c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2020年2月 5日 (水)

磨墨智621 「神も仏も無いのか....」と嘆かない

 そう、貴方に強くなって欲しいがため、「神も仏もないのか」と嘆く状態を神様が与えている。それは神仏の深慮遠謀である。艱難辛苦が人を強くする。人は強くなければ時間を作れない、強くても男は優しくなければならない。それを仁義礼智信という。

 南方のラワンの木は、環境抜群の熱帯ですくすくと大きく育つが、大きくなると自分の体重を支え切れず倒れてしまう。そんなラワンの木のような人間になってはならない。

 それに対して寒冷地の木は、成長は遅いが緻密な年輪を重ねて強靭な材木に育つ。

 

自転車道とは転ぶこと

 今まで70年近く生きてきて分かったことは、人間が作り出したトラブルは人間が解決できるのだ。神仏は自分に見合った課題しか与えない。そうなった因果を己が作ったのだ。自分で解決できるのだ。だれも貴方に総理大臣をやって欲しいと頼まない。その昔、私も仕事の上で塗炭の苦しみを味わっても、今思うとなんと愚かなことで悩んでいたことかと思うことが多い。それの経験があるから、今の成長した自分がある。

 自転車の習得でも、転んで痛い目を会ってうまく乗れるようになるのだ。人生の車の運転も同じである。

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  馬場恵峰書 2006年

 

鬱病の蔓延

 そういう苦労のない人が、些細なトラブルで引き籠り、鬱病の仮面を被ってしまう。鬱病は病院に行っても治らない。薬で、益々鬱病が酷くなってしまう。薬物依存になる。その副作用が大きい。薬では、心は強くならない。現代の鬱病治療とは、まるで高血圧症に降圧剤を投与するような対処療法である。根本治療ではない。病院にとっては金儲けのネタなのだ。

 私も会社の陰鬱な仕打ちと仕事の葛藤で鬱寸前になったことがあるが、病院に行けば、間違いなく鬱病と診断されたはずだ。私は、病院の鬱病治療では、薬漬けになる事を本で知っていたので、病院に行かず、自分で治した。

 それも当時、私の担当である管理部署には、精神的にダウンした社員を異動でどんどん送り込んできて、その対応策で学んだ成果である。開発部隊は仕事がきついが、管理部署は楽だろうと、相手先の管理職がダウンした部下を私の部署に送り込んできたのだ。当時のある部署の役員は、過剰な成果を求めて部下の管理職を責めて、数多くダウンさせた。役員は倒した部下の数が多いほど、出世したのが現実であった。まるでブラック企業のようであった。若い人は、その部署に異動になるのを恐れていた。

 だから隣の部署にいた私も鬱病関係の本を10冊弱買い込んで研究をして、その発生原因と対策・治療法を自分で学んだ。

 

鬱病の現状

 今は鬱病になったもの勝ちである。上司が部下を育てようと叱ってもパワハラだとして病院に駆け込めば、全員、鬱病の診断書を頂ける。会社も腫れモノを触るように、一歩引いてしまう。医師も本人の申告病状を否定できないので、鬱病と診断するしかない。病院もその方が儲かるのだ。医師も患者保護で、会社には患者の情報を流さないし、担当上司は医師とも話も出来ない。何かおかしな社会となった。それだけ人間が精神的に虚弱になったようだ。その根本原因は、人間としての感謝を忘れ、仁義礼智信の教育を放棄して、拝金主義・成果主義の技術だけを教える教育体制にあると思う。

 

プラスマイナスゼロ

 宇宙根源の法則の理は単純である。人生のプラスマイナスはトータルはゼロである。逆境でのマイナスが大きければ、人生が好転した時のプラスが大きい。そうでないとバランスが取れない。だからその逆境の時、どれだけ自己充実をするかにかかっている。

 いい思いだけして借金踏み倒しで来世に旅立っても、子孫がそのツケを払わされる。長~い時間のスパンで観れば、人生は公平である。

 

先楽、後楽 

 人は絶好調の時は学ばない。世間の冷たい風に吹かれ、罵られ、嘲られ、叩かれた時こそ、大きな学びがある。人生の前半では、天分の才で能力の高い人は絶好調である。しかしそれを鼻にかけ学校を出てから学ばないと、老いてから痴呆的醜態を晒す人は多い。他山の石としたい。

 人生は、今日が始まりなのだ。何事も始めるのに、遅すぎることはない。

 

