m-美術館・博物館巡り Feed

2020年6月27日 (土)

名古屋ボストン美術館は、怨念と祟りで潰れた(2/2)

 1999年に開館した名古屋ボストン美術館は、日本人の拝金主義に侵された情けなさを嘆かれた仏様が、明治維新150年後の年忌2018年に潰した、と私は考えている。アメリカに不当に拉致された仏像などの悲しみからの怨念が名古屋ボストン美術館には満ちていた。

 日本社会は今、金儲けに目が眩んで、精神が病み、社会全体が狂ってしまった。それに覚ませ、と仏様が罰を与えたのが、名古屋ボストン美術館の「取り潰し」ではないか。

 

150年後の不平等条約締結

 1991年11月、名古屋商工会議所が「名古屋ボストン美術館設立準備委員会」(委員長:加藤隆一名古屋商工会議所会頭)設置を決めた。1995年8月、美術館を運営する名古屋国際芸術文化交流財団の設立発起人会が開催された。それを受けて、名古屋ボストン美術館は建設され、1999年から2018年まで開館した。名古屋ボストン美術館がアメリカに20年間で5千万ドル(約500億円)を寄付する条件で、ボストン美術館と20年間の契約がされた。要は、年間25億円の金を20年間に亘りアメリカに貢がされる不平等契約であった。

 

凶相の家相

 私は名古屋ボストン美術館の建屋を見て、直ぐ日本長期信用銀行の本社ビルを思い出した。この長期信用銀行は、バブル崩壊後の不況で1998年10月に経営破綻した。山一證券や北海道拓殖銀行と並んで平成不況を象徴する大型倒産である。経営破綻後は一時国有化を経て、新生銀行に改称した。

 この長期信用銀行の本社ビルの正面の形が凶相の顔を持ったビルであった。その形態は、上の階の部分が前に張り出し、下がない形態である。それが1999年に開館した名古屋ボストン美術館の正面と同じであったのだ。そのため私は、当初から不吉な印象を私は持っていた。名古屋ボストン美術館は、最初から呪われていたとしか思えない。

 私は人相に興味があり、人の顔を観察している。同じようにビルの顔も、その会社の運命を左右すると考えている。

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旧・日本長期信用銀行本店 Wikipeidaより 

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  旧・名古屋ボストン美術館   2020年6月24日、著者撮影

 

潰れるべくして潰れた運営形態

 名古屋ボストン美術館は、企画展だけで美術品の所蔵をもたない不自然な形の美術館として出発した。名古屋ボストン美術館では、展示も他の美術館の作品を並列して展示はできないという不自由な制限も課せられた。

 そのため名古屋ボストン美術館は慢性的な赤字が続き、その結果、開館10年にして中部財界が拠出した設立・運営資金75億円は底を尽き、アメリカ側へ後半10年間で支払う寄付金37億円が残った。そのため2002年には研究部門の学芸部を廃止せざるをえなかった。美術館が学芸部を廃止するとは、企業で企画部、研究開発部を廃止すると同じである。それは単なる場所貸しだけの施設に没落したのだ。結局、設立資金が底をつき、2018年に閉館となった。

 

潰れた真因

 名古屋ボストン美術館が、結んだ契約は、江戸末期、日本が外国から不平等条約を結ばされたと同じ状況である。それは当時の日本に政治力、軍事力、経済力、文化力がなかったのだ。やり方が、今の名古屋の文化の不毛さを象徴している。中部財界は、金儲けだけは上手いが、芸術家、芸術を理解しているわけではないようだ。

 1999年当時の日本は、1991年にバルブが弾けて、日本の各界の力が凋落していった時期である。同時期の作られたトヨタ博物館は、トヨタ自動車創立50周年記念事業の一環として、1989年(平成元年)4月に開館した。会社が文化を作るために美術館、博物館を建てるなら、本業とは違う形で、文化を担う美術館、博物館を作るのが本筋である。それを自動車会社が、自動車サマサマの自動車博物館を建てるのは、餓鬼のレベルの考えである。世間では、下品なやり方と陰で笑われた博物館であった。そんな精神レベルの中部財界が肝いりで作った名古屋ボストン美術館が上手くいくわけがなかった。

 

魂の怨念

 美術品には作者の魂が籠っている。国宝相当の一つの美術品には、相応の命が籠っている。それも仏像には特別の魂が宿っている。その仏像が明治初期、粗末に扱われて海外に売り飛ばされた。

 それから150年が経ち、日本にボストン美術館の姉妹美術館ができるというので、仏像を筆頭に美術品たちの霊魂は、里帰りができると喜んだはずだ。ところが、ボストン美術館と締結された契約は、酷い差別契約で、日本に安心して帰国永住できるわけではなかった。美術品が日本に帰国しても、企画展で金を稼ぐためにこき使われて、企画展が終われば元のボストンに連れ戻された。その美術品の霊魂の悲しみと怒りはどれほどか。

 

仏師の入魂

 仏像には仏師の魂が籠っている。それの本音を松本明慶大仏師は、松本明慶先生は、(技のレベルを上げるため、ミケランジェロが第二の師匠になるかもしれないが「それを学べるなら命に代えてもいい。絶対に無駄にはしません」とまで言いきる(NHKBSプレミアム 松本明慶ミケランジェロの街で仏を刻む『旅のチカラ』2013年)。

 大佛の寿命は千年、人の寿命はせいぜい百年である。それゆえ千年の間、人の評価に耐える大佛を作るために、佛師は命をかけて刀を入れる。人生の中で、一番多くの時間を費やすのが仕事である。人生において、仏師は仏像彫りに命を賭ける。仕事は生活の糧を得る手段だけではない。「佛像とは何か」を50年間余考えながら彫り続け、千年後まで残る作品を手がけている松本明慶先生の言葉には重みと凄みがある。

 下記はNHKハイビジョン「仏心大器」での松本明慶先生の言葉

「佛像は人の喜怒哀楽の心を受け止めてくれる器である。大仏は人の心を受け止めてくれる大きな器である」

「佛師は美しい佛像を作る責務がある」

「人の寿命は80年、佛像(大佛)の寿命は1000年」

 

祟り

 そういう仏師の魂が込められた仏像たちの怨念と祟りのせいで、ボストン美術館との契約期間の20年間、最初の年以外は、美術館経営は赤字であった。だから名古屋ボストン美術館は佛様から、「日本人ヨ、目を覚ませ」との啓示で、潰されたのだと思う。

