古田直文個展「背徳フリル」が名古屋 ホワイトキューブで開催されている。
会期 3月7日~3月17日 13:00~19:00(最終日は17時まで)
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感性
芸術家は感性が勝負である。私は、古田さんの「背徳」というネーミングに惹かれた。布を堅く縛って形を造形する。それを「背徳」という表現をした古田さんは、センスが卓越している。
よくよく古田さんの名刺を見ると、「服飾美術家」とある。ファッションも芸術の一つである。その最高峰がパリファッションショーだろう。そういう素材(布)と使い、感じたことをポップアート風やオブジェとして形にする。それも面白い芸術活動だ。
その作品の中で、ネコちゃんのオブジェは圧巻である。可愛いような怖いようなネコちゃんの目である。服飾のフリルをネコに表現したアイデアは敬服する。
下着に色を染めて、その染具合の差がオブジェとして表現したのは面白い。どんな洗脳でも、人により差が出る。それを表現したのかもしれない。芸術作品は、作家よりも、見る方がどう受け止めるかである。私はこの作品で洗脳を思いついた。
ご縁
古田さんはパリで開かれたジャパンフェスティバルに中島法晃さんと一緒に活動をされたという。私がSaganで中島法晃さんの龍を手に入れたご縁とつながって驚いた。
以前にこのホワイトキューブで、中島の作品展を見て、中島さんに興味を持ったご縁がある。ご縁はあちこちにころがっているようだ。
古田さんと話が弾んで、私の家に両親が使っていた足踏みミシンを保存してある話をすると、それは貴重だから決して捨ててはいけないという。私もそのミシンは両親の形見だから捨てる気は全くない。断捨離などしては、親の思い出と親のご恩、自分の人生記録を無くすことになる。この足踏みミシンで両親は内職をして、私を育ててくれた。芸術家と足ふみミシンの話しをするとは、奇縁である。
阿修羅像を連想した。
気配 古田直文作 White Cube蔵
両親が使っていた足ふみミシン 製造は約80年前と推定
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2024-03-15 久志能幾研究所通信 2844号 小田泰仙
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]]>龍が舞う幻想の世界、龍は「自然神社」の巫女
長野順子の銅版画展が、岐阜の画廊「いまじん」で開催されている。
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自然の恵み
その版画を見て、龍の存在を通して大自然の偉大さを改めて見直し、畏敬の念を新たにした。
花が咲く。それは龍が花を運んできてくれたのだ。龍は大自然が遣わした巫女の化身である。大自然が春夏秋冬、生老病死の世界を演奏している。その姿を長野さんは絵にした。
大人は夢物語で、子供たちに危ない場所に近寄らないようにと、河童や鬼の話をして、危ない川や夜の山、夜の森に近寄らないようにした。嘘も方便である。大人が怖い話をするが同時に夢の世界も語るので、子供はそこに幻想的な夢をみる。それを具現化した絵を、長野順子さんは銅版画で表現した。
風光る 龍が季節の花を運んでくれる
森へ行きましょう 森の精霊たちと遊ぶ
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冬の寒い朝、地中に潜んでいた精霊が地表に星屑をまき散らし、龍がそれを飾り付けをする。冬のシャンデリアである。夢見る少女には、その舞を見て、至福の時を満喫する。メルヘンの世界である。
星屑の贈り物
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大地の鼓動
地震が起きた。それも大自然が生きていて、地殻が生命活動をしている証しである。地震の被害に遭うのは、日本に住み着いた日本民族の宿命である。宇宙根源の理からは、地震は単なる自然界の一現象である。一事象には何の善悪もない。
地震の被害に遭いやすい土地や川の氾濫にあう土地に「勝手に」住み着いた人間様が悪いのだ。大昔に大地震が起き、大津波が来て、ここまで津波が襲ったという記録を先人は残してくれた。大雨で川が氾濫する土地には、龍ヶ丘とか、龍の名をいれた土地名にした。それは先人が警告として残した知恵の名である。
それを無視して、危険な場所に家を建てた後世の人が津波の被害にあった。そんなことは数百年前から分かっていたことだ。人間の愚かさは昔から変わっていない。そんな思いを抱かせてくれる長野順子さんの銅版画である。
