c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2021年2月26日 (金)

自分の部署に全力投球 (磨墨知139)

 

今の部署のことが出来てきないのに、他のことを考えるなんて!

不義理でもいい、まず自分の部署のことを完璧にこなそう。

自分の部署で出来てないことを他人に押しつける人とは不義理でいい。

八方美人になって両方の目的を潰さないようにしよう。

言い訳していると、自分の責任ではないと考えて、時間が浪費される。

 

自営業なら、その仕事に全力投球しよう。

今が悠々自適の定年後の生活なら、今の人生を充実させるために、生き方に全力投球をしよう。お世話になった社会に恩返しをしよう。公園の草取りでも、水路の掃除でもそれが社会への恩返しだ。もう最期までの時間がないのだ。

「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」にならないようにしよう。

 

今、採用試験を受けたら、今の会社は自分を雇ってくれるだろうか?

自営業なら、自分を自分が社長の自分は、己を雇うだろうか?

 

今が悠々自適の定年後の生活なら、奥さんや子息、知人が我が人生の監督者である。他人の批判の声に真摯に向き合おう。

今のままの生き方で良いのか、自問しよう。あと何回、親と会えるのだ。後何回、孫と会えるのか。70歳なら平均寿命80歳として、孫ならあと10回しか会えないかもしれない。自分の親が遠方に住んでいるなら、後数回しか会えないかもしれない。残り時間が命である。

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2021-02-26  久志能幾研究所通信 1932  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年2月25日 (木)

時間節約とは勤勉の汗を流すこと (磨墨知144)

 

 若いころ勤勉の汗を流さなかったツケは、年老いて足腰の弱りとして涙を流す時間として帰ってくる。自分の足で動けないほど、自分の時間を無駄にする事象はない。自分が撒いた怠惰に対する天罰である。

 

 馬場恵峰先生は、93歳まで毎日の朝夕の2回、300坪の庭の掃除を欠かさなかった。だから広い庭に雑草が全くと言っていいほど、生えていない。ついでに隣の敷地の一部まで掃除をされていた。それが体を動かすことで、健康にもつながった。先生が昨年末に倒れられて1か月程は、それが出来なかっただけである。だから93歳と7か月までは現役であった。

 

 トヨタが世界一の自動車メーカになったのは、トヨタ生産方式の5S(整理整頓清潔清掃)を徹底したためである。トヨタは頭と体の汗をかいて、世界一になった。マネーロンダリングで稼いだわけではない。

 日産のゴーンは、必要以上に従業員の首を切り、先人が蓄積した資産を切り売りして、金を作った。それが強引な日産再生であった。そのツケが今になって露見している。

 

ある教徒の事例

 ある町に宗教を理由に町内の公園草取りの奉仕行事に全く参加しない家がある。当番で班長になっても、他人には公園の草取り掃除を強いても、家族の誰も公園の草取りには参加しない。日曜日は同じ宗派の寄り合いのお喋り会合で忙しく、町内の奉仕行事に行く気などさらさらない。娘が曰く「宗派の集会場に行っても最近は誰も来ないのでつまらない」と。

 この娘が何のために教団の集会場に行くのか明白である。家の状況と家人の言動を見ると、宗派の問題ではなく、それを大儀名文として言い訳をするだけだ。つまり単なる怠け者の家庭である。

 

 勤勉でなく、整理整頓清潔躾ができていない結果が、まだ70歳前後で足腰が立たず、動けない羽目になっている。その家の庭は、廃品回収業まがいのゴミ溜めとなっている。それを恥と思わない神経が哀しい。子供の自転車は雨ざらしで庭に放置されている。モノには魂がこもっているという。自転車で育ったのに、それを供養もせずに放置である。

 

 子供は親の後姿を見て育つ。放置された自転車を見れば、家の教育状況がわかる。家は保全する金がないため、ボロボロで町内の恥さらしである。勤勉であれば家を保全するくらいの金はできる。玄関の土壁は大きな穴が開き、玄関内は散乱、郵便ポストはサビサビ、軒下は垂れ下がり錆だらけ、塀は破れたまま。クーラもない防音設備のない部屋で、下手なピアノ騒音を近所に撒き散らしている。40年間の怠惰な生活のツケが、家相に表れている。

