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2019年12月30日 (月)

企業の拝金主義化は、日本人の劣化の表れ

 綜合文具首位のコクヨが、文具大手のぺんてるを敵対的買収を仕掛けて、結果として、敵対的買収が失敗した。その過程で、コクヨがぺんてるの従業員に内部情報を漏らすのを唆すような呼びかけをしていると、そのコクヨを非難する文書をぺんてる自社HPに公開するような醜態的事象まで起きている。文人が愛する文具を作るメーカなのに、その喧嘩の様子は野蛮人のように醜態である。まるで金で全てを解決できるかのような風潮である。

 

コクヨの経営方針の綻び

 『致知』の対談記事で、コクヨとは「国の誉れ」から社名を取ったということを覚えていたので、コクヨの敵対的買収の行為に違和感を覚えた。これはコクヨ創業者の気高き志を踏みにじることになる。それは創業家末裔の未熟さを表す恥さらし行為ではないかと感じた。

 コクヨの今回の敵対的買収の仕掛けは、日本の企業が拝金主義、グローバル経済主義に染まった現象である。経営者が、人格と同じ社格のある相手会社の尊厳を平気で踏みにじるまで劣化した象徴的事件だと思う。それがまかり通る世情にいら立ちを覚える。企業の劣化は、会社を経営する経営者の劣化である。それは日本人の人格の劣化の表れだ。

 先人が苦労して作り上げた組織を札束で頬を叩くように、敵対的買収で手に入れる。そんな行動が、グローバル経済主義では正当化されるが、日本では何か違和感がある。会社を創業し、それを継続するのは大変な労苦である。会社には、創業者の志と社会への責任がある。グローバル経済主義の裏技で、敵対的買収で、簡単にその会社を入手するのが流行る世相は異常である。

 

ソフトバンクの例

 ソフトバンクの孫氏は、米国の会社の買収工作で大火傷を負ったようだ。孫子はマネーゲームの興じているようだ。私はソフトバンクの経営方針に疑問を持っていたので、その昔、ツーカーセルラーがソフトバンクに吸収されたとき、私はソフトバンクでなく、auに切り替えた。君子危うきに近寄らず、である。

 

事務用品のメーカ変更

 今まで、私は自宅の事務用品の購入で、お店の推薦でコクヨ製のチューブファイルを揃えていたが、馴染みの文具店店が私に不合理な仕打ちをしたので、そのお店に行くのを止めた。次に変えたお店では、キング製のファイルを推奨されたので、それを買うことになった。結果として、コクヨ製からキング製に変えたことになった。

両社の製品を比較すると、明確にキング製が優れている。つまり経営者が劣化すると、製品も競争力を無くすようようだ。私は、この買収騒動事件を機に、コクヨの製品を完全に止めようと思う。その会社が作る製品は会社の顔と経営者の人格を表すのだ。

 

チューブファイルは創造の道具

 ちなみに今回、自宅書庫にあるA4、B5のチューブファイルの分量を数えてみたら、148冊が存在した。今も増加中である。我ながら呆れた。資料は私の仕事の歴史と知的創造のツールなので、ケチるわけにはいかない。

 ドイツの諺に「整理整頓は、人生の半分である」がある。私は、資料の整理にチューブファイルが欠かせない。持てる情報・資料の整理こそ、創造の源である。創造とは、学会の定義によれば、「過去の経験知識の解体と結合による」という。発明は天才の仕事だが、創造は凡人でも出来るのだ。

 

2019-12-30  久志能幾研究所通信 1439  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月28日 (土)

ご縁の裏切り者

 会社や学校の同窓会があると、欠席した昔の仲間付き合いのことが思い起こされ、会いたくなり電話をしたことがある。

 またその同窓会で数十年ぶりに再会して、別の場所でじっくりと話し合いたいと食事を誘うことがあった。しかしその3人とも、「今忙しくて、この仕事の山が越えれば会える。後で電話をするよ」と言って、そのままになってしまった。もう2年も経つが、3人から電話はない。

 

今ここ

 そういう人に限って、「今度」、「何時か」は永遠に来ない。我々には「今」しかない。私はその人とは縁がなかったと思い、こちらから督促の電話をすることはしない。ボールは相手にあるのだ。相手からの返事までの時間が、私が相手からどの程度思われているかのバロメータなのだ。男が約束したことを、忘れる人と付き合ってロクなことはない。

 

