c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2019年10月29日 (火)

終活 戒名 人生15分前の行動

 私は、日程表に基づいた行動で、電車でも1本前、2本前に乗り、会議でも15分前に集合、と早め早めの準備、行動を心がけている。

 2019年10月29日、馬場恵峰先生に私の戒名を揮毫してもらう為、日帰りで長崎県大村市に出かけた。人生を80年間として、一生の行事の15分前とは、300日前に相当する。だから人生では1年単位で考えて、その準備をするのが最善である。死ぬ数年前に葬式を想定して、戒名を決め、先生に揮毫をしてもらい、それを墓誌に刻む。葬式の手配は、2月の手術前にすませた。お寺さんにお金も支払い済である。では、墓誌への戒名の記載は、いつやるのか、今でしょう。だから今日、九州に出かけて、戒名を揮毫して頂いた。

 

何時までもあると思うな、親とカネ

 先生も93歳である。何時までも揮毫をして頂けるわけではない。早め早めの行動が、安心を生む。故河村義子先生のように、死は突然なのだ。自分の死はある程度予測がつくが、親の死や、特に師の死は突然で、往々に茫然自失に陥る。いつまでも、あると思うな、親とカネである。

 

墓誌の書き方 

 先生は、今までの8名の戒名の後に、私の戒名を揮毫した。私が4年前に自家の墓を改健して、ご先祖の8名の菩提を弔った意味で、墓誌全体のバランスをとって、私の戒名は少し太い字で揮毫をしたという。単に戒名を書けば良いわけではないのだ。

 

元気をもらう

 93歳の恵峰先生に私の戒名の揮毫をしてもらい、深夜に自宅に帰着した。先生宅の滞在時間は3時間であった。当日は、朝5時50分に家を出て、23時の帰宅である。恵峰先生に戒名を書いてもらって元気になった。先生の元気な姿を見ていると、おちおち死んでなんかいられない。

 書家の師に戒名を揮毫してもらえるのもご縁である。稀有なご縁として有り難いことだと感謝している。

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 墓誌の戒名を揮毫中の馬場恵峰先生

 

2019-10-29 久志能幾研究所通信 No.1383  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月25日 (金)

旅の峠・人生の峠 死出の旅

松尾芭蕉の旅

 松尾芭蕉の「奥の細道」の旅は、芭蕉が最上川の急流を舟で下り、霊山巡礼登山で、旅の峠を迎えた。芭蕉は山岳信仰の霊山で知られる出羽三山の一つである月山に登った。元禄2年(1689)6月6日、頭を白木綿の宝冠で包み浄衣に着替えて、会覚阿闍梨と共に宿泊地の羽黒山南谷の別院から山頂まで8里(約32km)の山道を登り、弥陀ヶ原を経て、頂上に達した。時は既に日は暮れ、月が出ていた。山頂の山小屋で一夜を明かし、湯殿山に詣でた。他言を禁ずとの掟に従い、湯殿山については記述がない。唯一、阿闍梨の求めに応じた句として、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」で秘境の感銘を詠んでいる。現代でも、湯殿山での撮影は禁止されている。

 奥の細道は、この峠を境に雰囲気が大きく変わる。1994年、芭蕉三百年恩忌で「奥の細道全集」を書かれた馬場先生も、この峠を境に、巻を分けて構成された。

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 馬場恵峰先生と「奥の細道全集」上下巻 2011‎年‎9‎月‎14‎日

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039a31731s_2  馬場恵峰書 「奥の細道」全集

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私の「奥の細道」紀行

 小さな私的な人生でもドラマがあり、人生の峠がある。しかし、その峠にもたどりつけず鬼門に入った仲間が身近で11名にも及ぶ。還暦を迎えて、無事に人生の峠に辿り着けた有難さを強く感じる。

 私は大垣に帰郷した2010年9月から毎日、「四季の路」を雨の日も雪の日も歩き続け、16カ月後の2011年末に累計で2,400kmを歩いた。芭蕉が東京深川から大垣までの道中とほぼ同じ距離である。別に意識をしたわけではない。ただ毎日、5kmを継続して歩いた。芭蕉は160日をかけて「奥の細道」を歩き、私は500日弱をかけて2,400kmを歩いた。その後も数年間は、「朝の旅」で歩き続けていた。

     

人生の下り坂

 その後、私は大病をして、人生の峠を迎えた。今、人生の峠を越え、山を下る道を歩いている。今回、思いついて、羽黒山に詣でた。2019年10月24日、羽黒山の山頂までバスで行き、三神合祭殿を参拝してから麓の随山門まで、2446段の石段を歩いて下りてきた。距離にして1700メータ、2時間の下山路であった。

 三神合祭殿は月山、羽黒山、湯殿山の三神を合祭した日本随一の大社殿である。ここに参ると3つの山に参拝したと同じご利益があるという。

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 羽黒山 山頂の三神合祭殿  2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎11:55

 

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 羽黒山 ニの坂  合計2,446の石段が続く。私は、この道を下った。

