで対処した。プラズマに過剰投資をして会社を傾けた社長は、天皇として院政をしいて君臨している。その陰で数万の社員と家族が泣いている。墓の下で創業者の松下幸之助翁が泣いている。松下幸之助翁ならこんな対応を許さなかったはずだ。

 

対処療法としてのリストラ

 企業がリストラをする状況とは、100人乗った船が沈没しそうになったとき、20人が下船しないと、船が沈没する状況である。20人の下船は応急的な対処療法である。航路を導きそれに沿って必死に働いた船員に責任を負わせるには非合理である。それに到った根源の船頭に責任を問わないと、船はまた沈没の危機に遭遇する。沈没の危機のとき20人のリストラは不可避ではあるが、そのリストラ名簿の最後に社長の名前を入れるのが筋である。それが責任者の姿である。船長は船員の幸せのために働くべきで、それに反した結果となったのだから責任を取るのが筋である。最近のマスコミを賑わすリストラ劇で、社長が責任を取った例は少ないのが嘆かわしい。だれがこんなに日本人の精神を荒廃させたのか。すべて欧米の拝金主義の影響だと思う。

 1990年代、グローバル競争の荒波が電機業界を襲い、多くの家電メーカが沈んだ。そのため多くの企業がグルーバル主義、成果主義、拝金主義に舵を切っていった。

 

親の因果が子に報い

 そのグルーバル主義は昔の植民地政策、覇権主義、帝国主義の落とし子である。その植民地政策のツケが、現在の欧州難民問題として欧州に降りかかっている。200年、300年前の先祖の悪行のツケが回って来たわけだ。アジア・アフリカに比べて繁栄している欧米は、その昔の殖民地からのアガリで潤ってきたに過ぎない。中東・アフリカ・アジアの民の富を強奪し、植民地住民として虐げてきたので今の欧米の繁栄がある。欧州に押かける難民問題の解決は、その根本原因に遡らなければ対処は難しい。「親の因果が子に報い」である。

 

白人による領土強奪狂騒

 グルーバル経済主義、成果主義、拝金主義は、白人のみが神から祝福された民として略奪・君臨が許されたと思い込みから来ている。15世紀半ばから、白人たちは他人の領土の分捕り競争を進めた。欧米の視点では大航海時代といわれるが、実際は殺略・強奪の領土泥棒犯罪である。そこには、人は平等、利他、足るを知る、という思想は無い。白人にとって有色人種は人間ではない。優秀人種と思い込んでいる白人が、富を独り占めするのは神の意志であると思い込んでの行動である。それのなれの果てが、現在の欧米の富の格差である。1%の支配者が99%の富を独占する格差社会となっている。それが社会不安の原因となっている。そんな不幸な社会を目指して、国民は戦ってきたのだろうか。どこかでボタンを掛け違っている。

 「桜田門外の変」に始まる明治維新までの幕末の争乱は、日本の知識層がアヘン戦争で中国が英国に負け、侵略された情報に接し、日本の将来に危機感を抱き、幕府側・倒幕側ともに植民地化を狙う欧米列強からの危機を防ぐために起きた行動である。その行動が取れなかったアジア諸国は、ビルマを除いて欧米の列強に植民地にされた。ハルノートを突きつけ、目ざわりな黄色人種の日本人を兵糧攻めにしようとした米国に、自衛のために立ち上がったのが日米対戦である。そのお陰で、アジア諸国は列強の植民地から独立ができた。そのために美味しい利権を奪われた欧米諸国の日本への恨みは強い。それが戦後の日本への強い風当たりとなった。

 その欧米の覇権争いの陰で、私の親族が多くの国民と同じように先の大戦で戦死やシベリア抑留の憂き目をみた。その前の時代には、井伊大老が桜田門外の変で暗殺され、その行列に随行したご先祖は酷い目にあった。その根本原因は、欧米の有色人種から略奪しようとする覇権主義・利己主義からきている。そのグルーバル主義、拝金主義が、昔の私の部下を病死に追いやった。和、利他、足るを知る、という考え方に欧米の個人主義が変わらない限り、世界の戦争や企業の横暴はなくならない。その思想を発信していくのが日本人の務めであると思う。

 

2017-09-08

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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