c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2021年2月11日 (木)

大垣の南北戦争、スカーレットを演ず(磨墨知130)

 

Gone With the Wind

 I’ll think of it all tomorrow, at Tara. I can stand it then.

  Tomorrow, I’ll think of some way to get him back, After all.

  Tomorrow is another day.

   マーガレット・ミッチェル著『風と共に去りぬ』より

 

 過ぎた事を悔やんでも時間はもどってこない。未来は変えられないが、過去の解釈を変えれば、未来を変えることが出来る。過去の困難な試練は、自分を鍛えてくれた修行の期間であった。それがあったから、自分は成長できた。

 再度、自分の愛する熱情を取り戻すために、決意を持って考えよう。信念を持って実行すれば、悔いは残らない。明日は明日の風が吹く。信念をもってやったから、明日には新しい風が吹く。一つの時代が終わった。過去の負の時代は、一つの時代が去るように、風と共に去っていく。

 具体的に動いたから、具体的な答えが出た。

 だからこそ、次の目標に向かって、明日からではなく、今から明日の風を吹かせる行動を起こそう。人生二度なし、一路挑戦一生青春。明日の風は、自分が取り組む挑戦から生まれる。

 

タラに吹く風

 休みたまえ、休んだ大地からは豊かな収穫を得る。身をのどかにして、心を安んじ、夢を養おう。良き休息から、新しい発想と勇気が生まれる。

 体を労わり、生涯現役を目指そう。貴方のタラは何処? 故郷が貴方に癒しの時間をくれる。

 

大垣の南北戦争

 2021年2月10日、大垣市長の小川敏が、次期市長選への不出場を表明した。これで大垣の南北戦争が終りを告げた。米国の南北戦争は、奴隷解放という時代の流れを錦の御旗として戦った。Gone With the Windは、南北戦争で当時絶頂にあった米国南部白人たちの貴族文化社会が消え、風のように「去った」ことを意味する。

 大垣の南北戦争は、古い政治に対して、正論の「大垣を良くする階」との闘いであった。その議論の最前線は、古典的で利権的な政治の横行に対して、一段階の上の道徳・倫理上での問いかけであった。また危機管理と経済政策の是非を問うた。

 その闘いは、小川敏の引退で「子人(ことな)の政治」から「大人の政治」への脱皮が始り、大垣の古い政治は、Gone With the Wind である。古い政治屋が、利権を貪れた古き良き時代は、風と共に去りぬ。大垣の20年間に及ぶ暗い冬の時代が終わり、大垣の再生が始る。米国が南北戦争後に大発展したように、今後の大垣の発展が期待される。

 時を同じくして、東京でも古い政治屋の森喜朗会長が、時代錯誤の冷話惨念ドタバタ劇を演じている。

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2021-02-11 久志能幾研究所通信 1918  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月10日 (水)

思い上がろう。傲慢ではダメ (磨墨知133)

 

 物事を短時間に達成するとは時間を創ること。人間、思い上がらずして物事は成しえない。思い上がって時間を創ろう。才ある者は思いがあってこそ、その力を十二分に発揮できる。膂力ある者は、わが力優れり思えばこそ胆の底から力が沸き上がってくる。思いあがるには、自分がまだまだ力不足だと自覚しての行動である。晴れ舞台で、一歩間違えれば、奈落の底に落ちることを意識しての思い上がりである。謙虚の上の思い上がりである。

 それに対して、傲慢とは、高ぶって人をあなどり見下す態度である。そこには謙虚さはない。

 

モデルは自分が美しいと思う

 モデルは自分が美しいと思えばこそ、カメラの前やファッションショーの舞台で美しく振る舞い、美くしさが増し、商品としての価値が輝く。

 「私はダメなのよ」と思っていたら、顔と態度にそれが出る。それでは、誰も振り向かない。仕事の出来も芳しいくない。その負の感情の乱れが、脳にブレーキをかける。嘘でもいいから、「私はすごい」と思いあがって仕事をしよう。最初に騙す相手は、自分の脳である。自分の脳を褒め殺しにして騙そう。人を褒め殺しにするのは難しいが、自分自身ならできるはず。自分自身内のもう一人の主人公をおだてて、誰にもできない改革を実現しよう。

