m-美術館・博物館巡り Feed

2023年5月21日 (日)

巡礼 「春陽展」、天上天下唯我独尊

 

 2023年5月18日、名古屋で開催されている第100回記念春陽展、八幡はるみ展、柴田節郎展、中島法晃展の4つの展示会をはしごしてきた。大都会の大展示会場はとても広く、展示品が多く、見て歩くだけで疲れる。またその各会場も遠く離れているので、地下鉄、バスを乗り継ぎ、地下街の階段の上り下りが続く「山道」ばかりで、体力の落ちた私には超過酷な巡礼の旅であった。美術鑑賞の巡礼も体力がいるのだと思い知った。

 でもなんでそんな疲れることを私や他の絵画愛好家もするのだろう? 

 今回、自分で自分に問うてみた。

 

なぜ絵を観るの?

 今回同行した知人は、自分の鑑賞眼を磨くために行くという。

 私が絵画展に行くには、好きだからはもちろんだが、何故か憑かれたように絵画展に足を運ぶ。自分でも自分の行動が良く分からない。推定するに、潜在意識として、美術品への感性を高めたいという本能だろう。明日の生活に不安があれば、そんなことはできまい。だから幸せだと感じる。

 あわよくば、盗んできたくなるような絵に会えるのを期待しているかもしれない。私の名画の定義は、捕まってもいいから盗んで家に飾りたくなる絵である。幸いなことに、そんな絵にはまだ出会っていないので、まだ逮捕されずすんでいる。

 

なぜ絵を描くの?

 一生の間で一枚しか絵が売れなかったゴッホ。それでも彼は、極貧生活の中、なぜ絵を描き続けたのか。多くの著名な画家でも、売れない絵を死ぬまで描いている。画家は自分の生活を犠牲にしてまでして描き続けている。なぜ?

 今回の「春陽展」でも、売るあてのない100号の絵が数多く展示されている。中部地区の会員だけでも130作品もある。「春陽展」会場には、全国の会員の作品が1000点弱も展示されている。

 100号の絵画を制作することは、文化レベルが高くないと不可能である。国と個人が裕福でないと、これだけの絵は集まってこない。裕福でないと、それを描く場所、保管場所、絵の具材の費用を出せない。それだけ日本が豊かである証拠である。中東で戦争に明け暮れている国では絵も描ける環境ではない。飢餓に苦しむ国では、そんな絵も描ける経済環境にもない。だから今の日本は幸せだと思う。それを日本人は忘れている。絵画鑑賞も絵画制作は、人生の贅沢な遊びである。生活に余裕がないと遊びはできない。それが文化レベルが高い状態である。自分の幸せに感謝をしよう。

 

天上天下唯我独尊

 「唯我独尊」とは、「ただ、我、独(ひとり)として尊し」との意味である。それは、自分に何かを付与し追加して尊しとするのではない。他と比べて自分のほうが尊いということでもない。天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間としての存在である。しかも何一つ加える必要もなく、この命のままに尊いという発見である。それを芸術家は、創作する作品を通して主張しているようだ。

 芸術の「芸」と言う文字は草冠に「云う」である。これは匂い草の象形文字である。匂いは人により、時代により受け入れてくれる人が千差万別である。万人受けするわけではない。それが芸術である。ゴッホも、時代が変わったら評価が180度変わった。芸術家はそういう宿命である。それでも芸術家は我が道を行く。

 派手なジャンバーを着て、突っ張って自分を誇示し、爆音を立ててバイクを走らせる行為も同じことだろう。それも自己主張の一形態である。それがバイクか絵画かの違いであるようだ。

 だから、「春陽展」で絵画が1,000点も展示されていても、気になった絵は数点でしかない。それが芸術作品の宿命なのだ。 今回の春陽展でそれを再確認した。

人生は芸術作品

 それは仕事でも、その作品(建築物、機械、社会的プロジェクト)の中に自分の主張を入れ込むと同じである。それが、自分がその時代に生きた証を遺すことだ。それが自分の付加価値の主張である。だから、私は仕事こそが芸術だと思う。同じ論法で、経営も芸術である。人を創る教育も芸術である。

 

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下図の絵は、私の嗅覚に反応した気になった絵である。

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2023-05-21  久志能幾研究所通信 2690号  小田泰仙

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2023年5月12日 (金)

巡礼 吉川充 陶展 芸術家の青春

 

 岐阜市川原町 Gallery Saganで「吉川充 陶展」が開催されている。

  2023.5.3(水)~5.29(月) 11:00-17:00  ※最終日16時まで

  水・木曜定休 

  作家在廊日 5月3、4、29日

 

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 吉川充氏は中国古代の青銅器に興味を持ち、土に関わり始めた当初から、土物石物の素材に関わらず、大らかな作品を創り続けている。

 その作品つくりの原動力は、人並み外れた好奇心である。その情熱は、人に説明を始めると止まらないことから推察できる。黒柳徹子さん顔負けの「窓ぎわの陶徒ちゃん」である。

 彼の2006年の陶展の講評で、「この作家の面白いのは、沈黙が怖いのか、会えばひっきりなしにしゃべりだして止まらないことである。」とある。2023年Saganでの陶展でも、それは変わらない。喋るということは、脳生理学的に脳の活性化に効果がある。それが吉川氏の原動力であるようだ。好奇心は、芸術家のエネルギー源である。青春は年齢ではない。好奇心を失ったら、芸術家の青春は終わる。古希を迎えても吉川氏の青春は続く。吉川氏は「古典を咀嚼しながら、そこから新しい表現を探り出す」が信念である。吉川充には、老成も枯れるという作風もないのである。氏は永遠の芸術を求めている。

