あと何回、除夜の鐘を聴けるか
人生はどのイベントも全て回数券の世界である。どんなにお金があっても、どんなに多くの回数券を持っていても、それを使える回数は一定で上限がある。使えずに残れば紙くずである。あの世には持っていけない。回数券の一回一枚の使用こそ、一期一会である。ある人との出合いは、使えるはずの他の99.93%の「出会い回数券」を捨てることと認識すべきである。一枚一枚を大切に使いたい。
選択
回数券の残り枚数の少なさに気づくのは、還暦も過ぎ体の衰えを覚え、同窓会で、仲間の死が2割を超えたことを知った時である。なぜもっと早く気づかないか、己の愚かさをつくづくと感じる時が、智慧が付いた証である。
65歳の自分には、平均寿命から数えれば、「除夜の鐘聴講券」もあと15枚分(目標寿命からでも30枚分)しか残されていない。5年毎に開催の「同窓会参加券」ならあと数枚しか残っていない。そう思うとき、一日一日の大事さを認識して、下流の縁を避け、出会う縁の質を高めることで、残り人生の質を高められる。その縁とは、付き合う人の選択、師の選択、本の選択、TV番組の選択、食品の選択、住居、集会、演奏会であったりする。その縁の集合体が自分の人生なのだ。そのご縁を慎重に「選択」することが、人生を輝かせはしないが、後悔の少ない人生を送ることにはなる。選択とは一つを選択すれば、もう一つは捨てることだ。
果断
素晴らしい人生ではなくてもよい。後悔のない人生であれば、幸せである。福は授かりものだが、幸は自分で掴み取るもの。数ある縁の中で、多くの悪縁を絶ち切って1つの良きご縁を残す。それが果断である。縁を切る「決断」をしても、「果断」ができなければ意味がない。一つの樹に多くぶら下がる果実の芽の中から、一つだけを選択して他は切り捨てるのが果断である。果断しなければ、多くの中途半端な美味しさの果実が実るだけである。
馬場恵峰師は、85歳の時、チャイナから100mの巻物の原紙を買ってきて、今まで誰も書いたことのない100mの巻物の揮毫に挑戦された。残り少ない人生で、他のやるべきことを切り捨てて、後世に残す書のお手本として100mの巻物の揮毫に取り組まれた。完成まで2年間を要した。それを聞いて、弟子として記録に残さねばと、2014年4月17日、長崎に飛んだ。それこそ一期一会である。その写真集もそれから3回の撮影のやり直しを経て、やっと完成に近づいた。それも最初の果断がなければ完成しなかったご縁である。その写真集を今秋に出版する準備をしている。何事も完成までに3年はかかるものと悟った。私の人生の回数券を使い切る前に、3枚もの撮影回数券を使うという果断をして良かったと思う。
魂の上達
死に向かって生きる身の上で、人として生きたい。人として尊厳ある魂の「上達」を目指して生きたい。人として金儲けの達人を目指すのは「下達」を目指すことである。それは魂の堕落である。(2015年記)
図1 「百m巻物」を2年がかりで書き上げた馬場恵峰先生(87歳)
2014年4月17日撮影
2017-09-06
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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