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2023年6月26日 (月)

巡礼 顔は人生の風景画 平野峰生鉛筆画展

 

会期 6月3日~6月27日 11時~17時(最終日は16時まで)

場所 岐阜市 川原町 Gallery Sagan

 

 平野峰生の鉛筆画で表現の極致を目指した肖像画の作品が展示されている。平野画伯は、鉛筆での表現の極致を目指している。その息遣いと人の温もりが感じられる肖像画が、Gallery Saganで展示されている。

 

 鉛筆で人の顔をこれだけ生々しく表現できるとは、私には「しょうじょうが」(想像?が)つかなかった。肖像画とはその人の人生を俯瞰して、作り上げる創造物である。肖像画を描くには、人物の心の内面まで見通せないと描けない。ある意味で観相師でもある。

 画伯は依頼受けて肖像画を描く場合、多くの時間をかけて面談し、対談中に写真も多く撮り、その人の一瞬に浮かぶ一番良い笑顔を見つけ出し、その顔を創造して、描くという。だからその製作には時間がかかる。だからその出来栄えは多くの人から称賛されている。

 

故人の遺影

 そんな良き評判から、故人の肖像画の依頼も多くあるようだ。私もいま母の肖像画の作成を検討している。母は写真嫌いで、良い写真が残っていないのである。今は小さな写真を引き伸ばして遺影としているが、写真が少々ピンぼけで何とかしたい思っていた。今回は良きご縁のようだ。

 

西洋文化と日本文化

 私は、いままで多くの肖像画を日本と欧米の美術館で鑑賞してきたが、二つは次元の違う作品群であると結論付ける。その差は、欧州の宮殿と京都の御所や桂離宮の造りの差に似ている。欧州の宮殿は、見た目は豪華絢爛たるつくりだが、細部の目を凝らすと雑な造りが目につく。ウィーンのハフスブルグ家の宮殿の内部装飾は、見た目は豪華絢爛だが、細部はがさつなつくりであった。それと比較すると日本の職人芸は神技である。西洋の宮殿の造りは、日本の御所等の清楚で緻密な造作とは別次元である。

 西洋の油彩絵画は、全てを油絵具で表したいと絵の具で画面を埋め尽くす技法である。西洋の思想では、何事も「人間が自然を征服した」と表現するように、すべて人間の支配下に置きたい欲望の象徴なのだろう。だから想像の余地のない描き方のようだ。ドエライモンのように「これでいいのだ。文句言うな」である。その肖像画も貴族や金持ちが金に任せて画家に書かせた美術品である。応接間や迎賓の間で見せびらすための作品が多い。

 それに対して、平野画伯の鉛筆肖像画は空白と色使いの余韻を感じさせるような文学作品である。肖像画の余白の空間がその人の人生を物語を語っている。

 その西洋の油彩の肖像画と比較すると、平野画伯の鉛筆肖像画は何故かほっとする。5つ星の高級レストランで調味料ゴテゴテのフランス料理を食べるより、日本の高級料亭で素材の味を活かした和食を食するほうが気持ちがよい、それと同じような感覚である。

 

肖像画はその人の人生風景画

 その土地の風景は、その土地の歴史とその土地の住民の生きざまが創り出される。同じように建屋もそこに住む人の心が表れる。

 顔も同じで、その人の今までの喜怒哀楽の歴史が刻まれている。笑顔で過ごした人の顔は、法令の筋肉が鍛えられて深い溝が顔に刻まれる。感動をせず、無表情に過ごした人の顔は、のっぺらぼうになりがちだ。終始、しかめっ面をしてきた人の顔はそれが顕著にあらわれる。眉間にも厳しい皺が刻まれる。だから顔には、その人の歴史が刻まれる。顔とはその人の歴史の風景画なのだ。心がその人の顔を造ってきたといってもよい。

 笑顔こそ、回りの人に幸せをもたらす宝物である。平野画伯の肖像画は、その笑顔が命の象徴なのだ。正に和顔賛歌こそが、平野画伯の肖像画のテーマである。

 

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  馬場恵峰書

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2023-06-26  久志能幾研究所通信 2710号  小田泰仙

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2023年6月20日 (火)

巡礼 絵は祈り 平野峰生鉛筆画展 in Sagan

 

会期 6月3日~6月27日 11時~17時 (定休日 水・木)

場所 岐阜市 川原町 Gallery Sagan

 

 平野峰生画伯の鉛筆画で表現された作品が展示されている。平野画伯は、鉛筆での表現の極致を目指している。それが感じられる鉛筆画の数々が、Gallery Saganで展示されている。

 

