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2019年12月14日 (土)

講演会品質とカメラマン人格

 2019年12月10日、プレジデント社開催のネッツトヨタ南国の横田英毅相談役の経営塾に参加した。そこでの問題は、その経営塾の講義の間、専属のカメラマンがビデオと写真を撮影して、一眼レフCANON 5DⅣのシャッター音がうるさかったことである。ミラーレスカメラが出現する前までは、一眼レフのカシャカシャというシャッター音は仕方がないと諦めていた。

 講演会や経営塾の講義内容を商品として売るなら、一眼レフカメラのシャッター音のない静寂な講演会にして欲しい。講師の話に没頭したいのだ。

 

無音カメラを愛用

 私は2年前から、演奏会用にミラーレスカメラSony α9の無音カメラを愛用して、演奏会では周りに迷惑をかけないように無音で撮影している。場所も演奏会ホールの一番後ろで、望遠レンズを使って撮影である。また演奏中はその席から動かない。動けば音楽演奏に集中している聴衆に迷惑である。

 それと比較して、雑誌社主催の講演会での一眼レフのシャッター音が気になった。雑誌社のカメラマンが、まるでそのシャッター音に無神経なのだ。主催者も無神経である。カメラマンは講演内容など気にしていないのだろう。それでは撮影する画像の品質も悪かろと推察してしまう。

 そのカメラマンは、70~200mm望遠レンズを装備して撮影しているのだから、講師の遠くから撮影すれば良い。それを聴衆の前に出てきて撮影するので、目障りで不愉快である。カメラマンの音と動きが暴力である。「講演会」という商品を破壊している。

 

他社の例

 これは致知出版社の講演会でも同じである。素人と思われるカメラマン(女性社員や若手一般社員)が真剣に聞いている聴衆の前にきて、一眼レフのデカいシャッター音をマシンガンのように平気で立てて撮影している。数多くシャッターを切れば、その分、仕事をしているように思うのか、撮影する写真枚数も多すぎる。雑誌に掲載される公演中の写真は1、2枚のみである。要はド素人の撮影者なのだ。この件は、致知出版社の主催者の幹部に苦言しても、少しも改善されない。カメラマンが変われば、元の木阿弥であった。

 問題は、カメラマンの横で話を聞いている聴衆にとって耳障りであること。後でその出版社から発売された講演CDを聞くと、そのパシャパシャというシャッター音が録音されている。それを聞くたびにその講演のか所でシャッター音の雑音を聞かされることだ。一度気になると、その録音の話の途中で、ますます気になる。

 

大垣市の例

 11月9日に大垣市で開催された歴史講座「明智光秀の生誕地」でも、大垣市役所の専属カメラマンが静かな講演会会場で一眼レフの大きなシャッター音を立てて撮影していた。それが私の真横でパシャパシャなので、余計に気になった。それで大垣市の文化レベルが分かってしまう。大垣市は文化には金をケチるのだ。大垣市は、痴呆的行事には億単位の金を散財するが、文化への設備投資にはビタ一文出さない。

P1130367s 大垣市歴史講座「明智光秀の生誕地」 2019年11月9日

 

 つい最近、河村義子先生の演奏会で、中日新聞社のカメラマンが私の横で一眼レフの大きな音を立てて撮影していた。私は無音のミラーレスカメラであった。それで中日新聞社の文化レベルが露見してしまった。

 テレビ報道でも、記者会見の撮影現場では、一眼レフのシャッター音がすさまじい。それが当たり前と思うことが異常である。世は無音シャッターのカメラが主流になりつつある。講演会主催者は世の技術の動向を見て欲しい。

 

全員が経営者

 自分はカメラマンで撮影するだけ、自分は講演会を運営するだけ、自分は客を集めるだけと、全体の講演会を「経営する」という視点が主催者にないから、品質の悪い商品(講演会・経営塾)が出来上がる。それは部分最適の経営をしているのだ。講師は満点、カメラマンも満点、司会者も満点、客集めも満点。しかし全体評価はイマイチとなる。だから客に感動を与える商品を提供できないのだ。それでは他社の猿真似の商品になってしまう。日本の経営が行き詰まってているのは、経営者が部分最適を追い求めすぎ、顧客のことと全体最適を考えていないからだ。結果として部分最適に特化した欧米に負ける経営となっている。欧米の価値観は金儲け至上主義、部分最適主義である。

  

ネッツトヨタ南国の経営

 ネッツトヨタ南国では、全員が経営者の意識で、お客様が何を望んでいるかを、社員全員に考えさせて客に感動を売る経営をしている。私はその経営に興味があり、今回、横田さんの講演会を知り、東京に聴きに行った。

 

2019-12-14 久志能幾研究所通信 1424  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月 8日 (日)

体重を25kg削減させた刃

 身辺整理で家中の書類を整理していたら、2009年10月29日の人間ドックのデータが目に留まった。そのデータを見て考えてしまった。

 飽食は病気の元なのだ。世の中は「食べろ、食べろ」と誘惑の大合唱である。消費者に腹いっぱい食べさせたいと思う食品業界の企業戦士達は、金儲けが目的で、人の健康など知ったことではない。その食の誘惑に負けた人間が病気になる。「止められない♪ 止まらない♪ 河童妖怪♪」は、病気へのお誘いの歌である。食べ過ぎた後は、胃腸薬の宣伝CMの大合唱である。日本の食品業界は何かおかしい。

 

人間ドックの変化

    2009年10月29日    2019年12月8日

体重    75.4 kg         50.40 kg

腹囲    96 cm          75 cm

体脂肪率  25.8           9.3

 