   2019年10月24日‏‎、13:25

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山道の途中の全部の神社に参拝

 羽黒山の山道には、山頂の「三神合祭殿」から麓の「門前の宮」、「随神門」まで、大小合わせて21社ほどの神殿、祠、社がある。その全ての神仏に寄って、生かされていることへのお礼を述べて手を合わせた。このため、全行程で2時間も時間がかかった。当日の朝にホテルを出る前は、斎戒沐浴としてお風呂に入り、冷水を浴びて身を清めて現地に向かった。

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 葉山衹神社   2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎13:28

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 麓の随神門   2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎14:06

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下山の難しさ

 人生登山では、登るより、下るのが難しいし、体力と気力、知性がいることを実感した。上りは体力に任せて皆と一緒に、一気に登れる。しかし下るには、足元を注意して慎重に下りないと、石段を踏み外す。下るときは、登るときほど、体力がないのだ。私が下る最中で出会った登りの若い人が、上まで行き、その後の下りの行程で、私を追い抜いて行った。その若い人が、山を下る方が膝にきて辛いと言っていた。

 羽黒山の下山では、足場の幅狭い石段で、時には足を横に向けないと石段を踏み外す。その危険性は上る時よりも大きい。それで登るよりも多くの時間を要した。下山の終了寸前で、膝がガクガクになってしまった。

 

智慧

 登山は、上るより下る方が大変であるとは、知識として知っていた。今回、下山のつもりではなく、山頂より少し降りて、そこで写真を撮ってから戻る予定で山頂を出発した。ところが勢いで、そのまま下山してしまった。引き返せない所で、この件に気が付いたが既に引き返すには遅かったのが実情である。実際に痛い目をあって身に付くのが智慧である。今回、これを体得した。

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   馬場恵峰書 2017年仲夏

 

下山で命を落とす

 私の会社時代の仲間の多くが、今までの人生の登り調子で還暦後を過ごして命を落とした。体が変わっているのに、今までの山に登る調子で、山を下りて、人生の遭難をしたのだ。

 私ももうじき70である。病み上がりでもあるし、それを意識して、慎重に山を下りた。ガイドブックでは羽黒山の石段は、2446段で、1,700メータの距離、必用時間は60分とある。途中で全社に参拝したためもあるが、私は下山に3時間弱も要した。

 今回の旅は、新潟に前泊して、山形県の鶴岡駅前を2019年10月24日10:42発のバスに乗り、羽黒山山頂駅に11:35に着き、そこから下山して、麓の随神門駅から14:35発のバスに乗り、鶴岡駅前に15:08に着いた。当日の深夜23時、自宅にたどり着いて、今回の羽黒山への参拝PJを終えた。

 

松尾芭蕉は死に装束で登頂

 松尾芭蕉も「奥の細道」の紀行で、この山を登り下りた。時に45歳である。頭を白木綿の宝冠で包み浄衣(死に装束)に着替えての登頂である。芭蕉は「奥の細道」の紀行を大垣で結び、その後、伊勢神宮の式年遷宮に参拝して、5年後に伊賀で亡くなっている。享年50歳。松尾芭蕉は、人生の覚悟の旅として「奥の細道」を歩いた。当時は、人生50年の時代である。45歳と言えば、今では70歳くらいだろう。自分の齢に重ねて、人生を思う。

Dsc07785s ‎  羽黒山の三神合祭殿境内にある松尾芭蕉の像

  2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎11:48

2019-10-25 久志能幾研究所通信No.1378  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2019年10月22日 (火)

忙しさの放置は、無能さの証し

 お忙し氏は、年中「忙しい、超いそがしい」と嬉しそうに走り回っている。その忙しさは見栄である。忙しいと走り回っている人は、「重要で緊急」な仕事よりも、「重要だが緊急でない」仕事を軽視しために起きる事象で忙殺されている。

 「重要だが緊急でない」仕事を日頃から計画的に進めれば、「重要で緊急」な事態は滅多に起こらない。忙しさを放置するのは、仕事ができない無能人である。忙しさを無くすのが危機管理である。仕事の平準化はトヨタ生産方式の基本である。

 

権限移譲なし

 お忙し氏は、手帳の予定蘭が真っ黒になるのを見栄で誇るかのように、下らない行事を詰め込んでいる。自分で自分の時間を浪費している。部下に任せるべき事項まで、自分で抱え込んで、部下の育成の機会もなくしている。肝心な時に、部下がその能力を発揮する教育機会を奪っている。

 出ない会議にも誇りを持つべきだ。お忙し氏は、会議に呼ばれないと不安になるようだ。懸案事項に対して、適任の人だけが参加すれば、会議の数は減り、効率も上がる。何も発言しない人や、存在感を見せつけるために、見栄で発言して会議の邪魔をする人をメンバーに入れても、組織自体の生産性は下がる。

 

携帯の不携帯

 私は最近、携帯電話を携帯しなくなった。普通の外出では携帯電話を持って行かない。帰宅後、着信を見て対応すれば、それで済んでしまう。私が自由業という条件もあるが、携帯を不携帯にして、余裕時間が生まれた。今までの携帯電話に奴隷のように拘束されることから、解放されて時間を自由に使っている。見栄の忙しさからの解放である。

