c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2019年12月28日 (土)

ご縁の裏切り者

 会社や学校の同窓会があると、欠席した昔の仲間付き合いのことが思い起こされ、会いたくなり電話をしたことがある。

 またその同窓会で数十年ぶりに再会して、別の場所でじっくりと話し合いたいと食事を誘うことがあった。しかしその3人とも、「今忙しくて、この仕事の山が越えれば会える。後で電話をするよ」と言って、そのままになってしまった。もう2年も経つが、3人から電話はない。

 

今ここ

 そういう人に限って、「今度」、「何時か」は永遠に来ない。我々には「今」しかない。私はその人とは縁がなかったと思い、こちらから督促の電話をすることはしない。ボールは相手にあるのだ。相手からの返事までの時間が、私が相手からどの程度思われているかのバロメータなのだ。男が約束したことを、忘れる人と付き合ってロクなことはない。

 

時間泥棒

 ある人を飲み会の約束をして、向こうの都合でそれがキャンセルになったことがある。相手は私の予定時間を無為にしたのだから、その巻き返しをしなければならないのに、相手はそのままにしてしまった。そういうレベルの人間であることが証明されたので、私は、彼とは表面的な付き合いは続けたが、飲み会をする縁を切った。そういうレベルの人と付き合うほど、私が時間を損する。付き合わないのが正解である。

 ここでの問題点は、「今度食事をしよう」と軽い気持ちで言った本人はコロッとそれを忘れてしまうが、言われた方はしっかりと覚えていることである。時間が経つほどに、その人の信用が減っていく。

 私が逆の立場の場合なら、万難を排してその飲み会の時間を作るのが私の主義である。ご縁は大事にしなければ、気が済まない。

 

時間は命

 人と約束するとは、相手の時間(命)を頂くのだ。時間は命である。その時の時間は、永遠に来ないのだ。一期一会とは、全力でその時間を全うする人生修行である。遅刻、延期、忘却は罪である。一刻、一刻、命が消えてゆく。今、出会うご縁は、次の機会のご縁とは全く別である。だからこそ、今のご縁を大事にしなければ、夕焼け小焼けで、日が暮れて♪」と人生の夕刻が迫るのだ。人との約束をたがえるとは、貴方の信用という人格の寿命が尽きようとしているのだ。

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  馬場恵峰書    2018年

 

2019-12-28 久志能幾研究所通信 1437  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

運命を変える一番大事な力

 組織で一番必要とされる力とは、リーダの「総合的人間力」である。組織とは、二人以上で要素から構成された集合体である。集合体である以上、それを統括するリーダが必用である。会社で言えば、社長であり、家庭であれば家の主である。自分の体という組織なら、己の頭(心)がその統括者である。そのリーダが組織の持つ資源を最大限生かして、成果を最大にする営みを「経営」という。

 リーダがその経営を間違えるから、組織が左前になり倒産する。自分の体の経営を放漫経営するから、病気になり、早死にする。

 

組織とは

 組織は人、モノ、カネ、情報、歴史からなる。国で言えば、人(国民)、モノ(国土、インフラ)、情報(文化資産)、歴史からなる。

 会社で言えば、人、商品力(モノ)、カネ(資本力、土地、インフラ)、情報(情報資産)、歴史(信用、伝統)からなる。

 

資源の分類

 その資源の内、「人」こそが未来を作る組織の競争力である。「モノ、カネ、情報、歴史」は過去に作られた組織の補助力(追い風)である。

 自分の未来を作るのは、親からもらった遺産でもなく環境でもない。自分等言う「人」が未来を作るのだ。その意識の有無が成果に差を生む。

 企業を発展させるのは(逆境に立ち向かう力)、モノでもカネでも歴史(伝統)でもなく、「人」という綜合的人間力である。過去の栄光は、企業の発展には、過去の遺物は追い風にはなっても、推進力にはならない。

 

経営者の質

 しかし中小企業、いわんや大企業でも、指導者の素養を持つ人材は極めて少ない。大企業での経営者が有名大学を出ているから、指導層の素養を持っているわけではない。指導層になるには、相応の素養が必用だ。それがないと、知識はあっても経営の智慧のない経営者となる。その悪例は、大垣を没落に導いた市長の小川敏の経営の無能さを見ればよい。

 大企業でも有名大学を出たが、経営に無知で、指導者の素養がない人が社長を務めると、会社がつぶれている。日産、三菱自動車、東電、JR西日本、電通、タカタ、松下電器、シャープ、パイオニア等と事例が、次から次に湧き出る程である。

 

自分の体の経営者

 自分が何の為に、此の世に生まれてきたかの意識がないから、もてる最大のお宝の命を粗末にするのだ。だから病気になる。それは己の体の経営者失格である。乱れた食の経営、乱れた生活の経営、利己欲の制御の失敗、それが病気を招く。

 