 

教義の教え

 美智子上皇后は、若いころクリスチャンの教育を受けて育たれたが、皇后として立派に日本国民の幸福を願い日本国の神事を司られた。クリスチャンの教育も日本の躾教育も、根本は同じ勤勉の思想である。宗教を理由に町内の奉仕行事をさぼり、自分達だけの幸せを願うのは、単なる利己主義の怠け者である。クリスチャンはその布教活動として、地域の奉仕活動には積極的に参加を推奨しているのがこの世界の常識である。それをしないのは、教義の教えに背く行為である。それゆえ、その町の誰もその家を相手にしない。

 

勤勉

 我々仏教徒としてでなく、人間として心がけなければならないのは、心に生える雑草の除去である。摘んでも摘んでも、怠惰な心があると生えてくる。その心の汚れを落とそう。汚れが付くのを防ぐのは勤勉である。当たり前当たり前のようにするのが精進である。

Img_63991s  馬場恵峰書  2006年

2021-02-25 久志能幾研究所通信 1931 小田泰仙

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2021年2月24日 (水)

武器を使いこなそう PC、ペンは我が命(磨墨知143)

 

 侍の刀は武士の命、カーボーイのライフルも開拓者としての命である。命だからこそ彼らは全て自前で揃えていた。

 現代のビジネスとは、生き残りをかけた顧客創造戦闘である。闘うためには、良き武器が必要だ。現代ビジネスマンの刀は、パソコンである。会社のお仕着せではなく、自前で揃えよう。これで仕事でもつかえるし、人の首でも切れるのだ。これで時間を切ろう。スマホでは力不足だ。

 私はこれで大垣市長の6選を切り捨てた。そのPCでの情報伝達には、エビデンスと論理構成と市の未来を思う志が柱であった。

 エビデンスと論理構成を支えたのはテクニカルライティングの技術と危機管理である。志を支えたのは修身の精神であった。

 

PC使いこなし

 ブラインドタッチ、文章力、読解力、パソコン使いこなし力、ソフトの使いこなし、パソコン更新資金力、があって、初めて武器が生きる。最新の武器だってすぐ陳腐化する。ネットを眺めるだけでは、傍観者である。発信をしないとフェイクニュースに洗脳され、認知症になってしまう。

 PCはあくまで道具であって、高性能だから仕事が出来るわけではない。名刀を持ったから、真剣勝負に勝てるわけではないと同じだ。

 そのビジネスの前提は、読み書きそろばんである。日本語の基礎ができていなければ、仕事でPCは使いこなせない。読むとは外国語も読めること。書くとはテクニカルライティング手法で、論理的に簡潔に記述が出来なければ、オーディエンス(読手)を説得できない。そろばんに相当する統計計算ができなければ、現代ビジネスでは通用しない。幸いなことに、Excelが出来れば、その統計計算を簡単にやってくれる。

 

手書き武器

 PC全盛期の今でも、手書きの手紙は強力な武器である。それも毛筆なら最高だ。下手でもいいから手書きの真心のこもった手紙で、相手の心を切り拓こう。私が礼状を送るときは、毛筆です。馬場恵峰先生から、よく巻物の毛筆のお手紙を頂いた。その返礼に、ワープの手紙では済まない。

 私は毛筆の手紙を書くために、毛筆で写経をしたことが役立った。恵峰先生の教えは「書道の上達には、写経するとよい。一日2行で良い。」と。

 

思考は手書きメモで

 全てパソコンでやるのが良いわけではない。思考の基本は手書きメモである。そのアイデアがまとまったら、一気にパソコン入力である。最高のワープロは、手書きメモである。

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2021-02-24 久志能幾研究所通信 1930 小田泰仙

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2021年2月22日 (月)

