c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2020年1月18日 (土)

自惚れは持たねばならぬ。しかし自惚れてはならぬ。

 人間は自惚れがあるから生きていられる。自惚れが無くなれば死ぬ。「自分は馬場恵峰だ」との自惚れないと、先に進まない、生きていけない。だから、それに負けない仕事をせねばならない。そこに信用・信頼という財産ができる。

 自惚れは持たねばならない。自惚れは伸ばすべきだ。そうすれば、人から誹謗されても、それを感謝の気持ちに変えられる。

 

自己満足

 この世で自惚れを持たずに生きている人は、一人もいない。人は自分の自惚れを磨くために生まれて生きた。「あの人は自惚れている」と人を非難するのは、己が自惚れているからだ。それは何にもならない。

 自惚れられるのは、自分が努力をして技をみがき、世間がそれを認めるからだ。人間は自己満足して生きることが大切。その自己満足が自惚れである。

 不満足なら、満足するまで、思考して、努力を重ねることだ。学んで自惚れを磨くべきだ。思案だけでは、実にならない。自分の自惚れを育てるのは、自分である。自分が自惚れを勉強して、人からうらやましがられるような自惚れを育てることが大事である。しかしそれを自惚れてしまっては、もう成長はない。

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人からうらやましがられよ

 「書道を書くなら、人からうらやましがられるような字を書きなさい。自分の自惚れを大切に育てなさい。あなた方は、書道をすることで素晴らしい人生を歩んでいる。書道をしていない人に比べて、素晴らしい自惚れの道を歩んでいる。」と私(恵峰)はお弟子さんに伝えている。

 

人に学び、己に活かす。

それが自惚れの大切な道。我この道をおいて、我を活かす道無し。一事一心一念道。これが自惚れを活かす根本の方法である。日々精進して、自己満足を学んで、誇りを持て。自己満足は、人生最高の妙薬である。

 

佳気満高堂

 気を佳くして満足して己を高めていく。「高堂」とは自分の体のこと。

 

心足身常閑

 「心足」とは自己満足のこと。そうなれば、のどかである。人から何か言われたら、私が認められたと思えばよい。人から非難誹謗され、何か言われたら、感謝である。

 

 陰口が耳に入るようになったら、相当、自惚れている状態である。感謝せねばならぬ。人がそう認めてくれたのだから。そう思わないと、人の言葉で殺される。発想の転換が必用である。

 自分が出来ないから、非難誹謗する人が多い。それは逆に言うと羨ましがられている。だから人から羨ましがられるように、自分の自惚れを磨きなさい。そうなれば腹を立てないですむ。人からの「自惚れている」という誹謗に負けてはならない。

 

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佛の裁き

 努力もせず自分が自惚れていると、人が妬ましくなる。だから人を非難することに精力を使う。その鬱積した感情が、命を削る。

 人を誹謗する人間は、非難するだけで努力をしない。だから非難だけで時間を使い、世の中に何も残せない。だから私(馬場恵峰)を非難誹謗した人間は早く死んだ。自惚れを精進して努力する人を、仏様は助けてくれる。人を非難誹謗した人が墓穴を掘る。それを仏の裁きという。

 非難され誹謗された自分(恵峰)は、それをバネに黙って人の2倍も3倍も努力をして、見返し、実績を世に残した。だから長生きできた。人さまが誹謗してくれたので、その力で元気をもらった。人様のお陰である。

 自惚れを持つ人間は、努力をしている。その自惚れを常に磨いている。だから世に仕事を残す。

 

私(恵峰)の成長

 私(恵峰)は師からくさされ、叩かれ、罵られて「己の自惚れ」を鍛えられた。だから私は師よりも10年も長生きしている。それを天が味方したという。しかし自惚れてしまえば、おしまいだ。自惚れを磨く、それが人生を伸ばす道である。人から「うぬぼれている」と言われるくらいに上手になりなさい。それが天の言葉である。

覚えて書く

 手本を見ていくら書いても上手にならない。それは猿真似である。中国の自惚れた書家の作品を学んで、自分に繋げていきなさい。「学んで書く、覚えて書く」のと「真似して書く」のは違う。

 

本物の自惚れ

  それを書展に出すと恥ずかしいと出さないから、上手になれない。それこそが、本物の自惚れである。自分が恥をかきたくないのだ。

 安い半紙にだけ書いて、己の腕を世の問わず、書展に出さないから、何時までも上達しない。半紙の練習ではなく、高い紙で真剣に作品を作らないと成長しない。

 仕事でも多くの場数を踏み、失敗して恥をかくから能力が向上する。その職位が人を育てるのだ。私(小田)もやり過ぎて多くの失敗をした。非難もされた。それが私の肥やしとなった。

 過保護で育てられたエリ―ト経営者は、修羅場を経験していないので、経営を誤り、会社をつぶす。私(小田)の前職の会社も、エリート経営者が決断をせず、事なかれ主義で経営をしたから、消滅した。

 

書道での自惚れ

 書を書く場合でも、私(恵峰)は間違えるはずがないと「自惚れ」を持っているから、間違えずに書を書ける。皆さんは間違えるかもしれないと思って字を書くから、間違える。

 私(恵峰)は、表装された軸に直接書く。だから表装代が節約できて、安く皆さんに分けてあげられる。

 

元手がかかっている

 皆さんは安い半紙に書いているから、上達しない。私(惠峰)は高い軸や高級な紙を使うから、真剣に、頭を使って書く。紙にカネがかかっている。人様が作ったもので上手にしてもらっている。

 上手に書くのでなく、感性を養うために書を書く。作品に仕上げることを頭に置かないと成長しない。お弟子さんは、他流試合をせず、練習ばかりしているから成長しない。私は、高い紙に失敗は許されないと思って書く。だから上達する。

 

無駄の効用

 無駄をしないように、しないようにとするから成長できない。無駄なことに成長の肥やしがある。私(小田)も相当な無駄なことをした人生である。仕事でも写真も文書も芸術品の収集でも、である。人様よりも多くの失敗をした。だから成長した。まずやって見る、買ってみる、書いてみる。失敗と分かったら、止めればよい。間違った道と分かったら、引き返せばよい。間違った経験が智慧となった。痛い目を経験しないと智慧にならない。

