自分は仕事以外に何が出来るのか?
会社を定年になり、会社を離れて自分は仕事以外に何が出来るのかを、自身に問うべきである。だから第二の人生で何が出来るのかを、会社に勤めている間に道を探すべきなのだ。会社に勤めている間に、その道を歩く準備に一日の時間の1割を割いて学ぶべきだ。そうしないと、定年後、やることがなく認知症になり、早く死ぬ。
仕事は生活の糧である。それを卒業した後が、本当の人生なのだ。家のローンも終わり、子育ても終り、これからが人生の収穫期である。それなのに、やることがないなんて、惨めすぎる。それは社畜の人生だ。
第二の人生でやることが、魂の糧となる。己は会社生活38年間で、何をするために生まれてきたかを、悟るべきだ。
利己主義の弊害
下手でもいい、何かを取り組むべき。最初は下手で当たり前。字書き恥かきというように、恥をかかないから、何事もうまくいかない。
身の回りで問題があっても「言わぬが花」と黙っている人は、保身主義者である。自分が可愛いのだ。自分が傷つきたくないのだ。それは今まで世間様から育ててもらった御恩を忘れた畜生の行為である。
「学びしことを人に教えざるは、借金をして返さざるが如し」と福沢諭吉翁は説いた。今まで多くのことを人から学んできた。そのお陰で智慧ある年長者に成長したのだから、それを人に教えないと、知識泥棒になってしまう。教えないから、認知症になる。「俺には関係ない」と利己主義を出すから、認知症になる。日本では、65歳以上の15%は認知症である。グローバル経済主義の氾濫で利己主義者が増えたのも原因の一つである。
人に教える
情報とは情けの知らせである。それを自分の頭の中で、その流れを止めるから、頭の中で腐ってくる。溜めずに、人に話してその考えを流すから新しい発想や別の情報が入り、生まれてくる。
それはお金も同じである。お金は財産ではない。経験を得るための回数券なのだ。それを溜めるから、有効期限切れになって腐る。若い時に使うべき経験のチャンスは、年老いてからでは有効期限切れで使えない。私も若いときにやっておくべきことが出来ず、後悔してことが多々ある。お金を世間に流せば、利子をつけて帰ってくる。その利子とは経験から生まれる智慧である。
馬場恵峰先生は、自費で240回以上も中国に旅された。その経費は約7千万円で、お金は消えたが、それから得た智慧は頭の中に残っている。得たご縁は限りない。明日(12月13日)から、馬場恵峰先生は最後の中国旅行をされるが、それは人生最後のお別れの挨拶回りという。体力的に今回が最後の旅行になるという。何ごとも永遠に続くわけではない。
宗教の教え
会社生活でしみ込んだ自己中心主義を止めないと、定年後の第二の人生は寂しいものになる。仏教もキリスト教も、「自己中心主義を止めなさい」が基本の教えである。欧米の企業が害毒を振りまいたグローバル経済主義、拝金主義、利己主義が日本人の心を破壊している。宗教はそれとは反対の教えである。
己の第二の人生で、人を祈る気持ちがないと、神仏の加護はない。今の成果主義、利己主義の権現のままでは、社会に受け入れてもらえない。
学び
何のために学ぶかというと、己の感性を高めるためである。感性とは教養の事。それは学習しないと身に付かない。そのために「温故知新」、「温故創新」が必用だ。生涯かけて知識を学び知恵を磨くのだ。
以上は2019年12月12日、「生き活き教養塾」で馬場恵峰先生が講義した内容を元に記述しました。
2019-12-21 久志能幾研究所通信 1430 小田泰仙
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