時間泥棒

 ある人を飲み会の約束をして、向こうの都合でそれがキャンセルになったことがある。相手は私の予定時間を無為にしたのだから、その巻き返しをしなければならないのに、相手はそのままにしてしまった。そういうレベルの人間であることが証明されたので、私は、彼とは表面的な付き合いは続けたが、飲み会をする縁を切った。そういうレベルの人と付き合うほど、私が時間を損する。付き合わないのが正解である。

 ここでの問題点は、「今度食事をしよう」と軽い気持ちで言った本人はコロッとそれを忘れてしまうが、言われた方はしっかりと覚えていることである。時間が経つほどに、その人の信用が減っていく。

 私が逆の立場の場合なら、万難を排してその飲み会の時間を作るのが私の主義である。ご縁は大事にしなければ、気が済まない。

 

時間は命

 人と約束するとは、相手の時間(命)を頂くのだ。時間は命である。その時の時間は、永遠に来ないのだ。一期一会とは、全力でその時間を全うする人生修行である。遅刻、延期、忘却は罪である。一刻、一刻、命が消えてゆく。今、出会うご縁は、次の機会のご縁とは全く別である。だからこそ、今のご縁を大事にしなければ、夕焼け小焼けで、日が暮れて♪」と人生の夕刻が迫るのだ。人との約束をたがえるとは、貴方の信用という人格の寿命が尽きようとしているのだ。

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  馬場恵峰書    2018年

 

2019-12-28 久志能幾研究所通信 1437  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

運命を変える一番大事な力

 組織で一番必要とされる力とは、リーダの「総合的人間力」である。組織とは、二人以上で要素から構成された集合体である。集合体である以上、それを統括するリーダが必用である。会社で言えば、社長であり、家庭であれば家の主である。自分の体という組織なら、己の頭(心)がその統括者である。そのリーダが組織の持つ資源を最大限生かして、成果を最大にする営みを「経営」という。

 リーダがその経営を間違えるから、組織が左前になり倒産する。自分の体の経営を放漫経営するから、病気になり、早死にする。

 

組織とは

 組織は人、モノ、カネ、情報、歴史からなる。国で言えば、人(国民)、モノ(国土、インフラ)、情報(文化資産)、歴史からなる。

 会社で言えば、人、商品力(モノ)、カネ(資本力、土地、インフラ)、情報(情報資産)、歴史(信用、伝統)からなる。

 

資源の分類

 その資源の内、「人」こそが未来を作る組織の競争力である。「モノ、カネ、情報、歴史」は過去に作られた組織の補助力(追い風)である。

 自分の未来を作るのは、親からもらった遺産でもなく環境でもない。自分等言う「人」が未来を作るのだ。その意識の有無が成果に差を生む。

 企業を発展させるのは(逆境に立ち向かう力)、モノでもカネでも歴史(伝統)でもなく、「人」という綜合的人間力である。過去の栄光は、企業の発展には、過去の遺物は追い風にはなっても、推進力にはならない。

 

経営者の質

 しかし中小企業、いわんや大企業でも、指導者の素養を持つ人材は極めて少ない。大企業での経営者が有名大学を出ているから、指導層の素養を持っているわけではない。指導層になるには、相応の素養が必用だ。それがないと、知識はあっても経営の智慧のない経営者となる。その悪例は、大垣を没落に導いた市長の小川敏の経営の無能さを見ればよい。

 大企業でも有名大学を出たが、経営に無知で、指導者の素養がない人が社長を務めると、会社がつぶれている。日産、三菱自動車、東電、JR西日本、電通、タカタ、松下電器、シャープ、パイオニア等と事例が、次から次に湧き出る程である。

 

自分の体の経営者

 自分が何の為に、此の世に生まれてきたかの意識がないから、もてる最大のお宝の命を粗末にするのだ。だから病気になる。それは己の体の経営者失格である。乱れた食の経営、乱れた生活の経営、利己欲の制御の失敗、それが病気を招く。

 

ネッツトヨタ南国の経営

 経営者・リーダが持つべき力が「人間力」である。ネッツトヨタ南国では、社員全員が経営者の意識で働いている。だからネッツトヨタ南国は、不況で同業他社が売り上げを減らしている時も、成長している。

 その人間力の源は、「心」の問題である。グローバル経済主義競争が激化して、その心の教育がないがしろにされ、利他の心が失われ、利己主義、拝金主義が蔓延した。その結果、日本の「失われた30年」が生まれた。私が危機感を抱き、前職で技術者教育講座に「修身」の講座を新設し、私がその講師役を務めたのも、この危機感からである。

