c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2021年12月 1日 (水)

自分が豊かになれない原因、日本が貧乏になった原因

 

日本経済の停滞

 この30年間、日本人の給与が上がらなかったのではない。企業が上げなかったのだ。「日本人の給与が上がらなかった」と報道するから、その責任が曖昧になる。

 それはグローバル経済主義狂に汚染された大企業の責任である。個人の行動に当てはめれば、そのままでは貧乏になることが分かっていて、行動しなかったのだ。

 だから企業は労働者へ払うべき金が浮いたから、内部留保は増大した。従業員の給与はこの30年間上がらなかった。欧米の給与は2倍に増加している。

 大企業は正社員を減らし、派遣労働者を増やし続けていた。だから全日本で見れば日本人の年収が上がらなかった。非正規社員が増えたので、給与が上がらないから、若者が結婚できず、子供が増えないのだ。それが少子化の真因である。金が市中に回らないから、日本経済の活性化が出来なかった。

 

企業の投資先

 企業は出すべき金を労働者に出さず、内部保留にして、未来の投資をしなかった。最大の投資先は人財なのだ。成長しなかった企業の生きざまは、現代の年金生活の老人のそれと同じである。

 

老後?

 老人は「老後」?を心配して、金を銀行に蓄えて、なるべく使わないようにしている。だから金が市中に回らない。お金は経済の活動の血である。それが回らねば、壊死する。それが、日本経済が停滞している原因である。老人が今の5%分の金を余分に使えば、すぐ景気は回復する。

 生涯現役で働けば、「老後」は存在しない。その教えを、馬場恵峰先生は後ろ姿で示してくれた。

 

他山の石

 日本の企業を他山の石として考えよう。日本企業の失敗から、自分の活動を反省しよう。自分が金持ちになれなかった原因は、自分が貯めるばかりで、使わなかったことにある。お金を使わないと今後、ますます貧乏になっていく。お金とは、経験智を取得するための費用である。経験智が増えれば、稼ぐ力が身に付く。

 お金を自分の財布から感謝の念で送り出せば、未来にお金がお友達を連れて帰ってきてくれる。

 お金はお足である。足止めすれば、腐ってくる。腐ったものをあの世にも持って行けない。お金を子孫に残せば、却って子孫を不幸にする。自分が稼いだ金は自分で使うべきだ。

 

母の思い出

 これを書いていて、母から指導されたお金の使い方を思い出した。「会社で出張時、昼食費が千円支給の場合、金を浮かすために、500円のモノを食べてはならない。千円の料理を食べること。外に出れば、平社員でも会社の代表だ。それが500円のモノを食べていては、他人が見れば、あの会社は500円のモノしか食べられない貧乏な会社と思われてしまう。それでは会社にも自分のためにもならない」である。

 私はその教えを守り、つい高いものを食べていた。それで肥満になったのは、愛嬌?

 

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 馬場恵峰書

 

2021-12-01  久志能幾研究所通信 2225号  小田泰仙

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2021年11月30日 (火)

玄関のリフォーム完成、来る人行く人、皆福の神

 

 2015年12月30日、玄関のリフォーム工事が完成した。「来る人行く人、皆福の神」と思えば、玄関とトイレは、おもてなしの心が表れる家の顔である。それが死のお迎え佛であっても、ご縁としてお迎えしたい。

 

玄関は顔

 玄関は家の顔である。顔がよくなれば、家が良くなる。人間の顔は、全人格の現れである。顔がよくなれば人生が開ける。人生に前向きの人の顔は、精気に溢れており、笑顔に満ちている。渋い顔をして人生を送る人は、玄関に髑髏(どくろ)をぶら下げると同じである。それでは暗い人生を歩むしかない。

 家のリフォームは金がかかるが、自分の顔を造るのに、大金はいらない。精進あるのみである。学び続けることである。志を持つ事である。

 