一度に一つのことに集中する (磨墨智125)

 

 ながらで仕事をしても良い仕事はできない。凡人は、10人の話を同時に聞いて処理できた聖徳太子ではないのだ。

 私は幸いなことに、学生時代、深夜ラジオ番組を聞きながら勉強をしたことがない。今にしてよかったと思う。

 車の運転でも、ラジオも音楽も全くかけずに運転する。聞きながらの運転は、安全運転上で、ご法度である。周りの状況に最大の注意を払って運転である。

 人とお話をしている時も、スマホは厳禁である。人と会話とは、人生の真剣勝負なのだ。人と会話するとは、その人の人生時間を分けてもらっているのだ。それを割り込みでニュースや株価を見ていたら、「あんたの話しはつまらない。あんたよりニュースがオモシロい」と相手を侮辱することだ。

 一時一心一念道、である。千里の道も一歩から。一事に一つのことをボチボチとしっかりやっていこう。その一歩を歩みださない限り、何事も成就しない。

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2021-02-22 久志能幾研究所通信 1928 小田泰仙

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2021年2月18日 (木)

耳鳴りの法則 (磨墨知140)

書いて書いて書きまくろう。

話して話して喋りまくろう。

 

 同じことを何回も繰り返そう。同じことを何回も自分に言い聞かせよう。大事なこと は、耳鳴りがするくらい聞け。(道元禅師の言葉)

 人が見たら完璧と思われても、繰り返しをやり抜こう。その行為は自分が巧い、もう完成したとの観念を捨てるためにする練習だ。(相田みつを氏の言葉)人のやることに完成はない。

 いかに神様の完成に近づけて、未完に終わるかが人間に与えられた役目である。(土牛画伯の言葉)

 その修行から本物の力が生まれる。本物には時間が凝縮されている。だから価値が出る。時間を使うのは価値を創造するため。

 

鍛錬

 千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす。(宮本武蔵)

 1000日とは約3年である。石の上にも三年、とは名言である。

 どんな芸事でも1万時間をかければプロになれる。一日10時間を千日続ければ、その道のプロになれる。それが鍛錬だ。

 「人間というのもはね、苦労して、鍛錬され、はじめて人間になるんです。苦労しなきゃ、人間の呼吸は分からんということですよ」

 出光佐三(出光興産創業者)

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    馬場恵峰書   2011年

2021-02-18 久志能幾研究所通信 1925 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年2月17日 (水)

ウサギを追いかける虎を演じよう (磨墨知138)

 

 ウサギを追う虎のように、獲物を追いかける時は全身全霊をかけて追いかけよう。油断をして中途半端にやるからチャンスを逃す。獲物とは、獲物そのモノだけでなく、人生のご縁のめぐり逢いもチャンスである。

 その時は、相手から「そこまでやってくれるのか」と涙を流して喜ばれるくらいに相手に精力を投入しよう。

 藤吉郎は織田信長の下足番の時、信長の草履を懐で温めた。だから天下を取れた。

 桶狭間の戦いで、織田信長は今川義元の居場所を通報した家来に法外な褒美を与えた。チャンスは情報が運んでくれる。情報も獲物である。核心の情報を全力で追いかけよう。

 

チャンスの女神の後頭は禿

 そんなことで全精力を使うより、虎視眈々とチャンスを待っていて捉まえた方が楽である。そのチャンスをチャンスとして認識する能力こそが智慧である。その能力を磨くのも人生を生きる力である。それがない人間は、生ける屍である。

 いつ死んでも後悔しないくらいに完全燃焼するエネルギーをチャンスに投入しよう。そうすれば仏様が、次のご縁を与えてくれる。そう私は信じて生きてきた。

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    馬場恵峰書

 

 上記の色紙を最初に見た時、欲しいなと思ったが、何故か躊躇して手が出なかった。後日、この色紙を探したが、見つからなかった。恵峰先生もどこにやったか記憶がないという。現在、所有者不明である。

