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2023年11月 6日 (月)

巡礼 福田公美、日本画展 懐かしい記憶に和の香り in Sagan

「福田公美 日本画展」

 場所 岐阜市 川原町 Gallery Sagan

 期間 11月3日~11月23日 (水・木 定休)

 

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 「転生」と福田公美さん   Saganにて

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薫習で画家修業

 日本画は岩絵具や墨、膠で作りだす和の雰囲気がその命である。日本画は和室によく溶け込む。それが油絵具でゴテゴテと画かれた西洋風の絵画では浮いてしまう。

 福田公美さんは、祖父の画室の墨、膠の香りに包まれて育った。彼女は祖父が岩絵具を静かに溶く後姿を見ながら育ったという。そんな祖父の絵の雰囲気の中で育ったので、祖父の日本画の温もりが彼女の肌から身体にしみ込んだのだろう。霧の中を歩めば、自ずと衣が濡れる。よき香りのお香を触れば、その香りが衣服に移る。それが薫習である。だから彼女は、ごく自然と日本画の世界に入っていけたという。彼女の絵には構えた力みがない。自然の花や動物を自然体で観察して、それが日本画の画風に現れている。そこには小さな植物や昆虫たちの存在感ある命の営みが表現されている。

 

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 岩絵具

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  膠

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家風

 馬場恵峰先生の祖父は書道の名手で、家には書画が沢山あり、恵峰先生はその中で書画を見ながら育ったという。だから馬場恵峰先生は小学校で、担当教師の代わりにクラスの仲間に習字を教える存在になっていたという。環境が芸術家を作るようだ。

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  馬場恵峰師の16歳の時の作品

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 能や歌舞伎の家元で育った子息は、生まれながらに特別の才能を持っていると同じであろう。

 囲碁や将棋の名人には内弟子経験をした人が多いと同じであろう。

 画家を目指して、芸大に入り、絵の世界で立身出世しようと懸命の努力を続けた画家には、何か力みがあり、自然体の優しさがないような気がする。芸術は努力だけでは成功しない世界のようだ。凡人がいくら努力をしても、超一流にはなれない。努力とは別世界の話である。

 

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西洋の画風

 西洋の画家でも、絵で一旗揚げようと描いた絵には、暴力的な迫力がある。悲壮感さえ感じる。日本人の持つ優しさが無いような気がする。日本人は自然と一体感を得たいと思う。それが日本古来の伝統である。西洋では、自然も敵国も闘い征服する対象である。絵でもそういう雰囲気が出ている。日本のように人が自然と一体化する画風という世界とは一線を隔す。

 福田公美さんの日本画は、自然と一体化して自然を受けいる画風である。日本人の愛した花鳥風月の世界に合う。日本人が西洋風の絵画を画くと、日本人はどうしても構えてしまうようだ。

 

名画とは

 私の名画の定義とは、「捕まってもいいから、盗んで家に飾りたくなる絵」である。そんな絵に出会えるのが、盲亀浮木のご縁である。 私は世界の美術館の70か所ほどを回ったが、捕まってもいいから盗んで家に飾りたいという「名画」には、幸い?遭遇しなかった。だから私はお縄を頂戴せず?、塀の外で自由に生きている。

 100号のバカでかい絵、またゴテゴテと油絵具で塗りたくった絵は、日本人にも、その日本家屋にも合わない。まさかルーブル美術館にある「皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」(寸法:621x979 cm)やオランダ国立美術館のレンブラント「夜警」(寸法:363 × 437 cm)の絵を8畳の和室に飾るわけにはいくまい。

 自宅の大きさに合わせて、最適に大きさの絵を選ぶのも、自分の美的センスが問われる。世間が名画と言っているからと言って、鵜呑みにするのは、愚かである。自分には、自分の分相応の絵を選んで飾る。それが自分の美学である。

 西洋では、貴族の豪華な館でこそ映える絵が、名画と定義されているようだ。それは貴族が金に任せて画家に書かせて、富の大きさを誇る絵であるからだ。ミケランジェロの絵も、大富豪のパトロンが金を出して描かせている。

 日展や院展等の展覧会では100号以上の絵でないと、応募に受け付けてもらえないそうだ。その画材だけで8万円ほどかかると言う。そんな絵は、入選して美術館にでもお買い上げされないと、画家稼業では大赤字である。それは自宅保管となる。その保管場所と保管費用が大変だ。有名な画家でも、そういう絵の保管の為、マンションの一室を借りているという。マンションの家賃も馬鹿にできない。画家稼業も大変だ。

 

自宅に飾ると気が狂う名画

 美術館では名画扱いでも、日本の小さな我家では、名画ではない。そんな「名画」はお金をもらっても、飾りたいとは思わない。その分のお金をくれるなら飾ってもいい? 

