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2020年6月27日 (土)

名古屋ボストン美術館は、怨念と祟りで潰れた(2/2)

 1999年に開館した名古屋ボストン美術館は、日本人の拝金主義に侵された情けなさを嘆かれた仏様が、明治維新150年後の年忌2018年に潰した、と私は考えている。アメリカに不当に拉致された仏像などの悲しみからの怨念が名古屋ボストン美術館には満ちていた。

 日本社会は今、金儲けに目が眩んで、精神が病み、社会全体が狂ってしまった。それに覚ませ、と仏様が罰を与えたのが、名古屋ボストン美術館の「取り潰し」ではないか。

 

150年後の不平等条約締結

 1991年11月、名古屋商工会議所が「名古屋ボストン美術館設立準備委員会」(委員長:加藤隆一名古屋商工会議所会頭)設置を決めた。1995年8月、美術館を運営する名古屋国際芸術文化交流財団の設立発起人会が開催された。それを受けて、名古屋ボストン美術館は建設され、1999年から2018年まで開館した。名古屋ボストン美術館がアメリカに20年間で5千万ドル(約500億円)を寄付する条件で、ボストン美術館と20年間の契約がされた。要は、年間25億円の金を20年間に亘りアメリカに貢がされる不平等契約であった。

 

凶相の家相

 私は名古屋ボストン美術館の建屋を見て、直ぐ日本長期信用銀行の本社ビルを思い出した。この長期信用銀行は、バブル崩壊後の不況で1998年10月に経営破綻した。山一證券や北海道拓殖銀行と並んで平成不況を象徴する大型倒産である。経営破綻後は一時国有化を経て、新生銀行に改称した。

 この長期信用銀行の本社ビルの正面の形が凶相の顔を持ったビルであった。その形態は、上の階の部分が前に張り出し、下がない形態である。それが1999年に開館した名古屋ボストン美術館の正面と同じであったのだ。そのため私は、当初から不吉な印象を私は持っていた。名古屋ボストン美術館は、最初から呪われていたとしか思えない。

 私は人相に興味があり、人の顔を観察している。同じようにビルの顔も、その会社の運命を左右すると考えている。

Photo

旧・日本長期信用銀行本店 Wikipeidaより 

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  旧・名古屋ボストン美術館   2020年6月24日、著者撮影

 

潰れるべくして潰れた運営形態

 名古屋ボストン美術館は、企画展だけで美術品の所蔵をもたない不自然な形の美術館として出発した。名古屋ボストン美術館では、展示も他の美術館の作品を並列して展示はできないという不自由な制限も課せられた。

 そのため名古屋ボストン美術館は慢性的な赤字が続き、その結果、開館10年にして中部財界が拠出した設立・運営資金75億円は底を尽き、アメリカ側へ後半10年間で支払う寄付金37億円が残った。そのため2002年には研究部門の学芸部を廃止せざるをえなかった。美術館が学芸部を廃止するとは、企業で企画部、研究開発部を廃止すると同じである。それは単なる場所貸しだけの施設に没落したのだ。結局、設立資金が底をつき、2018年に閉館となった。

 

潰れた真因

 名古屋ボストン美術館が、結んだ契約は、江戸末期、日本が外国から不平等条約を結ばされたと同じ状況である。それは当時の日本に政治力、軍事力、経済力、文化力がなかったのだ。やり方が、今の名古屋の文化の不毛さを象徴している。中部財界は、金儲けだけは上手いが、芸術家、芸術を理解しているわけではないようだ。

 1999年当時の日本は、1991年にバルブが弾けて、日本の各界の力が凋落していった時期である。同時期の作られたトヨタ博物館は、トヨタ自動車創立50周年記念事業の一環として、1989年(平成元年)4月に開館した。会社が文化を作るために美術館、博物館を建てるなら、本業とは違う形で、文化を担う美術館、博物館を作るのが本筋である。それを自動車会社が、自動車サマサマの自動車博物館を建てるのは、餓鬼のレベルの考えである。世間では、下品なやり方と陰で笑われた博物館であった。そんな精神レベルの中部財界が肝いりで作った名古屋ボストン美術館が上手くいくわけがなかった。