 自分のやっていることがどんな社会貢献になっているか、平野峰生画伯は迷いながら鉛筆の筆を進めている。平野画伯の絵には、描く悩みが表現されている。

 その絵が社会で認められ、価値ある値段で取引されていれば、社会の営みの一部として、社会に役立っている証である。誰もその価値を認めなければ、お金を払うこともない。

 平野峰生画伯の鉛筆画は肖像画を中心に広く受け入れて、相応の価格で取引されている。それだけ社会の役立っている証である。その創造物が社会に受け入れられて、新しい価値を生んでいる。

芸術とは

 「芸」という字には、匂い草の象形文字である。芸術作品は、ある特定の時代、特定に人にしか受け入れられないという冷酷な宿命がある。その作品が何時でも何処でも誰にでも受け入れられるわけではない。その絵の価値が認められるのに、時代の価値観が変わり、その時間がかかる場合もある。

 社会は一歩前に進み過ぎる人を狂人と呼び、半歩前に進む人を先駆者と呼ぶ。時代と共に歩む人は迎合者である。歴史はその狂人を革命者と称える。

 ゴッホもそれが認められたのは、ゴッホの死後である。ゴッホは、生前、極貧の中、筆を折らず、描き続けた。何か鬼気迫る姿である。天才は社会から一歩前に進み過ぎたきらいがある。それはある意味、宗教の祈りに似た心境かもしれない。

 

絵画の歴史

 人は太古の時代から絵を描いてきた。先史時代の洞窟や岩壁の壁面および天井部に描かれた洞窟壁画は、現存する人類最古の絵画である。壁画は4万年前の後期旧石器時代より製作されている。これらは社会的に敬われていた年長者や、シャーマンによる作品であると信じられている。

 当時の食料確保も大変な時代に、絵を描く人がそれで生計を立てようとして描いていたとは思えない。しかし実際に洞窟等ですばらしい壁画が描かれていることは、それを専門にしていた人がいた証拠である。推定するに、それは目に見えない何らかの偉大な存在への豊作、豊漁、豊狩への捧げものとして祈りの形であったのだろう。それを年長者や、シャーマンが描き、彼らを部族の皆が支えていたのだろう。そう考えると、絵を描くことは神聖な神への祈りであったようだ。

 

最期の豊作

 私が一番感動した絵は、田園の稲の風景画である。平野画伯の描く鉛筆画での一本一本の稲、一粒一粒の稲粒を描写する様は、祈りである。油彩では決して表現できない手法である。祈りとは言葉だけの世界ではない。祈りとは具体的な行動の繰り返しである。それで出来上がった創造物が、見えざるサムシンググレートへの捧げものなのだ。それは祈りの昇華である。

 その風景画は、二度とない最期の豊作の姿の遺影である。農家の人が高齢で、その年で稲の作付けを止めるという。画伯は、その風景を鉛筆画で遺したのだ。それは今まで豊かな稲を生んでくれた大地への感謝の絵でもある。

 それこそ太古の時代に洞窟や岩壁の壁面や天井部に書かれた絵とおなじではないか。画伯は、「風景はその土地に住む人々の心の心映え」と言う。その心映えは、古代人が豊作、豊漁、豊猟を願って描いた絵と同じである。素朴な岩石の面に描いた技法が、現代の進化した技術を使って精密に描かれている。どちらも心の反映であることには変わりはない。

 

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   Gallery Sagan

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      平野峰生画伯

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平野峰生プロフィール

1962年、愛知県生まれ。弥富市在住。

愛知県立芸術大学・大学院デザイン専攻を修了。

ランドスケープデザイン・建築設計事務所勤務を経て、

1996年アーキテクチュアル・レンダラー、画家として独立。

 

2008年 「産土の心-飛騨種蔵 冬から春ヘ-」(飛騨市宮川町文化祭)

2009年  「産土の心-飛騨種蔵 二度目の四季—」(飛騨市宮川町聖圓寺)

2010年 「産士の心-飛騨種蔵-」(岐阜市十六銀行本店ギャラリー)

2012年 平野峰生鉛筆肖像画展「和顔鑽仰」(愛知県江南市、ギャラリーみわ)

    平野峰生鉛筆肖像画展「和顔鑽仰」(東京都青山、たまサロン)

    平野峰生鉛筆肖像画展「和顔鑽仰」(名古屋市中区、ギャラリーチヨダ) 

    平野峰生鉛筆肖像画展・講演会(北海道野付郡別海町、本覚寺報恩講)

    平野峰生鉛筆肖像画・風景画展「和顔鑽仰」(愛知県津島市)

2013年 平野峰生鉛筆画展「肖像と風景」(滋賀県米原市、グリーンパーク山東 伊吹の見える美術館)

