c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2020年2月27日 (木)

魔墨智◇◇ 時の積み重ね

 一瞬一瞬の積み重ねで一日になる。その一日は二度と巡ってこない。そのご縁も二度と回ってこない。ご縁も一つ一つの積み重ねで花が開き、その恩があって実を結ぶ。

 一生は平凡な毎日の積み重ねである。「積小偉大」こそ時間の大切さを含んでいる。派手な世間受けを狙った一発勝負では、人生も大垣の政治も変わらない。それでは過度に大きな加速度もお金も必用である。無為な一発勝負では、エネルギーの消費が多く、時間の無駄である。だから大垣は衰退した。他山の石とすべき事例である。

 原稿もなしに出まかせでスピーチをする政治家を私は軽蔑する。聴衆の時間(命)を食い物にしているのだ。小川敏のように。

 小さな一事、一事の積み重ねで大きなプロジェクトの成就となる。その一事に己の夢が籠る。一度に夢は叶わない。一歩一歩の前進である。千里の道も一歩から。神は細部に宿る。細部を疎かにすべからず。一瞬を疎かにすべからず。自分という人生プロジェクトを大事にしよう。だから私は時間を大切にする友を大事にしている。

Img_64041s

Img_47582s

  馬場恵峰書

 

2020-02-28 久志能幾研究所通信 1493 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月26日 (水)

磨墨智116 清水の舞台から飛び降りない

 そんなことをしたら大怪我をする。それよりも、日々の小さな決断をきちんとして、やるべきことを地道に積み上げよう。そうすれば、小さな決断の積み上げで、仕事が障害なく進められる。どんなプロジェクトも小さな決断と小さな仕事量の積み重ねである。そうすれば清水寺の舞台から飛び降りるような無謀な行為は無用となる。

 

土俵のど真ん中で勝負

 どんなプロジェクトも仕事でも、土俵のど真ん中で、正々堂々と勝負をすべきである。やるべきことをさぼったため、土俵の俵際に追い詰められての決断では、リスクが大きくなる。起死回生の決断は、応急処置、対処療法である。その決断は、清水の舞台から飛び降りるが如き決断で華々しいが、失敗する確率は大きい。

 

決断にもニュートンの法則

 いつも正しく速やかに決断をして仕事が回っている状態なら、決断は常に正しく動く状態で継続される。ニュートンの第一法則である。

 日頃、やるべき決断をせず、決断が止まっている状態に陥るから(決断を先延ばし)、上司から崖から突き落とされる羽目になる。

 

物理の法則からの検証

 清水の舞台から飛び降りる決断は、無限大に近い仕事量となる。仕事量は[力]×[距離]で表される。力は[質量]×[加速度]で表される。つまり仕事量は[質量]×[加速度] ×[距離]である。

  W=Fx

  F=mα

 飛び降りた時の力は、加速度が無限大ほどに大きく、結果として、とんでもない仕事量となってしまう。つまり日頃さぼっていたことを思いついてやろうとすると、とんでもない労力が必要になる。だから清水寺の舞台から飛び降りても成果が出ない。

 日頃、地道にやるべきことをやっていれば、そんな事態にはならない。それを二宮尊徳は「積小偉大」と言った。一発勝負で、カッコいいことをやってもダメなのだ。

 

大垣市・小川敏の例

 政治家でも、一発勝負で世間受けのすることばかりする輩が多い。しかしその輩は、日頃の地道な積み上げの政治は軽視する。小川敏は、市長としてやるべき仕事をせず、市民の目を逸らすため、派手な大垣市制100周年記念行事、新市庁舎建設等で市民の目を逸らした。

 大垣市制100周年記念行事の3億5千万円の大出費は、節約第一主義のケチの小川敏にとって、窮地挽回の「清水の舞台から飛び降りる覚悟」であったはずである。大垣市制100周年記念行事経費は、90周年記念行事予算(1億1566万円)より3倍以上にも増えた。だから市長選6選を狙った行事と見てもよいだろう。小川敏は、部下が上申する予算で、前年度より増えることを極端に嫌がり、場合によってはその担当者を左遷するという噂もあるくらいだ。だからヒラメの職員は、予算を必要以上にケチり、大垣市の未来への予算を計上しない。

 ケチな小川敏として、県下一の市民負担額の新市庁舎建設も、「清水の舞台から飛び降りる」覚悟であったはずだ。しかしその結果は翌年も地価の下落である。やはり日頃の政治が大事なのだ。

 

小川敏の末路

 小川敏の19年間の無為無策、無能政治で、大垣は没落し、大垣の地価は51%暴落し、大垣駅前商店街は80%が息絶えた。過疎地との無為な合併で人口密度は半減した。大垣経済は、介護・福祉・医療産業だけが伸びて、総合的に、年率1%で衰退の一途である。交通インフラの整備が放置されたので、朝夕の交通は大渋滞である。台風がこれば、基幹道路が水没してマヒするのが頻繁である。児童生徒の一人当たりの教育費は、県下最低レベルまで削減された。それで大垣の未来が破壊された。