 

やるべき仕事

 単なるアメリカから美術品を借りるだけの美術館を企画するのは経済大国として愚策である。一点でも金を出して買い戻す取り組みをなぜしないのか。美術館として蔵品が一つの無い美術館なんて、また学芸部がない美術館など、聞いたことがない。だから名古屋は芸術の不毛地帯と言われるのだ。

 

美術館経営の覚悟

 美術館経営として単独で採算を取るには、よほど有名でないと無理のようだ。名古屋ボストン美術館の運営でそれが明らかになった。日本自体が裕福でなくなり、観客もそんなには入場料を出してまで、来ないようだ。文化芸術活動には、税金を投入して、文化を維持するしかないようだ。美術館経営がうまく行くかどうかは、その国の裕福さの証明である。その点で、日本経済は落第である。文化に金を出すという伝統がない。そのため日本経済の立て直しが必用だ。

 美術館を建てるとは、文化の柱を建てることだ。金がかかって当然である。それだけの覚悟がない貧乏都市では、やってはいけないのだ。金があっても心が貧乏では、貧乏都市である。美術館運営で赤字でもそれを受け入れて、社会奉仕、文化の下済みとしてやっていく覚悟がないと、続かない。日本では、政治家も、それでは票にならなないので、力を入れない。それが今の日本の惨状だ。

 

2020-06-27 久志能幾研究所通信 1646 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

     

2020年6月26日 (金)

名古屋ボストン美術館は、怨念と祟りで潰れた(1/2)

 1994年8月7日、米国ボストン市にあるボストン美術館を見学した。米国の京都と言えるボストン市にあるこの美術館は、この都市の雰囲気を反映して知的で上品な美術館である。内部で、写真を撮る人もほとんどいない。その点でも珍しい美術館で、客層がお上りさんの少ない、通向けの美術館と言える。東洋美術、特に日本美術の収集で有名で、日本の若いギャルが集団で見にきており、日本も豊かになったものだと(1994年当時)、変なところで実感させられる。

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  ボストンの住宅地 1994年8月7日 著者撮影

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 ボストン美術館のエントランス 1994年8月7日 著者撮影

 

日本庭園

 美術館の外側に京都の中根金作氏の設計による日本庭園・天心園まで作ってあり、日本美術、東洋美術への思い入れは世界一だ。ただし日本庭園の背景風景が米国風(米国の風景なので当たり前)なのは少々違和感がある。

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 ボストン美術館の日本庭園 1994年8月7日 著者撮影

 

中近東美術の部屋

 また中近東美術の部屋では、部屋の温度と湿度が特別に設定されており、ドアを開けて足を踏み入れるとムットする。こんな配慮をしてある美術館は今まで見たことがなくその気配りに感心した。私にとって、この暑さはノーサンキュウです。

 

エジプト文明の展示室

 エジプト文明の展示室では、展示の定石とおりミイラや柩の数体が展示してある。これは大英博物館で一室に100体近いミイラを棚に入れて展示するのに比べれば、常識的な配慮である。大英博物館のミイラや柩の展示方法はクレージで死者への冒涜であり、白人の有色人種への蔑視でもあると思う。

 

美術館の全体雰囲気

 各部屋の警備員は学芸員といった雰囲気で、何か絵について質問すれば、たちどころに滔々とした説明をしてくれそうである。ワシントンの国立美術館のガードマンに徹している黒人の職員に比べると対照的である。

 ここのカフェテリァは新しく増築された入り口部の吹き抜け部にあり、2階の球面の天窓から差し込む明かりのため明るく、モダンな感じは最高。

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売国奴

 ここの日本美術のコレクションは素晴らしい。この美術館は、美術品を欧米の美術館に略奪されたエジプト、ギリシア、イラン等の国の心情を理解するのに役立つ点で高く評価されるべきだ。

 こんな国宝級の仏像絵画を亡者の外人に売り渡した没落大名は売国奴である。英国の貴族が落ちぶれても尊敬されているのは、国の存亡に係わるいざという時には先頭に立って戦う義務と責務を負っているからである。事実過去の戦争ではそうであったし貴族の戦死率は平均より遙に高い。それくらい国に対するロイヤリティは高い。だから、そういう人種が国の利益に反することをするのは売国奴である。日本の貴族に相当する旧大名、華族がボストン美術館にある美術品を売り渡したので腹が立つのである。しかるべき立場になると、それに比例した責任が発生するのは世の常識。こんな大名がいるようでは徳川幕府が潰れたのも無理がない。我々は後世の人から後ろ指を指されない生きざまをしたいものだ。

 

組織的犯罪

 帰国後、この件を調べると、フェノロサとビゲローや岡倉天心、岡倉覚三らが組織的に共謀して、いずれは「海外流出」させることになる「日本美術」の収集活動に全力を傾注していたようだ。

 現在、ボストン美術館の所蔵品の340,350点のうち、culture(文化圏)がJapanese(日本)のものは、40,000点もある。実に所蔵品の1割以上である。気まぐれで美術品を集めていては、40,000点も集められるわけがない。それもかなりの量が非公開となっている。

 ここに展示されている日本美術を選別した当時の米国人の眼識の高さには舌を巻かざるをえない。この日本の国宝級の美術品がここでしか観れないとは情けない。最近の名古屋ボストン美術館誘致問題で、余計この件がしゃくにさわる(名古屋ボストン美術館は1999年に名古屋で開館し、2018年に閉館した)。

 (以上、初稿1994年8月、2020年6月23日補筆)

 

2020-06-26 久志能幾研究所通信 1645 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 5日 (金)

観察記:スミソニアン航空宇宙博物館と大垣市狂走(2/2)

大本営発表の亡霊

太平洋戦争のデータ

 海軍機のコーナで、太平洋戦争での日米の消耗戦の状況をグラフで示してあるのには感心した。時間系列で、沈んだ艦船のトン数、潜水艦の消耗トン等が日米の比較をグラフで示している。こういった冷酷な数値・グラフで示すのが、アメリカの合理主義である。人を説得するのは、感情を排した冷静なデータしかない。それこそテクニカルライティングの神髄である。他のコーナでは、ついぞこんなグラフにはお目にかからなかったので余計目についた。

