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2017年9月17日 (日)

地蔵異聞 首刎ね

誰がお地蔵さんの首を刎ねたのか?

 日本は仏教が聖徳太子によって積極的に導入されて以来、宗教戦争のような悲惨な争いが少ない稀有な存在である。聖徳太子は仏教を導入したが現存の日本の神も敬うという姿勢をとってその布教に努めた。それが神仏習合の文化を育てた。それに比べれば、西洋の宗教戦争は排他的で、それゆえ悲惨で残酷であり、長く西洋史に刻み込まれている。その名残が中東の紛争に現れている。西洋の宗教戦争は2,000年間も続く争いである。それに比べれば、日本の宗教戦争は小さな争いではある。

 

全てを受け入れる

 相手の思想を認めず、排他的な考え方を取るから残酷な結果を生む。仏教に思想は、人生の全てを受け入れる、である。それは仏教という範疇にとどまらない素晴らしい考え方である。会社を経営して、己の人生を経営するにおいて、大事にしたい考え方である。西洋人が偉いのではない。たまたま西洋に生まれただけである。その考えで、多くのアジア人が欧州人に虐殺された。エートが偉いのではない。たまたま記憶力が良いという恩恵を神仏から恵まれただけである。それを、俺は偉いのだと、相手を認めないのは、己が一番偉いという思い上がりである。神仏は、その才能を世にために使えというはずである。東大を出た山尾志桜里議員も、豊田真由子議員も、この世で役立つためにその才能を神仏から与えられたはずなのに、何を勘違いしたことやら。頭がいいとは、物事をお利口さんにしか考えられない愚かな頭脳構造である。人生では、バカになって取り組まねば成就しない仕事が数多くある。人間は損得勘定で生きているわけではない。

 

廃仏棄却騒動

 仏教の一番大きな危機は、明治初期に発生した廃仏棄却騒動である。廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈)とは、新政府によって慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発せられた太政官布告(「神仏分離令」「神仏判然令」)、および明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」などの政策によって仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃した。「廃仏」は仏を廃し(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味し、廃仏棄却で神仏分離を押し進めた。

 神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図しなかったが、結果として廃仏毀釈運動となった。神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などが見られた。1871年(明治4年)正月5日付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収した。廃仏棄却では、国宝級の仏像が多く破壊されたが、それがなければ現存するものの2倍もの国宝級仏像が残っていたはずといわれるほどの騒動である。

 それでも全国でその程度の差は大きい。美濃国(岐阜県)の東濃は廃仏棄却が激しかったようだが、同じ濃尾地区でも西濃の大垣では廃仏棄却の痕跡はない。美濃国の苗木藩では、明治初期に徹底した廃仏毀釈が行われ、領内の全ての寺院・仏壇・仏像が破壊され、藩主の菩提寺(雲林寺)も廃され、現在でも葬儀を神道形式で行う家庭が殆どである。一向宗が強い三河や越前ではこれらの処置に反発する一向一揆が見られた以外は、全体としては大きな反抗もなく、わずか2、3年後の明治4年(1871年)頃には終息した。

 

首刎ね

 彦根市の長松院の墓地に安置してある百体ほどのお地蔵さんの首が全て刎ねられている。だれがこんなことをしたのか。長松院だけではなく、彦根中のお寺も同じ状況である。お寺は存続しているので、お地蔵さんだけが被害にあっている。大垣や他の区域ではお地蔵さんの首が落とされた事例や寺院の破壊は見られない。彦根では、墓地にあるお地蔵さんの首だけが被害に遇い、堂内の仏像は壊されなかったようだ。彦根天寧寺には有名な五百羅漢像があるが、それが首を落とされた形跡はない。

 

地方の廃仏棄却

 日本の他の地域では五百羅漢像の首を落とされた事例もある。廃仏棄却の形態は地方でその現れ方の差が大きい。彦根ではある宗派のお寺が潰され神社に知行されたが、そういう例も地方によって差が大きい。どれだけ明治政府に従順であったか、権力に密着していたかでその影響の差が大きいようだ。明治政府の重鎮であった殿様がいる藩の殿様の菩提寺は潰せまい。クソ真面目に廃仏棄却に励んだ藩は、外様で政府に媚を売りたかったかもしれない。明治政府成立に貢献した藩は、大らかに構えていたのかもしれない。大垣藩も彦根藩も明治政府成立の立役者ではある。

 彦根でも、廃仏棄却は進んだが、多くのお寺は潰されなかったが、ある宗派のお寺が集中的に潰されて、現在では墓地しか残っていない。その傾向は彦根だけであるようで、廃仏棄却の地方での温度差はかなり大きい。その檀家が存続できたお寺を妬んで、お地蔵さんの首を刎ねる蛮行に及んだのかもしれない。廃仏棄却にも権力闘争の風が吹いていたようだ。だから弱いものはモノに当たった憂さを晴らすようだ。それでも堂内にある仏像までは手が出せない臆病者であったようだ。当時のお寺は権力と密着していたので、力を持っていたのであろう。