 

小川敏の無能さ

 大垣市長の小川敏は、見栄で忙しいのを見せつけるが如く、全ての行事に参加して顔を売っている。それは、大垣市に対して何の付加価値も生まない。そんな些細な行事は、部下に任せて、大垣市の抱える課題の実現のため時間を割くべきなのだ。市長が見栄だけで作業をしているから、大垣市は没落した。

 大垣市にとって、重要だが緊急でない仕事は、大垣市の再建である。大垣の未来の設計と布石である。しかし小川敏にとって大事なことは、緊急で重要でない日頃のルーチン行事なのだ。そんな見栄だけの人間だから、常葉神社の大事な神事で居眠りをする。

 

小川市政終焉のカウントダウン

 2019年9月27日、大垣市新市長舎のカウントダウンボードの除幕式があった。新市庁舎は、決められた時間が来れば、カウントダウンボードの有無にかかわらず、計画通りに完成する。カウントダウンボードは不要である。

 それなのに、カウントダウンボードを作り、除幕式をするから、金がかかり、50人(裏方関係者を含めると100人余)の時間を奪い、無駄な金を使い、大垣市の没落作業のダメ出しをした。これは小川敏の売名行為と事前選挙活動なのだ。

 

時間の浪費

 小川敏は、時間なぞ無限にあるかのように、付加価値の薄い行事に時間をかけて奔走している。その無駄な労力を行事にかけた分だけ、大垣市が没落していく。なにせ知識はあっても智慧がない。だから大垣市の地価が半値に暴落しても、なす術がない。

 

頭がいいから反省しない?

 小川敏は、頭が良すぎるためか(智慧はない)己惚れているためか、一度決めたプロジェクトに間違いがあるはずがないと思い、その見直しもせず、18年間も、そのまま突走って来た。凡人の私なら、結果を見て「やり方が間違っているかも?」と自省してPDCAを回す。それがトヨタ生産方式である。私は小川敏の行動を他山の石としている。悪例の宝庫で感謝である。

 もしかしたら、市長は明日、死かもしれないのだ。市長も来年は70歳なのだ。70歳にもなれば脳死に値する認知症の発症率も20%に上がる。誰にも訪れるのが死である。激務の大垣市長は、歴代全員、現役で死んでいる。統計確率的に現役で死なない方が稀なのだ。小川に明日、仕事のためなら、死んでもいいという覚悟があるか疑問である。その覚悟があれば、愚劣な行事などやっていられまい。

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2019-10-22 久志能幾研究所通信No.1375  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月20日 (日)

今のうち、生きているうち

 2019年10月19日、手術後8か月が経過して、体調も良くなってきたので、友人と名古屋のホテルでバイキング形式の昼食を共にした。食べる量を抑えたつもりであったが、食欲があり美味しかったので、油断してつい食べ過ぎたようだ。食の2時間後、全てを吐いてしまった。

 つくづくと体力のなさと病後の回復の遅さを感じた。自分の体を会社に例えると、経営層(頭)と現場(内臓)が遊離していることを痛感した。経営層は現場の声を無視して、命令を出す。まるで以前に務めた会社の経営状態のようである。それでは経営破綻である。

 人生は春夏秋冬である。人間の体にも春夏秋冬がある。その人生の春夏秋冬で、厳冬前の晩秋を感じた。いつまでも元気であるわけではない。いくらでも食べられた日が懐かしい。今は、食べたくても食べられない。お金があっても体力的に食べられない。

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 馬場恵峰書

 

出羽三山

 人生では、今のうち、生きているうちなのだ。それを実感して、やるべきこと、やりたいことを急ごうという気になった。急に今日、出羽三山に行きたくなり、書店でガイドブックを探して見付け、計画を立て、日程を決め、ホテルの予約をした。出羽三山は修行の山なので、一般的なガイドブックには、それが載っていなくて探すのに苦労した。

 いままで出羽三山行きは、気になっていた。しかし行きたくても、自然の春夏秋冬で、もうじき冬である。すでに現地は雪も降っている。現地のバスは10月末までの運行である。お金と時間と意思があっても、自然が行くことを許してくれなくなる。体が言うことが効かない。私もいつまでも生きていられるわけでもない。何事も、今のうち、生きているうちなのだ。

 

奥の細道

 松尾芭蕉は出羽三山の月山に白衣(死に装束)で、登頂している。芭蕉の「奥の細道紀行」の転換点が月山への登頂であった。芭蕉は死を意識して月山に登った。芭蕉は、生まれ変わった人間として、下山をした。「奥の細道」の記述も、この地を境に、がらっと文面が変わる。

現在、馬場恵峰書『奥の細道』を編集・出版の準備を始めた。

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  馬場恵峰書『奥の細道』

 

2019-10-20 久志能幾研究所通信No.1373  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月14日 (月)

仕事一筋人間の末路は、認知症・短命化

 認知症は脳の進化である。認知症は、生存に必要な機能だけを残し、不要な機能やストレスを感じる機能を捨てて、何時でも幸せと感じる脳になった状態をいう。人は生物として環境に適応する仕組みを供えている。