ネッツトヨタ南国の経営

 経営者・リーダが持つべき力が「人間力」である。ネッツトヨタ南国では、社員全員が経営者の意識で働いている。だからネッツトヨタ南国は、不況で同業他社が売り上げを減らしている時も、成長している。

 その人間力の源は、「心」の問題である。グローバル経済主義競争が激化して、その心の教育がないがしろにされ、利他の心が失われ、利己主義、拝金主義が蔓延した。その結果、日本の「失われた30年」が生まれた。私が危機感を抱き、前職で技術者教育講座に「修身」の講座を新設し、私がその講師役を務めたのも、この危機感からである。

 ネッツトヨタ南国では、社員教育でこの人間力を高める仕組みを構築して、社員に目覚めさせている。最大の要点は、「何の為に働くか」を意識させるのだ。それに気が付けば、人間力は自ら高めていく。

 

「全ての成功は、メンタルから始まります。」

   サーシャ・パイン(テニス選手・大坂なおみのコーチ)

 

人間力とは

  自然の理を理解して経営する力

  自分の資源を最大限生かす力

  回りの人の持つ資源を、最大限に生かせる力

  周りの人を気遣う力

  困難に立ち向かう力

  恥をかく力(自惚れが強いと恥をかかないため黙っている)

  自ら考え、自ら発信し、自ら行動し、反省する力

  知識ではなく、智慧を活用する力

  夢見る力(夢のない人は人間ではない)

  AIには出来ない道徳、倫理観、慈悲を持つ力

  何の為に働くかを理解する力

  生まれてきた意味を考え、自分の使命を果たす力

 

 これと真逆の経営をしているのが小川敏の大垣市政である。「狂った政治」を18年間も続けた。だから大垣市は衰退した。

 自分の体の経営も同じである。これに反した「狂った生活」を送れば病気になる。日本人の半分が癌になるのは、使命感を忘れ、拝金主義、利己主義の「狂った生活」をしているため。つまり日本人に人間力が低下しているためである。

 心を整えれば、己の体は自分自身のモノではなく、世のために尽くすためにあることに気が付く。己が生まれた理由とその使命に気が付くはずだ。そうすれば、仏様のご加護で病気にならない。世のために何かを残そうという気になる。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)よ

 

以上は横田塾(2019年11月7日、11月10日、プレジデント社主催)でのネッツトヨタ南国の横田英毅相談役の講義、馬場恵峰先生の「言志四録」講義(2019年1月~12月)、南雲吉則先生の講義をヒントに作成しました。 

 

2019-12-27 久志能幾研究所通信 1436  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月27日 (金)

人生で最大の金儲け方法

 人生で最大の金儲けとは、病気にならない生活を送ること。病気になると金がかかる。下手をすると、人生最大のお宝の「命」を失う。何物にも代えがたいお宝を失う。

 医師から余命宣告をされて「金はいくらかかってもいいから、命を助けてくれ」と泣きついてもなす術がない。世界一の金持ちであったアップル創業者、スティーブ・ジョブズでさえ膵臓ガンのため56歳で命を落としている。癌に対して、お金は無力である。

 癌患者に1年間の延命効果のある500万円という薬も登場している。癌は金のかかる病気である。それの治療費をゼロにするのが人生最大の金儲けである。

 癌は他人ごとではないのだ。日本人の二人に一人は癌になり、3人に一人は癌で死ぬのだ。人生最大のお宝は自分の命なのだ。

 

癌の原因と対策

 癌の原因は、狂った生活、狂った食事、狂った医療、狂った精神文化である。要は不摂生で己の体をいじめたのだ。いじめられた体の細胞が反乱を起こして、癌になった。原因が分かれば対策は容易である。手術、抗がん剤、放射線治療等は対処療法で、後追いの金のかかる対策である。癌予防で不節制を止めれば、金もかからず、治療費もかからず大儲けである。

 

癌になった場合の治療費用(1年目の費用)

 肺がん  266万円

 胃がん  236万円

 大腸がん 307万円

 肝臓がん  58万円

 乳がん  214万円

各がんの内訳で、再発防止抗がん剤治療費が92~200万円も含まれる。

 『プレジデント』「がん解明、9つの真実」2013年6月17日号より

 

私の癌治療費

 私の場合、愛知県がんセンターで手術後の標準治療である抗がん剤治療を拒否した。その代替治療として、別病院でビタミンCの点滴投与と併用治療を週1~2回、6か月間、一回43,000 円~37,000円の治療を受けた。その費用は抗がん剤治療と同等かそれ以上である。これは保険がきかないので高額である。

 私の癌の治療費総額では、プレジデント社の試算の費用くらいのお金が消えた。それ以外に電動ベッドや羽毛布団等の自宅環境整備でかなりの金が消えた。それがなければ、大層なお金が貯金できたはずであった。