 

図1 首を刎ねられた地蔵菩薩像 (彦根の寺院の墓地)

 

2017-09-17

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2017年9月16日 (土)

地蔵異聞  ドラえもん地蔵

 地蔵菩薩尊は生きとし生けるもの、衆生一切を救ってからでないと自分は涅槃寂静しない、とお誓いされて修行されている菩薩である。まるで暗い人生航路を行く大型船の船長のようである。乗員の安全を祈願して、船が難破したときは、乗員が全員下船しないと船長は船から脱出しない。船と運命を共にすることも多い。それが船長の役目でもある。自分を犠牲にしてでも、仏縁の人を救う方はすべて地蔵菩薩である。

 

縁なき衆生

 そのお地蔵様にも唯一救えない衆生がある。それは「今世で縁の無かった者」である。たった一度でも、生前にお地蔵様に手を合わていれば、それを仏縁と為し救ってくださる。しかし、子供にそんなことを言っても理解できないが、ドラえもんには子供がみんな反応する。ドラえもんの頭を撫で、そして自然とドラえもん地蔵に手を合わす。それで仏縁ができる。子供を連れてきた両親、祖母祖父も、全員に仏縁ができる。観音様は三十三の姿に変身して衆生を救う。ドラえもんは地蔵様が変身したお姿である。

 某寺院のドラえもん地蔵では、小学生が自転車で来て手を合わせている姿をよく見るし、お寺の子も学校に行く前に、ドラえもんに「行ってきます!」と挨拶して登校している。微笑ましい姿である。そんな子供は成人しても不良にはなるまい。ドラえもんは「これでいいのだ!」が決まり文句である。恵峰先生もドラえもんのこの言葉が大好きだとおっしゃる。この言葉の意識下には、現状の自分の精進を認め、相手を認め、そこから出発する心が感じられる。多くの仏像の中で、地蔵尊だけが我々と同じ視線か下から我々を見てくださる。上から視線ではなく、地蔵尊は自他を同じ視線で観て、現状を認め高望みせず、悲観せず、見下さず、ひたすら吾が道を歩むことを教えてくださる。

 

知的財産

 このドラえもん地蔵は中国で作られた石像である。一時期、ミッキーマウスやドラえもんの模造石像が大量に日本に入ってきてことがあった。明白な著作権違反品で、公正取引委員会がその石像を置いてある石材店に行政指導をして、廃棄処分を指導した。その処理に困った販売店がお寺に寄進をした一つが、このお寺に安置された経緯のようである。だからこのドラえもん地蔵の裏側にはあるべき小学館の著作権の表示が無い。ご縁でこのお寺に安置されたのも仏縁であろう。営利目的で置いてあるわけではないし、お寺という場所なので、許されると思われているようだ。しかしお寺は公共の場所である。違法な物品を設置は問題がある。空港の税関でも、中国製の贋物ルイビトンのバックは没収である。それが知的財産侵害物に対する法治国家の正しい処置である。このドラえもん地蔵中国製で、知的財産権の違法製品である。こういう事例が、日本の雇用を破壊していく。大きな堤防の決壊も小さな蟻のひと穴からである。

 日本国内にコピー商品を輸入する行為は違法である。関税法69条11項で「輸入してはならない貨物」として「知的財産を侵害した商品」と規定されている。109条にそれ輸入してはならない商品を輸入した罪として「懲役10年以下または罰金1,000万円以下」と規定されている。

 

日本の財産を守る

 知的財産とは、今後の日本が守らねばならない大切な財産である。頭で汗をかいて生み出した知的財産は、肉体的労働からの生産物以上の価値がある。キャラクタービジネスは、矢野経済研究所の調査によると、2013年が2兆3110億円の市場規模である。それに比例した日本の雇用が存在する。それが知的財産権で中国に侵されると、その分の日本のGNP(日本の雇用)が消滅する。サラリーマン労働は8時から17時までのルーチン労働で成し遂げられるが、知的財産は24時間の考え続ける知的労働から生み出される。それをパクリで盗用されるのを見逃しては、日本の衰退の原因となる。

 また知財の盗用問題は、新幹線技術パクリ事件のような問題に発展する。中国は、新幹線の技術をパクり、自国開発だと称して日本と競合して世界の各地に新幹線を売り込み始めた。インドネシア新幹線入札で、日本は受注競争に中国のパクリ技術に負けた。中韓は違法に日本の技術情報を盗み、急速に技術レベルを上げ、日本の市場と日本の雇用を奪っていった。日本が長年頭の汗と苦労の涙をかいて築き上げた知的財産を盗んだからである。知的財産を創造するの大変だが、盗むのは簡単である。知的財産権の保護や技術の盗難防止を軽視した結果が、現在の家電業界の衰退である。何万人というリストラで、多くの家庭が泣き、日本人の雇用が消滅した。知的財産を盗むとは、それで生計を立てている衆生を困窮に追いやること。