 数十億円の大きなサイズのゴッホの「ヒマワリ」を家に飾ってどうするの、である。盗難を考えると、心配で夜も眠れない。それでは病気にもなる。ムンクの名画「叫び」を家に飾りたいとは思わない。そんな絵を見続ければ、気が狂ってしまう。ドラクロワの暗い絵を自宅には飾れない。居間が暗くなってしまう。

 そんな類の絵を家に飾るのは、絵の存在価値に対して本末転倒である。絵は見ていて心が癒されないと、意味がない。絵にもTPOがある。またその絵を飾る家の大きさも絵の評価対象である。

 

絵画も適材適所

 50号の絵では、そんな大きな絵を飾れる部屋は日本のウサギ小屋にはない。西洋の「ド高い」名画は、家に飾ると疲れると思う(幸い、そんな絵は持っていないので幸いだ)。日本の和室に似合うのは、花鳥風月の小さな作品である。せいぜい10号までの絵である。

 解剖学者、東京大学名誉教授、医学博士である養老孟司氏は「最近の日本人の精神が貧困になったのは、グローバル経済主義の影響を受けて、日本人が効率主義一辺倒、金儲け至上主義に傾倒し、日本古来の花鳥風月を愛でる余裕がなくなったのが原因だ」と言う。

 私は、幸いエリートでもなく、平凡に暮らしていて、芸術を愛し、花鳥風月の日本画をも愛でている。それでは一銭の得にもならない。だから、私は阿修羅の道を歩まず、精神崩壊もせずに幸せに暮らせている。私は『バカの壁』を超えなかったのだ? でも本音はお金も名誉も女も欲しい....?

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コスモスの秋

 今回、福田公美さんの「秋桜」を入手した。山口百恵ちゃんが歌う「コスモス」を聴きながら、さりげなく壁に飾って眺めるのが、日本流、オダブツ流である。「コスモス」を聴きながら、「秋桜」を見て、人生の秋を考える。

 人生は生老病死、人生も春夏秋冬の移り変わりである。秋は実りの季節である。高齢者には秋の風景がよく似合う。今まで収集した美術品の中から一品を選び、さりげなく飾って楽しむ。それがオーダー仏教(oder仏)、オダ仏教の教祖の美術鑑賞スタイルである。和室に溶け込み、部屋と一体となる絵が名画であると思う。そういう絵は自己主張しない。

 絵とは、自分が主人公として人生道を歩むとき、その道の風景を彩る一輪の花である。何もない延々と続く砂漠の中をとぼとぼと歩むのは寂しい限りだ。その時、オアシスに咲いた一輪の花を見つけると癒される。

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                   秋桜

 

 

2023-11-05  久志能幾研究所通信 2769号  小田泰仙

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2023年10月28日 (土)

巡礼 渡辺陽子人形展 目は語る  in Sagan

人は目で語り、魔女は鼻で根性を見せる

 

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 渡辺陽子さんの人形の眼は、遠くを見つめて、何かを訴えている。そこに何か惹かれるものがある。その一人の少女に魅せられて、我家にきてもらうことになった。ご縁である。魔女?の渡辺さんが生み出す少女の人形は魅力的だ。

 私が人物像の絵画や人形等を見る時は、必ずその目を見る。それがその作品の命だからだ。

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仏師が創る眼 

 仏師の彩色師が佛様の目を描くときは、彫られた目の頂点を探し、佛師が意図して彫った目の位置を探し出して目の位置決めをする。「どんぴしゃに目の位置が決まると、佛様がニコッとするのが分かる」と岩田明彩師はいう。それが目のスイートスポットである。目の位置が決まればあとは佛様と対話をしながら、佛様の表情にあう最適な目に仕上げていく。それが彩色師の仕事である。仏像の眼は、仏師と彩色師の共同の作品である。

 

目にもスイートスポットがある - 久志能幾研究所通信

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決めどころ

 テニスのラケットでボールを打つときも、ボールがテニスラケットのスウィートスポットに当たると、極めて気持ちがよい打撃感が手に伝わる。どんな仕事でも決め所がある。それがうまく決まると、仕事の醍醐味を味わえる。仕事が楽しくなる。仕事の魂と己の魂の邂逅である。そんな出逢いを得るには魂の修行が必要だ。真摯な仕事への取り組みがないと出逢えないご縁である。そんなときは、自分が仕事の鬼となっている。己が鬼にならなければ、仕事の新しい目は探せない。鬼とは己の魂の叫びである。

 

黒目のない眼

 私が高塚省吾画伯の裸婦画に魅了されるのは、その目の清々しさである。きりっとした目は、裸体を晒す羞恥心を微塵とも見せない。

 私が高塚省吾画伯に「清涼」を画いてもらった時、出来た絵に目が無かった。いつものきりっとした黒目が画いてなかった。それで高名な画伯に不躾なお願いで、目を修正してもらった。それで高塚省吾流の眼となり、納得した。

 しかし画廊の店主から、白目の意味を教えてもらった。黒目は外を、白目は自分の内面を見つめているころ表しているという。モジリアーニの描く長く引き伸ばされた顔の目は白目である。自分自身の内面を見つめている目である。そうなると別次元の絵に変貌する。

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    高塚省吾画「清涼」

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 私は、高塚省吾画伯の裸婦画のこういうキリッとした目に惹かれる。