来世で生まれ変わった時のために

 人生レ―スの第4コーナを回って、老齢期に学ぶ勉強は、どんな道(書道、絵画、外国語等)でも、輪廻転生で生まれ変わってからこの世で使える技である。現世の生まれながらの天才は、前世でそのご先祖が努力をしたのだ。だからそのために生前に練習するのだ。

 だから人生、死ぬまでが勉強である。己のDNAを受け継ぐ子孫のために勉強をしよう。きっと3世代後にそれが花開く。人は学びながら歳を頂くのだ。学ばないと年甲斐もなく老いる。醜態である。

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  馬場恵峰書

 

2020-02-05 久志能幾研究所通信 1472  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 2日 (日)

磨墨智620 神仏を尊べどこれを頼まず

 表記は武芸の達人である宮本武蔵著『五輪書』の言葉である。苦しいときの神頼みでは物事は達成できない。神仏に頼んでいると、気が緩み無駄な時間が流れる。

 神様にいくら祈っても、見守ってくれるだけで、助けてはくれない。心に安心感を与えてくれるだけだ。自分を助けるのは、自分である。

 

 神に頼るとは、なんたることか。自分で自分を助けよ。

    ベートーベン

 

鍛錬

 千日の稽古が鍛で、それを万日繰り返すのを錬という。千日とは約3年、万日とは約30年になる。それがあって初めて物事が習得できる。そうすれば神仏に頼ることもない。

 『五輪書』に「千日の稽古(けいこ)を鍛とし、万日の稽古を練とす」とある。「鍛練」は「鍛錬」とも書き、もともと金属を打ってきたえる意味で、そこから転じて「厳しい訓練や修行を積んで、技芸や心身を強くきたえる」の意味である。「鍛」という字は「金」+「段(音符)」からなり、音符の「段」には、徹底して加工を重ねるの意味がある。

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 馬場恵峰書

 

水先案内人

 当時、ある人を「人生の師・経営の神様」と私は信じていた。会社で困難に直面して、その人に相談に行ったら、「今忙しい」と相談に乗ってもらえなかった。話も聞いてもらえなかった。

 それ以来、私は神様や「経営の神様」と言われる人に頼むことを止めた。それ以来、自分で考えて決断をすることにしている。

 その「経営の神様」には、研修を通して人生の師を信じて、5年間程で、数百万円のカネを使った。要はその人は金儲けのため、講師として経営・人生の話をしていただけであった。その時わかったことは、彼は間違ったことを言っていたのでなく、単なる経営の話しを「水先案内人」として解説していただけであった。口では何とでもいえるのだ。それ以来、私はその人と距離を置いた。

 己が危急存亡の時、助けてくれなかったなら、それは味方ではない。「国との戦争の時、助けてくれなかったら、その国は敵である」と渡部昇一師が語っていた。

 

格物致知

 人生で降りかかる試練や苦難は、人生経営での「一つの」訓練なのだ。後から今振り返ってみれば、大したことはない問題であることが殆どである。それを「己を鍛える訓練」として、自分で取り組めばよいのだ。それが「神仏を尊べどこれを頼まず」である。実際に体験して、初めて身に付き智慧となる。それを格物致知という。

 

2020-02-02 久志能幾研究所通信 1468  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 1日 (土)

磨墨智450 足るを知る

 際限ない欲望が時間を浪費する。タイムパーフォーマンスを追求しよう。社会では、一人勝ちは許されない。全ては調和の世界である。

 

足るを知らない癌細胞

 人間の体という宇宙で、一つの細胞の独り勝ちを許すと、癌が発生する。食べても食べても、満腹感を得られない餓鬼の状態になると、自己防衛機能の働きで、細胞の増殖が止まらなくなる。それが癌である。癌は自分の体を守ろうとして発生した細胞である。

 飲んでも飲んでも酒を止めないから、肝臓がんになる。

 吸っても吸っても禁煙しないから、肺がんになる。

 過剰なストレスが癌を誘発する。自己防衛機能が働き癌になる。

 食べても食べても満足しないから肥満になり、それが癌の遠因となる。

 食べ足りなくて死んだ人は、現代社会では稀有である。食べ過ぎで、多くの人が病気になる。

 

自然の理、病気の痴

 例えれば、機械の処理能力以上の負荷をかければ、機械は負荷オーバで止まる。しかし人の体は許容能力があるので、受け入れてしまう。しかしそれは一時的で、長期になれば、体が破綻する。それが病気であり、癌である。認知症も同じである。