 

真剣勝負

 木刀で練習するのと真剣で練習するのとは格段の差がある。江戸時代の地方の道場の名人と言われる人は、江戸の名人に一撃で倒される。それは、江戸の名人は、多くの人と他流試合をして鍛えているからである。

 それは書道でも同じで、真剣に多くの紙に書き、書展で世の批判を浴びないと上手くなれない。批判を浴びて恥をかくから上達する。仕事でも真剣勝負で渡り合わないから、成長しない。

 

 上記は、2020年1月9日の恵峰塾での講義内容を基に、自分の経験に照らし、加筆、編集して記載しました。

  

2020-01-18 久志能幾研究所通信 1454  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月17日 (金)

「法人にあらずんば人にあらず病」 悪縁ディーラからの遁走記(6)

初めての車

 40年前に初めて愛知トヨタ店でカリーナを買った。買った時、車を大事にしたかったので、営業マンに貸しガレージを探してくれるようにお願いした。その営業マンは「愛知トヨタは、ネットワークが広いので、必ず探してご連絡します」と約束をした。しかしその後の連絡は全くなかった。そのうち、その営業マンは転勤でいなくなってしまった。

 

クラウンの検討

 2018年、乗っている車が20年になり、クラウンへの買い替えを検討した。それでクラウンの購入のため、岐阜トヨタの担当営業マンとは5,6回も打ち合わせをしたが、デザイン的に前クラウンは、好きでなく買う決断が付かなかった。そうしている間に新クラウンの発表があった。その営業マンから「新クラウンが発表され、実際に新車が店頭に置かれたら連絡をします」の約束があった。しかし、その時期になってもその営業マンから連絡はなかった。

 そのうち私は新クラウンに興味が無くなり、その営業マンとは疎遠になった。でも一度、実際の新クラウンを見に行こうとそのお店に出かけた。その時、お店にその営業マンは不在で、別の営業マンが出てきて、対応された。その営業マンは、「私が来たことを担当営業に、伝えておきます」といった。しかしその担当営業マンから、ついぞ連絡はなかった。常識的には、お店に見込み客がわざわざ来店したなら、担当営業マンが電話ででもお礼の連絡なり事務連絡をするものだ。

 そのお店は、私が来店すると、私の車のナンバーが登録してあり、フロントが担当営業マンに私の名前が「通報」されるシステムになっていた。私が営業マンを呼ばなくても、担当営業マンが出てくるシステムになっていた。これはネッツトヨタ南国で運営されているサービスである。しかし、この岐阜トヨタ店では、形を作っても魂入れずのシステムになっていた。単なるネッツトヨタ南国の形式的な物まねシステムになっていたようだ。

 

諸悪の根源

 これはクラウンという商品を売ることで罹患した業病のようだと納得した。クラウンは買う80%が法人客であるようだ。個人でクラウンを買う客は少ない。法人は、定期的に車を買い替えてくれる。クラウンは黙っていても法人車として売れる車である。だから営業マンは法人の方を向いて、そのご機嫌伺をしていれば、営業マンの成績は維持される。個人の客は大事にしなくても商売が成り立つのだ。

 

40年前の対応

 だから40年前に私が愛知トヨタ店でカリーナを買っても、営業マンの対応が冷たかったのも納得できる。当時、若造の私を真面目に相手にしなかったのだと今になって納得した。

 

2018年、岐阜トヨタの対応

 私に対応した岐阜トヨタの営業マンは、若い主任クラスであった。現在の私みたいに酸いも甘いも経験している初老のユーザーの相手に、主任クラスの若造では、話が合わなくて困るのだ。

 以前のビスタ店、ネッツ店では、私の担当営業マンには店長クラスの人が対応した。それから見ても岐阜トヨタ店は、法人に目が向いていた。

 

京都トヨタの対応

 知人で私と同じ世代の人がクラウンを乗っているが、法人でなく個人であるので、その京都トヨタ店の対応が事務的だという。なおかつ、そのクラウンはその人が買ったのではないので、それの扱いが露骨のようだ。定期点検のダイレクトメールが来て、出向いても、その担当者が決まっていなくて毎年変わるという。

 その京都トヨタ店でも、個人客は大事にされていないようだ。多分、全国のトヨタ店でも同じような扱いだろう。それこそが、法人相手のクラウン商売という特性に起因するのだろう。

 

淘汰の時代

 そんな殿様商売では、全トヨタ店で全車種が買えるようになると、そんなお店は淘汰されるだろう。トヨタは、系列ディーラでの全店舗全車種扱いの開始を2020年5月に前倒しすることを発表した。

 お店で殿様商売の匂いを嗅いだら、さっさと遁走である。だから私はクラウンを買うのを止めた。現在の愛車を乗り続けることを決めた。自分の足として21年目の車歴である。

 

クラウンの裏話

 中小企業の社長はクラウンを買うのが夢である。クラウンに乗ると人生観が変わるという。周りが己を見る目が一変するという。要はステータスなのだ。なおかつ車の経費は、会社の経費で落とせる。儲かって税金で持っていかれるより、クラウンを買おうである。

 ところが三河の中小企業の社長たちは、儲かってもクラウンには乗らない。そんな車を乗っていると、親会社から「だいぶ儲かっているようだから」と仕事で値引きのネタにされてしまうからだ。それを避けるため、高級車には乗らないという。堅実なのだ。

 

クラウンの顔が嫌い

 私はクラウンのいかつい「顔」が嫌いである。それでも売れるから不思議と思っていたら、社用車として乗るなら、その顔で代表されるデザインは二の次なのだ。要は中小企業の社長は「クラウン」であればよいのだ。それで周りの人が評価してくれる。それが中小企業の社長の実態である。

 