 ネッツトヨタ南国では、社員教育でこの人間力を高める仕組みを構築して、社員に目覚めさせている。最大の要点は、「何の為に働くか」を意識させるのだ。それに気が付けば、人間力は自ら高めていく。

 

「全ての成功は、メンタルから始まります。」

   サーシャ・パイン(テニス選手・大坂なおみのコーチ)

 

人間力とは

  自然の理を理解して経営する力

  自分の資源を最大限生かす力

  回りの人の持つ資源を、最大限に生かせる力

  周りの人を気遣う力

  困難に立ち向かう力

  恥をかく力(自惚れが強いと恥をかかないため黙っている)

  自ら考え、自ら発信し、自ら行動し、反省する力

  知識ではなく、智慧を活用する力

  夢見る力(夢のない人は人間ではない)

  AIには出来ない道徳、倫理観、慈悲を持つ力

  何の為に働くかを理解する力

  生まれてきた意味を考え、自分の使命を果たす力

 

 これと真逆の経営をしているのが小川敏の大垣市政である。「狂った政治」を18年間も続けた。だから大垣市は衰退した。

 自分の体の経営も同じである。これに反した「狂った生活」を送れば病気になる。日本人の半分が癌になるのは、使命感を忘れ、拝金主義、利己主義の「狂った生活」をしているため。つまり日本人に人間力が低下しているためである。

 心を整えれば、己の体は自分自身のモノではなく、世のために尽くすためにあることに気が付く。己が生まれた理由とその使命に気が付くはずだ。そうすれば、仏様のご加護で病気にならない。世のために何かを残そうという気になる。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)よ

 

以上は横田塾(2019年11月7日、11月10日、プレジデント社主催)でのネッツトヨタ南国の横田英毅相談役の講義、馬場恵峰先生の「言志四録」講義(2019年1月~12月)、南雲吉則先生の講義をヒントに作成しました。 

 

2019-12-27 久志能幾研究所通信 1436  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月26日 (木)

人生の賞味期限、毎日が賞味期限

 どんな食品でも、どんな生物でも、どんな工業製品でも、どんな生き方でも、賞味期限というのがある。食品では、製造後、味が保証された賞味期限というのがある。家電製品でも補修部品の保管期限はせいぜい10年である。だから家電製品の賞味期限は10年である。

 人間なら若い時しか、記憶力に頼ったペーパー試験で良い成績は残せない。私も還暦後、記憶力がモノを言う国家資格に挑戦したが、記憶力が旺盛な若い人たちに負けてしまった。記憶力は若い時だけの賞味期限である。還暦後では、私の記憶力は賞味期限切れであった。

 人間として仕事をする労働者としての賞味期限は、せいぜい60歳までである。だから求人広告でも、年齢制限があり、60歳以上の再雇用は限定される。世の常として体力・知力が正常に働けるのが還暦までが自然の理である。

 

小川敏の賞味期限

 現在69歳の小川敏は、市長としての賞味期限は切れている。だから市長として痴呆的な行動が目につくようになった。それが自分で分からないのは、認知症の一歩前のようだ。情報を知識として覚えているだけで、智慧がないから痴呆的な行政が顕著になってきた。世の常識として、市長6選に向けて宣言するなど、正気の沙汰ではない。小川敏は、市長の立場で、それを意識せず、お役所のお山の大将として、ルーチンワークだけで時間を無為無策に過ごしたから、脳が賞味期限切れとなり、出す政策が間違いばかりで、結果として大垣を衰退させた。大垣が勝手に衰退したのではない。小川敏が衰退させたのだ。

 

人生は闘いの日々

 人間は毎日が賞味期限との闘いである。毎日が勉強の機会なのだ。燃えるような恋は若い時しかできない。体力に任せての徹夜の連続も、若い時だけが可能で、体力にも賞味期限がある。私も若い時は、体力に任せて徹夜もやり、寝ずに連続40時間以上のトラブル処理の労働もしたが、今はとてもじゃないが、そんな激務では体がもたない。

 いくら才能があっても、20歳の若人の瞬発力に、中年のアスリートでも負ける。中年のアスリートはオリンピック選手として賞味期限が切れたのだ。しかし、今からはコーチとしての活躍の世界が広がっている。

 わき目も振らず勉学に打ち込めるのも若い時だけである。歳をとると目の前に誘惑の魅力ある事象が目白押しである。人として修行のような勉学期間の賞味期限が切れたのだ。

 人間には春夏秋冬、その時々の賞味期限があり、それに合わせた人生設計が必用だ。それを考えないから、人間として早く賞味期限切れとなり、生きる意味を失い、早く死ぬ。

 