 認知症は、使うべき機能を使わないという負荷を脳の長期間与えたのだ。それに脳が耐えきれず、認知症になった。認知症は、体の自己防衛本能の表れであるし、「使わない器官は退化する」という自然界の理である。

 近年中に、日本人は癌で死ぬ人が50%、認知症になる人が25%になるという。自分はどの死に方を選ぶだろうか。自問したい。

 認知症は、本人は極楽である。家族が地獄に突き落とされる。要は「知」が劣化して病気になったのだ。雁垂れの中に「知」を書いて「痴」である。

 

生活習慣病

 癌も糖尿病も認知症も高血圧症(これは病気ではないが)、肥満症は生活習慣病である。生活習慣病だから、薬では治らない。治すには、自分の生活習慣を変えないと治らない。それを医師は生活習慣の改善の指導より、薬物投与に血道を上げる。医療処置はするが、治療はしない。だから病気が治らない。

 だから、40年前は10兆円であった日本の総医療費が42兆円を超えるまでになった。日本の税収は60兆円である。

 今や日本人の2人の一人が癌になるのは、自然界からの警告である。癌や認知症が増えたのは、「足るを知る」を忘れて、極楽三昧の食生活に落ちぶれ、安易な生き方に堕ちた日本人への天罰である。

 

餓鬼修羅道

 カルロス・ゴーンのように、金を集めても集めても餓鬼修羅地獄のように、金に飢えた状態に堕ちてしまう。今のゴーンの歳で、使いきれないカネを集めても、彼はあの世には金を持って行けない。カネがあっても寿命を延ばし、病気を治せるわけではない。世界一の金持ちであったスチーブ・ジョブスでさえ、癌に勝てずに、56歳で亡くなった。お金の意味は何か。世界一の金持ちの意味とは何か。考えさせられる。

 

自然の理

 万物は流転している。食べ物でも、人の消化能力を超えて多量に食べるから、体内に滞留して、腸で腐敗する。だから病気になる。

 政治も長期政権で滞留するから、政治が腐敗する。自然界の理である。大垣市の政治の理性が無くなり、腐敗が進行すると、世界初のドローン墜落人身事故、久瀬川氾濫、室村町アンダーパス水没事故、大垣市小中学校エアコン設備率2.1%の露見、大垣市教職員給与が岐阜市より208万円も低い事実の露見、大垣市の公示地価暴落、大垣駅前商店街の消滅、大垣の衰退等で、天が怒りの事象を表す。

 

大垣の癌細胞

 4期も5期も大垣市長職をやると、その美味につられて、辞められなくなるようだ。それは大垣の癌細胞のようである。6選を目指すと言うのが如何に異常かも、その毒素のため認知できなくなる。その癌の毒素のため大垣市の衰退が激しい。

 5期も大垣市長職を勤めることになっても、まだまだ市長職にしがみ付くのも餓鬼地獄に堕ちた症状である。現職として、後進を育て、席を譲ることが出来ないのは餓鬼である。大人ではない。

 市長として後進を育てると、己の立場を脅かす脅威として、現職の強みを生かして出馬予定者の人材を蹴落とすまでの浅ましい行動を取ろうとしている。阿修羅地獄の極みである。

 人間の体でも、癌が大きくなると、その体自体が衰退して死ぬが、発生した癌も同時に死ぬ。大垣が駄目になる前に、神仏が支配する天地が、その癌を殺すだろう。それが天地、自然、歴史の営みである。栄枯盛衰は自然界の理である。

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  馬場恵峰書 

2020-02-01 久志能幾研究所通信 1467  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月29日 (水)

磨墨智453.満足では幸せになれず

   幸福=充足/欲望

    幸せ=人が喜ぶ行為/無償の愛の行為

 

 幸福になるために時間を創ろう。欲望を小さくすれば充足までの時間は短くできる。無償の愛は、人よりも己が幸せになれる。

 「足るを知る」とは禅の言葉である。欲望を大きくするから、器が埋まらない。結果だけを追い求めるから、幸せになれない。

 立って半畳、寝て1畳、飲んで三合、そんなに人は消費できない。必要以上にかき集めても、人には寿命という時間制限がある。だから人は、貯めたお金を全ては使いきれない。またお金を使うのに疲れて不幸せになっていく。お金が集まり過ぎると、猜疑心が大きくなり、不幸になる。

 人が死んだ後に残るは、集めた量ではなく、世間、世に与えた量・質である。

 

