c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2024年2月 1日 (木)

自分生産工場、加熱で人生作り、昇華

トヨタ生産システム:人作り、モノ作り

 

トヨタ生産システムの基本

 前工程は神様、後工程はお客様(生産はカンバンで)

 不良品を後工程に流さない(後工程はお客様)

 異常があればすぐラインを止める(アンドン)

 問題は何故なぜを5回繰り返して真因を探す(対処療法は禁止)

 神仏を尊崇、報恩感謝の生活(豊田綱領)

 

自分人生生産工場

 自分人生生産工場では大釜が据えられている。その釜とは自分自身の体である。その中に何を入れて料理するか、それが人生の仕事である。釜の下から、業火(試練、天災、イジメ、事故)等で加熱され、窯に入れた中身が料理される。土で出来た人間の体は、何時かは土に戻る。死んだ後に残るのは、料理され、昇華した物だけである。自分は何をこの世に残して旅立つのか、それが人生の使命である。

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前工程は神様、後工程はお客様

 与えられた材料・環境・条件で生産する。えり好みはできない。自分がパレスチナの紛争地区、中国、ロシア、ウクライナで生まれなかったことを喜ぼう。日本のこの時期に生れたことを喜ぼう。私のご先祖は生れた時期が悪く生まれ、戦争に駆り出され、極寒の地や灼熱の地で土となった。それを思うと自分の境遇に感謝して、置かれた場所で、最大最良の生産をして、後工程に花を流そう。

 

不良品を後工程に流さない

 自分人生工場の生産品は「信用」である。

 後工程はお客様である。人生工場の生産工程では、世の中に迷惑をかけないものを後工程に流す、である。世界の価値観は大きく異なる。人や国を観るなら、長年の歴史的事実、過去の言動を観て付き合い方を考えよう。付き合う人により、人生が変わる。付き合わない方が、良き人生を送れる場合が多い。

 日本の価値観は、人様に迷惑をかけるな、約束を守れ、お天道様が見ている、である。

 

 

カンバン式で、納期を基準に着工手順を決める

 人生では、期末試験、卒業、就職、天災遭遇、定年、旅立ちと、明確に来るべきイベントが決まっている。決められた時期に人生カンバンがその都度、一枚発行される。それを心して昇華して、次工程に流すのが、人間としての義務である。。

 カンバンが来ることは分かっているのだから、その準備と手順をあらかじめ決めておく。その意識がないから、慌てるのだ。

 日本列島に住む以上、一生のうち、一回は巨大地震のカンバンが発行される。南海トラフ巨大地震はこの2000年間で、100年毎に起きている。日本列島の定期行事である。それを人生の生産計画に入れて、その準備をすることが、人生の危機管理である。それがトヨタ生産システムである。災害に備えて、必要なものを備蓄しよう。災害大国日本で災害に合うのは、当たり前。それは、神様の前工程である。それに文句を言っても、すこしも解決の手助けにならない。相手は神様なのだ。

 

病気は自分と言う設備の保全不備

 その原因を「何故なぜを5回繰り返し」て真因を探すべし。対処療法ですませるから、病気が再発する。自分と言う設備が健康で稼働しないと、良い製品が生産できない。健康で生産活動をすることは、人生の義務である。

 自分生産工場はこの世に何を生み出すのか、自問しよう。それこそが使命である。

 

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 馬場恵峰書、文責は著者

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神仏を尊崇して、報恩感謝の生活(豊田綱領)

 トゲが一本が指に刺さっただけで、生活が乱れてしまう。何もなく平穏無事に暮らせることが如何に素晴らしいかを考えよう。人生の生産が平穏に出来ることを神仏に感謝しよう。まずそこから生産を始める。

 

 

「死」というカンバン

 人として生まれた以上、何時かは来るのが「旅立ち」である。その準備を予めするのが、トヨタ生産システムである。死のカンバンには、納期が明記されている。概ね80年後である。人生の定年延長、人生じまいの納期の延期は、自分で健康管理に精進すればできる。

 

 モノの仕掛けの最終工程は出荷である。人生生産ラインで、人として生まれれば、最終工程は出棺である。心して準備をしよう。

 看取り士の資格を取って、知識を得て、その準備をするのがよい。

 

 戒名を葬式の時受けるのは、臨時応急処置である。戒名は生前に、準備して頂くのが正式の工程である。葬式は、戒名を頂く授戒会とお別れの告別式から成る。生前に授戒会を受けるのが正式である。

 私は戒名は既に頂いたので、今年、授戒会の儀を受ける予定である。

 

2024-02-01  久志能幾研究所通信 2814号  小田泰仙

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2024年1月29日 (月)

死ぬ前に 会っておこう あの人に

 

 人は還暦を過ぎると、いつ死んでも不思議ではない。

 10年ほど前に、一緒に卒業研究をした学友から年賀状をいただいた。「そろそろゆっくりしたいね、一度会いたいね」とのコメントがあったので、4月ごろ、家に電話をしたら、1か月前に亡くなったと…. 死因は、急性の癌であった。享年62歳