 

崖下に突き落とすのも愛

 決断とは迷いの時間を断ち切ること。やるべき決断をしないから、上司から崖下に突き落とされる。突き落とされるだけ、まだ救いがある。上司は温かいのだ、愛があるのだ。突き落とす上司は部下のことを思っている。

 しかし上司は部下を見限ると、相手にもしない。上司も部下を崖下に突き落とすのに大変なエネルギーがいる。上司は緻密な計算をして、心を鬼にして部下を崖下に突き落とす。

 私も会社で部下を持ったときは、助言を聞かない部下は、無視をした。そうでないと、別の成長すべき部下の育成時間が犠牲となり、組織がダメになり、上司の体がもたない。上司の時間も健康も有限である。そうしないと激務の中間管理職は命がいくつあっても足りない。愛の反対は、憎悪ではなく、「無視」なのだ。

 

求む、徳川家康

 大垣の再生には、徳川家康タイプの政治家が求められる。小川敏は明智光秀タイプの政治家のようだ。小川敏は、知識だけはあるが智慧がなく、世間わたりが下手で、一発勝負(本能寺の変)で窮地打破を目指す政治家のようだ。小川敏は、重荷を背負って遠き長い道を歩くことが出来ないのだ。

 大垣には、今から時間をかけて大垣を再生する大仕事が横たわっている。

S   馬場恵峰書

累計閲覧総数 150,572

2020-02-27 久志能幾研究所通信 1492 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月21日 (金)

磨墨智104 ニュートンの第一法則(慣性の法則)に従おう

 止まっているモノは永遠に止まっている。それは時間が止まっている状態である。動いているモノは永遠に動いている。それは生きている証である。一歩踏み出して、動きの慣性を付けよう。

         ニュートンの第一法則

 

50年後の姿

 じっとしていても、時間は無為に過ぎていく。時間という敵は優柔不断ではない。座して死を待つほど、愚かなことはない。いくら言っても、テコでも動かない人など、構っていられない。今やったことの結果が失敗でも、それは目的達成のための些細な一里塚、成功迄の一工程である。50年後に真の結果は出る。

 今、50年前を振り返ると、今の自分は50年前の行動があっての自分である。当時の学生時代の取り組みの汗が、今の己の姿なのだ。

 50年後の結果は冥途で見よう。今を全力で生きればよい。人生時間は有限である。人生の大事を急ごう。

 

生涯現役の師を選ぶ

 やって見て失敗すれば、その道は間違ってたことが分かったのだ。それ以外の道を行けば、成功にたどり着ける。だから死んだふりをして活動をしてない人とご縁を結んでも、時間の無駄である。どうせ何時かは死ぬのだ。だから生きている間に、全力で活きよう。

 人生の師を選ぶなら、生涯現役の師を選ぶべきだ。だから私は馬場恵峰先生を師として、人生の生き方を教えてもらっている。

Dsc09229s  馬場恵峰先生(93歳現役) 2020年2月13日 恵峰塾の講義で

 

挑戦し続けるエネルギーを

 エジソンも20,000回の失敗の道を動いて歩んで、20,000回目に、耐久性のある電球のフィラメントを発見した。エジソンが成功したのは、エジソンが天才であったためではない。エジソンに動き続ける好奇心溢れる慣性のエネルギーがあったからだ。

 彼は19,999回の失敗をしたのではない。一回一回、各項目の確認評価を19,9990回やったのだ。失敗したのではない。その方法で19999回、愚直に試験をしただけだ。全手順を「足」を使って確認したたのだ。「千里の道も一歩から」と同じである。

 

人生のエネルギー

 良いご縁を招くには、自分自身に強いエネルギーを持つことだ。

「人間の運命は人間の手中にある」哲学者サルトル

 成功のために自分で自分のダイナモ(発電機)を自家発電で回そう。だれも自分のダイナモは回してくれない。ダイナモを回せば回すほど、自分の慣性のエネルギーが高まる。自身の質量(家の財産、地位や名誉、名声、能力)が少なければ、走る速度を上げて補い、自分のエネルギーを高めよう。質量のない私は足りない分を補うため、走る速度を上げて生きてきた。マグロのような生き方だと思う。走るのを止めれば、倒れてしまう。

 

E=mV^2

  E:エネルギー(マンパワー)

  m:質量(人の能力)、 V:速度(動き回る速度)

039a12131s

  馬場恵峰書

 

2020-02-21 久志能幾研究所通信 1487 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月20日 (木)

磨墨智103 レストランへは何を注文するか決めて入ろう

 料理を注文するまでの時間を短くしよう。私が外食する場合は、レストランで即決を旨としている。メニューは次回に頼む料理を選ぶために見る。料理が出てくるまでは、次回食べる料理を考えよう。