業病

 クラウンは国内向けだけの特殊な車である。だからトヨタ店の営業が、苦労しなくても売れる車なので「安易な営業姿勢病。法人だけが客で症。法人にあらずんば客にあらず病」という業病にかかっている。傲慢な病人に近寄ると、己も病を得る。そんな病気は伝染するので、君子危うきに近寄らず、遁走に限る。

 それよりカローラ店、ネッツ店のほうが、一般客に気持ちよく対応してくれる。ネッツトヨタ南国の真摯な営業内容には学ぶ点が多いが、一般的にトヨタ店からは学ぶ点が少ないようだ。

 安易に売れる商品を持つことは、努力をすることを忘れさせる。未来の衰退があるだけだ。

 

誰にも負けない努力

 親から財産や才能を与えられることは、努力をすることを放棄させる。結果として、自分の将来の成長の障壁となる。自分に財産や才能がないことを喜ぼう。それが奮起のエネルギーとなり、人よりも2倍、3倍の努力をするモチベーションとなる。自分で獲得した能力は、誰にも負けない力を与えてくれる。

 稲盛和夫氏は「誰にも負けない努力」をして、有名大学出でもなく、世間の支援もなく、売れる商品もない状態から、京セラを世界の京セラに育てた。その根源は利他の心である。

 ディーラから買うのは、車ではない。営業マンを買っているのだ。彼の利他心とその営業行為に共鳴して、車を買うのだ。私はいろんな商品をその観点で購入している。安いから買うわけではない。自分の命を大事にするために、担当営業マンを「耳を洗い、目を拭い」その本性を見極めよう。

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 馬場恵峰書

 

2020-01-17 久志能幾研究所通信 1453  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年1月14日 (火)

人生美学の海外逃亡

 カルロス・ゴーン(軽ロス・御恩)被告が海外逃亡したと世間は騒々しい。それは人生の終末を迎えて、今までの「ご恩を軽んじた」罪に起因する醜態である。それに対して、馬場恵峰先生は海外に逃亡して人生美学を創造した。

 日本習字の創業者は原田観峰師である。馬場恵峰師は、原田観峰師に見込まれ、後継者として3年間に亘り京都の本部で寝食を共にして、厳しく鍛えられた。原田観峰師が、日本書道の全国18,000支部の先生の中から恵峰師の才能を認めて、たった一人だけを選抜した。

 

修行時代

 恵峰師は日本習字京都本部で、週に2回の徹夜、残業手当なし、休日なし、給与6万円、ボーナスなしで3年間を過ごされた。その6万円から2万円が食費として天引きされる。その給与では、旅費が高くて九州にも帰れない。それで3年を過ごし、体調を崩されて九州に戻られた。

 ほぼ同じ時期、私は新入社員としてトヨタ系の企業に入社して、それ以上の給与とボーナスと残業手当で「裕福?」に暮らしていた。先生と比べると少々恥ずかしい。

 

讒言

 ところが恵峰師をねたみ、偏根し根性で、陰口、讒言、あらぬことを観峰師に告げ口する輩が出てきた。曰く、「恵峰は天狗になっている」、「馬場恵峰は、原田観峰師に対抗して新しい書派を立ち上げるつもりだ」とかで、恵峰師が思ってもいないことをでっち上げて、観峰師に告げ口をした。観峰師もそれを真に受けて、恵峰師に激怒したという。

 観峰師は書の才能は素晴らしいが、それ以外の才能(画、文学、宗教学、医学、学歴、漢詩、家庭生活)の全てで、恵峰師に負けていた。原田観峰師の子弟は、誰も後を継がなかった。観峰師の私生活が荒れていたためである。観峰師は恵峰師の才能に対する僻みが根底にあり、恵峰師に関する讒言を信じたようだ。

 

中国へ逃亡

 恵峰師は言い訳をするのも馬鹿らしく、書の本場の中国に活路を求めて、中国に行くようになった。つまり言っても分からない下劣な人間を相手にせず、中国に黙って「海外逃亡した」。以後43年間にわたり、華麗(加齢)なる海外逃亡旅行が続いた。恵峰師は「クレーマー行為」をせず、「女々しく」中国に新天地を求めたのだ。うぬぼれた人間と争うのは時間の無駄である。師は下界の人間を相手にせず、天を相手にしたのだ。人を誹謗するのは、己がうぬぼれているためである。「なんであいつが」である。

 人を誹謗する人間は、自分の徳を地獄の河に投げ入れているのだ。誹謗された方は、それに言い訳もせず、じっと耐えて努力することで、能力と徳を高めていく。誹謗する人間は、努力をしない。人は誹謗されることで、他人様が自分の能力と徳を高めてくれる。だから恵峰師は技が上達して、長生きである。

 

 涙堪えて悲しみに耐える時、

 愚痴を言わず、苦しみに耐える時、

 言いわけしないで、ただ批判に耐える時、

 怒りを抑えて、ただ屈辱に耐える時、

 あなたの命の根は深くなる。

   相田みつを作詞 『にんげんだもの』詩「いのちの根」

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 馬場恵峰書 日中文化資料館蔵

 

仏様のお裁き

 原田観峰師は今の馬場恵峰師よりも、10歳も早い時期の83歳で亡くなられた。そんなに早く死んではならぬ才能なのに、仏様が彼岸に呼び寄せてしまった。それに対して恵峰師は93歳の現在でも現役である。

 馬場恵峰師を非難、誹謗、貶めるために讒言をして回った書家仲間は、現在全員がこの世を去っている。誹謗ばかりした人間は、この世に何も残せなかった。書家仲間は、「恵峰は、偉そうに中国に頻繁に行っている」、「天狗になっている」、「中国にどげんか用ば、あるばってん」と恵峰先生の罵詈雑言ばかりである。

 恵峰師は用があるから中国に行ったのではない。用を作りに行ったのだ。馬場恵峰師はその讒言を糧に、93歳の今も現役で書を書き続けている。仏様が助けてくれた。

 

逃亡の利子

 馬場恵峰師は中国に240回以上も行って、中国の書家と友好を結んだ。金は7000万円ほどつかって消えたが、それがご縁と智慧の宝を生んだ。その利子が健康である。

 