 2年前に年賀状を頂いた高校の学友に連絡を取ろうとしたが、この2年間、全く連絡が取れなかった。今年の1月に、5年ぶりに開催された高校同窓会で、彼の死去を知った。享年71歳

 5年前に私のピアノの先生が亡くなられた。享年61歳。

 3年前に、馬場恵峰先生が亡くなられた。享年94歳。

 一昨年、音信がなかった叔母が亡くなった。享年86歳。

 一昨年末、従弟がコロナで急死した。享年77歳。

 

 そう、人は還暦を過ぎると死亡率が急増する。だから死ぬ前に、会いたい人には会っておこう。自分も明日が分からない。

 

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 馬場恵峰書

  良き桜が咲いた、明日花見に行こうと思ったら、春一番がきて、散ってしまった。

  いい花が咲いた、明日見に行こうと思ったら、夜に雨が降り、散ってしまった。

  今やるべきことを今やろう。会いたい人に会っておこう。

  人生は長いようであっという間でもあり、時間だけは無常に流れ続ける。

  自分も何時散るか分からない。

  人は生老病死。

  出会いは一期一会

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厚生労働省:平成20年人口動態統計月報年計(概数)の概況 によれば

 40歳代前半の人の死亡率は  121.6      

 70歳代前半の人の死亡率は 1 671.5

      平成20年で、10万人当たりで

 

厚生労働省:平成20年人口動態統計月報年計(概数)の概況 (mhlw.go.jp)

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai08/kekka3.html

 

 つまり70歳代前半の死亡率は、40歳代前半の死亡率に対して、13.5倍である。70歳代前半の10万人に対して死亡者は1 671.5人、つまり同年代の人の1.6%の人がその年に亡くなる。

 つまり高校の同窓生400人中で、毎年6.4人が亡くなる。5年毎に同窓会を開けば、その時に32人の訃報に接することになる。それは自分の訃報かもしれない。人の訃報を聞いただけ、幸せかもしれない。明日は我が身なのだ。だからこそ、会いたい人には、早めにあっておこう。

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自問自答

 ただし、その人が本当に会いたい人ですか? 会うのに値する人ですか? 1時間相手と会うとは、その人の人生時間を1時間奪うこと、自分の残り少ない人生時間を1時間消費する事。その人がそれに値するか、自分にその価値が有るか自問しよう。その価値が出るように今かからで遅くないから人間的魅力を上げよう。

 

 仏法の掟は、生あるものは全て生老病死である。「法」と言う漢字は、水(さんずい)が上から下に「去る」と書いて、「法」である。重力のある地球上での宇宙根源の理である。

 

 

 

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 馬場恵峰書

 

 

 

下記の記事を更新しました。

 備蓄品リスト、トイレットペーパーを追記しました。

 

2024-01-29  久志能幾研究所通信 2812号  小田泰仙

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2024年1月27日 (土)

法華経の教えで人生を哲学する

 

 この一年弱、私は石原慎太郎著 現代語訳『法華経』(全509頁)(玄冬舎)を一日2頁のぺースで音読してきた。その読破が先日に終わった。現在、二順目の読誦に入っている。また並行して音読していた漢文の真訓対照『法華三部経』三木随法編著(全461頁)(東方出版)も、やっと337頁まできた。

 現代語訳『法華経』を読破して、石原慎太郎の解説でお釈迦様の教えに納得させられた。

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  石原慎太郎著 現代語訳『法華経』(全509頁)(玄冬舎)

  『法華三部経』三木随法編著(全461頁)(東方出版)

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 三木随法編著『法華三部経』

   漢文の読み下し文でおおよその意味はわかる。

   般若心経の全漢文のお経に比べれば理解は容易である。

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 下記は石原慎太郎著 現代語訳『法華経』の解説部で、それを加筆編集して要約することで、法華経がよく理解できた。

 また三木随法編著の漢文真訓対照『法華三部経』の漢文の読み下し文と、石原慎太郎著現代語訳『法華経』と併行して読んだことで、内容の理解が深まった。

  法華経は、正式名を妙法蓮華経という。お経の中でも早い時期に作成されたといわれており、主に天台宗と日蓮宗で読み上げられる。曹洞宗でも、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」がお勤めのお経として読まれている。

 法華経では、「今を生きることが最も大切である」「人は皆平等であり、どのような人も隔たりなく成仏して極楽浄土に行ける」という、仏教の原点の教えが説かれてる。

 それがキリスト教やイスラム教の一神教と違うところである。一神教は、厳密な教えで、それに背くと、地獄にしか行くしかない。まるで洋服を着るようで、礼服に合わせて生活するような感じである。ところが仏教では、まるで和服を着るように、人間にあわせて、その体を包み込んでくれるようだ。なにせどんな悪人でも、何妙法蓮華経と唱えれば、極楽浄土へ行ける。今の社会のように多様性を認めた宗教である。

 聞けば天台宗と日蓮宗の宗徒でも法華経の全てを通して読んだ人は少ないという。それを石原慎太郎著の現代訳『法華経』で全て読破できて、嬉しい。それでその本質がよく理解できた。