成績一番の末路

 小学校、中学校、高校、大学で常に成績で一番を取り、松下電器に就職してエライさんにまで上り詰めた人がいた。しかして年になり会社を離れたら直ぐ病気になり、世間から遠ざかった生活になった。そして間もなく、国立病院に入り、亡くなられた。組織の流れに身を任せて、自分で自分の人生を設計してこなかった人の末路である。いくら頭がよくても、智慧がなかったのだ。己の人生の成長戦略がなく、組織を離れ自分の時間が出来た時は、人生の賞味期限が切れてしまったのだ。長崎の馬場恵峰先生の知人である。

 

毎日が真剣勝負、毎日が賞味期限

 今日という日の賞味期限は、その日限りである。己が生まれて何歳何日というこの日は、二度と巡ってこない。毎日が賞味期限との闘いの真剣勝負である。日々、人は賞味期限切れ(死)に向かって時間がカウントダウンしている。毎日、良いことを考え、よいことを実行すれば、日々好日なのだ。無為無策に時間をすごすと、日々悪日となる。

 

「無職」という職業

 馬場恵峰先生は「無職」という職業を選択したので、日々やることがあり過ぎて忙しくて仕方がないという。金に縛られた職業なら、その与えられた仕事を期日までに済ませれば、後は暇である。しかし「無職」では、その制約がなく、やることがどんどん浮かんできて、忙しいという。それはボケ防止には良いことのようだ。馬場恵峰先生は93歳の現在も矍鑠としてみえる。書道家として現役である。私もそういう師を持つと、おちおち死んでなんかおられない。

 「人生二度なし、生涯現役」宣言は、有効期限なしのゴールドの人生運転免許証である。

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2019-12-25 久志能幾研究所通信 1434  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月23日 (月)

己の道は手のうちに

己を拝め

 キリスト教で「天にまします我らの神よ」と祈っても、仏教で「南無阿弥陀仏」と手を合わせても、神も仏も己を助けてはくれない。ただ見守っているだけである。己を助けるのは己である。己が人生の運命を握っているのに、それの努力をしないで、「神も仏もないないのか」と運命を嘆いても、それはお門違いである。

 人は自分を拝む勉強をしない。自分が行動を起こさなければ、人生は変わらない。

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 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

 

背中を観よ

 自分の背中を観よ。しかし己は己の背中は見えないし、観たことはない。己を支えてくれるのは背中である。

 仏様が与えてくれた機会を他人の為に、人のために話をしなければ、自分は幸せになれない。いいことを、良いことは人に話さねばならない。黙っている人こそ、くせ者である。保身者である。

 人がしないから、させてもらっている。自分が幸せを作っていくのだ。実力の裏が教養である。早く勉強した人が、早く実力をつける。

 自らが人生の暗夜を自らの灯で灯せ。だからお釈迦様は「自灯明」を説かれた。

 

実践あるのみ

 夢ばかり見て、手本ばかりを見て、書を書くからうまく書けない。自分で考えて書けば、うまくなる。人の真似をするな。自分で考えて書け、覚えて書け、である。

 習字をするからうまくならない。作品を書きなさい。下手でもいいから高い紙に丁寧に書きなさい。そうすれば残るし、うまくなる。安い半紙に練習字を書くから上手くならない。

 だから書道を仕事に当てはめて考えるなら、師の行動を真似するな、自分で考えろ、考えて行動しろ。師の行動は、師の人格の表れである。それを真似しても意味がない。自分で考えて、自分の人格が現われる行動をすべきである。それが学びの成果である。それでこそ師を乗り越えられる。

 

我以外皆師

 書の教室に来ても、自分だけ先生から添削をしてもらったら、後は知らんふりでは成長できない。他のお弟子さんが先生から添削を受けている状況を見て学べ。それが「我以外皆師」である。人生二度なしで、一生勉強である。

 字書き恥かきで、実際に恥をかいて体験しないと成長できない。恥をかくことを避けるのは、自分が可愛くて、自分を守り過ぎである。それは自惚れである。これでは成長できない。

 これは全ての道(武道、芸道、学道)で、いくら秘伝書でノウハウを伝えても、血の滲む鍛錬を繰り返さないと名人にはなれない。ノウハウをいくら読んでも、実体験しないと意味がない。それが難しい。今はノウハウ書がオンパレードであるが、それでは薄っぺらな道しか得られない。それは本当の勉強していないことである。