誹謗の負債

 人を誹謗するしか能のない人は、早く死ぬ。人を誹謗することに忙しい。誹謗する暇があれば努力をすればよいのに、その努力をしない。だから仏様が長生きを許さないのだ。それは世のためにならない輩なのだ。だから仏様がお裁きをされる。それは利己心への罰である。

 仏教は利他の心と感謝の念が基本の教えである。要は自己中心主義を止めよである。讒言は、自己中心主義、己の自惚れの発露である。利己心の発揮は、社会のためには反した行いである。仏様が許すはずがない。そんな輩は、早く死ぬのが世のため、人のためである。だから恵峰師を誹謗した人間は、早く死んでいる。「なんであいつが」と鬱積した気持ちで過ごせば病気にもなるだろう。

 恵峰師は、書家仲間のあらぬ誹謗に対して、「なにクソ」と負けじ魂を出して仕事に精進したから、元気をもらった。それが徳である。

 

目指す姿

 馬場恵峰師の生きざまが私の目指す姿である。師の姿を見ていると、おちおち死んでなんかおられない。自分を非難する人を相手にする時間が勿体ない。どうせ人を非難する人間は、世に何も残せず、早く死ぬのだ。

 

2020-01-14 久志能幾研究所通信 1450  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月11日 (土)

西方浄土の近くの極楽へ旅行

 西方浄土の近くの極楽に旅行してきたので、この1週間ほど、ブログを休載しました。恐縮です。その極楽で、考えさせられることが多々あった。極楽と地獄は表裏一体である。本人には極楽であっても、その裏に地獄がある。

 昔、受験地獄を経験したが、今から見るとそれは極楽であった。地獄があったから、その後の幸せがあった。地獄を見なかった者が、フリーター、リストラ、認知症の対象となっている。

 地獄であっても、健康でそれを修行として対処する人は、その地獄が己を鍛える修行の場に変わる。己の至らぬ点を地獄の火が浮かび上がらせてくれる。地獄が明らかになるのは、己が積み重ねた罪が明らかになる時なのだ。

 

明徳

 闇夜で、月の光に照らされて、松の葉が浮かび上がる。暗夜で己の徳が浮かび上がる。真っ黒な空間で、弥勒菩薩が三千光年先から照らす光で、己の徳が浮かび上がる。それが明徳である。仏様は生死を管轄している。人は生死を考えず、己の健康管理に精進すれば良いのだ。

 いくら健康管理に精進しても、人は120歳以上には生きらない。必ず死がある。死を前提に生きないから、人はモノに執着する愚かさを演じる。死んでしまえば、後は野となれ山となれ、である。

 

地獄に向き合う者

 人は地獄を見て成長する。生かされ活きる法を知る者しか、地獄と極楽が織りなす人生の真理が見えない。生きているから苦しみがある。極楽で生きる者には、苦しみがない。それは脳死である。地獄でもがく人は、徳と智慧を授かる。人を匿名で誹謗する者は、徳と智慧と己の魂も地獄の河に捨てている。

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 魂 松本明慶先生作       書は馬場恵峰先生作

 

2020-01-11 久志能幾研究所通信 1446  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月 6日 (月)

もう一人の自分を創る

 自分は明日、何の為に生きるのか、という勉強をやっておかないと、その時その時の調子もので一生を終わってしまう。調子に乗って、社長に祭り上げられ、市長に祭り上げられ、のぼせて経営をしても、後世に何も残せない。市制100周年記念行事の祭りや行事に没頭してウツツを抜かせば、何の意味もない人生を送ることになる。己の会社の社員や、大垣市民が不幸になるだけだ。それは人生の驕りである。100年の計を間違えている。

 

令和の理想

 「令」の字に「口」を追加した象形文字が「命」である。その時代の元号は日本の理想である。「何事も秩序をもった美しさを持て」が「令和」の意味である。元号とは、これからの30年間の日本の目指す理想の指針である。それに己の人生に当てはめないと、人生が有意義にならない。

 今までの日本の歴史では、「昭和」だけが理想通りにいかなかった。それは「口」という四角張った文字が3つも含まれていたことも原因だろう。それは馬場恵峰先生が書家だから気が付いたことだという。

 

令和20年の姿

 皆さんが20年後、令和20年を迎えると、65歳以上の老人が3人に一人である世界である。その時に、どういう「もう一人の自分」を創ってきたかが、人生の生きざまを分ける。その時に何を残すかが問われる。

 モノを残し、カネを残してもつまらない。人間として生まれ、素晴らしい人生であったという証しを残して、あの世に旅立ちたい。

 

命の根

 涙堪えて悲しみに耐える時、

 愚痴を言わず、苦しみに耐える時、

 言いわけしないで、ただ批判に耐える時、

 怒りを抑えて、ただ屈辱に耐える時、

 あなたの命の根は深くなる。

   相田みつを作詞 『にんげんだもの』詩「いのちの根」

 

 自分自身がしっかりしていないと、自分の人生で行き詰まる。

 

人生の大事

 馬場恵峰先生は、最初の妻が若くして亡くなられた。後継者と希望を託していた3男が40歳で、幼子を残して病死した。なんで俺だけがと先生は嘆かれたという。悲しみに耐えるしか手がなかった。

 馬場恵峰先生は、中国に240回も行っていると、書道仲間から、陰でくそみそに誹謗された。その逆風に「なにクソ、みていろ、やってやるぞ」と粉骨奮闘でやっきた。上記の詩のような心境で頑張られて、今の先生がある。 

 私も前職で、教育関係で信念をもってやってきたことを、吸収合併された後、会社の教育方針が今までと真逆になり、嵌められて閑職に追いやられた。言い訳をしても、新会社では意味がないので黙って屈辱に耐えた。だから恵峰先生の心情がよくわかる。会社では世間で正しいことでも、上司や会社の価値観で正悪が逆転するのを体験した。