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石原慎太郎著現代語訳『法華経』の解説部を要約

 法華経はお釈迦様が、長年その布教活動をされてきて、亡くなる直前に説かれた最終形の法話である。法華経は、人生を生きていくうえで存在と時間の意味を教えてくれる哲学書である。なぜ自分が存在するか。その存在が時間とともに変化することを寓話で説いた説法である。

 法華経の教えでは、死者は不滅である。悟りを得てこの世を去った者は不滅であり、永遠性を保った私たちの先祖だと説いている。確かにご先祖は自分の中に生きている。それが他の宗教と違うところである。だから仏教では、ご先祖を大事に敬う。

 

 お釈迦様の臨終の席で弟子たちが「これからお釈迦様の教えを守り抜く」誓いを立てるが、お釈迦様は、「お前たち弟子に頼ることはない」と否定をされる。そうすると、地面が割れ、無数の菩薩たちが現れ出る様が描写をされている。それこそ単なる死者ではなく、ご先祖、仏の教えを受け継いだご先祖が、地面の下から湧き出て、復活したことを示している。つまりこれは、私たちをご先祖と力強く結びつけている教えを示している。

 我々は長い時間をかけて、自分とは何か、佛はどこにいるのかと探し回っている。しかしその佛といお宝は、自分の中の存在している。まるで青い鳥を探して旅をしていたチルチルとミチルの兄妹。 青い鳥を探し求めるも、結局捕まえられず家に戻ってくる。その青い鳥は家に居たのだ。その童話と同じである。そのことを、多くに寓話を用いて衆生に説いているのが法華経である。

 

 ホーキンズ博士が日本で講演をされた際、石原慎太郎氏が博士に「貴方がいう宇宙時間で、瞬間的というのは、何年ですか?」と問うと、博士は即座に「百年」と答えられた。これは非常に暗示的な回答である。我々人間は、この宇宙空間での100年の人生など瞬間的にしか生かされていないことを示している。

 お釈迦様は宇宙という概念を把握して、その存在の危険性も予言されている。『法華経』で説かれている宇宙の無限の広がりの中、時間という観念は、日常の春夏秋冬という変化にそって考えられている。我々が考えている時間は、位相の違うものとしてお釈迦様は説かれている。これはアインシュタインが思いつき、証明した時間に関する真実と同じである。

 哲学とは、存在と時間を考えることであるとアリストテレスは言う。その存在を変えてしまうのが時間である。それをめぐる存在として第16「如来寿量品」で説かれている。

 

 『法華経』は、無限の宇宙にも教えが及んでいるし、アインシュタインが気づいて説いた位相の違う時間についても解き明かしている。

 

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 馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集  『報恩道書写行集』

     (久志能幾研究所刊)より

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キリスト教

 聖書は、キリストが愛を説いた一代記である。キリスト教の教義は後年、神学を基に付け足されて生まれた教義である。

 

イスラム教

 イスラム教はマホメットの高圧的な教えで、いわばマホメット家の家訓である。厳しい自然環境で生まれた家訓としてのイスラム教は、「目には目を、歯には歯を」と厳しい掟がある。温暖な地域で生まれた仏教には大きな寛容さがあるのとは大きな差である。

 

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 馬場恵峰先生宅で撮影   ‎2015‎年‎1‎月‎12‎日
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2024-01-27  久志能幾研究所通信 2810号  小田泰仙

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2024年1月26日 (金)

気を付けよう 雪道歩行 あの世逝き

銀世界 色気のお誘い 逝き景色 

黄金色 政治屋パー券 命取り

 

 先日来、この冬最大の寒波と大雪の来襲で往生している。10年程前、菩提寺の檀家のU医師から、「人は転倒すると100回に一回は骨折する」と聞いた。

 国会議員は100回不正をしても、1回しか逮捕されないようだ。

 忍法「ドリル小渕」術を使えば、証拠は隠滅できるからだ。

 ドリル小渕として勇名をはせた小渕優子が落選せず、塀の上を歩き、塀の中に堕ちず、国会議員を続けていられるのは、選挙民の意識が低いからだ。それでは日本は少しも良くならない。こんな国会議員が跋扈しているから、パーティー券の裏金問題が隠蔽され、国民が地獄に逝きそうだ。

 2012年頃、自宅内の居間で、畳に滑って手で支えたおり、小指を骨折したことがある。小指は小さな力で簡単に折れる。

 私は2013年、朝の散歩中に転倒して手をついたら、骨折したことがある。その日は寒い日で、大垣「四季の路」の川沿の歩道が凍結していた。確かに、人は転ぶと簡単に骨折することを実感した。

 特に雪が路面に積もり、歩きにくい時は、要注意である。私は雪が降ったら外出しない。車での外出も控える。特に高齢になると、バランス感覚と筋力が低下して、転倒しやすくなる。

 私の人生哲学は、

 人は生老病死、何時までも若いつもりで無理をしてはいけない。

 無理とは、宇宙根源の理に反すること。

 老いては古に従え。

 「古」とは、いにしえからの教えである。

 

 

転倒は死の気配

 65歳以上の人で、要介護になった原因の第二位が骨折である。第一位は認知症である。要介護者の16.5%が骨折の原因で要介護になった。要介護になったらお迎えが近い。

 65歳以上の人の骨折の原因は、82%が転倒である。

 65歳以上の人の転倒、転落、墜落で、86.4%の人が死亡している。8851人が死亡である。(厚生省人口実態調査会 2020年)