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 青 春

 吉川さんと話していて、サムエル・ウルマンの「青春」の詩を思い出した。

青 春    サムエル ・ウルマン
青春 とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。
青春 とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靭な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。
青春とは、人生の淵泉の清新さと、夢およびそれを実現させる計画を抱だいた心の状態を言う。
青春とは、怯儒を退 ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味す る。ときには、20歳の青春よりも 60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心もしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥となる。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から、美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受けるかぎり君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、悲歎の氷に閉される時、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ、希望の波を捉えるかぎり、80歳であろう人は青春として生きる。


  宇野収 ・作山宗久著 『「青春」 とい う名の詩』よ り
   (産業能率大学 出版部刊)
   1994.05.23 一部 修正(朱記)追記 小田

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Youth  『青春』                    Samuel Ullman

 

Youth is not a time of life; it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks, red lips and suppleknees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

 

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetites, for adventure over the love of ease. This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty. Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by desering our ideals.

 

Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

 

Whether sixty or sixteen, there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of game of living. In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

 

When the aerials are down, and your spirit is convered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

 

 .

1949 京都市に生まれる

1974 京都市立芸術大学 卒業

1976 京都市立芸術大学専攻科 修了

1982 京都府工芸美術展 奨励賞

1986 朝日クラフト展 奨励賞

1992 京都工芸ビエンナーレ 優秀賞

国際陶磁器展美濃 審査員特別賞 (清水九兵衛)

1994 京都工芸ビエンナーレ 優秀賞

1996 京都府工芸美術展選抜展 買上

 

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  吉川充氏   2023‎年‎5‎月‎3‎日 撮影 Saganにて


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2023-05-12  久志能幾研究所通信 2683号  小田泰仙

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2023年4月15日 (土)

巡礼 芸術家の心を拝む ― 手描き友禅作品展

 

 岐阜市川原町 Gallery Saganで「ー花逍遥-尾崎尚子 手描き友禅作品展」が開催されている。

 

 2023.4.1(土)~4.29(土) 11:00-17:00  ※最終日16時まで

 水・木曜定休 14日(金)臨時休み

 

 手描き友禅染の作品で、タペストリー、暖簾、テーブルセンター、スカーフ等、一点一点手描で描かれている。優しい色合いが心を和ませる。私には初めての巡礼である。

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2023-04-15  久志能幾研究所通信 2669号  小田泰仙

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2021年12月12日 (日)

美人薄命、美人ご縁、美人の地震対策

 

 このエピソードは、1995年に生まれて初めての自費の海外旅行を経験して、体得した知見である。それから発展したエピソードである。犬も歩けば棒に当たる。家に閉じこもっていては、ご縁には永遠にぶつからない。お金は経験を積むための経費である。だからお金を「お足」という。お金を床下に閉じ込めて置いては、お金がエコノミークラス症候群になってしまう。だから、「大事な子には旅をさせろ」と先人は言う。

 

美人ご縁

 行ける時に、行くべき所に行かないと永遠に行けない。今度何時かなどの機会は、永遠に来ない。一寸先は闇なのだ。私はNYに良い時期に行く決意をして、実際に渡米して良かったと今にして思う。その後、911で貿易センタービルも消滅してしまった。その最上階に昇り、NYを展望できたのもご縁であった。今行っても、そのビル自体が存続しない。2021年の今なら、新型コロナ禍で、やんごとなき人でない平民の私?は、ニューヨークなどに行けやしない。

 

無駄使い

 今回(1995年5月)のニューヨーク行きは、美術館めぐりが主目的であったので、お土産らしい物は買わなかったが、クリスタルのデキャンタで唯一の無駄遣いをしてしまった。

 前から欲しかったデキャンタを買おうと、予算は 3~ 5万円程を目安に、この地の有名クリスタル店を数軒捜し回った。しかし、どれもいまいちで値段の手頃なのが見つからない。結局、フランス製のバカラットのデキャンタに目が行ったのだが、値段が少々気にくわない。それで、グラス2つとデキャンタのセットで買いたいと、粘り強く交渉したがグラス 6ケのセットでないと駄目とのこと。エディションナンバー付きで世界に500セットしかない芸術品だとそそのかされて、つい無駄遣いをしてしまった。クリスタル製品にエディション番号など、まるで版画扱いである。この芸術品扱いに、つい目がくらみ買ってしまったが、セットで2000ドルの買い物だったのは少々反省。はるばる米国まで来て、なにもフランス製のクリスタルを買うことはないと思うことしきりであった。つくづくと米国産のお生産はない ・・・・

 

美術品

 オレンジ色のシンプルなデザインのデキャンタの栓、斜めにカットされたデキャンタ底面とグラスのデザインの斬新さは買って後悔のしない芸術品ではある。まあこれならMAMOに 展示されるぐらいの価値ある品物、と勝手に納得した。しかし、あまりに高価で、貧乏人の私には恐ろしくて使えないのが玉に傷である。

 

人生の成功とは単語力

 デキャンタの日本への発送はSHIPPINGとのことで、てっきり船便だと思い込んで、何気なく同意してしまった。しかし後で分かったことは“SHIPPING"とは 「船便」ではなく「出荷」の意味で、「航空宅急便」で送られてきた。その箱の大きさに驚いた。この費用が3万円。SHIPPINGの意味が分かっていれば、船便にして経費を抑えたのにと後悔したが、後の祭りであった。「人生の成功とは単語力にあり」との名言を噛みしめたエピソードでもあった。これで一つ単語力が身につき賢くなった。

 

 