 非難中傷や足を引っ張る人間は、己は表にでず、陰で非難、裏工作だけをして、足を引っ張るものだ。それが一番卑怯である。

 それ以来、私は言い訳をしないことを人生方針とした。私の言動が理解出来ないレベルの人と向い合っても時間の無駄である。それに足を取られず、私の人生の大事を急ぐような人生設計とした。

 

もう一人の自分を創るには、

 まず自分が変わろうという意欲を持たないと、何事も成就しない。それは会社経営でも教育でも同じである。

 経営セミナーは経営理念の話ばかりで、人間としてどう生きていくべきかの話しが欠如している。だからそんな話ばかりを聞いても会社は儲かるようにはならない。

 字を上手に書こうと思ってはダメ。書道で、人生を學ぶのだ。一道を極めれば、万事に通じる。

 

1 手を動かす

 恵峰先生は現在93歳で現役である。人から、「なぜそんなに元気なのか」とよく問われるという。「自然から薬を頂いている」が先生の回答である。

 日中文化資料館の庭には草一本生えていない。生えれば、草を取るからだ。毎日、体と手を動かして庭の草取りをする。それが自然から薬を頂いていること。

 先生は、「知りたたることを、人に教えて、感謝されて」生きている。人のために生きる人を仏様は支援する。それが自然から薬を頂くこと。

 一番頭によいことは、手を動かすこと。両手がしっかり動けば、長生きできる。だから恵峰先生は筆で書を書いている。そのことは釈尊の経典に書いてある。人は、両手を使って書けば覚えるのだ。目で読むから覚えない。だから老化が早い。

 それを人差し指だけの一本だけで人を指さして、非難するだけに手を使うから早くボケて早く死ぬ。人を指すのでなく、指を丸めて、舌を丸めて、言いたいことをぐっと我慢することだ。その代わり、手で自分の心情を、手を動かし紙に書く。

 

お足を使う

 人のやる企画・運営は簡単に崩れる。それは頭だけの仕事。しかし真心で作ったことは崩れない。真心で最善を尽くすことである。

 人はうぬぼれると足を動かさなくなる。足とは「お足」である。お金を使わないから、智慧が付かない。だから定年後にすぐに老人ホームに直行である。

 恵峰先生は、中国に240回以上も旅して約7,000万円を使った。その金は残っていないが、中国人との交流で中国の書家との愛情が残った。それが、「旅は道連れ世は情け」である。

 

心に鍵をかけない

 「あれは好かん、これ好かん、それは無理」と言っていては、自分の新しい人生は作れない。やらないのは、それは自惚れである。自分が恥をかくことが怖ろしいのだ。だから人生で行き詰る。それは心に鍵をかけること。それを避けよ。心の戸を開くカギは「そういう考えもあるだろう。教えてくれて、ありがとう」である。

 

2 忘れることの大切さ

  愚痴をこぼさない。いつまでもくよくよしない。

  前向きに考えることである。

 

3 相手の長所を見る。

  短所ばかりを見る人を「馬鹿」という。短所は誰でも、よく良く見えるモノ。長所を見る能力を作れば、自然と短所は見えなくなる。短所ばかり見て、批判ばかりするから、うだつが上がらない

 

4 過去の経験を上手に使う。

  失敗を振り返ること。過去の失敗を闇に葬らないこと。失敗の中に、人生のお宝が埋まっている。それが自分株式会社の企業経営の基本。

  

5 怒りをなくす

 

6 家庭で子孫に伝える

 親子別生活を避ける。親子別生活が現代社会の一番の問題である。伝えるべき大事なことが伝わらない。現在の東京一極集中となると親子関係の危機である。聞いておかねばならないことが聞けなくなる。対話する機会が無くなる。家庭生活をどう受けついでいくか。それが現在の日本の問題。

 だから恵峰先生は、家族に伝えるべきことを書いて置こうと決断した。先生はこの春に人生訓の掛け軸100本を完成させた。

 人生で大切なことは、後世に何を残すかである。モノやカネを残しても、その人の魂の痕跡は残らない。モノやカネは虚しい遺産である。役人が美味しい思いをするだけだ。美田を残せば、子孫が堕落する。

 それが今回、出版予定の馬場恵峰先生の人生訓の軸を写真集にまとめた『老いのともし火』である。

 

 本内容は、2019年5月23日、馬場恵峰先生が仙台で講演をされた内容を参考にまとめました。

 

2020-01-05 久志能幾研究所通信 1445  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月 4日 (土)

タイヤに窒素を入れて「得・徳・疾く」

 私は15年ほど前から、自車のタイヤに窒素ガスを入れている。窒素はガスが漏れにくく、温度変化にも強いため、航空機のタイヤにも使われている。フォーミュラカーもタイヤには窒素を入れている。

 

窒素入りタイヤのメリット

 窒素は空気に比べてゴムの透過速度が三分の一とガスが漏れにくく、空気圧チェックが年に1回くらいですむ。時間節約となる。

 窒素入りタイヤは、燃費向上につながる。タイヤ圧の管理は一般の人は怠慢になり勝ちである。JAFの調査によると高速道路を走る車で、その内15%の車のタイヤ圧が不足していたという。タイヤ圧が不足すると燃費が悪くなる。それが窒素入りのタイヤだとその確率が減る。

 窒素は酸素に比べて、タイヤやホィールの金属部への腐食影響が少なくタイヤの寿命を延ばすことが出来る。

 窒素は音の伝達率が低く、タイヤからの走行音の伝達が減少して、乗り心地が良くなる。しかし僅かな差なので体感するのは難しい。

 費用もタイヤ4本で2千円ほどである。無料の空気に比べて、それがデメリットだろう。

 安全運転への貢献、燃費節約への貢献は0.1%かもしれないが、その積み重ねが人生を質実剛健にする。

 

不徳の露見

 2013年、岐阜トヨペット大垣北店が、車検時に窒素が入った私のタイヤに空気を入れるという失態を犯した。タイヤには窒素入りの目印があったが、岐阜トヨペット大垣北店の整備マンは、それの知識がなかったようだ。岐阜トヨペット大垣北店は窒素を入れる設備も持っていなかった。そのミスを指摘しても、岐阜トヨペット大垣北店は、その事態を理解できず、その謝罪もなかった。