 骨折して1年後、以前と同じように動ける人は半分だけ、つまり半分の人は、動けない。

 大腿部の付け根の骨折では、5年後生存率は、一般の人の66%未満である。

 

65歳以上の日常生活での事故による救急搬送、8割が転倒 骨折は寿命を左右します (asahi.com)

 

雪景色の大垣「四季の路

 2011年1月16日、大垣は大雪だった。大雪の日は、出歩いてはいけません。当時、私は大垣に帰郷したばかりで、まだ若気の至りの勢いで、美しい雪景色を撮影しながら「四季の路」を歩き回った。今から思うと無謀であった。

 2011年1月16日 撮影

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 四季の路 向うは旧・大垣市役所

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 住吉燈台

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 大垣城 

 

転倒防対策

 大雪の日は、あの世に行かないために、外出を控えよう。

 雪道での車の運転も控えた方が、身のためだ。

 私はスタッドレスタイヤを持っていない。雪が降れば、運転しないから必要がない。道路の雪が溶ける1日間を待てないような短気になっては、お迎えは近い。

 老いたら自然現象と仲良くし、気は長く、命を長らえるべし。

 雪景色 油断をすれば 逝き景色

 

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  馬場恵峰先生宅で撮影

 

2024-01-26  久志能幾研究所通信 2809号  小田泰仙

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2024年1月21日 (日)

真エネルギー政策、脱利権、脱中国、脱民族虐殺

 

 我が家のエネルギー政策は、脱自動車、脱病気である。冷暖房はエアコンが基本で、再生エネルギー使わず、太陽光発電やらず、電気自動車も買わない。なるべく電車、バス利用である。基本は歩くである。

 

 脱炭素として、自動車をなるべく使わず、公共機関、自分の足を使って移動である。脱炭素に一番反することは、事故を起こすこと。事故を起こせば、その対応で多大のエネルギーを使う。

 交通事故は、走行距離に比例して、一定の比率で必ず発生する。要は、運転しなければ、事故は起こらない。

 

 人生道を走る上での最大の反「脱炭素」行動は、病気になること。病気になると、多大の石油を使うことになる。健康こそ、最大の脱炭素行動である。

 

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冷暖房

 私の家での冷暖房は、エアコンが基本である。電気コストは高いが、まず健康上と安全上でエアコン一択である。エアコンは空気を汚さない、安全な暖房と言える。暖房の補完として石油ストーブを使っている。昼間はエアコンだけだと少し寒いので、補助的に灯油ストーブを使う。温まるまでの1時間の限定で使っている。

 

 電気もエコキュートを使い、深夜電力を活用している。以前は都市ガスを使っていたが、ガスを止めてオール電化である。確かに都市ガスの火力は強く、速く温まるが、その分、お金がかかる。空気も汚れる。

 また私が高齢になり、火の扱いに不安を覚え、オール電化にした。歳を取ると、ついうっかりで火の消し忘れも危惧される。また大震災時のことを考え、ガスよりも電気が総合的にベターであると判断した。

 災害時の復旧するための日数は、ガスの復旧は時間が極端に長い。

 また大垣ガスの経営陣が信用できないので、ガスをやめた。

 復旧するための日数  電気 6日

           上水道 30日

           ガス  55日

 都市ガスでの暖房は、部屋の中の酸欠を招き、健康上で芳しくなく、就寝中の危険性を考えるとガス暖房と言うわけにはいかない。

 室温が18度以下だと、高齢者の寿命が短くなるという医学データがある。冬はもちろん、夏も熱中症対策で、私の家は就寝中も室温維持のため、エアコンをかけっぱなしである。お金の問題でなく、生死の問題である。 

 

最大の省エネ暖房器具

 自家の最大の省エネ暖房器具は、重ね着である。着ぶくれでもいいから服を着こんで過ごしている。それが一番の省エネである。かのエリザベス女王も、英王室の経費節約で、余分に一枚羽織って暖房費を節約したという。

 

太陽光発電

 私は太陽光発電を使わないし、その使用に反対である。太陽光発電は中国のパネルが8割を占め、媚中議員の利権となっている。そのパネルの生産には、ウイグル族の強制収容収監、臓器摘出のおぞましい背景がある。それは国連が正式に認めている事実である。日本は媚中派の公明党が反対したので、国連決議に加われなかった。

 結晶シリコンの世界の45%はウイグル地区で生産されっている。残りの30%がウイグル以外の中国である。中国の生産は75%になっている。日本の太陽光パネルの8割が中国からの輸入品である。

 太陽光パネルを推進するということは、中国にカネを流すということだ。それを推進している輩は、中国からのリターンが多いということだ。それが誰かは日頃のニュースを見ていれば、すぐわかる。

 太陽光発電は天候が不安定な日本には合わない。天候が悪い日や夜間には発電できない。梅雨や冬期などは長期間発電できない。その場合は電力会社から買電しなくてはならない。少しも脱炭素社会にならない。