玄関改築

 今回、トイレと玄関を改築した。また同時にお墓の改建でお墓の蓋も新しくした。だから現世での玄関も、お客様に気持ちよくしていただけようお出迎えをしたい。

 框(かまち)も大工さんの手で、鉋をかけてもらい、新品同然となった。流石が宮大工である。今回、宮大工さんにリフォーム工事の一部を担当して頂いたのは、幸運であった。

 天井も側面壁も張り直して、ライトも入れ替えた。人感センサで自動点灯である。

 玄関左奥がトイレである。その横の収納庫をトイレに統合してトイレを広くした。玄関奥の左手がトイレドアである。

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   リフォーム後  2015年12月30日撮影

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    リフォーム前     2013年7月23日撮影

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  馬場恵峰先生宅で見つけた色紙     2015年12月14日

 

2021-11-39  久志能幾研究所通信 2224号  小田泰仙

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2021年11月29日 (月)

老計・漏計  誤悦同臭をぶっ飛ばせ

 

 男子が洋式トイレで立ったまま用をたすと、1日に2,300滴の小水の飛まつが便器の周辺に飛び散る。高さは1m、範囲も1m四方に及ぶ。こびり付いた尿滴が尿石となって匂いと黄ばみの原因になる。その尿滴を栄養として細菌が増殖して悪臭であるアンモニアを発生させる。

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 トイレ掃除の基本(LionのHPより)

http://lifeon.lion.co.jp/cleaning/04/01.htm     2016/01/21

 

 この話をトイレのリフォーム後に業者から聞き、ネットでそのデータや映像を確認して驚嘆した。それから早々に座りションに姿勢を改めた。またそれ以降、毎朝、トイレ掃除をする習慣となった。毎朝トイレを掃除するのでいつもピカピカなので、掃除も苦にならない。掃除が楽しいとも思うくらいである。

 

誤悦同臭

 上から視線で自慢話を聴衆に放出すると、思いもよらぬ所までその言葉の害毒が飛散する。自分のズボンにも小水の飛まつが付着すると同じように、自分の言葉の影響を最大に受けるのは自分自身である。自分が吐いた言葉が回りにどんな悪影響を与えているか、自省したい。大事なご縁が人生という器から漏れていく。

 元エライさんが偉くなった経緯の自慢話をすると、聞かされている人の心を汚す汚染物が飛まつとして飛散する。人を押しのけて出世するのがよき価値観と思う人との付き合いは避けたい。出世は努力と運のめぐり合わせの結果であって、能力の成果ではない。出世を目的にする生き方をする人と付き合うと、尿滴のような不潔なものが心に沁み込み、言動が小便臭くなる。誤悦同臭である。ブラック企業も暗い家庭も同じように汚腐のしずくを周囲に撒き散らす。それが知らず知らずに身に染み込んでくる。還暦を過ぎた身なら、そんな腐臭が飛び交う生臭い会合の場所からは遠ざかるのが賢明な老計である。そこは心ある人には縁無き場所である。お墓に入る前には、心身を綺麗にして旅立ちたいものだ。

 

下座行

 自分が謙虚に座って所用をすませると、視線が低くなり、自然と吐く言葉も謙虚な言葉になる。立っていれば気がつきないことが、座れば見えてくる。それが下座行である。トイレのリフォームをしての最大の発見であった。65にして初めて体得した境地である。

 

P10500041 馬場恵峰書

 

2021-11-29  久志能幾研究所通信 2223号  小田泰仙

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2021年11月26日 (金)

死天王の萌し

 

いたるとこころに“萌し”はある

 すべて事には“萌し”がある。その小さな萌しを鋭敏に感じ取り、対処しなければ大事に至る。ヒト・モノ・カネがあるべき姿にないときはピンと直感し、原因をつきとめなければならない。変質の萌しをつかんでこそ、真の仕事といえよう。

           松下幸之助翁

 

死の萌しと現実

 先日、前職のОB会総会案内が届いた。そこにこの一年間の訃報者の名簿が記載されていた。そこに仕事仲間の4名の名を発見して愕然とした。明日は我が身かと….。

 

 一番縁の深かった元上司の名があった。2年年上の方である。運動好きで、日本各地のマラソン大会やハワイマラソンにも出かけた人で、健康優良児であった。それが早くも亡くなられてしまった。

 

 もう一人は、前職の時の隣部署の部長で、私と同い年である。関連会社の社長を務められた。体格の良い方で、元気いっぱいの人で、そんなに早く亡くなられるとは想定外である。

 