 癌患者には認知症が少ない。一方、認知症患者には癌の発症が少ない。強いストレスを感じやすい人は、免疫細胞の機能が低下する結果、癌になりやすい。認知症になってストレスに鈍感になり、免疫細胞が活性化した人は癌になりにくいようだ。

 

私の死望原因

 要は、物事に鈍感の人は、癌になりにくい。私は今年初、癌が見つかり手術をした。だから私は、精神的に鈍感ではなく、喜ぶべきことなのだ。それが幸せかどうかは、悩ましいところである。鈍感で癌にならない人も、うらやましい。その排反事象で、認知症の危険がある。

 認知症になっても、本人はそれも自覚できないので幸せである。しかし家族を地獄に突き落とす。認知症は脳死である。私は死ぬなら、老衰死を望みたいが、それが叶わないなら脳死よりもガン死を選択したい。

 

認知症になる人

 真面目に仕事一筋で生きてきた人、周りとのつながりを持たないで生きてきた人、知的な仕事をしてきた人、社会的地位の高い人が、その役割を失ったとき認知症の症状が進むようだ。警察署長や校長先生が認知症になりやすいという。彼らは頭を使わず、気ばかりを使って生きてきた。それから解放されると、認知症発症の条件が整う。自分に価値がないと感じるストレスから自らを解決するため、自己生存本能で、自分の脳を自分が壊していく。それが認知症である。

 

人間の寿命

 人間が生殖後にも生きているのは、生物学的に稀有なこと。多くの生物は、生殖が終わると死んでいく。カマキリの雄は、生殖後に子を育てる栄養の為、雌に頭から食われてしまう。

 人間だけが生殖後も40年間も生きている意味を考えたい。また女性は出産後、子供が成長しても、男性よりも長く生きる。それは孫の世話をするのに生き甲斐を感じるためではないか。

 それに対して男性は、会社定年になると、女性よりももっと早く死ぬ。社会から必要とされなくなったと感じて、頭が反応して死ぬのではないか。定年後も社会の為に働いている人、必要とされる人は、長生きである。

 

馬場恵峰先生の実例

 馬場恵峰先生は現在93歳で、頭もシャープで、現役である。朝から深夜まで、書を書きまくっている。なにせ「無職だから、やることが多すぎて暇がない」とぼやかれる。「有職なら、決められた仕事を期限までにやれば、それで終わりである。私は無職なので、やることが次から次と出てきてそれが山積みである」という。

 その作品の撮影記録係の私は、九州の先生宅に行くたびに、膨大な作品が出来上がっているので、撮影が追いつかず、途方に暮れている。私も先生の作品の撮影をすませないと、死ぬに死ねない。撮影の後の編集作業も大変だ。それが、私が死なない理由であろう。私も社会から生かされている。感謝。

 

もう一本の道

 馬場恵峰師は「在職中に、本業の仕事以外に、もう一本の道を歩いておけ」と説かれる。それは、仕事とは関係のない分野が良い。芸術文学等の教養を高める道が良い。

 そうでないと定年後、何もやることのない人生となる。それでは自分からは何もできない人間が出来上がる。そういう人間が認知症になる。そんな人間になってはならない。50歳になって、本業以外の道を見付けておくと、定年後にそれが花開く。それは金儲けの為ではない。自分の為、社会の為である。それが自分を社会から生かしてもらう糧となる。「だから私(恵峰)は93歳の今でも、社会から現役として生かされている」と言われる。

 馬場恵峰師は、1977年から今まで42年間で、240回余も中国に自費で行った。一回の旅費30万円として7千万円ほどが消えた。その金は残っていないが、その智慧が頭に残っている。

 恵峰師は60歳の時、社会奉仕として、家屋敷を担保にして1億円の借金で、日中文化資料館を建設した。その借金は24年間かけて、84歳の時、完済できた。

 今でも月に8回の書道塾、月1回の講演をされている。

1  日中文化資料館(敷地350坪) 平成元年 建設

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 三昧楼(付属図書館) 平成五年 建設

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何の為に生きるか、学ぶのか

 知識を得るためではない。智慧を身に着けるためである。智慧の中で一番大事なものが教養である。知識では金儲けできない。智慧がないと、商品を買ってもらえない。教養がないと、人間ではなくなり、認知症になる。

 人間の生き方にも多様性が問われる。仕事だけ一本道の偏食の人生では、寂しい人生となる。人を愛し、花や自然を愛で、芸術を愛する人間として生きたい。

P1070221s  馬場恵峰師 「生き活き教養塾」で 2019年10月10日

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 2019年10月11日

 

2019-10-14   久志能幾研究所通信No.1367  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月 9日 (水)

組織の主人公の心構え

 「うまく書こうと思わないこと。それではいつまでたっても書けない。今の実力で、良い紙を使い、良い筆で、良い環境で、真剣に、全力で書く。そうすれば残る。安い紙で書くから残らない。」  

  馬場恵峰師談 2012年12月14日

 