 

不偸盗戒

 修証義に曰く「第二不偸盗戒」。道元禅師の教えは、盗むことを禁じている。ドラえもん地蔵がそれを反面狂師として教えているのは皮肉である。たかがドラえもん地蔵、されどドラえもん地蔵の問題である。石屋さんやお寺さんが日本の経済基盤を揺るがす問題をないがしろにしては、道元禅師もお嘆きである。それを見て育った子供の知的財産への不感症さが怖い。これではお寺も衰退する。

 

図1 ドラえもん地蔵

 

2017-09-16

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2017年9月15日 (金)

佛の智慧

 明治政府が発令した神仏分離令は、仏教の教えを排除することであった。列強諸国に国土を脅かされている時代、新興国家の運営では富国強兵が最優先課題であった。争いを嫌う佛心は、国の方針に合わなかった。それで廃仏棄却・神仏分離の運動になっていく。

 それに危機感を抱いた大垣市南東の鬼門を護る大悲禅院の当時の住職は、智慧を出し京都から玉姫稲荷大明神を招いて、寺院内に玉姫稲荷大明神社を建てた。それで「大明神様がいるお寺を潰せるものなら、潰してみろ」と居直ったようである。お陰で大悲禅院のお地蔵様(安永2年(1773)建立)の首も安泰で、お寺も無事に廃仏棄却の大嵐をやり過ごすことが出来たようだ。

 

戦略

 大嵐に素手で立ち向うのは愚かである。智慧を使えば、人生の荒波はやり過ごせるもの。どんな非常識な権力者、上司にも知恵を使って戦おう。いや、戦うのは愚かである。無益な戦いを省略する「戦略」を練って、知恵を使って人生を戦うのが賢者の流儀である。仏界には、知恵ある佛は数あれど、知識だけの仏さまは存在しない。

 相手が日本の最高学府を出ていても、それは記憶する能力だけが高かっただけで、知恵がある証明にはならない。仏さまはその能力を、世のために使うため授けたはずである。それを何を勘違いしたのか、ちやほやされて己が偉いのだと勘違いをして利己主義に陥りふんぞり返る輩が跋扈している。知識はあっても智慧がない。世の中を明るく「照明」する人とは、知恵のある人である。それの反面教師として、明治時代の政府高官、血迷いのイラ菅、ダマ菅と呼ばれた管直人元首相、フリンセス・山尾志桜里議員、舞踏会の華ではなく罵倒界の鼻柱・豊田真由子議員、頭を下げるのが嫌いな東大出の長の面々の顔を見ればよい。

 

大垣空襲の痕跡

 ここに建つ谷汲山観世音菩薩様も、昭和20年の大垣空襲のナパーム弾の炎を浴びていてその痕跡が痛々しい。室村町四丁目地蔵菩薩尊が去った後、現存する大垣空襲の証人様である。この谷汲山観世音菩薩様も初代藤井寅吉氏の作である。このお寺の庭にある白衣観音菩薩像も石寅さん手配で石田観仙師の作。

 

図1 大悲禅院 谷汲山観世音菩薩

図2 大悲禅院の敷地内にある玉姫稲荷大明神社

図3 白衣観音菩薩

図4 お地蔵様

  安永2年(1773)建立。長くお堂内に安置されていたので傷んでいない。

 

2017-09-15

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2017年9月12日 (火)

来振寺の供養の森

地蔵尊の永住の地

 105年間、室村町を見守られた室村町四丁目地蔵菩薩像は、来振寺の供養の森に安置される予定である。現在、来振寺の南側300mにある2万平米の山地を、供養の森として整備中で、平成30年春に完成とのこと。ここにご精魂が抜かれた地蔵菩薩尊や無縁佛の供養塔を建てる計画が進んでいる。この土地は先の濃尾大震災でもびくともしなかった硬い岩盤のため、供養の安住の地として最適である。岩盤が固いので、その分、開発も大変だとのこと。

 

 来振寺(岐阜県揖斐郡大野町)は霊亀元年(715)行基の創建と伝える揖斐郡内最古の名刹で、始めは法相宗で新福寺と呼ばれた。神亀2年(725)の夏、この地に黄金色の雪が降り、その瑞祥を伝え聞いた聖武天皇の命により、来振寺と改称し勅願寺に列せられたと伝えられている。七堂伽藍十二坊を建立し、後に真言宗に改宗した。

 鎌倉時代以降隆盛を極め、僧兵二百数十名を擁していたが、享禄3年(1530)6月3日の根尾川の大洪水で寺領の田畑を流失し、さらに永禄3年(1560)には、織田信長の兵火により伽藍・僧坊など全が焼失し、寺は頽朽した。