 2009年10月の人間ドックの後、私に大腸ポリープが発見され、その摘出手術をした。大腸がんになる恐怖心から、2010年1月からダイエットに取り組み7か月で14キロの減量に成功した。

 それから9年後の2019年2月に癌が見つかり手術をした。結果として半年で17キロほど痩せたが、2009年から見ると、体重25キロ減、腹囲21㎝減、体脂肪率16.5減である。

Dsc08070s    2019‎年‎11‎月‎2‎日

 人から見ると羨ましいかもしれないが、体力も同時に無くなり、体が思うように動かず辛い。知人の話しでは、体力が回復するのに1年間は要するという。これも試練である。

 

一食は医者のため

 ドイツには古くから次の諺がある「1日3食のうち2食は自分のため、1食は医者のため。」

 体重が75キロから25キロも減ったので、1/3が減った。つまり1食分の体重が減ったわけだ。ドイツの諺通りである。

 政府や医学界が「健康の為、3食キチンと食べろ」とうるさく言うのは、「しっかり食べて、しっかりと病気になって、しっかりと稼がせて欲しい」という本音が裏にある。余分に食べるから、体の飢餓防衛機能で、その脂肪が体に必要以上に蓄えられるから病気になる。要は、今までが食べ過ぎなのだ。

 今回の私の大病は、仏様からの戒めなのだ。若い時は、病気には体力でカバーができたが、加齢で病気への抵抗力が減少した時、発病するようだ。その時の対応で生死がわかれる。幸いにして、仏様と河村義子先生からの霊界メッセージに命を助けてもらった。その助けて頂いた命を大事にしていきたい。

 

医者の食べる分

 国の予算で税収60兆円、医療費40兆円という現実を、自分の年収と今回の医療費の支払いを比較すると、まんざらかけ離れた比率でないことを発見した。いかに今まで、医者のために食べていたかを実感した。食べ過ぎるから病気になる。食べ足りないくらいが丁度いいのだ。食を我慢する意思は難しいが、己を生んでくれた両親への感謝の念を起こし、己の使命を考えれば、出来ることである。

 

健康管理

 お金を稼ぐつもりで、健康管理をすれば、無駄な医療費が無くなる。健康であることが、最大の稼ぎである。健康でなければ、お金も貯まらない。人のため、世のためにも貢献できない。自分の使命が達成できない。死んでもいいから(?)、健康であるべきだ。だから私は死ぬ気で(?)、健康管理に取り組んでいる。

 己は何のために生きているのか。単に食べるために生きているのではないことを今回に病気で思い知った。

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馬場恵峰書

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)より

2019-12-08 久志能幾研究所通信 1419  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年12月 7日 (土)

組織の長の存在意味

 組織の長の存在目的は、その組織の顧客(市民・社員)の創造と維持のために働くことである。

 「経営の目的の正しい定義はただ一つ、顧客の創造と維持である。(ピーター・ドラッカー)

 日本創造学会の「創造」の定義は、「今あるモノの分解・再構築で新しい価値を生む出す」である。

 「発明」は天才が、今までにないものを生み出すこと。しかし凡人の我々は、発明は難しくても、智慧と熱意があれば創造はできる。

 高学歴だけで、知識だけあっても、智慧と熱意のない輩には創造はできない。

 大垣市長の任務は、今ある大垣の資産(人財、財、歴史、都市インフラ、文化、芸術、自然資産、伝統)を再構築して、現代の社会の変化・ニーズに合うように再設計、再構築して、大垣に新しい付加価値を生み出し、大垣の価値を上げ、発展させることである。

 

小川敏の罪

 小川敏は、過去の知識だけで智慧がないから、大垣に新しい付加価値を創造できなかった。この18年間、維持もできなかった。教科書に書いてあるようなお粗末な「大垣市活性化計画」を実行して、PDCAさえ回さないから、「大垣市中心市街地活性化計画」が大失敗して大垣が衰退した。大垣駅前商店街が消滅寸前になった。その間違った行政を18年間も続けるから、その価値を維持するどころか、大垣市は、価値が半分に暴落した。地価はその都市の付加価値を表す最適に指標である。他市はリニア景気で地価が上がっているのだ。岐阜県第二の都市の大垣市が、地価の高さで、県下2番目から5番目の地位に没落したのだ。小川敏の無能政治のためである。

 小川敏は、大垣市の付加価値を上げてくれる未来の人材の一人当たりの教育費を、県下最低レベルに落としてしまった。その資源を自分たちの給与に転用してしまった。大垣市役所の給与は岐阜市を差し置いて県下第一位である。

小川敏は芸術・文化活動に全く理解をせず、資金援助をしないので、大垣の文化活動は衰退してしまった。

 それでいて大垣の未来に何の貢献もしない私製100執念記念行事に3億5千万円も散財して、その会計報告もマル秘にしてしまった。50年前に「灯台方角部」を卒業したのがお笑いである。大学法学部で何を学んだのか。100周年機縁行事で市民税を大散財したのに、翌年の大垣市の地価は下がった。お笑いを通り越して、怒りである。

 小川敏がその職にあること自体が罪なのだ。小川敏が無能だから、大垣市民を不幸に落としているからだ。大垣に新しい付加価値を生めなかったからだ。その維持もでなかったからだ。

 

自分人生有限会社の社長として

 己は「自分人生」の会社の社長として、「自分人生有限会社」に付加価値を上げる実績を残してきただろうか。小川敏を反面教師として自省したい。

 会社では企業戦士として、エリートコースを歩いてきた人に限って、会社の仕事から離れて、第二の人生を歩み始めたら、魂の抜け殻のような老後を送る人が多い。定年後にやることが自分で考えられないのだ。そういう人が、真っ先に認知症になる。