 私はこの言葉を聞いて、自分の仕事のやり方に照らして、その後の人生が変わった。まず出来ることを、出来る環境で、出来るだけ良い道具を使い、全力で取り組むようにした。道具には金を惜しまなかった。結果から見ると、安い買い物であった。人は何に金と時間と精力を使ったかで、人生(命)が決まる。そこから使命感が生まれる。己という組織の支配者は、己の心という主人公である。

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 「人間は偉くならなくとも、一個の正直な人間となって、信用できるようになれば、それでけっこうだ。真っ黒になって黙々として一日働き、時期が来れば、“さよなら”で消えていく。このような人を偉い人と自分はいいたい」

 禅の研究と著述に96年の生涯を捧げた鈴木大拙博士の言葉

 

歴代の大垣市長の功績

 大垣市長として名を残さなくてもよい。100周年記念行事で、名誉を求めなくてもよい。ひたすら大垣市の為に働き、真っ黒になって働き、任期がこれば、さよならと言って消えていった。大垣市民が幸せになればよい。大垣市が発展すれば良い。歴代の大垣市長は、そんな気概で市長職を勤め、仕事に没頭した。そして大垣を発展させてくれた。歴代の市長は命を掛けて市長職を務めたから、1期か2期を務めて、現役で亡くなられている。不幸にして全員、現役で殉職された。

 

小川敏市長の執念

 それに対して、小川敏市長は、市長として名誉を残したい。長く市長を勤めたい。立派な市庁舎を作り、名を残したい。市制100周年記念行事を派手にやって、大垣市制100周年の市長として名を残したい。新聞紙上で、やっている姿を誇示したい。お祭りや市や行事で、やっている姿を市民に誇示したい。という執念で市長職を勤めているようだ。小川敏市長は、命を掛けて市長職を勤めていないので、だらだらと5期も18年間も継続している。行事に出て、市民に向かって手を振って時間を過ごしているだけのようだ。歴代市長に較べれば、楽なものだ。ギネスで水饅頭を食べてうつつを抜かしている。とても使命感に燃えて仕事をしているとは思えない。

 小川敏市長が、人の意見も聞かず、貧弱な経済知識で強引に市長職を務めた。東大の法学部を出ても、県の条例も守らなければ、義務としての会計報告の道義上の責任さえ果たさない。その結末は大垣の衰退である。そんな大餓鬼のようなエネルギーを逆噴射のように大垣市に与えた。そんな状況で5期も現職にしがみ付いているから、大垣市を衰退させた。大垣市の地価が半値に暴落した。大垣の未来を支える子供たちの教育を台無しにした。

 Wikipediaで調べても、小川敏市長の正の実績はほとんど記載がない。それは、万人が認める事実である。

 

仏教は人間の心を10段階に分ける。

 地獄(幸福を感ずることのできない世界)

 餓鬼(欲望の世界)

 畜生(倫理のない世界)

 修羅(闘争を好む弱肉強食の世界)

 人間(精神的な追及をするも、まだ物欲の強い世界)

 天上(人間以上に精神的な追及をするが、油断すると地獄に落ちる世界)

 声聞(いい人の教えを聞いて近づこうとする世界)

 縁覚(何かの機縁で自分から悟る世界)

 菩薩(自分が悟り、人をよくしていこうとする世界)

 仏 (10の世界の最高の段階)

 

市長の存在界

 小川敏市長は、その行動を観察すると、餓鬼か畜生か修羅の世界を生きているようだ。この10の世界は別々にあるのではない。一人の人間の中にいろいろな心の動きがある。人間は、時には地獄でも天上界の世界で生きることもある。そして人や組織は、その指導者の心の動きに合わせた人生を生きる。大垣市は、市長の生きざまでその姿を変える。畏るべきことである。大垣市を良くするためには、トップが心を調え、高めなければならない。

 それは市長だけの問題ではない。己の心の状態で、己の仏教での存在エリアが決まり、その世界が決まる。人間として生まれた以上、せめて人間界以上の界の進んで、成仏したいもの。

 

2019-10-09   久志能幾研究所通信No.1362  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月 8日 (火)

「冷し飯食い」でガン防止、肥満防止

 「寿司飯やパスタサラダなど、加熱後に冷ました炭水化物に含まれる“難消化性デンプン”は、大腸がんを予防する可能性がある」とは、コロラド大学・がんセンターの研究グループが専門誌に発表した内容である。

 “難消化性デンプン”は分子の結合様式の関係で、消化酵素の分解作用を受けにくいので、胃での分解をスルーして腸に届くため吸収速度が遅くなり、血糖値の上昇も穏やかになる。

 また“難消化性デンプン”は、腸管内で発酵し、腸管内を覆う細胞のエネルギー減になる酪酸などの脂肪酸を産生する。酪酸は炎症を抑える作用がある。

 ラットを使った“難消化性デンプン”食材での実験では、結腸・大腸がんの損傷が減少した。

 ダイエットに成功した肥満ラットに、難消化性デンプンの食材を与えると、リバウンドが穏やかであった。

 お米を加熱してから室温以下に冷ました場合は、熱でバラバラになった分子が再結合して消化されにくくなる。その「冷し飯」には、難消化性デンプンが豊富に含まれる。しかし電子レンジ等で再加熱すると、元の木阿弥となる。