    敬老の日「はつらつ健康まつり」講演・展示(名古屋市東区)

2014年 平野峰生鉛筆肖像画展「和顔鑽仰 2014」(東京都大塚マスミギャラリー)

            平野峰生鉛筆風景画展「産土の心-飛騨種蔵-」(東京都青山、たまサロン)        

           朗読・対談「画に耳をすます。朗読を見つめる」(東京都大塚、マスミスペースMURO)

     平野峰生鉛筆肖像画展「和顔鑽仰 2014」(愛知県江南市、珈琲&ギャラリ―予約席)

2015年 久野博史×平野峰生二人展「感動がこころをケアする」(愛知県豊川市)

    平野峰生肖像画展「燈の記・和顔鑽仰」(愛知県岡崎市、画廊・ギャラリー Musee Soleil)

2016年 「和顔鑽仰 in シニアステージいつきの夢」(愛知県一宮市、笑顔の家プロジェクト)

    「和顔鑽仰 in 南生協よってって横丁」(名古屋市緑区、笑顔の家プロジェクト)

     平野峰生鉛筆画展「画に耳をすます-飛騨種蔵から始まる物語-」(岐阜県飛騨市、飛騨市美術館)

2017年 平野峰生鉛筆風景画展「空歩庭園」(岐阜県土岐市、かふぇぎゃらりぃ五斗蒔)

2018年 平野峰生鉛筆肖像画展「観自在記への扉」(岐阜県恵那市、ギャラリーなすの花)

2020年    平野峰生鉛筆肖像画展「ありがとうの KISEKI 2020」(愛知県江南市、珈琲&ギャラリー予約席)

 

 

2023-06-20  久志能幾研究所通信 2706号  小田泰仙

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2023年6月 3日 (土)

巡礼 「八幡はるみ展」、創造芸術に感銘を受ける

 

 知人に誘われてヤマザキマザック美術館で開催されている「八幡はるみ   GARDEN展」に行ってきた。誘われなければ、絶対にご縁のなかった作家である。ご縁に感謝である。

 

「八幡はるみ GARDEN展」

 会期  2023年04月21日(金)から2023年08月27日(日)

 場所  ヤマザキマザック美術館

 

 美術館で確認すると、特別展の展示品は撮影可とのことで写真撮影をさせてもらった。聞いてみるものだ。欧米の美術館では撮影は、フラッシュをたかなければ可能なので、日本の美術館でもそうして欲しい。

 

八幡はるみ氏の作品

 芸術とは独創性の世界である。天上天下唯我独尊の世界である。自然界の材料やデジタル作品をそのまま持ってきても芸術とは言えない。その作品に作者の独創性をどれだけ盛り込めるかである。

 この芸術品は、工業製品と芸術の融合である。八幡はるみ氏の作品は、染物、織物、刺繍、デジタル材料と言う工業製品、工芸製品を統合して、芸術の域に創造した芸術作品である。

 大画面で表現された美しく咲き誇る花々、まばゆい光につつまれた溢れんばかりの緑の花の洪水。色あざやかな植物が大画面を埋め尽くす、八幡はるみのかぐわしき染色の世界が展開する。私には新しい世界であった。今までは絵画と言うとキャンパスに油絵具でかかれるとの固定観念を抱いていた。しかし八幡はるみ氏の作品を見て、創造性という観念に感心した。この展示会で学んだことは、創造性には使えるものは全て使え、である。

 

 しかし欲しいなとは思ったが、盗んできて家に飾るにはしては、作品が大きすぎる。この大きさでは自宅に飾れない(笑)。また家にある他の作品に比べて、和室の居間には異色過ぎるので、雰囲気が合わないようだ。それで幸い捕まるような行動には出なかった?

 

創造

 創造とは新しい価値観の生み出しである。発明は全く新しいものの生み出しだが、創造は今まであるものを分解、再結合をして、新しい価値を創り出すことだ。発明は天才にだけ可能だが、創造は我々凡人でも出来る。

 「創」と言う漢字は、「キズ」と「リ」から構成される。「リ」は刀と砥石の象形文字である。「キズ」の傷とは刀傷のことである。刀で傷を受けると血が噴き出し、それに焼酎を吹き付け、なにくそとがんばるのだ。それで傷口から新しい細胞が生れ、傷口を埋めていく。新しいものを創り出すには血まみれの体験が必要だ。それが創造である。

 創造とは、今あるものを分解、再結合して新しいものを生み出すことだ。ゼロから生み出す発明ではないのだ。ソニーのソニーのウォークマンだって、新技術はない。従来の技術を再統合しただけである。それが創造である。

 

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2023-06-03  久志能幾研究所通信 2697号  小田泰仙