満足と幸せの違い

 幸せとは、欲しいものを手に入れて満足することではない。幸せとは、欲しいものを手に入れる過程で、得られる心の充実感である。それはプロセスの中にあり、目的追及の過程に存在する。利他の行動、感謝の気持ちが生まれる行動、目に見ない嬉しさであり、何度でもその効果が持続する。

 満足とは、結果である。結果に満足しても、決して幸せとは言えない。満足は目標達成の時であり、利己欲の達成の時であり、ご褒美の経済的利権の獲得であり、儲かったという気持ちであり、お金のように他人からも見えるものである。それは一度限りの満足である。それを手に入れると、更にそれ以上のものを求め、無間地獄に堕ちていく。

 

 満足  vs  幸せ

 結果      プロセス

 頭が理解    心が充実

 利己      利他

 驕り      感謝

 目に見える   目に見えない

 一度限り    何度でも

 

 カルロス・ゴーンは日産社員2万人の首を切り、系列を切り、人材育成費を切り、社員のリストラの血で染まった123億円を独り占めしても、更にカネを求め続けて墓穴を掘った。

 小川敏は姑息な手段で3期連続無投票当選に持ち込み、5期の市長職を勤めて、大垣市の墓穴を掘っている。大垣市は瀕死の状態である。更に小川敏は4期連続無投票当選を目指して動き出した。大垣市を地獄に落とすつもりである。本人は3億円の手当で極楽天国である。

 

成果主義の天国と地獄

 我々は成果主義に踊らされて、満足のために結果だけを追い求めるから、結果を出して満足しても、決して幸せにはなれなかった。それは各個人の利己と利己の戦いになるから、勝者の1%だけが幸せになり、99%が不幸せになる社会となってしまったからだ。今日の勝者は、明日の敗者にすぐ没落する。

 成果主義評価が浸透すると、見かけの成果を上げるため、安易な目標を掲げて申告する。だから容易に目標は達成できるが、自分の能力は上がらない。自分は忸怩たる気分で幸せとは思えなくなる。そうやって社員全員が、チャレンジしなくなるので、会社は衰退していく。

 日本で最初に成果主義を取り入れた富士通は、その弊害に気が付き、早々に成果主義を止めてしまった。

 

6選を目指す小川敏の満足と不幸せ

 小川敏は5期も大垣市長職を勤めても、幸せでないから、成果を求めて6選を目指すのだろう。求めても求めて切りがないのに。大垣市を良くするのが目的ではなく、6選を目指すのが目的となり、市長の自己宣伝の行事ばかりに力を入れるから、大垣の発展には逆効果である。だから市民税を使って多選を目指すための目立つ行事ばかりとった。大垣市のための結果が出ず、大垣市民が不幸せになっていく。小川敏だけが満足である。それで大垣市は衰退・没落した。

 この19年間の小川敏の無能政治で、地価は半値以下に暴落し、大垣経済は20%も衰退した。駅前商店街は80%が店を閉めた。約8000人の商店従業員が泣いて大垣を去った。人心は倦んだ。市の職員はヒラメになった。小川敏は天狗となって、大垣市職員の給与を県下一に上げたが、こっそりと大垣市教員の給与は最低レベルに落とした。児童生徒の教育環境を県下最低レベルに追い込んだ。

 人には寿命という時間制限がある。それを無能な小川敏だけで6選を独り占めしようとするから、他の市長職に適した人の時間を奪い、大垣の歴史の時間を奪っている。小川敏は、恥も外聞もなく6選への事前選挙工作を始めて「恥知らずの恥は外道」を行っている。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2020-01-29 久志能幾研究所通信 1465  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

藁人形には五寸釘を打たない

 私は万物には精霊が宿っていると信じている。だから私は藁人形には五寸釘を打たない。人を恨めば、倍返しでその咎を受けるだろうと思う。そんな暇があったら、私は反省と学ぶことに時間をかける。人を恨まねばならないような仕打ちをする輩とご縁があったら、その人の分析をして、二度とそういうレベルの人とご縁がないように自己防衛をしている。その人は、悪縁の実相を教えてくれたのだ。そんな悪縁の人と付き合っていると、もっと大事な人とのご縁にかける時間が無くなってしまう。人生時間は有限である。人生二度なしである。私は、五寸釘よりも、ペンの力が大きいと信じて行動している。

 