 13歳上の元副社長も亡くなられているが、まあ年功序列で自然である。私がスウェーデンの自動車工場に出張の時、上司として激励に現場に来てくれた方であった。

 

 5歳上の方で、電気屋の元課長さんも亡くなられた。我々の宴会会場に「お前らは象牙の塔でぬくぬくしている」と酔って喧嘩を売りに来た人だが、本音で言いあったら、その後、逆に仲よくなったという因縁があった。寂しい限りである。

 

 冒頭の2人の死は、人ごとでないと感じて、死の萌しを感じざるを得ない。

 

世の中の萌し

 人が人になるのを目指していても、現代では拝金主義者の死天王が徘徊している。死天王の萌しに気がつかないと、人が人と成る前に、成仏させられてしまう。その萌しに気づくことが、人としての目覚めである。

 過食、過酒、飽食、添加物まみれの食、過剰医療により認知症、ガンに犯された人は増える一方である。40年前に10兆円であった日本の医療費は4倍に増えたが患者も4倍になっている。だれが儲けているのか。その根本原因になる健康に害のある食品を拝金主義の業者が世に溢れさせている。

 

認知症の萌し

 認知症患者は65歳以上の15%にも及ぶ。自分が自分でなくなってしまう恐ろしい病気である。認知症とは生きまま仏になることである。本人は極楽であるが、家族は地獄である。私は意識明瞭の人としてあの世に旅立ちたい。

 

世も末

 グローバル経済主義病のブラック企業の経営者から生血を吸われて鬱や病気に犯される人も多く、自殺に追い込まれる若者も多い。ブラック企業に就職をせざるを得なかった己の学業の怠慢が一因である。

 

立っている土台の崩壊

 グローバル主義に犯された企業の経営者も格差の拡大で企業基盤と国家基盤が揺らいでいる。企業と従業員は運命共同体であることを忘れていると、昔の王侯貴族のようにその存在自体が崩壊するのは歴史の証明である。その兆がEUの移民問題、欧米の格差社会である。

 偏向報道、洗脳番組、痴呆番組に取り付かれると、自分で考えることが出来なくなり、国の誤った政策に押し流されて、老計、死計も砕かれ下流老人に成り下がる。

 

自分の城は自分で守れ(石田退三)

 自分の健康は自分で守れ。命を全うして、現世では人として命を永らえるべし。あの世に行ってから、佛になるべく佛道に励めばよい。あの世では時間は一杯ある。現世では人として最期まで現役で社会に貢献すべし。それが「成人」(じょうじん vs 成仏)になる修行である。あるべき姿でないことを教えてくれるのが宗教である。今は成人になれず「小人(ことな)」のまま成仏する人が多い。せめて大人になって欲しい。人生最大の仕事は、己の命の全うである。

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  馬場恵峰書   日中文化資料館蔵
 

2021-11-26  久志能幾研究所通信 2220  小田泰仙

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2021年11月24日 (水)

「変態」賛歌、老いの克服

 

ダーウィンの法則

 生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。

 それは、変化に最もよく適応したものである。

     - ダーウィン -

 

自分は時代に合わせて「変態」をしてきたのだろうか、振り返りたい。

 

企業の変態

 最近の勝ち組の企業は、業態の「変態」を成し遂げた企業群である。2000年頃のウォールストリートジャーナル紙に、1900 年当時の新聞紙に米国の有力企業を100社ピックアップした記事に対して、その100年後、現在も残っている企業の調査記事が出た。その結果、残っている大企業は2社のみであった。その2社でも業態が変わっていて、そのまま業態の企業は無かった。

 

 その一社はGEで、当時は電灯製造会社であった。GEはエジソンが発明した電灯が元になっている。そのGEも現在は、金融業が大きなシェアを占めた企業となっている。

 100年間を生き延びた大企業は、業態を「変態」させて、社会の変化に適応したから生き延びたのだ。

 

 50年前、世界最大のフィルムメーカとして世を謳歌したコダックは、その業態の変態がうまくできず、2012年、衰退して130年の歴史を閉じた。

 