 その金額を稼ごうと思うと大変だ。だから病気にならないのが、人生最大の金儲けである。失ったお金以上に、治療のために失った時間が膨大である。ビタミンC剤の点滴では、一回当たり2~3時間も病院のベッドに拘束される。その間、何も出来ない時間である。じっと点滴ボトルから落ちる点滴を眺めて時間を過ごす。癌になったという人生の悔いを感じるばかりである。

P1130022s ビタミンC剤の点滴 2019年8月22日

 

反省と再発防止

 癌になった原因を、今までの狂った生活、狂った食事、狂った精神状態であると推定して、私は生活の全てを変えた。お陰で健康的な、人間的な生活に戻ることができた。癌は仏様からの諭しのメッセージなのだ。今のままの生活なら、早く死ぬところを、仏様からの「病気」という啓示で、生活の間違いに気付かせてもらって、延命できたのだ。間違いは人間だから誰でもする。問題は、その啓示をどう受け止めるかである。

 

対処療法よりも再発防止を

 もう一つの大きな問題は、癌を治療する医師がその原因を追究せず、対処療法で患者の治療にあたることである。私は、南雲クリニックの南雲吉則先生、真島消化器クリニックの真島康雄先生の指導でガン再発防止治療に取り組んでいる。お二人とも、病気の真因を探って、病気予防を指導してくれる。基本は食事療法である。病気になって名医に治してもらうより、病気にならない防止策が重要である。それが人生の最大の金儲けである。

 

 

防火対策

 2005年に自宅の隣が火事になった。当家も延焼しそうになり危なかったが、消防署が放水して延焼を食い止めてくれた。延焼防止のための放水で家の中が酷い状態になった。

 だから火事を消すよりも、火事にならないようにするのが、最大の防火対策であり、それが危機管理である。病気はそれと同じである。

 抗がん剤投与は、火事になった場所に水をかけるようなものだ。抗がん剤は患部以外に正常な細胞も、同時に痛めつける。延焼を食い止めるための放水は、まだ火のついていない家屋を破壊する。この記憶が頭の隅にあり、抗がん剤治療を拒否した。

Img_2091s  隣アパートの火事 2005年10月28日

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 自宅内の延焼防止で放水による被害

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

2019-12-26 久志能幾研究所通信 1435  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月26日 (木)

人生の賞味期限、毎日が賞味期限

 どんな食品でも、どんな生物でも、どんな工業製品でも、どんな生き方でも、賞味期限というのがある。食品では、製造後、味が保証された賞味期限というのがある。家電製品でも補修部品の保管期限はせいぜい10年である。だから家電製品の賞味期限は10年である。

 人間なら若い時しか、記憶力に頼ったペーパー試験で良い成績は残せない。私も還暦後、記憶力がモノを言う国家資格に挑戦したが、記憶力が旺盛な若い人たちに負けてしまった。記憶力は若い時だけの賞味期限である。還暦後では、私の記憶力は賞味期限切れであった。

 人間として仕事をする労働者としての賞味期限は、せいぜい60歳までである。だから求人広告でも、年齢制限があり、60歳以上の再雇用は限定される。世の常として体力・知力が正常に働けるのが還暦までが自然の理である。

 

小川敏の賞味期限

 現在69歳の小川敏は、市長としての賞味期限は切れている。だから市長として痴呆的な行動が目につくようになった。それが自分で分からないのは、認知症の一歩前のようだ。情報を知識として覚えているだけで、智慧がないから痴呆的な行政が顕著になってきた。世の常識として、市長6選に向けて宣言するなど、正気の沙汰ではない。小川敏は、市長の立場で、それを意識せず、お役所のお山の大将として、ルーチンワークだけで時間を無為無策に過ごしたから、脳が賞味期限切れとなり、出す政策が間違いばかりで、結果として大垣を衰退させた。大垣が勝手に衰退したのではない。小川敏が衰退させたのだ。

 

人生は闘いの日々

 人間は毎日が賞味期限との闘いである。毎日が勉強の機会なのだ。燃えるような恋は若い時しかできない。体力に任せての徹夜の連続も、若い時だけが可能で、体力にも賞味期限がある。私も若い時は、体力に任せて徹夜もやり、寝ずに連続40時間以上のトラブル処理の労働もしたが、今はとてもじゃないが、そんな激務では体がもたない。

 いくら才能があっても、20歳の若人の瞬発力に、中年のアスリートでも負ける。中年のアスリートはオリンピック選手として賞味期限が切れたのだ。しかし、今からはコーチとしての活躍の世界が広がっている。

 わき目も振らず勉学に打ち込めるのも若い時だけである。歳をとると目の前に誘惑の魅力ある事象が目白押しである。人として修行のような勉学期間の賞味期限が切れたのだ。

 人間には春夏秋冬、その時々の賞味期限があり、それに合わせた人生設計が必用だ。それを考えないから、人間として早く賞味期限切れとなり、生きる意味を失い、早く死ぬ。

 