 

厳師の教え

 自分を厳し指導してくれる師が運命を拓く。だからこそ「3年かけて師を探せ」である。真剣に叱ってくれる師が本物の師である。師たるものは自分に厳しく学びを忘れてはならない。

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 馬場恵峰書

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 馬場恵峰師 2019年12月12日、‏‎20:23(夜の部の講義)

馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」をテキストに講義中

 

若手エリートの末路

 私の前職の会社でも、私が主任の時、私の部署に入社してきたエリートと目された二人の若手がちやほやされ、泥臭い汗を流してきた私を追い抜いていった。そして会社より博士号を取るために大学に派遣された。しかしその一人は、数年後、処遇を不満として会社に泥をかける様に去って行った。もう一人は、引き上げてくれる役員が力を無くすと、閑職に追いやられた。それで精神の病になり、今は鳴かず飛ばすの状態となった。泥臭い汗をかかなかった咎であると思う。「若くして高座に上った」咎である。エリート意識で、命を上司に任せて、自ら人生の灯を掲げなかった咎である。自ら己を拝まなかったのは人間として怠慢である。拝まないから反省がない。

 そんな不合理な学閥優先の人事が横行した前職の会社は市場から消えた。仏様は良く観ておられると思った。「天網恢恢疎にして漏らさず」を実感した。

 

小川敏の末路

 小川敏はド田舎の大垣市で、東大卒というブランドが効き、偶然、市長職になれて、それを20年弱の長きに務めることになった。しかし頭がよくても智慧がなく、過去に地道な雑巾がけの修行をしなかったため、恥さらしな行事をしても恥とも思わない人間に落ちぶれた。結果として18年間で大垣市は衰退した。大垣の公示地価は半分以下に暴落した。大垣の顔である大垣駅前商店街は80%が店を閉めた。大垣市の児童生徒の教育環境を県下で最低レベルに堕とした。

 一番大事な教育をないがしろにしたのは、大罪である。大垣市の未来は大垣市長の手の内にあるのに、それを蔑ろにした。その職位にあって、やるべきことをやらないのを、仏教では、「悪人」という。

 

以上は2019年12月12日、「生き活き教養塾」で馬場恵峰先生が講義した内容を元に記述しました。

 

2019-12-23 久志能幾研究所通信 1432  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月22日 (日)

童謡「夕焼け小焼け」は人生哲学

 童謡「夕焼け小焼けは」人生哲学の唄である。馬場恵峰先生が旧第五高等学校(現熊本大学)で心理学の教授から、その意味を教えられたという。時に太平洋戦争開戦の直前である。

 

夕焼け小焼けで日が暮れて

山のお寺の鐘が鳴る

お手々つないで皆帰ろう

烏と一緒に帰りましょう

子供が帰った 後からは

まるい大きな お月さま

小鳥が夢を 見るころは

空にはきらきら 金の星

  中村雨虹作詞、草川信作曲、大正8年に発表 

 

歌詞の意味

夕焼け小焼けで日が暮れて♪

 平穏な人生を送った人も波乱万丈の人も何時かは人生の幕が下りる。

 己もいつしか年老い、人生が暮れようとしている。

山のお寺の鐘が鳴る♪

 己の葬式で導師が叩く鐘の音で、参列者が己のために合掌する。

お手々つないで皆帰ろう♪

 どんな人も必ず死ぬ。皆で一緒に浄土に還るのだ。

 遅いか早いかである。死ねば皆、佛である。

 その差の年月は、長い人間の歴史上では誤差範囲である。

カラスと一緒に帰りましょう♪

 頭の黒い人間でも一緒に浄土に還っていく。 

 雀でも白鳥でもなく、一緒に帰っていくのは黒いカラスなのだ。

 黒い喪服を着たカラスなのだ。悪いことをしたカラスでも一緒に浄土にいくのだ。

 

 宗教学者の山折哲雄氏は、「夕焼け小焼け」の歌詞の背景には、『般若心経』の真言があるとしている。般若心経の最後の部分は「ぎゃーてい ぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわか」である。その意味は、「いきましょう。ゆきましょう。囚われなき悟りの世界へ人々と共に行きましょう。」である。

 