 また狭い国の日本で、太陽光発電は従来の発電所の300倍の面積が必要である。日本の国情に合っていない。

 また火災時の危険性もあり、太陽光発電には私は大反対である。

 

電気自動車

 私は電気自動車(EV)を買わない。またガソリン車よりも、まず電車、バスを使って、自家用車に乗る機会を減らした。それが一番の脱炭素である。

 自家用車では移動にキロ130円の経費が掛かる。バス、電車ならその費用はその5分の一以下である。

 例えば、自家用車で大垣の自宅から岐阜市の中心部に行くと片道距離約20キロで、2600円かかる。電車バスなら470円である。それでいて所用時間は同じである。電車バスなら移動中にお仕事が出来る。

 

 EVもその電池の生産で、中国の希少金属で生産が制限されている。EV推進は、日本の自動車技術に追いつけない欧米と中国がしかけたトヨタ潰しの陰謀である。世界の全ガソリン車をEVに置き換えたくても、必要な電池生産に必要な希少金属が地球上に存在しない。

 実際、EVの生産から、運転、廃棄までの全エネルギーを計算するとEVはガソリン車よりも多くの石油を使い、少しも脱炭素になっていない。それが最近暴露され、欧米でEVへのシフトが止っている。

 

SDGsは旧統一教会もどき

 SDGsはまるで旧統一教会もどきの活動である。その趣旨は素晴らしいが、その裏では新興宗教まがいの騙し合いが跋扈している。太陽光発電も風力発電も、電気自動車も実際は、利権まみれである。そのパネル生産では、ウイグル族のジェノサイド、有害重金属の垂れ流しが蔓延している。太陽光発電も風力発電も日本の自然風土に合わず、自然環境を破壊し、山の蓄水機能を破壊し、大災害を誘発している。熱海の土砂崩れが良い例である。

 令和3年7月3日10時30分頃に静岡県熱海市伊豆山の逢初川で土石流が発生し、下流で甚大な被害が発生した。28人が犠牲となった。

 太陽光発電のパネルを並べるために、山が削られ、樹木が伐採されて、自然が破壊されている。

 

再生エネルギー政策の闇

 太陽光、風力発電等の再生エネルギー政策で、政府は再生エネルギーの推進のためと称して、電気代に再生エネルギー税が上乗せされている。多くの人はそれに気が付かず、支払っている。一般的な3人家族の家で毎月約1,300円の再生エネルギー税が有無を言わさず、徴収されている。電気明細を穴のあくほど見てみよう。

 自家では、毎月1600円ほどの再生エネルギー税が強制集金されている。

 敵もさる者、電気使用明細は、多くの人が見えないように電子化されて、郵送されなくなっている。特別に申請して月100円の郵便代を払わないと、容易には閲覧できない。敵は狡猾である。

 

 その再生エネルギー税の金の一部が、太陽光発電の家が売電する金が回されている。当然、今までにないカネが動けば、裏でその金の一部をチューチューする公金詐取人がいる。だからやめられない、止らない。

 

エネルギー別単価比較

 全国平均(2023年12月) エネルギー別単価比較<1kWh当りのエネルギー単価(税込み)>

灯油のエネルギー単価を1とすると

  灯油       1.00

  LPガス     1.99

  都市ガス     1.24

  電気(夜間)   1.58

  電気(昼間)   2.67

  電気(従量電灯) 2.21

 

 2023年12月度のエネルギー別単価比較を見てみると、灯油に比べて、電気(昼間)は約2.7倍、深夜料金に比べて1.58倍である。基本的に灯油は他のエネルギーより経済的だ。それは直接、手元で燃やしてエネルギーに変換するからである

 

 

2024-01-21  久志能幾研究所通信 2806号  小田泰仙

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2024年1月15日 (月)

聖徳太子でなく、少得大志を目指す

 

 今の私は、一日一件、一日一か所の「きょうよう」「きょういく」を標語としている。人の脳はマルチタスクにはなっていない。それは2000年前から人間は少しも進化していない事実からも言える。

 聖徳太子は10人の人の訴えを同時に聴いたそうだが、凡人の私には無理である。

 以前は、出かけると、ついでにあちこち寄った。今はその気力も体力もない。現役中は同時進行で2つことをやったこともあった。今は、やることは一つ、出かけても、行く場所は一か所と決めている。

 「きょうよう」とは「今日の用」で、「きょういく」は「今日行くところ」である。

 「志」とは「十」ある思いのうち「一」つだけを「心」で支えると書く。

 

 マルチタスクとは、ながら運転である。それは両方の仕事がいい加減になることだ。「一事一心一念道」で、日々の仕事を丁寧に確実にこなそうと、仕事のやり方を変えた。

 コンピュータでのマルチタスクも、実際は、CPUのクロックごとに、仕事(タスク)を切り替えながら処理しているだけで、同時に処理していない。あまりの早い速度で処理するので、人間様にはマルチタスクでやっているように見えるだけである。

 車の運転でも、私は運転中にラジオ・音楽をかけない。ラジオを聞きながらの運転は、試験車評価者(テストドライバー)には禁止されている。だから私は車外からの音に全神経を集中させて、運転をしている。安全運転第一である。