 チャンスとの出会いは一瞬、一期一会である。もう一枚書いてもらえばよかったのだが、今となってはそれも叶わぬ。チャンスの大事さを教えてくれた色紙である。

 それ以来、欲しいと思ったら、即実行である。勢いが余って、昨年、第二の家まで買ってしまった。目の玉が飛び出るくらい高かったが、一年経った今、冷静に考えても正しい行動だと思い、後悔はしていない。もう後がないのだ。

 

2021-02-17 久志能幾研究所通信 1924 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年2月16日 (火)

「死を経営する」 滅望のための死の準備 

 

 死ぬ前に、あれもやりたかった、これもやりたかったのにと、本当の願望を滅するために(滅望)、還暦を過ぎたら死の準備をしよう。死を前に絶望するには相応の準備が必要だ。死は人生最大の行事である。そのうち手が震え、頭がボケてきて、その準備ができなくなる。今からでも遅くない。頭と手足が動くうちに死の準備をしよう。死の準備をするとは、生を全うすること。最大限に生きること。準備不足の後悔の中で死にたくはない。死のプロジェクトを経営して世に貢献して死にたい。

 生は偶然だが、死は必然である。私が65歳の時、中学の同窓生の2割が他界していた。

 

死を経営しよう

 死にあたり、持てる資源を最大限活用して、逝こう。持てる資源を死蔵したまま死んでは、その資源が可哀そうだ。その資源にも魂が籠っている。

 経営とは持てる資源を最大限に活用して、世のために働くこと。自分の持てる資源を使い切って死のう。それが人生の経営であり、死を経営することだ。

 サムソンの総帥のように、72歳に倒れ、6年間も意識不明となり、数兆円の財産を残して死んでも、人生の経営がうまくいったとは言えまい。

 自分の死から産む付加価値を考えよう。そうすれば死が有意義になる。そうすればおちおち、死んでなんかいられなくなる?

 自分のためだけの金儲けは経営ではない。それは拝金主義者の餓鬼の行動。

 地位名誉に長年縛られていて、それが解放された途端に死んでは、何のために生きたのか。それは地位名誉の奴隷である。

 

死の戦略を立てよう

 人生とは限られた時間だ。あれもやりたい、これもやりたいでは時間が足りない。「何をやらないか(略)」を明確にしよう。それがないから、人生最後で後悔をする。死は突然やってくる。その時は従容として死のう。死ぬ時は死ぬのが世のためだ。それを寝たきりで生き永らえるから家族を不幸にする。

 

成仏しよう

 死ぬことが成仏ではない。此の世で佛になることが成仏である。多くの人はそれが出来ないから、死んで成仏する。できれば生前に成仏してから、旅立とう。だからその修行が大変なのだ。佛のようになれないから、なかなか死ぬわけにいかない。

 

いい人を止めよう

 あるがままに生きよう。恰好を付けるから疲れる。

 

戒名

 私は癌を患い覚悟をして2年前に戒名を導師から授かった。

 葬式の時に付ける戒名は、応急処置である。本来、生前に導師と相談して授かるのが正規である。私はその戒名を墓誌に彫り朱を塗った。準備万端である。

 戒名とは戒めの名前である。本名は、両親がこうあって欲しいと名付けたが、実際はそうでない生き方をしてしまった。あの世で、此の世では実現できなかった己の生きざまを目標として名付けたのが戒名である。生前から、あの世での生きざまを背負って生きて行けば、あの世の事前練習ができて、実際にあの世に行った時に楽である。

 

お墓

 人並みにお墓くらい準備をしよう。ハカない人生ではつまらない。墓がないと親戚から笑われる。

 自家のお墓は、耐震構造とした。デザインにもこだわってすっきりした形状にした。メンテナンスフリーで雑草が生えないようにもした。後の人のことを思ってのこと。

 

遺言

 癌の手術前に、遺品の遺言状も作成した。

 大事なものさえ押さえれば、後は野となれ山となれである。

 

