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2020年1月18日 (土)

自惚れは持たねばならぬ。しかし自惚れてはならぬ。

 人間は自惚れがあるから生きていられる。自惚れが無くなれば死ぬ。「自分は馬場恵峰だ」との自惚れないと、先に進まない、生きていけない。だから、それに負けない仕事をせねばならない。そこに信用・信頼という財産ができる。

 自惚れは持たねばならない。自惚れは伸ばすべきだ。そうすれば、人から誹謗されても、それを感謝の気持ちに変えられる。

 

自己満足

 この世で自惚れを持たずに生きている人は、一人もいない。人は自分の自惚れを磨くために生まれて生きた。「あの人は自惚れている」と人を非難するのは、己が自惚れているからだ。それは何にもならない。

 自惚れられるのは、自分が努力をして技をみがき、世間がそれを認めるからだ。人間は自己満足して生きることが大切。その自己満足が自惚れである。

 不満足なら、満足するまで、思考して、努力を重ねることだ。学んで自惚れを磨くべきだ。思案だけでは、実にならない。自分の自惚れを育てるのは、自分である。自分が自惚れを勉強して、人からうらやましがられるような自惚れを育てることが大事である。しかしそれを自惚れてしまっては、もう成長はない。

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人からうらやましがられよ

 「書道を書くなら、人からうらやましがられるような字を書きなさい。自分の自惚れを大切に育てなさい。あなた方は、書道をすることで素晴らしい人生を歩んでいる。書道をしていない人に比べて、素晴らしい自惚れの道を歩んでいる。」と私(恵峰)はお弟子さんに伝えている。

 

人に学び、己に活かす。

それが自惚れの大切な道。我この道をおいて、我を活かす道無し。一事一心一念道。これが自惚れを活かす根本の方法である。日々精進して、自己満足を学んで、誇りを持て。自己満足は、人生最高の妙薬である。

 

佳気満高堂

 気を佳くして満足して己を高めていく。「高堂」とは自分の体のこと。

 

心足身常閑

 「心足」とは自己満足のこと。そうなれば、のどかである。人から何か言われたら、私が認められたと思えばよい。人から非難誹謗され、何か言われたら、感謝である。

 

 陰口が耳に入るようになったら、相当、自惚れている状態である。感謝せねばならぬ。人がそう認めてくれたのだから。そう思わないと、人の言葉で殺される。発想の転換が必用である。

 自分が出来ないから、非難誹謗する人が多い。それは逆に言うと羨ましがられている。だから人から羨ましがられるように、自分の自惚れを磨きなさい。そうなれば腹を立てないですむ。人からの「自惚れている」という誹謗に負けてはならない。

 

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佛の裁き

 努力もせず自分が自惚れていると、人が妬ましくなる。だから人を非難することに精力を使う。その鬱積した感情が、命を削る。

 人を誹謗する人間は、非難するだけで努力をしない。だから非難だけで時間を使い、世の中に何も残せない。だから私(馬場恵峰)を非難誹謗した人間は早く死んだ。自惚れを精進して努力する人を、仏様は助けてくれる。人を非難誹謗した人が墓穴を掘る。それを仏の裁きという。

 非難され誹謗された自分(恵峰)は、それをバネに黙って人の2倍も3倍も努力をして、見返し、実績を世に残した。だから長生きできた。人さまが誹謗してくれたので、その力で元気をもらった。人様のお陰である。

 自惚れを持つ人間は、努力をしている。その自惚れを常に磨いている。だから世に仕事を残す。

 

私(恵峰)の成長

 私(恵峰)は師からくさされ、叩かれ、罵られて「己の自惚れ」を鍛えられた。だから私は師よりも10年も長生きしている。それを天が味方したという。しかし自惚れてしまえば、おしまいだ。自惚れを磨く、それが人生を伸ばす道である。人から「うぬぼれている」と言われるくらいに上手になりなさい。それが天の言葉である。

覚えて書く

 手本を見ていくら書いても上手にならない。それは猿真似である。中国の自惚れた書家の作品を学んで、自分に繋げていきなさい。「学んで書く、覚えて書く」のと「真似して書く」のは違う。

 

本物の自惚れ

  それを書展に出すと恥ずかしいと出さないから、上手になれない。それこそが、本物の自惚れである。自分が恥をかきたくないのだ。

 安い半紙にだけ書いて、己の腕を世の問わず、書展に出さないから、何時までも上達しない。半紙の練習ではなく、高い紙で真剣に作品を作らないと成長しない。

 仕事でも多くの場数を踏み、失敗して恥をかくから能力が向上する。その職位が人を育てるのだ。私(小田)もやり過ぎて多くの失敗をした。非難もされた。それが私の肥やしとなった。

 過保護で育てられたエリ―ト経営者は、修羅場を経験していないので、経営を誤り、会社をつぶす。私(小田)の前職の会社も、エリート経営者が決断をせず、事なかれ主義で経営をしたから、消滅した。

 

書道での自惚れ

 書を書く場合でも、私(恵峰)は間違えるはずがないと「自惚れ」を持っているから、間違えずに書を書ける。皆さんは間違えるかもしれないと思って字を書くから、間違える。

 私(恵峰)は、表装された軸に直接書く。だから表装代が節約できて、安く皆さんに分けてあげられる。

 

元手がかかっている

 皆さんは安い半紙に書いているから、上達しない。私(惠峰)は高い軸や高級な紙を使うから、真剣に、頭を使って書く。紙にカネがかかっている。人様が作ったもので上手にしてもらっている。

 上手に書くのでなく、感性を養うために書を書く。作品に仕上げることを頭に置かないと成長しない。お弟子さんは、他流試合をせず、練習ばかりしているから成長しない。私は、高い紙に失敗は許されないと思って書く。だから上達する。

 

無駄の効用

 無駄をしないように、しないようにとするから成長できない。無駄なことに成長の肥やしがある。私(小田)も相当な無駄なことをした人生である。仕事でも写真も文書も芸術品の収集でも、である。人様よりも多くの失敗をした。だから成長した。まずやって見る、買ってみる、書いてみる。失敗と分かったら、止めればよい。間違った道と分かったら、引き返せばよい。間違った経験が智慧となった。痛い目を経験しないと智慧にならない。

 

真剣勝負

 木刀で練習するのと真剣で練習するのとは格段の差がある。江戸時代の地方の道場の名人と言われる人は、江戸の名人に一撃で倒される。それは、江戸の名人は、多くの人と他流試合をして鍛えているからである。

 それは書道でも同じで、真剣に多くの紙に書き、書展で世の批判を浴びないと上手くなれない。批判を浴びて恥をかくから上達する。仕事でも真剣勝負で渡り合わないから、成長しない。

 

 上記は、2020年1月9日の恵峰塾での講義内容を基に、自分の経験に照らし、加筆、編集して記載しました。

  

2020-01-18 久志能幾研究所通信 1454  小田泰仙

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