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2020年2月10日 (月)

神ではなく、人を信じよう

 人生を豊かにするためには、信じられる人とご縁を結ばねばならぬ。アーメンと言って神を祈り、ナンマンダと佛に手を合わせても、神仏は己を助けてはくれぬ。助けてくれるのは、己であり、ご縁のある人である。人は人を信じないと生きていけない。人は人の中で、人となる。

 そのご縁を結ぶ前に、己がどれだけ人のために布施、報謝をしたか反省したい。見返りを求めての交際は、ご縁が商売の取引となってしまう。人はモノを獲得して幸せになるのではない、人に与えて幸せになれる。己に徳がなければ、己も人を助けまい。

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 馬場恵峰書

 

知識の布施

 人から良き話を聞いたら、その話を人に話さなければ、仏道に反する「知りたることを人に話さざるは、カネを借りて返さざるが如し」と経典に書いてある。人に話さないのは知識泥棒である。その知識を自分だけのモノにするから幸せになれない。それは自惚れになる。人に有益な話をするのも、人助けである。それによって、人は人となる。

 

葬式坊主

 現代はお寺の経営は危機状態である。檀家の200軒が、お寺の損益分岐点で、それ以下は経営的に苦しいという。だから廃寺が止まらない。

 現代人は、葬式、法事しかお寺に行かないような状況に、お寺自身が追い込んだためである。本来、お寺で住職が、人生の生き方、仏教の教えをして、仏教としての生き方を広めるべきなのだ。それゆえお寺さんは高徳者でなければなるまい。それが、今はそうではない僧侶が多いのが問題である。僧侶の真偽を見分けないと、人生で沈没する。

 

僧侶は職業ではない

 僧侶は、一銭の得にもならないことを世のため、人のために誠心誠意を込めて行ずる。職業人として効率を求めるわけではない。しかし今の僧侶は、金儲け主義で葬式、法事を勤め、その金の多寡で評価するから、人が違和感を抱く。

 お寺の檀家で死にそうな人が、東におれば行って、こわがらなくてもいいよと慰め、病気の人が西におれば、行ってお見舞いをする。悩んでいる人がいれば行って相談に乗る。子供を集めて、学校では教えない人生の裏話を教える。例えば桃太郎の話し、浦島太郎の話しの仏教的な意味を教える。童謡の仏教的意味を教える。

 しかしそういう坊さんが現代は稀有なのだ。お寺さんは金儲けで忙しい。だからお寺に人が集まらない、仏教が廃れつつある。

 私が病気で入院しても、お寺さんは見舞いに来ますと言いながら、見舞いには来ない。

 以上は馬場恵峰師の講話を元にまとめました。

 

新興宗教の怖ろしさ

 普通のお寺さんに比べて、新興宗教は、怪しい金儲け集団が多い。ご用心ご用心。本来、正規の仏教宗派では、その宗派への入信勧誘は戒律で禁止されている。これはあまり知られていない。

 私の菩提寺が信徒大募集のキャンペーンをしていることは聞いたことがない。それは戒律で禁止されているからだ。それはキリスト教も同じである。だから勧誘する宗派は、まともな宗派ではない。その禁を新興宗教が破っているので、本物か偽物かの区別がつく。オウム真理教はその勧誘がすごかったようだ。

 

仏教の教え

 そのオウム真理教の「商売」拡販材料が、瞑想と超能力獲得である。人より優れた超能力を身に着けたいと入信した人が多かった。それは、「人と比べない、執着心をもたない、生かされていることを知る、諸行無常」という仏教の基本原則の教えに反する教義である。それは矛盾に満ちたオウム真理教の教義であった。己が超能力者になり、他人に優位になることに執着した「頭のいい人」は、それの矛盾に気が付かず、麻原教祖に洗脳された。洗脳されれば、もう教祖の奴隷である。

 新興宗教の手口が「貴方だけですよ、貴方は特別扱いですよ。貴方は大勢の中から選ばれたのですよ」とコチョコチョと貴方の弱い心をくすぐる。

 

私の新興宗教入会寸前体験

 私も10年ほど前に某経営研究会に入会して、あるはずみでその会の元会長から某新興宗教に勧誘された。それが、上記の勧誘キャッチコピーで、詐欺師の手口であった。紹介者が会社の社長で、経営研究会の元会長なので、つい信用してしまった。試しに入会して、ダメなら退会すればいいとの安易な気持ちで入会を承諾した。ところが、入会儀式直前に、仏様からの啓示があり、その宗教団体の異常さをネットで知り、慌てて入会を断った。くわばらくわばら。

 その新興宗教団体に入会すれば、合計で数百万円を嫌でも寄進させられることになる。またその退会が大変なのだ。退会するといえば、大勢の信徒が家に押しかけてきて「退会すると無間地獄に堕ちるぞ」と家の周りで大騒ぎをするという(ネット情報で)。無間地獄に堕ちるには、親殺し等の極悪な罪を犯さないと行けないのに、言いぐさがお笑いである。押しかけてくる信徒は教団から指示されていて、必死である。なにせ真面目に(?)に脅迫しないと、その刃が己に向かう。

 その修行の手口はオウム真理教のそれと大差はないようだ。その修行(洗脳)の手口は、ベトナム戦争で心の病になった兵士を治療するための「米軍開発の心理学療法」を悪用したものであった。だから洗脳効果抜群である。その威力はサリン事件を見れば納得できる。

 

2020-02-10 久志能幾研究所通信 1477  小田泰仙

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