 それに対して日本の大本営発表は形容詞に満ちて、精神論が前面に出る。いくら形容詞も使って表現しても、こういった数値、グラフの説得にはかなわない。何ごとも他と比較して考えないと、政府に騙される。日本国民は政府に騙されて、玉砕寸前まで追い詰められた。

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 太平洋戦争の日米の消耗戦のデータ。赤丸が日本のデータ    

 日米の格差が冷酷に表示されている

 

大本営発表に便乗の大新聞

 太平洋戦争中の大本営は、軍部に都合の良い報道しかしなかった。データの裏付けのない大嘘の発表ばかりであった。国民はそれが嘘であることに薄々は気が付いていたが、秘密警察の憲兵が怖しくて、口外できなかった。

 太平洋戦争前もイケイケどんどんの報道ばかりで、日本を戦争に駆り立てたのは朝日新聞等であった。曰く、満州は日本の生命線、満州を開拓しよう、鬼畜米英に負けるな、英霊の神風特攻隊万歳である。新聞社も戦争の記事のほうが景気良く、新聞部数も伸びるからである。

 

現代の大本営発表

 拝金主義のグローバル企業に支配されたマスコミは、反グローバル経済主義のトランプ大統領が大嫌いで、やることなすこと反対である。だから大手の米国マスコミはトランプの選挙の優位を報道できず、トランプ当選を予想できず大恥をかいた。また大手マスコミは、フェイクニュースが多いのが露見した。

 大手マスコミは、旧日本の大本営発表と変わらない。それはイギリスのEU離脱報道でも同じであった。今のマスコミは、拝金主義者に支配されている。それを念頭に報道を見ないと、洗脳される。

 現在でも、全世界が中国のやり方に大ブーイングをしていても、日本のマスコミはそれを小さくしか報道しない。日本のマスコミは、中国に気兼ねをしている。その原因は、マスコミのスポンサーである日本の大企業が、中国の商売に未練があるからだ。日本のマスコミは、中国に何度も煮え湯を飲まされても、強欲に取りつかれて、目が覚めない。中国が毎日、領空侵犯、領海侵犯をして、日本領土が奪われる危機があるのに、中国市場に未練がある日本財界の意向を受けて、日本のマスコミはそれを報道さえしない。

 

大垣市の御用新聞・岐阜新聞は大本営発表

 今でも大垣市の小川敏の意向を受けた御用新聞の岐阜新聞は、小川敏に都合の悪いことは報道しない。大垣の御用新聞の体質は、戦前と変わっていない。読売新聞が海津市の5億円のコロナ対策費を大きく報道しても、岐阜新聞は、2020年6月2日の紙面で、小川敏に気兼ねをして、記事中に小さく5億円を記載する。タイトルで「海津市、買い物券配布」である。完全に報道を捻じ曲げて、読者の注目を浴びない細工をしている。正に偏向報道である。5億円が、市民一人当たりで計算すると、大垣市の10倍であることは報道しない。

 岐阜新聞は、そのフェイクニュースまがいのタイトルで、大垣市の無策ぶりを目立たなくさせる意図が明白である。そのタイトルは嘘ではないが、報道人として無能のタイトルである。報道人は、「買い物券配布」といった抹消的な事象を報道するのは子供である。市長として、危機管理上でどうしたかを報道すべきである。

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 岐阜新聞 2020年6月2日

 

大垣市・小川敏の大本営発表

 大垣市では、小川敏が口先だけの宣伝で、市民に誤解を与えて続けている。結果として騙していると同じである。小川敏は針小棒大の言葉の魔術使である。曰く、大垣は子育て日本一、安全第一、大垣独自のコロナ対策、新市庁舎で街の活性化、元気ハツラツ市で街の活性化、カメの池で街の活性化、等である。すべて大ウソである。

 小川敏の19年間の無為無策で、県下で大垣市だけが、没落が一番大きい。大垣市の公示価格の下落が総てを表している。市場の評価は、神の如くの評価をする。(松下幸之助翁の言葉)

 今回の新型コロナウイルス対策でも、やっていることを針小棒大に説明するが、その対策費の総額は口が裂けても言わない。実質的に無為無策であることが露見するからだ。大垣市のコロナ対策費は、市民一人当たりで海津市の1/10以下である。この非常事態で、小川敏は危機管理能力がないことが露見した。彼は無能指揮官である。

 

2020-06-05 久志能幾研究所通信 1619  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 4日 (木)

観察記:スミソニアン航空宇宙博物館と大垣市狂走(1/2)

冷酷な技術展示

 1984年8月13日、スミソニアン航空宇宙博物館を見学した。ここは大人も子供も興奮の大人のビックリ箱(大人のオモチャと言うと語弊がある?)。26のテーマブースに分かれた部屋は、飛行機、宇宙船の夢の世界である。飛行機マニアの私は、どこから見ていいのか目ウチュウりして、困るほど。

 各ブースでは各テーマのビデオ画面が10~20程あり、エンドレスに上映されている。この建物の全ビデオ数は200~400はあると推定される。まともに見入ったいたら日本に帰れなくなるほど。ここは1回来ただけではとても、スミソーニぁないほど量・質が高い。(初稿 1994年8月)

 

B29エノラゲイ号  RESTORATION OF THE ENORA GAY

 26の部屋に分かれたテーマブースの一つが、第2次世界大戦の戦闘機、爆撃機である。ここの入口のビデオコーナが、広島に原爆を投下したB29エノラゲイ号の記録であるのはこの大戦の象徴である。

 その内容は、原爆投下までの記録、被災者の治療中の映像、広島市街、被爆後の広島ドーム、階段に写った死者の影等の映像が淡々と映し出して、単に記録の映像に徹しているので不気味である。特に原爆投下直後の機上からの映像で、画面が爆発の衝撃で大きく揺れるのは無言で不気味な迫力がある。

 あと後半に現在、8000時間をかけて、展示の準備復元中の映像があった。この入り口の展示に多少のアメリカの特別なる配慮を感じた。結構多くの人が足を止めて見入っていた。

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    図⒌10   B29エノラゲイ号のビデオ 

 

後日談

 帰国後に見た1994年9月2日付、日本経済新聞紙面で、このエノラゲイ号の展示をめぐってもめている話が掲載されていた。来年にこの博物館での特別展示「最終章 原爆と第2次世界大戦の終わり」のテーマブースにこの機を展示する計画だが、その内容が日本側の戦災にだけ焦点をあて、バランスを欠くとの抗議が米退役軍人や議会からのクレームが来て一騒動を起こしていた。歴史としての冷静な観点で展示したい博物館側と自分の不利益に直結するのを嫌がる軍政界人との衝突である。米国内でもこの話は統一がされていない。