― 後日談 ―

 この6グラスのうち、一個をたった2回使っただけで割ってしまった。美人薄命とは世の宿命である。

 「このグラスが壊れたことは、この芸術品のデキャンタが美しいことを証明 している」とは、ある先生の慰めのお言葉。全くそのとおり。貧乏性の私は、今後は恐ろしく使えそうもない。(実際その後、使わなかったし、使えなかった。)これを壊しても心臓に負担とならないお金持ちに成ろうと、がんばっているこの頃である。(1995年記)

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地震対策

 しばらく、食器棚にこのデキャンタを飾っていたが、巨大地震の際の家具が倒れ、食器が飛び散る映像を見て、その破壊力に恐怖を抱いた。いくら美術品でも、大地震の時は凶器になり、破壊されるのだと悟った。2035年に巨大地震が来る事を考えると、美術品も常設ではなく、必要な時にだけ飾ればよいと考えた。それで、このデキャンタを地震対策で収納箱にしまった。美人薄命にならないように、危機管理としての智慧が必要である。(2021年記)

 

 この世で一番の美術品は自分の命である。地震災害時に自分の命を守る「城」を造ろうと再決意した。自分の城は自分で守れ。

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図2-7 “ VERTlGE"(製品に添付の証明書) (469/500のエディッションナンバーに注目)

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2021-12-12  久志能幾研究所通信 2236号  小田泰仙

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2021年11月 4日 (木)

見学記 長野県立美術館で盗みたくなる絵?

 

 2021年10月29日、長野市の東急百貨店で開催されている「大仏師松本明慶仏像彫刻展」に行った。その足で、長野美術館を見学した。本来、善光寺に行く予定が、新型コロナ騒動で、7年ぶりの秘仏の御開帳が来年に延期になったので、参拝は来年に変更して、長野美術館に行った次第である。

 

 長野美術館は近代的なデザインの建屋である。3つの建屋からなり、本館と企画展部と東山魁夷館からなる。東山魁夷館とは本館から、透明なガラスの回廊でつながれていて、わくわくするような雰囲気が漂う。

 ただし中身は期待外れであった。

 

東山魁夷館

 初期から晩年までの歴史記念的な作品が多く展示されているが、私が名画と定義できる作品は無かった。所蔵している絵画で、今回の企画展(東山魁夷館コレクション展 第Ⅳ期)では、あまり見るべき絵は少なかった。このコレクションは、東山魁夷が54歳から69歳までの作品だが、欧州のスケッチ絵が多くて、中途半端な絵(私の感想)が多かった。

 私が名画と定義できるのは、「捕まってもいいから、盗んで家に飾りたくなる作品」である。残念ながら、この東山魁夷館では、それが無かった。お陰で逮捕されずに帰宅した。

 

常設展の会場

 常設展の会場では、畳数枚分もの大きな作品が多く展示されているが、常識的に「美術作品とは何か、その付加価値は何か」を考えてしまった。大きな作品は、美術館ではなんとか展示できるが、その多くが見入ってしまい、家に持ち帰りたいと思う作品は皆無である。自分がウサギ小屋の小さな家に住んでいることが原因ではある。絵があまりに大きすぎて、作品の価値が見いだせないからだ。

 今まで、大きな絵で感動した絵は、ルーブルの「ナポレオンの戴冠式」、オランダ美術館のレンブラントの「夜警団」の絵ぐらいである。それでも、感動はしたが、それを盗んで家で飾りたくなる気持ちにはならなかった。そんな絵を自宅に飾ったら、家が雰囲気的に死んでしまう。

 

 画家も展覧会に出品するには、大きな絵を出さねばならぬ。その絵が、美術館に買って貰えればよいが、そうでないとその絵の保管が大変なのだ。その保管のため、マンション一室を借りている画家も多い。画家も大変なのだ。

 

名画無し?

 常設展では、美術の教科書によく掲載されている作品が多く展示されてる。教科書に載る典型的な歴史的な作品が多いから、美術の勉強にはなる。しかし「盗みたくなるような魅力ある作品」は少ない。やはり美術館が買い入れる無難な作品である。

 今回は、山路先生とご一緒したから、山路先生から作品の解説を聞きながらの鑑賞となり、贅沢な訪問となった。山路先生は、元高校の美術の先生であった。定年退職後の今でも現役の芸術家である。

 

経営とは

 芸術は人生を豊かにしてくれる。人生を経営するとは、芸術活動である。どこにもない芸術作品を創り、世に貢献しよう。経営とは、今、自分が持てる資源を最大限に活用して、世のために付加価値を創造することだ。自分の才能の発掘こそ経営の基本である。

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 長野県立美術館 正面の外観

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 東山魁夷館への通路

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東山魁夷館への通路の外の風景

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 長野県立美術館での課外授業(小学生の見学)

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長野県立美術館のすぐ隣が善光寺

 

2021-11-03  久志能幾研究所通信 2197   小田泰仙

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2020年6月27日 (土)

名古屋ボストン美術館は、怨念と祟りで潰れた(2/2)

 1999年に開館した名古屋ボストン美術館は、日本人の拝金主義に侵された情けなさを嘆かれた仏様が、明治維新150年後の年忌2018年に潰した、と私は考えている。アメリカに不当に拉致された仏像などの悲しみからの怨念が名古屋ボストン美術館には満ちていた。

 日本社会は今、金儲けに目が眩んで、精神が病み、社会全体が狂ってしまった。それに覚ませ、と仏様が罰を与えたのが、名古屋ボストン美術館の「取り潰し」ではないか。

 