精神教育

 現代日本社会で、心に病を持つ人が激増したのは、人の心を大事にするよりも、拝金主義・物質主義・刹那主義・利己優先主義が横行して、人の心を傷つけることが平気になったためである。日本の心教育の再建が必用である。

 親が仏壇の前で手を合わせないから、子供が手を合わさず、親が後ろ姿で子供を教えないから、子が目に見えないものに畏敬を覚えなくなる。仏壇のない家の子が不良になる確率は、仏壇・神棚のある家の子よりも大きいという。

 

己が神仏

 元京大総長の平澤興氏は、弟子が仕事で悩んで相談に来た時、「全力を尽くすのは当然だが、さらに神仏に祈ったか?」と問うたという。祈りとは、冷静に自分を見直す機会である。神仏の前で手を合わせて、傲慢になる人はいない。神仏の前では、人は謙虚に冷静になる。そこで自分と冷静に対峙できる。そこに神仏の加護がある。神仏は己の魂に籠る。己こそが神仏である。己が運命を切り開くのだ。神仏は見守っているだけである。

 

モノには精霊が籠っている

 モノには精霊が宿っているので、使われないと悲しむと思う。モノにはこの世のお役目がある。それが使われずに死蔵されと、そのモノに哀れを感じる。そう言っても、現在、私の家で使われず死蔵されている品数が死屍累々である。その多さを見ると、慙愧に堪えない。日々反省である。

 もっと大事なことは、自分の中で、使われずに死蔵されている才能である。出来ないのではなく、使って見なかっただけなのだ。だから何でも挑戦すべきだと思い、毎日新しいことに挑戦している。そこに日々新しい発見がある。

 

心の保護膜

 人の体は、鉄面皮のような面の皮、心臓の剛毛と頭蓋骨でその体を守っている(私の面の皮は薄い?)。しかし仏様も人間創造時の設計ミスで、心に保護膜を付けることをお忘れになった。そのため、たった一言で人の心は大きく傷つけられる。たった一言で勇気付けられる。私は、人間を含めた万物に宿る精霊、心魂は存在すると信じて日々暮らしている。だから口頭での言葉には細心の注意をしている。

 

家の精霊

 今まで、私は大学卒業後、就職で愛知県に移り、計6軒の借家に住んだが、その間、釘一本打ったことがない。釘を柱に打てば、家の木が痛みを感じて悲しむと思うからだ。ご縁があって住まわせてもらっている家で、家の精霊に申し訳ないと思うからだ。その借家で以前に住んでいた人が打ち込んだ多くの釘を見ると、五寸釘が打ち込まれたのを見るようで、その家に住む精霊が不憫になる。

 今は、月に一度、土地の氏神様に、お酒で清めて塩を撒いて、手を合わせて感謝をしている。土地にも精霊が住んでいると信じているからだ。お陰で無事に暮らさせていただいている。

 

命を繋ぐ

 昭和9年から始まった法隆寺の昭和大修理で、「鬼」と称された宮大工の西岡常一は、その修理方法を御用学者が鉄の補強をして木にボルト締めすべきとの提案を強固に反対してそれを阻止した「そんなことをすれば、木が泣きよります」と言って反対した。そこの西洋文化とは一線を画する考えがある。万物に神が宿るとした日本人の職人の心がある。木の精霊を信じる職人がいる。それでこそ千年先に命を繋ぐ仕事が生まれる。

 

自宅リフォーム

 現在、住んでいる自宅も、50年前に両親が苦労をして建てた家なので、10年前から7年がかりでリフォームした。本来、リフォームせず建て替えた方が安かったが、新築とほぼ同じ金額をかけてリフォームをした。両親の想い出と魂が籠っていると思ったからだ。だから私は家の精霊に気を使って、家の柱に釘一本打っていない。両親が建てた家に釘を打つのは、なにか気が引けた。

 だから書画を飾るための釘は、全て大工さんにピクチャーレールを取り付けてもらって対応した。それ以外は締め付けネジのついたフックや、万力等で固定をして家に傷をつけないように、大事に使っている。そういう心配りだから、2002年の燐家の火事の際、もう寸前で延焼しそうになったが、仏様・精霊さんのご加護で延焼にならずに済んだと信じている。家の精霊に感謝である。

 

大垣行政の愚行

 私は理科系、技術者でバリバリの科学技術信奉者である。しかし神仏は信じている。だから神仏をないがしろにする大垣市長の小川敏には怒り心頭である。小川敏は神仏の前で真剣に祈ったことはないだろう。真剣に大垣市民のために祈り、真剣に己れの行動に対峙すれば、今までの愚行は行えないはずだ。大垣が没落することもなかっただろう。政治は結果が全てである。