 非戦闘員を対象にした原爆投下が犯罪なのは説明するのもけがわらしい。当時日本国内で終戦工作のためソ連に働きかけている動向が米国に筒抜けで、敗戦必至の日本に原爆を投下したのはソ連への牽制であったのは現代史に係わる人には常識の話である。50年経っても真理の分からない軍人は世界のお荷物である。人間の生死に係わる歴史にたずさわる以上は軍人・政治家は後世の批判を仰がねばならないし、自己弁護は許されないと思う。後世に伝えうるのは事実だけだ。その厳しさを、米国のボンクラ共はちっともワカッチャーいない。米国が世界の指導者の立場で、今一番求められるのは謙虚さである。ちなみに、この機は1984年から35,000時間と百万ドルの費用をかけて修復されているそうだ。

 

零戦

 第2次世界大戦の戦闘機、爆撃機のブースに入ってすぐの頭上に零戦52型が宙に浮かぶ形で展示してある。中二階に上がると目の前に零戦が「飛んで」いる。ここにあるメーサーシュミットM109、ムスタングP51 、スピットファイア、B26等に比べて破格の展示処遇である。これを零戦の技術の高さへの敬意と、私は理解して嬉しくなった。展示の機体はかなり程度の良いものである。

 しかし、防備の貧弱な零戦は、終戦近くには米軍機の恰好の餌食にされた。脚を上げて展示してあるこの零戦は、その点で足をすくわれたことを象徴していると見るのは、皮肉好きな私の考え過ぎかしら?

 技術者の目で零戦を見ると、いつも極限設計の意味を考えさせられる。零戦は極限までの限界設計をして、当時としては最高の性能を誇った機体であるが、その限界設計がその後の発展に大きな制約になったことは考えさせられる。零戦出現後に米国で開発された機体は全て「おおらかな」設計(余裕のある設計)をしている。逆にこの事がエンジン乗せ替え等の性能向上の改造設計にどれだけ貢献したかわからない。極限設計した零戦はあまり後の設計変更が効かなかった。極限設計には「余裕」がない。

 そのことは機械設計だけでなく、人生すべてに言える事だと思う。なにごとも余裕がないとその後の進歩は知れたもの。無駄のない張り詰めた設計には美しさがあるが、日々の技術革新が求められる世界では、その緊張は永くは続かない。人生の真理だろう。

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    図⒌11   零戦52型

  二階に上がると目前に飛ぶように浮かんでいる

 

アポロ11号の母船

 この宇宙船が1Fのメインブースに展示されている。この宇宙船の外側や脚は熱反射用の銀紙、金紙で覆われているので、まるでオモチャのように見える。これを見ると、アボロ11号の偉業も、米国のどこかの砂漠で模擬演習したのを、あたかも月に行ってきたように見せた嘘のショーだと言う説が、もっともらしく見えるからおかしい。

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    図⒌12 アポロ11号の母船

  

飛行機用コンピュータ

 航空機用の1958年開発のIBMのコンピュータのメモリーは、たった4Kバイトで、2,400 ㎏の図体である。知識として知っていても、実物を見ると感慨にふけさせられる。ENIACの例もあるが、あれは大きすぎて実感として分かりづらい。航空機の発達はコンピュータの発達と歩調を合わせて進んできた。それの進歩の激しさを各コンピュータボードの展示で見せるので興味深い。ジェミニの小さな宇宙船の中で、大きなスペースを占めるコンピュータボードを小さくするのが如何に重要なテーマだったかが理解できる。

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    図⒌13  4Kバイトのメモリー

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    図⒌14  ジェミニとアポロのコンピュータボードの比較

 

2020-06-04 久志能幾研究所通信 1618  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 1日 (月)

見学記 米国肖像画美術館

 ワシントンDCスミソニアン博物館群の中に建つ「肖像画美術館」を1994年8月11日に訪問した。下記はその印象記である。(初稿1994年8月)

 最初は肖像画なんてと思って、行くのが後回しになってしまった。ここの面白さは入場するまで、しょうじょうが、つかなかった。

 この美術館はアメリカ美術館と同じ建屋で、その内部を二分する形で、南半分の建物がこの肖像画美術館となっている。ここのハイライトは米国歴代の大統領の肖像画コーナである。その部屋の造りも重厚で、他の部屋のそれと格段の差がある。また各大統領の個性を表現した肖像画は写真とは一線を画するものがあり、肖像画の各人の顔と業績を重ね合わせると、何か納得できるイメージを与えてくれるから不思議である。なぜか歴史に名を残した人の顔はどこか威厳がある。私はその昔、人相学を研究したことがあり、その知識を元に人の肖像画を見ると非常に興味深い。なぜならこの世で一番美味なものは、人を食うこと。顔にその人の人生が現われる。現在、自分も古希に近い歳まで生きてきて、その思いを新たにしている。

 その他に、米国の歴史上の人物の肖像画が所狭しと展示してある。

   

2  図⒌17 大統領の肖像画の部屋      

1fdr_2  図⒌16   “FDR as the great sphinx "   ルーズベルト大統領

       

 大統領たちの肖像画のコーナでの最大のユーモアは、フランクリン・ルーズベルト大統領のスフィンクス像である。このユーモア溢れるスフィンクス像は、子供協会が氏を名誉ゲストとして招いたパーティでFDR図書館に寄贈された。その名も“ FDR as the great sphinx " 。厳粛な大統領たちの肖像画の部屋の入口部で、パイプをくわえ、ニャリとしながら一瞥しているさまはおかしい。特にこのコーナの中央部で物思いにふける建国の父リンカーン大統領の肖像画と、視線をそらすかのようなトボケたマスク像との対比は面白い。こういうユーモアは日本のお役所には無いものだ。生真面目な日本のお役所も、こういった余裕・ユーモアを少しは見習ったらと思う。

3fdr_2 図⒌18 FDR as the great sphinx が睨みを効かす大統領肖像画の部屋

     (正面はリーカーンの肖像画)

 