その後、慶長・元和年間(1596から1623)、豊臣・徳川両氏の朱印状を受け、領地を与えられたことにより再興した。

現在は、西美濃三十三霊場第二番札所と美濃新四国第五十五番札所となっている。

国宝の五大尊像のほか、薬師如来画像・十一面観音立像・大般若経・掛仏・駕籠など、県・町の指定文化財を多く有している。2月第1日曜日に行われる「節分星まつり」(町無形民俗文化財)は有名。

(大野町HPより)http://www.town-ono.jp/0000000474.html

 

図1 来振寺の看板

図2 来振寺の入り口

図3 来振寺の山門

図4 来振寺の山門

図5 来振寺 観音堂

図6 整備中の供養の森  2016年5月2日撮影

 

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2017年9月10日 (日)

地蔵尊の御心

 105年間、地区の住民を見守り続けた室村四丁目地蔵菩薩尊は、現在、お役目を終えて来振寺(岐阜県揖斐郡大野町)で休まれてみえる。お寺の山側の場所に仮安置されている。2016年5月2日、確認のため来振寺を訪問したが、入山禁止で鍵がかかって再会が適わなかった。不良業者が夜間に古い墓石等を不法投棄するので、その防止のためである。

 未練を残さず時間が来たら去る、それがこの世の掟。一度お別れをすると、この世では再会が適わない。昨日の自分には、もう二度と会えない。一期一会、今を大事にすべしと心を新たにした。

 

歴史の証人

 その行動が正しいかどうか、実行する前に考えたいもの。取り返しの付かないことを善意で安易にやることはないかと。105年間、風雪に耐えた地蔵尊像は歴史の証人の文化歴史遺産として保存すべきであったと思う。植民地強奪戦争の嵐の中、有色人種の日本人を人間と認めていなかった米国が、日本にした非道の証を示す証人であったと思う。米国が日本を無差別殺戮で苦しめているのを、地蔵尊はじっと見守っていた。焼夷弾の炎にも耐えて住民を見守っていた。今も続く占領政策の一環の政教分離は、日本の国力を削ぐためである。その米国は、大統領の就任宣誓式で聖書に手を置き、「神に誓って」と宗教色丸出しで宣誓をする有様である。政教分離などあったものではない。中国が靖国神社でクレームをつけるのは、日本の一致団結したときの強さを恐れてのこと。政教分離政策のため、お地蔵様を町内の公園に移設する案もままならなかった。

 地蔵尊をクレーンで持ち上げたときに、崩れるかと危惧したがまだまだ丈夫であった。しかしその時は遅かった。この地蔵尊改建計画は、自治会の役員会と寄贈元で決まったこと。役員でも班長でもない人達には相談もなく、全て決定してから回覧連絡があった。その時では動く力のない自分を情けなく思った。それはもっと力を蓄えよとの佛様からのメッセージであろう。それも佛の差配した佛縁である。遺族の方の意向とは違い、お地蔵様はこの地に残り皆さんを見守り続けたかったはずだと思う。

 

政教分離政策の弊害

 歴史を顧みないと、国が滅びる。室村町4丁目でも、自治会として地蔵盆をやらない時代が長く続いた。地蔵盆は宗教の問題ではない。子供達の健やかな健康を願う地域の願いの場である。1300年間も続く歴史行事である。その行事を中断していた時代を情けなく思う。占領政策の洗脳教育で、日本の強さの源泉たる神道を薄める政教分離政策が進められた。それだけ米国は強い日本の復活を恐れていた。個人主義が偏向して教えられて、欧米の利己主義、個人主義が氾濫する日本にされてしまった。その影響で写真を撮れば「家が写真に入るのでやめろ」とか地蔵盆のお下がりを投げ返すような輩が生まれる世相である。

 

己を律するもの

 個人主義とは義務を果たした上で、相手の人格を認め、社会のルールの中で個人の権利を主張することである。日本では権利ばかり主張して、社会のルールを無視して、義務を放棄している輩が跋扈している。最近も(2017年9月)、民進党の東大出の山尾議員が、社会の最低限の道徳・規範を守れないノラネコのように、ギャーギャーと下品なわめき声で、首相の揚げ足を取って悦に入っていた。人を見る眼のない前原党首が、その輩を幹事長に抜擢しようとした。今回の騒動で、前原党首に人を見る眼の無いことが露見したのは良いことだ。東大出とは記憶力という知識が優れているだけで、その知恵は経験ある賢人に劣る。それが今回の検事出身のプリンセスが、フリンセツであることが露見した。フリンセツが知識と口は達者であるが、知恵と道徳のないこと明らかになったのは喜ばしい。今の子供を駄目にしているのは、そういう親や輩である。我儘で強欲な人間を律するものが宗教である。そういう輩は、それに目をむけないので、対処不能である。己を律するのは、自分の信ずる宗教であり、ご先祖である。

 彼女の顔は不思議な顔をしている。人相学的に、今後、じっくり研究していきたいと思う。貴重なサンプルである。

 

2017-09-10

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2017年9月 9日 (土)