 たかが1,000円の料理で、その選択に3分間も迷うのは愚かである。時間レート100円/分として300円の人生時間ロスである。人生時間は有限なのだ。それが即断できないようでは、社長として1,000万円の稟議決裁はできない。

 

既知の予定

 その「人生レストラン」に行くことは、ずっと前に決まっている。決まっているのだから、事前に「何を食べるか、何をやるか」を決めておくべきだ。そのプロジェクトの終わりの日だって、定年退職の日だって、入社した時に決まっている。人生最期の日が来ることも、確定事項である。「人生一度限りのお食事時間」を大事にしよう。

 

人生レストラン

 此の世は人生レストランで、バイキングレストランである。何を食べようが、何をしようが、どれだか食べようが、全く食べまいが、どれだけやろうが、それはやりたい放題である。その「料理」は、自分の選択と決断だけで決まる。

 人生レストランのお代は、「お足」と「行動」で払う。自分の意思でその方面に足を向けないと、その「料理」は食べられない。足こそが己の意思を具現化する。人生レストランでは、行動して選択しないと何も食べさせてもらえない。

 

占い師にならない

 やりもしない前に、それは無理、それは不可能、それは不味そうだからと食べないのでは、トヨタ生産方式を作った大野耐一から「やりもしないうちから出来ないなんて、お前は何時から占い師になったのだ!」とカミナリを落とされる。一度しかない人生だから、何でも一度は食べてみることだ。試し食いなら無料である。気に食わなければ、やめればよい。

P10500021s

 馬場恵峰書 82歳

 

己の体は預かりもの

 人生レストランが、普通のバイキングレストランと違うのは、その食べ方如何で、「天主」から突然の強制退場を命じられることがある事だ。あさましい飽食、狂食、狂遊、狂楽、狂った労働では、冥途行き救急車を呼ばれてしまう。健康管理をお大事に。前職では、一緒に仕事をした仲間が、24名も天に召されてしまった。今にして、よくぞ生き延びられたと、神仏に感謝している。

 

時間制限

 どんなバイキングレストランでも時間制限がある。だからこそ、何を食べるかを事前に決めておかないと、時間切れとなる。美味しいお店の時間管理は厳格である。好きなことに熱中すると時間を忘れ、あっという間に時間が経つ。終わりのないお食事タイムはない。人はいつまでも、今の状態が続くと思っている。死は突然なのだ。世は無常である。

 何時までもあると思うな、親とカネ。

 親が死ぬのだから、己も何時かは死ぬのだ。人ごとではない。

 

第二の人生レストラン

 普通のサラリーマンでは、その第一の人生レストランの滞在時間が60歳までである。第二の人生レストランで何を食べるか、そのレストランに行く5年前までに決めておくと、人生のロスが少ない。60歳になる日は、就職した時から、決まっている。

 私は前職で、定年直前に定年延長を止めた。急遽の予定変更であったので、定年後のやることが決まっておらず、少しの時間ロスをした。それが、悔いであったが、よき骨休めの時間でもあった。やはり次のレストランの料理は事前に決めて、その準備をしておくとよい。

 

来世のレストラン

 来世でも何をやるか決めておいたほうが良い。来世に向かって、書道を本格的に始めようと思う。きっと生まれ変わった時、役立つだろう。

 馬場恵峰先生の書道活動を見ていると、前世で相当の書道の練習をしたとしか思えない。ご先祖の才能がDNAとして受け継がれたようだ。

P1040528s 馬場恵峰書 小学校1年生の時の書

P1040531s

馬場恵峰書  小学校2年、3年の時の書

 

2020-02-19 久志能幾研究所通信 1485 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月18日 (火)

貧すれば癌ス 「貧忙癌」

 私は長年の友を「貧忙癌」で失った。最近、友人が会社を早期退職して貧乏になり、それにつれて友の心までが貧しくなってきた。「忙」とは心の癌になり、心を亡くしたのだ。一度、「貧忙」という悪魔のサイクルに陥ると、どんどん貧乏くさくなってゆく。つまり生活が貧乏になると、心までが「貧忙癌」に侵されて増殖して、豊かな心が消滅するのだ。

 

今生のお別れ

 今の出会いが今生のお別れなのだ。何時までもあると思うな、親とカネ。親の死は、何時かは己も死ぬことを親が教えてくれている。人と出会ったら、それが今生のお別れなのだ。明日にでも大震災が起きるやもしれぬ。第二の911テロに巻き込まれるやもしれぬ。

 だから自分の病気ばかりに気にするのではなく、たまには相手の幸せを考えて布施(顔施、心施)をすべきなのだ。相手の立場になって考えることも布施である。明日の命は分からない。命は日々尽きていくのだ。

 

貧忙癌の原因

 鬱病を原因とする貧忙癌は、利他の精神に立ち返れば治る。自分よりまず相手の立場を考えよう。鬱とは、鬱蒼と茂った葉で、自分を守るために自分自身を隠してしまい、その葉の重みで自分自身が倒れそうになった状態である。木の全栄養が葉っぱに行ってしまい、他の事は考えられず、肝心な自分の幹に栄養が行かなくなった状態である。だから、その防御用の葉っぱを落とせば、病気は治る。

