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2021年2月 6日 (土)

明日死ぬ気配を隠して.. (磨墨知123)

 明日死ぬる気配も見せず蝉の声(芭蕉)

 

 今を精一杯生きているからこそ、蝉の鳴く声に生命力を感ずる。明日の命は分からない。今やるべきことをなせ。交通事故、天災、新型コロナ禍で、明日がどうなるかも分からない世の中だ。

 

明日は死

 生は偶然だが、死は必然である。人間は、いくら頑張ってもせいぜい100年しか生きられない。人間の寿命には物理的限界があり、120歳が限界である。しかしその途中で病魔、事故が人を襲う。だからこそ、必ず訪れる死の準備をしておこう。残された人が困らないようにしておこう。

 

 日本では、交通事故で2,839人(2020年)が死ぬ。

  1970年代の交通戦争時は死者数1万人を超えた。

  それこそ死後の準備もあったものではない。

 新型コロナに罹り突然に3,600人(2020年)が死ぬ。

  ある日、ICU室に隔離されたら、なす術もない。

 インフルエンザで毎年1万人が死ぬ。

 お風呂で年間2万人が死ぬ。

 自殺で2万人が死ぬ。一時は3万人を超えていた。

 誤嚥性肺炎で4万人が死ぬ。

 心疾患で204,387人(2017)が死ぬ。

  そのうち37,222人(2015年)が急性心筋梗塞で死ぬ。

  その即死同然の死が、この20年間で2倍に急増している。

 癌で373,584人(2018年)が死ぬ。

  それでも癌は死ぬまでに時間があり、準備ができる。

  今は日本人の2人に一人が癌になる時代である。

 老衰で死ねる幸せな人はたった101,000人(2017年)。約1割である。

 

 死は他人ごとではない。最近は、知人から便りがないと思っていたら、新型コロナで亡くなっていたという話が多い。

1   馬場恵峰書

 

余命宣告

 私も河村義子先生の葬儀後に、胸騒ぎを覚えて検診を受けたら癌が発見された。その癌の5年後生存率が51%である。同じ病気の人は、5年後に半分が死ぬ確率で、余命2.5年の宣告と同じである。だから私は残された時間を大事にしている。時間は命なのだ。

 河村義子先生は病魔に襲われ余命5年と宣告され、手術をするとピアニストとして生きられないと分かると手術を拒否して、ピアニストとして音楽道を全力で生きる道を選択された。私には死ぬ気配も見せなかった。だから義子先生の突然の訃報に茫然自失である。

 

天寿

 馬場恵峰先生も、突然に体調を崩され93歳と8か月の人生を終えられた。先生もまだ死ぬことは想定していなかったようで、11月まで元気一杯であった。私も書友の多くは、先生は100歳まで現役だと思っていた。先生には死ぬ気配などどこにもなかった。昨年に奥様が亡くなられたのが応えたようだ。

 それでも馬場恵峰先生は、93歳まで超人的な活躍を継続されたので、うらやましい天寿である。私もそれを目指して頑張りたい。

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 2020年3月15日 馬場恵峰先生の元気な姿

 これ以降、新型コロナ禍が急速に広まり、私は九州の先生宅に行きたくても行けなくなった。これは私が撮影できた元気な恵峰先生の最後の写真

 

余命宣告からの生き方

 人生で余命20年も5年も、人生の長さから言えば、誤差範囲である。余命1ヶ月なら、金を使いまくり毎日楽しく過ごせばよい。しかし1年以上も余命があるなら、一仕事が出来る。また娯楽に溺れた生き方は、1か月間もそんな生活を続けると、まともな神経ならそれが逆に精神的苦痛になる。だから多くの人は命をかけて世に残す仕事に全力をかける。

 

有限の時間

 多くの人は、時間などいくらでもあると思って時間を無駄して生きている。しかし、今日が人生最期の日かもしれないのだ。余命を意識して一日一日を大事に生きている者から見ると、他人は不死の者でのように振舞っている。しかし、いくら頑張っても後50年は生きられない。だからこそ私は無為に生き永らえるよりも、限りある命を輝かせて、今を全力で生きるのだと覚悟して生きている。

 

時間の伝教師

 私は見送られるよりも、知人を見送ってあげたい。だから私は時間の大切さを「時間創出1001の磨墨知」で皆さんに伝教している。時間は命なのだ。命とは、此の世で使える時間の長さなのだ。

 

2021-02-05   久志能幾研究所通信 1913 小田泰仙

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