 当時、最大の複写機メーカのゼロックスは、その特許の独占で業績を謳歌していたが、最近業績不良で、富士フィルムに買収を提案されるまでに落ちぶれた。

 それに対して、日本の富士フィルムは、昔のフィルムメーカから、精密機器メーカ、医療機器メーカ、医療品メーカに、業態の変態を遂げて超優良企業に変身している。

 

 トヨタ自動車の親会社である「豊田自動織機」は当初は、繊維の自動織機を製造する会社であった。しかし今の業態は自動車の組み立てやフォークリフトの製造会社である。繊維部門は数パーセントを占めるだけになっている。

 

 多くの大企業は社会の変化に対応できず、自滅していった。今の日本が衰退しているのは、変化(変態)を拒否して、「昔はよかった」と回顧しているからだ。

 生き延びたのは、その変化に最もよく適応したものである。ダーウィン

 

 

私の変態

 だから人間として老いを迎え、更に活力を持って生きるためには、人は日々変わらねばならぬ。そう思って、老いても私は日々新し事に取り組んでいる。それの打開策の一つとして、退職後の10年間、新しい資格・知識を取得に取り組み、個人事業者として新しい事業を起こして活動してきた。やってよかったと思う。

 次の10年間の目標として、家を新築することにして、新たな気分で頑張っている。何かを目標として頑張れば、日々新しい発見がある。家の完成が目的ではない。その過程で生まれる自分の成長が目的である。新しいことに挑戦すると、変態した新しい自分が生まれる。老いて何もせず朽ちるのが一番哀れである。

 

 自虐的に自分の人生を振り返ると、昔は周りの状況に合わせて、変化せざるを得なかった歴史が分かる。当時の自分の苦労が偲ばれる。よく頑張ったと自分で自分を褒めてやりたい。有森裕子さんの気持ちがよくわかる。

 

青年期  受験地獄をさ迷う餓鬼の行動

      頑張ったのに、東大入試中止で大混乱に巻き込まれた。

     就職地獄をさ迷った阿修羅の行動

       オイルショックで就職難が発生

若手社員時代 3Kの奴隷労働者

        バブル期ではなく、会社に入れてもらった境遇

        頑張らざるをえなかった。

中堅社員時代 社畜としてワークホリック労働者

        バブル期と重なり、仕事中毒になる。

        残業60時間、実際は残業100時間が当たり前

中年     宮仕えで上と下からの圧力に挟まれる中間管理職

        うつ病寸前まで追い込まれた。

        労働組合は管理職を守ってくれない。

定年後   「時給が牛丼店と同じ待遇」なので拒否して帰郷。

        定年延長は年収が1/3になり、その減収分の補填で年金がある。

        個人事業主として新しい道を歩く

 

 定年延長の嘱託として働くと、年間2000時間を拘束され、増加年収を時間で割ると牛丼店のアルバイト時給と同程度である。自分より能力の劣る昔の部下の下で働くのは、自尊心の崩壊である。ばからしくなり、自分で事業を起こすことにした。

 

変態できない理由

 定年延長せず辞めると言うと、引き留められたが、辞めると「決断」して正解であった。自分の人生を「変態」するには決断こそが、唯一の方法である。変わりたいと決断しなければ、何もかわらない。

 みんな「変わらなきゃ」と言いながら、少しも変わらない。変わらない原因は、なぜそうなったかの真因を見付けず、日々の習慣に流されるからだ。変わるには変えようという意思が必要だ。変えるという「決断」をしないからだ。決断しなければ、永遠に人生は変わらない。決断をしよう。

 

ニュートンの運動第一法則

 静止あるいは等速度運動中の物体は、外力が加わらないかぎりその状態を続ける(慣性の法則)

  (止っているものは永遠に止まっている。)

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 馬場恵峰書

 

2021-11-24 久志能幾研究所通信 2218  小田泰仙

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2021年11月23日 (火)

KK母子にそっくり、鼻につき縁を切る

 

 その昔、その人から頼まれて、彼女の息子のイベントでの写真とビデオを撮影した。しかしその人にも息子にも、それが当然の如く扱われ、一言の礼もなかった。礼どころか、その写真の出来に文句を言ってきた。それは不可抗力の問題であり、私が苦情を言われる筋合いではなかった。息子はそのイベント中で非常識な言動があった。プロとしてあるまじき行為であった。知人もそれに同感であった。