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慈愛の眼

 ミケランジェロのピエタは、マリアをキリスト抱いている姿が真髄である。そのキリストを見つめる眼が慈愛の眼である。「ピエタ」は「慈愛」の意味である。

 不動明王が衆生を見る眼は、怒りと慈しみが籠っている。その眼で迷える衆生を救う。その眼を表現するのが彩色仏師である。

 観音菩薩の見る目も慈愛の目である。衆生の悲しみの声を観て、やさしく慈しみの目で見守る。

 

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 ミケランジェロ ピエタ(レプリカ) バチカン博物館にて

   2010年11月13日   著者撮影

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 大仏師松本明慶作 不動明王

 見る角度によって、怒りの目ともなり、慈愛の目ともなる。

 遠くから見ると、怒りの目と見える。近寄って見上げると慈しみの目となる。それを計算して創られた眼である。

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大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

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2023-10-27  久志能幾研究所通信 2765号  小田泰仙

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巡礼 渡辺陽子人形展 魔女の鼻  in Sagan

 

 目は口ほどものを言い、鼻は心の根性を表す。西洋の魔女はひん曲がった長い鼻で、いままでの生きざまを表している。それだけ多くの苦労をしたのだろう。その魔女が新天地アメリカに渡ると、今までの束縛が無くなり、陽気になり、その鼻も可愛くなり、鼻をピクピクさせて魔法をかけるようになった。それが「奥様は魔女」のサマンサである。日本人はサマンサの魔法を愛した。私もそのドラマに魅了された。そこに人種差別のない慈しみの目と鼻があったからだ。サマンサは鼻をピクピクはさせて魔法を駆使するが、魔法を鼻にかけないのだ。

 そんな陽気なアメリカの魔女に出会って、魅了されたことが渡辺陽子さんを魔女の人形創りに駆り出した経緯である。

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お鼻が高い

 鼻柱が立派だと、その根性は強健だ。鼻で象徴した格言も多い。鼻にかける、鼻持ちならぬ、お鼻が高いのね、等である。目と鼻を観相することは、観相学の基本である。

 西洋の魔女の鼻は必ずひん曲がっている。それで魔女の黒歴史を表しているのだろう。まるで旧家の意地悪い姑のようだ。しかしそのイメージは教会が一方的に黒い印象を付けただけである。市民が思う魔女像とは大きく異なる。そのヨーロッパに対して、新しい家(アメリカ大陸)に嫁いだ新妻の魔女は、可愛い。それが新天地のアメリカの魔女サマンサであると解釈できる。

 

「奥様は魔女」のDVDセット

 魔女ファンの私は、「奥様は魔女」のDVDセット(全256話)を揃えた。(98,000円)

 2018年、大垣で開催されたサラ・デイビス演奏会の後の雑談の場で、私が自宅の書庫の写真をサラ・デイビスに見せびらかしたら、彼女はその書棚にある「奥様は魔女」のDVDセットを目ざとく見つけて、「オー、ウィッチー!」と言って、鼻をつまんでぴくぴくさせて、ニコリとした。それから推察すると米国では。テレビドラマ「奥様は魔女」は大人気だったようだ。

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   自宅の書庫

 (2013年当時は蔵書の総重量が4トン、

  2023年現在は本箱が12個増えて、総重量が5トンになっている)

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 2018年9月17日、河村義子先生が大垣でのサラ・デイビスピアノコンサートを企画し、「彼女」(魔女?)を「世界で一流の音楽を楽しむ会」に招聘した。子供達130名を無料招待した。サラ・デイビスは米国の世界的ピアニストである。私はその時、その演奏会運営のお手伝いをした。「彼女」はとても気さくで、子供好きな人であった。彼女は演奏会後、子供たちが大勢いることに気が付いて、急遽、子供達の為にサイン会を設定した。予定外で事務局は大慌てである。子供たちも大喜びでサイン会の行列にならんだ。下の写真はその時の風景である。

 私は、9月22日の京都アルティでのサラ・デイビス演奏会にも出かけ、ツーショトの写真にもちゃっかり納まった。魔女との出会いも一期一会である。私にピアノの魔法をかけた河村義子先生は、その年の12月25日、天国に飛んで行ってしまった。

 

久志能幾研究所通信: サラ・ビュックナー ピアノの調べ (enjoy.jp)

久志能幾研究所通信: あしながチケット募集「サラ ピアノコンサート」 (enjoy.jp)

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 大垣スイトピアセンタにて   2018年9月17日

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京都アルティでの公演会 サラデイビスさんとツーショト

   2018年9月22日の京都アルティで

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2023-10-28  久志能幾研究所通信 2764号  小田泰仙

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2023年10月26日 (木)

巡礼 渡辺陽子人形展 魔女伝説  in Sagan

 

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 本来の魔女は、古代ゲルマン文明で、土着の宗教として畏敬をもって見られた存在である。それも国ごとに特色ある魔女たちである。例えば、アメリカの魔女は陽気である。日本で言えば、仏教伝来以前の神話の世界やナマハゲ、妖怪たちの世界である。