宙の鼓動 東日本大震災をイメージして描いた 2012年
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祈り 龍は祈りの対象
西洋のドラゴンは化け物だが、東洋の龍は神さまである。
花神の旅路 自然と人間の建造物と一体化して龍は舞う
人類はバベルの塔を造っているのではないか。
その正否は龍の舞が教えてくれる。
約束 アクリル画
2024-03-06 久志能幾研究所通信 2841号 小田泰仙
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モノがない究極の部屋が監獄の独房室である。
モノがない究極の部屋が病院の霊安室である。
今、断捨離、ミニマリストが流行している。私はそれを疑問視している。モノがあり過ぎるのは問題だが、モノを捨て過ぎて、モノが無さ過ぎるのも問題である。モノには思い出が詰まっている。その思い出を捨てると、その記憶も薄れていく。モノがあるから、記憶を保持される。そしてそのモノから当時を振り返り、反省して、自分の人生の品質の向上が出来る。
夫婦でも、親子でも共通の記憶があるから、夫婦であり、親子である。記憶を無くした相手とは、話が合わない。記憶喪失になった肉親は、家族とは思えない。姿かたちは確かに肉親だが、行動は全くの異星人になっている。
自分を買う
モノを買う、モノを保管する、それは自分を買い、自分の歴史を創っているのだ。モノには自分の人生史が詰まっている。
動物はモノを溜め込まない。動物はモノに興味がない。動物が執着があるのは、食いものだけである。高度な精神性があるヒトのみが、モノを残す習性をもつ。
蒸留水
私は家の中に何もないミニマリストと付き合いたいとは思わない。ミニマリストの目的は、カネを使わないことのようだ。そんな人間は、薄っぺらな人間だと思ってしまう。そんな人といると、まるで無菌室のクリーンルームに放り込まれたような感じで、心が休まらない。まるで蒸留水を飲まされているようなものだ。蒸留水など飲めたものではない。蒸留水は自分の大事な要素まで吸収されてしまい、病気になる。ミネラルの豊富な人間味あふれた人と付き合おう。
蒸留水を飲み続けると、人体が持つミネラルやその他の成分を溶かして排出させてしまう。それが原因で、カルシウムや鉄などの必須栄養素であるミネラル類が不足して、免疫力を低下させる危険性がある。
5Sと文化
ミニマリストになれというのは、単に5S(整理整頓清潔清掃)が出来ていないだけである。5Sが出来れば、モノがあってもゴミ屋敷になることはない。
家の中に文化の香りのない場所は、野蛮な場所である。文化の反対語は野蛮である。家に絵の一枚も飾っていないミニマリストは野蛮人である。文化人なら好きな絵を飾っている。それでその人に文化度が分かる。「文化」の英語は「「culture」であるが、その語源は「耕す」である。心を耕さない人は、野蛮人の脳である。
私は心を耕そうと、あちこちの美術館、画廊を訪れて、目と心を耕している。それが心と共鳴すると、その絵をつい買ってしまう。そしてモノが増えるのだ。ミニマリストの反対の極致である。その絵を買うとは、その芸術家を応援することだ。それが文化活動への参加だと思う。フィレンツェで花開いたルネッサンスは、銀行家メジッチ家の支援があって、芸術の花が開いた。芸術にはお金がかかるのだ。それで一銭の儲けにもならない。無駄をすることが、芸術で心の耕作である。ミニマリストには理解不能の境地である。
人の精神が昇華すると、祈りとなる。芸術家は、芸術の神様に祈りを捧げる。動物は決して祈りはしない。ミニマリストはそういう境界には無感心であろう。
2024-03-05 久志能幾研究所通信 2840号 小田泰仙
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玲愛さんの一連の幼年期の思い出は、連詩で詠い、絵が奏でるように流れていく。まるで絵巻物のような感じである。
「星の寝所」は「ふるさと」
「幸せの予感」と「やわらかさ」を連想させる「CANDY」だ
「ありがとう」
「記憶の陰影」に「花火」は「魔法の入れ物」
「友達」と「オルゴール」の「気配」
下図の絵のキャプチャーは、上記の詩の並びである。
上段の左から右へ、下段の左から右へ
上段 「星の寝所」、「ふるさと」、「幸せの予感」、「やわらかさ」、「CADDY」、「ありがとう」
下段 「記憶の陰影」、「花火」、「魔法の入れ物」、「友達」、「オルゴール」、「気配」