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2023年5月30日 (火)

タイムマシン巡礼、勘違いで目的地4000年前に着地

 岐阜市川原町 Gallery Saganで開催されていた「吉川充 陶展」の作品群に刺激を受けて、縄文文化の確認のため縄文遺跡に行こうと思い立った。

 それで2023年5月25日、静岡の登呂遺跡を思い出し新幹線に飛び乗った。しかし着いた場所は2000年前の弥生時代の登呂遺跡であった。本来の目的地である縄文時代は6000年前である。私の勘違いでタイムマシンのナビ設定を4000年も違えた。時代が違うと雰囲気が全く異なる。しかし歴史遺跡を見ることは先人の知恵を受ける事だ。登呂遺跡に来れたことは「吉川充 陶展」が招いてくれたご縁だから、登呂遺跡でしっかりと弥生文化を観察した。

 その結論 「縄文文明人、弥生文明人は現代人より人間的で文明的である。なぜなら縄文文明人、弥生文明人は人の殺傷用の武器を持っていなかった。それで13,000年も時代が続いた。日本の近代でさえまだ155年間である。彼らは自然に対して畏敬の念を持っていた。1000年間も続いたローマ帝国のローマ人より文明的である。」

 

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  登呂遺跡   2023年5月25日撮影

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 登呂遺跡博物館内の展示

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時代の長さ

 縄文時代は13,000年間も続いた平和な時代である。弥生時代でも約650年続いた。縄文時代に比べれば、弥生時代の650年間は短いが、江戸時代の260年間に比べればはるかに長い期間である。明治以降、現代までの近代時代でもわずか155年しか経っていない事を比較すれば、驚異的である。

 

文明度とは?

 グローバル経済主義で、文明を進化させ、技術を発達させ、貨幣経済を発達させ、武器を開発して、戦争で植民地強奪競争をしていた時代に比べて、何方が文明的なのだ、と考えてしまう。

 徳川家康は日本を鎖国して、日本を守った。それが逆に欧米の植民地強奪戦争から距離を置いた結果となり、幸いしたようだ。現地人を虐殺し、植民地にして領土を広げた欧米人が文明的ではないだろう。

 

平和維持

 江戸時代は階級社会、封建社会で、強引に平和を維持した時代である。しかし、縄文時代も弥生時代も戦争のない平和な時代が続いた。その期間の長さでも世界の文明の中、稀有の存在である。縄文時代も弥生時代も遺跡からは、人を殺傷する武器が出土されていない。調査によると縄文時代では、争いで亡くなった遺骨は1.8%ほどで、他の文明遺跡に比べて5分の一ほどだと言う。1000年続いたローマ帝国でもその歴史博物館の展示を見ると、城攻めや人との戦いの殺傷道具が多く展示されている。欧米人は、武器の発達が文明の進化と思っているようだ。

 

縄文土器の模様

 当時の平均寿命は30~40歳であったようだ。その状況で種族の繁栄のための性の営みは重要視されていただろう。またその性のおおらかさ、自然界への怖れへの現れなのだろう。それが縄文土器に表されて呪縛的な文様であるようだ。また女性賛歌の土偶であるようだ。その生への願いは直接的に土器の模様に込められているようだ。女性の土偶は多く作られたが、男性のそれは数が少ない。それだけ女性への畏敬があったのだろう。縄文土器は実用的には無意味で華美な装飾がされている。それが弥生時代になると、文明が進歩して稲作生活に変わり、生活がより安定したため、実用的な土器に変化していて、呪文的な土器は少ない。

 吉川充先生作の陶器の彩色模様は、その縄文人の真剣な願いを込めた模様にヒントを得ようとしたようだ。

 

___1jpg 縄文土器  wikipedia より

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   弥生土器

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 弥生土器

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  吉川充作 陶器 縄文の模様を施す    画廊 Saganにて

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ローマ文明博物館

 2010年、私はイタリアに10日間の旅をした。ローマにある「ローマ文明博物館」で、ローマ帝国の歴史を学んだ。そこには1000年も続いたローマ帝国の歴史が展示されていた。いまそれを思い出し、縄文文明、弥生文明と比較した。

 ローマ帝国1000年の歴史は他国との戦いの歴史で、「ローマ文明博物館」はその遺物の展示館である。他国の城を攻める大型兵器、石の建屋を建設してきた歴史の展示であった。 

下図は「ローマ文明博物館」の展示品  2010年 著者撮影

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ローマ文明博物館の展示品  紀元前2世紀くらい  

   住居の構造は縄文文明、弥生文明と大差なし

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 紀元前7世紀くらいの兵士の制服

   当時、日本は縄文時代の後期である。

   武器を誇らしげに展示する戦いの文化には考えさせられる。

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   当時の投石器  模型

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  当時の城攻めの様子

  人を殺傷する武器や城攻めの大型武器の展示品が多い。縄文文明、弥生文明と大違いである

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 獲得した領土を誇示する皇帝  

 ローマは一日にしてならず。ローマ帝国は、他国を1000年かけて攻めて、ローマ帝国に包含同化していき、少しずつ帝国領土を拡大していった。ローマ帝国の1000年は、戦いの歴史であった。

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進化?

