巡礼 法華な世界「岩田泰政作品展」in Sagan
「時空四路」
岩田泰政作品展が岐阜川原町 gallery Saganで8月4日~29日で開催されている。岩田さんの作品はポップな現代アートである。
「ポップな」とは、ポピュラー(popular)の略で、1960年代に米英に流行した前衛的な美術様式である。現代的なスタイルを指し、「軽い」「気取らない」などを意味する。
岩田泰政作品群は、おもちゃ箱をひっくり返したような雰囲気である。
ポップアート(pop art)は、現代美術の芸術運動のひとつで、大量生産・大量消費の社会をテーマとして表現する。雑誌や広告、漫画、報道写真などを素材として扱う。1950年代半ばのイギリスでアメリカ大衆文化の影響の下に誕生したが、1960年代にアメリカ合衆国でロイ・リキテンスタインやアンディ・ウォーホルなどのスター作家が現れ全盛期を迎え、世界的に影響を与えた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
頭の固い私にとって、ポップアートは少し縁遠い作品であった。私が岩田さんに話を聞いて感じたのは、この作品群が「法華な」作品だと言うことだ。岩田さんの作品は、ポップアートのような軽いイメージとは一線を隔している。心が感じた様をもっと素直に表現した作品群である。
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「時空四路」
この個展のカンバン作品名は、「時空四路」である。彼岸とこの世を結ぶ道を描いたという。時空とは彼岸とこの世を隔てる空間である。「四路」だから天国道、人間道、畜生道、地獄道かと解釈するか、また春夏秋冬の意味と取るかは見る人次第である。またその順序が有るかと問うと、それは全くないという。画伯は思ったことを、構えずに描いた、感じたままを表現したという。だから私はその表現を「法華な」世界と定義した。
「時空四路」を横から見て
この作品は平面ではなく、彼岸とこの世を上下の板に表現している。だから道は上下で断絶している。この世の青い道が、あの世では赤い道である。この世では青二才が、あの世では赤ん坊に戻る。そんな意味かと推定した。道の先端は西洋の城壁の上にある凸凹を表している。行きつく先の城の背景が、白か黒か灰色か、意味深長である。
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法華とは
「法」とは三水偏に「去る」と書く。つまり水は上から下に去る、それは何時でも何処でも、地球上で通用する「法」則である。
人間は、「法」と言う名の掟を作って、世界を支配する。「法は人によって興る」というように、「法」は人に背負われ、その人に命を与えられる。本来の「法」は自然な現象をあらわしたものだ。頭(上)に浮かんだ内容を上から下に自然に表現する。下とは具体的な行動を意味する。それが美術の手法であったり、彫刻の手法や手芸の手段であったりする。横山大観は、弟子に「音を絵に出来なければ本物でない」とまで言った。だから芸術の手法は様々である。その「法」の一つが「華」開いたのが、岩田画伯の作品である。私はそう解釈した。それで私は画伯の作品を「ポップな」ではなく、「法華な」と表現した。
法華経とは、人間が本来具わっている「佛」の本性を明らかにする経典である。人は誰でも仏になれるのだ。
私は、俗世間に染まらず、画業に専念する画伯に佛の一面を見た。
Saganさんの話しでは、見に来た人の中で、玄人の人には評価が高いようだ。その値段の安さに驚いていると言う。もっと評価されてもいいのだろう。古典絵画に洗脳されている私には少し世界が違うようだ。
岩田泰政画伯 in Sagan
こもれ木から伝わる風を表現
丸い地球に描かれたトラックを展開すると上記のようになるという。
吊るし足首 吊るし首というわけにもいかず、足首にしたと言う。ユーモアである。ボディランゲージとして、生首、手首、次に足首の順である。足首は口ほどにモノを言う?
材質はセメントとアクリル 片足で価格15,000円
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ゲルニカは芸術ではない
画伯は修行時代、師から「ピカソのゲルニカは芸術ではない」と指導されたという。私はその言葉に衝撃を受けた。私の芸術の固定観念に衝撃を与えた。それでゲルニカ、芸術、アートとは何かを調べるご縁を頂いた。別記事でこの件はまとめる予定である。
2023-08-26 久志能幾研究所通信 2732号 小田泰仙
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