上側 「星の寝所」、「ふるさと」
下側 「記憶の陰影」に「花火」
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「玲愛 作品展 childhood」開催中。in 川原町 Gallery Sagan、2月27日まで
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2024-02-26 久志能幾研究所通信 2835号 小田泰仙
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]]>最初に言葉ありき
《新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から》創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。 言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在するという意味である。
聖書の言葉にあるように、絵を描くにも、最初のイメージを言葉で表して、それを具現化する。その言葉の想像力も画家の大きな才能であると思う。詩を詠う、そこから絵を生む出す。その流れで作品を生み出すのは、画家にとって必要な才能だ。
玲愛さんの名付けるキャプチャーは、夢の世界に誘う。詩を詠うと同じである。彼女はその詩からイメージを膨らまして絵を描く。キャプチャーは、絵の命なのだ。
玲愛さんは俳句も詩の朗読も好きで、それで言葉を磨く修練をしているようだ。それが絵のキャプチャーに現れている。並みの画家の付けるキャプチャーとは少し世界が違う。キャプチャーも絵の一部である。
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「玲愛 作品展 childhood」開催中。in 川原町 Gallery Sagan、2月27日まで
抱きしめる木
春の酩酊 アクリル 455×970 mm
まだ夢をみられますか
アガパンサス族(南アメリカ産) 花言葉は「愛」、「恋愛」
優しくあるために アガパンサス族(南アメリカ産)
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2024-02-26 久志能幾研究所通信 2834号 小田泰仙
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Saganで購入した中島法晃さんの龍の絵は、キャンパスに画かれた裸の状態であった。そのままではゴキブリに喰われる恐れがあった。ゴキブリは日本画の素材が大好物である。油断すると、画材が喰われてしまう。龍の画の一部が喰われれば、その芸術的価値が台無しとなる。
山路徹先生の助言で絵を特製のガラスケースに入れた。特製のガラスケースの製作は山路徹先生にお願いした。娘のような大事な「龍」の命を守りたいという親心からの対処である。
ガラスケース内「 箱入り龍?」に変身
大事なお宝の娘です。虫に食われてはなりません。
「箱入り龍」になる前の「自由奔放な龍」
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脚下照顧
理想に燃えて驀進して、天に駆け上がるのが昇龍である。しかしゴキブリみたいな雑事に足を取られて、天に昇る前に、墜落してしまう場合もある。それは雑事を疎かにしたためだ。危機管理が出来ていなかったためだ。まず足元を固めてから飛び立とう。脚下照顧でいこう。
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基礎大事
家を建てるのも同じだ。大邸宅を建てても基礎、土台に手抜きがあると、地震で倒れてしまう。
自分自身も人間性という基礎部がしっかりしていないと、少しの事件で鬱になってしまう。病気になってしまう。エリートと呼ばれる人たちは挫折を知らないから、少しの躓きで、全てを失ってしまう。雑草の逞しさが必要だ。命は基礎体力がベースだ。
命大事
自分の免疫力が不十分だと、コロナや癌になってしまう。日頃ゴキブリのような雑菌に慣れていないと、免疫機能が育たない。今の社会は抗菌をやり過ぎて、免疫機能を弱くしている。
万全の準備で受験勉強をしたのに、健康管理が不十分で、試験当日に風邪を引いて、実力が出せなかったのは、風邪への危機管理がなかったのだ。命の保全が不完全なのだ。
天才薄命