 現代日本では65歳以上の人の15%が認知症である。警察署長や校長先生等が一番認知症になりやすいという。気ばかり使って、頭を使ってこなかったためである。

 

窓際族

 会社時代の管理職として得た智慧は、「辞めさせたい人には、仕事を与えないと、勝手に辞めていく」である。要は対象者を窓際族にすればよいのだ。仕事をどんどん与えると、逆に辞めない。これが会社人事の原則である。

 人生有限会社も同じである。人生でやることが無くなると、此の世ではお呼びでなくなるので、認知症になり、脳死となる。その人は人間社会を辞めるのだ。

 

無職の仕事士と人生窓際族

 私は現在、無職の立場で忙しい。サラリーマン時代は有職であり、会社から金を貰って指示された仕事を期限までにこなせば、後は暇である。しかし、今は無職で、死ぬまでにやりたいことが山済みであるので、やればやるほど、忙しさが増えてしまう。ご先祖から受け継いだ「自分人生有限会社」の付加価値を生み出す仕事が山積みである。そこに、今までの経験と培った智慧の使い道がある。おちおち死んでなんかいられない。出版もせねばならぬ。最近、「大人の玩具」を買ったので、ますます忙しくなった。

 

死というチャンス

 何を人生で残すかを考えると、死というチャンスも楽しくなる。このチャンスは人生で一度だけである。私は他人様よりも有意義なものを世間に残し、有意義な死としたいと頑張っている(?)。「おだ仏教」の社長は己である。己の決断が総てである。長の仕事は決断である。93歳の馬場恵峰先生が、後世に残す作品作りに忙しいのを見ていると、元気になる。師は弟子に命を与える。

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 文責は著者、書は馬場恵峰先生

 

2019-12-07 久志能幾研究所通信 1418  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年12月 5日 (木)

ご縁に出会った時の心得

仏法ご聴聞の心得

一つ、この度のご縁は

   今生初めてのご縁と思うべし

一つ、この度のご縁は

   私一人のためのご縁と思うべし

一つ、この度のご縁は

   今生最後のご縁と思うべし

   青山俊董著『道元禅師・今を生きるとは』(大法輪閣 p186)

 

 私はこれはと言うご縁に出会ったとき、その対処方法の決意である。これは私の叔母の師である青山俊董堂長の著書から学んだ言葉である。青山俊董堂長の講話を聴く機会が致知出版社の研修会であり、参加の段取りをした。しかし私が年初に手術入院のため、それが叶わなかった。それで青山俊董堂長の著書を読み直す機会のご縁を頂いた。

 

ご縁との遭遇

 その縁が悪縁かも知れない。それを見極める能力(見識)を得るために学ぶべきだなのだ。単なる知識を得る目的で学ぶかから、悪縁に引っかかる。

 その良縁だと思って心身ともに捧げたら、絞首台に登らされた若者達がいた。オウム真理教に入信した頭のいい人たちであった。人生の周りは悪縁だらけなのだ。その悪縁を避けて、真珠のようなご縁を見出すのは大変な注意力がいる。そのために知識よりも知恵を付けないと、人生航路で沈没する。

 

食とのご縁

 食とのご縁も一期一会である。人は他の生命を殺めないと生きていけない。手を合わせて食と向き合うべきなのだ。それを手を合わせず食い散らすから罰が当たる。その相手も食べられまいと毒を盛って防御している。美味しいものには毒がある。

 食の原則を教えてくれるが母親である。古風な母親が子供のために作る料理に間違いはない。しかし最近の若い母親は、食品企業・テレビ業界に洗脳教育をされてしまったようで、狂った食生活を子供に強いているようだ。だから若い女性に癌が増えている。この30年で3倍の増加である。

 小欲少食が幸福、健康の基本である。その原則を忘れて、食の饗宴に興じるから、癌、糖尿病、認知症に罹る。

 

人とのご縁

 人との出会いも一期一会である。利に迷って悪食の人とご縁を結ぶから、人生が堕落する。人生で得なければならないのは、人を観る目である。

 私の長い人生で、これはと言う師、人物に出会えたのは数人である。師と思って接していたら、緊急事態の折、化けの皮が剥がれ、単なる水先案内人であったことが判明したことが多々ある。それも貴重な学びである。

 

モノとのご縁

 私が「大人の玩具」を2019年11月2日、衝動買いしたのも、自分としてその目があったと確信できたためである。この時、「仏法ご聴聞の心得」が心に響いた。そのためには母の教え、経験、見識、買っても後悔しないという確信が持てた為である。来た縁は勇気をもって手に入れないと二度とやってこない。その掴むべき握り側の縁を逃がし、後からそれに手を出すとそれは反対側の刃物になっている。

  

2019-12-05 久志能幾研究所通信 1416  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月 2日 (月)

キャピタル・ゲインを求めない生き方

 私は、人モノ金情報の獲得で、下記の生き方を目指している。キャピタル・ゲインを下げ、キャピタル・フローを上げることを意識している。

 

人脈

 情報・交流・行動のフローを上げよ。それが人徳を上げ、人生を豊かにする。人脈をため込んでもダメ。人脈も流れないと腐るだけ。日々のメンテが必要だ。それがフロー(流れ)である。

 

モノ

 モノをため込んでは駄目。土地だってため込んでは、値下がりする。両親が苦労して入手した自宅土地も、土地の値段が半分になった。家の価値は、売るならゼロである。それより快適な住まいにするフローを作った方がよい。豊かな家はモノがなく、すっきりしている。

 美術品にキャピタル・ゲインを求めると火傷をする。日展で特選2回の画家だとの触れ込みで、買う時は50万円の絵が、売る時は3万円である。絵はフローとして楽しむもので、金儲けするモノではない。金儲けは画廊やデパートがする。

