巡礼 平山美智子著『道はあとからついてくる』
本書には、平山画伯の魂の遍歴の陰の部分が映し出されている。本著は平山郁夫画伯の妻である著者が「家計簿」を通して平山画伯との半生を回顧した手記である。その家計簿は単なる家計簿でなく、メモや買い物の領収書、観た映画のチケット、給与明細までがびっしりと貼られており、それは83冊に及ぶ。それを基にした平山画伯と歩んだ42年の歴史を語った手記である。
主婦と生活社 1998年1600円
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彼女は平山郁夫画伯とは東京美術学校(現・東京芸術大学)の同級生で、彼女が首席で卒業、平山郁夫画伯は次席で, 彼女のほうが成績は良かった。卒業の翌年、日本美術院展で、彼女の「群像」が初入選・初奨励賞受賞(今だに破られていないレコードとなる)する。そんな将来を嘱望された才能をもった彼女は、平山郁夫氏との結婚を決意すると、絵を描くことが命と同じくらい大切なものとして生きてきたのに、その筆を折って、平山氏をサポートする立場に回る決心をする。これは並の人ではできることではない。もちろんその決断には深く悩みが存在したが、彼女の男まさりの性格からすると信じられない決断である。その後の画伯の業績は画伯と著者の2人3脚といってもよいのでは。その決意の表れを次のように記している。
「もし、何かを捨てるなら、自分にとって、いちばん大切なもの、価値あるものを捨てる。そうでなければ、捨てる価値がない。つまらない、どうでもいいものを捨てても、何の値打ちもない。捨てたものに価値があれば、その代わりに私が得るものは、もっと価値あるものだし、価値が生じるにちがいない」(p49)
絵は、鑑賞用の絵とは別に画家の思いを共感するために没頭すべき絵に分類される。画伯は中学生のとき広島で被爆し、ほんの僅かな巡り合わせで生きながられたことに運命の感謝しつつ、その被爆の影響による白血病に苦にしみながらも精神的で宗教的な雰囲気の絵画を生み出してきた。画伯の作品は精神の邂逅であろう。それは彼女も同じ道をたどったのであろう。
何と言われようと、弁解などしませんが、私たちは、お遊びで人生を生きたことは、ただの一日もありません。「芸術は、悲しみと苦しみから生まれる」とピカソは言い、「絵は見るものではない。一緒に生きるものだ」とルノワールと語りましたが、私たちも、悲しみと苦しみをバネに、鑑賞用、床の間に飾る絵ではない絵を生み出そうと、ともに闘ってきました。(p145)
仕送り先の実家が、金の件で非常事態になったとき、著者の父が言った一言がその後の人生を作ったと述べている。著者は夫のためアトリエのある家を建てるつもりで必死に貯めていたお金を、奈落の底に落ちるような恐ろしさを感じながらも手元の大半の金を実家に送金する。その後、不思議なことに大きなアルバイトの話が舞い込み、そのうち「土地を買ってしまえば、何とか家を建てたいと踏ん張るだろう。洗いざらい吐き出して、後に賭けよう」との考えが閃き、蛮勇を奮って土地も買うことになる。その賭がその後に思わぬ波及効果を及ぼすことになる。
「金には何の値打ちもない。金の使い道でその金の値打ちが出てくる。今はそのお金をお義父さんのために使いなさい。」
「金はな、出してしまえば、また入ってくる」と。(著者の父の言葉)(p149)
絵とは、そんなに小難しいものでなく、画家というのもが、世間一般からかけ離れた特別の人種で、特別な生き方、考え方をするといことはなく、どこにもあるありふれた物語と、だれもが経験したことのある出会いや分かれ、喜びや悲しみを土台とし生きているのだということです。
ただ、ほんの少しだけ、それに注いだエネルギーが他人より多かった、わずかに、ほかより、純度が高かっただけなのだろうと思います。(p164)
当時の私たちの前に、「未来」はありませんでした。「未来展望」すらありませんでした--たただ、ひたすらに、精一杯、その日、果たすべきことを果していくしたなかったのです。道は後からついてきたのであって、あらかじめ存在していたのではありません。(p172)
最後の言葉は何回読んでも良い響きがある。本書の題名に昇華される価値ある言葉であり、生きる勇気を与えてくれる。
人間社会での成果は、ほんのわずかに、他より優れているか否かで決まる。ただし、そのわずかな差を出すには大変な努力が必要だ。実績で示す言葉は実に重い。
後日談
志も生老病死である。自身の才能を殺して平山郁夫画伯に尽くした平山美智子だが、平山郁夫画伯の死後、遺産隠しで国税庁から摘発を受けた。
老いるとは、志も老いることなのか。高齢の87歳の余命いくばくもない身で、現金2億円をどう使うつもりであったのか。老いても金銭欲は消えないようだ。「欲」とは、「谷」に突き落とされても「欠」けない性と書く。哀しい人間の性である。彼女は素晴らしい道を創ってきて、最後にその道に汚点を残したのが惜しまれる。
平山郁夫氏の遺族、遺産2億円隠す 国税局が指摘
2009年に79歳で死去した日本画家で文化勲章受章者の平山郁夫氏の遺産相続を巡り、妻(87)が東京国税局の税務調査を受け、2億円の遺産隠しを指摘されていたことが13日、分かった。自宅にある現金の存在を知りながら意図的に申告しなかったと認定され、追徴税額は重加算税を含めて約1億5千万円。既に修正申告し、納付したとみられる。
日本経済新聞 2013年7月13日 11:26
2023-09-17 久志能幾研究所通信 2742号 小田泰仙
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