150年後の不平等条約締結

 1991年11月、名古屋商工会議所が「名古屋ボストン美術館設立準備委員会」(委員長:加藤隆一名古屋商工会議所会頭)設置を決めた。1995年8月、美術館を運営する名古屋国際芸術文化交流財団の設立発起人会が開催された。それを受けて、名古屋ボストン美術館は建設され、1999年から2018年まで開館した。名古屋ボストン美術館がアメリカに20年間で5千万ドル(約500億円)を寄付する条件で、ボストン美術館と20年間の契約がされた。要は、年間25億円の金を20年間に亘りアメリカに貢がされる不平等契約であった。

 

凶相の家相

 私は名古屋ボストン美術館の建屋を見て、直ぐ日本長期信用銀行の本社ビルを思い出した。この長期信用銀行は、バブル崩壊後の不況で1998年10月に経営破綻した。山一證券や北海道拓殖銀行と並んで平成不況を象徴する大型倒産である。経営破綻後は一時国有化を経て、新生銀行に改称した。

 この長期信用銀行の本社ビルの正面の形が凶相の顔を持ったビルであった。その形態は、上の階の部分が前に張り出し、下がない形態である。それが1999年に開館した名古屋ボストン美術館の正面と同じであったのだ。そのため私は、当初から不吉な印象を私は持っていた。名古屋ボストン美術館は、最初から呪われていたとしか思えない。

 私は人相に興味があり、人の顔を観察している。同じようにビルの顔も、その会社の運命を左右すると考えている。

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旧・日本長期信用銀行本店 Wikipeidaより 

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  旧・名古屋ボストン美術館   2020年6月24日、著者撮影

 

潰れるべくして潰れた運営形態

 名古屋ボストン美術館は、企画展だけで美術品の所蔵をもたない不自然な形の美術館として出発した。名古屋ボストン美術館では、展示も他の美術館の作品を並列して展示はできないという不自由な制限も課せられた。

 そのため名古屋ボストン美術館は慢性的な赤字が続き、その結果、開館10年にして中部財界が拠出した設立・運営資金75億円は底を尽き、アメリカ側へ後半10年間で支払う寄付金37億円が残った。そのため2002年には研究部門の学芸部を廃止せざるをえなかった。美術館が学芸部を廃止するとは、企業で企画部、研究開発部を廃止すると同じである。それは単なる場所貸しだけの施設に没落したのだ。結局、設立資金が底をつき、2018年に閉館となった。

 

潰れた真因

 名古屋ボストン美術館が、結んだ契約は、江戸末期、日本が外国から不平等条約を結ばされたと同じ状況である。それは当時の日本に政治力、軍事力、経済力、文化力がなかったのだ。やり方が、今の名古屋の文化の不毛さを象徴している。中部財界は、金儲けだけは上手いが、芸術家、芸術を理解しているわけではないようだ。

 1999年当時の日本は、1991年にバルブが弾けて、日本の各界の力が凋落していった時期である。同時期の作られたトヨタ博物館は、トヨタ自動車創立50周年記念事業の一環として、1989年(平成元年)4月に開館した。会社が文化を作るために美術館、博物館を建てるなら、本業とは違う形で、文化を担う美術館、博物館を作るのが本筋である。それを自動車会社が、自動車サマサマの自動車博物館を建てるのは、餓鬼のレベルの考えである。世間では、下品なやり方と陰で笑われた博物館であった。そんな精神レベルの中部財界が肝いりで作った名古屋ボストン美術館が上手くいくわけがなかった。

 

魂の怨念

 美術品には作者の魂が籠っている。国宝相当の一つの美術品には、相応の命が籠っている。それも仏像には特別の魂が宿っている。その仏像が明治初期、粗末に扱われて海外に売り飛ばされた。

 それから150年が経ち、日本にボストン美術館の姉妹美術館ができるというので、仏像を筆頭に美術品たちの霊魂は、里帰りができると喜んだはずだ。ところが、ボストン美術館と締結された契約は、酷い差別契約で、日本に安心して帰国永住できるわけではなかった。美術品が日本に帰国しても、企画展で金を稼ぐためにこき使われて、企画展が終われば元のボストンに連れ戻された。その美術品の霊魂の悲しみと怒りはどれほどか。

 

仏師の入魂

 仏像には仏師の魂が籠っている。それの本音を松本明慶大仏師は、松本明慶先生は、(技のレベルを上げるため、ミケランジェロが第二の師匠になるかもしれないが「それを学べるなら命に代えてもいい。絶対に無駄にはしません」とまで言いきる(NHKBSプレミアム 松本明慶ミケランジェロの街で仏を刻む『旅のチカラ』2013年)。

 大佛の寿命は千年、人の寿命はせいぜい百年である。それゆえ千年の間、人の評価に耐える大佛を作るために、佛師は命をかけて刀を入れる。人生の中で、一番多くの時間を費やすのが仕事である。人生において、仏師は仏像彫りに命を賭ける。仕事は生活の糧を得る手段だけではない。「佛像とは何か」を50年間余考えながら彫り続け、千年後まで残る作品を手がけている松本明慶先生の言葉には重みと凄みがある。

 下記はNHKハイビジョン「仏心大器」での松本明慶先生の言葉

「佛像は人の喜怒哀楽の心を受け止めてくれる器である。大仏は人の心を受け止めてくれる大きな器である」

「佛師は美しい佛像を作る責務がある」

「人の寿命は80年、佛像(大佛)の寿命は1000年」

 

祟り

 そういう仏師の魂が込められた仏像たちの怨念と祟りのせいで、ボストン美術館との契約期間の20年間、最初の年以外は、美術館経営は赤字であった。だから名古屋ボストン美術館は佛様から、「日本人ヨ、目を覚ませ」との啓示で、潰されたのだと思う。

 