 

傲慢行政の例

 しかし思い上がりと、傲慢は違う。逆の状況で立場を例えれば、有名大学を出れば、何事もできて当然と胡坐をかいてしまう。それでは何事も人を見下して物事を進めるので、思いあがらなくても、ことが済んでしまう。だから自己改革という努力をしない。

 エリートは、有名大学を出た50年前の学校成績は良かったが、減点主義に染まった考えのため、思い上がる必要もなく、現状を改革しようという気になれない。エリートは挑戦、変革をしてはダメなのだ。自分の立場が危なくなるからだ。何も事を荒立てなくても、エリートとして崇められているので、現状維持で通せば、自分も安泰、組織も安泰になる。

 しかし昔と違って世の中は激変して進歩している。多くの都市は経済成長している。だから、現状維持では、その都市は相対的に衰退である。だから傲慢行政では没落である。それは公示地価の下落で現れる。20年間で半値以下に暴落させた例もある。公示地価は神の如くの市場の評価である。公示地価は市の行政を評価した通信簿である。

 

歴史の教訓

 歴史的に日本が発展したのは、危機状態や転機の時代であった。その時は、エリートではなく、アウトサイダー的人材が活躍した。明治維新、太平洋戦争の敗戦後、バブル崩壊後の失われた20年間、その激動の時代は、有名大学出のエリートは型に囚われた考えしかできないので、何もできなかった。日本を戦争に導いたのは、硬直した考えに凝り固まった陸軍大学出のエリート達であった。

 バブル崩壊後の失われた20年間を作ったのは財務省東大出のエリート達である。デフレに陥った経済を財政投資で浮揚させるべきなのに、それを緊縮財政にして、金融政策だけに固執して、ますます景気を悪化させた。それも20年間も続ければ、日本が没落して同然である。今回も増税で益々景気を悪くさせている。彼らには古典の経済学しか頭にないのだ。己の利権確保しか考えが及ばない。

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  2018年4月17日 壽年式-ファッションショーにて(大垣城ホールで)

P1140341s  馬場恵峰書

2021-02-10 久志能幾研究所通信 1917  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月 9日 (火)

神の逆襲に対して、愚直に思考錯誤 (磨墨知637)

 

 考える行為も人生の生産活動である。試行錯誤するより、その前に思考錯誤して熟慮した方が、時間節約になる。頭の汗をかくことは重労働である。それを放棄するから、人生で時間を無駄にする。

 考えたうえでの行動なら、失敗でも納得できる。それが智慧となる。

 

ダーウィンの法則

 愚かな人間が試行錯誤を繰り返すが、神の手は、一瞬で問題提起と解決を示す。例えば、種が増えすぎ食料が不足すると、神は天災で種を襲い、その種の抵抗力を試す。抵抗力がなければ自然界から淘汰させる。それでその環境に適応した種だけが生き延びる。それこそが、天(神)が示した問題提起とその冷酷な解決方法である。その試練で強いものが生き延びるのではなく、環境に一番適応した種が生き延びる。

 

飽食で免疫力低下?

 今回の新型コロナ禍でも、免疫力が低下していた欧米人が襲われる事態となった。飽食に起因する肥満、疾患に侵された高齢者が標的にされた(推定)。欧米人は、日本人やアジア人と比較して、飽食で肥満になっており、それがウイルスに対する免疫力を低下させたと推定される。日本人の新型コロナの感染率、死亡率は、欧米の1/50~1/100である。

 各国の肥満率と新型コロナでの感染者数、死亡者数には相関関係があるようだ。応力は弱いところに集中する。自然界の理である。要は、欧米人は他の種を食べ過ぎた。天の理に反した狂った食生活を送ってきた。動物の一種である人間が、傲慢になり「理」に合わない生活をした、であった。要は「無理」をした。新型コロナは自然界(天、神)の逆襲である。昔に猛威を振るったペスト、天然痘でも、それが自然の淘汰であった。それでも生き延びた種が今の時代を作った。