 彼女からは、私はお人好し人間に見えたのだろう。だから彼女からの要求が多かった。私は金儲けのため、写真を撮ったわけではない。彼女にお金を請求したわけではない。それで後味が悪かったので、それ以降、私は彼女との縁を疎遠にした。

 

 知人も、そのKK母そっくり氏の金への執着心が鼻につき、好感を持っていなかった。知人は仕事のため義理で付き合っているという。

 

 彼女は、私が癌の手術をしたことを聞いて、「今度、お見舞いに行く」と電話口で言ったが、3年弱経ってもなしのつぶてである。

 

 その彼女が、先日、3年ぶりに電話をかけてきた。とりとめのない話をして、電話口で3年前に見舞いに行けなかたことを詫び、その「話のついで」で、私の施設を貸して欲しいという話を始めた。ああ、それが今回の電話の目的なのかと合点がいった。事情を話してその件は断ったが、彼女は私が疎遠にしたいという空気を読めなかったようだ。人との機微には鈍い人なのだ。

 

 彼女はご主人と離婚している。彼女の振る舞いを見ていると、なぜそうなったかが分かる気がする。息子の言動でもそれを感じる。まるでKK母子のようである。なにせ子供が人生で一番影響を受ける人が、母親である。母親の影響は大きい。人生は母親次第である。

 彼女は若い頃は結構な美人であったようで、ちやほやされたのだろう。ちやほやされると、人は成長しない。それが人の心を読むことが疎くなっている原因だと私は推察した。

 

感染防止

 君子危うきに近寄らず、である。そういう人と付き合うと、自分の運も悪くなる。運も金も吸い取られる。悪縁は伝染する。臭に交わると臭くなる。悪の薫習である。付き合う人の異臭さに気が付いたら、早め早めに縁を疎遠にしよう。それが危機管理である。

 KK母の婚約者も、早く彼女の異常さに気が付けば、あそこまで泥沼には嵌ることもなったのにと、残念に思う。世間知らずのお嬢様なら、騙すのは簡単だ。赤子の手をひねるようなものだ。

 

第六感

 自分の第六感を信じよう。今まで生きてきて体験した経験智から生み出された第六感は正しい。それは体得した賢さである。私はその賢さゆえに今も生きている。此の世で降りかかる悪縁災難を避けて生き延びるのは大変なのだ。自分の城の外は魑魅魍魎の世界である。

 

母の鞭

 私の母は私に常々「男は家の外に出れば、7人の敵がいる」と言い続けた。しかし周りの知人に聞いても、そんな指導を息子にした母を聞いたことがない。子供を溺愛する親は多い。私は一人息子で甘やかされて当然であったが、そうはならなかった。それをこのような厳しい言葉で教育したのは、それ以上の愛情だと思う。母に感謝である。

 

 今一番思うことは、人生で最大の敵とは、自分に潜む怠惰な自分である。危険が分かっていてそれを安易に考える自分である。己を滅ぼすのは外の敵ではなく、内なる自分自身という敵である。

 

Dsc065661s 普賢菩薩像 松本明慶大仏師作

 賢くありたいと毎日、手を合わせている。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎著「言志四録 51選」」 久志能幾研究所刊

2021-11-23  久志能幾研究所通信 2217  小田泰仙

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2021年11月18日 (木)

我家の防災対策、人生の防災対策

 

カセットコンロ

 防災への対策として、今回、カセットコンロを整備した。電気が止まった場合の非常用加熱道具としてカセットコンロとガスボンベを整備した。

 ガスボンベは、一人一日0.5本として7日分を備蓄した。ガスボンベは賞味期限が7年であるので、1年に1本(約200円)を使っていき、その都度補充することにした。

 この情報は防災アドバイザー・髙荷智也氏のYouTubeの動画を参考にした。

 

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以下は準備スミである。

 水1週間分  2ℓ 10本 10日分

 インスタントお粥    3日分

 防災トイレ       3日分

 