 

 食事でもテレビを見ながらはやらない。きちんと咀嚼をして正しく、感謝して食べる。それが健康と幸せを維持する秘訣である。ジャンクフードを仕事しながら食べるなど言語道断である。

 パソコン業務も、モニターが4Kの43インチだから4画面を表示しても十分に見える。しかし私は1画面だけしか表示せず、一つの仕事しかしない。

 

 生きることも真剣である。ひたすら一本道。

 脇目をしたり、死んだふりでは、良い仕事はできない。

 

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2024-01-15  久志能幾研究所通信 2803号  小田泰仙

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2024年1月 8日 (月)

死季の風 高校同窓会の出会い

 

 人生は生老病死である。2024年1月7日、6年ぶりに開催された高校の同窓会に出て、つくづくそれを感じた。55年前に400名が母校を卒業した。今日の同窓会で43名の物故者があることが発表された。73歳の今、約1割の仲間が亡くなっている。その数の多さに驚いた。

 一昨年、F君から年賀状を頂いて、連絡を取ろうとしたが、電話が全く通じなかった。今日の物故者の掲示で、彼が亡くなっていたことに愕然とした。8年ほど前に、彼と再会して楽しく歓談した。今度は訃報である。改めて自分が生かされていることに感謝である。70を過ぎたら、何時死んでもおかしくない。古希とは、古く希なる存在なのだ。私も5年間にがんを患い、一時は死を覚悟した身である。

 いつ死んでもおかしく無い自分である。精一杯生きていくために、世の中に役立つ身でありたいと思う。単に生き永らえたくはない。此の世で役立たなくなったら、お迎えが来ると覚悟している。

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  同級生の物故者を掲示

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 久志能幾研究所通信   春風秋雨

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 多くの動物は、生殖が終わると、そのまま死んでしまう。サケは、産卵が終わるとそのまま死である。カマキリは、生殖が終わると、雄は雌に頭から喰われてしまう。それが子供の栄養となる。雄は従容として雌に喰われる。それを思えば、人間は幸せだ。せめて社会に役立つような老いの生活をしたい。

 

同窓会で発見した多様性

 断捨離をすすめている仲間とお話しをした。その人は正規の職は退いたが、第二の職場でまだ現役である。現在、実家の整理中で、親や自分の写真等を全てシュレダーにかけて処分をしたという。思い出の品も全て捨てたという。親の写真の友人が写っていれば、それもその友人の個人情報なので、処分したという。位牌や遺骨もお寺に納め、墓じまいもしたという。断捨離をするか、しないかの、どちらが正しいというわけではない。

 そういう生き方もあるかと感心した。それは私と真逆であった。私はアルバム類を全て残している。お墓も新たに建立した

 お釈迦様はあの世が有るともないともおっしゃらず、ただ精進せよとだけ言い残され、旅立たれた。現世や来世をどう解釈するかは自分次第である。ただ精進さえすればよいのだ。お釈迦様は生前、ご自身の教えを強要はされなかったし、異教徒と戦われなかった。釈迦国に攻め入ってきた敵国にさえも、無抵抗であった。そして釈迦国は亡んだ。

 仏教は他の宗教に比べて寛容である。他の宗教では、その存在さえ許さない宗派がある。それが日本で他の宗教が普及しなかった理油であろう。

 人さまざまな価値観があるので、「皆違ってみんな良い」。これは金子みすゞの詩の一節である。これは仏教思想が入っている。他人の価値観を大事にするのは、お釈迦様の思想である。

 同窓会で多くも学びがあった。私はこれからの多くの想い出を作り、記録に残していきたい。全ての出会いに感謝である。

 

老いの季節に春の風

 今回の同窓会で一番の収穫は、テニスに誘われこと。70代の仲間の会である。最近の体力の衰えを痛感しているので、その回復の為テニスを再開しようと決意した。その前に体力復活の準備運動が必要ではある。遅くとも春までには参加しようと思う。これもご縁である。

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2024-01-07  久志能幾研究所通信 2798号  小田泰仙

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2024年1月 1日 (月)

謹賀新年 虎視昇龍 in Sagan

 

 明けましておめでとうございます。

 世の中を虎の眼で俯瞰し、龍が天に昇る勢いにあやかる。

 今年は、「虎視昇龍」を標語に精進します。

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  昇龍  樋口ナオミ 画

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 今年でガン手術後、やっと5年が経った。手術後に担当医より5年後生存率51.6%と宣告された。それから抗がん剤治療の薬物医師とけんか別れをして、真のがん再発防止策を模索して、東奔西走してきた。

 病状を虎の眼で視て、その真因を探し求め、やっと少し体力も回復し、天に昇る準備も出来てきた(昇龍?昇天?)。戒名も授かり、墓誌の刻印もし、看取り士の資格も取った。今はその前の平穏な日々を過している。

 樋口ナオミさんの画かれた「昇龍」を書斎に飾り、それを眺めて英気を養っている。

 