 

各国の肥満率

 米国  33.8%

 英国  24.0

 日本   3.9

   OECD Update2012

 

先見の明

 思考錯誤で、考えて考えても答えが見つからなくても、考える行為が人よりも先見の明(智慧)を天は与えてくれる。その答えは天(自然界、時間経過)が示してくれる。せめて、天が答えを教えてくれる前に、人よりも、考えて考えて、時流よりも先んずべし。そうすれば儲かりまっせ。

 人と同じことをしていて、儲かるわけがない。

 拝金主義で暴走して繁栄できるわけがない。

 酒を飲み、飽食をして健康になれるわけがない。

 目に見えない神仏を軽視して幸せになれるわけがない。

 

豊田綱領に曰く

1 上下一致 至誠業務に服し 産業報国の実を挙ぐべし

2 研究と創造に心を致し 常に時流に先んずべし

3 華美を戒め 質実剛健たるべし

5 神仏を尊崇し 報恩感謝の生活を為すべし

 

 下記は神の手に比べて、愚かな私の思考工程である。愚かでも、人生でやり直しの無駄時間を少しでも無くす試みである。

 

1 問題は何かを考える。

   問題と課題を混同しない。

   火事の発生は問題。火事を起こさない体制作りが課題。

   新型コロナ発生は問題。感染爆発が起きない体制作りが課題。

   「いかに生活の糧を得るか」は問題。「如何に死ぬか」が課題。

   自然現象と宇宙の理に合わせて考える。

2 その答えは何かを考える。

   問題の答えと、課題の答えは違う。

   自然界の中に答えがある。

3 その原因(真因)を考える。

   当面の対処療法と根本対策を考える。

   高血圧症に対して降圧剤は対処療法。

   血管内のプラークを減らす取り組みが根本治療。

4 自分の実力で正解を出せるか、無理かを考える。

5 考える時間は3時間を上限として、答えが出なければ保留とする。

  3時間とは、午前中の頭脳労働時間である。3時間考えて分からないことは、一週間考えても答えは出ない。考えても出来ないことをいくら考えても時間の無駄。

時間経過が、答えを出してくれる場合があるので保留。

  当面、根本対策でなくても、一番無難な方法で対処する。

  後日、真因を突き止め、根本対策をする。

 

例えば、「死後の世界は有りな、無しや」を考える。

 この問題の答えは、一日考えても答えが出ない。一生かかっても出ない。自分の能力では答えが出せないことが分かればそれでよい。これは有史2000年間の永遠のテーマである。多くの宗教家が百花繚乱で持論を展開した。それでも未だその答えは分からない。

 そういう場合は、自分なりに何方かに答えを決め打ちして、それに基づいて今を最大に生きる。神仏を信じても、無神論で通しても構わない。今を最大に生きていれば、何らかの答えをサムシンググレートが啓示してくれる。具体的に生きれば、具体的な答えを得る。それが一番無難な方法である。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」

    久志能幾研究所刊

2021-02-09   久志能幾研究所通信 1916  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月 8日 (月)

今ここ  師との死別(磨墨知128)

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。波間に浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくのごとし。」 方丈記

 だからこそ、今に全力を投入しよう。「そのうち」などは永遠に来ない。それは死後(死語)の世界。「今のうち」しか時間はない。

 惜寸陰歳月不待人、時は人を待ってはくれない。

 

視力の喪失

 還暦を過ぎて国家資格の受験勉強中に、白内障と網膜はく離を患った。2週間ほど左目が失明状態に陥り、今まで見えて当たり前の世界から、見えない世界に追い込まれて、つくづくと今が大切、今のうちしか時間がないと思い知らされた。勉強ができるのも目が見えるうち。生きているうちである。そのうちにやろうと思っても、やれるのは「目の見える今のうち」である。愚かな人間は失って初めてその価値に気づくもの。

 

師力との別れ

 馬場恵峰先生の書の撮影のため、毎月九州に飛んで写真を撮影していたが、新型コロナ禍が広がり、緊急事態宣言が発令され、しばらく静観だとして大垣で息を潜めていた。ところが2020年11月、先生が体調を崩されたとの連絡を受けた。