生きとし生けるものの教え

縁なき衆生

 私がお地蔵さんの姿を記録として撮影していたら、「うちの家が写真に入るのでやめろ」とけんか腰に喰ってかかってきた老人があった。地蔵尊のお祝いの席で、喧嘩腰の暴言を吐く愚かさに、老人の劣化と過剰な権利意識の発情が情けない。その老人には私が1年間、会うたびに朝の挨拶をするのだが、全く挨拶を返さない変人であった。縁なき衆生度し難し、と悟って、私はその老人を見たら避けることにした。君子危うきに近寄らず、である。親の劣化が子孫に影響を及ぼす。社会と共に生きるのが人間である。老人は、昔は社会を支えていても、いつかは老い、老人は社会から支えられる身となる。自分の位置づけを考えて、老いの道を歩みたい。縁なき衆生でも、己には生きざまの鏡である。反面教師として。地蔵尊は黙ってそれを見つめている。

 

異狂徒

 以前、ある班長さんが、ある西洋の宗派の家に、地蔵盆祭のお下がりを持って行ったら、ペスト菌の付いた汚らわしい品物かのように、それを投げつけられたと悲嘆にくれていた。たとえ宗派が違っても、班長として好意かつ責任感で届けたのに、である。当然、その家は町内の地蔵盆関係のお手伝いは一切拒否である。こういう排他性はカルト集団の教義のようだ。カルト集団の特徴の一つが排他性である。他は認めないのだ。子供は親の背中を見て育つ。その親ありて、子あり。子を見れば親が分かる。現在のその家の子の躾や非常識な行動を垣間見ても、それが分かる。その親は町内の付き合いを避け、町内の班長になっても義務としての公園草取り行事にも来ず、班長として満足にその勤めを果たさなかった。

 日本全国の経営者仲間の聞いても、今時、キリスト教徒でも地域の地蔵盆などの行事で協力するのは常識という。町内のキリスト教徒の役員さんでも地蔵盆の準備のお手伝いはしてくれる。旧約聖書では、キリスト教徒以外は福音が許されなかったが、新約聖書では「汝の敵を愛せよ」と寛容になり、キリスト教は世界的な宗教に変貌することになった。己の宗教的な都合を口実に、利己的に町内の行事に参加しないのは、異狂徒である。カルト集団と見なされてもおかしくない。

 欧州で移民問題、テロ問題が起こるのも、地域に溶け込まず自分達の宗教の教義に固執して、周りの社会に壁を作るから問題が起こるのだ。人殺しが起こる原因は己の利己心である。

 

非自分

 町内には自治会費さえ払わない家が存在し、町内公園の草取り等の行事にも出てこない。それでいてゴミ出しだけは堂々としている。ゴミ置き場の維持管理も町内自治会の皆さんの尽力があって成立している。子供はその情けない親の後ろ姿を見て育つ。情けない日本になった。

 

非人間

 地域で暮らしは、近隣の「人」との支えあいの生活である。「人間」とは人と人の間を生きること。それができない人は人間ではない。町内会活動は人の縁を結ぶ機会である。それをないがしろにするのは、地域社会の破壊行為で人間関係の砂漠化である。その親の後姿を子供は見て育ち、非常識で利己的な人に育つ。子供の教育は学校ではなく、家庭が真の教育の場である。

 

宗教の意味

 宗教とは人間の「宗(もとなる)」の教えである。生きとし生けるものが人間として守るべき戒律である。たかがお地蔵さんの背景に家の姿が入り込む程度のことで、また善意のお下がりのお菓子ぐらいのことでケンカ腰になる大人気ない姿に日本人の精神の劣化を感じた。価値観を受け容れない視野狭窄症の考え方は大人の幼児化である。自分の頭で考えられない。相手の価値観を認めず利己的に自分の価値観を押し付けるから、争いや戦争がなくならない。その結果が欧州のテロ頻発・難民問題である。

 日本人は正月を神道で祝い、バレンタインでチョコレートを餌に愛を語り、お盆を仏式で祭り、キリスト教のクリスマスを大騒ぎし、除夜の鐘を聞いてその一年の反省を神妙にする。平和な国である。すべてを受け容れて良いコト取りをした日本宗教である。外国では考えられない不節操な宗教ではある。そのために世界で一番宗教戦争の禍の少ない国である。

 宗教は茶筒のようなもの。切り方次第で形が違う。横に切れば真円、縦に切れば長方形、斜めに切れば楕円形である。宗教はどのように切っても、見える形は違うが、その本質は同じである。どの宗教も、人間としての禁則事項、やるべき推奨事項を教えている。それを特定の宗派の教義を掲げて、末梢的なことでの争いに終始している。仏教の教えは、生きとし生けるものの命を尊び、相手を受け容れ、足るを知ることから始まる。

 

2017-08-09

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2017年9月 8日 (金)