 

魂の怨念

 美術品には作者の魂が籠っている。国宝相当の一つの美術品には、相応の命が籠っている。それも仏像には特別の魂が宿っている。その仏像が明治初期、粗末に扱われて海外に売り飛ばされた。

 それから150年が経ち、日本にボストン美術館の姉妹美術館ができるというので、仏像を筆頭に美術品たちの霊魂は、里帰りができると喜んだはずだ。ところが、ボストン美術館と締結された契約は、酷い差別契約で、日本に安心して帰国永住できるわけではなかった。美術品が日本に帰国しても、企画展で金を稼ぐためにこき使われて、企画展が終われば元のボストンに連れ戻された。その美術品の霊魂の悲しみと怒りはどれほどか。

 

仏師の入魂

 仏像には仏師の魂が籠っている。それの本音を松本明慶大仏師は、松本明慶先生は、(技のレベルを上げるため、ミケランジェロが第二の師匠になるかもしれないが「それを学べるなら命に代えてもいい。絶対に無駄にはしません」とまで言いきる(NHKBSプレミアム 松本明慶ミケランジェロの街で仏を刻む『旅のチカラ』2013年)。

 大佛の寿命は千年、人の寿命はせいぜい百年である。それゆえ千年の間、人の評価に耐える大佛を作るために、佛師は命をかけて刀を入れる。人生の中で、一番多くの時間を費やすのが仕事である。人生において、仏師は仏像彫りに命を賭ける。仕事は生活の糧を得る手段だけではない。「佛像とは何か」を50年間余考えながら彫り続け、千年後まで残る作品を手がけている松本明慶先生の言葉には重みと凄みがある。

 下記はNHKハイビジョン「仏心大器」での松本明慶先生の言葉

「佛像は人の喜怒哀楽の心を受け止めてくれる器である。大仏は人の心を受け止めてくれる大きな器である」

「佛師は美しい佛像を作る責務がある」

「人の寿命は80年、佛像(大佛)の寿命は1000年」

 

祟り

 そういう仏師の魂が込められた仏像たちの怨念と祟りのせいで、ボストン美術館との契約期間の20年間、最初の年以外は、美術館経営は赤字であった。だから名古屋ボストン美術館は佛様から、「日本人ヨ、目を覚ませ」との啓示で、潰されたのだと思う。

 

やるべき仕事

 単なるアメリカから美術品を借りるだけの美術館を企画するのは経済大国として愚策である。一点でも金を出して買い戻す取り組みをなぜしないのか。美術館として蔵品が一つの無い美術館なんて、また学芸部がない美術館など、聞いたことがない。だから名古屋は芸術の不毛地帯と言われるのだ。

 

美術館経営の覚悟

 美術館経営として単独で採算を取るには、よほど有名でないと無理のようだ。名古屋ボストン美術館の運営でそれが明らかになった。日本自体が裕福でなくなり、観客もそんなには入場料を出してまで、来ないようだ。文化芸術活動には、税金を投入して、文化を維持するしかないようだ。美術館経営がうまく行くかどうかは、その国の裕福さの証明である。その点で、日本経済は落第である。文化に金を出すという伝統がない。そのため日本経済の立て直しが必用だ。

 美術館を建てるとは、文化の柱を建てることだ。金がかかって当然である。それだけの覚悟がない貧乏都市では、やってはいけないのだ。金があっても心が貧乏では、貧乏都市である。美術館運営で赤字でもそれを受け入れて、社会奉仕、文化の下済みとしてやっていく覚悟がないと、続かない。日本では、政治家も、それでは票にならなないので、力を入れない。それが今の日本の惨状だ。

 

2020-06-27 久志能幾研究所通信 1646 小田泰仙

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