 胸騒ぎを覚えて、すぐ九州に飛んだ。状況を見て、先生に会えるのも今しかないと思い、11月、12月に一泊2日で計4回も九州に飛んだ。それが正解であった。先生宅に滞在中の8日間に、先生とまともにお話が出来たのは2回だけであった。

 病床の先生は私の手を握り、涙を流して喜こばれた。先生が涙を流すのに接したのは、この15年間で初めてであった。

 

死力の出会い

 恵峰先生は、2021年1月1日22時38分に静かに息を引き取られた。93年間と8ケ月の大往生である。私を育てて頂いた師との別れである。出会いがあるから、別れがある。別れは悲しいが、先生との出会いが、宝物のような出会いであったことに感謝である。

 死があるから生がある。その死を厭うのではなく、願うのではなく、悲しむのでなく、生老病死の流れとして受け止めたい「行く時は別れ別れに違えども、流れは同じ蓮の台(うてな)に」と仏教の古歌にあるように、最後は一つの大きな流れに帰っていき、何時かはまた会えると信じている。それを信じる力が死力である。死力とは、師の教えを活かして明日を切り開く力なのだ。

 

死の気配

 12月6日に明徳塾の10人程の塾生が遠方から見舞いに来たが、その時は先生の意識がなく、先生とお話しができなかった。彼らは当初のОB会日程に合わせて来たきたのであって、先生の容態が悪くなったのを聞いて、直ぐ飛んできたわけではない。それで先生とお話ができなかったのは、本気がなかったためだ。彼らには「惜寸陰歳月不待人」を認識がなかった。師の死の気配を推察できなかった。

 12月21日、先生の意識が珍しくはっきりしていた。私は間違えてО氏に電話をかけたら、氏はその状況を聞いて遠路2時間の道のりを車で飛んできた。私は、電話の2時間後に突然現れたО氏にビックリであった。それでО氏は恵峰先生と抱き合って涙を流して最後の別れをすることが出来た。

 相手のことを思っている熱量で、人生の出会いが決まることを教えられた。私は先生から最後の良き教えを頂いた。

 

師の最期の教え

 先生は体調を崩されて1か月程は寝込まれたが、その前の11月までは元気一杯で仕事をされていた。先生が日頃言われているように、「生涯現役、生涯自己挑戦」の理想的な生き方であった。それが恵峰先生の後姿の教えであった。

 

「今ここ」の死

 今ここは永遠の生であり死である。寸前の「今ここ」は過去の頁となった。その「今」は二度と巡ってこない。その「今」が連綿と続いて己の人生となる。だからこそ「今」を大事にしたい。

 

今ここ

 恵峰先生から、毎回の「今しかない。後からはない」との教えを、今回の恵峰先生との別れで生かせることが出来た。

 恵峰先生に知人から依頼された書の揮毫をお願いすると、いつもその場で「今から書きましょう」と揮毫された。曰く「今日、小田さんがこの書を持って帰れば、後で送るより、この書の依頼人がもっと喜ぶはずだ。」である。私もその教えを実践している。

1  馬場恵峰書  2011年

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2021-02-08   久志能幾研究所通信 1915  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月 7日 (日)

本気 (磨墨知120)

 

「本気ですれば大抵のことはできる。本気ですれば何でも面白い。本気ですれば誰かが助けてくれる。人を幸福にするために本気で働いている者は、みんな幸せでみんな偉い。」(出典不明)

 本気が時間の経つことを忘れさせてくる。時間が気になるのは、本気でないからだ

 

 夢が実現しないのは、本気でないからだ。本気であれば、夢を実現させるために、自然と足がその方向に動く。足こそが、本気さを表している。本気でないと、足が動かない。おカネも動かない。だから、おカネを「お足」という。本気でおカネをかければ、成就しないものはない。お金は後からついてくる。先に金を求めるから、夢が実現しない。おカネだって魂があり、プライドがある。

 