子供が帰った 後からは♪

まるい大きな お月さま♪

小鳥が夢を 見るころは♪

空にはきらきら 金の星♪

 夢の中で、自分の金のような人生目標が空に輝いている。

 死ぬまでにその目標に向かって少しでも実現したい。

 皆が眠った(死の)後は、丸い大きなお月様(佛様)が皆を見守っている。

 だから安心して眠りなさい。

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 馬場恵峰書

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 馬場恵峰先生 2019年12月12日、11:07

  

「夕焼け小焼け」の教え

 私は馬場恵峰先生の解説を聞いて、初めてこの童謡の意味を知った。だからこそ、眠る前に精一杯の精進をして自分の夢を実現させたい。それでこそ金の星の夢を抱いた人間である。私は今年、大病をして死期への時間意識に目覚めた。しかし今回、先生の解説を聞いて夢を実現させる勇気が湧いてきた。人は必ず死ぬ。その見極めをして、決断すべきを決断して、見切りをつけなければ、死の間際に悔いが残る。やらない悔いよりもやって失敗した悔いの方がよい。背水の陣の決意を持って、何事も実行すれば成功する。先生の講義に感謝です。

 

上記は2019年12月12日、「生き活き教養塾」で馬場恵峰先生が講義した内容を元に記述しました。

 

2019-12-22 久志能幾研究所通信 1431  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年12月21日 (土)

自分は仕事以外に何が出来るのか?

 会社を定年になり、会社を離れて自分は仕事以外に何が出来るのかを、自身に問うべきである。だから第二の人生で何が出来るのかを、会社に勤めている間に道を探すべきなのだ。会社に勤めている間に、その道を歩く準備に一日の時間の1割を割いて学ぶべきだ。そうしないと、定年後、やることがなく認知症になり、早く死ぬ。

 仕事は生活の糧である。それを卒業した後が、本当の人生なのだ。家のローンも終わり、子育ても終り、これからが人生の収穫期である。それなのに、やることがないなんて、惨めすぎる。それは社畜の人生だ。

 第二の人生でやることが、魂の糧となる。己は会社生活38年間で、何をするために生まれてきたかを、悟るべきだ。

 

利己主義の弊害

 下手でもいい、何かを取り組むべき。最初は下手で当たり前。字書き恥かきというように、恥をかかないから、何事もうまくいかない。

 身の回りで問題があっても「言わぬが花」と黙っている人は、保身主義者である。自分が可愛いのだ。自分が傷つきたくないのだ。それは今まで世間様から育ててもらった御恩を忘れた畜生の行為である。

 「学びしことを人に教えざるは、借金をして返さざるが如し」と福沢諭吉翁は説いた。今まで多くのことを人から学んできた。そのお陰で智慧ある年長者に成長したのだから、それを人に教えないと、知識泥棒になってしまう。教えないから、認知症になる「俺には関係ない」と利己主義を出すから、認知症になる。日本では、65歳以上の15%は認知症である。グローバル経済主義の氾濫で利己主義者が増えたのも原因の一つである。

 

人に教える

 情報とは情けの知らせである。それを自分の頭の中で、その流れを止めるから、頭の中で腐ってくる。溜めずに、人に話してその考えを流すから新しい発想や別の情報が入り、生まれてくる。

 それはお金も同じである。お金は財産ではない。経験を得るための回数券なのだ。それを溜めるから、有効期限切れになって腐る。若い時に使うべき経験のチャンスは、年老いてからでは有効期限切れで使えない。私も若いときにやっておくべきことが出来ず、後悔してことが多々ある。お金を世間に流せば、利子をつけて帰ってくる。その利子とは経験から生まれる智慧である。

 馬場恵峰先生は、自費で240回以上も中国に旅された。その経費は約7千万円で、お金は消えたが、それから得た智慧は頭の中に残っている。得たご縁は限りない。明日(12月13日)から、馬場恵峰先生は最後の中国旅行をされるが、それは人生最後のお別れの挨拶回りという。体力的に今回が最後の旅行になるという。何ごとも永遠に続くわけではない。

 

宗教の教え

 会社生活でしみ込んだ自己中心主義を止めないと、定年後の第二の人生は寂しいものになる。仏教もキリスト教も「自己中心主義を止めなさい」が基本の教えである。欧米の企業が害毒を振りまいたグローバル経済主義、拝金主義、利己主義が日本人の心を破壊している。宗教はそれとは反対の教えである。

 己の第二の人生で、人を祈る気持ちがないと、神仏の加護はない。今の成果主義、利己主義の権現のままでは、社会に受け入れてもらえない。

 

学び

 何のために学ぶかというと、己の感性を高めるためである。感性とは教養の事。それは学習しないと身に付かない。そのために「温故知新」、「温故創新」が必用だ。生涯かけて知識を学び知恵を磨くのだ。

