地蔵菩薩信用金庫に手をあわせて
お地蔵さんに手を合わせる心は、お地蔵さんを信用しての無心の祈りから起こる。お地蔵さんは裏切らないという信用である。ご先祖や両親の位牌の前で合掌する心境に似ている。親類縁者の中には、お願いしても助けてはくれまいと思う人がいないわけではない。そう思われるだけ、その人の生前の行動が記憶遺産として残っている。それは負の遺産である。いくら金銭を残して逝っても、人の心の琴線には響かない。
この世に残す遺産
人がこの世に残す遺産とは、生前の信用である。あの人なら、あの世からでも見守ってくれているはずと思われることは人徳である。まさに信用金庫の財産である。そんな存在を目指して自分信用金庫を守っていきたい。お地蔵様とは「見守り信用金庫」の頭取である。無限の慈悲を無利子で貸し出してくれる。
教育で教師、師匠の最大の役目は子供、弟子を見守ることである。一流の師は弟子にあれこれとは言わない。黙って背中を見せ、弟子の修行振りを見守る。あれこれいうのは二流の師匠である。将棋の世界でも、師匠が弟子に直接指導をする将棋は、見込みなしと判断して、暇を出し最後に打つ将棋である。弟子は答えを持っている。その答えを自分で見出すのを師匠は黙って、爪を血が出るほど噛みながら待っている。あの世から佛様が見守っていてくれるという安心感は師匠の愛に似ている。
仏さま発行の「安心」カード
契約社会では、契約書に書いていないことは実行しなくてもよい。欧米の宗教では、神の前に宣誓して契約をする。それを破れば、地獄に堕ちる契約である。日本の佛様は契約に書いてないことでも、それを超越して見守ってくれる。寛容な心が溢れている。両親のご精魂もお地蔵様も、自分を暖かく見守ってくれる。それは手を合わせてくれる相手が泥棒でも同じである。契約社会での厳格な西洋の神に前では、泥棒は畏れ多くて手など合わせられまい。クレジットとは信用のことである。人が信用できない社会では、クレジットカードで個人の信用を天秤にかける。その人が信用できないから、クレジットカードで信用をバックアップする。そんな拝金主義者の世界では信用も絵に描いた餅である。お地蔵さんは「安心」というご利益を与えてくれる。来世は契約書のない世界で修行を積んで生きていく。あの世のパスポートは信用である。
室村町四丁目地蔵菩薩尊は、雨の日も風の日も、雪の日も炎天下の日も空襲に襲われた日の劫火にも負けずに皆さんを105年間にわたって見守って頂いた。見守ってくださったというご利益に感謝です。合掌。
2017-09-06
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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