 さしずめ日本の首相で、この種の像に似合うのは葉巻をくわえた吉田茂かな。満州事変当時の関東軍をも白けさせた軍国主義的な過激な言動や逮捕歴*1、および人を食うのが一番の長生きの秘訣といって憚らなかった氏の胸像は “YOSHIDA as the grate sphinx" と命名すべきだろう。

 

注)grate 〔同音:great〕:不快感を与える。(キーキートイウ)音を立る。 (おろし金で食料を)おろす、(人の感情を)害する。

 逮捕歴*1: この経緯は城山三郎著『落日燃ゆ』に詳しい。吉田首相が戦後日本の政界に君臨できたのは、単なる時局に巡り合わせとしか言えまい。人材の払拭した当時の日本には氏しかいなかった。私は『落日燃ゆ』の広田首相が立派だと思うのだが、歴史は大なる皮肉を作ってくれる。

 

ニクソン大統領

 数ある大統領の肖像画の中で、この人の肖像画だけが横長の額となっている。そのポーズも独特である。これは寝業師と言われた氏を象徴していると言ったら言い過ぎか。その職位に就く人の天分・才能は、その就くべき職種・地位・階級によりその標準偏差が異なる。当然大統領職を担う人々の偏差値は高い。その大統領としてのグループ内で、ニクソン氏の天分のレベル・才能・人格としては平均以下だと私は思うが、それを自分の努力、情熱で平均以上に持ち上げた実績はすばらしいと思う。ダーティなイメージの付きまとうこの大統領は、決して私の好きな政治家ではないが、この点には敬意を表せざるを得ない。天分の才能に恵まれていない我々凡人には、良き反面教師と思う。挫けても、なおかつはい上がろうとする情熱には敬意を表したいし、見習いたい姿勢でもある。その晩年の執筆活動、自分の葬儀の段取り、自分の弔辞をクリントン大統領に頼んでいた周到な準備等には頭が下がる。この肖像画はそんなことに思いを馳せらせてくれる。

 

日本の首相肖像画美術館?

 日本にはこの種の首相の肖像画を集めたアトリエがないのは、狭い国土のためいたしかたないのかもしれない。米国の大統領のように、国の統合の象徴として尊敬を集めるに値する人格の首相が、日本に過去何人いたことやら。また、1年で4人も首相が変わるようでは(1994年当時)、すぐに飾る部屋もなくなってしまう。狭い国土では大問題である。悲しい現実である。

 

モールス

 1837年に発明されたモールスの通信機とそれを公開実験している場面を描いた絵が展示されている。精巧なおもちゃのような通信機は金メッキされ展示されているが、そのメカニックな外観は機械屋の私には興味深いものがある。歴史の実物とその絵画がペアで展示されている趣向に心憎い心配りを感じた。

 このだだっ広いアメリカ大陸での通信の重要性を考えると、このモールスの発明品の展示の重みが認識でき、なぜこの発明品がここに展示されているかが分かろうというもの。

 

4        図⒌19 モールスの実験風景(手前がモールス通信機の実物)

 

Photo       図⒌20 モールス信号機 1837年

 

付属図書館

ここの美術館内にある付属の図書館が興味深い。内部はビクトリア調の雰囲気のある、美術関係の図書館で、静粛な(当然?)たたずまいである。ここまではお上りさんは来ない。その中でパソコン等の近代的なOA機器を使って(25年前の1994年当時)しているのが、違和感なくマッチしている。ここで、しばらく机に向かって図書を閲覧するのもおつなもの。私はここで少々のオアシスのワープロ作業をした。当時はノートPCではありません。

 

6       図⒌21 付属図書館の内部

 

2020-06-01 久志能幾研究所通信 1615  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月29日 (金)

英国戦争博物館 ゼロ戦の落日 

 1991年6月に英国戦争博物館を見学した。この英国戦争博物館には、日本の零戦のコクピット部のカット展示がされていた。昔からこの博物館の零戦はその筋では有名で、飛行機キチガイの私は見学することが長年の夢であった。しかし実物に接して本来嬉しい筈が、何故か悲しいとか、虚しいとか、なんとも言い難い心境になってしまい、予定外の心境に陥ってしまった。先の英国科学博物館での技術の歴史への感激とは全く異質の心境である。

 この展示を見て感じたのは、当時世界最高の戦闘機と呼ばれた零戦の、航空雑誌の写真では分からなかった工作技術の意外な低さであった。まるで出来の悪いブリキ細工のオモチャみたいに見えて、私は悲しい思いにさせられた。こんなものに命を託して、お国のために戦わなければならなかった当時の人々の哀愁が漂ってきて、先に見た大英博物館でのエジプトのミイラ棺を連想してしまった。

 

技術の並列展示

 この零戦を単独で見ればそう感じなかったかもしれないが、並列して展示してある同時代のランカスター爆撃機(英)、スピットファイア(英)、フォッケウルフ(独)、ムスタング(米)と比較すると当時の日本と欧米の製造技術の格差が認識でき、戦争に負けた一端の理由が技術者として理解できる。

 例えば、操縦席のガラス(キャノピー)を比較すると、ゼロ戦は金属枠で囲われたガラス構成である。それに対してムスタングやフォケフルフ、スピットファイアのキャノピーは一体型で金属枠が無いか少ない。これは日本に高性能のガラスを製造する技術がなかったから、金属枠で補強をせざるを得なかったためである。小さな技術の積み重ねで航空機はできている。それが航空機の部品の隅々に現れる。それが国力の差である。

 

工作機械はマザーマシン

 零戦を見たのはこれが最初ではなく、日本でも航空ショーで見ているのだが、こういう製造技術のレベルで比較観察したのは初めてであった。工作機械はマザーマシンと呼ばれてその国の技術の基盤をなすものだが、それがこういった兵器の形の最先端の工業製品にその底力が現れるものだと、歴史の証拠として示してくれた。ゼロ戦だけ地上に晒しの者のように展示してある。そういった事をさり気なく、この差が分かる者には明白に示す英国人の意外と冷酷な性格もヒンヤリと感じた。

 この零戦は当時としは世界最高水準の設計であったが、その設計技術に製造技術が追いつけ無かった例としては良い実例であると私は思う。しかし歴史は皮肉なもので、今欧米がこのギャップの手痛いしっぺ返しを日本から受けていると言うと言い過ぎだろうか。今や日本の工作機械、電子技術なしには米国の最先端兵器が生産出来ないのはアメリカ政府のジレンマであろう。

 