 勉強ができないのは、本気で学問に取り組んでいなかったからだ。その基礎ができていないのに、人生という建物を作っても、基礎ができていないから、人生という建物が崩れる。

 

 商売やギャンブル、投資で儲からないのは、本気で基礎を勉強してないからだ。遊びでやって、儲かるはずがない。そんな態度では違法スレスレで、騙してでも儲けたいと思っている強欲者に勝てるわけがない。

 

 病気になるのも、自分の体を本気で大事にしていないからだ。己を病気にさせる相手は、上司から成果主義で攻め立てられて、あの手この手で、美味しいものをカモに売りつける。しかし美味しいものには毒がある。その誘惑に負けた者が病気になる。酒、煙草、スィーツ、グルメ番組、痴呆番組等である。痴呆番組に浸ると認知症である。

 

 子供の教育に失敗するのも、本気で子供と向き合っていなかったためだ。女優の三田佳子のように、「子供には月60万円のお小遣いをあげているから不良などになるわけがない」という親がいるから、情けない。

 元鳩山首相の母親が、”お小遣い”として、月1500万円も鳩山首相に出していたので、日本の政治はぐちゃぐちゃになった。一国の首相の行動が国の姿勢をきめる。母親は本気で子供の教育をしてこなかったのだ。だからあんな人格が出来上がった。

 

 交通事故に遭うのも、本気で「極楽運転道」ルールを守っていないからだ。車を安易に走らせると、車は走る凶器に変貌する。走った距離に比例して、事故が発生する。用もないのに車を走らせるから事故になる。本気で人生を考えていないからだ。

 

 詐欺に遭うのも、楽をして利益を得たいと願うからだ。本気で物事を観ていないからだ。此の世でうまい話などない。詐欺は些細な事象を見るだけで発見できる。

 新興宗教に騙されるのも、安易な方法で、苦労せず幸せになりたいと思うからだ。本気で幸せになりたいと思っていないからだ。本気で人生を歩いていないからだ。安易に新興宗教に嵌るから、絞首台を登らねばならなくなる。

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 馬場恵峰書  2006年

 

2021-02-07   久志能幾研究所通信 1914  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月 6日 (土)

明日死ぬ気配を隠して.. (磨墨知123)

 明日死ぬる気配も見せず蝉の声(芭蕉)

 

 今を精一杯生きているからこそ、蝉の鳴く声に生命力を感ずる。明日の命は分からない。今やるべきことをなせ。交通事故、天災、新型コロナ禍で、明日がどうなるかも分からない世の中だ。

 

明日は死

 生は偶然だが、死は必然である。人間は、いくら頑張ってもせいぜい100年しか生きられない。人間の寿命には物理的限界があり、120歳が限界である。しかしその途中で病魔、事故が人を襲う。だからこそ、必ず訪れる死の準備をしておこう。残された人が困らないようにしておこう。

 

 日本では、交通事故で2,839人(2020年)が死ぬ。

  1970年代の交通戦争時は死者数1万人を超えた。

  それこそ死後の準備もあったものではない。

 新型コロナに罹り突然に3,600人(2020年)が死ぬ。

  ある日、ICU室に隔離されたら、なす術もない。

 インフルエンザで毎年1万人が死ぬ。

 お風呂で年間2万人が死ぬ。

 自殺で2万人が死ぬ。一時は3万人を超えていた。

 誤嚥性肺炎で4万人が死ぬ。

 心疾患で204,387人(2017)が死ぬ。

  そのうち37,222人(2015年)が急性心筋梗塞で死ぬ。

  その即死同然の死が、この20年間で2倍に急増している。

 癌で373,584人(2018年)が死ぬ。

  それでも癌は死ぬまでに時間があり、準備ができる。

  今は日本人の2人に一人が癌になる時代である。

 老衰で死ねる幸せな人はたった101,000人(2017年)。約1割である。

 

 死は他人ごとではない。最近は、知人から便りがないと思っていたら、新型コロナで亡くなっていたという話が多い。

1   馬場恵峰書

 