やるべき仕事

 単なるアメリカから美術品を借りるだけの美術館を企画するのは経済大国として愚策である。一点でも金を出して買い戻す取り組みをなぜしないのか。美術館として蔵品が一つの無い美術館なんて、また学芸部がない美術館など、聞いたことがない。だから名古屋は芸術の不毛地帯と言われるのだ。

 

美術館経営の覚悟

 美術館経営として単独で採算を取るには、よほど有名でないと無理のようだ。名古屋ボストン美術館の運営でそれが明らかになった。日本自体が裕福でなくなり、観客もそんなには入場料を出してまで、来ないようだ。文化芸術活動には、税金を投入して、文化を維持するしかないようだ。美術館経営がうまく行くかどうかは、その国の裕福さの証明である。その点で、日本経済は落第である。文化に金を出すという伝統がない。そのため日本経済の立て直しが必用だ。

 美術館を建てるとは、文化の柱を建てることだ。金がかかって当然である。それだけの覚悟がない貧乏都市では、やってはいけないのだ。金があっても心が貧乏では、貧乏都市である。美術館運営で赤字でもそれを受け入れて、社会奉仕、文化の下済みとしてやっていく覚悟がないと、続かない。日本では、政治家も、それでは票にならなないので、力を入れない。それが今の日本の惨状だ。

 

2020-06-27 久志能幾研究所通信 1646 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

     

2020年6月26日 (金)

名古屋ボストン美術館は、怨念と祟りで潰れた(1/2)

 1994年8月7日、米国ボストン市にあるボストン美術館を見学した。米国の京都と言えるボストン市にあるこの美術館は、この都市の雰囲気を反映して知的で上品な美術館である。内部で、写真を撮る人もほとんどいない。その点でも珍しい美術館で、客層がお上りさんの少ない、通向けの美術館と言える。東洋美術、特に日本美術の収集で有名で、日本の若いギャルが集団で見にきており、日本も豊かになったものだと(1994年当時)、変なところで実感させられる。

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  ボストンの住宅地 1994年8月7日 著者撮影

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 ボストン美術館のエントランス 1994年8月7日 著者撮影

 

日本庭園

 美術館の外側に京都の中根金作氏の設計による日本庭園・天心園まで作ってあり、日本美術、東洋美術への思い入れは世界一だ。ただし日本庭園の背景風景が米国風(米国の風景なので当たり前)なのは少々違和感がある。

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 ボストン美術館の日本庭園 1994年8月7日 著者撮影

 

中近東美術の部屋

 また中近東美術の部屋では、部屋の温度と湿度が特別に設定されており、ドアを開けて足を踏み入れるとムットする。こんな配慮をしてある美術館は今まで見たことがなくその気配りに感心した。私にとって、この暑さはノーサンキュウです。

 

エジプト文明の展示室

 エジプト文明の展示室では、展示の定石とおりミイラや柩の数体が展示してある。これは大英博物館で一室に100体近いミイラを棚に入れて展示するのに比べれば、常識的な配慮である。大英博物館のミイラや柩の展示方法はクレージで死者への冒涜であり、白人の有色人種への蔑視でもあると思う。

 

美術館の全体雰囲気

 各部屋の警備員は学芸員といった雰囲気で、何か絵について質問すれば、たちどころに滔々とした説明をしてくれそうである。ワシントンの国立美術館のガードマンに徹している黒人の職員に比べると対照的である。

 ここのカフェテリァは新しく増築された入り口部の吹き抜け部にあり、2階の球面の天窓から差し込む明かりのため明るく、モダンな感じは最高。

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売国奴

 ここの日本美術のコレクションは素晴らしい。この美術館は、美術品を欧米の美術館に略奪されたエジプト、ギリシア、イラン等の国の心情を理解するのに役立つ点で高く評価されるべきだ。

 こんな国宝級の仏像絵画を亡者の外人に売り渡した没落大名は売国奴である。英国の貴族が落ちぶれても尊敬されているのは、国の存亡に係わるいざという時には先頭に立って戦う義務と責務を負っているからである。事実過去の戦争ではそうであったし貴族の戦死率は平均より遙に高い。それくらい国に対するロイヤリティは高い。だから、そういう人種が国の利益に反することをするのは売国奴である。日本の貴族に相当する旧大名、華族がボストン美術館にある美術品を売り渡したので腹が立つのである。しかるべき立場になると、それに比例した責任が発生するのは世の常識。こんな大名がいるようでは徳川幕府が潰れたのも無理がない。我々は後世の人から後ろ指を指されない生きざまをしたいものだ。

 

組織的犯罪

 帰国後、この件を調べると、フェノロサとビゲローや岡倉天心、岡倉覚三らが組織的に共謀して、いずれは「海外流出」させることになる「日本美術」の収集活動に全力を傾注していたようだ。

 現在、ボストン美術館の所蔵品の340,350点のうち、culture(文化圏)がJapanese(日本)のものは、40,000点もある。実に所蔵品の1割以上である。気まぐれで美術品を集めていては、40,000点も集められるわけがない。それもかなりの量が非公開となっている。

 ここに展示されている日本美術を選別した当時の米国人の眼識の高さには舌を巻かざるをえない。この日本の国宝級の美術品がここでしか観れないとは情けない。最近の名古屋ボストン美術館誘致問題で、余計この件がしゃくにさわる(名古屋ボストン美術館は1999年に名古屋で開館し、2018年に閉館した)。

 (以上、初稿1994年8月、2020年6月23日補筆)

 

2020-06-26 久志能幾研究所通信 1645 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 5日 (金)

観察記:スミソニアン航空宇宙博物館と大垣市狂走(2/2)