遺品の整理

 人生は山を登るようにモノを集める。山を下るときは、少しづつ荷物を降ろしていこう。モノを持ち過ぎていると、着陸時に衝撃が大きい。

 

会いたい人にお別れを

 自分よりも相手の命がいつまでもあるわけではない。便りがないと思っていたら、新型コロナで死んでいたとう話が多い。

 新型コロナで外出を控えていたら、馬場三根子先生も馬場恵峰先生も亡くなられてしまった。

 その人はソウルメートかどうか、自問しよう。それで人間関係の真偽が見える。新型コロナと私の癌で、真の知人かどうかが識別された。

 

行けるときに行きたい場所に行く

 新型コロナで、行きたい海外も行けなくなった。良い時にウィーンに行って良かった。今ではとても行ける状態ではない。

 

立派に死ぬために、直前まで健康でありたい

 そのためにオダ佛教健康読本の執筆が忙しい。

 最後の1か月程は致し方ないが、それまでは健康で現役で頑張りたい。

 そのお手本が馬場恵峰先生であった。

 

やりたいことはやってしまう、買えるものは買おう

 やれなかったのではない。やらなかっただけ。やりたいことをやれば、それでツキモノが落ちる。

 私も前から欲しかったレクサスを買って、ツキモノが落ちた。買ってみれば、ああこんなものか、今までの憧れは何だったんだ、という気になった。

 そのうち金があっても買えなくなる。

 

美味しいものは食べておく

 そのうち病気になり、食べたいものも食べられなくなる。

 私も癌の手術をしてからたべられなくなった。

 

幸福度を最高に上げておく

 欲望が大きすぎると、幸福度が上がらない。

延命治療拒否を文書にしておく

 植物人間で生き永らえても、社会に迷惑をかける。

 

縁なき衆生とは縁を切っておく

 財産がある衆生に限って、生きざまが汚い。早めに縁を切ろう。

 

豊かな気持ちで逝けるように、身の回りは整理整頓

 不要なモノを整理して、良いものに囲まれ幸せになろう。

 

人生の最終チェックをするため、年に一度は山にこもる

 山ごもりはホテルでもよい。頭の整理ができる。

 人生をまとめる必要はない。整理すれば、自ずと答えが出る。

 何ごとも最終確認は必要だ。何が死の準備で未完は何かを確認しよう。

 

できるなら、自分が生きた証を残しておこう

 私は本の出版とブログの掲載である。

 ブロブも私が死んだらそのアカウントが消えるので、出版を計画している。

 

あの世で会う人を計画しよう。

 死が楽しく、怖くなくなる。あの世でならアインシュタインにも会えるだろう。松下幸之助さんにも会えるだろう。で、何を話すのか、今から計画しよう。その想定対談集を死ぬまでに書こう。

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2021-02-16   久志能幾研究所通信 1923 小田泰仙

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2021年2月15日 (月)

2%の実務のために98%の雑用が必要 (磨墨知136)

 

 自分の時間の中には,自分では制御不能な活動時間があることを認識して,それについては悔やまない。その値をいかに小さくするかが知恵の出しどころである。98%の雑用をこなす能力が人生を変える。ヤブ用を雑にするから雑用だ。それを本腰を入れて取り組めば、それが修行になる。

 

 日の丸ロケットの打ち上げプロジェクトでも、漁業権との交渉、用地買収、政府との予算交渉等で、その98%の労力が打ち上げ以外の雑用に費やされる。(糸川博士談)

 

 プロジェクトの完成は、人生そのものである。しかしその喜びは一瞬である。その前に98%を占める忸怩たる長い試練を経ないと、プロジェクトの完成はない。ロケット打ち上げでも、純粋な技術面の苦労は2%だけである。

 私も前職で通産省管轄の超先端技術開発のプロジェクトに携わったが、そこで問われたのは、国への説明資料、予算取り、そのエビデンス作り等で、実際の技術面の仕事は2%ほどでしかなかった。しかし、その開発する技術が国へ説明ができないと予算も取れない。

 