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 以上は2019年12月12日、「生き活き教養塾」で馬場恵峰先生が講義した内容を元に記述しました。

 

2019-12-21 久志能幾研究所通信 1430  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月20日 (金)

価値創造力を計算する式

 2019年12月19日、友人と知立のホテルで食事を共にした。バイキング形式の昼食である。病み上がりであるので、食べる量を自省したつもりであったが、久しぶりに友人とお互いの病気の話に会話が弾み、つい食べ過ぎたようで、あとから少し嘔吐してしまった。それで疲労困憊になり帰宅後、すぐ寝てしまいブログのアップが出来なかった。恐縮です。まだまだ体調が完全に回復していないことを思い知らされた。健康の大事さを再度痛感した。健康でなければ、ブログ一つ書けない。

 

価値創造力

 そこで思いついたのが、自分の人間としての価値創造力を算出する方法である。成果を算出する式は、京セラの稲盛和夫氏や日本電産の永守重信氏の唱える式があり、企業創造力を算出する式も多数存在するので、それを参考に自分が付加価値を生みだす力を算出する方法を考えた。

 その実力を削いでいるのが、食欲であることを今回の食事会で痛感した。それで、この式に「利己欲」の項を追加した。自分の体を利他のために使おうと思うなら、ドカ食いはしないもの。自分の体は夢を実現するするための大事な資源だのだ。それを傷つけてはいけない。

 

【価値創造力】=[志]×[熱意]×[能力]×[道具]×[徳力]×[神仏加護力]×([利他力]÷[利己欲])+[知識]

 

 能力とは体力、決断力、知力、智慧の力である。能力がいくらあっても健康でなければ、実力を発揮できない。死んでもいいから健康管理である。志があれば仏様が守ってくれる。

 利己欲が強いと、能力があっても、例えば食欲や物欲があり過ぎると食べ過ぎて病気になる。その欲望が制御できず、却って能力が削がれてしまう。自分を自制できない人間に神仏もご加護を与えないだろう。いくら能力があっても神仏の加護がないと、その成果には限度がある。

 それと反対に利他欲が大きいと神仏のご加護がある。世のため人のためとの利他欲は大きほど、大きな仕事が出来る。大きく望まないから、小さな成果で終わる。

 知識は単に足し算だが、志、熱意、能力、道具、徳力、神仏加護力は掛け算である。それより智慧が大事である。人は智慧を持ち賢くありたい。知識を持っていても愚かで賢くない人が多い。

 私は文殊菩薩と普賢菩薩に毎日、手を合わせている。

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 松本明慶大仏師作 文殊菩薩と普賢菩薩

 

2019-12-20 久志能幾研究所通信 1429  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月18日 (水)

毎日0.1%の改善で3倍の成長、9倍の差

 毎日、小さくても執拗な反省をして継続的な改善(成長)をすれば1年で1.4倍となる。3年間で3倍の成長が出来る。

 

 365日のべき乗  1.001^365       =  1.44 (複利計算)

 3年間のべき乗   1.001^(365*3)    =  2.99

 10年間のべき乗  1.001^(365*10) =  38

 

 毎日、自分の行動や考え方を見直して、無駄な行動や考えを0.1%だけでよいので改善して、その改善を3年間継続すると、能力は3倍になり、何もやらない場合より10倍の差となる。

 毎日、怠けて過ごすと3年間で、資源(能力、病気抵抗力、財産)が3分の一に退化する。それは認知症になること。

 日本人65歳以上の15%が認知症である。75歳以上は25%が認知症である。認知症にならなければ、日本人の半分は癌になる。毎日、不健康な生活になるように改悪し続けると、癌になる要素が少しづつ(0.1%)蓄えられて、定年後に許容値を超えて癌になるのだ。

 この世では、最高の事しか起こらない。癌や認知症になる要素を長年蓄える改善(改悪)を積み重ねるから、最高の結果として病気になる。毎日の積み重ねの賜物(?)である。

 

トヨタの成功

 トヨタは日々、執拗な反省と継続的な改善を積み重ねて、世界一の自動車メーカになった。ある日突然に日本一になったのではない。トヨタ生産方式を泥縄式に導入しても、他社は容易に追いつけない。企業文化の勝利である。