大本営発表の亡霊

太平洋戦争のデータ

 海軍機のコーナで、太平洋戦争での日米の消耗戦の状況をグラフで示してあるのには感心した。時間系列で、沈んだ艦船のトン数、潜水艦の消耗トン等が日米の比較をグラフで示している。こういった冷酷な数値・グラフで示すのが、アメリカの合理主義である。人を説得するのは、感情を排した冷静なデータしかない。それこそテクニカルライティングの神髄である。他のコーナでは、ついぞこんなグラフにはお目にかからなかったので余計目についた。

 それに対して日本の大本営発表は形容詞に満ちて、精神論が前面に出る。いくら形容詞も使って表現しても、こういった数値、グラフの説得にはかなわない。何ごとも他と比較して考えないと、政府に騙される。日本国民は政府に騙されて、玉砕寸前まで追い詰められた。

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 太平洋戦争の日米の消耗戦のデータ。赤丸が日本のデータ    

 日米の格差が冷酷に表示されている

 

大本営発表に便乗の大新聞

 太平洋戦争中の大本営は、軍部に都合の良い報道しかしなかった。データの裏付けのない大嘘の発表ばかりであった。国民はそれが嘘であることに薄々は気が付いていたが、秘密警察の憲兵が怖しくて、口外できなかった。

 太平洋戦争前もイケイケどんどんの報道ばかりで、日本を戦争に駆り立てたのは朝日新聞等であった。曰く、満州は日本の生命線、満州を開拓しよう、鬼畜米英に負けるな、英霊の神風特攻隊万歳である。新聞社も戦争の記事のほうが景気良く、新聞部数も伸びるからである。

 

現代の大本営発表

 拝金主義のグローバル企業に支配されたマスコミは、反グローバル経済主義のトランプ大統領が大嫌いで、やることなすこと反対である。だから大手の米国マスコミはトランプの選挙の優位を報道できず、トランプ当選を予想できず大恥をかいた。また大手マスコミは、フェイクニュースが多いのが露見した。

 大手マスコミは、旧日本の大本営発表と変わらない。それはイギリスのEU離脱報道でも同じであった。今のマスコミは、拝金主義者に支配されている。それを念頭に報道を見ないと、洗脳される。

 現在でも、全世界が中国のやり方に大ブーイングをしていても、日本のマスコミはそれを小さくしか報道しない。日本のマスコミは、中国に気兼ねをしている。その原因は、マスコミのスポンサーである日本の大企業が、中国の商売に未練があるからだ。日本のマスコミは、中国に何度も煮え湯を飲まされても、強欲に取りつかれて、目が覚めない。中国が毎日、領空侵犯、領海侵犯をして、日本領土が奪われる危機があるのに、中国市場に未練がある日本財界の意向を受けて、日本のマスコミはそれを報道さえしない。

 

大垣市の御用新聞・岐阜新聞は大本営発表

 今でも大垣市の小川敏の意向を受けた御用新聞の岐阜新聞は、小川敏に都合の悪いことは報道しない。大垣の御用新聞の体質は、戦前と変わっていない。読売新聞が海津市の5億円のコロナ対策費を大きく報道しても、岐阜新聞は、2020年6月2日の紙面で、小川敏に気兼ねをして、記事中に小さく5億円を記載する。タイトルで「海津市、買い物券配布」である。完全に報道を捻じ曲げて、読者の注目を浴びない細工をしている。正に偏向報道である。5億円が、市民一人当たりで計算すると、大垣市の10倍であることは報道しない。

 岐阜新聞は、そのフェイクニュースまがいのタイトルで、大垣市の無策ぶりを目立たなくさせる意図が明白である。そのタイトルは嘘ではないが、報道人として無能のタイトルである。報道人は、「買い物券配布」といった抹消的な事象を報道するのは子供である。市長として、危機管理上でどうしたかを報道すべきである。

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 岐阜新聞 2020年6月2日

 

大垣市・小川敏の大本営発表

 大垣市では、小川敏が口先だけの宣伝で、市民に誤解を与えて続けている。結果として騙していると同じである。小川敏は針小棒大の言葉の魔術使である。曰く、大垣は子育て日本一、安全第一、大垣独自のコロナ対策、新市庁舎で街の活性化、元気ハツラツ市で街の活性化、カメの池で街の活性化、等である。すべて大ウソである。

 小川敏の19年間の無為無策で、県下で大垣市だけが、没落が一番大きい。大垣市の公示価格の下落が総てを表している。市場の評価は、神の如くの評価をする。(松下幸之助翁の言葉)

 今回の新型コロナウイルス対策でも、やっていることを針小棒大に説明するが、その対策費の総額は口が裂けても言わない。実質的に無為無策であることが露見するからだ。大垣市のコロナ対策費は、市民一人当たりで海津市の1/10以下である。この非常事態で、小川敏は危機管理能力がないことが露見した。彼は無能指揮官である。

 

2020-06-05 久志能幾研究所通信 1619  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 4日 (木)

観察記:スミソニアン航空宇宙博物館と大垣市狂走(1/2)

冷酷な技術展示

 1984年8月13日、スミソニアン航空宇宙博物館を見学した。ここは大人も子供も興奮の大人のビックリ箱(大人のオモチャと言うと語弊がある?)。26のテーマブースに分かれた部屋は、飛行機、宇宙船の夢の世界である。飛行機マニアの私は、どこから見ていいのか目ウチュウりして、困るほど。

 各ブースでは各テーマのビデオ画面が10~20程あり、エンドレスに上映されている。この建物の全ビデオ数は200~400はあると推定される。まともに見入ったいたら日本に帰れなくなるほど。ここは1回来ただけではとても、スミソーニぁないほど量・質が高い。(初稿 1994年8月)