成績一番の末路

 小学校、中学校、高校、大学で常に成績で一番を取り、松下電器に就職してエライさんにまで上り詰めた人がいた。しかして年になり会社を離れたら直ぐ病気になり、世間から遠ざかった生活になった。そして間もなく、国立病院に入り、亡くなられた。組織の流れに身を任せて、自分で自分の人生を設計してこなかった人の末路である。いくら頭がよくても、智慧がなかったのだ。己の人生の成長戦略がなく、組織を離れ自分の時間が出来た時は、人生の賞味期限が切れてしまったのだ。長崎の馬場恵峰先生の知人である。

 

毎日が真剣勝負、毎日が賞味期限

 今日という日の賞味期限は、その日限りである。己が生まれて何歳何日というこの日は、二度と巡ってこない。毎日が賞味期限との闘いの真剣勝負である。日々、人は賞味期限切れ(死)に向かって時間がカウントダウンしている。毎日、良いことを考え、よいことを実行すれば、日々好日なのだ。無為無策に時間をすごすと、日々悪日となる。

 

「無職」という職業

 馬場恵峰先生は「無職」という職業を選択したので、日々やることがあり過ぎて忙しくて仕方がないという。金に縛られた職業なら、その与えられた仕事を期日までに済ませれば、後は暇である。しかし「無職」では、その制約がなく、やることがどんどん浮かんできて、忙しいという。それはボケ防止には良いことのようだ。馬場恵峰先生は93歳の現在も矍鑠としてみえる。書道家として現役である。私もそういう師を持つと、おちおち死んでなんかおられない。

 「人生二度なし、生涯現役」宣言は、有効期限なしのゴールドの人生運転免許証である。

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2019-12-25 久志能幾研究所通信 1434  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月23日 (月)

己の道は手のうちに

己を拝め

 キリスト教で「天にまします我らの神よ」と祈っても、仏教で「南無阿弥陀仏」と手を合わせても、神も仏も己を助けてはくれない。ただ見守っているだけである。己を助けるのは己である。己が人生の運命を握っているのに、それの努力をしないで、「神も仏もないないのか」と運命を嘆いても、それはお門違いである。

 人は自分を拝む勉強をしない。自分が行動を起こさなければ、人生は変わらない。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

背中を観よ

 自分の背中を観よ。しかし己は己の背中は見えないし、観たことはない。己を支えてくれるのは背中である。

 仏様が与えてくれた機会を他人の為に、人のために話をしなければ、自分は幸せになれない。いいことを、良いことは人に話さねばならない。黙っている人こそ、くせ者である。保身者である。

 人がしないから、させてもらっている。自分が幸せを作っていくのだ。実力の裏が教養である。早く勉強した人が、早く実力をつける。

 自らが人生の暗夜を自らの灯で灯せ。だからお釈迦様は「自灯明」を説かれた。

 

実践あるのみ

 夢ばかり見て、手本ばかりを見て、書を書くからうまく書けない。自分で考えて書けば、うまくなる。人の真似をするな。自分で考えて書け、覚えて書け、である。

 習字をするからうまくならない。作品を書きなさい。下手でもいいから高い紙に丁寧に書きなさい。そうすれば残るし、うまくなる。安い半紙に練習字を書くから上手くならない。

 だから書道を仕事に当てはめて考えるなら、師の行動を真似するな、自分で考えろ、考えて行動しろ。師の行動は、師の人格の表れである。それを真似しても意味がない。自分で考えて、自分の人格が現われる行動をすべきである。それが学びの成果である。それでこそ師を乗り越えられる。

 

我以外皆師

 書の教室に来ても、自分だけ先生から添削をしてもらったら、後は知らんふりでは成長できない。他のお弟子さんが先生から添削を受けている状況を見て学べ。それが「我以外皆師」である。人生二度なしで、一生勉強である。

 字書き恥かきで、実際に恥をかいて体験しないと成長できない。恥をかくことを避けるのは、自分が可愛くて、自分を守り過ぎである。それは自惚れである。これでは成長できない。

 これは全ての道(武道、芸道、学道)で、いくら秘伝書でノウハウを伝えても、血の滲む鍛錬を繰り返さないと名人にはなれない。ノウハウをいくら読んでも、実体験しないと意味がない。それが難しい。今はノウハウ書がオンパレードであるが、それでは薄っぺらな道しか得られない。それは本当の勉強していないことである。

 

厳師の教え

 自分を厳し指導してくれる師が運命を拓く。だからこそ「3年かけて師を探せ」である。真剣に叱ってくれる師が本物の師である。師たるものは自分に厳しく学びを忘れてはならない。

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 馬場恵峰書

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 馬場恵峰師 2019年12月12日、‏‎20:23(夜の部の講義)

馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」をテキストに講義中

 