余命宣告

 私も河村義子先生の葬儀後に、胸騒ぎを覚えて検診を受けたら癌が発見された。その癌の5年後生存率が51%である。同じ病気の人は、5年後に半分が死ぬ確率で、余命2.5年の宣告と同じである。だから私は残された時間を大事にしている。時間は命なのだ。

 河村義子先生は病魔に襲われ余命5年と宣告され、手術をするとピアニストとして生きられないと分かると手術を拒否して、ピアニストとして音楽道を全力で生きる道を選択された。私には死ぬ気配も見せなかった。だから義子先生の突然の訃報に茫然自失である。

 

天寿

 馬場恵峰先生も、突然に体調を崩され93歳と8か月の人生を終えられた。先生もまだ死ぬことは想定していなかったようで、11月まで元気一杯であった。私も書友の多くは、先生は100歳まで現役だと思っていた。先生には死ぬ気配などどこにもなかった。昨年に奥様が亡くなられたのが応えたようだ。

 それでも馬場恵峰先生は、93歳まで超人的な活躍を継続されたので、うらやましい天寿である。私もそれを目指して頑張りたい。

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 2020年3月15日 馬場恵峰先生の元気な姿

 これ以降、新型コロナ禍が急速に広まり、私は九州の先生宅に行きたくても行けなくなった。これは私が撮影できた元気な恵峰先生の最後の写真

 

余命宣告からの生き方

 人生で余命20年も5年も、人生の長さから言えば、誤差範囲である。余命1ヶ月なら、金を使いまくり毎日楽しく過ごせばよい。しかし1年以上も余命があるなら、一仕事が出来る。また娯楽に溺れた生き方は、1か月間もそんな生活を続けると、まともな神経ならそれが逆に精神的苦痛になる。だから多くの人は命をかけて世に残す仕事に全力をかける。

 

有限の時間

 多くの人は、時間などいくらでもあると思って時間を無駄して生きている。しかし、今日が人生最期の日かもしれないのだ。余命を意識して一日一日を大事に生きている者から見ると、他人は不死の者でのように振舞っている。しかし、いくら頑張っても後50年は生きられない。だからこそ私は無為に生き永らえるよりも、限りある命を輝かせて、今を全力で生きるのだと覚悟して生きている。

 

時間の伝教師

 私は見送られるよりも、知人を見送ってあげたい。だから私は時間の大切さを「時間創出1001の磨墨知」で皆さんに伝教している。時間は命なのだ。命とは、此の世で使える時間の長さなのだ。

 

2021-02-05   久志能幾研究所通信 1913 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年2月 3日 (水)

前後裁断  (磨墨知122)

 

「過ぎ去れることを追うなかれ。今だ来たらずを思うなかれ。過去は既に捨てられたり。未来そは、到らざるなり。されば、ただ今あるところのものをその所に於いて観察すべし。ただ今、正になすべきことをなせ」 平家物語

 

 「いま」、「ここ」に全力で生きると時間が輝く。昨日は二度と帰らぬ過去のこと。明日は遠~い未来のこと。明日があると誰が保証するのか。今は新型コロナに襲われるやも知れぬ末世だ。今こそが、勝負の時だ。「いつか」、「今度に」などは、痴れ者の言葉。それは言い訳の言葉である。それが実現したためしがない。

 

 「今忙しいので、今度、時間が出来たら、書道を教えてもらいに来ます」「いつか先生の書道教室に参加します」と恵峰先生の知人がいつも言っていた。忙しい忙しいと言いながら、その人の車が、パチンコ店の前に停まっていたのを恵峰先生はたびたび目にした。いつしか、その人の家に忌中の札が貼られた。とは、恵峰先生の講義でのお話しであった。

 

前後裁断

 あれほど元気であった恵峰先生も、わずか一ヶ月ほどで、病状が急変して、この正月に逝去された。九州からの連絡で、胸騒ぎを覚えて、このコロナ禍の中、2020年11月と12月に1泊2日で4回、九州に飛び、恵峰先生宅に最後の面会に行った。

 8回お見舞いをしても、恵峰先生とまともな会話ができたのはわずか2回であった。遠方から恵峰先生の見舞いに来た仲間も多くいたが、先生の意識がなく、先生と会話もできず帰った仲間も多い。