 

お金

 キャピタル・ゲインを求める生き方をしてはいけない。キャピタル・フローを上げる取り組みをすること。お金は使えば使うほど、知恵がついてきて、10年後に豊かになれる。お金は経験を得るための費用なのだ。それをケチり貯め込むから、考えが貧しくなり、不潔なご縁が付いてくる。

 

時間

 時間は貯められない。キャピタル・ゲインがない最たるもの。流れゆく時間を大切にすれば、キャピタル・フローが最大になり、人生が豊かになる。

 

健康

 体のキャピタル・フローを上げる生活をせよ。キャピタル・ゲインとして脂肪を貯め込む生活をするから肥満になり、病気になる。小欲、少食、よく歩く。当たりまえの生活をしないから、病気になる。ドカ食い、大食いはキャピタル・ゲインを上げる事。それは死を意味する。

 

ご縁

 ご縁にキャピタル・ゲインはない。日々、陰徳を積み、運気のフローを良くすることに心がける。運気のキャピタル・ゲインを貯めることは考えてはいけない。運気のキャピタル・ゲインを上げるとは、施した徳を恩着せがましくすること。それをいつまでも覚えていること。それが顔に出て、結果として運気を下げる。

P1060653s   馬場恵峰書

 

注:キャピタル・ゲイン(capital gain)とは債券や株式、不動産など資産価値の上昇による利益。購入価格と売却価格の差による収益である。価格が下がって損をする場合はキャピタル・ロス(capital loss)と呼ぶ。

 

2019-12-02 久志能幾研究所通信 1414  小田泰仙

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2019年11月25日 (月)

冥途用パスポートの手配失敗

 終活の一環として、私の戒名を決め、墓誌に戒名を彫る段取りをした。ところが、その製作がやんごとなき理由で失敗である。それも連続2回も失敗である。どうも仏様から、「そんなに早く来世に来なくてもよい」とのメッセージのようだ。そのご縁を前向きに受け止めた。確かに、何もそんなに死に急ぐことはない。生死は仏様の管轄なのだ。己は己の体の健康管理だけをして、今すべきことに全力を注げばよい。

 

戒名とは

 戒名は、いわば冥途に行くためのパスポートである。引導を渡す導師が、故人に付ける名前である。来世で、その名前を背負い、仏道を修行するための名前である。

 私も年初のガンの手術前に、覚悟を決め、菩提寺の住職に戒名の選定をお願いしておいた。それで最近、正式に戒名が決まり、その名を墓誌に刻んだ。

 ところがそれが製作上でトラブルが起きた。それで、私は佛様の意向を汲み、もう少しゆっくりと死ぬことにして(?)、墓誌の制作も遅らせることにした。予定は38年後(?)である。私は、まだまだこの世で、やり残したことがあるのだ。それを佛様も理解してくれたようだ。

 

院号とは

 院号とは、導師が故人のために建ててくれる来世の寺院である。その寺院の住職として、佛道を修行せよとの引導である。現世では正しい道を歩まなかったかもしれないが、来世では正しい道を歩めと、導師が慈悲で建てる来世の寺院の名前である。

 私は、雅号の「泰仙」から一字をとり、「泰観院」という院号を頂いた。

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  書は馬場恵峰先生  石の墓誌にゴムシートを被せ印字した状態

 

生前戒名

 生前に戒名を頂くとは、来世に向けて、今から戒名に恥じない行動をする練習となる。戒名とは、「戒め」の「名」である。葬儀の時、戒名を付けるのは応急処置である。本来、生前に戒名を住職と相談して決めるのが正式である。それが決まっていないと、住職は家族から生前の個人の行動を聞き込み、戒名を付けざるを得ない。それでは良い名前が付けれない。皆さんも、是非、生前に戒名を頂くことをお勧めする。

 現世の名前は、親がこういう人間になって欲しいと願いを込めて付ける。しかし、その名に反した人生を歩む人は多い。だからこそ来世では、戒めの名を背負って仏道を修行するのだ。戒名を頂くとは、今世と来世での生き方(死に方?)の覚悟をするのだ。

 

菩薩行とは

 菩薩とは、如来になるために修行をしている仏様である。仏様でも修行を続けてきてから見えてくるものがある。愚かな人間なら、その数倍の修行をせねば成仏できない。

 その菩薩様でも、迷える衆生を救えず悩まれている。菩薩様が手を差し伸べ、身を一歩前に進もうとするのに、それに背を向けるのが縁なき衆生である。その菩薩様の悩みに比べれば、己の悩みなど可愛いものである。私がどれだけ、苦言・批判・改善提案をしても、馬の耳に念仏の大垣市長輩もいる。

 だから会社勤めの身でも、係長の時代になら課長の意識で、課長の時代ならば、部長・役員・社長の意識で一段上の観音菩薩の眼で観て仕事をするのが、己の成長・成仏のためである。私はそれを意識して行動してきたつもりだ。

 来世でも、現世で観音菩薩になったつもりで、世の中を観て、己の戒めの名に恥じない行動を取ると良い。それが戒名を授かった決意である。だから終活も楽ではない。終活を真面目にすると、おちおち死んでなんかおられなくなる(?)。

 

2019-11-25 久志能幾研究所通信 No.1408  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月20日 (水)

大垣共立銀行、驕りと忖度とアコギさ

 この10年間程、毎年、私の誕生月になると大垣共立銀行から「お誕生日おめでとうございます」の封書が届く。それに大垣共立銀行創業者の土屋斉画の色紙のコピーがお祝いとして添付されている。不愉快である。

 それは担当銀行員の驕りと土屋嶢会長(直前まで頭取。土屋斉は頭取の父)への忖度としか思えない。客の立場の私は、この歳で、こんなお粗末なお誕生日お祝いなどもらっても少しも嬉しくない。逆に、怒りである。折角、忘れていた自分の歳を嫌でも思い知らされる通知なのだ。

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Photo_2   誕生日の祝いと土屋齊の色紙

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誕生日が嬉しい?