 文明の発達とは、人間の文化・精神面の進化である。それが武器に同調した進化では本末転倒である。スマホをいくらいじっても人間性は向上しない。弥生時代の登呂遺跡を見学して、縄文時代の調査をして頭に浮かんだ思いである。

 文明の進化より大事なことは、人の進化である。人として一番大事なことは、人が動物として生まれて、人間に成長することだから。縄文時代に自然界の何物かを畏敬して呪文的な土器を作っていた縄文人のほうが、文化的で精神的に高尚ではなかったのか。現代はなぜか精神的にはどんどん貧困になっているようだ。当時は、死刑になりたいからと無差別殺人を犯すような「動物」はいなかったはずだ。 他人の不幸を省みず、グローバル経済主義を驀進させて、金儲けのため大量殺戮兵器を大量生産する野蛮人は文化的ではないだろう。

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2023-05-29  久志能幾研究所通信 2695号  小田泰仙

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2023年5月23日 (火)

巡礼 「柴田節郎 陶展 跡-83」、Gallery 芽楽

 

 2023年5月18日、名古屋名東区Gallery 芽楽で開催されている「柴田節郎陶展 跡-83」の展覧会を鑑賞した。「柴田節郎陶展」は3月にGallery Saganで開催された。その続きの鑑賞である。残念だが柴田節郎氏は在廊されなかったが、良い作品を鑑賞することが出来た。今回は前衛的な作品ではなく、魅力的な茶碗が大多数であった。いいなと感じた作品は既に販売済のマークが入っていた。

 このギャラリーは、住宅街に位置し、普通の一軒家の一階部分を画廊と喫茶室にした構成であった。落ち着いた雰囲気の画廊で、多治見焼のコーヒー茶碗で美味しいコーヒーを堪能した。美術品の鑑賞には良き環境が必要なのを再確認した。

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 Gallery 芽楽

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2023-05-23  久志能幾研究所通信 2691号  小田泰仙

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2023年5月21日 (日)

巡礼 「春陽展」、天上天下唯我独尊

 

 2023年5月18日、名古屋で開催されている第100回記念春陽展、八幡はるみ展、柴田節郎展、中島法晃展の4つの展示会をはしごしてきた。大都会の大展示会場はとても広く、展示品が多く、見て歩くだけで疲れる。またその各会場も遠く離れているので、地下鉄、バスを乗り継ぎ、地下街の階段の上り下りが続く「山道」ばかりで、体力の落ちた私には超過酷な巡礼の旅であった。美術鑑賞の巡礼も体力がいるのだと思い知った。

 でもなんでそんな疲れることを私や他の絵画愛好家もするのだろう? 

 今回、自分で自分に問うてみた。

 

なぜ絵を観るの?

 今回同行した知人は、自分の鑑賞眼を磨くために行くという。

 私が絵画展に行くには、好きだからはもちろんだが、何故か憑かれたように絵画展に足を運ぶ。自分でも自分の行動が良く分からない。推定するに、潜在意識として、美術品への感性を高めたいという本能だろう。明日の生活に不安があれば、そんなことはできまい。だから幸せだと感じる。

 あわよくば、盗んできたくなるような絵に会えるのを期待しているかもしれない。私の名画の定義は、捕まってもいいから盗んで家に飾りたくなる絵である。幸いなことに、そんな絵にはまだ出会っていないので、まだ逮捕されずすんでいる。

 

なぜ絵を描くの?

 一生の間で一枚しか絵が売れなかったゴッホ。それでも彼は、極貧生活の中、なぜ絵を描き続けたのか。多くの著名な画家でも、売れない絵を死ぬまで描いている。画家は自分の生活を犠牲にしてまでして描き続けている。なぜ?

