巡礼 絵は祈り 平野峰生鉛筆画展 in Sagan
会期 6月3日~6月27日 11時~17時 (定休日 水・木)
場所 岐阜市 川原町 Gallery Sagan
平野峰生画伯の鉛筆画で表現された作品が展示されている。平野画伯は、鉛筆での表現の極致を目指している。それが感じられる鉛筆画の数々が、Gallery Saganで展示されている。
自分のやっていることがどんな社会貢献になっているか、平野峰生画伯は迷いながら鉛筆の筆を進めている。平野画伯の絵には、描く悩みが表現されている。
その絵が社会で認められ、価値ある値段で取引されていれば、社会の営みの一部として、社会に役立っている証である。誰もその価値を認めなければ、お金を払うこともない。
平野峰生画伯の鉛筆画は肖像画を中心に広く受け入れて、相応の価格で取引されている。それだけ社会の役立っている証である。その創造物が社会に受け入れられて、新しい価値を生んでいる。
芸術とは
「芸」という字には、匂い草の象形文字である。芸術作品は、ある特定の時代、特定に人にしか受け入れられないという冷酷な宿命がある。その作品が何時でも何処でも誰にでも受け入れられるわけではない。その絵の価値が認められるのに、時代の価値観が変わり、その時間がかかる場合もある。
社会は一歩前に進み過ぎる人を狂人と呼び、半歩前に進む人を先駆者と呼ぶ。時代と共に歩む人は迎合者である。歴史はその狂人を革命者と称える。
ゴッホもそれが認められたのは、ゴッホの死後である。ゴッホは、生前、極貧の中、筆を折らず、描き続けた。何か鬼気迫る姿である。天才は社会から一歩前に進み過ぎたきらいがある。それはある意味、宗教の祈りに似た心境かもしれない。
絵画の歴史
人は太古の時代から絵を描いてきた。先史時代の洞窟や岩壁の壁面および天井部に描かれた洞窟壁画は、現存する人類最古の絵画である。壁画は4万年前の後期旧石器時代より製作されている。これらは社会的に敬われていた年長者や、シャーマンによる作品であると信じられている。
当時の食料確保も大変な時代に、絵を描く人がそれで生計を立てようとして描いていたとは思えない。しかし実際に洞窟等ですばらしい壁画が描かれていることは、それを専門にしていた人がいた証拠である。推定するに、それは目に見えない何らかの偉大な存在への豊作、豊漁、豊狩への捧げものとして祈りの形であったのだろう。それを年長者や、シャーマンが描き、彼らを部族の皆が支えていたのだろう。そう考えると、絵を描くことは神聖な神への祈りであったようだ。
最期の豊作
私が一番感動した絵は、田園の稲の風景画である。平野画伯の描く鉛筆画での一本一本の稲、一粒一粒の稲粒を描写する様は、祈りである。油彩では決して表現できない手法である。祈りとは言葉だけの世界ではない。祈りとは具体的な行動の繰り返しである。それで出来上がった創造物が、見えざるサムシンググレートへの捧げものなのだ。それは祈りの昇華である。
その風景画は、二度とない最期の豊作の姿の遺影である。農家の人が高齢で、その年で稲の作付けを止めるという。画伯は、その風景を鉛筆画で遺したのだ。それは今まで豊かな稲を生んでくれた大地への感謝の絵でもある。
それこそ太古の時代に洞窟や岩壁の壁面や天井部に書かれた絵とおなじではないか。画伯は、「風景はその土地に住む人々の心の心映え」と言う。その心映えは、古代人が豊作、豊漁、豊猟を願って描いた絵と同じである。素朴な岩石の面に描いた技法が、現代の進化した技術を使って精密に描かれている。どちらも心の反映であることには変わりはない。
Gallery Sagan
平野峰生画伯
部分
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平野峰生プロフィール
1962年、愛知県生まれ。弥富市在住。
愛知県立芸術大学・大学院デザイン専攻を修了。
ランドスケープデザイン・建築設計事務所勤務を経て、
1996年アーキテクチュアル・レンダラー、画家として独立。
2008年 「産土の心-飛騨種蔵 冬から春ヘ-」(飛騨市宮川町文化祭)
2009年 「産土の心-飛騨種蔵 二度目の四季—」(飛騨市宮川町聖圓寺)
2010年 「産士の心-飛騨種蔵-」(岐阜市十六銀行本店ギャラリー)
2012年 平野峰生鉛筆肖像画展「和顔鑽仰」(愛知県江南市、ギャラリーみわ)
平野峰生鉛筆肖像画展「和顔鑽仰」(東京都青山、たまサロン)
平野峰生鉛筆肖像画展「和顔鑽仰」(名古屋市中区、ギャラリーチヨダ)
平野峰生鉛筆肖像画展・講演会(北海道野付郡別海町、本覚寺報恩講)
平野峰生鉛筆肖像画・風景画展「和顔鑽仰」(愛知県津島市)
2013年 平野峰生鉛筆画展「肖像と風景」(滋賀県米原市、グリーンパーク山東 伊吹の見える美術館)
敬老の日「はつらつ健康まつり」講演・展示(名古屋市東区)
2014年 平野峰生鉛筆肖像画展「和顔鑽仰 2014」(東京都大塚マスミギャラリー)
平野峰生鉛筆風景画展「産土の心-飛騨種蔵-」(東京都青山、たまサロン)
朗読・対談「画に耳をすます。朗読を見つめる」(東京都大塚、マスミスペースMURO)
平野峰生鉛筆肖像画展「和顔鑽仰 2014」(愛知県江南市、珈琲&ギャラリ―予約席)
2015年 久野博史×平野峰生二人展「感動がこころをケアする」(愛知県豊川市)
平野峰生肖像画展「燈の記・和顔鑽仰」(愛知県岡崎市、画廊・ギャラリー Musee Soleil)
2016年 「和顔鑽仰 in シニアステージいつきの夢」(愛知県一宮市、笑顔の家プロジェクト)
「和顔鑽仰 in 南生協よってって横丁」(名古屋市緑区、笑顔の家プロジェクト)
平野峰生鉛筆画展「画に耳をすます-飛騨種蔵から始まる物語-」(岐阜県飛騨市、飛騨市美術館)
2017年 平野峰生鉛筆風景画展「空歩庭園」(岐阜県土岐市、かふぇぎゃらりぃ五斗蒔)
2018年 平野峰生鉛筆肖像画展「観自在記への扉」(岐阜県恵那市、ギャラリーなすの花)
2020年 平野峰生鉛筆肖像画展「ありがとうの KISEKI 2020」(愛知県江南市、珈琲&ギャラリー予約席)
2023-06-20 久志能幾研究所通信 2706号 小田泰仙
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