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学び

 今回、がんになって学んだことは、病気を治すには、「病(やまい)」を西洋医学で取り除き、やまいの「気」を東洋医学で治す必要があることだ。一般の人は「病」(病巣)を手術で取り除くだけで、がんになった真因を取り除かないから、またがんが再発する。

 そのためにやまいの「気」を治さねばならぬ。がんと喧嘩腰で闘っては、治る病気も治らない。「がんと闘う」とは間違った考えだ。がんが自分の生き方の間違いを教えてくれた。その間違いを正すのが正しい対処のしかたである。

 また病気を治そうという「気」を持たねば、病気も治らない。死亡率50%の医師の宣告を信じて、医師まかせでは、本当に死んでしまう。それは洗脳だ。医師だってがんがわからない。自分でがんを治す「気」を持つ、死んでたまるかという「気」を持つことだ。

 

 ガンになった真の原因を探し、宇宙根源の理にならい、がんと共生するのが、ホリスティック医学である。私はがんになり多くの学びを得た。それで生活習慣、食事習慣、自然観、人生観を見直すことが出来た。がんになり、多くの出会いがあった。

 人生は出会いの集積であり、縁起である。病気と言う縁にあった。それを毛嫌いするのも、その原因を探求するのも、ご縁との接し方次第である。私はがんに出会い、人生観をかえることが出来た。がんに感謝である。

 

 皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 

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2024-01-01  久志能幾研究所通信 2793号  小田泰仙

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2023年12月29日 (金)

空気読んで子を殺し 空気読めず殺される とかくこの世は住みにくい

 

空気は読まない

 先日、あるサロンで談笑をしていた時、そのオーナが子供に100%生ジュースを出した。私はジュースが健康に良くないと思い、注意をしたら、「貴方は空気の読めない方」と叱られてしまった。

 そんな空気など知ったことか!である。私は子供の将来の命を慮って助言をしただけなのに……..。100 %生ジュースを常飲すれば、その子は将来、糖尿病やガン等の病気になって早死にしてまう。

 でも黙っていないと「KY」と呼ばれてしまう 😿 

 喋っても地獄、喋らなくとも地獄、とかくこの世は住みにくい。

 

悪魔の洗脳、100%生ジュースが我が子を殺す

 

空気を読む

 宮仕えの場合、上司が「カラスは白」だと言ったら、「カラスは黒ですよ」ですと言い返したら、サラリーマン生活はそれで終りとなる。

 1978年、私は技術部から研究開発部門に異動となった。その後、強烈な個性を持つ上司が次長としてが異動して来た。私はどうもその人に気に入られ、今回の異動となったようだ。

 そんなある日、その次長が我が仕事部屋にやってきて、隣の課の若い社員の髪の毛を見て注意をした。彼は少しパーマをかけていた。そこで次長と若い社員とで少し言い合いとなった。その時、その次長は私に意見を求めてきて、「君はどう思うか?」と。私は「今の時代、そういう風潮も少しくらいよいのでは」と答えた。

 その次長は私の直属の上司であるU課長に「君はどういう教育を部下(私)にしているかのか」と叱る騒動になった。私が空気を読まずに答えての騒動である。

 その若い社員は、翌日、自分から丸坊主にしてきた。その1か月後、彼は会社を辞めた。当時の空気は恐ろしい。

 当時は、会社内の空気を読まないと、会社を辞める羽目になる。当時のトヨタグループ内では、良い子は全員、金太郎飴である。金太郎飴はどこを切っても、金太郎が出てくる。トヨタマンは金太郎飴と揶揄される謂れである。それは当時のサラリーマンは皆同じであった。初心な私はそれ以来、宮仕えの世界で空気を読むのに必死になった。私はその後、会社では外見上は「良い子」で過ごした(笑)。おかげで何処かに飛ばされることなく、無事にサラリーマン生活を過ごせた。

 その次長は、その後、破竹の勢いで出世していった。その後、彼は世間の空気を読まず、会社の女性に手を出し、役員の座を追われた。

 以上は50年前のエピソードで、「空気」に関する私の黒歴史である。それは私の強烈な記憶遺産である。今、私は定年後で無職なので、安心して黒を黒と言った。

 定年だ 今日から黒を黒と言う

そうしたら「貴方は空気の読めない方」と言われてしまった。日本社会は空気の世界なのである。70にして69の非を知るである。

 

 いま世間を騒がしているパーティ券裏金問題は、空気の問題である。パーティ券で裏金を作るという空気を読まないと自民党内で殺される。空気を読んで裏金を作ると、国民から殺される。議員という世間は住みづらい?