 これでは苦情を言っても時間の無駄だと思い、早々に退散して、別のお店で「お金を払って」窒素を入れ直した。それ以降、岐阜トヨペット大垣北店とは縁を切った。「窒素入りタイヤ」という事象がディーラの技術レベル、信用レベル(徳)を教えてくれた。

 自分の命を預ける車の点検を任せるディーラは、技術力、仁義、徳、礼儀、智慧、信用力があるお店を選ぶべきである、が今回の学びであった。

 

日本人の徳の消滅

 しかしこれは特定のお店だけの問題なのか。自分のやった仕事にミスがあっても、客に反省も詫びもない。そんな日本人が増えたようだ。企業も拝金主義がまかり通る経営が最優先される。日本人全体が「仁義礼智信」を忘れた、人間としての基本素養を放棄しつつあるのではと危惧している。それは日本の政治、大垣の政治でも垣間見える。

 

 「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

    Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

     “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

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 馬場恵峰書

 

2020-01-04 久志能幾研究所通信 1444  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月 3日 (金)

「聖観夢菩薩」は夢の工程を視える化する

 私は「死ぬまでにやりたい108の夢」を掲げて頑張っている。還暦を迎え10年近くも経過したので、その夢の実現プロセスを分析することを思いついた。

 その夢がいつ生まれ、何時成人になり、成功して、消えるかを検証すると、今まで見えなかった己の姿が見えてくるようだ。

 

夢の成果

 今までに何が実現できて、何が出来ていないのか、その夢が実現出来た要因、できなかった原因を明確にすべきである。できなかった原因を明確にしないから、残った夢の実現が難しくなる。

 夢が出来たこと、できなかった要因を「視える化」して解析すると、自分のこれからの生き方を見直し、改革できることになる。

 108の夢リストをExcel表にして、その成否、理由、利他・利己の分類、その課題を視えるかする。そうすれば漠然としていた夢が現実的に視えるようになる。    

 

夢内容 正否  利他利己 正否の理由 課題 今後の展開
           
           

 

夢のご縁

 夢を見るだけでは、夢は実現できない。夢は人間だけが見ることが出来る。なぜその夢を見たかの理由迄、遡らないと夢の夢になってしまう。夢を見ることで、その夢は実現できなくても、別の世界を展開できる場合が多い。それも夢を見ていたから実現できたことである。

 

課題の発見

 なぜその夢が実現しなかったのか。そこに自分の弱点、問題点が埋まっている。それは自分が成長するためのヒントの山である。人は全く実現できない夢は見ないものだ。実現できなかった夢に己の課題がある。

 「偉大な仕事は、夢から生まれ、情熱で持続され、責任感で成就する。(堺屋太一の言葉)

 実現できなかったのは、情熱が少なかったのだ。責任感が不足していたのだ。夢が生まれないのは、仕事を使命感で取り組んでいなかったためである。

 

夢を分類、解析

 その列挙した108の夢は、利己のためか利他のためか、分類してみると興味深い。そうすると己の心の奥の姿が映し出される。夢の分析をして、利己に溢れた夢は実現しにくいことを発見した。

 

 

仏様のご支援の影を見る

 今までの夢の中で、本来、あり得ないご縁を経験した。そのお陰で実現できるはずのない夢が実現している。これは聖観夢菩薩様のご支援と思う。

 これから、今までの夢の実現の可否とその要因・原因を調査分析して、今後の生き方を変えたい。

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  馬場恵峰書

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 馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集

 「報恩道書写行集」久志能幾研究所刊より

 

2020-01-03 久志能幾研究所通信 1443  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月 1日 (水)

私の行動指針 「一期一会磨墨全智」

 令和2年正月に、「私の行動指針」を見直した。昨年は癌が発見され、手術をした。余命宣告までされたので、人生観が変わった。それを元に見直しを行った。

 

1 時間は命が最優先

  命とは自分がこの世で使える限りある時間の総量。

  一刻一刻、時間は尽きていく。人生の大事を急げ。

  自分の命を最優先に大事にせよ。人の命(時間)も大事にせよ。

2 健康を管理せよ

  健康でなければ、何事も成就できない。体と心が健やかに。

  死んでもいいが、健康が最優先。

  生死は神仏の管理、健康は己の管理。

3 ご縁を大事に。

  出会うご縁の正邪を判別する力をつけよ。そのため学習せよ。

4 努力より選択を重視せよ。

  選択したら決断を早い時期にする。即決の必要はない。

5 現地現物で、本質、真因に迫れ。

  Go and See for yourself thoroughly understand the situation.

6 他への貢献を優先せよ

  幸せは周りが運んでくれる。

  知りたることを周りの教えることが菩薩行。

  人のために話をしないと、自分が幸せになれない。

  与えたものが10年後に返ってくる。

  利他の道は菩薩行、利己の道は畜生道。

7 自己の強みを生かせ

  己は万能の神ではない。神を目指さず、強みを生かせ。

  強みを生かせば、弱みは人間味となる。

8 目に見えないものに感謝せよ。

  生きているのではない。生かされているのだ。

  人を祈る気持ちがないと、神仏の加護はない。

9 「後は野となれ山となれ」の精神で。

  この世で出来ることに全力を注げ。

  死後のことを考えるから行動に制限が出る。

  良いことなら、後は仏様が後始末してくれる。

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 馬場恵峰書の陶器  2019年年末に入手

 

2020-01-01 久志能幾研究所通信 1441  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月31日 (火)

除夜の鐘は御恩の音、出会いに感謝

 除夜の鐘は108つ衝く。ごぉーんとなる108の鐘の音は、人間の煩悩・迷いの叫び声である。大晦日、煩悩の闇を「除」いて、光明の「正月」を迎えるために鐘を衝く。自分の煩悩を「夜」という言葉で象徴している。夜である「人生の闇」を、自分の悩み・苦しみをテコに、仏の教えを乞うために、戸を叩く。それに悟れば、闇の世界から光の世界に行くための戸を叩く機会を与えられる。悩みがなければ、光の世界への戸も探さないだろう。それが除夜の鐘を108つ衝く意味である。鐘を叩くのは、そのご縁に出会えたことに感謝である。