 何時までもあると思うな、己の命。どうせ何時か消える命なら、世のために捧げた方が、生き甲斐がある。そうすれば鬱はどこかに行ってしまう。自分のことばかり考えるから、周りが見えなくなる。

 

喫茶店事例

 竹馬の友が一緒にマクドナルドに行こうと言いだしたので、出かけた。友人が、驕りだと言うので、コーヒーとハンバーガーを注文した。ところが友人は(金がないから)水だけでいいという。当方は奢ってもらって、相手が水だけ飲んでいては、コーヒーなんか気持ち良く飲めない。一緒に同じものを食べてお喋りしてこそ楽しいのだ。その気持ちを友人は察することが出来ないまでに、友人の心は「貧忙癌」に侵されていた。それでは、今後とても対等に付き合えないと思った。だんだんと疎遠になるのも致し方ない。そんな友人と付き合うと自分まで惨めになる。

 

温泉旅行

 大学時代から付き合っている40年来の友人と、定年退職の記念にと一緒にかけ流しで有名な温泉に出かけた。そこで夕食の料理を頼む段になって、私は一生に一回の記念だからと一番いい料理を頼もうと思ったら、友人が予算の関係で少し安い料理にしようと抵抗されてしまった。その差は数千円である。一生で一度の事なのに、何かわだかまりが残った。その後、別の価値観の差でトラブルがあり、40年来の友人と別れることになった。

 お互い仕事をしている間は、遠方地であったので、年に1回か数年に1度くらいしか会わなかったので、その価値観の差が露見することがなかった。お互い、定年退職を迎え、会う頻度が増えて露見した事件であった。

 

シベリア抑留の生と死

 私の父は地獄のシベリア抑留を経験して命からがら生還した。だから今の私の命がある。父の弟はシベリアの土になった。だから従弟は父の顔を知らない。シベリア抑留では極寒の強制労働で7万人の日本人が殺された。一説には10万人とも言われる。死亡率12%だが、抑留当初の死亡率は80%であった。アウシュビッツ強制収容所並みである。我々が語り継がねばならぬ歴史である。

 大学時代の友人の父も同じ境遇であった。父はその体験談をほとんど話さなかった。友人の父も同じであったようだ。それはソ連から洗脳教育で、捕虜全員が口止めされていたようだ。

 その生々しい体験談を2014年8月2日、丸順の今川順夫最高顧問が講演会「負けて堪るかーーシベリア抑留を生き抜いた男の人生」でされたので、それをビデオ撮影してディスクに焼いた。友人が、それに興味があると言うので、気を利かせてそれを業者に頼んでダビングして送ってあげた。

 しかしその実費の支払いをお願いしたら、「押し売りみたい」との返信があった。彼はビデオディスクを受け取ったが、その代金は払わなかった。それで、これは価値観が違う人だと分かり、40年来の友であるが、別れることにした。

 送ったのは、今川順夫氏のシベリア抑留体験の講演ビデオには、私の父も友人の父も、この講演にある同じ体験が語られている。彼の行為は、シベリア抑留で亡くなられた方を侮辱したようで、ある種の怒りも覚えた。彼も心の貧忙癌に罹っていた。

Dsc04619s

 今川順夫氏の講演  これで一食分のパン。これで重労働に耐えた。

 2014年8月16日 興文地区センター

 今川順夫氏は2019年6月21日、逝去された。95歳。ご冥福をお祈りいたします。

 

人は成長しないと友を失う

 渡部昇一師は、同じような経験談をエッセイに残している。長年の友でも、自分と同じように成長しないと、価値観、蓄えの差が出来てくきて、付き合うのに障害が出てくるという。行くレストラン、食べる料理の金額に関してお互い違和感を覚えない人だから、長く付き合える。それに差が生じると、お互い違和感を覚えて交際に支障が発生する。人は歳と共に、心の豊かさ、財産の豊かさが成長しないと、友も失うという。それをこの事例で体感した。

 

福禄寿

 人は経験を積んで、人格に磨きをかけて、福を持たねばならぬ。人は働いて裕福(禄)にならねばならぬ。長生きせねば(寿)、交際も保てない。また生んでくださったご先祖、ご両親に申し訳ない。

Dsc00557s   馬場恵峰書

2020-02-18 久志能幾研究所通信 1484 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月17日 (月)

上手く字を書く方法

上手い字

 うまく字を書く方法はない。うまく字を書こうと思わないこと。楽をして上手く字を書く方法を探すから、何時まで経っても、うまく字を書けない。

 今の実力で、良い紙に、良い筆で、良い環境で、真剣に、全力で書く。そうすれば残る。安い紙に書くから、安易な気持ちになり、安易に書いてしまう。書いてもどこかに行ってしまい、残らない。