 日産はトップの社内派閥争いに暮れて、改善が疎かになった。ゴーンが来て、倒産することは免れた。しかしその間に、内緒で骨までしゃぶられた。

 トヨタの30年前の売上は8兆円、現在は30兆円である。

 日産の30年前の売上は5.8兆円(1993)、現在はやっと10.6兆円である。,

 

大垣市・小川敏の失敗

 小川敏は大垣市で無為無策の無能行政を18年間も継続したので、毎年0.1%づつ大垣の公示地価が下がり続け、18年後に大垣の地価が49%の価値に暴落した。地価はその都市の市長の通信簿である。それは小川敏の無能さの証明である。今更、その挽回は不可能である。

 成長している都市、企業、人は活気と智慧がその後ろ姿から垣間見える。それに対して没落している都市や企業、人は活気がなく寂れた雰囲気を出している。

 常識で考えて、向上心のある市長なら、都市を没落させることになる非常識な行事はやらないものだ。例えば、ギネス水饅頭の共食い大会、100執念で、100個の行事を無理やり捏造して市民税を浪費する市制100周年記念行事、大垣の衰退の原因となっている元気ハツラツ市行事の暴走遂行である。身分不相応の豪華な新市庁舎の建設である。そして市民税を使った行事の使途用途が、会計報告マル秘扱いとなる条令を定めるなんて狂気の沙汰である。

 自分が東大を出て頭がいいと己惚れて、回りがバカに見えるから、トヨタのように実直で執拗な反省をするはずがなく、改善などするわけがない。だから経営の基本のPDCAさえ回せない。経営者失格である。小川敏に支配された大垣市が没落して当然である。

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日産・ゴーンの失敗

 日産の場合も同じである。フランスのエリート校を出たゴーンは、日本人を馬鹿にして、自分のやる改革案が最高だと思い実行した。ゴーンが実施した「コストカッター」は、単なる資産の切り売りであった。余分な資産を売れば現金が入り、足手まといな系列を切れば業績が、回復して当然である。

 トヨタでは、業績の悪い系列会社を切るのではなく、トヨタ生産管理部がその会社に乗り来んでトヨタ生産方式の改善の指導をして、儲かる企業に変身させる。トヨタと系列会社は一心同体なのだ。ゴーンは、安易な目先の改革案に溺れて、日産を洗脳教育した。ゴーンは日産の教祖になった。だから誰もゴーンに何も言えなかった。だから頭いいと己惚れていたゴーンは実直な改善など見向きもしなかった。彼はトヨタの改善活動を、東京から遠いド田舎の豊田市の貧乏根性がなせる業だと思っていたのだろう。小川敏はゴーンと同じ轍を歩んでいる。

 

2019-12-17 久志能幾研究所通信 1427  小田泰仙

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2019年12月17日 (火)

四時の序、功を成したものは去る

 これは『十八史略』にある言葉で、「四時」とは春夏秋冬の事である。春は春の役割を果たし、夏につなげていく。夏も秋も冬も同じである。各時がその役割を全力で果して、次の季節につなげていく。

 人間も同じである。今の時代を、今求められる役割を果して、次の世代につなげていく。そして彼岸に去っていく。今まで、人間が生きてきた自然の摂理である。人間だけでなく自然界の摂理である。

 前の世代の人たちの頑張りがあったから、今の日本がある。我々はそれを次世代につなげていく責務がある。今を生きる我々は、前の世代から受け継いだ資源を最大に活用して、次の世代につなげないといけない。

 

なぜそんなに頑張るのか?

 故河村義子先生が、大垣の音楽活動の普及で皆さんのために異常に頑張っているので、「どうしてそんなに頑張っておられるのですか?」と問うたら、「つなげたいから」がその返事であった。後から考えると、自己の死期を悟って、全力で今の活動をつなげたいとの河村義子先生の想いの叫びであった。

 私は義子先生と自分の活動を比較して、自分は何を受け継ぎ、何を後世に伝えるか、真剣に考えている。

 

小川敏の役割

 小川敏は、大垣の行政の歴史で何を受け継ぎ、何を伝えるのか。大垣の歴史を破壊し、経済を破壊して、教育を破壊して、長期政権という虚名だけを残したのではないか。小川敏は、大垣を没落させた罪人である。この時代のやるべき役割を放棄した罪人である。

 

小川敏は悪人

 小川敏は悪人である。仏教の経典での教えは、「悪人」とは悪いことをした人のことではない。人のためにやるべきことをやらなかった人間の事である。責任者として、その世代にやるべきことをやらなかった人間である。

 

2019-12-16 久志能幾研究所通信 1426  小田泰仙

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