他の防災・耐震対策

 自宅は築50年の日本家屋で、当初は耐震強度0.5であった。

  10年かけ耐震補強をして、耐震強度を1まで上げた。

 土付き瓦屋根を、土なし瓦に改築して、上部の重い土を除去した。

 災害時の復旧時間の短さを考え、ガスを止めてオール電化とした。

  また災害時の火の始末も考えてのオール電化である。 

 耐震ブレーカに取り換え

  地震がおさまって、再通電すると火事になる危険性がある。

  これを再通電しない機能付きのブレーカに変えた。

 耐震、防犯上で、ブロック塀を撤去した。

 2階に有った重いもの(本等)を1階に下ろした。

 

緩慢なる熱衝撃対策

 現代日本で人の寿命が延びたのは、暖房器具が進歩して、また気密性の高い家が増え、室温が上がったのが大きな要因である。室温が2度上がると、健康寿命は4歳延びると言われる。

 だから自宅では、全窓を二重ガラスにして、更に二重ガラス内窓を付けて、断熱性のよい家に改築した。

 参考文献 笹井恵里子著『室温が2度上げると健康寿命は4歳のびる』光文社新書

 

人生の防災

 人生での災害時の備えをしよう。人生は山あり、谷ありの波乱万丈である。人生を歩く場合の携帯する考えを軽くしたい。深刻に考えず、自然体で考えよう。物事に囚われると、行動が鈍くなる。囚われず、偏らず、貯めこまず、止まらず、で人生を歩みたい。人生を襲うエイリアンにまともにぶつかると倒れてしまう。柳のように、柔構造でしなやかにやり過ごしたい。人生の激震で自分を見失わないようにしよう。

 人生の戒めの言葉こそ、己の防災準備である。一寸先は闇なのだ。自分自身の燈明を持って、暗夜を行こう。

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 馬場恵峰書

2021-11-18  久志能幾研究所通信 2212  小田泰仙

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2021年11月17日 (水)

社長の後姿、会社の基礎、人生の基礎

 

 先年、一緒にMK経営塾の研修を受けた仲間が、脳内出血で倒れてしまった。下記は、その人をお見舞いに行ったら、人生模様のお経にであった。人間は行動すると、人だけでなく、お経にも出会う。

 「経」とは糸偏に、機織り機の意味のツクリから成る。糸偏は面々と続くご先祖からの歴史の流れである。機織り機は、この世の人生模様を織りなす創造者である。

 そのお経が良いか悪いかは、織りなした基礎の出来不出来に依存する。

 

脳出血の原因

 彼の会社は、大層威勢が良い会社で急成長を遂げていた。彼を研修中に身近に見た感触では、彼が倒れた原因は、食べ過ぎによる高血圧、だらしなさ(不摂生)からくる歯と眼の不調、タバコ、酒等に見られる不健康生活からきたのは明白である。

 社長は全従業員の生活に責任を負っている。そのために社長自身の健康管理は責務なのだ。

 社長がいくら高尚な経営理念を唱えても、己の体の経営さえ出来ない社長では、会社の経営が出来るとは部下は信じない。社員は社長の後姿を見つめている。「己の体の放漫経営のため病気で倒れたあんたに、そんなことは言われたくない」が社員の本音である。

 

己を支える基礎細胞

 だれのお陰で37兆個の細胞が己を還暦まで生かしくれたのか。だれが会社を支えてくれたのか。誰のお陰で今日があると思うのか。その感謝の意識が薄いことが、社長自身が冒頭で発言するイケイケドンドンの社報から伝わってくる。

 後日、山本賞の式典会場で彼の姿を見た。車椅子姿で痛々しいが、病から回復して、威勢は元のように元気になったようだ。しかし彼の会社発行の社長通信から見ると、己を支える基盤(身体、社員、社会)への感謝の意識が薄く、生かされていることに認識不足があるようだ。前のめりで高尚な言葉を会社通信に列挙しているが、足元が固まっていない。土台から崩れるのではと危惧している。

 

手抜き工事

 大地震が起こると土台基礎工事の手抜きが発覚する。阪神淡路大震災時に、ビルや市内高速道路が倒れてしまったのは、その基礎が不出来か、もしくは手抜き工事であったためだ。その証拠を消すため、十分な調査もせず、大慌てで残骸を撤去してしまったのは、後世への汚点である。まるで中国の新幹線事故で、早々に事故列車を埋めてしまったと同じだ。我々は中国を笑えない。