若手エリートの末路

 私の前職の会社でも、私が主任の時、私の部署に入社してきたエリートと目された二人の若手がちやほやされ、泥臭い汗を流してきた私を追い抜いていった。そして会社より博士号を取るために大学に派遣された。しかしその一人は、数年後、処遇を不満として会社に泥をかける様に去って行った。もう一人は、引き上げてくれる役員が力を無くすと、閑職に追いやられた。それで精神の病になり、今は鳴かず飛ばすの状態となった。泥臭い汗をかかなかった咎であると思う。「若くして高座に上った」咎である。エリート意識で、命を上司に任せて、自ら人生の灯を掲げなかった咎である。自ら己を拝まなかったのは人間として怠慢である。拝まないから反省がない。

 そんな不合理な学閥優先の人事が横行した前職の会社は市場から消えた。仏様は良く観ておられると思った。「天網恢恢疎にして漏らさず」を実感した。

 

小川敏の末路

 小川敏はド田舎の大垣市で、東大卒というブランドが効き、偶然、市長職になれて、それを20年弱の長きに務めることになった。しかし頭がよくても智慧がなく、過去に地道な雑巾がけの修行をしなかったため、恥さらしな行事をしても恥とも思わない人間に落ちぶれた。結果として18年間で大垣市は衰退した。大垣の公示地価は半分以下に暴落した。大垣の顔である大垣駅前商店街は80%が店を閉めた。大垣市の児童生徒の教育環境を県下で最低レベルに堕とした。

 一番大事な教育をないがしろにしたのは、大罪である。大垣市の未来は大垣市長の手の内にあるのに、それを蔑ろにした。その職位にあって、やるべきことをやらないのを、仏教では、「悪人」という。

 

以上は2019年12月12日、「生き活き教養塾」で馬場恵峰先生が講義した内容を元に記述しました。

 

2019-12-23 久志能幾研究所通信 1432  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月22日 (日)

童謡「夕焼け小焼け」は人生哲学

 童謡「夕焼け小焼けは」人生哲学の唄である。馬場恵峰先生が旧第五高等学校(現熊本大学)で心理学の教授から、その意味を教えられたという。時に太平洋戦争開戦の直前である。

 

夕焼け小焼けで日が暮れて

山のお寺の鐘が鳴る

お手々つないで皆帰ろう

烏と一緒に帰りましょう

子供が帰った 後からは

まるい大きな お月さま

小鳥が夢を 見るころは

空にはきらきら 金の星

  中村雨虹作詞、草川信作曲、大正8年に発表 

 

歌詞の意味

夕焼け小焼けで日が暮れて♪

 平穏な人生を送った人も波乱万丈の人も何時かは人生の幕が下りる。

 己もいつしか年老い、人生が暮れようとしている。

山のお寺の鐘が鳴る♪

 己の葬式で導師が叩く鐘の音で、参列者が己のために合掌する。

お手々つないで皆帰ろう♪

 どんな人も必ず死ぬ。皆で一緒に浄土に還るのだ。

 遅いか早いかである。死ねば皆、佛である。

 その差の年月は、長い人間の歴史上では誤差範囲である。

カラスと一緒に帰りましょう♪

 頭の黒い人間でも一緒に浄土に還っていく。 

 雀でも白鳥でもなく、一緒に帰っていくのは黒いカラスなのだ。

 黒い喪服を着たカラスなのだ。悪いことをしたカラスでも一緒に浄土にいくのだ。

 

 宗教学者の山折哲雄氏は、「夕焼け小焼け」の歌詞の背景には、『般若心経』の真言があるとしている。般若心経の最後の部分は「ぎゃーてい ぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわか」である。その意味は、「いきましょう。ゆきましょう。囚われなき悟りの世界へ人々と共に行きましょう。」である。

 

子供が帰った 後からは♪

まるい大きな お月さま♪

小鳥が夢を 見るころは♪

空にはきらきら 金の星♪

 夢の中で、自分の金のような人生目標が空に輝いている。

 死ぬまでにその目標に向かって少しでも実現したい。

 皆が眠った(死の)後は、丸い大きなお月様(佛様)が皆を見守っている。

 だから安心して眠りなさい。

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 馬場恵峰書

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 馬場恵峰先生 2019年12月12日、11:07

  

「夕焼け小焼け」の教え

 私は馬場恵峰先生の解説を聞いて、初めてこの童謡の意味を知った。だからこそ、眠る前に精一杯の精進をして自分の夢を実現させたい。それでこそ金の星の夢を抱いた人間である。私は今年、大病をして死期への時間意識に目覚めた。しかし今回、先生の解説を聞いて夢を実現させる勇気が湧いてきた。人は必ず死ぬ。その見極めをして、決断すべきを決断して、見切りをつけなければ、死の間際に悔いが残る。やらない悔いよりもやって失敗した悔いの方がよい。背水の陣の決意を持って、何事も実行すれば成功する。先生の講義に感謝です。

 

上記は2019年12月12日、「生き活き教養塾」で馬場恵峰先生が講義した内容を元に記述しました。

 

2019-12-22 久志能幾研究所通信 1431  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年12月21日 (土)

自分は仕事以外に何が出来るのか?