 

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      馬場恵峰書

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2023-12-29  久志能幾研究所通信 2790号  小田泰仙

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2023年12月 8日 (金)

伊勢神宮参拝、国の安泰を祈願、無 china

 

 2023年12月7日、伊勢神宮へ参拝に行ってきた。私はいつも12月の大安に参拝をしている。私は、年末年始の大混雑時には参拝しない。

 神様だって年末年始は忙しい。神様の事を思い、混雑を避けてのお参りである。たまには、神様の忙しさに配慮してあげよう。

 神様の下には、神宮の運営を支える人たちが多くいる。その人達のためである。

 言い換えれば、仕事の平準化である。トヨタ生産方式である。

 

中国人団体が消えた

 今回は、初めての仏滅の日で参拝であった。今回、例年と違うと気が付いたことは、いつもは目障りで、大声で騒ぐ中国の団体客がいなかったこと。そのため気持ちよく静かに参拝ができた。中国の経済状態停滞している影響のようで、中国人が来日してこないようだ。

 以前に北陸の永平寺に参拝した時も、境内の立ち入り入り禁止区域まで、中国人が傍若無人に立ち入っていた様を目撃して苦々しく思った。

 

 今回は中国人団体の代わり韓国人の家族連れや仲間とのグループが、大きな声で話していたこと。神聖で静寂な場所であることをわきまえて欲しいと、苦々しく思った。まあ中国人の団体客よりは、人数が少なく目立たないので、何とか許容範囲である。

 

仏滅と神事は関係なし

 またお日柄が仏滅のためか、いつもの参拝者よりも人出が少ないようだが、それでもそこそこの人出である。お陰で、内宮の垂れ幕内への参拝も、待ち人は私一人でゆったりと行えた。

 70にして、やっと「伊勢神宮参拝は大安の日」という呪縛から解脱できた。70にして69の非を知る、である。

 伊勢神宮の境内で見た現実を、日本人としてその伝統を守れと言う神の声として聴いた。 

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 宇治橋を渡って、大通りへ    ‎2023‎年‎12‎月‎7‎日、‏‎11:17

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 私は大通りに並行する庭園内小道を歩く

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 五十鈴川の手洗い場   これだけ少ない人出は初めて見た

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 内宮の階段下   これより上は撮影禁止


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    馬場恵峰書  小田の蔵軸

 これと同じ書を、2018年10月20日、馬場恵峰師は伊勢神宮に奉納された。

 私にも贈って頂いた。

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赤福の値上がり

 少し驚いたのは赤福のお店で、いつものように赤福ぜんざいを食べたら700円であったこと。以前は確か500円前後であったのに、700円への値上がりである。物価高騰の影響がここにも出ていた。700円ならランチが食べれるのにと思ってしまった。たかが、ぜんざい、されどぜんざい、である。庶民のささやかな楽しみである。値上げは痛い。

 

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神の啓示

 この件でも増税クソメガネを連想してしまった。腐敗した政党には、国民がノーを突き付けないと、目が覚めないようだ。唯々諾々と学会のいうまま投票する洗脳された人々に対抗するには、我々がしっかりと目を覚まさないと、日本は滅びる。

 

郷に入れば郷に従わず

 移民に私は大反対である。日本に来る移民の問題は、日本文化になれ従わず、彼ら独自の村を形成し、日本社会と断絶した社会を作ってしまうこと。川口市のクルド人問題でもその弊害が明らかだ。まるで治外法権の社会が日本国内に出来てしまうようだ。

 移民推進で、大混乱やテロを招いている欧州の二の舞を招いてはならない。欧州の混乱は他山の石である。

 そういう外国の輩は、神聖な伊勢神宮でも大騒ぎをする。日本古来の伝統など知ったことではないのだろう。本来、郷に入っては郷に従う、が人間として基本の行動である。日本人はそうしてきて、周りとの軋轢を避けてきた。海外からの移民にはそんな感覚はないだろう。同じ日本人でも、土地や育ちが違うと軋轢が生じるのは、周知のことだ。ましてや人種が違えば、その軋轢は巨大だ。

 

日本企業の強欲

 日本企業もその戦犯である。企業は、移民を安い賃金でこきつかうのを目的に、移民政策を賛成している。結果として日本人の平均賃金が下がってしまい、いつまでも日本経済がデフレ経済から脱却できず、日本人が貧しくなってしまう。

 日本企業は自分で自分の首を絞めている。日本には失業者が175万人もいる。それなのに、(実質)移民の外人労働者が10月現在182万人も働いている

失われた30年

 要は、政府の経済政策が失敗であったことが判明したのに、今いる失業者を無視して、その穴埋めの外人労働者を入れるという愚策に走った。それは派遣業者の利権の為である。国内企業は、安い労働者を使いたいだけ、目先のことしか考えていない。30年前に、外国の安い労働力を求めて海外に工場を移したと同じ行動である。それが自分自身の首を絞めてきた。だから失われた30年が生まれた。

 政府は国民の生活を無視して、利権に走り、国を滅亡に導いてきた。政府は狂っている。

 

 だからその対策は、移民に賛成する議員、増税を推進する政党には投票しないことだ。竹中平蔵の様にその利権を狙って移民産業を推進している。海外で有名経済学者は国の発展には移民が必要と言っているが(日経新聞はその記事を掲載して暗に移民政策を後押ししている)、いまだかって移民で栄えた国は歴史上に存在しない。国民として移民に反対しよう。

 1000年続いたローマ帝国も、国民が国を守る気概がなくなり、政治家は堕落して、軍事には外国の傭兵を使い、国民は飽食に明け暮れ、その結果としてローマ帝国は滅んだ。

 自民党政治家のパーティ券疑惑の堕落を見ると、人ごととは思えない。

 

2023-12-08  久志能幾研究所通信 2784号  小田泰仙

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