 今回の「春陽展」でも、売るあてのない100号の絵が数多く展示されている。中部地区の会員だけでも130作品もある。「春陽展」会場には、全国の会員の作品が1000点弱も展示されている。

 100号の絵画を制作することは、文化レベルが高くないと不可能である。国と個人が裕福でないと、これだけの絵は集まってこない。裕福でないと、それを描く場所、保管場所、絵の具材の費用を出せない。それだけ日本が豊かである証拠である。中東で戦争に明け暮れている国では絵も描ける環境ではない。飢餓に苦しむ国では、そんな絵も描ける経済環境にもない。だから今の日本は幸せだと思う。それを日本人は忘れている。絵画鑑賞も絵画制作は、人生の贅沢な遊びである。生活に余裕がないと遊びはできない。それが文化レベルが高い状態である。自分の幸せに感謝をしよう。

 

天上天下唯我独尊

 「唯我独尊」とは、「ただ、我、独(ひとり)として尊し」との意味である。それは、自分に何かを付与し追加して尊しとするのではない。他と比べて自分のほうが尊いということでもない。天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間としての存在である。しかも何一つ加える必要もなく、この命のままに尊いという発見である。それを芸術家は、創作する作品を通して主張しているようだ。

 芸術の「芸」と言う文字は草冠に「云う」である。これは匂い草の象形文字である。匂いは人により、時代により受け入れてくれる人が千差万別である。万人受けするわけではない。それが芸術である。ゴッホも、時代が変わったら評価が180度変わった。芸術家はそういう宿命である。それでも芸術家は我が道を行く。

 派手なジャンバーを着て、突っ張って自分を誇示し、爆音を立ててバイクを走らせる行為も同じことだろう。それも自己主張の一形態である。それがバイクか絵画かの違いであるようだ。

 だから、「春陽展」で絵画が1,000点も展示されていても、気になった絵は数点でしかない。それが芸術作品の宿命なのだ。 今回の春陽展でそれを再確認した。

人生は芸術作品

 それは仕事でも、その作品(建築物、機械、社会的プロジェクト)の中に自分の主張を入れ込むと同じである。それが、自分がその時代に生きた証を遺すことだ。それが自分の付加価値の主張である。だから、私は仕事こそが芸術だと思う。同じ論法で、経営も芸術である。人を創る教育も芸術である。

 

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下図の絵は、私の嗅覚に反応した気になった絵である。

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2023-05-21  久志能幾研究所通信 2690号  小田泰仙

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2023年5月12日 (金)

巡礼 吉川充 陶展 芸術家の青春

 

 岐阜市川原町 Gallery Saganで「吉川充 陶展」が開催されている。

  2023.5.3(水)~5.29(月) 11:00-17:00  ※最終日16時まで

  水・木曜定休 

  作家在廊日 5月3、4、29日

 

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 吉川充氏は中国古代の青銅器に興味を持ち、土に関わり始めた当初から、土物石物の素材に関わらず、大らかな作品を創り続けている。

 その作品つくりの原動力は、人並み外れた好奇心である。その情熱は、人に説明を始めると止まらないことから推察できる。黒柳徹子さん顔負けの「窓ぎわの陶徒ちゃん」である。

 彼の2006年の陶展の講評で、「この作家の面白いのは、沈黙が怖いのか、会えばひっきりなしにしゃべりだして止まらないことである。」とある。2023年Saganでの陶展でも、それは変わらない。喋るということは、脳生理学的に脳の活性化に効果がある。それが吉川氏の原動力であるようだ。好奇心は、芸術家のエネルギー源である。青春は年齢ではない。好奇心を失ったら、芸術家の青春は終わる。古希を迎えても吉川氏の青春は続く。吉川氏は「古典を咀嚼しながら、そこから新しい表現を探り出す」が信念である。吉川充には、老成も枯れるという作風もないのである。氏は永遠の芸術を求めている。

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 青 春

 吉川さんと話していて、サムエル・ウルマンの「青春」の詩を思い出した。

青 春    サムエル ・ウルマン
青春 とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。
青春 とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靭な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。
青春とは、人生の淵泉の清新さと、夢およびそれを実現させる計画を抱だいた心の状態を言う。
青春とは、怯儒を退 ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味す る。ときには、20歳の青春よりも 60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心もしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥となる。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から、美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受けるかぎり君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、悲歎の氷に閉される時、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ、希望の波を捉えるかぎり、80歳であろう人は青春として生きる。


  宇野収 ・作山宗久著 『「青春」 とい う名の詩』よ り
   (産業能率大学 出版部刊)
   1994.05.23 一部 修正(朱記)追記 小田

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Youth  『青春』                    Samuel Ullman

 

Youth is not a time of life; it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks, red lips and suppleknees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

 

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetites, for adventure over the love of ease. This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty. Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by desering our ideals.