 会社を定年になり、会社を離れて自分は仕事以外に何が出来るのかを、自身に問うべきである。だから第二の人生で何が出来るのかを、会社に勤めている間に道を探すべきなのだ。会社に勤めている間に、その道を歩く準備に一日の時間の1割を割いて学ぶべきだ。そうしないと、定年後、やることがなく認知症になり、早く死ぬ。

 仕事は生活の糧である。それを卒業した後が、本当の人生なのだ。家のローンも終わり、子育ても終り、これからが人生の収穫期である。それなのに、やることがないなんて、惨めすぎる。それは社畜の人生だ。

 第二の人生でやることが、魂の糧となる。己は会社生活38年間で、何をするために生まれてきたかを、悟るべきだ。

 

利己主義の弊害

 下手でもいい、何かを取り組むべき。最初は下手で当たり前。字書き恥かきというように、恥をかかないから、何事もうまくいかない。

 身の回りで問題があっても「言わぬが花」と黙っている人は、保身主義者である。自分が可愛いのだ。自分が傷つきたくないのだ。それは今まで世間様から育ててもらった御恩を忘れた畜生の行為である。

 「学びしことを人に教えざるは、借金をして返さざるが如し」と福沢諭吉翁は説いた。今まで多くのことを人から学んできた。そのお陰で智慧ある年長者に成長したのだから、それを人に教えないと、知識泥棒になってしまう。教えないから、認知症になる「俺には関係ない」と利己主義を出すから、認知症になる。日本では、65歳以上の15%は認知症である。グローバル経済主義の氾濫で利己主義者が増えたのも原因の一つである。

 

人に教える

 情報とは情けの知らせである。それを自分の頭の中で、その流れを止めるから、頭の中で腐ってくる。溜めずに、人に話してその考えを流すから新しい発想や別の情報が入り、生まれてくる。

 それはお金も同じである。お金は財産ではない。経験を得るための回数券なのだ。それを溜めるから、有効期限切れになって腐る。若い時に使うべき経験のチャンスは、年老いてからでは有効期限切れで使えない。私も若いときにやっておくべきことが出来ず、後悔してことが多々ある。お金を世間に流せば、利子をつけて帰ってくる。その利子とは経験から生まれる智慧である。

 馬場恵峰先生は、自費で240回以上も中国に旅された。その経費は約7千万円で、お金は消えたが、それから得た智慧は頭の中に残っている。得たご縁は限りない。明日(12月13日)から、馬場恵峰先生は最後の中国旅行をされるが、それは人生最後のお別れの挨拶回りという。体力的に今回が最後の旅行になるという。何ごとも永遠に続くわけではない。

 

宗教の教え

 会社生活でしみ込んだ自己中心主義を止めないと、定年後の第二の人生は寂しいものになる。仏教もキリスト教も「自己中心主義を止めなさい」が基本の教えである。欧米の企業が害毒を振りまいたグローバル経済主義、拝金主義、利己主義が日本人の心を破壊している。宗教はそれとは反対の教えである。

 己の第二の人生で、人を祈る気持ちがないと、神仏の加護はない。今の成果主義、利己主義の権現のままでは、社会に受け入れてもらえない。

 

学び

 何のために学ぶかというと、己の感性を高めるためである。感性とは教養の事。それは学習しないと身に付かない。そのために「温故知新」、「温故創新」が必用だ。生涯かけて知識を学び知恵を磨くのだ。

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 以上は2019年12月12日、「生き活き教養塾」で馬場恵峰先生が講義した内容を元に記述しました。

 

2019-12-21 久志能幾研究所通信 1430  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月 8日 (日)

体重を25kg削減させた刃

 身辺整理で家中の書類を整理していたら、2009年10月29日の人間ドックのデータが目に留まった。そのデータを見て考えてしまった。

 飽食は病気の元なのだ。世の中は「食べろ、食べろ」と誘惑の大合唱である。消費者に腹いっぱい食べさせたいと思う食品業界の企業戦士達は、金儲けが目的で、人の健康など知ったことではない。その食の誘惑に負けた人間が病気になる。「止められない♪ 止まらない♪ 河童妖怪♪」は、病気へのお誘いの歌である。食べ過ぎた後は、胃腸薬の宣伝CMの大合唱である。日本の食品業界は何かおかしい。

 

人間ドックの変化

    2009年10月29日    2019年12月8日

体重    75.4 kg         50.40 kg

腹囲    96 cm          75 cm

体脂肪率  25.8           9.3

 

 2009年10月の人間ドックの後、私に大腸ポリープが発見され、その摘出手術をした。大腸がんになる恐怖心から、2010年1月からダイエットに取り組み7か月で14キロの減量に成功した。

