学縁同源
自分の人格形成・運命形成は、どれだけの「人」を「食する」かにかかっている。それは医食同源、孟母三遷とも合い通じる言葉である。「喰えん人」と席を長く同じくして食らえば、未来の運命は暗い。「喰えん人」との縁を切れば、良きご縁との出会いの確率が高くなる。人生の活動曲線内のご縁の総量は一定である。悪しき縁が入って来ると、その分の良きご縁が、全体からはじき出される。それが「縁の総量一定の法則」である。
命とは自分が使える時間を言う。縁に接するとは、自分の時間を消費する行為である。縁無き人や悪しきご縁の人と時間を過ごすのは、時間の浪費である。人の一生は80年、29,200日で、一日一人とご縁を結ぶとしても29,200人である。一億の人口の日本人だけでも0.03%に過ぎない。年齢が65歳なら、残り人生15年で5,475名としかご縁を結べない。年賀状の相手でも、親密なる関係者は50人前後と言う。限られた人生時間で、ご縁を結ぶ人の選定は慎重にしたい。一人の悪しき縁の人と時間を過ごすとは、その分の時間を良きご縁と接せる時間を失うことになり、大事なご縁を無くすこと。
一番多く接せるご縁
家に仏壇・神棚の無い家庭で育った子供に不良になる確率が高いという。親が仏壇に手を合わせるという後姿の「ご縁」に接する機会がないと、縁の器に悪い縁が入ってくる。ハーレムで育った子供に犯罪が多いのも当たり前の事実。人は一番多く見た通りの人生を歩む。
親がご先祖に礼を尽くさないと、また親がお礼の挨拶を満足にしないと、子供も同じように、まともな挨拶もできず礼状一つ書けないままに育つ。最近の慶弔の場で身近で見た現実である。お礼をしないというご縁の「人生運」が入ってくると、常識的なご縁を取り持つ「人生運」が出ていく。その総量は一定である。だから、その人の運勢が良くなるわけがない。運が悪いとぼやいても故あること。
2017-09-07
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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