 古代は、人は目に見えないものに畏敬を抱いていた時代である。当時、魔女は人に危害を与えると考えた存在ではない。祈りの対象でさえある。

 西洋では、良い魔女と悪い魔女が存在する。白雪姫やシンデレラ物語で東条する悪い魔女は、古いキリスト教の影響を受けた文学上のお話しである。文学上の魔女と民衆が抱いていた魔女は同一ではない。

 本来の魔女は、「奥さまは魔女」のサマンサのようにかわいいのだ(と私は信じている)。それを人形として再現したのは、人形作家の渡辺陽子さんである。彼女は40年ほど前、シカゴを訪れた折に出会ったハロウィンで、アメリカ特有の陽気な魔女に魅了され、カルチャーショックといえる感動を受けたと言う。それで魔女を人形作りの技で再現するようになった。その技は人形作家の武藤華世先生(故人)に師事して得た。

 その作品の展示会が岐阜川原町Gallery Sagannで開催されている。魔女にあこがれを持つ私には見ごたえのある作品群である。現代人が思い描く可愛い魔女を、渡辺さんは人形として再現してくれた。

 渡辺さんは神出鬼没で、可愛い魔女のような雰囲気がある。私は彼女にインタビューしようと、何度も試みた。しかし、彼女は訪ねてきた知人と話が盛り上がり、いつも彼女は知人とほうきに乗って何処かに飛んで行ってしまう。魔女を捕まえるのは大変だった(笑)。

 

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魔女伝説

 本来の魔女伝説は、キリスト教が普及する紀元前からあり、古代ゲルマン民族の信仰の対象であったようだ。きっと祈祷で病気を治療したり、霊力ある巫女のような存在を魔女として崇めていたようだ。

 旧東ドイツのハルル地方には、今でも魔女伝説が残っており、魔女祭りも行われている。それは陽気なお祭りであり、中世の魔女裁判とは別世界である。観光シーズンには市の観光課の職員が魔女に扮して、観光客を歓待してくれる。居酒屋では現代の美人魔女が歌を歌い、市民を楽しませてくれる。市民が酒場で酒を飲んで、歌を聞き楽しんでいる。彼女は市民から愛される魔女である。

 ハルル地方の「魔女の集会場」と呼ばれた広場からは、生贄(動物)の血を貯める石の祭壇も出土している。そこは古代ゲルマン民族の大切な儀式の場であったようだ。ゲーテの『ファウスト』に出てくる「ワルプルギスの夜の火祭り」も古代のゲルマン民族の大切な儀式であったようだ。「ワルプルギスの夜の火祭り」は4月30日の日没から5月1日未明にかけての夜を指し、伝えられるところによれば、魔女たちがブロッケン山で大規模な祭りを催して、春の到来を待つという。

 ヒトラーが、そういう言い伝えを信じていたのか不明だが、ヒトラーとその側近は、この祭りの期間中に自殺した。そしてドイツが連合軍に降伏し、欧州に春が来た。

 

中世の魔女伝説

 中世の魔女観は、キリスト教が古代ゲルマン民族の信仰を異端視して、魔女を悪魔の一族として作り上げた虚像である。

 当時のキリスト教世界では、魔女は「悪魔と契約を結んで得た力をもって災いをなす存在」という概念が作られた。15世紀から16世紀の近世ヨーロッパ社会において識字層を中心にこの魔女観が広まって行った。

 その結果、魔女裁判が盛んに行われ、約11万人が裁判かけられ、4万から7万人が処刑されたと推定される。

 15~16世紀に行われた魔女狩りは、キリスト教会の宗教での締め付けと、金稼ぎの術でもあった。無実の女性が火あぶりにされ、その家の財産は教会に没収された。それの恐怖施策で、教会は権力を確固にして、更に暴利を得て堕落して行った。西洋の特権階級は宗教で農奴を縛り、奴隷として、年貢を貢がせ、さらに魔女狩りで無実の人を処刑して巨万の富を得た。

 当時のキリスト教の教義では、異教徒は人間ではないとの考えである。相手が人間ではないので、どんなことをしても構わない。遠征した十字軍も非道の限りを現地で繰り返している。「異教徒は人間ではない」と、ローマ法王からお墨付きをもらっているので、残虐行為のやりたい放題である。それが十字軍遠征の闇の話である。

 その思想の延長線上に、白人の有色人種への人種差別がある。そうでないとあんな残酷なことはできまい。彼らは神から免罪符を得て、残虐の限りをした。そのツケを、現在、欧州は移民問題の騒動で払わされている。

 

現代の魔女狩り

 これが一神教を信じ、独裁政治を信じている人達の末路だ。同じことが、現代でもC国内で行われている。火あぶりどころか生きたまま臓器を摘出して、それで金儲けをしている国があることだ。火あぶりよりも怖しい。それをS学会の御用聞きのK党は、そのC国を援護してウイグル族からの臓器摘出の非難決議を妨害した。そんなK党を支持する人の気が知れない。党員は洗脳されているからだろう。そんな党と連立を組む自民党には愛想が尽きた。

 

2023-10-25  久志能幾研究所通信 2762号  小田泰仙

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2023年9月29日 (金)

巡礼 小貫善二作陶展 練り込みとウツ病、ヒトラーと薬物

 