 それに比べれば私は幸せだ。前後裁断、意を決して、九州に飛んでよかったと思う。そうでなければ、一生の悔いが残った。今しかなかったのだ。

 新型コロナ禍の中、感染の危険を避けるため、全てグリーン車を使い、何処にも寄らなかった。新型コロナの影響で、グリーン車はほぼ貸し切り状態で、乗客2,3人である。旅費、宿泊費の総額費用は膨大になった。

 そんなことを言っている場合ではない。私は、そのために日頃の節約をしている。お金を使う時に使わないから、人生の価値が棄損する。

 何時お金を使うのか、「今」でしょう。歳月人を待たず。「ただいま、正になすべきことをなせ」である。

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 馬場恵峰書  2017年

 

2021-02-03   久志能幾研究所通信 1909  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月 1日 (月)

写経とは人生を考える修行  苦集滅道

 

 次頁2つの軸は、60軸中でも圧巻の軸である。下地は絹のため、ゆっくり書いては墨が滲んでしまう。速く書けば墨が掠れてしまう。一定の速度で心を整えて書かなければならない。梵字もヘラのような筆で書く。

 写経は一日に1行で良いから、その意味を考えながら、書くと良い。写経とは人生を考えること。そう恵峰師は説かれる。師は今までに15,000字の経を書かれた(2015年当時で)。

 般若心経とは、玄奘三蔵が万巻の経を276文字に集大成した経である。人が生きていくための真理の言葉である。万巻のお経の核言を集めたと言える。玄奘三蔵が629年に国禁を犯して、陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行った。玄奘三蔵は16年後の645年に経典657部や仏像などを持って帰還した。その苦難苦行で獲得した真理が般若心経に詰まっている。

 

苦集滅道

 般若心経の中央にかかれた真髄の言葉が「苦集滅道」である。この世に「苦」があるが、それは苦しい思いをして、母のお腹の中からこの世に生まれてきたからである。何事も楽をして物事は生まれない。生を受けて、楽を求めて生きている間に、いつしか「苦」の因を「集」めてしまう。

 それを「滅」しようと、神社のお札を貼り、お布施をし、祈願しても「苦」は「滅」しはしない。それではショートカットである。ショートカットでは、人生でやるべき修行を放棄することだ。

 今までの狂った生活で、その「苦」の原因を「集」めてしまったのだあ。それを無くすには、正しい道(正八道)の修行で、人が人になる訓練が必要である。道を外れた人に教えを与えるには、「時間」を選び、「時(季節)」を選び、「国(場所))を選び、「順序」を選ばなければなるまい。

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2  馬場恵峰書

 

2021-02-01 久志能幾研究所通信 1907  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月31日 (日)

上昇指令と逆噴射を同時では墜落 (磨墨知137a)

 

 「ボケイング(ボケing)」とは、「ボケ」の現在進行形(ing)形である。

 人は愚かな存在だ。啓発セミナーに参加して刺激を受け、自分を変えようとアクセルを一杯に踏むが、内なるもう一人の主人公がブレーキをかける。

「やめとけ、ヤメとけ。そんなこと無理、無駄。笑い者になるだけ」

 それに納得して、やろうとした改革に逆噴射していたのが、今までの己である。

 乗っているのが自転車なら、その場で止まっているだけで、お笑い劇場で済む。しかし人生でそれをやれば、人生沈没である。それで失恋、左遷、挫折である。飛行機の離陸で逆噴射をかければ、墜落である。

 それこそ優柔不断、ホバリング(ボケイング)である。要は認知症一歩手前である。

 

経営のアクセルとブレーキ

 経営者が会社経営で、スロットレバーを引きながら逆噴射をかければ、会社が倒産してしまう。

 日産は、ゴーンが会社立て直しのためとしてリストラのスロットレバーを全開にしたが、未来への投資にはブレーキをかけた。その裏では、ゴーンはお手盛りの贅沢三昧をしていた。