戦友の墓標

 祖父・祖母・母の戒名の修正と追善供養の段取りとが終った2015年1月30日、昔の仕事仲間Oさんが玄関・トイレのリフォームを見学に来た。その後ロワジールホテルのレストランで会食をした。その場の昔話で、当時の部下のY君が2年前に亡くなったという話があり愕然とした。彼とは25年前の開発業務での付き合いである。その後、彼は技術部に異動して私も別の部署に異動をして、その後、事情があり退職して故郷の奈良に帰ったという。それ以来彼とは縁が切れていた。それがお墓と玄関・トイレのリフォームが一段落して飛び込んできた訃報である。

 慌てて彼の奥さんの住所に電話をしたが、既に転居したようで連絡がつかない。その後、彼の昔の仲間に連絡をして、2014年4月、55歳で胃がんのため亡くなったことが分かった。1年毎の健康診断の人間ドックで胃がんが発見されたが、その時は第三ステージで手遅れであった。その友人も慌てて見舞いに行った時は既に意識が無く、帰宅後の翌日に訃報に接したという。

 彼は当時の会社の処遇に不満で退職したのだが、その転職先がかの松下電器(現パナソニック)であった。その後、ニュースでも何度となく報道された松下電器大リストラの嵐に巻き込まれたようだ。その心労でガンになったようだ。彼は繊細な神経の子であった。体調不良でも無理をして働いていたのだろう。彼は死に場所を求めて奈良の松下電器に転職をしたようなものだ。ガンは食事とストレスからくる自己細胞の増殖暴走である。

 

松下電器権力争いの呪い

 松下電器の権力争いが松下電器の業績の迷走に拍車をかけた。業績不振は経営層の責任であるが、だれも責任をとらない。松下電器の経営層は権力争いの結果、経営が傾き、その失敗の挽回に社員の首切りで対処した。プラズマに過剰投資をして会社を傾けた社長は、天皇として院政をしいて君臨している。その陰で数万の社員と家族が泣いている。墓の下で創業者の松下幸之助翁が泣いている。松下幸之助翁ならこんな対応を許さなかったはずだ。

 

対処療法としてのリストラ

 企業がリストラをする状況とは、100人乗った船が沈没しそうになったとき、20人が下船しないと、船が沈没する状況である。20人の下船は応急的な対処療法である。航路を導きそれに沿って必死に働いた船員に責任を負わせるには非合理である。それに到った根源の船頭に責任を問わないと、船はまた沈没の危機に遭遇する。沈没の危機のとき20人のリストラは不可避ではあるが、そのリストラ名簿の最後に社長の名前を入れるのが筋である。それが責任者の姿である。船長は船員の幸せのために働くべきで、それに反した結果となったのだから責任を取るのが筋である。最近のマスコミを賑わすリストラ劇で、社長が責任を取った例は少ないのが嘆かわしい。だれがこんなに日本人の精神を荒廃させたのか。すべて欧米の拝金主義の影響だと思う。

 1990年代、グローバル競争の荒波が電機業界を襲い、多くの家電メーカが沈んだ。そのため多くの企業がグルーバル主義、成果主義、拝金主義に舵を切っていった。

 

親の因果が子に報い

 そのグルーバル主義は昔の植民地政策、覇権主義、帝国主義の落とし子である。その植民地政策のツケが、現在の欧州難民問題として欧州に降りかかっている。200年、300年前の先祖の悪行のツケが回って来たわけだ。アジア・アフリカに比べて繁栄している欧米は、その昔の殖民地からのアガリで潤ってきたに過ぎない。中東・アフリカ・アジアの民の富を強奪し、植民地住民として虐げてきたので今の欧米の繁栄がある。欧州に押かける難民問題の解決は、その根本原因に遡らなければ対処は難しい。「親の因果が子に報い」である。

 

白人による領土強奪狂騒

 グルーバル経済主義、成果主義、拝金主義は、白人のみが神から祝福された民として略奪・君臨が許されたと思い込みから来ている。15世紀半ばから、白人たちは他人の領土の分捕り競争を進めた。欧米の視点では大航海時代といわれるが、実際は殺略・強奪の領土泥棒犯罪である。そこには、人は平等、利他、足るを知る、という思想は無い。白人にとって有色人種は人間ではない。優秀人種と思い込んでいる白人が、富を独り占めするのは神の意志であると思い込んでの行動である。それのなれの果てが、現在の欧米の富の格差である。1%の支配者が99%の富を独占する格差社会となっている。それが社会不安の原因となっている。そんな不幸な社会を目指して、国民は戦ってきたのだろうか。どこかでボタンを掛け違っている。