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   馬場恵峰書

 

2020-01-28 久志能幾研究所通信 1464  小田泰仙

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2020年1月27日 (月)

磨墨智127  正しく狂せり

 「人間は本質的に狂の部分を持っている。狂っているときが一番正常で健全だ」 ギリシャの哲学者セネカ

 狂は純粋なのだ。純粋から成果が出る。革命は狂から発する。狂でないから、妥協、浮気、醒めた目、無責任が己の魂を支配する。純粋に行動する人間に神仏は味方する。

 狂にも、正しい狂と誤った狂がある。

 

江戸城無血開城の狂

 慶応4年(1868年)、山岡鉄舟は幕臣として、清河八郎とともに浪士組を結成。江戸無血開城を決定した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、官軍の駐留する駿府(現在の静岡市)に辿り着き、単身で西郷と面会した。山岡鉄舟は狂して、明治維新の革命の動乱期に、押し寄せる怒涛のような大波を押し除け、江戸城無血開城を実現させ、徳川慶喜の命も助けた。

 西郷隆盛は山岡鉄舟の人間性を「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬと言う人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛した。山岡鉄舟は世のために正しく狂した。

 

カルロス・ゴーンの狂

 ゴーンは金の亡者になり、拝金主義に狂して、日産を支配した。彼は日産の資産を切り売りし、2万人の日産社員の首を切りまくり、前妻を切り、新車開発費を削り、人材育成を削り、ご縁の系列会社を切って、表面的には日産の業績は回復した。その裏で123億円を不正に貯め込んだ。表面的なことしか目に入らない狂ったマスコミは、見事に騙されてゴーンを名経営者として絶賛した。マスコミは拝金主義に染まって狂っている。ゴーンは狂ったのでなく、金に血迷ったのだ。

 聖書に「汝の行動は汝の予言者である。」という言葉がある。当時のゴーンの行動が今を予言していた。当時、多くの人がゴーンの業務改革に疑問を持っていた。それに目をつぶってゴーンを絶賛したマスコミの罪は重い。

 ゴーンは逮捕・保釈中に正常な判断が狂って、よりによって政情不安なレバノンに逃走劇を演じた。ゴーンの不正の捜査が進み、ゴーンのマネーロンダリングの闇が露見しそうになっていた矢先であった。レバノン政府が倒れれば、その身が危ないのに、狂したのでそれが見えなくなった。誤った狂を演じると、バチが当たる。お天道様に恥じない道で狂わないと、人生の正道を踏み外す。

 

ささやかに狂する

 私も人並み以上に「ささやかに狂して」、仕事に狂い、文書道に狂い、テクニカルライティングに狂い、人財育成教育に狂い、飛行機に狂い、写真に狂い、音楽に狂い、仏像彫刻に狂い、高級車に狂って、今の私がある。狂っている時は、純粋な心になるので、私心と妥協が無くなる。つい最高のモノを求めたくなる。だからお金がかかる。

 トヨタ自動車元副社長の大野耐一は「悪いことに使うのでなければ、お金は何とかなるものだ。」と言っている。彼はトヨタの工場への設備投資でそれを実行してトヨタの基礎を築いた。彼はトヨタの再建に狂して、トヨタ生産方式を創り出した。私はその言葉が励みとなった。何事もこだわりを持って事に当たらねば、人並み以上の成果は得られない。人並み以上成果とは、時間創出である。

 

不動心

 「この道より外に我を生かす道なし。此の道をあるく。ただひたすら一本道。」とは、一つの道に狂して、精進することである。

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  馬場恵峰書 2012年

 

2020-01-27 久志能幾研究所通信 1463  小田泰仙

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2020年1月26日 (日)

磨墨智126 自燃(自然)する

 人間は燃える時に佛性を持つ。燃えている人間に邪心はない。燃えれば自然とエネルギーが発散される。エネルギーを発散するほど、エネルギーが集まってくる。その燃えるような熱き情熱が時間と障害の壁を打ち破る。燃える佛性は無限の時間を創造する。偉大な仕事をした人は、人生に燃えて、仕事に燃えて、己に燃えて、その熱き情熱を維持して、夢を実現した。夢の実現とは、時間の創造である。

