宗教団体脱会後(5/12) 良く死ぬとは、NYの夢幻
何もせず、無為に生き永らえるのは醜い末路だ。生涯現役で働いている姿は美しい。定年まで働けば、社会に対する義務は果たしたことになる。会社で働かなくなったら、その分、社会に貢献するために働けばよい。それが良く死ぬことだ。どうせ、人間は絶対に死ぬのだ。死ぬ時、後悔しないため、良く死ねるように行動したい。
人は死後、何を集めたかでは評価されない。何を与えたかである。自分の人生と世の中にどんな感動を与えたかである。
死ぬ時に思うことは、素晴らしい人生ではなくても、素晴らしく楽しんだ人生でありたい。それが良く死ぬことだ。
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大きな後悔
死ぬ時の後悔とは、やりたいことをやってなかった後悔だ。人は何時までも若くはない。若い時にやれたことが、老いるとできなくなる。人は永遠には生きられない。生きているうちに、動けるうちに、やりたいことをやる。それがやれてなかったことが、死ぬときの大きな後悔となる。
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良く死ぬための条件
いくら金があっても、健康でなければ旅行にも行けない。人にも会えない。美味しいものも食べられない。ましてや仕事もできない。良く死ぬためには健康であるべきだ。寝たきりで生きながらえても、生きたことにはならない。船が港を出て出航しても、その湾内を長い間、漂流しているだけでは、長い航路をしたことにはならないと同じだ。最期の1か月ほどは致し方ないが、それまでは現役で動き回るように体を健康に保つ取り組みをすることだ。馬場恵峰師も、94歳まで現役で過ごされた。死の直前の一か月ほど寝込まれただけだ。
健康とは体と心の健やかさである。そのために日頃の節制が必要だ。
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大垣をよくするため
大垣市の行政の恥部を世間に晒すのも、大垣をよくするための行動である。健全なる精神と体でなければ、大垣の恥部は見えない。恥部を明らかすれば、大垣市の皆さんが目覚めて、立ち上がってくれる。大垣をよくするための行動を取ってから引退すれば、良く死ぬことになる。市民が目覚めれば、大垣は良くなる。大垣は当時、西濃の小京都と呼ばれたのだ。大垣を良くするきっかけを作れば、あの世に逝ったとき、大垣を建設した先人たちからも褒めてもらえるだろう。
馬場恵峰書
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ニューヨークの記憶
私は1994年、ニューヨークに10日間の旅行をした。その時に歩いた総距離が114㎞である。一日平均16㎞の歩きである。万歩計を付けて、ニューヨークの街を一日中歩いていた。下記の表は、その記録である。
しかし今、私に同じことをできる体力はない。いい時に行って、いい思い出が作れて良かったと思う。今ならコロナ禍で海外にも行けない。
また当時、世界貿易センタービルの最上階104階に上って、ニューヨークの摩天楼群を見下ろすことが出来た。その7年後、911テロで世界貿易センタービルは消滅してしまった。もう上りたくても、そのビルがないのだ。私には、人生の一期一会を象徴する事件であった。
世界貿易センタービル104階からの展望
世界貿易センタービル104階から下を見る
世界貿易センタービル104階から自由の女神像が見える
フェリーからの眺め
右手に世界貿易センタービル、左手に自由の女神像が見える。
もうこの世では眺めることができない姿である。
馬場恵峰書
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2023-03-31 久志能幾研究所通信 2657 小田泰仙
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