人間力

 人生の道を歩むのに必要な力は、98%は人間力である。その人間力の基礎は、仁義礼智信であり、それは広い芸の修行の世界から生まれる。糸川博士が単に頭がよかっただけではない。博士は知識偏重の頭でっかちのエリートではなかった。

 人の痛みの理解、義理を重んじ、礼を忘れず、智慧を出し、信用を蓄積しないと、人生のロケットは打ち上げ上げられない。糸川博士は趣味の世界は多彩を極める。それが糸川博士の人間力を育てた元であった。

 

 糸川博士はバレエ・占星術・チェロ・ヴァイオリンなど様々なことに興味を持った。60歳の時、貝谷バレエ團に入団した。小中では科学工作を、中学ではシェークスピア・ギリシア哲学・演劇に熱中した。ヴァイオリンの研究も行い、ヴァイオリン1挺を約半世紀掛けて作った。高校でチェロを始め、就職するときに太田に持参した。戦後は松下修也に、約50年間に亘り学んだ。レッスンは月2回であった。中島飛行機時代にはゴルフも習得している。

 この項、wikipedaより編集

 

国・都市の打ち上げ

 これはロケット打ち上げだけの話ではない。一つの仕事の方向付け、政治の世界でその国、都市の未来をどういう方向に打ち上げるかも同じである。東大を出て記憶力だけが優秀でも、その他の面で教養がないと下品な拝金主義、利権主義、権威主義の政治となってしまう。今の日本の政治がそれに値する。与党、野党とも、とても品があるとは思えない。それではその国、都市は衰退である。大垣が衰退したのは、その面の影響も多きいと私は思う。

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2021-02-15   久志能幾研究所通信 1922  小田泰仙

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2021年2月14日 (日)

人の嘲りを恥じない (磨墨知129)

   

 「一事を成さんと思わば、他の事は破るるともいたむべからず。人の嘲りを恥ずべからず。万事にえかへずしては、一の大事成るべからず。」(徒然草)

 

 時間を創りたければ、世間体を気にするな。時間を創れば、願望が成就する。その時間を創らないから、世間の雑用に流されて、本願を挫折するのだ。命は一刻一刻と尽きていく。やるべきことを成就させずに、死ぬわけにはいかない。人の生は偶然だが、死は必然である。

 

明日は死

 明日、新型コロナに罹り、隔離病棟に「監禁」され、死亡すればそのまま火葬場直行である。新型コロナに罹る人の多くは、狂った生活をしており、明日のことなどには考えも及ばないようだ。新型コロナが原因で死亡すれば、家族の最後のお別れさえ許されない。

 還暦を10年も過ぎれば、いつお迎えが来てもおかしくない。私の中学の同窓会の時(65歳)、2割の仲間が既に他界していて愕然とした。明日の死も20年後の死も、長い人生から言えば、誤差範囲である。人の死は必然なのだ。

 

微差でも長い年月で大きな差

 人から「変わっている」と思われるくらいでちょうどいい。人と同じことをしていては、人よりも時間が創れないし、創造的価値が残せない。

 人と2割も人と変わっていると、社会から拒絶される。人から嘲られようとも、人と1%だけ少しだけ変わっていればよい。人よりも1%の差を出すことを心がけて、それを50年間継続すれば、大きな差となる。

 会社の合併の場合でも、1%でも資本比率が多い方が、人事権を握り、その会社を支配できる。私はそれで泣きを見た。前職の会社の経営陣が、並みのことしか決断できず、他社と違う付加価値を生みだせなかったから、会社を消滅させた。

 

明日世界が終わるとしたら

 「自分は一体何をやりたいのだ」と自問しよう。明日世界が終わるとしら、自分は今日、何をやるのだ?」と自問しよう。

 やりたいことが明確になったら、そのために別のことを省略しよう。それが戦略だ。人生で「あれもやりたい、これもやりたい」では、時間制限で破綻である。人生の総量(時間)は決まっている。死は確実に来ることが決まっている。だからこそ、人の嘲りを恥じないで、死ぬまでにやりたいことをやろう。