 お誕生日が来て嬉しいのは、せいぜい30歳まで。それ以降の40歳、50歳以降は、誕生日は辛い日である。50台なら、定年までの時間を思い知らされる。年金生活者にとっても、誕生日のお祝いなど送って欲しくない。自分の歳を思い知らされる通知なのだ。己の残り人生を深刻に考えさせられるのだ。

 そんな機微に触れる心境には、全く気が回らない銀行の若造が、「誕生日祝い」を送り付けてくるのだ。

 

芸術作品の価値

 創業者が描いた色紙のコピーなど、私の場合、そのままゴミ箱行きである。そんな色紙は、雑誌に溢れている。私みたいに本物の色紙の囲まれていると、そんな印刷物の偽物色紙など、ゴミである。特に芸術作品は、個人の趣味の世界で、それが合う人など稀有である。それを貰ってうれしいのは、独居老人で社会とのつながりが全くない方だけであろう。一方的に色紙の絵のコピーを送ってくるのは、上から視線の傲慢である。知人に聞いても同じ意見で、それならテッシュを貰った方がよいとまで言っていた。

 

大垣共立銀行の本性

 このサービスに大垣共立銀行の上から視線を感じる。そんな金があるなら、別の形で客にサービスをすべきである。銀行金利ゼロの時代、都市銀行の生存競争が激化している時代、こんなレベルのサービスをしているようでは、先が知れている。

 大垣共立銀行は、大垣駅前商店街の由緒ある「廓町通り」を札束で、「ОKB Streat(大垣共立銀行通り)」に変えてしまった。大垣駅前商店街が衰退して、大垣駅前商店街が寂れて、商店街組合に金がない時に、その足元を見て、「廓町通り」を札束で頬をひっぱたいて、「ОKB Streat」に変えてたのだ。アコギである。こんな銀行がのさばっているから、大垣市が没落しても、当然である。

 そんなに金があるなら、大垣駅前商店街の活性化に金を出すべきだ。しかし大垣共立銀行は、それには吝嗇で金を出ししぶる。

 銀行は、天気の日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる揶揄される。

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  2018年3月10日、大垣駅前商店街で、街の商売上でも、大垣駅前商店街組合活動でも理事として運営をリードしていた大型衣料店「正札堂」が事業を停止した。アーケードの上にぶら下がる「ОKB Streat」の看板が白々し

 

「郭」とは

 「郭(くるわ)」とは城やとりでの、周囲を土や石などで築き巡らしてある囲いを言う。また、その内側の地域を意味する。江戸時代になって「郭」の字もあてるようになった。

 山城では背後を削り取り,その土を前面に盛って造成する。単なる屋敷地や畑の段と異なって防御用の平場とするために、壁面を急傾斜の切岸状にしたり、縁辺に土塁を盛り上げたり、外周や尾根続きに空堀を掘って外部から遮断する。近世城郭では天守を備えた中心の郭を本丸、その外側に隣接した城主の館邸が設けられた郭を二の丸、その外側の家臣屋敷などが並ぶ郭を三の丸と呼ぶ。その他の諸郭に西の丸などの方角、あるいは人名を冠した呼称が用いられる。

 「郭」は遊郭の意味ではない。周囲を塀や堀で囲ったところから、遊女屋の集まっている地域として「遊郭」という名がある。大垣市の廓町はお城の囲いの意味である。

 

名前「郭町通り」は大垣の財産

 「郭町通り」という名は、大垣市民の歴史としての財産である。大垣共立銀行が独断で占有できるものではない。名前変更の審議でも地域の住民の意見も封殺して、商店街のひとたちだけで、こそこそと名前を変更してしまった。それで良いものなのか? 大垣市長の小川敏は、何も指導をしない。それは大垣の歴史文化の破壊行為なのだ。

 

肥満と管理職の原則

 創業者の土屋斉は、現会長の行動をみて、草葉の陰で泣いている。土屋嶢会長は、でっぷりと太っている。自分の体を管理できない経営者を私は軽蔑する。米国では、肥満者は管理者になれないのは常識である。肥満の土屋嶢氏が頭取になれたのは、世襲であるからだ。それでは大垣共立銀行の先が見えている。

 

退職金を狙う大垣共立銀行のあこぎさ

 私が定年後、今から10年ほど前、大垣共立銀行に口座を開設しに行った時、ファイナンシャルプランナーと自称する若い女性銀行員に、別部屋に引きずり込まれて、虎の子の退職金の運用を勧められた。当時、オーストラリアやブラジルの資源国のファンドが盛んで、それを定期より高利だからとファンド購入の資産運用として勧められた。私はそれが銀行の手数料稼ぎと知っていたので拒否をした。その後、資源国バブルが弾けた。そのファンドを買っていれば大損をするところであった。くわばら、クワバラ。

 大垣共立銀行は客が損しようが知ったことではなく、手数料が入ればよいとした商売をしていた。カウンターレディにそのノルマを与えて、私みたいな定年後の年寄りを騙す商売をしていたのだ。それから私は大垣共立銀行を信用していない。今回を機に、十六銀行に口座を開設予定である。

 

2019-11-20 久志能幾研究所通信 No.1404  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月19日 (火)