 

Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

 

Whether sixty or sixteen, there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of game of living. In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

 

When the aerials are down, and your spirit is convered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

 

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1949 京都市に生まれる

1974 京都市立芸術大学 卒業

1976 京都市立芸術大学専攻科 修了

1982 京都府工芸美術展 奨励賞

1986 朝日クラフト展 奨励賞

1992 京都工芸ビエンナーレ 優秀賞

国際陶磁器展美濃 審査員特別賞 (清水九兵衛)

1994 京都工芸ビエンナーレ 優秀賞

1996 京都府工芸美術展選抜展 買上

 

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  吉川充氏   2023‎年‎5‎月‎3‎日 撮影 Saganにて


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2023-05-12  久志能幾研究所通信 2683号  小田泰仙

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2023年4月15日 (土)

巡礼 芸術家の心を拝む ― 手描き友禅作品展

 

 岐阜市川原町 Gallery Saganで「ー花逍遥-尾崎尚子 手描き友禅作品展」が開催されている。

 

 2023.4.1(土)~4.29(土) 11:00-17:00  ※最終日16時まで

 水・木曜定休 14日(金)臨時休み

 

 手描き友禅染の作品で、タペストリー、暖簾、テーブルセンター、スカーフ等、一点一点手描で描かれている。優しい色合いが心を和ませる。私には初めての巡礼である。

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2023-04-15  久志能幾研究所通信 2669号  小田泰仙

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2021年12月12日 (日)

美人薄命、美人ご縁、美人の地震対策

 

 このエピソードは、1995年に生まれて初めての自費の海外旅行を経験して、体得した知見である。それから発展したエピソードである。犬も歩けば棒に当たる。家に閉じこもっていては、ご縁には永遠にぶつからない。お金は経験を積むための経費である。だからお金を「お足」という。お金を床下に閉じ込めて置いては、お金がエコノミークラス症候群になってしまう。だから、「大事な子には旅をさせろ」と先人は言う。

 

美人ご縁

 行ける時に、行くべき所に行かないと永遠に行けない。今度何時かなどの機会は、永遠に来ない。一寸先は闇なのだ。私はNYに良い時期に行く決意をして、実際に渡米して良かったと今にして思う。その後、911で貿易センタービルも消滅してしまった。その最上階に昇り、NYを展望できたのもご縁であった。今行っても、そのビル自体が存続しない。2021年の今なら、新型コロナ禍で、やんごとなき人でない平民の私?は、ニューヨークなどに行けやしない。

 

無駄使い

 今回(1995年5月)のニューヨーク行きは、美術館めぐりが主目的であったので、お土産らしい物は買わなかったが、クリスタルのデキャンタで唯一の無駄遣いをしてしまった。

 前から欲しかったデキャンタを買おうと、予算は 3~ 5万円程を目安に、この地の有名クリスタル店を数軒捜し回った。しかし、どれもいまいちで値段の手頃なのが見つからない。結局、フランス製のバカラットのデキャンタに目が行ったのだが、値段が少々気にくわない。それで、グラス2つとデキャンタのセットで買いたいと、粘り強く交渉したがグラス 6ケのセットでないと駄目とのこと。エディションナンバー付きで世界に500セットしかない芸術品だとそそのかされて、つい無駄遣いをしてしまった。クリスタル製品にエディション番号など、まるで版画扱いである。この芸術品扱いに、つい目がくらみ買ってしまったが、セットで2000ドルの買い物だったのは少々反省。はるばる米国まで来て、なにもフランス製のクリスタルを買うことはないと思うことしきりであった。つくづくと米国産のお生産はない ・・・・

 

美術品

 オレンジ色のシンプルなデザインのデキャンタの栓、斜めにカットされたデキャンタ底面とグラスのデザインの斬新さは買って後悔のしない芸術品ではある。まあこれならMAMOに 展示されるぐらいの価値ある品物、と勝手に納得した。しかし、あまりに高価で、貧乏人の私には恐ろしくて使えないのが玉に傷である。

 

人生の成功とは単語力

 デキャンタの日本への発送はSHIPPINGとのことで、てっきり船便だと思い込んで、何気なく同意してしまった。しかし後で分かったことは“SHIPPING"とは 「船便」ではなく「出荷」の意味で、「航空宅急便」で送られてきた。その箱の大きさに驚いた。この費用が3万円。SHIPPINGの意味が分かっていれば、船便にして経費を抑えたのにと後悔したが、後の祭りであった。「人生の成功とは単語力にあり」との名言を噛みしめたエピソードでもあった。これで一つ単語力が身につき賢くなった。

 

 

― 後日談 ―

 この6グラスのうち、一個をたった2回使っただけで割ってしまった。美人薄命とは世の宿命である。

 「このグラスが壊れたことは、この芸術品のデキャンタが美しいことを証明 している」とは、ある先生の慰めのお言葉。全くそのとおり。貧乏性の私は、今後は恐ろしく使えそうもない。(実際その後、使わなかったし、使えなかった。)これを壊しても心臓に負担とならないお金持ちに成ろうと、がんばっているこの頃である。(1995年記)