 醒めた人間は、悪魔の囁きに耳を傾け、悪魔に魂を売る。醒めた人間はその冷たさで、自他に害毒をまき散らす。冷えこそが体への毒なのだ。冷酷な批判で、燃える人を批判する。人を批判する時間があれば、代案を考え、自分が学び、自分の仕事に一刻の時間を費やすべきだ。冷たい人間は、その大事な時間を無為に捨てている。時間は命である。非難誹謗からは熱き夢は生まれない。冷血は全ての夢を殺す毒である。

青春

 熱き燃えるような情熱は青年の心にあり、情熱の炎が消えた冷たき心は死の直前の老人にある。青春とは、心の若さであるとサミュエル・ウルマンは言う。青春とは、心の温度を表す言葉である。

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   馬場恵峰書

 2020-01-26 久志能幾研究所通信 1462  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月22日 (水)

「萬燈行」で人生と大垣を照らす

萬燈行

 内外の状況を深思しましょう。このままいけば日本は自滅するしかありません。我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか。我々が何もしなければ、誰かがどうしてくれましょうか。我々がなんとかするしかないのです。

 我々は日本を易えることができます。暗黒を嘆くより一燈になりましょう。我々がまず我々の周囲の暗を照らす一燈になりましょう。手の届く限り、至る処に燈明を供えましょう。一人一燈になれば萬人萬灯です。日本はたちまち明るくなりましょう。これ、我々の萬燈行であります。互いに真剣にこの世直し行を励もうではありませんか。 

                  安岡正篤

 

 以上は日本の敗戦後の荒廃した日本社会を見て、安岡正篤師が記した言葉である。私は時折、B5カードに書いたこの言葉を見て、勇気づけられている。この言葉は私が安岡正篤師の本にあった言葉に感銘して、2005年5月5日にカードに書き写した。昨日、カードを見直していたら、その言葉が目に飛び込んできた。

 

大垣の未来、日本の未来

 このまま小川敏に大垣市政を任せれば、大垣は自滅するしかない。大垣は日本の縮図で、このままいけば日本さえこのままいけば自滅である。日本は世界第3位の経済大国というが、教育は荒廃し、政治は幼稚化し、経済はデフレ化の一途で、マスコミは忖度ばかりでフェイクニュースを垂れ流す。フェイクニュースとまでいかなくても、新聞・テレビ番組を売るために不安を煽る記事が垂れ流されている。企業は拝金主義に邁進して、日本精神の荒廃に拍車をかけている。

 まず大垣を良くしないと日本もよくならない。我々が大垣を照らす一燈になり、少しでも大垣を良くする取り組みをしたい。

 大垣を良くするためにも、その前に自分の家庭・子供の躾を見直そう。ゲーム機やスマホばかりにかじりつている子では、将来の大垣、日本を背負えない。その躾の責任は親である。

 自分の住む街の行政に目を向けないと、行政はやりたい放題で、街が衰退の一途である。無能政治の小川敏大垣市政のように。

 私はその啓蒙活動の一環として、このブログを書いている。

自燈明 

 此の世で、最優先でなさねばならないことは、自分の心を照らす燈明を持つことだ。それが師の言葉であり、背中で示す言葉である。現在がいくら暗くてもよい。己が一燈を掲げて、暗夜の国から光の国を目指して歩めばよい。明けない夜はない。自分の一燈を頼ればよいのだ。

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2020-01-22 久志能幾研究所通信 1458  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月20日 (月)

漢詩創作練習 写経展、狂った食

 2016年晩秋、馬場恵峰先生が卒寿記念として波佐見町で写経展を開催した。その時、感想で下記の漢詩を作られた。

 私は漢詩の作成練習として、それを元に次に漢詩を作ってみた。生まれて初めての漢詩作品であるが、ベースがあると意外と簡単で、漢詩の創作は面白いことを発見した。漢字辞典をめくり、漢字の語源や意味を調べるのは楽しい知的な遊びである。

 

九十壽記念写経展終感

 競書展盛写経静

 寂生入滅実在星

 従容弄書冊静泰

 随寓而安完余生

  2016年晩秋17日恵峰詩

 

読み下し

 競書展盛んなり。写経展静なり。

  (技を競う書道展は盛んである。

   それに比較して写経書道展は静かである。)

 寂なり生入滅は実在、星なり。

 従容として弄し書冊を静泰す。

 随寓(気ままな自宅で)而して安じて余生を完す。

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4k8a9031s   馬場恵峰 写経展 波佐見町 2016年12月9日