 

「一」とは

 正月の正は「一」と「止まる」からなる。「一もって止まる」の意である。『易経』では「一は天を指し、二は地を指す」という。老子は「一は道であり、真であり善である」という。孔子は、論語で「一以貫之」(一をもって之を貫く)と述べている。「一」は数字の始めであり、神・仏を意味し、天の道、人の道、真の道を意味する。

 人との出会いも「一期一会」である。一とは人生の初心である。正師との出会いは一度限りである。道元禅師は「正師に会わざれば、会わない方がよい」とまで言っている。頭の良い人が「尊師」を「正師」と思って盲信したら、絞首台に上らされたサリン事件があった。だからこそ「3年かけて師を探せ」なのだ。

 人は、物事を「一事一心一念道」で取り組むから成功する。それをやるか、やるまいかと「二心」があるから失敗するのだ。

 だからこそ108の煩悩を「除」いて、「正月」を迎えるために除夜の鐘を衝くのだ。

 

解釈があるだけ

 人生で障害、苦難、病気に出会わなければ、人は慢心になり、過ち慢心地獄に堕ちる。自分が出会ったご縁は、すべて自分を正しい道に導くための道路標識である。道路標識には、何の好悪の意思はない。好悪、正誤をきめるのは、己の煩悩である。

 ニーチェ曰く「There is no facts, only interpretation. 事実はない、解釈があるのみ」

 己の色眼鏡のせいで、正しいことを悪と思い、邪道の道に逸れる。色眼鏡とは、己にしみ込んだ潜在意識である。

 

総ての出会いは仏様の差配

 人生の総ての出会いには意味がある。その出会いの数は、煩悩の数と同じだけ、108つある。それに正邪はない。正邪は人の心が勝手に決めているのだ。

 癌という病気にならなければ、己の狂った食生活、生活習慣は変えないだろし、それが間違っていることに気が付かない。病気も人生の道中で出会う仏様である。私も病気になったから、全国の医師を訪ね、南雲吉則先生に出会った。それで己の狂った食生活、狂った生活習慣に気付かされた。気が付かなければ、手遅れになって早死にするところであった。「癌」という仏様に命を助けてもらった。

 自分が癌にならなければ、日本の医療の問題に光を当てなかった。抗がん剤治療の恐ろしさも、気が付かなかっただろう。

 入学試験で失敗して、世には自分より能力の高い人間がいることに気が付き、もっと勉強しなければ駄目だと気が付く。入学試験失敗という仏様との出逢いである。

 自分が交通事故と出会わなければ、自分の運転技量の問題点を明らかにされなかった。それで将来の大きな事故を起こすのを避けられた。仏の導きである。

 

仮面舞踏会

 人間関係で軋轢を生じなければ、自分の自我の強さに気が付かない。それを気付かせてもらった。その衝突で、相手のレベルと比較して、自分のこれからの生きざまが、光で照らされて明徳が明らになったのだ。

 人生は仮面舞踏会である。嫌な相手との出逢いは、邪鬼の仮面を被った仏様との出逢いであった。人生ドラマのクライマックスで、己の鼻をへし折ってくれたので、己は成長が出来た。周りの人は、仮面を被ってこの世を生きている。ぺルソナとは、ラテン語で仮面という意味である。ここからパーソナリティという言葉が生まれた。仏様は邪鬼の仮面を被って、己を試し、己を導いてくれた。感謝である。

 

 「命」とは「人」が棒(一)で、「叩」かれると書く。人間関係で軋轢を生んで、己の慢心を批評という棒で叩かれなければ、自由気ままに生きる畜生と同じである。人間界の叩きを修行という。

 

人生賞味期限

 河村義子先生との昨年の別れは、「いつまでもあると思うな親と金」を教えてくれた仏様との出逢いである。だからこそ、生きている間に精一杯の精進をすべきとの教えなのだ。己もいつまでも生きていられるわけではない。「夕焼け小焼けで日が暮れて♪」を聞きながら、「日暮れて道遠し」に気が付く。それで自分の命の賞味期限と自分の使命を教えてくれたのだ。

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2019-12-31 久志能幾研究所通信 1440  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月29日 (日)

河村義子先生を偲んで

 河村義子先生が逝去されたのは2018年12月25日であった。先日、一周忌法要があり、私はその命日の数日前に先生宅を訪問してご霊前にお参りさせていただいた。

 そこでご主人といろいろお話をして、お参りされる皆さんが私と同じ感想を持たれていることを知った。皆さんが、義子先生と知り合いになり、普通では叶わぬ世界一流の音楽家達と交流が出来たと感謝である。それは皆さんが異口同音に感謝されていた。大垣の片田舎で、世界を相手に活躍された義子先生の偉大さが実感できる。ご逝去後一年経っても、先生宅にお参りにこられる人が絶えないのも、先生の人徳であろう。葬儀では約1000人の方が参列された。

 

先生との出会いのご縁

 思えば河村義子先生とのご縁も稀有なご縁である。もし私が定年延長をして大垣に帰郷していなければ、このご縁はない。前職の、上からと下からのいじめの軋轢で、かつ実質吸収合併された会社の中間管理職の立場で、宮仕えの延長は嫌だと辞める決断したのがご縁の始まりである。

 大垣に帰郷後、酔狂にも長年の夢であったピアノを入手して、防音室まで作って始めたピアノである。公式の言いわけは、「ボケ防止でピアノを習う」である。若いころ(1970年)、平塚市でピアノ殺人事件が起こり、その影響でサラリーマン生活・借家住まいではピアノは無理と諦め、ピアノを始めるなら防音室が必用と覚悟をしていた。ピアノもグランドピアノと、決めていた。それは定年後でしか、実現しなかった。