 「桜田門外の変」に始まる明治維新までの幕末の争乱は、日本の知識層がアヘン戦争で中国が英国に負け、侵略された情報に接し、日本の将来に危機感を抱き、幕府側・倒幕側ともに植民地化を狙う欧米列強からの危機を防ぐために起きた行動である。その行動が取れなかったアジア諸国は、ビルマを除いて欧米の列強に植民地にされた。ハルノートを突きつけ、目ざわりな黄色人種の日本人を兵糧攻めにしようとした米国に、自衛のために立ち上がったのが日米対戦である。そのお陰で、アジア諸国は列強の植民地から独立ができた。そのために美味しい利権を奪われた欧米諸国の日本への恨みは強い。それが戦後の日本への強い風当たりとなった。

 その欧米の覇権争いの陰で、私の親族が多くの国民と同じように先の大戦で戦死やシベリア抑留の憂き目をみた。その前の時代には、井伊大老が桜田門外の変で暗殺され、その行列に随行したご先祖は酷い目にあった。その根本原因は、欧米の有色人種から略奪しようとする覇権主義・利己主義からきている。そのグルーバル主義、拝金主義が、昔の私の部下を病死に追いやった。和、利他、足るを知る、という考え方に欧米の個人主義が変わらない限り、世界の戦争や企業の横暴はなくならない。その思想を発信していくのが日本人の務めであると思う。

 

2017-09-08

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新地蔵菩薩尊の開眼法要

 快晴に恵まれた2016年4月30日9時、大倉家、山田家の両家、丸順の今川順夫名誉会長、石寅の4代目藤井社長も参列され、総勢50名ほどの参列者の中、室村町四丁目新地蔵菩薩像の開眼法要が執り行われた。読経の前に藤井社長が巻いたさらしの紐を取り、大倉家、山田家の方がさらしを取り(除幕)、新お地蔵様が姿を現された。最後に、藤井社長が6尺の杓丈を左手に挿して、完成である。杓丈は教義的には煩悩を除去し智慧を得る効果があるとされる。

 

地蔵尊の思い出

 今川名誉会長は幼年期、この近くに住んでみえて毎日、お地蔵様に「行ってきます」と挨拶をして出かけ、帰ってきたら「ただ今」と挨拶をして親しんでいたという。現在93歳で足が少し悪いがお元気で現役である。「地獄のシベリアに抑留されても生きて帰ってこられた。現在も93歳で元気なのは、このお地蔵様が守っていただいたご利益ではないか思う」と挨拶をされた。木村自治会長が、「この地区の77歳以上の老人は52人で、住民の18.1%を占め、この興文学区では断トツの比率である。全国平均で75歳以上の比率が12.3%(平成25年)(77歳以上比率は推定10%)を考えると、これは延命地蔵菩薩尊が105年間もこの地区を見守り続けていただいたお陰ではないか」と披露された。

 

住職からの歴史の説明

 妙永寺の竹中住職様が、開眼法要の読経の後にお寺とこのお地蔵尊の歴史のお話をされた。明治43年当時、鐘紡(前身の鐘淵紡績、その後の鐘紡、カネボー)の社員やこの地区の住民で亡くなる人が多いので、鐘紡が妙永寺の現在の住職の曽祖父の住職に相談をして延命地蔵菩薩尊として建立したという。土地は大倉家が提供し、石寅(創業明治15年)の初代の藤井寅吉氏(寅年生れ)がお地蔵様を彫りあげた。当時は現在より南に10mほどに位置していて、その前に同志館という地区の公民館があったという。妙永寺は大垣城が築城される(伝・明応9(1500)年)前からある歴史ある浄土真宗のお寺である。昔は仏教を信ずることは敷居が高くて、地位が高い人やお金持ちしか仏教に帰依できなかった。浄土真宗では阿弥陀佛に帰依する本来であるが、延命地蔵菩薩像を身近にして拝む人が増え、民衆にも仏教が広まったという。

 

大垣の繊維産業の興亡

 鐘紡は当時の花形の一流企業であった。赤レンガの鐘紡の工場倉庫(図1)が、現在は大垣市産業遺産として室村町3丁目の六甲テキスタイル(株)の敷地内に保存されている。時代の変遷で、大垣の繊維産業は壊滅した。父は近江絹糸紡績大垣工場が出来た時、第一陣として彦根工場から転勤になって大垣に来た。私は満1歳になってから、大垣に転居した。時に地蔵尊は生誕41歳の働き盛り(?)である。地蔵尊の働き盛りの時は、大垣を始め日本の繊維産業は大盛況になりつうある時であった。大垣は水が豊富で、九州や遠方の各地から集団就職で多くの女子が大垣の繊維産業に就職をした。しかし繊維産業にも生老病死がありその衰退に合わせて、父が勤めていた近江絹糸紡績大垣工場も消え、現在は工場跡が駐車場、新興住宅地に変貌している。お地蔵様の明治、大正、昭和、平成の105年間の時代が終った。私はその歴史の半分の64年間を共有できたのは幸せである。

 