 目は心の窓、文書は心の声、書は心の鏡である。

  馬場恵峰先生の言葉 2012年12月14日

 

「現職の仕事」に当てはめると

 うまく仕事をしようと思わないこと。人にかっこ良く見せようと思わないこと。今の実力で(見栄で背伸びをしない)、良い道具を使い(良いスーツ、高性能パソコン、良い事務用品等)、良い環境で(良き書斎、広い世界で勝負、良き師の足で探す。必要なら遠方でも、海外でも出かける)、真剣に、全力で仕事をする(一事一心一念道)。妥協を排し、後世の残る仕事を目指して、仕事を進める。安易にやっつけ仕事、小遣い稼ぎの仕事をするから残らない。

 

「ご縁」に当てはめると

 うまく人と付きあって、如才なく立ち回ろうとしないこと。人のカッコ良く見せようと思わないこと。今の実力で、誠意をもって、愚直に、真剣に、全力で、ご縁と接する。長く付き合える誠実な人を見付け、大事に付き合う。安易に人を選び付き合うから、いい加減な人が付け込んできて、裏切られる。そういう悪縁は、早く切ること。人生時間は有限である。ご縁も有限である。

 

新しい取り組み

 私は馬場恵峰先生の上記の言葉を書き留めたカードを見て、書の取り組みに再挑戦しようと決意した。恵峰先生もいつまでも元気であるわけがない。それで2020年2月14日、先生宅を訪問した時、製本した白紙の冊子を先生宅で2冊購入(一冊3,500円)した。それに今まで読んだ古典を筆で模写することにした。筆は筆ペンでもいいという。その古典は、修証義、般若心経、大学、論語、菜根譚、徒然草、奥の細道、言志四録等である。

 読むだけでは頭に入らない「10回読むより、1回手で写せ」である。書くから自分のモノになる。書いて覚えるのだ。耳だけで聞くから、聞いたという自惚れで終わる。書いて初めて自分のモノとして残る。まとまったモノを一つ一つ書き上げていく。そうすれば新しいアイデアが浮かぶと恵峰先生は力説される。

4k8a02711s

  馬場恵峰書

 

2020-02-17 久志能幾研究所通信 1483 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月16日 (日)

磨墨智624 お坊さんと仲良くなろう

 いつかはお世話になるお坊さんである。後に残る人のために、お坊さんと仲良くなっておこう。後に残る人の時間が助かる。

 葬儀の時、お坊さんは故人の生前の生き様を親族から聞き出して、その人に見合った戒名を授ける。しかしそれは応急処置である。本来は生前に戒名を授かるのが正規である。事前にお坊さんとお話がしてあれば、事前に個人の性格が分かり最適の戒名を授けてもらえる。時間節約にもなる。あの世で後悔をしない。

 

戒名とは

 戒名とは、導師が故人に弟子として授けるあの世での名前である。あの世で、戒名(戒めの名)を背負い、その名に恥じないように仏道を修行する。生まれた時の本名は、両親がこの子はこうあって欲しいと名付ける名前である。往々にその名前に恥じる現世を送る人が多い。

 戒名はあの世で、こうありたいと願って住職が名づける。今度こそ、名前に恥じない佛道を歩みたいもの。

 

私の戒名

 私は今回の癌の手術をして、覚悟を決めて終活準備の一環として戒名を授かった。導師より提案のあった戒名候補から選定した。その戒名を馬場恵峰先生に揮毫もしてもらった。お墓は2015年に建立スミで、墓誌も手配した。そして葬儀と50年間の法事の段取りもした。そのお金も払った。準備万端である(?)。我ながら、あきれている。

 本来、生前に戒名を授かるのが正規である。今回それを初めて知った。人生知らないことばかりである。まだ死んだ経験がないので(?)致し方なし。

 

人生最大のイベント

 死とは人生で、最大で最高のイベントである。それまでに何をこの世に遺せるか、人生の課題である。そのお祝いが死のセレモニーである。そのイベントを立派に成就するために精進をしたいと思う。

 癌死では(確率50%)、生前の食生活と生活習慣が「狂っていた」とみなされたのだ。人生道を暴走して、人生道の通行違反切符を切られたようなものだ。安心安全健康運転違反である。

 認知症(確率25%)で死ぬのでは、そのやってきたことが理解できなくなり、生きてきた甲斐がなくなる。それでは人生の作品の完成がままならぬ。仕事で気ばかり使って、頭を使わなかった校長先生や警察署長が認知症になりやすい。仕事一筋で、仕事以外の世界を知らず、定年後にやることがなくなると、認知症を発病しやすい

 老衰では(2%)、無為無策のようで未練が残る。

 不慮の死(1%)では、人生の危機管理ができていなかった証である。

 前向きに倒れるようにぽっくり死は(1%)である。それが理想だが、狭き門である。

 立派に死ぬためにも準備と努力が必要だ。その前提条件は健康管理である。

 