 定年後、購入したピアノもこだわってチッペンデール形式の猫足のピアノを選定した。ヤマハの販売課長が、この30年間で中部地方では、このピアノを含めて2台しか見たことがないという代物であった。

 そのこだわりがあったから、その販売課長さんの紹介で、個人レッスンの講師として、河村義子先生を紹介して頂いた。ド素人の還暦後のおじさんの個人レッスン引き受けを快諾された義子先生も偉いと思う。このこだわりのピアノでなければ、河村義子先生とのご縁はなかったかもしれない。そういう点で、この猫足のピアノは、ご縁の招き猫ピアノである。この猫ちゃんを粗末に扱うと化けて出そうである。

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 猫足のピアノ

 

音楽家とのご縁

 義子先生とご縁ができて、世界の一流の音楽家や関係者と親しくなった。それはドイツ、米国、ウィーンの音楽家とのご縁である。義子先生とのご縁で、ウィーンの楽友協会の資料館館長のビーバー・オット博士にも表敬問する機会を頂いた。これも義子先生がライフワークで戸田極子伯爵夫人の研究をされていたご縁に起因する。私も義子先生とご縁がなければ、ウィーンになどに飛ばなかっただろう。

 

演奏中の撮影

 先生のご縁があったから、音楽活動の写真を5年間にわたり撮影する機会に恵まれた。いくら写真が好きでも腕があっても、演奏中の写真を自由に撮れるわけではない。河村義子先生からの依頼がないと、音楽家の写真は勝手には撮影できない。そのご縁で、無音シャッターのミラーレスsony α9を設備投資して臨むことができた。それで私の新しい分野への挑戦が出来た。たまたま写真歴50年の経験を活かすことが出来たのは幸いであった。

 

義子先生の覚悟

 義子先生は5年前に癌が見つかり、手術をするとピアニストとして生きていけなくなる恐れがあると言われ、癌の手術を断念されて、最期までピアニストとして生きる覚悟をされた。丁度、私が先生と知り合ったころである。

 私が先生とお会いしたころ、いつも部屋に掲示されているご自身の写真は「気に入っていて私のお葬式にも使うの」というので、何の冗談かと呆れた思い出がある。

 また4年前に先生がドイツへ1か月ほど演奏旅行に行かれて、帰国後、「やりたいことは全てやったので、いつ死んでもいい。幸せ」というので更に呆れた思いである。鈍感な私は義子先生の決意に気が付かなかた。

 先生は人生の賞味期限の意味を知っておられたのだ。義子先生は、人生を最期まで、全力で駆け抜けていかれた。

 

ドレスデントリオの最後の演奏会

 2018年1月13日に、ドレスデントリオを招いて先生最後の公式演奏会をクインテサホテル大垣でされた。私や周りは病気の事情は知らないので、何を焦って年に2回も大きな演奏会を企画するのかと、半ば呆れていた。先生が資金的に困っておられたのを援助できたのが、今にしてよいことをしたと思う。

 この少し前に、チェリストTIMMの演奏会を開催したばかりで、市内の大手企業に協賛金のお願いに回れない事情があった。それを陰で支援できたのは功徳であった。私の支援があり、先生がこの講演会をする決断をされた。

 このお陰で、私はドレスデントリオに密着して音楽家チームのご縁ができた。飛行場へのお出迎え、数日間のリハーサル会場での撮影、支援、大垣でのサポートをできてよき経験を得られた。普通の人ではこんな経験はできまい。義子先生に感謝である。お陰で、ドレスデントリオと義子先生の新春演奏会は大成功であった。これが義子先生の公式演奏会の最後となった。 

Dsc04341s  ドレスデントリオとの共演 クインテッサホテル大垣 2018年1月13日

花が咲いた

 義子先生が長年、大垣の音楽の普及活動で尽力をされていて、それが花開いた結果である。準備万端、実践万端すれば、後は花が開くしかないのだ。それを佐藤一斎は、「已むを得ざるにせまりて、しかる後のこれを外に発する者は、花なり」と表現している。まさに「縁ありて 花ひらき、恩有りて 実を結ぶ」である。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)よ

 

命の恩人

 河村義子先生が亡くなられて、私が葬祭場でその病名を知り、少し胸騒ぎを覚えて、その翌年の年初に精密検査をしたら、癌が見つかった。あと半年発見が遅れていれば手遅れであったろう。義子先生のご家族から、地元の病院は野戦病院のようで、それより義子先生が入院された病院(愛知県がんセンター)がよいと推奨された。それで即、入院・手術を受けた。有りがたいご縁であった。義子先生のお陰で命拾いができたようだ。

 すべてご縁の連鎖であった。これは仏様のご配慮としか思えない。どこか一つでもご縁が切れていれば、こんな状況にはならなかっただろう。人智を超えた何か大きな力だと思う。

 

夕焼け小焼けで日が暮れて♪

 最近、義子先生のことを思い出すと、童謡「夕焼け小焼け」の歌詞が聴こえる。義子先生は、自分の夢を大きく燃やして、大きな夕焼けを作り出して、人生を全うされた。その夕焼けが多くの弟子を照らしている。自分も相応した小さな夢を燃やして、人生の小焼けを作り出して、人生を全うしたいと思う。先に逝かれた義子先生だが、先生の遺志を継いでそれを全うし、「皆で仲良く帰りましょう♪」で、先生の後を追い浄土に還るのだ。人は必ず死ぬ。早いか遅いかは、大した問題ではない。人の偉さは、死ぬ時に、後進にどんな「大きな金の夢♪」を残せるかである。それが人の課題である。

 

戒名

 義子先生の戒名は「聖観院教音義愛大師」である。童謡の中の「まるい大きなお月さま♪」とは、「皆さんを優しく見守り、衆生の助けの叫び声を観れば助けに駆けつける『聖観音菩薩』」であると私は解釈している。私が大垣に帰郷して、最初に大仏師松本明慶先生の作品に触れたのは、聖観音菩薩像である。私には、ご縁の仏様である。

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 大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

 

2019-12-29 久志能幾研究所通信 1438  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。