練り込み

 岐阜河原町 gallery Saganで開催された小貫善二作陶展で、小貫さんから面白いお話しを伺った。

  陶芸における練り込みは、気の遠くなるほど手間のかかる手法である。数種類の違った陶土を重ね合わせていき、作品の模様を作る。それを小貫さんは、万華鏡で見たイメージを、陶土の模様に変えていくという高度な手法を編み出した。

 

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 小貫善二作 練り込み器  in Sagan


技法 練り込み器

 練り込みは、色の異なる粘土を組み合わせ、練り込み模様を作り出す手法である。この技法では、色粘土の組み合わせ方で様々な模様を作り出す。練り込みの色は、通常の粘土の組み合わせで色を作る。また粘土に色顔料を加えて色を作り出す手法もある。

 

 小貫さんは、「練り込みの器を作る時は、あまりに手数がかかり過ぎるので、鬱になりそう」という。だから途中で限界を感じると、製作を止めると言う。だから氏が鬱病になったことはない。それは動物的本能であるようだ。小貫さんの練り込みの陶器を見て、会社時代の鬱病を思い出した。

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器の大きさ

 ところがそういう危機状態でも盲進してしまうのが、現代サラリーマンの哀しい性である。本能よりも理屈や世間体、上司の目だけを優先して生きているサラリーマンたちである。働き過ぎで体が拒否をしているのに、さらに働いて鬱病になってしまう。それは価値観の違う上司に気を使って、働くからだ。自分を殺しての生き方では病気になってしまう。それは自分の生きる軸がなく、他人任せで、なおかつ自分の器が小さいからだ。

 芸術家の小貫さんは、人間として生きている。自分の生き方の軸を持っているから、他人に慮ることもない。小貫さんの行動と比較すると、現代のサラリーマンは人間性を失っている。どちらが進化した人間であろうか、考えてしまう。

 

人生の課題

 人間的にレベルの低い上司の左右されないような大きな人間の器を作る修行をしよう。それが人間に一生かけて課せられた課題である。人間社会で生きて行くと、周りに色んな人間に出会う。その中でどう生きるかが問われる。

 

鬱とは

 「鬱」という字は、樹に葉が生い茂り過ぎた状態を表している。要は、その木の能力以上の葉をつけたので、全体の生命力が弱くなっている状態である。それでも見栄や頭だけで生きていると、体の危険信号を感知できなくなり、そのまま突っ走って鬱病になってしまう。それが現代の状況だ。

 

現代の闇

 私が技術管理課の課長職であった時、鬱病の部下を数人抱えることになった。実戦部隊で倒れた技術者を、その上司が管理課なら閑だろうと私の課に異動させた。そのせいで私は鬱病の勉強をする機会を得た。私はそれで10冊ほどの本を読んで鬱病の研究をした。

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 患者が心療内科の病院に行くと、100%うつ病として診断される。そしてその患者の上司の私でも、部下の病状の情報が全く入らなくなる状態になる。患者の守秘義務を守ると言う大義名分で、患者の情報は伝えられず、上司は医師にも会えない。そういう状態に上司は置かれる。

 医師は、密室状態なので、安心して?患者を薬漬けにすることが出来る。ますます鬱病は治らない。鬱病は薬では治らない。病気になったのは、能力以上に負荷が大きかったのだから、鬱状態を治すには、負荷を減らして人間らしい生活に戻せばよいだけだ。しかしそれでは病院は儲からないので、患者を薬漬けにする。日本の医療の闇である。 

 ヒトラーは専属医モレルにより薬物依存にさせられ、それが原因で、ヒトラーは正常な判断が出来なくなり、第二次世界大戦を凄惨な状況に陥れた。その真の原因はヒトラーの精神を安定させようと投与された薬物であった。ヒトラーは自分の健康には最大の注意を払う真面目な菜食主義者でもあった。そのヒトラーを薬物が襲った。医師は依存性はないとヒトラーを騙して薬物を処方した。いくら悩みがあっても、それは薬では治らない。ヒトラーの病状は、薬物の怖ろしさを見せつける実証実験であった。それは現代の鬱病治療となんら変わらない。脳内への血流への異物の侵入には、鉄壁の防御があるが、薬物の侵入に対しては無防備である。

 

 

鬱病候補者

 うつ病は真面目で責任感が強い人がなりがちである。かのチャーチルでも鬱病になった。エーワン精密の梅原勝彦社長も鬱病になった。日経ビジネスにその記事が出ていた。私は梅原勝彦社長の講話を松下幸之助経営塾で聴いてから、氏に親近感を抱いた。氏は私の会社の機械を使っているとかで、機械の良さを褒めてくれた。嬉しいことだ。

 

鬱病研究

 私も一時鬱状態になった時、病院には行かず、自分で治した。病院に行けば必ず、鬱病と診断され、薬漬けにされることが分かっていた。それは自分の部下の為に、鬱病の原因と治療を研究していたから判明したことだ。そのお陰で、鬱状態を自分で治すことができた。情けは人の為ならず、である。