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地震対策

 しばらく、食器棚にこのデキャンタを飾っていたが、巨大地震の際の家具が倒れ、食器が飛び散る映像を見て、その破壊力に恐怖を抱いた。いくら美術品でも、大地震の時は凶器になり、破壊されるのだと悟った。2035年に巨大地震が来る事を考えると、美術品も常設ではなく、必要な時にだけ飾ればよいと考えた。それで、このデキャンタを地震対策で収納箱にしまった。美人薄命にならないように、危機管理としての智慧が必要である。(2021年記)

 

 この世で一番の美術品は自分の命である。地震災害時に自分の命を守る「城」を造ろうと再決意した。自分の城は自分で守れ。

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図2-7 “ VERTlGE"(製品に添付の証明書) (469/500のエディッションナンバーに注目)

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2021-12-12  久志能幾研究所通信 2236号  小田泰仙

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2021年11月 4日 (木)

見学記 長野県立美術館で盗みたくなる絵?

 

 2021年10月29日、長野市の東急百貨店で開催されている「大仏師松本明慶仏像彫刻展」に行った。その足で、長野美術館を見学した。本来、善光寺に行く予定が、新型コロナ騒動で、7年ぶりの秘仏の御開帳が来年に延期になったので、参拝は来年に変更して、長野美術館に行った次第である。

 

 長野美術館は近代的なデザインの建屋である。3つの建屋からなり、本館と企画展部と東山魁夷館からなる。東山魁夷館とは本館から、透明なガラスの回廊でつながれていて、わくわくするような雰囲気が漂う。

 ただし中身は期待外れであった。

 

東山魁夷館

 初期から晩年までの歴史記念的な作品が多く展示されているが、私が名画と定義できる作品は無かった。所蔵している絵画で、今回の企画展(東山魁夷館コレクション展 第Ⅳ期)では、あまり見るべき絵は少なかった。このコレクションは、東山魁夷が54歳から69歳までの作品だが、欧州のスケッチ絵が多くて、中途半端な絵(私の感想)が多かった。

 私が名画と定義できるのは、「捕まってもいいから、盗んで家に飾りたくなる作品」である。残念ながら、この東山魁夷館では、それが無かった。お陰で逮捕されずに帰宅した。

 

常設展の会場

 常設展の会場では、畳数枚分もの大きな作品が多く展示されているが、常識的に「美術作品とは何か、その付加価値は何か」を考えてしまった。大きな作品は、美術館ではなんとか展示できるが、その多くが見入ってしまい、家に持ち帰りたいと思う作品は皆無である。自分がウサギ小屋の小さな家に住んでいることが原因ではある。絵があまりに大きすぎて、作品の価値が見いだせないからだ。

 今まで、大きな絵で感動した絵は、ルーブルの「ナポレオンの戴冠式」、オランダ美術館のレンブラントの「夜警団」の絵ぐらいである。それでも、感動はしたが、それを盗んで家で飾りたくなる気持ちにはならなかった。そんな絵を自宅に飾ったら、家が雰囲気的に死んでしまう。

 

 画家も展覧会に出品するには、大きな絵を出さねばならぬ。その絵が、美術館に買って貰えればよいが、そうでないとその絵の保管が大変なのだ。その保管のため、マンション一室を借りている画家も多い。画家も大変なのだ。

 

名画無し?

 常設展では、美術の教科書によく掲載されている作品が多く展示されてる。教科書に載る典型的な歴史的な作品が多いから、美術の勉強にはなる。しかし「盗みたくなるような魅力ある作品」は少ない。やはり美術館が買い入れる無難な作品である。

 今回は、山路先生とご一緒したから、山路先生から作品の解説を聞きながらの鑑賞となり、贅沢な訪問となった。山路先生は、元高校の美術の先生であった。定年退職後の今でも現役の芸術家である。

 

経営とは

 芸術は人生を豊かにしてくれる。人生を経営するとは、芸術活動である。どこにもない芸術作品を創り、世に貢献しよう。経営とは、今、自分が持てる資源を最大限に活用して、世のために付加価値を創造することだ。自分の才能の発掘こそ経営の基本である。

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 長野県立美術館 正面の外観

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 東山魁夷館への通路

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東山魁夷館への通路の外の風景

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 長野県立美術館での課外授業(小学生の見学)

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長野県立美術館のすぐ隣が善光寺

 

2021-11-03  久志能幾研究所通信 2197   小田泰仙

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