 世の中は急速に変化している。グローバル経済競争の世界では、現状維持で投資削減では、現状維持さえむつかしい。それは敵前逃亡で、負け戦なのだ。日産は、将来への投資をケチったため、その後、魅力ある新車を市場に投入できなかった。だから日産は沈没した。日産はゆでガエルのように、少しずつ茹で上がっていった。その過ちが露見するのに、20年の歳月を要した。ゴーン・チルドレンも甘い汁を吸っていたためだ。

 私の前職の会社も、学閥優先の決断できない経営者がのさばっていたので、スロットレバーを引きながら逆噴射をかけるという経営であった。市場の変化に対応した必要な技術投資が出来ず、ジリ貧になり創業60余年で市場からその名が消えた。世間にはそんな事例がゴロゴロしている。

 

人生の岐路

 自分の人生を振り返っても、人生の岐路での選択で、アクセルとブレーキを同時に踏み込む過ちを繰り返していないか、見直そう。20年後にその間違いに気が付いても、その時は手遅れである。日産のように。

 

実践至道

 自分の内なる声が2つもあるとき、何方を信ずるかは、直観に順う勇気を持とう。命は刻々と尽きていく。世の中は激変している。今からでも遅くない。命が尽きる前に、一歩前に出よう。己のボケイングに気付いた時に、何か新しいことに挑戦・実践すべきだ。何かを実践すれば、なんらかの答えを世間は示してくれる。

P10500021s  馬場恵峰書 2008年

 

2021-01-31 久志能幾研究所通信 1906  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年1月30日 (土)

スロットルレバーを引こう  (磨墨知137)

 

 飛行機は離陸しないことには目的地に着けない。目的地に達するために、まず離陸に、集中的にエネルギーと時間を使おう。最初の熱き決意がないから、反対勢力に潰される。

 新しいプロジェクトを立ち上げるには、通常の20倍のエネルギーがいることを覚悟すれば、どんな苦難にも耐えられる。その覚悟がないから、些細な障害で挫折する。

 

「創業期(新しい仕事)には、平常業務の20倍のエネルギーがいる」

     テンポスバスターズ社長 森下篤史

 

外科医は手術中に電話に出ない

 人生を成功するためには、脇目も振らず、一つのことに全精力を注力する。一時一心一念道、人生二度なしである。スロットレバーに命をかける。なにせスロットレバーを引いている時は、人生で一番不安定な時なのだ。

 外科医は、癌の手術中に携帯電話には出ない。目の前の手術に全力投球である。パイロットは離陸中にコンビニに寄らない。寄れば墜落だ。

 この当たり前のことが出来ない人が多い。目的を持って出発したのに、なぜ途中で寄り道をするのか。

 

魂と魂の出会い

 友と話していれば、それが己の人生で今、一番大事なご縁の出会いである。友と会話することは、友を己の鏡として、己の癌になる寸前の部位を摘出手術しているのだ。出会いとは、魂と魂の出会いだ。ご縁は一期一会、その時は、二度と来ない。人が人生の成功をもたらしてくれる。

 その大事なお話し中に、勝手に割り込んでくる携帯電話に何故出るか? その電話が話(人生)の腰を折るのだ。そんな無礼な電話には、あとから電話をすればよい。着信履歴があるではないか。その些細な行動が、信用を失なわせる。信用とは、蓄財の基礎である。信用を失っては、金持ちにはなれない。

 

目の前のお客を無視

 8年程前、自宅で、リフォーム工事で耐震補強設計の打ち合わせ中に、その設計事務所の社長に携帯電話がかかってきた。電話相手が「今いいですか?」と聞いたが、その社長は「いいですよ」と答えて会話を始めた。私はその社長に「帰れ」と怒鳴って、会議を打ち切り、耐震補強設計の依頼をキャンセルした。人を馬鹿にするにもほどがある。その業者は、私より電話口の客の方が大事だとボディランゲージで示したのだ。その後の仕事での不誠実さが予想されたので、キャンセルが正解である。縁なき衆生は度し難し。

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Dsc089821s  馬場恵峰書

2021-01-30 久志能幾研究所通信 1905  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。