東芝機械ココム違反事件

 その苛立ちの象徴がココム違反事件である。東芝機械ココム違反事件とは、1987年に日本で発生した外国為替及び外国貿易法違反事件である。東芝機械がソ連に輸出した工作機械は、潜水艦のスキュー加工の精度が上がり、海中での騒音の低減になった。そのためソ連の潜水艦技術が進歩して、アメリカ軍に潜在的な危険を与えるようになった。それが日米間の政治問題に発展した。

 工作機械業界は有る面では3Kの一面を持っているが、基礎製造技術として技術国家にとってかけがいの無いもので、今後この面の軽視は許されないと感じた。この事を示唆してくれたこの博物館の意義は大きい。

 

戦争博物館の本領

 なおこの博物館は兵器ばかりでなく戦争の悲惨さを描いた絵画、写真、映画、青年を徴兵に誘う当時のポスター、ヒットラーの歴史上の記録も2階、地階に同時に展示してある。日本の防衛庁等が設営している飛行機博物館とは一寸趣を異にしている。

                        初稿1991年6月

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 零戦

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 フォッケウルフ(ドイツ)

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 ムスタング(米国)

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 スピットファイア(英国)

 

2020-05-29 久志能幾研究所通信 1611  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月22日 (金)

ペンタゴン・ツアー(2/2) 自分の城は自分で守れ

令和の時代のペンタゴン

 令和の語源となった万葉集が詠われたのは奈良・平安時代である。その1400年前でも、国の防衛のため、民が防人として九州に駆り出されていた。万葉集にも防人の歌が多い。

 そもそも国とは、政治と経済と国防の3つから成り立つどれが欠けても、国として成立しない。

 

チベット消滅

 チベットは国を守る軍事力がなかったため、1950年、中国共産党に攻められて消滅した。チベット国民の20%が殺された。日本に換算すると、2000万人が殺されたと同じである。中国共産党により、同一民族間の結婚も禁じられ、中国人との同化が推進され、民族の消滅が図られている。今は、チベット人はモンゴル人とともに要注意民族として、多くの人が強制収容所に入れられている。その一つの目的が、臓器移植のドナーのためである。だから臓器移植のため中国に行けば、3日でドナーが見つかるという。

 

国、都市の消滅

 国にも命がある。第二次世界大戦後に消滅した国は183カ国もある。自分の国の命は自分で守らないと、他国に滅ぼされる。

 都市だって破産する。夕張市も破綻した。自分の城は自分で守らないと、消滅する。今のままでは、896の自治体が消滅しかねないと警告されている。他国が攻めてくるより恐ろしいのは、自分の国の自己崩壊である。

 

己のペンタゴン

 人は、人間力(ご縁)と経済力と免疫力で成り立つ。いくら人間力や経済力があっても、病気に負けたら死んでしまう。それが今回の新型コロナウイルス騒動で再確認された。

 本来ここは一般観光スポットであるが、私はMUSEUM扱いをしたい。ここの訪問は、ワシントン駐在員・T氏の勤める法律事務所を訪問して、氏の推薦とこの事務所から地下鉄で2つ目の駅がペンタゴンであった地理的条件で、急遽行くことに決めた次第である。これもご縁である。

 そのT君も、帰国後、リーマンショックで会社が左前になり、経営層の間違った判断で、事務職までも工場の現場応援に出された。それは「全社一丸となって頑張ろう」という精神論だけの方策であった。要は経営層が合理的な経営が出来ず、危機管理もできず、無能であった。

 ある朝、彼は単身赴任していた寮で冷たくなっていた。哀しい思い出である。私もお通夜に参列して、彼の奥さんと小さなお子さんを見て、かける言葉もなかった。

 ブラックな会社は従業員の健康など、知ったことではないのだ。自分の体は自分で守るしかない。己のペンタゴンを強化するしかない。

 

広報活動としての己のペンタゴン

(正しい)英語が喋れない軍人

 ツアーの案内、説明は軍服が良く似合うカッコいいハンサムな若い将校がしてくれた。この軍人の英語がまるでマシンガンのような(軍人だからしかたがない・・)恐ろしく早い英語と軍関係の英専門用語のため、私の英語力では半分も理解できなかった。自分たちの宣伝をしているくせに、相手へのコミュニケーションの気配りをしない、一方的な押しつけは、軍の自己中心的な態度と通ずるものがあり、思わず納得してしまった。これはツアーの趣旨からは、大きな皮肉である。なにせ相手が恐ろしいペンタゴンであるから、私は黙って聞いていた。

 案内された展示資料は、歴史的な価値が高く、ゆっくり見て廻りたかったが、一方的に広大な建物中を引っ張り回され、ペンタゴン・ツアーは終わった。なにせ、この建物内はこの案内者なしには勝手には歩き回れない。なんと独善的な案内であろうか。

 我々も、正しい日本語が話せているか、自省して他山の石としたい。私がミシガン大学夏季セミナーに参加したいのは、正しい日本語、正しい論理構成を学ぶためである。そのセミナーの後に、私はこのペンタゴンのあるワシントンDCに旅行した。

 仕事人として、〇〇家の人間として、やってきたことを、後進に、子孫に、世に知らしめることは、文化人としての使命である。私は誰にでも、どこででも分かる言葉で伝えたいと思う。

 

有事の砦

 日本はその大事な国防を担う自衛隊が今でも日陰者扱いである。日本は国防を米軍に頼っているが、肝心な時に米軍が助けに来てくれる保証はない。自分の国を守らない日本の為に、米国が自国の青年の血を流すとは思えない。私が大統領でもその判断をする。それをやれば、米国大統領が国民からつるし上げを食らう。米国議会も反対するだろう。トランプ大統領は冷酷なビジネスマンである。米国の利益にならない米軍の日本への派遣はしないだろう。

 だから中国共産党は日本を舐めて、日々、尖閣諸島を虎視眈々と狙って領海侵犯を繰り返している。自衛隊は法律で、総理大臣の許可がないと領空侵犯のジェット機や領海侵犯の船舶に反撃の鉄砲一つ撃てない。それは今までの経緯を見れば明白だ。

 日本にも国民の国防意識向上のため、ペンタゴンのような施設が必用である。私がペンタゴンを見学して、四半世紀が経ち、この原稿を書く段で、その思いを新たにした。トヨタの経営の原則は、「自分の城は自分で守れ」である。

Photo

 