理想の死

 死の直前まで人生の作品の仕上げに命を捧げたいと思う。そうすれば納得できる死を迎えられる。あの世に悔いがなく逝ける。だから今を全力で時間を忘れて働きたいと思う。

  よく働いた一日が安らかな眠りを誘う様に

  よく働いた一生は安らかな死を迎える。

             レオナルド・ダ・ビンチ

 

エピソード

 その戒名を墓誌に刻むにあたり、馬場恵峰先生に私の戒名を揮毫してもらったが、行き違いがあり、墓誌に戒名を彫った後でミスが見つかった。相手が石なので修正がきかない。それで墓誌を再製作するという顛末になってしまった。それで100万円近くが消えてしまった。なにせ自分の戒名を彫るのは、初めての体験なので、ミスがあっても致し方なし(?)。

 墓誌、位牌の戒名の名には、意外と間違いが多いようだ。普通は誰も気が付かない。以前もご先祖の戒名の間違いに誰も気がつかなかった事例があった。

 今回の間違いは、仏様から「まだ浄土に来るには早い、死に急ぐな」と言われたと自分の都合の良いように解釈した。昨年、癌の手術後、医師からは余命2年と言われてから1年が経過した。だから後1年で死ぬ(?)予定が、急遽、死ぬことを諦めた(?)次第である。健康管理は己の責任だが、死は神仏の管轄範囲なので、私には管轄外である。だから自分の出来る健康管理に精進するしかない。

039a34191s

  馬場恵峰書

 

2020-02-16 久志能幾研究所通信 1482 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月15日 (土)

磨墨智33 タイマツ(心の霊光)を掲げよう

 早朝の薄暗い時には相手に認識してもらうため、ヘッドライトを点燈して走行しよう。夕刻で暗くなったら、早めに点灯しよう。雨が降り出して見通しが悪くなったら、点灯しよう。1985年当時でも、スウェーデンでは昼間でも車走行時はヘッドライトの点灯が義務付けられていた。

 それは自分の車の前方を見るためではない。相手に自車の認識率を高めるためで、それが事故防止になる。事故を起こさないのは重要な時間節約である。

 

周知徹底

 自分が何をやろうとしているかの志を掲げるのが、周りに知らせるのが効率アップである。そうすればみんなからの援助がある。一人では小さな力だが、皆が力を合わせれば、大きな力となる。リーダが組織のベクトルを合わせるため、スローガンを立てるのが、そのスローガンも松明の一種である。

 暗夜に一燈を灯そう。

 自由の女神は、自由のタイマツを灯して、アメリカへの移民を迎えた。欧州を追われたやっと米国にたどり着いた移民は、それでどれだけ勇気づけられたことか。私も1994年にニューヨークを旅行した時、その自由の女神像を見て、感銘を受けた。私も一旗揚げようという気になった。

Photo

 フェリーから眺める自由の女神(左側)とウォール街のビル群(右側)

 一番高いビルが国際貿易センタービル(2001年9月11日、テロで崩壊)

   1994年5月3日 著者撮影

Photo_2

 フェリーから望むウォール街

 一番高い2つのビルが国際貿易センタービル

   1994年5月3日 著者撮影

Photo_3

 国際貿易センタービル106階からの眺め

 手前の移民局と自由の女神の位置関係がよく分かる。

   1994年5月3日 著者撮影

 

大垣の燈火

 大垣を良くするためにタイマツを掲げよう。現状の小川敏の独裁政治の問題点を照らし、大垣を良くするための皆の認識を共通化するのも、タイマツを掲げるのは、大垣を良くする手段である。

 だからこのブログは言葉の灯台である。灯台には妨害の嵐も吹けば雨も降る。だからこのブログを誹謗するコメントも襲来する。それは小川敏軍団にまつわりつく利権集団の手先である。

Dsc004751s

 馬場恵峰書

 

2020-02-15 久志能幾研究所通信 1481 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月12日 (水)

「病気という使者」とのご縁

 病気とは、己の生活習慣の間違いを教える仏様からの使者である。要はご先祖から預かった大事な体を酷使したのだ。だから「病気と闘う」という姿勢は間違っている。病気になったのも、郵便ポストが赤いのも総て己が悪い。それなのに他に病気の原因を求めるから、病気が再発する。己の内なる鬼(魂)から鉄槌を受ける。

 病気になったら、「病気様」と真剣に向かい、病気様の真意を聞き、病気様が来た意味を考えるべきだ。病気になっても、直ぐ死ぬわけではない。仏様は、自省して、生活を正すための時間的猶予を与えてくださる。それを無視するから、早死にする。

 P10409731s

赤い郵便ポスト理論

 若い時、遊ばずに、受験勉強を猛烈に頑張って、東大に行き、役人になり、郵政政務次官に出世すれば、「郵便ポストは赤色」という政令を出すこともできたのだ(?)。みんな勉強をしなかった私が悪いのだ。

 