天才と噂の高かった芸術家が、若くして夭逝したり、自殺をする事例が多い。その天才が健康に気を配らなかったのが最大の原因だ。健康とは体と心の健やかさをいう。芸術の才能よりも命が大事なのだ。天才こそ心の健やかさを大切にせねばならぬ。
無敵のゼロ戦
第二次世界大戦の初期、世界最強の戦闘機ゼロ戦は、無敵で昇龍のような勢いがあった。しかし、ゼロ戦の防備の弱さを米軍に知られ、昇龍のような強さが、失墜した。日本軍がパイロットの命を軽視した防御構造の弱さをゴキブリは見逃さなかった。戦いでは、パイロットの命の保護を最優先にすべきなのだ。
戦う為、万全を期したつもりでも、たった一つの不備が、身内に巣くうゴキブリとなり命を奪う。まず命を守る、それが最優先だ。そのために死んでもいいから、健康管理である。
スミソニアン航空宇宙博物館 で展示されているゼロ戦
1997年8月 著者撮影
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2024-02-10 久志能幾研究所通信 2824号 小田泰仙
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先日、Saganで入手した中島法晃さんの「龍」の画を壁に飾っていたら、その壁の下にゴキブリの死骸が転がっていたのが発見した。それを山路先生が見て、「このままでは、日本画の龍がゴキブリに喰われてしまう」と警告された。要は絵が虫食い状態になる恐れである。ゴキブリは日本画の素材が好物とのこと。それで、保護のため龍の絵をガラスケースに入れることになった。
出来上がったケースは、まるで「箱入り龍」(箱入り娘?)で少し窮屈のようになってしまったが、致し方ない。今後、展示方法はケースを含め、考え直したい。ゴキブリに大事な絵を喰われるよりは、対策が先である。
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画竜点睛を欠く
それで、画龍油虫、画竜点睛を欠く、日本政府の巨大地震対策の不備に考えが及んだ。要は日本は、経済発展ばかりに力を入れて、守りの防災を疎かにしてきた。今のゴキブリ国会議員は利権と裏金が大好きで、それを貪るのに夢中になって、防災を放置した。能登半島地震の惨状が、それを示している。
「箱入り龍」になる前の「自由奔放な龍」
箱入り龍?に変身 大事な箱入り娘です。
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砂上の楼閣
日本経済は落ちぶれたと言われるが、中国のGDP統計水増し発表のウソもあり、ドイツ経済もまやかしがあり、日本はいまだ世界第二位の経済大国である。
しかしそれは砂上の楼閣である。100年毎に一度起きている南海トラフ巨大地震が迫っており、それが起これば、砂上の楼閣はひとたまりもない。その被害規模は、東日本大震災の10倍と予想される。
南海トラフ巨大地震で220兆円の損害、死者は32万人が出ることが予想される。そのために100兆円規模の防災対策が必要だ。それでその4割は減災できる。やるかやらないか、だけの問題である。
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防災予算の減額
ところが、日本の防災予算は平成26年(2014)をピークに減少を辿り、8年後の令和4年には平成26年の半分になり、昭和53年(1978)と同じレベルである。つまり45年前の水準まで下落している。
南海トラフ巨大地震が迫っているのに、日本政府の予算組みは狂気の沙汰である。極楽とんぼの極み、ゴキブリ跋扈の有様である。要は、役人や政治家のゴキブリが防災予算をかじってしまったのだ。役人や政治家のゴキブリは、龍の画をかじるゴキブリのように、大事な防災予算を喰っているのだ。
令和4年版 防災白書|附属資料33 年度別防災関係予算額 : 防災情報のページ - 内閣府 (bousai.go.jp)
今度は戦争だ
過去の太平洋戦争で320万人の日本人が亡くなった。その人災を思えば、南海トラフ巨大地震の準備にカネをかけて準備はできる。
太平洋戦争(日中戦争を含む)の名目上の戦費総額は約7600億円。 日中戦争開戦時のGDPは228億円で、戦費総額のGDP比率を計算すると、33倍になる。国家予算に対する比率では280倍となる。
南海トラフ巨大地震の来襲は、日本有史以来の大戦争である。今までは、こんなにも各地に都市が発達していなかった。だから過去の巨大地震での被害規模は日本経済規模に比べれば小さかった。今はその砂上の楼閣といえる都市の規模が多数で、巨大になっている。その対策に、国家予算と同額の100兆円レベルの投資が必要だ。10年計画で、毎年10兆円を投入するだけだ。