 だから肥満防止、癌防止には「冷し飯」状態で食べるのが、健康的である。残業で遅く帰宅した夫には、温かいご飯でなく「冷し飯」を食べさせるのが妻の愛である。妻は子供と一緒に温かいご飯を食べる。温かいご飯は美味しいので、つい沢山食べてしまい肥満になる? ご飯の糖質は、乳がん等の遠因となる。

 以上の項、『週刊ダイヤモンド』2013/03/23号 井手ゆき著「冷たい飯で大腸がんを予防」を基に記述。

 

人生の冷や飯

 私は、健康管理の為、冷えたご飯は電子レンジでチンしない。冷えたまま食べている。冷えていると、必然的によく噛んで食べるようになるので、健康によい。

 華やかな舞台でちやほやされ、ご馳走を振舞われると、舞い上がり、冷静に人生の糧を消化出来なくなりがちだ。心の糖尿病、頭の肥満肥大化になりがちである。私のサラリーマン時代も、人並みに栄枯盛衰に例えられる会社人生を送った。華やかに活躍した時代より、冷や飯を食わされた時代が、人間味あるれる人達と交流できて、一番人間的に成長したと思う。いろんな諸事を部外者として冷静に分析して眺められるからだ。

 その経験から、18年間の独裁的栄華を謳歌した小川敏市長の哀れな末路が私には見える。小川敏市政は、大垣市の癌のようなものである。癌細胞が大垣市を蝕み、大垣市の体力・活力を奪っている。既に大垣市の地価は半値に暴落し、大垣市の顔である大垣駅前商店街は、激ヤセして息も絶え絶えである。

 癌細胞は甘~い美味しいものが大好きである。一度、権力の座に就きその美味さを知ると、♪ やめられない、♪ 止まらない。水道水で冷やした水饅頭 ♪

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2019-10-08   久志能幾研究所通信No.1361  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

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2019年10月 7日 (月)

祈りと宿命  小川敏市長への祟り

 祈りは己を謙虚にして、己の内面を見つめさせ反省を促す。

 祈りは、願いと宿命をつなぐ言霊のシャトルである。

 運命は宿命の子供である。

 祈りは、宿命に語り掛け、運命に新しい目覚めを促す。

 宿命は変えられないが、運命は変えられる。

 行動なき祈りは、戯言である。

 思考なき行動は、亡国である。

 感謝なき行動は、無礼である。

 感謝・報恩のある営みが、運命を変える。

 私は毎日朝晩、仏壇の前でご先祖に祈っている。

 ご縁に出会うのも運命である。良き運命でないとご縁に出会えない。

 縁ありて花開き 恩ありて実を結ぶ。

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 馬場恵峰書

 

書けることに感謝

 私は毎日、感謝の心でブログを書いている。それで皆さんに恩返しができれば幸せである。それを書く機会を与えられたことを感謝である。ブログを書くにも、健康で、情報があり、書く才能が有り、時間があり、気力とご縁がないと記事一つ書けない。言いたくても言えない人もいる。書きたくても健康を害して書けない人もいる。言いたくても、勤め先のお店が潰れて生活が困窮している人もいる。

 ブログを書けるのも全て仏様のご配慮である。毎回、手を合わせて書いている。どんな事象でも、神仏の気配を感じている。周りの事象に多くの気付きがあり、それを改善する案を考えよとの神仏からの啓示を受けている。

 

大垣市からの恩恵

 大垣市の行事からは多くの気付きがある。毎日が発見の日々である。大垣の行事が愚かであるほど、多くの気付きがある。小川敏市長は愚かさの天災(天才)である。小川敏市長は、愚かさの「意図注総合商社」のトップである。私には、小川敏市長が壊した大垣市を再興したいという願いがある。

 

見えないものに畏敬の念を持つ

 「一歩下がって師の影を踏まず」、「お天道様が見ている」、「天網恢恢疎にして漏らさず」のように、昔から先人は目に見えないものにも敬意を払っていた。運を良くしようと思う人は、目に見える世界だけでなく、目に見えない世界にも目を向ける。世の中は、プラスとマイナス、陰陽である。正の部分が多ければ、見えない陰の世界も同じだけ存在する。それが松下幸之助翁の説く「宇宙根源の理」である。

 

ユダヤ、トヨタ、平澤興先生の教え

 ユダヤ人は、貧乏な時からも、収入の1割を寄付に使っていた。金持ちになってから寄付をするのではない。貧乏な時も神様を信じて寄付を出していた。ユダヤ人は商売の正の部分だけでなく、見えない世界に寄付として投資をしていた。それがユダヤ人を多くの民族の中で一番の成功者に導いた。

 トヨタの社是でも「神仏を敬え」と説いている。それが田舎のトヨタを世界のトヨタにした。それが拝金主義の日産との違いである。

 元京大総長の平澤興先生は、弟子が万物尽きて泣きを入れに来ても、弟子に「神仏に祈ったか?」と諭した。

 