 それから9年後の2019年2月に癌が見つかり手術をした。結果として半年で17キロほど痩せたが、2009年から見ると、体重25キロ減、腹囲21㎝減、体脂肪率16.5減である。

Dsc08070s    2019‎年‎11‎月‎2‎日

 人から見ると羨ましいかもしれないが、体力も同時に無くなり、体が思うように動かず辛い。知人の話しでは、体力が回復するのに1年間は要するという。これも試練である。

 

一食は医者のため

 ドイツには古くから次の諺がある「1日3食のうち2食は自分のため、1食は医者のため。」

 体重が75キロから25キロも減ったので、1/3が減った。つまり1食分の体重が減ったわけだ。ドイツの諺通りである。

 政府や医学界が「健康の為、3食キチンと食べろ」とうるさく言うのは、「しっかり食べて、しっかりと病気になって、しっかりと稼がせて欲しい」という本音が裏にある。余分に食べるから、体の飢餓防衛機能で、その脂肪が体に必要以上に蓄えられるから病気になる。要は、今までが食べ過ぎなのだ。

 今回の私の大病は、仏様からの戒めなのだ。若い時は、病気には体力でカバーができたが、加齢で病気への抵抗力が減少した時、発病するようだ。その時の対応で生死がわかれる。幸いにして、仏様と河村義子先生からの霊界メッセージに命を助けてもらった。その助けて頂いた命を大事にしていきたい。

 

医者の食べる分

 国の予算で税収60兆円、医療費40兆円という現実を、自分の年収と今回の医療費の支払いを比較すると、まんざらかけ離れた比率でないことを発見した。いかに今まで、医者のために食べていたかを実感した。食べ過ぎるから病気になる。食べ足りないくらいが丁度いいのだ。食を我慢する意思は難しいが、己を生んでくれた両親への感謝の念を起こし、己の使命を考えれば、出来ることである。

 

健康管理

 お金を稼ぐつもりで、健康管理をすれば、無駄な医療費が無くなる。健康であることが、最大の稼ぎである。健康でなければ、お金も貯まらない。人のため、世のためにも貢献できない。自分の使命が達成できない。死んでもいいから(?)、健康であるべきだ。だから私は死ぬ気で(?)、健康管理に取り組んでいる。

 己は何のために生きているのか。単に食べるために生きているのではないことを今回に病気で思い知った。

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馬場恵峰書

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

2019-12-08 久志能幾研究所通信 1419  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年12月 7日 (土)

組織の長の存在意味

 組織の長の存在目的は、その組織の顧客(市民・社員)の創造と維持のために働くことである。

 「経営の目的の正しい定義はただ一つ、顧客の創造と維持である。(ピーター・ドラッカー)

 日本創造学会の「創造」の定義は、「今あるモノの分解・再構築で新しい価値を生む出す」である。

 「発明」は天才が、今までにないものを生み出すこと。しかし凡人の我々は、発明は難しくても、智慧と熱意があれば創造はできる。

 高学歴だけで、知識だけあっても、智慧と熱意のない輩には創造はできない。

 大垣市長の任務は、今ある大垣の資産(人財、財、歴史、都市インフラ、文化、芸術、自然資産、伝統)を再構築して、現代の社会の変化・ニーズに合うように再設計、再構築して、大垣に新しい付加価値を生み出し、大垣の価値を上げ、発展させることである。

 

小川敏の罪

 小川敏は、過去の知識だけで智慧がないから、大垣に新しい付加価値を創造できなかった。この18年間、維持もできなかった。教科書に書いてあるようなお粗末な「大垣市活性化計画」を実行して、PDCAさえ回さないから、「大垣市中心市街地活性化計画」が大失敗して大垣が衰退した。大垣駅前商店街が消滅寸前になった。その間違った行政を18年間も続けるから、その価値を維持するどころか、大垣市は、価値が半分に暴落した。地価はその都市の付加価値を表す最適に指標である。他市はリニア景気で地価が上がっているのだ。岐阜県第二の都市の大垣市が、地価の高さで、県下2番目から5番目の地位に没落したのだ。小川敏の無能政治のためである。

 小川敏は、大垣市の付加価値を上げてくれる未来の人材の一人当たりの教育費を、県下最低レベルに落としてしまった。その資源を自分たちの給与に転用してしまった。大垣市役所の給与は岐阜市を差し置いて県下第一位である。

小川敏は芸術・文化活動に全く理解をせず、資金援助をしないので、大垣の文化活動は衰退してしまった。

 それでいて大垣の未来に何の貢献もしない私製100執念記念行事に3億5千万円も散財して、その会計報告もマル秘にしてしまった。50年前に「灯台方角部」を卒業したのがお笑いである。大学法学部で何を学んだのか。100周年機縁行事で市民税を大散財したのに、翌年の大垣市の地価は下がった。お笑いを通り越して、怒りである。

 小川敏がその職にあること自体が罪なのだ。小川敏が無能だから、大垣市民を不幸に落としているからだ。大垣に新しい付加価値を生めなかったからだ。その維持もでなかったからだ。