誤ったコロナ対策で300兆円を無駄遣いした岸田政権である。その気になれば100兆円の捻出は、容易である。早く岸田政権の終わりを望むだけである。有言実行の指導者を期待したい。
それを阻害するのは、パーティー券での裏金で蠢く利権優先の国賊議員たちである。無為無策の岸田政権である。ゴキブリやがん細胞のような議員を排除しないと、日本の未来は暗い。国民がしっかりと目を開いて国賊議員を選挙で排除することだ。
私は、日本国を看取りたくはない。
2024-01-30 久志能幾研究所通信 2813号 小田泰仙
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平田晴之介 「Landscape」展
岐阜市川原町 Gallery Sagan
2024年1月12日~1月30日 11:00~17:00
定休 水・木
世間に迎合して、売れる作品を作成するのは、芸術活動ではないようだ。そういう点で平田さんの作品は芸術作品である。確かに何か惹かれるものがある。
作品を作る理由
「なぜこういう芸術作品を作るのか?」と私は作家にいつもの質問をする。しかし、いつもの「作りたいから作る。伝えたいメッセージはない」と困った回答がほとんどである。多くの芸術家の回答は、「画きたいから画いた」である。芸術家は息を吐くように作品を作る。政治家は息を吐くように嘘をつく。それに比べれば、真摯に本音を語ってくれる芸術家と話し合うのは楽しい。
作家の平田晴之介さん
平田晴之介 略歴
1993年生まれ
2021年 桑沢デザイン研究所卒業後
東京にてフリーのグラフィックデザイナーとして活動
東京TDC入選
タイポグラフィ年鑑入選等
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製作工程
平田さんの作品は、デジタル作品でありながら、デジタル複製を許さない。一点一点サインをして一点ものである。色の変更やオリジナルの写真の形状の変更はしない。
デザインを加えるのは、写真のピクセルの形状だけを変更するという。そのやり方の説明を受けたが、私にはよくわからなかった。次回お会いした時、詳しく聴く予定である。
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製作過程
オリジナル画像
一次加工後
完成後 部分
完成後 部分
完成画像
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芸術品とは
芸術家には何かを他人に伝えたいという意思はないようだ。ピカソの「ゲルニカ」は芸術ではないという話しを聞いた。「ゲルニカ」は、ピカソが戦争の悲惨さを多くに人に伝えたいという啓蒙・宣伝画である。だから芸術作品ではないという説である。
芸術家はそんな俗世間?の下世話?な軋轢を離れて、ただ芸術家が感じたことを表現した「現象」のようだ。
それを「何の目的で画いたの?」という俗物からの質問には芸術家は答えられないのが現実のようだ。「なぜ山に登る?」、「そこに山があるから」との禅問答のようだ。
芸術はただ見て楽しめばよいようだ。裸婦の絵画でも、目的はなく、ただ美しい姿を残したい、それと同じようだ。
真の芸術家・ゴッホ
ゴッホは絵を売るために絵を描かなかった。描きたい絵を描いた。ゴッホの絵は、時代が変わってから世間の価値観が変わり、やっと大衆に受け入れられた。カネに目ざとい画商によって値段は異常に吊り上げられた。今でも私はゴッホの絵の良さが分からない。カネを積まれれば家に飾ってもいいが、カネを出してまでして家に飾りたくない。幸い、庶民が買える値段ではないので、買おうとも思わない。またゴッホの絵は和室の私の居間には合わない。それが名画かどうかは別の価値観である。俗物の私は、「ゴッホの絵は(私には)名画ではない」と言うしかない。
小休止
Sagan の喫茶室で見つけた素敵な猫
「手紙を届ける猫」
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2024-01-22 久志能幾研究所通信 2807号 小田泰仙
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南海トラフ巨大地震が襲来して、家が倒壊し、家族を失い、無一文になっても、命さえあり、そこから立ち上がる気力があればよい。それが心身の復元力・耐震力・剛性力である。
天は自ら助くる者を助く。
Heaven helps those who help themselves.