 当時の会社の保健婦は「小田さんは、軽い鬱状態だから、薬を飲めば、すぐよくなりますよ」とほざいていた。私は、保健婦も医師も信じず、真因はなぜかと、何故なぜを5回繰り返して、追及した。「トヨタ生産システム教」の賜物である。

 

 

2023-09-29  久志能幾研究所通信 2751号  小田泰仙

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2023年9月26日 (火)

巡礼 小貫善二作陶展 器

岐阜河原町galley Sagan で開催された小貫善二作陶展の器関係を紹介します。

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2023-09-25  久志能幾研究所通信 2748号  小田泰仙

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2023年9月25日 (月)

巡礼 小貫善二作陶展 レッド海からライト世界へ

 

小貫善二作陶展が、9月2日~9月26日、岐阜市河原町 Gallery Saganで開催されている。

 陶器で作られたランプは独創的で、幻想的である。血生臭い世間を忘れて、別世界に浸ることができる。

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 小貫善二さん  Sagan にて

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2023-09-25  久志能幾研究所通信 2747号  小田泰仙

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2023年9月18日 (月)

巡礼 平山美智子著『道はあとからついてくる』

 本書には、平山画伯の魂の遍歴の陰の部分が映し出されている。本著は平山郁夫画伯の妻である著者が「家計簿」を通して平山画伯との半生を回顧した手記である。その家計簿は単なる家計簿でなく、メモや買い物の領収書、観た映画のチケット、給与明細までがびっしりと貼られており、それは83冊に及ぶ。それを基にした平山画伯と歩んだ42年の歴史を語った手記である。

 

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    主婦と生活社 1998年1600円

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 彼女は平山郁夫画伯とは東京美術学校(現・東京芸術大学)の同級生で、彼女が首席で卒業、平山郁夫画伯は次席で, 彼女のほうが成績は良かった。卒業の翌年、日本美術院展で、彼女の「群像」が初入選・初奨励賞受賞(今だに破られていないレコードとなる)する。そんな将来を嘱望された才能をもった彼女は、平山郁夫氏との結婚を決意すると、絵を描くことが命と同じくらい大切なものとして生きてきたのに、その筆を折って、平山氏をサポートする立場に回る決心をする。これは並の人ではできることではない。もちろんその決断には深く悩みが存在したが、彼女の男まさりの性格からすると信じられない決断である。その後の画伯の業績は画伯と著者の2人3脚といってもよいのでは。その決意の表れを次のように記している。

 

 「もし、何かを捨てるなら、自分にとって、いちばん大切なもの、価値あるものを捨てる。そうでなければ、捨てる価値がない。つまらない、どうでもいいものを捨てても、何の値打ちもない。捨てたものに価値があれば、その代わりに私が得るものは、もっと価値あるものだし、価値が生じるにちがいない」(p49)

 

 絵は、鑑賞用の絵とは別に画家の思いを共感するために没頭すべき絵に分類される。画伯は中学生のとき広島で被爆し、ほんの僅かな巡り合わせで生きながられたことに運命の感謝しつつ、その被爆の影響による白血病に苦にしみながらも精神的で宗教的な雰囲気の絵画を生み出してきた。画伯の作品は精神の邂逅であろう。それは彼女も同じ道をたどったのであろう。

 

 何と言われようと、弁解などしませんが、私たちは、お遊びで人生を生きたことは、ただの一日もありません。「芸術は、悲しみと苦しみから生まれる」とピカソは言い、「絵は見るものではない。一緒に生きるものだ」とルノワールと語りましたが、私たちも、悲しみと苦しみをバネに、鑑賞用、床の間に飾る絵ではない絵を生み出そうと、ともに闘ってきました。(p145)

 

 仕送り先の実家が、金の件で非常事態になったとき、著者の父が言った一言がその後の人生を作ったと述べている。著者は夫のためアトリエのある家を建てるつもりで必死に貯めていたお金を、奈落の底に落ちるような恐ろしさを感じながらも手元の大半の金を実家に送金する。その後、不思議なことに大きなアルバイトの話が舞い込み、そのうち「土地を買ってしまえば、何とか家を建てたいと踏ん張るだろう。洗いざらい吐き出して、後に賭けよう」との考えが閃き、蛮勇を奮って土地も買うことになる。その賭がその後に思わぬ波及効果を及ぼすことになる。

 

 「金には何の値打ちもない。金の使い道でその金の値打ちが出てくる。今はそのお金をお義父さんのために使いなさい。」

 「金はな、出してしまえば、また入ってくる」と。(著者の父の言葉)(p149)

 

 絵とは、そんなに小難しいものでなく、画家というのもが、世間一般からかけ離れた特別の人種で、特別な生き方、考え方をするといことはなく、どこにもあるありふれた物語と、だれもが経験したことのある出会いや分かれ、喜びや悲しみを土台とし生きているのだということです。

 ただ、ほんの少しだけ、それに注いだエネルギーが他人より多かった、わずかに、ほかより、純度が高かっただけなのだろうと思います。(p164)

 

 当時の私たちの前に、「未来」はありませんでした。「未来展望」すらありませんでした--たただ、ひたすらに、精一杯、その日、果たすべきことを果していくしたなかったのです。道は後からついてきたのであって、あらかじめ存在していたのではありません。(p172)