図1 鐘紡の工場倉庫 2016年5月4日撮影

図2 藤井社長がさらしの紐を解く

図3 大倉家と山田家で除幕

図4 姿を現した地蔵尊。手前は石寅の藤井社長

図5 今川名誉会長の挨拶

図6 開眼法要の読経

図7 妙永寺の竹中住職様から地蔵尊の歴史解説

   住職様が地蔵菩薩尊建立の経緯をお話しされた。

   前列 山田様、大倉様、今川名誉会長

 

2017-09-08

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2017年9月 7日 (木)

学縁同源

 自分の人格形成・運命形成は、どれだけの「人」を「食する」かにかかっている。それは医食同源、孟母三遷とも合い通じる言葉である。「喰えん人」と席を長く同じくして食らえば、未来の運命は暗い。「喰えん人」との縁を切れば、良きご縁との出会いの確率が高くなる。人生の活動曲線内のご縁の総量は一定である。悪しき縁が入って来ると、その分の良きご縁が、全体からはじき出される。それが「縁の総量一定の法則」である。

 命とは自分が使える時間を言う。縁に接するとは、自分の時間を消費する行為である。縁無き人や悪しきご縁の人と時間を過ごすのは、時間の浪費である。人の一生は80年、29,200日で、一日一人とご縁を結ぶとしても29,200人である。一億の人口の日本人だけでも0.03%に過ぎない。年齢が65歳なら、残り人生15年で5,475名としかご縁を結べない。年賀状の相手でも、親密なる関係者は50人前後と言う。限られた人生時間で、ご縁を結ぶ人の選定は慎重にしたい。一人の悪しき縁の人と時間を過ごすとは、その分の時間を良きご縁と接せる時間を失うことになり、大事なご縁を無くすこと。

 

一番多く接せるご縁

 家に仏壇・神棚の無い家庭で育った子供に不良になる確率が高いという。親が仏壇に手を合わせるという後姿の「ご縁」に接する機会がないと、縁の器に悪い縁が入ってくる。ハーレムで育った子供に犯罪が多いのも当たり前の事実。人は一番多く見た通りの人生を歩む。

 親がご先祖に礼を尽くさないと、また親がお礼の挨拶を満足にしないと、子供も同じように、まともな挨拶もできず礼状一つ書けないままに育つ。最近の慶弔の場で身近で見た現実である。お礼をしないというご縁の「人生運」が入ってくると、常識的なご縁を取り持つ「人生運」が出ていく。その総量は一定である。だから、その人の運勢が良くなるわけがない。運が悪いとぼやいても故あること。

 

2017-09-07

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室村町四丁目地蔵菩薩尊の輪廻転生

 死があるから生がある。死なくして生はない。死がなく永遠に今のままが続くのも地獄である。その地獄も永遠に続くわけではない。その地獄もいつかは春になる。諸行には何時かは終りが来る。常に変化する「無常」であるのがこの世である。そう思うとき、105年ぶりに新しい魂を宿したお地蔵様が、生まれ変わるのは喜ばしいことである。

 2016年5月初旬の開眼法要に向けて、岡崎市石工団地の「石彫の戸松」(明治35年創業)4代目戸松政洋社長が、新お地蔵様を製作されていた。

 

新地蔵菩薩尊の誕生

 2016年4月16日、事前にお地蔵さん用の真新しい土台が据え付けられた。

 2016年4月19日の朝8時に岡崎の石工団地を出発した石田石材工房の石田観仙師の運転で、新しいお地蔵さんが運ばれてきた。午前10時より始めて2時間ほどで無事に据付工事が終った。開眼法要は4月30日、9時からと決まった。

 日柄の良い2016年4月27日(大安)、室村町四丁目地蔵菩薩尊像回りの最終仕上げが完了した。その後、お帽子を被せ、お体にさらしを巻いて封印して、4月30日の開眼法要に向けての準備が整った。

 私は一連のお地蔵様設置工事の見学は初めてのことで、構えて写真を撮った。前の地蔵尊のお顔は、童の幼さが残る面影であったが、新しい地蔵尊は日本の成熟さに合わせたように、少し大人びたお顔の地蔵尊になっている。帽子のない状態でのお姿を写真に収める機会が少ないので、早朝から撮影を開始した。曇り日でコントラストが付きすぎず、よき撮影日和であった。

 

図1 台座が完成 2016年4月16日

図2 トラック上の地蔵尊を見つめる石田観仙師と石寅の藤井重雄社長

図3 蓮華台の設置

図4 地蔵尊を慎重に持ち上げる

図5 地蔵尊を慎重に持ち上げる

図6 地蔵尊を慎重に設置

図7 お顔の撮影

  帽子のない状態でのお姿を写真に収める機会が少ないので、早朝から撮影を開始した。曇り日でコントラストが付きすぎず、よき撮影日和であった。

図8 帽子をかぶったお顔

図9 お体にさらしを巻く藤井社長

図10 水受けもステンレス製取り外し式で掃除が楽になった。

   花立ての水入れも容量アップ。蝋燭立ても最新式。

図11 2016年4月27日09:00 開眼法要の準備完了

 

2017-09-07

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