トヨタ生産システム式に言えば、自工程完結である。
人間社会で生み出したものは、人間社会で解決できる。日本列島に住む以上は、天災を考えて、家の耐震化や都市の防御システムを考えねばならぬ。残念ながら、現在、それが不十分である。でも今から準備すればよい。気づいた時が改革を始める時だ。何事も遅すぎることはない。
忍法踏み倒し
人生でどんな激震に出会っても、心身の耐震力が高ければ、また立ち上がれる。どうせ裸で生まれて裸で死んでいく身である。
失うものは、この世の夢幻の作り物である。
色即是空、空即是色
どれだけ借金を背負っても、命までは取られない。一億円の借金もあの世では空手形である。忍法踏み倒しで、この世をたくましく生きよう。そういうノー天気力が高コンプライアンス体質である。
大震災に向けて貯めるべきは、どんな状況でも生きていく気力体力、焼け野原で生きていく生命力である。太平洋戦争の敗戦後、日本は焼け野原から奇跡の復興を成し遂げたではないか。そのたくましい精神を思い出そう。
過去2000年間のスケールで考えれば、日本人として日本列島に住めば、100年毎に南海トラフ巨大地震に遭うのは定期災害である。ご先祖はそれに耐えて、何度も立ち上ってきた。現代人の我々が耐えれないはずがない。
ただ今の現代人は虚空のシガラミを持ち過ぎている。巨大地震が定期的に襲ってくることを忘れて、砂上の楼閣の財産を作り上げすぎた。先人がここまで津波が来た、という痕跡を残したのに、それを超えて住宅地を作ってしまった。子孫は、先人の戒めを忘れていた。遅くても、それに気が付けば、対策が打てる。そうすれば耐震力が上がる。
太平洋戦争と比較
南海トラフ巨大地震で220兆円の損害、死者は32万人がでることが予想される。そのために100兆円を防災にかければ、その4割は減災できる。やるかやらないかだけである。やってくれる政治家に投票しよう。
過去の太平洋戦争で320万人の日本人が亡くなった。その人災をおもえば、南海トラフ巨大地震の準備にカネをかけて準備はできる。
太平洋戦争(日中戦争を含む)の名目上の戦費総額は約7600億円。 日中戦争開戦時のGDPは228億円で、戦費総額のGDP比率を計算すると、33倍になる。国家予算に対する比率では280倍となる。
南海トラフ巨大地震は大戦争である。その対策に、国家予算と同額の100兆円をかけてもおかしくない。10年計画で、毎年10兆円を投入するだけだ。
2024年度の防衛予算は、6兆7880億円である。それからすれば10兆円を捻出するのは難しい話ではない。
それを阻害するのは、パーティー券での裏金で蠢く売国奴議員たちである。がん細胞のような議員を排除しないと、対策が打てない。国民がしっかりと目を開いて売国奴を選挙で排除することだ。
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昇龍の心
世の中の激震やトラブルに対して、超越した姿が昇龍である。そんな地獄の域を抜け出し、昇天すればよいのだ。どんなに被災しても、心が龍であれば、極楽である。日本で起きる災害は、宇宙根源の理に従って起きることで、アウシュビッツやシベリア抑留のような人間が起こす地獄絵ではないのだ。起こることが確実視されている自然災害を軽視して、それに備えなかったら、鉄槌が下される。
昇龍 樋口ナオミ 画 Saganにて
中島法晃 画 「楽園」(下側)と「現象」(上側) Saganにて
中島法晃 画 「現象」部分
中島法晃 画 「楽園」部分
コンプライアンス
コンプライアンスとは機械工学用語で、ばね定数の逆数を指す数値である。コンプライアンス値が高いとは、バネが力を受けてもたわみが少ないことを現す。つまり剛性の高さを言う。
コンプライアンス=1÷【ばね定数】
船で言えば、横波を受けて傾いても復元する力である。コンプライアンス値が小さいと沈没してしまう。
パワーステアリングで言えば、小さな石ころを踏んでも、ハンドルを取られず真っすぐ走れる能力である。パワーステアリングは、曲がるのは簡単だが、真っ直ぐに走るように設計するのが難しい。人生も同じで、曲がるのは簡単だ。一事一心一本道で真っ直ぐに走るのが難しい。
要は、コンプライアンスとは、外から力を受けても動かない程度を現す。法律用語でコンプライアンスとは順法精神のことで、下世話に言えば、賄賂をもらっても動かない程度を現す。100万円の賄賂で違法行為を許せば、その人のコンプライアンスは100万円である。
人のコンプライアンスとは、人生で色んな逆境や賄賂の力を受けても、それに耐えれれば、それがその人のコンプライアンス(耐震能力)は高いと言える。
久志能幾研究所通信 人生のコンプライアンス値
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心身の耐震力向上策
宇宙根源の理に従う
過去2000年間、100年に一度、南海トラフ大地震が起きているのだから、それに備えるのが心の耐震力の向上である。
笑顔でやりすごす
笑顔こそ、耐震力の現れである。
笑う門に、龍風が来る。
健康管理
死んでもいいから、健康を目指す。健康でないと、逆境に耐えられない。
そのために免疫力向上を心がける。健康なら、どんな逆境でも乗り越えられる。
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報恩感謝