病気というご縁 

 私も病気というご縁に出会ったから、医師の門を叩き、自分の生活習慣を見直し、正しい道に進むご縁を頂いた。感謝である。それで突然死が防げた。

 人生に目標がなければ、病気は治せない。

 

危機管理として

 下記の手順は危機管理として、ビジネスのトラブルにも応用できる手法である。逆に、私が今まで実社会で学んだ危機管理手法を、自分の病気の治療に応用したといえる。

 

病気への対応手順

 1 まず病気の状況を直視する。

 2 病気の症状を取り除く。

   まず病気を対処療法で良いから処置をする。

   まず火事の火を消すことが最優先。

   ただし医師の言う事を盲信しない。自分で考える。

 3 自分なりに病気になった真因を考える。

   なぜなぜを5回繰り返し、真因を見つける。

   真因を見つけるためなら、日本全国に足を延ばし、名医を探す。

 4 真因に基づき、治療をする。

   それは病気との闘いではなく、怠惰な己との闘いである。

 5 再発防止をする。

 6 病気を研究し、水平展開をする。

    個人でも、家でも、会社でも、国でも、大垣市でも病気になる。現在は、共産中国が病気になっている。中国では一部の金持ちが利己主義に走り、金儲けのため、誰も住まないマンション建設に邁進した。金持ち達は国のことを思わず、国のために金を使わなかった。そのため、環境がますます悪化して衛生状態が悪くなり、コロナウイルスの繁殖を増長した。全て因果応報である。

 大垣市も小川敏が金をケチるだけで、大垣の未来のために投資の金を使わなかったので、大垣市は病気になり、この小川敏市政19年間で衰弱の一途であった。小川敏は無為無策無能であった。小川敏は「未来を創造してくれる子供達」への教育費も自分たちでお手盛りとして「食べて」しまった。

 その原因は「汚川」に発生した癌細胞である。知識偏重の癌細胞が大垣を衰退に導いた。知識偏重からは智慧は生まれない。今はそれが自己増殖して現在に至っている。原因のない病気はないのだ。

 7 人にその情報として伝達して、その害をくい止める。

   知りたることを人に教えざるは、金を借りて返さざるが如し。これは佛様の教えである。

 

私の高血圧治療

 当初は降圧剤を20年間程、医師の指示通りに服用していた。私は肥満が高血圧の原因だと、必死に減量に努めたが、中間管理職の宮仕えの身の悲しさで、早朝より深夜まで働き、ストレス過多、食事は早食い、深夜の夕食、脂っこいものを多食、運動不足で、なかなか減量は進まなかった。

 高血圧への降圧剤投与は対処療法で、根本治療ではなかった。

 3年ほど前、ネットで高血圧症の原因が、血管内部に溜まったプラークのため、血管内部が細くなり、それが高血圧の原因であるとの記事を見付けた。私には機械設計者として、至極納得できる理論であったので、すぐ久留米市の真島消化器クリニックに出かけ、血管内に溜まったプラークを測定してもらい、その原因を突き止めた。真島先生の食事療法指導で2年がかりで高血圧症を治した。今は降圧剤の薬は飲まなくて済んでいる。今では20年間飲んだ降圧剤も、私の癌罹患の遠因と推察している。

 病気の治療は病気になった真因を見付けないとダメなのだ。

 

私の癌治療

 昨年の年初、癌が見つかり対処療法として手術をした。

 その後、愛知県がんセンターの標準治療として抗がん剤治療を勧められたが、それは対処療法であり、延命効果があまりなく、副作用も大きいことから、その治療を拒否して代替医療を探して対処した。

 がんセンターの医師からは、その後の生活は今まで通りでいいと、癌再発防止の生活指導がなかった。それで自分で癌の発生原因を市販図書50冊ほど買い込んで、再発しない方法を自分なりに研究した。

 それで東京の某クリニックにも出かけ、癌の転移防止にはビタミンCが良いとの話を確認して、その点滴治療を地元の病院で半年にわたり受けた。

 その過程で、南雲クリニックの南雲吉則先生と巡り合って、師の唱える癌の発生原因説(狂った食事、狂った生活)に納得して、自分に展開をした。それで南雲先生の治療指導に従うことにして、現在に至っている。

 南雲先生の説が、今まで調査した中では、癌発生の真因に一番近いと確信した。その内容は、当ブログの「南雲吉則講座「命の食事」」1~6(2019/10/27~)を参照ください。

  

2020-02-11 久志能幾研究所通信 1478  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月10日 (月)

神ではなく、人を信じよう

 人生を豊かにするためには、信じられる人とご縁を結ばねばならぬ。アーメンと言って神を祈り、ナンマンダと佛に手を合わせても、神仏は己を助けてはくれぬ。助けてくれるのは、己であり、ご縁のある人である。人は人を信じないと生きていけない。人は人の中で、人となる。

 そのご縁を結ぶ前に、己がどれだけ人のために布施、報謝をしたか反省したい。見返りを求めての交際は、ご縁が商売の取引となってしまう。人はモノを獲得して幸せになるのではない、人に与えて幸せになれる。己に徳がなければ、己も人を助けまい。