ミラーレスは風に弱い? 小川敏は共食いに弱い

 2019年11月19日、私のリハビリと新規購入のミラーレスカメラα7RⅣの性能確認のため、セントレアに飛行機を撮影しに出かけた。そこで判明したことは「ミラーレスカメラは風に弱い?」である。

 

台風並みの風に負ける

 当日の天気は快晴であったが、強風が吹き、それはまるで小型台風並みであった。後で天気予報を確認すると、風速10~15m/sの強風であったようだ。セントレアは海上空港のため吹きっ晒しの海の上にある。ターミナルビルの3階の展望台へ吹く風は強烈である。私は望遠レンズを構えるのだが、体が強烈な風に押されて、じっとしていられない。柵に寄りかかって撮影するのだが、それでも対象物の飛行機をファインダー中央に捉えて撮影できない状態である。周りにも飛行機を撮るマニアは数人しかおらず、何時もの大勢のカメラマニアがたむろっている状況と違っていた。

 私の体重が1年前より20キロも軽くなっていて、体力・筋力も低下していて、踏ん張る力が激減しているためもある。それで私が出したジョークの結論が「ミラーレスカメラは風に弱い」である。

 

結論

 真の結論は、風が強いのではない。私の踏ん張る力が足りなかったのだ。私の体重が軽くなりすぎたのだ。体力が足りなかったのだ。他のせいにしてはなるまい。

 しかしこの試行で、広い空港内をかなり歩き回ることになり、人よりも歩く速度は遅いが、そこそこに歩けたので、順調に体力が回復していることが分かり、出かけた収穫はあった。

 

ミラーレスへの風当たり

 ミラーレスカメラではソニーが独走している。キヤノンが慌てて後追いで開発を進めているが、先に開発・販売して一定のシェアを獲得したソニーに追いつくのが大変なようだ。

 キヤノンは、現在の一眼レフ用レンズに膨大な資産がある。今回、キヤノンはミラーレス用の新規格のレンズマウント規格を作ったが、それに合わせたレンズをそろえるとなると大変だ。その品ぞろえが業界一のため、全て新規格に合わせたレンズの開発には膨大な人工とお金がかかる。なおかつ、一眼レフカメラの機構は複雑で、高価であり、それがキヤノンのドル箱になっている。それをミラーレスに切り替えると、収益源が共食いになる。それを経営用語でカニバリズム(共食い)という。

 キヤノンも社内の(主流の)一眼レフ派閥から、猛烈な逆風を受けているはずだ。キヤノンは超一流で大企業である。それの方向転換には、慣性が大きい分の逆風が吹き、簡単にはいかないようだ。技術革新の時代、昨日のメリットが重荷となり、昨日の勝者は今日の敗者となる。その決断をすべき社長の御手洗氏は、長年、社長の座に20年近く居座っているが、老害が噂されている。

 

見切り、決断、転向

 それで私もキヤノンに見切りをつけ、ソニーに切り替えることにした。キヤノンは新規格のレンズマウント規格を作ったが、それは全く新しい会社がカメラ規格を作ったと同じである。それなら先行してミラーレスの新規格を作ったソニーに分がある。CCDの技術ではソニーが世界一であり、キヤノンが高画素数のCCDで追いつくのに、数年はかかるだろう。私が欲しいレベルのミラーレスの高性能機が出てきて、周辺レンズが揃うのに、数年はかかると思う。それなら今からソニーに転向して、しばらく様子を見た方がメリットありと結論付けた。

 今回の結論で、書画撮影用には、カメラボディはソニーα7RⅣに、アダプターをかましてキヤノンのシフトレンズを装着した。これで画素数が前のキヤノン5DⅣの3200万画素からソニーα7RⅣの6100万画素に向上した。馬場恵峰先生の書画を撮影するには、高画質が求められる。

 今日の試写で、飛行機撮影にもミラーレスは合格である。画素数が高いので望遠レンズに1.4倍コンバータを付けたと同じ機能もある。

 

決断

 新しい技術が出てきても、以前の技術に執着していて、会社が左前になった事例はゴマンとある。経営者として、先を見る眼が無かったのだ。切り替えに反対する風圧に負けた経営者が、負け組になって行った。

 風が強かったのではない。それに反対する風に対峙する能力が足りなかったのだ。経営者として選択・決断する能力がなかったのだ。世界を制するのは技術ではなく、先を見る力を持った経営者の選択と決断である。技術を誇るのは戦術である。それは軍曹の仕事である。決断は、経営の仕事で戦略である。

 

戦術と戦略

 日本の経営者は、戦術にたけていたが、戦略に劣っていた。それが今の日本経済の没落である。昔の日本軍も、兵卒は優秀であったが、上層部が無能であった。単に、学校で知識だけを詰め込んで、それが優秀だと言われ、それが将軍、社長として君臨したのが日本敗戦の原因で、この失われた20年の日本経済停滞の原因だ。それを応用する能力のない無能経営者がのさばっていたのが、日本の停滞の原因である。大垣市長の小川敏の例と同じである。

 

小川敏への逆風、共食い

 大垣市長の小川敏は、IT化、ロボット化、AI化をぶち上げて、アドバルーンを上げているが、現状の業務の改革とその比較検討は無視している。費用対効果を無視している。それは口が裂けても言わない。

 地方の都市銀行もAI化を進めているが、その効果に対して投資金額がペイせず、暗礁に乗り上げているのが現状だ。某銀行の業務をAI化したら、その月額利用料が目の玉が飛び出るほど高く、効果がそれに見合わなく、その導入を見合わせたという。その某都市銀行が大垣共立銀行でないとは思うが、それより人手でやった方が、効率が良いとの結論が出たのだ(日経ビジネス 2019.05.20号)。