 

自分人生有限会社の社長として

 己は「自分人生」の会社の社長として、「自分人生有限会社」に付加価値を上げる実績を残してきただろうか。小川敏を反面教師として自省したい。

 会社では企業戦士として、エリートコースを歩いてきた人に限って、会社の仕事から離れて、第二の人生を歩み始めたら、魂の抜け殻のような老後を送る人が多い。定年後にやることが自分で考えられないのだ。そういう人が、真っ先に認知症になる。

 現代日本では65歳以上の人の15%が認知症である。警察署長や校長先生等が一番認知症になりやすいという。気ばかり使って、頭を使ってこなかったためである。

 

窓際族

 会社時代の管理職として得た智慧は、「辞めさせたい人には、仕事を与えないと、勝手に辞めていく」である。要は対象者を窓際族にすればよいのだ。仕事をどんどん与えると、逆に辞めない。これが会社人事の原則である。

 人生有限会社も同じである。人生でやることが無くなると、此の世ではお呼びでなくなるので、認知症になり、脳死となる。その人は人間社会を辞めるのだ。

 

無職の仕事士と人生窓際族

 私は現在、無職の立場で忙しい。サラリーマン時代は有職であり、会社から金を貰って指示された仕事を期限までにこなせば、後は暇である。しかし、今は無職で、死ぬまでにやりたいことが山済みであるので、やればやるほど、忙しさが増えてしまう。ご先祖から受け継いだ「自分人生有限会社」の付加価値を生み出す仕事が山積みである。そこに、今までの経験と培った智慧の使い道がある。おちおち死んでなんかいられない。出版もせねばならぬ。最近、「大人の玩具」を買ったので、ますます忙しくなった。

 

死というチャンス

 何を人生で残すかを考えると、死というチャンスも楽しくなる。このチャンスは人生で一度だけである。私は他人様よりも有意義なものを世間に残し、有意義な死としたいと頑張っている(?)。「おだ仏教」の社長は己である。己の決断が総てである。長の仕事は決断である。93歳の馬場恵峰先生が、後世に残す作品作りに忙しいのを見ていると、元気になる。師は弟子に命を与える。

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 文責は著者、書は馬場恵峰先生

 

2019-12-07 久志能幾研究所通信 1418  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年12月 2日 (月)

キャピタル・ゲインを求めない生き方

 私は、人モノ金情報の獲得で、下記の生き方を目指している。キャピタル・ゲインを下げ、キャピタル・フローを上げることを意識している。

 

人脈

 情報・交流・行動のフローを上げよ。それが人徳を上げ、人生を豊かにする。人脈をため込んでもダメ。人脈も流れないと腐るだけ。日々のメンテが必要だ。それがフロー(流れ)である。

 

モノ

 モノをため込んでは駄目。土地だってため込んでは、値下がりする。両親が苦労して入手した自宅土地も、土地の値段が半分になった。家の価値は、売るならゼロである。それより快適な住まいにするフローを作った方がよい。豊かな家はモノがなく、すっきりしている。

 美術品にキャピタル・ゲインを求めると火傷をする。日展で特選2回の画家だとの触れ込みで、買う時は50万円の絵が、売る時は3万円である。絵はフローとして楽しむもので、金儲けするモノではない。金儲けは画廊やデパートがする。

 

お金

 キャピタル・ゲインを求める生き方をしてはいけない。キャピタル・フローを上げる取り組みをすること。お金は使えば使うほど、知恵がついてきて、10年後に豊かになれる。お金は経験を得るための費用なのだ。それをケチり貯め込むから、考えが貧しくなり、不潔なご縁が付いてくる。

 

時間

 時間は貯められない。キャピタル・ゲインがない最たるもの。流れゆく時間を大切にすれば、キャピタル・フローが最大になり、人生が豊かになる。

 

健康

 体のキャピタル・フローを上げる生活をせよ。キャピタル・ゲインとして脂肪を貯め込む生活をするから肥満になり、病気になる。小欲、少食、よく歩く。当たりまえの生活をしないから、病気になる。ドカ食い、大食いはキャピタル・ゲインを上げる事。それは死を意味する。

 

ご縁

 ご縁にキャピタル・ゲインはない。日々、陰徳を積み、運気のフローを良くすることに心がける。運気のキャピタル・ゲインを貯めることは考えてはいけない。運気のキャピタル・ゲインを上げるとは、施した徳を恩着せがましくすること。それをいつまでも覚えていること。それが顔に出て、結果として運気を下げる。

P1060653s   馬場恵峰書

 

注:キャピタル・ゲイン(capital gain)とは債券や株式、不動産など資産価値の上昇による利益。購入価格と売却価格の差による収益である。価格が下がって損をする場合はキャピタル・ロス(capital loss)と呼ぶ。

 

2019-12-02 久志能幾研究所通信 1414  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。