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2020年6月26日 (金)

名古屋ボストン美術館は、怨念と祟りで潰れた(1/2)

 1994年8月7日、米国ボストン市にあるボストン美術館を見学した。米国の京都と言えるボストン市にあるこの美術館は、この都市の雰囲気を反映して知的で上品な美術館である。内部で、写真を撮る人もほとんどいない。その点でも珍しい美術館で、客層がお上りさんの少ない、通向けの美術館と言える。東洋美術、特に日本美術の収集で有名で、日本の若いギャルが集団で見にきており、日本も豊かになったものだと(1994年当時)、変なところで実感させられる。

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  ボストンの住宅地 1994年8月7日 著者撮影

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 ボストン美術館のエントランス 1994年8月7日 著者撮影

 

日本庭園

 美術館の外側に京都の中根金作氏の設計による日本庭園・天心園まで作ってあり、日本美術、東洋美術への思い入れは世界一だ。ただし日本庭園の背景風景が米国風(米国の風景なので当たり前)なのは少々違和感がある。

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 ボストン美術館の日本庭園 1994年8月7日 著者撮影

 

中近東美術の部屋

 また中近東美術の部屋では、部屋の温度と湿度が特別に設定されており、ドアを開けて足を踏み入れるとムットする。こんな配慮をしてある美術館は今まで見たことがなくその気配りに感心した。私にとって、この暑さはノーサンキュウです。

 

エジプト文明の展示室

 エジプト文明の展示室では、展示の定石とおりミイラや柩の数体が展示してある。これは大英博物館で一室に100体近いミイラを棚に入れて展示するのに比べれば、常識的な配慮である。大英博物館のミイラや柩の展示方法はクレージで死者への冒涜であり、白人の有色人種への蔑視でもあると思う。

 

美術館の全体雰囲気

 各部屋の警備員は学芸員といった雰囲気で、何か絵について質問すれば、たちどころに滔々とした説明をしてくれそうである。ワシントンの国立美術館のガードマンに徹している黒人の職員に比べると対照的である。

 ここのカフェテリァは新しく増築された入り口部の吹き抜け部にあり、2階の球面の天窓から差し込む明かりのため明るく、モダンな感じは最高。

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売国奴

 ここの日本美術のコレクションは素晴らしい。この美術館は、美術品を欧米の美術館に略奪されたエジプト、ギリシア、イラン等の国の心情を理解するのに役立つ点で高く評価されるべきだ。

 こんな国宝級の仏像絵画を亡者の外人に売り渡した没落大名は売国奴である。英国の貴族が落ちぶれても尊敬されているのは、国の存亡に係わるいざという時には先頭に立って戦う義務と責務を負っているからである。事実過去の戦争ではそうであったし貴族の戦死率は平均より遙に高い。それくらい国に対するロイヤリティは高い。だから、そういう人種が国の利益に反することをするのは売国奴である。日本の貴族に相当する旧大名、華族がボストン美術館にある美術品を売り渡したので腹が立つのである。しかるべき立場になると、それに比例した責任が発生するのは世の常識。こんな大名がいるようでは徳川幕府が潰れたのも無理がない。我々は後世の人から後ろ指を指されない生きざまをしたいものだ。

 

組織的犯罪

 帰国後、この件を調べると、フェノロサとビゲローや岡倉天心、岡倉覚三らが組織的に共謀して、いずれは「海外流出」させることになる「日本美術」の収集活動に全力を傾注していたようだ。

 現在、ボストン美術館の所蔵品の340,350点のうち、culture(文化圏)がJapanese(日本)のものは、40,000点もある。実に所蔵品の1割以上である。気まぐれで美術品を集めていては、40,000点も集められるわけがない。それもかなりの量が非公開となっている。

 ここに展示されている日本美術を選別した当時の米国人の眼識の高さには舌を巻かざるをえない。この日本の国宝級の美術品がここでしか観れないとは情けない。最近の名古屋ボストン美術館誘致問題で、余計この件がしゃくにさわる(名古屋ボストン美術館は1999年に名古屋で開館し、2018年に閉館した)。

 (以上、初稿1994年8月、2020年6月23日補筆)

 

2020-06-26 久志能幾研究所通信 1645 小田泰仙

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