 

B29エノラゲイ号  RESTORATION OF THE ENORA GAY

 26の部屋に分かれたテーマブースの一つが、第2次世界大戦の戦闘機、爆撃機である。ここの入口のビデオコーナが、広島に原爆を投下したB29エノラゲイ号の記録であるのはこの大戦の象徴である。

 その内容は、原爆投下までの記録、被災者の治療中の映像、広島市街、被爆後の広島ドーム、階段に写った死者の影等の映像が淡々と映し出して、単に記録の映像に徹しているので不気味である。特に原爆投下直後の機上からの映像で、画面が爆発の衝撃で大きく揺れるのは無言で不気味な迫力がある。

 あと後半に現在、8000時間をかけて、展示の準備復元中の映像があった。この入り口の展示に多少のアメリカの特別なる配慮を感じた。結構多くの人が足を止めて見入っていた。

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    図⒌10   B29エノラゲイ号のビデオ 

 

後日談

 帰国後に見た1994年9月2日付、日本経済新聞紙面で、このエノラゲイ号の展示をめぐってもめている話が掲載されていた。来年にこの博物館での特別展示「最終章 原爆と第2次世界大戦の終わり」のテーマブースにこの機を展示する計画だが、その内容が日本側の戦災にだけ焦点をあて、バランスを欠くとの抗議が米退役軍人や議会からのクレームが来て一騒動を起こしていた。歴史としての冷静な観点で展示したい博物館側と自分の不利益に直結するのを嫌がる軍政界人との衝突である。米国内でもこの話は統一がされていない。

 非戦闘員を対象にした原爆投下が犯罪なのは説明するのもけがわらしい。当時日本国内で終戦工作のためソ連に働きかけている動向が米国に筒抜けで、敗戦必至の日本に原爆を投下したのはソ連への牽制であったのは現代史に係わる人には常識の話である。50年経っても真理の分からない軍人は世界のお荷物である。人間の生死に係わる歴史にたずさわる以上は軍人・政治家は後世の批判を仰がねばならないし、自己弁護は許されないと思う。後世に伝えうるのは事実だけだ。その厳しさを、米国のボンクラ共はちっともワカッチャーいない。米国が世界の指導者の立場で、今一番求められるのは謙虚さである。ちなみに、この機は1984年から35,000時間と百万ドルの費用をかけて修復されているそうだ。

 

零戦

 第2次世界大戦の戦闘機、爆撃機のブースに入ってすぐの頭上に零戦52型が宙に浮かぶ形で展示してある。中二階に上がると目の前に零戦が「飛んで」いる。ここにあるメーサーシュミットM109、ムスタングP51 、スピットファイア、B26等に比べて破格の展示処遇である。これを零戦の技術の高さへの敬意と、私は理解して嬉しくなった。展示の機体はかなり程度の良いものである。

 しかし、防備の貧弱な零戦は、終戦近くには米軍機の恰好の餌食にされた。脚を上げて展示してあるこの零戦は、その点で足をすくわれたことを象徴していると見るのは、皮肉好きな私の考え過ぎかしら?

 技術者の目で零戦を見ると、いつも極限設計の意味を考えさせられる。零戦は極限までの限界設計をして、当時としては最高の性能を誇った機体であるが、その限界設計がその後の発展に大きな制約になったことは考えさせられる。零戦出現後に米国で開発された機体は全て「おおらかな」設計(余裕のある設計)をしている。逆にこの事がエンジン乗せ替え等の性能向上の改造設計にどれだけ貢献したかわからない。極限設計した零戦はあまり後の設計変更が効かなかった。極限設計には「余裕」がない。

 そのことは機械設計だけでなく、人生すべてに言える事だと思う。なにごとも余裕がないとその後の進歩は知れたもの。無駄のない張り詰めた設計には美しさがあるが、日々の技術革新が求められる世界では、その緊張は永くは続かない。人生の真理だろう。

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    図⒌11   零戦52型

  二階に上がると目前に飛ぶように浮かんでいる

 

アポロ11号の母船

 この宇宙船が1Fのメインブースに展示されている。この宇宙船の外側や脚は熱反射用の銀紙、金紙で覆われているので、まるでオモチャのように見える。これを見ると、アボロ11号の偉業も、米国のどこかの砂漠で模擬演習したのを、あたかも月に行ってきたように見せた嘘のショーだと言う説が、もっともらしく見えるからおかしい。

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    図⒌12 アポロ11号の母船

  

飛行機用コンピュータ

 航空機用の1958年開発のIBMのコンピュータのメモリーは、たった4Kバイトで、2,400 ㎏の図体である。知識として知っていても、実物を見ると感慨にふけさせられる。ENIACの例もあるが、あれは大きすぎて実感として分かりづらい。航空機の発達はコンピュータの発達と歩調を合わせて進んできた。それの進歩の激しさを各コンピュータボードの展示で見せるので興味深い。ジェミニの小さな宇宙船の中で、大きなスペースを占めるコンピュータボードを小さくするのが如何に重要なテーマだったかが理解できる。

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    図⒌13  4Kバイトのメモリー

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    図⒌14  ジェミニとアポロのコンピュータボードの比較

 

2020-06-04 久志能幾研究所通信 1618  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 1日 (月)

見学記 米国肖像画美術館

 ワシントンDCスミソニアン博物館群の中に建つ「肖像画美術館」を1994年8月11日に訪問した。下記はその印象記である。(初稿1994年8月)