どんな辛いことも、前工程は神様、後工程はお客様と考えればよい。神仏から与えられた課題が仕事である。そこから付加価値を生み出すのが自分の責任である。トヨタ生産システムの考えである。
頭を低く
エリートは頭が高い。頭でっかちで、頭が高いと逆境に弱い。人間は裸で生まれて、裸で死んでいく。そう達観すれば、何も怖くない。
家の屋根に重たい太陽光パネルを載せると、地震の際、倒壊の恐れが出る。それと同じである。
転ぶ練習をする
自転車が早く上手くなる秘訣は、沢山転ぶこと。それは転んで立ち上がる練習である。辛い目や失敗を多く経験して心を柔らかく(柔軟に)しておく。失敗を経験として捉える。失敗を試行錯誤の一つとして捉える。そうすれば失敗が苦でなくなる。失敗して泣いた数だけ、心のコンプライアンス値が高くなったと思う事
転んでもよい、泣いてもよい、感情に揺さぶられてもよい。大きく振れて、元に戻ればよい。もとに戻る力が耐震力だ。戻らないと、そのまま鬱病になって人生が終わってしまう。それの耐力の大きさがコンプライアンス値であらわされる。
ヴァーサ号
スウェーデン海軍のヴァーサ号はグスタフ2世アドルフの命によって1626年起工された当時世界最大の戦艦である。ヴァーサ号は、高さ52m、長さ69m、重量1200トン、10枚もの帆を掲げる3本のマストの戦艦であった。64の大砲が装備されてた重量級の戦艦である。
ヴァーサ号は処女航海に出て1300mほど走行して、横風に煽られ、バランスを崩し、湾内で沈没した。戦わずして沈んだので、平和を愛するスウェーデンを象徴する戦艦である。
沈没原因は、頭でっかちの船体構造にあった。要は船のコンプライアンス値が低かったのだ。まるで頭でっかちのエリートが社会で失敗するのと同じ構図である。
私は1985年、このヴァーサ号博物館を訪れ、多くのことを学んだ。
写真は、WASA 公式ガイドブックより引用
2024-01-13 久志能幾研究所通信 2805号 小田泰仙
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高い位置、高い精神状態でないと見えない世界がある。小さな子供が見る世界と、大人が見る世界は違う。小さな子供(小人(ことな))が見る現象は表面的なことだけである。それに対して大人が見る世界は全く異なる。大人はその現象の向う側にダイヤモンド(智慧・知恵)を発見する。
「観」という漢字の成り立ちは、コウノトリから見る目である。
人間より、鳥よりも高く昇る龍が見る世界は、次元が違う。昇龍は高観を持って、この世の真実を俯瞰する。
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「観/觀」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.jp)
https://okjiten.jp/kanji643.html
龍の目
ある時、アインシュタインはエリザベス女王に問うた。「もしこの崖から飛び降りたら、どうなるでしょうか」と。エリザベス女王は、そんなことをすれば死んでしまうと思ったが、アインシュタインは、生死には眼中になく、純粋に物理学だけを考えていた。墜落時には無重力状態になる。彼はその状態を知りたかったのだ。彼に思考は龍になった。天才の思考は、凡人では思いつかない。常人よりも高い精神性で物事を考える。それが龍である。そしてアインシュタインは相対性原理を発見してノーベル賞を取った。龍がダイヤモンドを手にしたのだ。
地獄であった強制収容生活が、実は極楽に行くための修行であったことを発見するのが昇龍である。まるでアウシュビッツから生還したフランクルの心境である。かれはこの試練が人生で何か意味があると信じて強制収容所生活をすごした。
昇龍がガンの発症で見るのは、ガンという「病」の事象ではなく、ガンを発症させた自分の「気」であり、ガンになった真因である。多くの人は「病」だけに目を囚われる。龍の眼で見なければ、「気」は見えない。がんを突然の災難と考え、「なんで私だけが」と嘆き、治療は医者任せ、世を儚み、家に閉じこもって、ますます病状を悪化させる。昇龍の眼で、がんになった真因を探し、それの対策を打つ。それが高観での治療である。
何でも元を絶たなきゃダメなのよ。なぜガンになった?
なぜ何故を5回繰り返して、真因を探し、がんと向き合おう。それがトヨタ生産システムの考え方である。
ガンは、自分生産工場が、間違った生産工程で生み出した不良品である。ガンの再発防止は、その間違いを正せばよいだけ。
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昇龍 樋口ナオミ 画 Saganにて
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中島法晃 画 「楽園」(下側)と「現象」(上側) Saganにて
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2024-01-16 久志能幾研究所通信 2804号 小田泰仙
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