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 阪神淡路大震災で傾いたビル

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/9/9c/

 

会社の実態

  この会社から定期的に宣伝メールが届く。以上の経過で、内容が信用できないので、うっとおしく配信停止を連絡した。しかし全くそれが通じず、メール配信は止らない。仕方がないので迷惑メールに自動振り分けすることにした。その一件でも社長の経営方針が分かる。頭隠して尻隠さず、である。

閻魔帳への中間報告

 この社長とは研修時の席が隣り合うご縁もあったので、東京以遠の土地で、駅からも遠い病院へタクシーを飛ばしてお見舞いに行った。しかし元気になっても礼状一つ来ない。再会しても、礼一つ言わない。

 彼が脳出血で倒れた原因を見れば、人間性が分かる。あとは押して知るべし、である。良き人間観察の勉強ができたと思うべきだ。人生の周りでは声なき経が聴こえている。その経を自分に当てはめて考えるかどうかである。

 

 ご縁の貸借対照表に人生の歩みが表われる。縁の残高が少ない経営者が人生で躓く。人は山には躓かないが、小さな蟻塚に躓く。佛様は全てを閻魔帳に記載して、己の体の病気を通して閻魔帳の中間報告をされる。その時が人生の岐路である。多くの人が佛の御心も知らず、地獄への近道へ足を向ける。人生曼荼羅には全てが描かれている。人生経営での学びである。他人様は自分の鏡である。心しよう。

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 馬場恵峰書

 

2021-11-17  久志能幾研究所通信 2211  小田泰仙

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2021年11月12日 (金)

釈迦の教え、オダ仏教の解釈

 

 お釈迦様の教えと曹洞宗道元禅師の教えを、私(オダ仏教)は下記に勝手に解釈した。人生で現れる事象に事実はない。解釈があるだけである(There are no facts, only interpretations. ニーチェ)。目の前の現象や先人の教えをどう解釈するかだけである。その解釈は人によって、みんな違う。みんな違ってみんな良いのだ。

 

原因と結果

 何ごとも因果応報である。原因のない事象はない。自分の存在こそが原因であり、結果である。それを脅迫的に表現したのが「因果応報」で、文学的に表現したのが「天網恢恢疎にして漏らさず」である。それを対処療法でやるから間違える。すべての原因は己である。郵便ポストが赤いのも自分の責任である。自分が郵政大臣になれば、ポストの色だって変えれるのだ。自分が生きているから、自分に問題が起こる。

 自分が死んでも、自分は何も困らない。困るのは自分の周りの人たちである。私に仕事を依頼した人が、私の突然の死で困るだけである。本人は死んで、知ったことではない。

 どうせあと50年も経てば、関係者はみんな死んで全ては解決である。そう思えば何事も大した問題ではない。大した問題ではないからこそ、全力でやれば、来世で良いことがある。因果応報である。

 真因を見ないから迷う。対処療法でやるから袋小路に入る。真因を探せば全ては解決する。全ては空。空は色である。それを目に見える事象だけで右往左往するから、道に迷う。

 

ものは要素からなる。

 道元禅師が中国で学んだ最大のことは、「ものは一二三」である。その一つ一つの要素を押さえれば、人生は大往生である。

 人には生があり、老があり、死がある。一二三である。

 人生は前世があり、現世があり、来世がある。全て因果因縁で繋がっている。一二三である。風が吹けば桶屋が儲かるのだ。

 学校も、一年生、二年生、三年生と一二三である。

 家は基礎土台があり、家屋本体があり、屋根がある。一二三である。

 物語は、序論があり、本論があり、結論がある。一二三である。

 オーディオアンプでも、シャーシがあり、内臓回路があり、外装がある。一二三である。

 

悩みは無くならない

 生きているから、悩みが生まれる。「他人と比較しない」がお釈迦様の教えである。比較するから悩みが生まれる。

 仏さまでも悩んでいる。それを悩みのないような仏の顔になるのが修行である。観音菩薩様でも真の佛になるために、仏道を修行している。人生も死後の世も全て、修行である。だから修行で苦労話をしてはならない。