 業務を単純にAI化しても、それだけでは効果がなく、現状の手作業とAI化が共食い状態になるのだ。それがAI化の逆風となっている。その逆風の実態を全く感知しないノー天気市長が小川敏である。

 小川敏は、日本経済のデフレ化、衰退化の逆風に堪えられず、正しい政策をうち出せず、この18年間で大垣を衰退させた。小川敏は、逆風に負けたのではなく、逆風に打ち勝てる行政能力がなく、無能なのだ。50年前の学校の陳腐化した知識だけで、市制を牛耳るから、大垣は衰退した。小川敏に出来ることは、水饅頭の共食いを痴呆的な顔で自慢することだけである。要は、智慧がないのだ。

 

不易

 世の中の技術の転換を見誤り、世界競争に負けた会社が、世界に死屍累々である。驕れ者久しからずである。

 変えるものと変えてはならないもの区別をする智慧だけは持ちたいと思う。

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  かろうじて撮影できた着陸の風景  2019年11月19日

 

2019-11-19 久志能幾研究所通信 No.1403  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月18日 (月)

無駄な時間とは

 下記は無駄な時間である。己の人生で、全ての無駄な時間を無くすことはできないが、意識して少しでもその無駄な時間を少なくしたい。今、己が時間を使っている作業・仕事・行事を見直したい

「それで、己の人生の付加価値が向上するのか?」と。

 

組織で仕事をしている時

 利益を直接稼いでいない時間

     (組織の成果を出していない時間)

 意思決定のために不必要なことに費やしている時間

 知識、経験、智慧、ご縁の機会を増やしていない時間

 やればマイナスなのに、惰性でやっているルーチン行事

 

個人で生きている時

 自分の使命のために時間を使っていない時間

 使命達成のため、意思決定をしていない時間

 命を削ることに使っている時間

  体を傷つける食を貪っている時間(狂った食事)

  有酸素運動をせず、ガンに罹る準備をしている時間

  いくら使命に時間を使っても癌になっては総合でマイナスだ。

 

小川敏の場合

 大垣市長として、大垣市の付加価値を上げていない時間、大垣市民を幸せにしない行事にかける時間は、全て無駄時間である。下劣な行事、ルーチンワークの行事、表敬訪問の対応、事前選挙活動の新聞への登場、質問への言い逃れの議会答弁、等は全て無駄な時間である。

 大垣市長の小川敏は、新市庁舎でのAI化、ロボット化とぶち上げているが、無駄の多い基本的な業務を見直さず、市民に目くらましで派手なアドバルーンだけを上げている。それでは、成果は出まい。それは無駄な時間である。単なるIT化をAI化というのは、AIが何たるかを知らない素人である。現在のAI化というのは、ほとんどがIT化の変形版である。それは、単なる口先だけの魔術師の小川敏が使う言葉である。

 近いうちに小川敏のAI化・ロボット化バブルが弾けるはずだ。全国の市町村で、そんなバブルを膨らませているのは、大垣市だけである。他市はバカらしいからやらないだけだ。

 

経営とは

 何をやるにしても、まず費用対効果を、市民に公開すべきである。それが経済、経営の原則である。小川敏は、それは口が裂けても言わない。

 先年の死政100執念忌念行事で、市民税3億5千万円を投じて、派手な行事ばかりをして、市の活性化をしたと言うが、結果は大垣市の地価は下落であった。大垣市の付加価値が、それで逆に下落したのだ。大垣市の職員は、無駄な市制100周年記念行事に時間を費やしたのだ。

 小川敏が、利己的な政策を推し進めたので、大垣市は無駄な時間を費やして没落した。小川敏の政策は無為無策の無能政治であった。地価の評価は冷酷な神のごとき評価である。松下幸之助翁が、市場は神のごとき評価をするといつも言っていた。小川敏は誤った確信をもって政策を推進してきた。小川敏は、行政の反省を18年間もしなかった。小川敏は、経営の基本のPDCAを回さなかった。結果として大垣市民を不幸にしたのだ。私の両親が草葉の陰で泣いている。天網恢恢疎にして漏らさず、で天は罰を与えるであろう。

大垣市地価平均     前年比変動率

2001年[平成13年]   12万4222円/m2  -7.98%  下落 小川敏市長就任

2002年[平成14年]   10万8425円/m2  -10.10%  下落

2003年[平成15年]   9万6470円/m2   -9.65%  下落

 2004年[平成16年]   8万3482円/m2   -8.56%  下落

2005年[平成17年]   7万3836円/m2    -7.04%  下落  小川敏市政2期目

2006年[平成18年]   7万2277円/m2    -4.20%  下落 

2007年[平成19年]   6万8535円/m2   -1.85%  下落

2008年[平成20年]   6万9942円/m2   -0.16%  下落

2009年[平成21年]   7万1687円/m2   -1.40%  下落 小川敏市政3期目

2010年[平成22年]   6万7237円/m2   -2.82%  下落

2011年[平成23年]   6万5702円/m2    -2.36%  下落

2012年[平成24年]   6万3941円/m2    -2.41%  下落

2013年[平成25年]   6万3216円/m2    -2.13%  下落 小川敏市政4期目

2014年[平成26年]   6万1898円/m2    -1.31%  下落

2015年[平成27年]   6万1495円/m2   -0.78%  下落

2016年[平成28年]   6万0585円/m2    -0.57%  下落

2017年[平成29年]   6万0692円/m2    -0.50%  下落 小川敏市政5期目

2018年[平成30年]   6万1540円/m2    -0.39%  下落

2019年[令和元年]   6万2036円/m2     -0.47%   下落

 大垣市の公示地価・基準地価マップ・坪単価 - 土地代データより 

 ※変動率は、各地点の変動率の平均となる。(平均地価の変動率ではない)

  https://tochidai.info/gifu/ogaki/

 