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 中国公船等による尖閣諸島周辺の接続水域内入域及び領海侵入隻数(日毎)

 (平成24年9月以降)

 海上保安庁 (外務省ホームページより)

  

大垣市の有事

 大垣市も小川敏の独裁政治に占領されている。小川敏の無為無策の無能政治で、大垣は滅亡寸前である。大垣だけが、東海地方のリニア景気から置いてきぼりを食っている。

 小川敏が落とした減資爆弾で、大垣の未来はなくなった。投資をしない都市に未来はない。人財に投資をしない都市は消滅である。大垣市民が危機意識を持って、大垣市政を監視しないと、地獄への道を歩んでしまう。

 大垣市民としてのペンタゴン機能とは、市役所への意見の発信、マスコミへの意見の発信、情報の共有化である。

 

2020-05-22 久志能幾研究所通信 1602  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月21日 (木)

ペンタゴン(米国防総省)ツアー(1/2)

 2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、セキュリティの関係で、このペンタゴン・ツアーは、閉鎖されていた。今はそれが再開されたようだが、テロ以降は更に厳重なセキュリティがなされているようだ。館内は撮影禁止だが、一部のエリアだけは撮影が許可されている。

 下記は、私が1994年8月9日に見学した時の記録である。

 1994.08.15初稿

 

ペンタゴン・ツアー

 ワシントンDCのペンタゴンは、知的観光スポットとしてお勧めである。貴方が飛行機マニア・歴史マニアなら特にお勧めである。ただし現在、一般のツアーは新型コロナウイルスの関係で閉鎖中である。

 地下鉄PENTAGON駅で下車し、エスカレータを上がるとそこが世界最大の官庁としてのペンタゴン地下一階ゲートである。スミソニアン博物館群から地下鉄で10分の距離にある。ここの見学はペンタゴン・ツアーに参加すればよい(当時)。

 このペンタゴン・ツアーはペンタゴンのPR活動の一環として実施されているので無料で、30分毎にスタートし、所要時間は約1時間である。このペンタゴン・ツアーに参加するためには、受付でパスポートを見せて名前を登録して申込み、ツアー・スタート時に胸に黄色いIDカードを着け、持物のX線透視検査、金属探知機のゲートチェック(飛行機搭乗時のチェックと同じ)を受けてなくては、ペンタゴン内の機密の建物に入れない。

 このペンタゴンの廊下の総延長距離が28㎞に達することを見れば、いかに巨大な建物で、なぜ世界最大の官庁と言われるのかが理解できる。構造的には地下1階、地上4階建てで、特徴の五角形の一辺は281m、5重の構造となっている。巨大とはいえ、この建物内のどの2点をとっても、7分で行き来できるように合理的な設計がされている。

 実際は、地下ゲートから入って中を歩き回り、地下ゲートから出てきたので、実際の建物の外観を見ていないため実際の巨大さが身近に感じられなかった。是非、外からこの建物を見ることを勧める。

 ペンタゴンの5角形の一辺281mの長く広い廊下を電動車椅子に乗った士官がかなりのスピードで走り回っていてたのは、いかにもアメリカ的軍部オフィスを認識させれた。またこの廊下を電動リフトも走り回っていて、軍部工場という趣がある。この電動リフトが走り廻れるほど広い廊下であることも注目の点。

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 ペンタゴン全景  ペンタゴンの広報資料より

 

  表⒌1  ペンタゴンの建物規模を示すデータ

  建物          地上4階、地下1階

  廊下の総延長距離      28 Km

  5角形の一辺長       281 m  (建物一周1405m)

  総床面積        610,000 ㎡  

  トイレの数           280 ケ

  時計の数           4200 ケ

  電話の通話       200,000 回/日

  郵便物         130,000 通/日

  働く人員        23,000 人

  建物内の食堂で働く人員   600 人

 

美術館として

 ペンタゴンの長い廊下の両側に、歴代大統領・将軍・軍人の肖像画、飛行機・艦船の絵画・模型、戦争の絵・軍旗、アメリカの各州の昔の旗、勲章、戦争の歴史が、無駄なスペースなしに展示してある。その膨大な数には圧倒される。その総数は、案内の軍人に聞いても明確な回答は得られなかった。おそらく1000余の数にのぼると想像される。この膨大なコレクション数から、まるで米国戦争MUSEUMの趣がある。途中の小部屋で、10分程のペンタゴン建設の歴史映画も上映される。

     写真⒌1  廊下の絵画

 

 このペンタゴン・ツアーの趣旨は,あくまでも軍部がいかにお国のために役立っているかの軍部の自己宣伝活動であって、税金の無駄遣いの言い訳も含む事を認識して説明を聞くと面白い。あくまでも戦争の正しい面、カッコいい面のみを展示している。

 例えば、MILITALY WOMEM(軍事婦人)のコーナがあるが、これは米女性がいかに軍隊で活躍したかの歴史、実績の展示であって、赤十字の看護婦さんの称賛コーナでないところがミソである。

 

日本の降伏調印式

 また、1945年、米軍艦ミズリー号上で調印された日本の降伏調印書が、原爆の写真の下に誇らしげに展示してある。重光葵日本国全権代表の直筆の漢字サインは、嫌でも日本人の私には目に飛び込んでくる。重光葵氏は城山三郎著『マリコ』に登場するあの重光氏である。私にはこの原爆の写真が、この行為を正当化するための説明としか見えなかった。

 また真珠湾攻撃の当時の新聞を3紙も展示して、だまし討ちのアピールをシッカリ表示している。戦争に関する展示で、新聞まで動員して紹介しているのはパールハーバ攻撃のみである。また、同じような新聞を数紙も(科学工業英語手法で言う拙い「冗長」さ)誇示している。一つではデータとして少なすぎるが、この3つは多すぎる。私は3紙も展示する必要はないと思う。私にはこの戦争のかなりの部分が、FBIの得意技のおとり捜査の戦争版にしか思えない。現在公開された歴史の資料とこの展示から見て、世で言われている常識的な見解の一つで決して過激ではないと思うのですが・・。

 

戦争賛美の例

 米国史上で、真珠湾攻撃は、唯一の直接本土に戦争を仕掛けられた事例なのでその扱いは特別である。このスケールの違う国に世界史上で唯一、宣戦布告をし、なおかつ当初は勝ってしまった旧軍部はエライと思う(米国が仕掛けた戦争はあっても、宣戦布告をしたのは日本のみ)。無知は人間を実に大胆にしてくれる。またドイツ降伏後の一時期は全世界を相手に戦ったこと。そして、勝っていればせしめえた戦争賠償金を、復興援助金の名目で米国からせしめて、戦前はできなかった高度経済成長をなし遂げた賢こさ。3K業務の軍事を、安保条約で米軍に下請けに出して経費を節約した国としてのVAである。ここまで、見とおして戦争を始めたのなら旧日本軍部は立派・・? 生物は死ぬことで、必要な成長を果たすことがある。例えば人間の手は、受精後の細胞分裂の途中で手の間の組織が死ぬことで指が形成される。旧日本軍部は死ぬことで日本発展の礎となった?