 最初は肖像画なんてと思って、行くのが後回しになってしまった。ここの面白さは入場するまで、しょうじょうが、つかなかった。

 この美術館はアメリカ美術館と同じ建屋で、その内部を二分する形で、南半分の建物がこの肖像画美術館となっている。ここのハイライトは米国歴代の大統領の肖像画コーナである。その部屋の造りも重厚で、他の部屋のそれと格段の差がある。また各大統領の個性を表現した肖像画は写真とは一線を画するものがあり、肖像画の各人の顔と業績を重ね合わせると、何か納得できるイメージを与えてくれるから不思議である。なぜか歴史に名を残した人の顔はどこか威厳がある。私はその昔、人相学を研究したことがあり、その知識を元に人の肖像画を見ると非常に興味深い。なぜならこの世で一番美味なものは、人を食うこと。顔にその人の人生が現われる。現在、自分も古希に近い歳まで生きてきて、その思いを新たにしている。

 その他に、米国の歴史上の人物の肖像画が所狭しと展示してある。

   

2  図⒌17 大統領の肖像画の部屋      

1fdr_2  図⒌16   “FDR as the great sphinx "   ルーズベルト大統領

       

 大統領たちの肖像画のコーナでの最大のユーモアは、フランクリン・ルーズベルト大統領のスフィンクス像である。このユーモア溢れるスフィンクス像は、子供協会が氏を名誉ゲストとして招いたパーティでFDR図書館に寄贈された。その名も“ FDR as the great sphinx " 。厳粛な大統領たちの肖像画の部屋の入口部で、パイプをくわえ、ニャリとしながら一瞥しているさまはおかしい。特にこのコーナの中央部で物思いにふける建国の父リンカーン大統領の肖像画と、視線をそらすかのようなトボケたマスク像との対比は面白い。こういうユーモアは日本のお役所には無いものだ。生真面目な日本のお役所も、こういった余裕・ユーモアを少しは見習ったらと思う。

3fdr_2 図⒌18 FDR as the great sphinx が睨みを効かす大統領肖像画の部屋

     (正面はリーカーンの肖像画)

 

 さしずめ日本の首相で、この種の像に似合うのは葉巻をくわえた吉田茂かな。満州事変当時の関東軍をも白けさせた軍国主義的な過激な言動や逮捕歴*1、および人を食うのが一番の長生きの秘訣といって憚らなかった氏の胸像は “YOSHIDA as the grate sphinx" と命名すべきだろう。

 

注)grate 〔同音:great〕:不快感を与える。(キーキートイウ)音を立る。 (おろし金で食料を)おろす、(人の感情を)害する。

 逮捕歴*1: この経緯は城山三郎著『落日燃ゆ』に詳しい。吉田首相が戦後日本の政界に君臨できたのは、単なる時局に巡り合わせとしか言えまい。人材の払拭した当時の日本には氏しかいなかった。私は『落日燃ゆ』の広田首相が立派だと思うのだが、歴史は大なる皮肉を作ってくれる。

 

ニクソン大統領

 数ある大統領の肖像画の中で、この人の肖像画だけが横長の額となっている。そのポーズも独特である。これは寝業師と言われた氏を象徴していると言ったら言い過ぎか。その職位に就く人の天分・才能は、その就くべき職種・地位・階級によりその標準偏差が異なる。当然大統領職を担う人々の偏差値は高い。その大統領としてのグループ内で、ニクソン氏の天分のレベル・才能・人格としては平均以下だと私は思うが、それを自分の努力、情熱で平均以上に持ち上げた実績はすばらしいと思う。ダーティなイメージの付きまとうこの大統領は、決して私の好きな政治家ではないが、この点には敬意を表せざるを得ない。天分の才能に恵まれていない我々凡人には、良き反面教師と思う。挫けても、なおかつはい上がろうとする情熱には敬意を表したいし、見習いたい姿勢でもある。その晩年の執筆活動、自分の葬儀の段取り、自分の弔辞をクリントン大統領に頼んでいた周到な準備等には頭が下がる。この肖像画はそんなことに思いを馳せらせてくれる。

 

日本の首相肖像画美術館?

 日本にはこの種の首相の肖像画を集めたアトリエがないのは、狭い国土のためいたしかたないのかもしれない。米国の大統領のように、国の統合の象徴として尊敬を集めるに値する人格の首相が、日本に過去何人いたことやら。また、1年で4人も首相が変わるようでは(1994年当時)、すぐに飾る部屋もなくなってしまう。狭い国土では大問題である。悲しい現実である。

 

モールス

 1837年に発明されたモールスの通信機とそれを公開実験している場面を描いた絵が展示されている。精巧なおもちゃのような通信機は金メッキされ展示されているが、そのメカニックな外観は機械屋の私には興味深いものがある。歴史の実物とその絵画がペアで展示されている趣向に心憎い心配りを感じた。

 このだだっ広いアメリカ大陸での通信の重要性を考えると、このモールスの発明品の展示の重みが認識でき、なぜこの発明品がここに展示されているかが分かろうというもの。

 

4        図⒌19 モールスの実験風景(手前がモールス通信機の実物)

 

Photo       図⒌20 モールス信号機 1837年

 

付属図書館

ここの美術館内にある付属の図書館が興味深い。内部はビクトリア調の雰囲気のある、美術関係の図書館で、静粛な(当然?)たたずまいである。ここまではお上りさんは来ない。その中でパソコン等の近代的なOA機器を使って(25年前の1994年当時)しているのが、違和感なくマッチしている。ここで、しばらく机に向かって図書を閲覧するのもおつなもの。私はここで少々のオアシスのワープロ作業をした。当時はノートPCではありません。

 

6       図⒌21 付属図書館の内部

 

2020-06-01 久志能幾研究所通信 1615  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。