 

無為の死

 新型コロナで、外出せず、家でじっと無為に時間を過ごすとは、命を無為に削っている。時間は命なのだ。一刻一刻と命は尽きていく。何も付加価値を生まない時間を過ごせば、それは脳死である。

 だから魚釣りなどに行っている暇はない。温泉に行っている暇もない。その行為で自分の人生に何の価値を産むのか考えよう。パチンコ、赤ちょうちん、愚劣番組やワイドショーの視聴も禁止。それこそ脳死の原因である。ゴシップ週刊誌も禁止である。スマホも意識しないと膨大な時間浪費源となっている。用もないのに買い物に行ってはならない。展覧会のお誘いも、それが自分のこれからの人生で付加価値が生まれるか否かを考えて出かけよう。

 そんな俗世間の些細なことは破るるに限る。

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2021-02-14   久志能幾研究所通信 1921  小田泰仙

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2021年2月12日 (金)

自燃する vs 燃えない大垣市長 (磨墨知126)

 

 人間は燃えているときに仏性を持つ。醒めた人間は悪魔のささやきに耳を傾け、悪魔に魂を売る。燃える情熱が時間と障害の壁を打ち破る。仏性は無限の時間を有する。燃える人には夢がある。燃える人間は、鬼神をも退けるのだ。

 新型コロナで神経質な妻から外出禁止令で、自宅に幽閉されると、燃えずくすぶり、その煙たさで認知症にまっしぐらである。燃えない人間と付き合ってもつまらない。そんな人間は、人生負のスパイラル降下である。

 燃える人間には生きる力があり、活力があり、免疫力があり、コロナを寄せ付けない。人生を拓くために、自分が燃えて、回りを巻き込み、上昇気流を発生させよう。だれも己のために上昇気流など作ってくれない。自燃とは自力本願である。

 

大垣の例

 東大出の卒業証書を貰うことが目的では、大学を卒業した時点で、人生の夢つくりを終わっている。大学卒業で燃え尽きである。そんなエリートと呼ばれる輩では、それではとても大きな仕事はできない。知識偏重で、創造的な仕事はできず、現状維持第一主義である。PDCAなどご法度である。何もしなければ安泰だ。それがこの20年間の大垣だ。エリートの立場では、挑戦はご法度なのだ。失敗でもすれば、経歴に傷がつくから、してはならないのだ。

 

エリートの詭弁

 2021年2月10日の小川敏引退の弁で「やり残したこととして、大垣駅前のリニューアル」を上げたが、やり残したのではなく、やる気がなく、やらなかったのだ。それも意図をもってやらなかったのだ。時間は20年間もあったのだ。

 やる必要もなかった121億円かけた県下一豪華な新市庁舎は早々に完成させている。それもオリンピックで資材が高騰している時期に、である。いつも節約節約といっていることと真逆である。

 市長の情熱ある鶴の一声で、何でもできるのに、大垣駅前のリニューアルなどやる気がなく、やらなかった。それを「やり残した」とはエリート臭の匂う詭弁である。そんなレベルの市長だから大垣は没落した。 

 

大垣衰退の歴史

 この激変の20年間、回りの環境は激変して、他市は大きく成長している。大垣はこの20年間、経済成長率マイナス1%であった。大垣の公示地価は半値以下に暴落し、この20年間で年率マイナス2.5%の成長である。商店街がシャッターを下ろす速度は、年率マイナス3%で、2001年当時、シャッターをおろしていたお店は20%ほどであったが、2021年現在、80%のお店がシャッターを下ろした。当時の見る影もない。

 アメリカの経済成長率3%、欧州は2%、日本は1%、大垣はマイナス1%である。エリートと呼ばれた市長の減点主義で、投資をせず、ケチケチで当たり障りのない政策が、大垣を衰退させた。燃えない市長が大垣没落の原因であった。

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2021-02-12 久志能幾研究所通信 1919  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。