 

戦後の歴史の皮肉

 (下記は1994年頃の経済状況で記述)

 第二次世界対戦後の50年に及ぶ長期経済戦争に負けた(?)米国は、荒廃した精神の安定に日本の禅を求め、肥満しすぎた人間の多さに手を焼いた米保健局が理想の健康食として日本食を推奨し、不況に直面した米産業界の期待を背負った大統領が米財界のツアコンとして日本に製品の売り込み陳情にくるし、米国の国債も有名ビルも日本に買ってもらっているし、と大変な時代になったは現代史の大いなる皮肉?

 最近(1994年ころ)の米高校生意識調査で、日米が50年前に戦争をしたことを知らない米高校生の割合がかなり多いという調査データが新聞に載っていた。「で、どちらが勝ったの?」とはある米高校生の質問。

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マッカーサー元帥

 この第2次世界大戦の記録コーナは、このツアーコースの最後から数えて2つ目の場所である。ここのしんがりにマッカーサー元帥の胸像が展示されていて、氏の功績を讃えている。氏と同じ背の高さにしてある胸像から見て、意外と背の低い氏にびっくり。米国人にしてはそんなに大きくない案内の軍人が、胸像の横に立ち、私とそんな背の差がないのですよとおどけてみせた。ユーモアは分かるが、軍人は知性あるユーモアに欠ける。

 

勲章のコーナ

ツアー最後のコーナは米軍で最高の勲章を貰った軍人のネームプレートが部屋の壁に一杯展示された場所。軍人にとって、勲章は最大の関心事かもしれないが、一般人にはそう馴染みのない受賞者の名だけを展示したコーナは興味が起こらない。それをかなりの時間をかけて説明するのは軍の独りよがりではないかと疑問に思った。

 

戦勝国としてのペンタゴン

 はて? ベトナム戦争の記録コーナはどこにあったのだっけ? そう言えば、この戦争では米国が勝てなかっんだっけ・・・。それですっ飛ばしたのかな? ここの展示には、人類に戦争の反省を促すような展示は一切ない。あくまでも軍のPRが主目的である。その点のクライテリア(基準)は明確で気持ちがいい!?

 スミソニアンの米国歴史博物館は戦争の反省としての展示思想で展開されている。ペンタゴンは自己PRを主体とした展示思想で展開されている。その大きな格差は、情報伝達としての博物館のコミュニケーション手法の特徴が明確になる。このペンタゴンは、その反面教師的意味からお勧めの観光スポットである。 MILITALY人は自己を冷静に観る姿勢が足りない。観リ足リんツアーでした。

 

ツアーの横道

 ツアーで建物を歩いている時、かなりの士官の部屋をドア越しに眺めることができた。各部屋には大きな飛行機の絵(海軍のセクションは帆船、軍艦等の船の絵)が1~2枚かかっていたのが目についた。見た部屋の総てに立派な大きな絵(私が思わず盗んでしまいたくなるほどカッコいい絵)があったのは注目に値する。部屋の雰囲気を出すには最高であるが・・・。ここの膨大な各部屋がこれと同じだとすると、これは大いなる税金の無駄遣いと思うのは貧乏人? この無駄遣いが回り回って日本の円高の遠因になってはいまいかと、要らぬ心配までさせられる。一部の秘書の部屋に、ミッキーマウスの大きなポスターが飾ってあったのには思わずニヤリである。

 元々、軍用機は殺人兵器であるが、純粋なインダストリアルデザインの視点で私は好きである。この観点での軍用機の芸術的絵画は眺めていてもあきがこない。垂涎の絵が多くあったが、ゆっくり見ていられなかったのが残念であった。これらの資料、絵画はMUSEUMとして独立させてしかるべき、価値の高いものであった。この閉鎖された建物に置くべきではないと思う。

 

 最後に、案内者の名SPC BOWDEN U.S.ARMYの入ったアンケート葉書を配付してくれたのには感心した。米国では、新聞の署名記事のように各行動に責任の所在が明確で気持ちが良い。彼の名誉のために言っておくと、米国人相手では満点の案内者でした。確かに税金も払っていない、旧敵国で現在は経済戦争の当事国の旅行者に媚を売る必要はあるまい。

 

2020-05-21 久志能幾研究所通信 1601  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年5月20日 (水)

カテゴリー追加 m-美術館・博物館巡り

 今まで、私は海外の美術館・博物館を80か所以上見学してきた。その記録を少しずつ再編集して掲載します。それの発端は、先日、保存してあったフィルムを思い切ってカメラ店でデジタル化してもらったら、当時の想い出が沸き起こってきたことにある。

 残念なことに、海外の美術館・博物館には名画はなかった。有名美術館には世の評価での名画は多かったが、私の基準に合格する名画はなかった。

 

名画とは

 私が名画とする基準は、捕まってもいいから、盗んで来たくなる絵である。しかし世界の美術館に飾ってある絵では、大きすぎ、威圧感があり過ぎる絵ばかりである。ヨーロッパの中世の絵では暗すぎて飾る気になれない。

 また盗んできても、ウサギ小屋の自宅には飾れない。まさか8畳の居間に100号の絵は飾れない。

 幸いなことに、私の基準に合致する名画が世界の美術館になかったので、捕まらなくて済んだ(?)

 

裏話

 画家も展覧会に出す絵は、100号くらいの大きなサイズの絵でないと評価されないので、そのサイズで描く。その絵が入選して、どこかの美術館が買ってくれればよいが、落選では自宅に持ち帰らねばならぬ。そんな絵が増えると、マンションの一室を借りて保管せねばならぬ。思わぬ出費である。画家業も楽ではない。

 

2020-05-20 久志能幾研究所通信 1600  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。