 おだ仏教(自分教)を信じよ。唯我独尊、そう思えば優雅独尊、優雅に人生を独尊で過ごせる? 他人に振り回されるから、悩みが出る。自分だけの世界を創れば、悩みは消える。自分は教祖様なのだ。教祖様は悩みがないようなフリをせねばならぬ。自分を騙せば、自分も周りの人も幸せになれる。自分が幸せな顔をすれば、回りの人も幸せにできる。仏頂面に、幸せはやって来ない。

 

今を生きよ

 あの世も、明日のことも考えてはならぬ。今を生きよ。明日があると思うな。明日は明日の風が吹く。明日の朝、目が覚める保証はない。

 あの世が有ると思うな。あると思ったほうが幸せなら、思えばよい。お釈迦様でもあの世のことは、何もおっしゃられなかった。ただ「精進せよ」とだけ言い残されて寂滅された。

 どう思おうと、今を精進して生きればよい。それが前後裁断。

 利己で生きても幸せにはなれない。利他で生きよ。

 

日々に生きる作務が修行である  

 料理を作るのも、掃除をするのも全て修行である。これは曹洞宗の教えである。

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 馬場恵峰書

2021-11-12  久志能幾研究所通信 2206  小田泰仙

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2021年11月 9日 (火)

人生舞台道具 腕時計占い、ちょん髷占い

 

人生劇場

 持ち物にその人の人格が総て現われる。人生舞台で、自分はその主人公である。その舞台道具で、家の家具も、家の造りも、買い物も、食事も、名刺も、自己紹介の資料も、身だしなみも、車も、すべてその人の演技を際立たせる舞台道具である。

 その演技の結果は、子供や親や奥さんを見れば、その人の育ちと人格が透けて見える。

 人を観るなら、目を見開いて、耳をほじくって人生劇場の役者とその舞台道具を観察しよう。それをみれば危険信号が見える。観察力が自分の身を守る。

 

大きな腕時計

 家を建てるため、住宅メーカの展示場を回っていた時、そこで会ったある若い営業マンの腕に、大きな腕時計が目を引いた。人生は何ごともバランスである。分不相応で、バランスの取れた身だしなみから見て、その時計の大きさは異常に見えた。

 私はその事象を、営業マンの一点豪華主義の誇示だと判定した。そうしないと自己表現ができないのか。何か薄っぺらな印象を受けた。人は第一印象である。それで人格の8割が現れる。そう思って大きな間違いはない。

 それで実際と違っていれば、その人とはご縁が無かったのだと思えばよい。実際にどうかは別にして、そう思われたら営業マン失格である。自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかである。あくまで決定権は相手にある。

 

家を見れば人生が分かる

 知人の多くの家を見せてもらって、その人の人生が見えた。その家に書斎があるかを見れば、その人の生き方が分かる。その家で、一番偉いご主人の書斎がない家が多くあった。それでその人の限界が見えた。書棚を見れば、その人の考えが分かる。その人は自宅の生活から醸し出した生き方を世間に晒して、人生を歩いているのだ。

 

世間の目

 マスコミを騒がしているKK氏問題でも、ポニーテール髪型が、世間にどう思われるか、それだけの問題である。たかが髪型、されど髪型である。その人は、その価値判断が、自分ファースト、自分基準なのだ。それがどういうインパクトを相手に与えるかを考えれば、営業マンの大きな腕時計の異常さが分かるはずだ。日本社会は閉鎖的で保守的なので、極端を避けるのが、密集した社会を生きる知恵なのだ。日本は欧米とは違うのだ。郷に入っては郷に従え、である。

 

オーディエンス

 テクニカルライティング技法でも、読み手がどう受けるかを考えて、文書構成と論理構成を組み立てる。決して、自分中心ではない。テクニカルライティングでは、読者をオーディエンスという。文書を書いて、オーディエンスに分かってもらわねば、書き手が非常識、伝達能力なしとみなさる。

 

がんの演技

 がんも同じである。自分が欲望のまま生きれば、体が悲鳴を上げて、体はがんに助けを求めて、その狂った生活を阻止するために、自分の体はガンを発症させる。人生はあくまで体ファーストである。たまには体のことを考えて暴飲暴食を見直そう。ご先祖から頂いた体を大事にしよう。

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馬場恵峰書

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2021-11-09  久志能幾研究所通信 2203  小田泰仙

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