039a3272s

 馬場恵峰書

 

知識の布施

 人から良き話を聞いたら、その話を人に話さなければ、仏道に反する「知りたることを人に話さざるは、カネを借りて返さざるが如し」と経典に書いてある。人に話さないのは知識泥棒である。その知識を自分だけのモノにするから幸せになれない。それは自惚れになる。人に有益な話をするのも、人助けである。それによって、人は人となる。

 

葬式坊主

 現代はお寺の経営は危機状態である。檀家の200軒が、お寺の損益分岐点で、それ以下は経営的に苦しいという。だから廃寺が止まらない。

 現代人は、葬式、法事しかお寺に行かないような状況に、お寺自身が追い込んだためである。本来、お寺で住職が、人生の生き方、仏教の教えをして、仏教としての生き方を広めるべきなのだ。それゆえお寺さんは高徳者でなければなるまい。それが、今はそうではない僧侶が多いのが問題である。僧侶の真偽を見分けないと、人生で沈没する。

 

僧侶は職業ではない

 僧侶は、一銭の得にもならないことを世のため、人のために誠心誠意を込めて行ずる。職業人として効率を求めるわけではない。しかし今の僧侶は、金儲け主義で葬式、法事を勤め、その金の多寡で評価するから、人が違和感を抱く。

 お寺の檀家で死にそうな人が、東におれば行って、こわがらなくてもいいよと慰め、病気の人が西におれば、行ってお見舞いをする。悩んでいる人がいれば行って相談に乗る。子供を集めて、学校では教えない人生の裏話を教える。例えば桃太郎の話し、浦島太郎の話しの仏教的な意味を教える。童謡の仏教的意味を教える。

 しかしそういう坊さんが現代は稀有なのだ。お寺さんは金儲けで忙しい。だからお寺に人が集まらない、仏教が廃れつつある。

 私が病気で入院しても、お寺さんは見舞いに来ますと言いながら、見舞いには来ない。

 以上は馬場恵峰師の講話を元にまとめました。

 

新興宗教の怖ろしさ

 普通のお寺さんに比べて、新興宗教は、怪しい金儲け集団が多い。ご用心ご用心。本来、正規の仏教宗派では、その宗派への入信勧誘は戒律で禁止されている。これはあまり知られていない。

 私の菩提寺が信徒大募集のキャンペーンをしていることは聞いたことがない。それは戒律で禁止されているからだ。それはキリスト教も同じである。だから勧誘する宗派は、まともな宗派ではない。その禁を新興宗教が破っているので、本物か偽物かの区別がつく。オウム真理教はその勧誘がすごかったようだ。

 

仏教の教え

 そのオウム真理教の「商売」拡販材料が、瞑想と超能力獲得である。人より優れた超能力を身に着けたいと入信した人が多かった。それは、「人と比べない、執着心をもたない、生かされていることを知る、諸行無常」という仏教の基本原則の教えに反する教義である。それは矛盾に満ちたオウム真理教の教義であった。己が超能力者になり、他人に優位になることに執着した「頭のいい人」は、それの矛盾に気が付かず、麻原教祖に洗脳された。洗脳されれば、もう教祖の奴隷である。

 新興宗教の手口が「貴方だけですよ、貴方は特別扱いですよ。貴方は大勢の中から選ばれたのですよ」とコチョコチョと貴方の弱い心をくすぐる。

 

私の新興宗教入会寸前体験

 私も10年ほど前に某経営研究会に入会して、あるはずみでその会の元会長から某新興宗教に勧誘された。それが、上記の勧誘キャッチコピーで、詐欺師の手口であった。紹介者が会社の社長で、経営研究会の元会長なので、つい信用してしまった。試しに入会して、ダメなら退会すればいいとの安易な気持ちで入会を承諾した。ところが、入会儀式直前に、仏様からの啓示があり、その宗教団体の異常さをネットで知り、慌てて入会を断った。くわばらくわばら。

 その新興宗教団体に入会すれば、合計で数百万円を嫌でも寄進させられることになる。またその退会が大変なのだ。退会するといえば、大勢の信徒が家に押しかけてきて「退会すると無間地獄に堕ちるぞ」と家の周りで大騒ぎをするという(ネット情報で)。無間地獄に堕ちるには、親殺し等の極悪な罪を犯さないと行けないのに、言いぐさがお笑いである。押しかけてくる信徒は教団から指示されていて、必死である。なにせ真面目に(?)に脅迫しないと、その刃が己に向かう。

 その修行の手口はオウム真理教のそれと大差はないようだ。その修行(洗脳)の手口は、ベトナム戦争で心の病になった兵士を治療するための「米軍開発の心理学療法」を悪用したものであった。だから洗脳効果抜群である。その威力はサリン事件を見れば納得できる。

 

2020-02-10 久志能幾研究所通信 1477  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。