朕(小川敏)の前に神仏無し

 神仏を敬わない小川敏市長の大垣市は、無能の行政の顛末で、市長就任以来大垣市地価が18年間連続で下がり続け、市長就任当時から地価が半分に暴落した。こんな都市は全国にない。大垣駅前商店街が81%閉店して滅亡寸前となった。大垣市は衰退した。それになす術がない無能な小川敏市長である。それこそ神罰である。なにせご先祖を祀る神社の祭祀で、小川敏市長は朝の10時から居眠りである。神様も怒るはずである。

 世界で最初のドローンの墜落人身事故の事件も、大垣市の企画した行事で起こしている。それは小川敏市長の常盤神社での居眠り事件の後に起きている。祟りである。それなのにドローン業者が、大垣市から全責任を押し付けられて、生贄にされた。その責任逃れの顛末が、大垣市民として、恥ずかしい。罰が当たりますぞ。

 丸順の故今川順夫最高顧問から託されたシベリア抑留「恒久平和の碑」のお守りも、現在は放置され、荒れ放題である。小川敏市長は、今川氏に「大垣市としてこの碑を守っていく」と約束したが、それが反故になっている。私は故今川順夫氏から直接その話を聞いた。シベリア抑留で亡くなられた英霊への侮辱である。遺族の一人として怒りが沸き起こる。

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2017年10月8日、10:17 常盤神社 神事

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 恒久平和の碑  大垣公園内  悪戯された碑文

 

大失敗の「大垣市中心市街活性化計画」

 2016年から小川敏市政は「大垣市中心市街活性化計画」を推進して、大垣駅前に立派な複合ビルを建てた。その後の2年間で大垣駅前商店街の2割の40店舗が廃業した。すぐそのあとに創業109年の百貨店ヤナゲンが、廃業である。その複合ビルも、昼間は人通りがなくて、幽霊ビルのようである。結局、大垣駅前商店街の81%が、小川敏市長の無為無策無能政治で閉店に追いやられた(2019年9月)。

 この駅前再開発計画で駅前マンションビルに入居した住民は、ヤナゲンが目の前にあるから買い物に便利とマンションを買ったのと、大垣市に騙されたも同然である。この計画は大失敗である。祟りである。

  

神仏を敬わない顔つきは下品

 見えないものに畏敬を持つ人と、そうでない人の顔つきや行動が同じであるはずがない。食べ物にも神仏が宿ると言って、昔は米粒一つ粗末にしなかった。私はそういう躾を受けた。そういう美しい文化が日本にはある。同じ世代の小川敏氏は、私とは別の価値観で宇宙人のようである。宇宙人の鳩山氏とお友達かもしれない。

 現在の日本のテレビで、グルメ番組、大食い競争番組、食べ物で遊びをする風潮は、子供への教育上で芳しくないと思う。それと同じ下品なレベルが小川敏市政である。

 なにせ子供の教育は蔑ろにする小川敏市政である。小中学校のエアコン設備費を市役所職員の給与予算に振り向ける小川敏市長である。その結果、小中学校のエアコン設備率は2.1%で県下最低である。児童生徒一人当たりの教育費は県下最低レベルである。子供にとっては祟りのように不幸である。

 

痴呆の祟り

 大垣市政100周年記念行事で、浅ましいギネス水饅頭共食い記録のために、市民税を使って興じるのは、倫理違反である。子供の教育上で問題である。

 南方の戦地で飢えて亡くなられた英霊の多くを祀る濃飛護国神社の前を封鎖して、見苦しい食いざまを全国に晒したのは、大垣の恥である。英霊からの天罰が当たると思う。

 だから僅か2週間後にその記録は簡単に破られた。1000万円の市民税が無駄となった。その記録を破った日大三島高校は、市民税の使用ゼロ円である。無価値なギネス記録を誇る小川敏市長の痴呆的な顔が全国に流れて、大垣の恥となった。これも祟りである。

小川敏市長は、日本中で笑われていることを認識できないまで、痴呆が進んでいる。自分の痴呆が分からなくなるほど、怖しいことはない。それも祟りである。本人だけが幸せである。大垣市民は不幸のどん底である。

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 濃飛護国神社

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   2018年6月3日 石川まさと大垣市市議会議長とギネス認定人と小川敏市長

行事予算1000万円の使用用途が非公開。追及する責務が市会議員にある。

検察官の責務がある議会が監査を受ける立場の市長と一緒に痴呆的に喜んでいる。

 

2019-10-07   久志能幾研究所通信No.1360  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月 6日 (日)

自分への弔辞 臨死体験で死を學ぶ

 身辺整理で家中の資料を整理していたら、2000年に私が作成した私宛の弔辞が出てきた。その没年が2055年12月25日とある。享年105歳である。河村義子先生の命日と同じで、その偶然さに少し驚いた。弔辞を読んだ想定人物は、知遇の僧侶であった。

 当時、人生と会社内の人間関係で悩み、人間関係の研修をハシゴしていた。ある研修の中で、臨死体験の実習を受けさせられた。その研修に臨死体験があることは、内部暴露本で知っていたので驚きはしなかった。しかし、その準備をしていても、想定とは違った展開となり、結果として目一杯落ち込むことになった。死を前に、己は何と無力なのかを思い知らされた。死の修羅場では、「理」は無力であることを思い知った。死を前にあるのは、感情である。人を動かすのは「感」である。だから「感動」して人は動く。「理」では人は動かない。「理動」はないのだ。