 

 

 最後の言葉は何回読んでも良い響きがある。本書の題名に昇華される価値ある言葉であり、生きる勇気を与えてくれる。

 人間社会での成果は、ほんのわずかに、他より優れているか否かで決まる。ただし、そのわずかな差を出すには大変な努力が必要だ。実績で示す言葉は実に重い。

 

後日談

 志も生老病死である。自身の才能を殺して平山郁夫画伯に尽くした平山美智子だが、平山郁夫画伯の死後、遺産隠しで国税庁から摘発を受けた。

 老いるとは、志も老いることなのか。高齢の87歳の余命いくばくもない身で、現金2億円をどう使うつもりであったのか。老いても金銭欲は消えないようだ。「欲」とは、「谷」に突き落とされても「欠」けない性と書く。哀しい人間の性である。彼女は素晴らしい道を創ってきて、最後にその道に汚点を残したのが惜しまれる。

 

平山郁夫氏の遺族、遺産2億円隠す 国税局が指摘

 2009年に79歳で死去した日本画家で文化勲章受章者の平山郁夫氏の遺産相続を巡り、妻(87)が東京国税局の税務調査を受け、2億円の遺産隠しを指摘されていたことが13日、分かった。自宅にある現金の存在を知りながら意図的に申告しなかったと認定され、追徴税額は重加算税を含めて約1億5千万円。既に修正申告し、納付したとみられる。

   日本経済新聞 2013年7月13日 11:26

 

2023-09-17  久志能幾研究所通信 2742号  小田泰仙

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2023年8月26日 (土)

巡礼 法華な世界「岩田泰政作品展」in Sagan

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   「時空四路」

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 岩田泰政作品展が岐阜川原町 gallery Saganで8月4日~29日で開催されている。岩田さんの作品はポップな現代アートである。

 「ポップな」とは、ポピュラー(popular)の略で、1960年代に米英に流行した前衛的な美術様式である。現代的なスタイルを指し、「軽い」「気取らない」などを意味する。

 岩田泰政作品群は、おもちゃ箱をひっくり返したような雰囲気である。

 

 ポップアート(pop art)は、現代美術の芸術運動のひとつで、大量生産・大量消費の社会をテーマとして表現する。雑誌や広告、漫画、報道写真などを素材として扱う。1950年代半ばのイギリスでアメリカ大衆文化の影響の下に誕生したが、1960年代にアメリカ合衆国でロイ・リキテンスタインやアンディ・ウォーホルなどのスター作家が現れ全盛期を迎え、世界的に影響を与えた。

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 

 頭の固い私にとって、ポップアートは少し縁遠い作品であった。私が岩田さんに話を聞いて感じたのは、この作品群が「法華な」作品だと言うことだ。岩田さんの作品は、ポップアートのような軽いイメージとは一線を隔している。心が感じた様をもっと素直に表現した作品群である。

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「時空四路」

 この個展のカンバン作品名は、「時空四路」である。彼岸とこの世を結ぶ道を描いたという。時空とは彼岸とこの世を隔てる空間である。「四路」だから天国道、人間道、畜生道、地獄道かと解釈するか、また春夏秋冬の意味と取るかは見る人次第である。またその順序が有るかと問うと、それは全くないという。画伯は思ったことを、構えずに描いた、感じたままを表現したという。だから私はその表現を「法華な」世界と定義した。

 

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「時空四路」を横から見て

 この作品は平面ではなく、彼岸とこの世を上下の板に表現している。だから道は上下で断絶している。この世の青い道が、あの世では赤い道である。この世では青二才が、あの世では赤ん坊に戻る。そんな意味かと推定した。道の先端は西洋の城壁の上にある凸凹を表している。行きつく先の城の背景が、白か黒か灰色か、意味深長である。

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法華とは

 「法」とは三水偏に「去る」と書く。つまり水は上から下に去る、それは何時でも何処でも、地球上で通用する「法」則である。

 人間は、「法」と言う名の掟を作って、世界を支配する。「法は人によって興る」というように、「法」は人に背負われ、その人に命を与えられる。本来の「法」は自然な現象をあらわしたものだ。頭(上)に浮かんだ内容を上から下に自然に表現する。下とは具体的な行動を意味する。それが美術の手法であったり、彫刻の手法や手芸の手段であったりする。横山大観は、弟子に「音を絵に出来なければ本物でない」とまで言った。だから芸術の手法は様々である。その「法」の一つが「華」開いたのが、岩田画伯の作品である。私はそう解釈した。それで私は画伯の作品を「ポップな」ではなく、「法華な」と表現した。

 法華経とは、人間が本来具わっている「佛」の本性を明らかにする経典である。人は誰でも仏になれるのだ。

 私は、俗世間に染まらず、画業に専念する画伯に佛の一面を見た。

 Saganさんの話しでは、見に来た人の中で、玄人の人には評価が高いようだ。その値段の安さに驚いていると言う。もっと評価されてもいいのだろう。古典絵画に洗脳されている私には少し世界が違うようだ。

 

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 岩田泰政画伯 in Sagan

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  こもれ木から伝わる風を表現

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 丸い地球に描かれたトラックを展開すると上記のようになるという。

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 吊るし足首  吊るし首というわけにもいかず、足首にしたと言う。ユーモアである。ボディランゲージとして、生首、手首、次に足首の順である。足首は口ほどにモノを言う?