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最近の食の乱れを見て作る。

 狂食界盛正食静 

 癌死与惨正死清

 従容弄正活静泰

 随寓而安完余生

  2020年1月20日夜 泰仙作詞

 

読み下し

 狂食の界は盛なり。正食は静なり。

 癌死は惨を与え、正死は清なり。

 (老衰日本人の半分が癌になる。癌死は日産である。老衰死、ポックリ死は正しく清らかな死である。老衰死は理想である。しかし日本人は、癌死が50%、認知症が25%、老衰死は3%、ぽっくり死は1%である。)

 従容として弄して正活(正しい生活)は静泰なり。

 随寓、而して余生を完うして安んずる。

 

漢詩の作法

 漢詩の作詞法則として、1,2,4行目の最後の漢字に韻を踏む。恵峰先生の詩では「静、星、生」の3文字である。私の試行漢詩では「静、清、生」である。3行目の最後の漢字は韻を踏まない。

 各行の最初の2文字が主語で、真ん中が動詞、もしくはその行の形容句である。最後の2文字が目的語である。

 

2020-01-20 久志能幾研究所通信 1456  小田泰仙

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2020年1月19日 (日)

学法実践知己人生道

 生活知法者静温

 命不有物存親恩

 学行省己報恩情

 静黙治道念平穏

 

読み下し

 生かされて活きる法を知る者は、静穏なり。

 命は物に有らず。親の恩に存す。

 学び行い己を省みて温情に報ず。

 静黙し道を治め平穏を念ず。

  平成30年4月20日 馬場恵峰詩出

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 馬場恵峰書

 

 2019年12月12日に馬場恵峰先生宅を訪問したとき、教室内の埋もれた軸の山の中で、「学法実践知己人生道」という軸の箱が目に入った。箱から出してみると、上記の詩と軸が入っていた。馬場恵峰先生作詩の漢詩と軸である。漢詩を見て感じるところがあり、即、この軸を先生から譲ってもらった。

 

使命

 「生かされて活きる法を知る者」とは意味深長である。我々は生きているのではない。生かされているのだ。私は昨年、大病を経験して、なんとかその峠を乗り越えられることができたので、この言葉の重みを実感した。

 生かされている有限な時間内で、誹謗・批難や人の噂に明け暮れていては、人生の大事が達成できない。それを気にしては時間を無駄にする。誹謗・批難する者は、殺時者なのだ。

 

反使命行為

 「狂った食事」を貪り、「狂った生活」に浸ると、自分の「人生の大事」の実現を妨げる病気や時間浪費の地獄に堕ちてしまうのだ。それではこの世に何も残せず、「佛様のお裁き」で早死にしてしまう。

 将棋の故米長邦雄永世名人は、若いこと師匠の家に内弟子として弟子入りした時、いろいろと用事を言いつけられて将棋の勉強ができなかったという。それで考えて、学校から帰宅したら、真っ先に将棋盤に座って将棋の勉強をするようにしたら、雑用を言いつけられなくなったという。

 それと同じで、人生で無意味なことに精を出すから、佛様から、「お前は閑そうだから、こちらに来い」と早めに冥途に呼ばれてしまう。人は人生の大事をわきまえ、脇目も振らず人生の大事に没頭すべきなのだ。

 恵峰先生はわき目も振らず人生の大事に没頭していたので、仏様があの世に呼ぶのを躊躇してしまったようだ。だから93歳で現役である。仏様が力を貸してくれたのだ。

 

使命を知る

 己が何の為に生かされているかを、認識すべきなのだ。それが使命である。命を使って、何をこの世に残すのかである。それを思うと、おちおち死んでなんかいられない。病気になんかに負けられない、という気になる。私は自分の城である体を自分で守らねば、との危機意識をもって日々を送っている。

 

漢詩の作法

 漢詩の作詩ルールとして、1,2,4行目の最後の漢字に韻を踏む。この詩では「温、恩、穏」の3文字である。3行目の最後の漢字は韻を踏まない。

 各行の最初の2文字が主語で、真ん中が動詞、もしくはその行の形容句である。最後の2文字が目的語である。

 現在では北京大学を首席で卒業しても、漢詩を作成できる人はいないという。馬場恵峰先生は、浙江大学で客員教授として中国の学生相手に漢詩の作り方を教えてみえる。だから恵峰先生が中国に行かれると、一目置かれる。

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 馬場恵峰書

 

2020-01-19 久志能幾研究所通信 1455  小田泰仙

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