 その「死」の模擬体験で、多くの気付きがあり、研修として自分宛の弔辞を書かされた。今回、整理して出てきたのはその弔辞である。それから20年が経って、その弔辞を読み返すと、その弔辞のように生きてきた自分を発見した。

 

死を學ぶ

 人生で学ばなければならないのは、自分の死である。それを学んでいないので、惨めな死を迎える。見苦しい老後を迎える。権力の座に執着して、醜い姿を晒す。

 人間は必ず死ぬ。それを前提に生きないから、生き方が曖昧になる。長く生きるのが、目的ではない。何のために生きるかを明確にすることが必要だ。いつかは死を迎える身で、死ぬときは立派に死にたいもの。

 私が受けた臨死体験研修では、不合格の死に方であった。本番で死ぬときは、そんなことがないようにと、それから生き方を変え、死に対して心の準備が出来たのは、よい研修であった。たぶん今度はスマートに死ねそうだ。覚悟が出来ると、人生で怖いものはなくなる。それからの生き方で、少々やり過ぎ、言いすぎの気になったのは愛嬌である。

 だから年初に、私が癌を宣告され、手術に際しても動じることはなかった。淡々と死の準備だけは済ませた。しかし当時は、ひどく落ち込み、心にかなりの傷を負った。元に戻るのに1年程を要した。今にして、その痛み目を会って良かったと思う。何事も痛い目に逢わないと成長しない。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2019-10-06   久志能幾研究所通信No.1359  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年10月 2日 (水)

心臓病で余命2ヶ月宣告。延命に奔走

 20年間乗った愛車の心臓であるエンジンからの油漏れが止まらない。このままでは2か月後の車検が通らないことが判明した。エンジンはまだ12万キロの走行で、油漏れ以外は絶好調である。この愛車には、人生の粋も甘いも共にして、愛着がある。

 20年間の経年変化でエンジンのパッキン類が駄目になった。パッキンはエンジンの奥にある部分なので交換が難しいとの話である。もし修理するとすると、修理費用(工数)が60万円近くかかり、それで収まらない恐れもあり、ディーラからは、今の車を廃車にして新車を勧められた。

 

新車検討

 一時は現実に納得して新車を検討した。しかし新型カローラが3ナンバーになり300万円程である。1500㏄のハイブリット車アクアが270万円ほど、1000㏄の小型車が170万円ほどと、選定に迷いがでた。

 

車格と言う安全性

 新車に切り替える大きな抵抗が、車格のサイズダウンである。リッターカーが、いくらクラス最高の衝突安全性を謳っても、サイドエアバッグの装備や安全装置を謳っても、車格が違うと正面衝突で喧嘩をすると、負ける。一般論では、現在所有の2500㏄のクラスの車が一番安心である。

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車への設備投資の履歴

 安全装置では、現在の車に30万円ほどかけて、最新のイスラエル製の衝突防止装置も導入したばかりである。その製品は、中部地方では取り扱い店が2社しかなく、わざわざ豊田市まで出向いて取りつけた。

 ボデイも最近、全面塗装をして新車同然にしてある(30万円)。ナビも最新に入れ替えたばかり。ドライブレコーダーも万一の故障を想定して、2丁拳銃方式である。意外とドライブレコーダーの記録ミスは多い。それを私も経験している。

 白内障(?)になったヘッドライトの透明部樹脂も一式交換した。ヘッドライトの透明樹脂部は経年変化して、黄ばんでくる。いくら磨いてもその黄ばみは取れないので、一式交換した(10万円)。

 

結論

 迷いの挙句、約60万円(追加費用を10万円程と想定)かけてエンジンを分解して、油漏れを修理することにした。

 いまでに現在の愛車に設備投資が多大である。愛着もあり、修理を決断した。人間で言えば、愛車は寿命の2倍を生きた。その途中で心臓の大手術があっても自然なこと。人間様の私も大手術をしたばかり。そう思うと、大手術(エンジン分解)も致し方あるまい。

 整備士には、エンジンをオーバーホールするというまたとない経験の場を提供することになるので、社会的な貢献もできると判断した。

 約200~300万円かかる新車代金が、修理ですませれば60万円ですみ、あと5年程乗れるので、お得と判断した。まずお金よりも、車に愛着があるのが第一理由である。

 

基本方針

 良いものを大事に長く使うのは私の信条である。最初の選択で、長く使える製品(車)を選択するのが、第一の出発点である。その点で、20年前の選択は間違っていなかった。良いものは高いが、長く使える。結局お得である。

 自分は、頂いた命を全うする人生でありたい。己と言う人生の乗り物を、大事に大切に乗りたいと思う。己の体は、両親が与えてくれた大事な乗り物である。それを安易に乗りつぶしていないだろうか、反省したい。仏様からの警告が、病気と言うメッセージである。心して対応をしよう。

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 馬場恵峰書

 

2019-10-02   久志能幾研究所通信No.1355  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。