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2020年6月 4日 (木)

観察記:スミソニアン航空宇宙博物館と大垣市狂走(1/2)

冷酷な技術展示

 1984年8月13日、スミソニアン航空宇宙博物館を見学した。ここは大人も子供も興奮の大人のビックリ箱(大人のオモチャと言うと語弊がある?)。26のテーマブースに分かれた部屋は、飛行機、宇宙船の夢の世界である。飛行機マニアの私は、どこから見ていいのか目ウチュウりして、困るほど。

 各ブースでは各テーマのビデオ画面が10~20程あり、エンドレスに上映されている。この建物の全ビデオ数は200~400はあると推定される。まともに見入ったいたら日本に帰れなくなるほど。ここは1回来ただけではとても、スミソーニぁないほど量・質が高い。(初稿 1994年8月)

 

B29エノラゲイ号  RESTORATION OF THE ENORA GAY

 26の部屋に分かれたテーマブースの一つが、第2次世界大戦の戦闘機、爆撃機である。ここの入口のビデオコーナが、広島に原爆を投下したB29エノラゲイ号の記録であるのはこの大戦の象徴である。

 その内容は、原爆投下までの記録、被災者の治療中の映像、広島市街、被爆後の広島ドーム、階段に写った死者の影等の映像が淡々と映し出して、単に記録の映像に徹しているので不気味である。特に原爆投下直後の機上からの映像で、画面が爆発の衝撃で大きく揺れるのは無言で不気味な迫力がある。

 あと後半に現在、8000時間をかけて、展示の準備復元中の映像があった。この入り口の展示に多少のアメリカの特別なる配慮を感じた。結構多くの人が足を止めて見入っていた。

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    図⒌10   B29エノラゲイ号のビデオ 

 

後日談

 帰国後に見た1994年9月2日付、日本経済新聞紙面で、このエノラゲイ号の展示をめぐってもめている話が掲載されていた。来年にこの博物館での特別展示「最終章 原爆と第2次世界大戦の終わり」のテーマブースにこの機を展示する計画だが、その内容が日本側の戦災にだけ焦点をあて、バランスを欠くとの抗議が米退役軍人や議会からのクレームが来て一騒動を起こしていた。歴史としての冷静な観点で展示したい博物館側と自分の不利益に直結するのを嫌がる軍政界人との衝突である。米国内でもこの話は統一がされていない。

 非戦闘員を対象にした原爆投下が犯罪なのは説明するのもけがわらしい。当時日本国内で終戦工作のためソ連に働きかけている動向が米国に筒抜けで、敗戦必至の日本に原爆を投下したのはソ連への牽制であったのは現代史に係わる人には常識の話である。50年経っても真理の分からない軍人は世界のお荷物である。人間の生死に係わる歴史にたずさわる以上は軍人・政治家は後世の批判を仰がねばならないし、自己弁護は許されないと思う。後世に伝えうるのは事実だけだ。その厳しさを、米国のボンクラ共はちっともワカッチャーいない。米国が世界の指導者の立場で、今一番求められるのは謙虚さである。ちなみに、この機は1984年から35,000時間と百万ドルの費用をかけて修復されているそうだ。

 

零戦

 第2次世界大戦の戦闘機、爆撃機のブースに入ってすぐの頭上に零戦52型が宙に浮かぶ形で展示してある。中二階に上がると目の前に零戦が「飛んで」いる。ここにあるメーサーシュミットM109、ムスタングP51 、スピットファイア、B26等に比べて破格の展示処遇である。これを零戦の技術の高さへの敬意と、私は理解して嬉しくなった。展示の機体はかなり程度の良いものである。

 しかし、防備の貧弱な零戦は、終戦近くには米軍機の恰好の餌食にされた。脚を上げて展示してあるこの零戦は、その点で足をすくわれたことを象徴していると見るのは、皮肉好きな私の考え過ぎかしら?

 技術者の目で零戦を見ると、いつも極限設計の意味を考えさせられる。零戦は極限までの限界設計をして、当時としては最高の性能を誇った機体であるが、その限界設計がその後の発展に大きな制約になったことは考えさせられる。零戦出現後に米国で開発された機体は全て「おおらかな」設計(余裕のある設計)をしている。逆にこの事がエンジン乗せ替え等の性能向上の改造設計にどれだけ貢献したかわからない。極限設計した零戦はあまり後の設計変更が効かなかった。極限設計には「余裕」がない。

 そのことは機械設計だけでなく、人生すべてに言える事だと思う。なにごとも余裕がないとその後の進歩は知れたもの。無駄のない張り詰めた設計には美しさがあるが、日々の技術革新が求められる世界では、その緊張は永くは続かない。人生の真理だろう。

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    図⒌11   零戦52型

  二階に上がると目前に飛ぶように浮かんでいる

 

アポロ11号の母船

 この宇宙船が1Fのメインブースに展示されている。この宇宙船の外側や脚は熱反射用の銀紙、金紙で覆われているので、まるでオモチャのように見える。これを見ると、アボロ11号の偉業も、米国のどこかの砂漠で模擬演習したのを、あたかも月に行ってきたように見せた嘘のショーだと言う説が、もっともらしく見えるからおかしい。

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    図⒌12 アポロ11号の母船

  

飛行機用コンピュータ

 航空機用の1958年開発のIBMのコンピュータのメモリーは、たった4Kバイトで、2,400 ㎏の図体である。知識として知っていても、実物を見ると感慨にふけさせられる。ENIACの例もあるが、あれは大きすぎて実感として分かりづらい。航空機の発達はコンピュータの発達と歩調を合わせて進んできた。それの進歩の激しさを各コンピュータボードの展示で見せるので興味深い。ジェミニの小さな宇宙船の中で、大きなスペースを占めるコンピュータボードを小さくするのが如何に重要なテーマだったかが理解できる。

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    図⒌13  4Kバイトのメモリー

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    図⒌14  ジェミニとアポロのコンピュータボードの比較

 

2020-06-04 久志能幾研究所通信 1618  小田泰仙

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