   材質はセメントとアクリル  片足で価格15,000円

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ゲルニカは芸術ではない

 画伯は修行時代、師から「ピカソのゲルニカは芸術ではない」と指導されたという。私はその言葉に衝撃を受けた。私の芸術の固定観念に衝撃を与えた。それでゲルニカ、芸術、アートとは何かを調べるご縁を頂いた。別記事でこの件はまとめる予定である。

 

2023-08-26  久志能幾研究所通信 2732号  小田泰仙

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2023年7月14日 (金)

70年前のタイムカプセル(3)色香の青春

 

 下記は押入れのタイムカプセルから出てきた芸術関係のお宝である。

 

カレンダー「ミロのビーナス」1971年、三菱銀行発行

 

 当時、このカレンダーが週刊誌上でも話題になり、その素晴らしさを絶賛していた。私はこれが欲しくて、名古屋まで出かけて、三菱銀行に口座を開設した。三菱銀行の支店が大垣には無かったからだ。口座を開くのが、このポスターを手に入れる条件であった。こだわりがある私は、ご丁寧に2つ入手した。

 今見ると、当時の印刷技術のレベルの低さが分かる。それは仕方ない。50年前の印刷技術だ。当時はそれでも三菱銀行が力を入れて作ったポスターであった。写真撮影は女性写真で超有名な秋山正太郎氏、印刷は当時の最高レベルの技術をもった凸版印刷株式会社が担当した。このカレンダーのデザインと担当したグラフィックデザイナーの記事も出てきた。それで三菱銀行の力の入れ方が分かる。

 当時、私はこのカレンダーに大満足であった。しかし50年も経つと、流石にあちこち紙が劣化して欠落している。ポスターだって生老病死である。

 50年前の私が何故こだわったかを今、考えている。この作品は2000年前のギリシャ時代に作られた。しかしその美しさは現代でも風化していない。つまり本物の美であるからだ。それを分った昔の自分の感性が嬉しい。

 実際にルーブル美術館でミロのビーナスに出会えたのは、それから20年後であった。見たいと長く思っているといつかは実現する。それも自分の力で実現できたのは、良き想い出である。会社創立60周年の記念論文募集で最優秀賞を勝ち取り、そのご褒美でフランスに行けたのだ。

 

 その三菱銀行も東海銀行、東京銀行を吸収合併して、三菱東京UFJ銀行となり、その後、三菱UFJ銀行に名前を変えた。名前の変遷から、銀行内部の権力闘争が垣間見えて、当事者の苦労が偲ばれる。私の勤めた会社も合併となり、その軋轢で苦労したからだ。

 

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 オフセット12色刷 凸版印刷株式会社

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 ルーブル美術館にて  1991年6月6日

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ポスター「巨匠ピカソ88歳の青春」 昭和46年(1971年)ごろ

 このポスターは大学の製図実習で書いた図面束に挟まっていた。この展示会で見たピカソの作品は250点余もあり、多すぎてあまり記憶にない。ピカソの線画での卑猥な女性裸体像の乱舞であった。88歳の老体でも性をモチーフにするピカソのバイタリティーは素晴らしいと思う。

 しかし、その50年後の今にして「88歳の青春」というキャッチコピーに痺れた。今にして50年前のキャッチコピーに痺れるとは、私もまだ若い? 私は、その「青春」という詩に痺れている。

 この展示会の会場の丸善ビルは数年前に取り壊されて、今はない。本の売れなくなった時代の象徴である。いくら「88歳の青春」でも、全てのものは生老病死である。ピカソは1973年に91歳で世を去った。私の大学卒業年である。ピカソは88歳の1970年、アヴィニョン教皇庁で140点の新作油絵展を開催している。ピカソは生涯青春と言ってもよいほど精力的に作品を生み出した。見習いたい生き方だ。

 

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 ポスター(部分)

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青春                    サムエル・ウルマン

 

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。

青春とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靱な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。 

青春とは、人生の淵泉の清新さと、夢およびそれを実現させる計画を抱だいた心の状態を言う。

 

青春とは、怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青春よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。

 

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心もしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥となる。

 

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から、美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受けるかぎり君は若い。

 

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、悲歎の氷に閉される時、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ、希望の波を捉えるかぎり、80歳であろう人は青春として生きる。

              宇野収・作山宗久著 『青春』より

                   (産業能率大学出版部刊)

                  94.05.23一部修正追記 小田

Youth  『青春』             Samuel Ullman

 

Youth is not a time of life; it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks, red lips and suppleknees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

 

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetites, for adventure over the love of ease. This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty. Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by desering our ideals.

 

Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

 

Whether sixty or sixteen, there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of game of living. In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

 

When the aerials are down, and your spirit is convered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

 

 

 

2023-07-13  久志能幾研究所通信 2718号  小田泰仙

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