2019-11-18 久志能幾研究所通信 No.1402  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

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2019年11月17日 (日)

おとなの玩具を衝動買い

 2019年11月2日の朝、前から欲しかったものが見つかり、内容を確認して夕刻に買うことを決めた。これは「おとなの玩具」である。それも衝動買いである。我ながら呆れた。

 11月14日に大村市の恵峰先生宅を写真撮影のため訪問した折、雑談でその件を恵峰先生に話をしたら、呆れられるかと思ったら、逆に褒められて拍子抜けをした。

 

恵峰先生の意見

 恵峰先生曰く「老人は”おとなの玩具”を買って、人生を楽しむべきだ。それが寿命を延長させてくれる」という。恵峰先生も中国に行くと、数十万円分の書画用の軸や白冊子を買ってきて、おとなの玩具として楽しんでいるという。先生が中国に行くと、いつも40kg分ほどの書の材料・道具を買い込んでみえる。先生はそれを体力的に運べないので、それを同行の人に持たせて飛行機に乗るという。それに、何を書くかを考えるのが老人の楽しみだという。

 

お金の価値

 お金とは経験を得る為の費用なのだ。貯めるものではない。だからお金は使えば使うほど、経験が豊かになり、智慧が付き、ご縁とお金を稼ぐ力が付く。それが運命学の考え方である。これは、おだ仏教の予算方針である。だからお金は溜めなくてもよい、そのお金を稼ぐ能力とご縁を獲得することが人生の目的なのだ。そうすれば、どんな時代も生きていける能力が身に付く。心が豊かになれる。

 今日本経済が停滞しているのは、老人が貯めたお金を使わないためである。お金は使えば使うほど、お友達を連れて帰ってきてくれる。帰ってこないのは、利己的な使い方で、世のためになっていないからだ。お金の使い方が間違っているためだ。「お金さん」に嫌われる使い方をしたためだ。お金さんを銀行に幽閉しては、お金さんが腐ってしまう。

 

一万円札はお金ではない

 その昔、母方の祖父が、虎の子の退職金を銀行に預けていて、ある日突然、新円切り替えで預金封鎖となった。預金封鎖が解除された後は、退職金は紙くずとなっていた。1946年(昭和21年)2月16日のことである。まだほんの73年前のことである。母はその話を何度もしてくれた。だから母も私も日本政府を信用せず、生きてきた。なにせ一万円札は、日本銀行が発行した「日本銀行」で、お金ではないのだ。日本銀行が発行した単なる信用手形である。政府の気が変われば、一万円札の価値はゼロになる。ご用心、ご用心。だから本物のお金とは「純金」のこと。

 硬貨は、補助通貨で、お金ではない。支払いに一定以上の硬貨では、相手は受け取りを拒否することが出来る。

 

お金とは「お足」

 私にとって、お金とは「お足」のこと。動き回れる資源の事、動ける体力のことである。意思を持って、行きたい所に足を運ぶから、ご縁と智慧が付く。稼げる能力が付く。じっとしていては、運は掴めない。私の人生哲学である。

 恵峰先生は、中国に240回以上も旅行をして、総額で7千万円ほど使った。今そのお金は残っていないが、智慧とご縁が溜まったという。だから93歳の現在も、現役で元気である。私より元気である。

 恵峰先生は60歳の時、1億円の借金を背負い、社会貢献として「日中文化資料館」を建てた。24年かけてその借金を完済した。時に84歳である。

 お金は悪いことに使うのでなければ、何とかなるものだ(トヨタの中興の祖・大野耐一の言葉)。

 

Dsc07168s     馬場恵峰先生 2019年10月11日

Dsc08346s  日中文化資料館(左)とその付属図書館(右)  敷地350坪

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撮影の仕事

 今年末に、「老のともしび」という軸60本分の先生のエッセイ集を写真集として出版することになり、今回はその撮影の仕事であった。書友の方2名に手伝ってもらって、60本の軸の撮影をした。今回、私の病気の為、9か月ぶりの撮影となった。そのためカメラも新しくして、構えて撮影した。裏技で、ソニーの6100万画素のミラーレスα7RⅣに、キヤノンのレンズを装着しての撮影である。その軸の中に「おとなの玩具」のエッセイもあり、思わず見とれてしまった。 

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      撮影風景

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「老のともしび」の出版計画

 「老のともしび」は恵峰先生の人生訓を軸に書き綴った作品である。長さ1.5mほどの軸が60本である。約100mの巻物分の分量である。先生は、この人生訓を下書きなしに、直接表装された軸に揮毫された。神業である。明治大正昭和平成で、軸に人生訓を毛筆で60本も系統立てて書いた書家はいない。今回、これを日めくりカレンダーの形式(サイズ20×60cm)で出版する予定で、編集を進めている。

 

エピソード 

 私の「おとなの玩具」を買うにあたり、資金繰りに困り、家屋敷を抵当に入れようと思ったが、今住んでいる家屋は価値ゼロで、土地の値段だけしか評価されないことが判明した。いくらリフォーム工事で金をかけても、売る場合は資産価値ゼロである。両親が50年前に坪40万円で買った土地が、現在は坪20万円の評価にしかならない。大垣の不動産価格が暴落したためである。これが、刈谷に住んでいれば、土地の値段が買った時より高騰していたのにと残念である。大垣市長が無能のせいで、大損害である。

 

不動産は財産ではない

 今回、土地家屋は人生の消耗品であることが判明したのが、今度の最大の学びである。土地家屋は財産ではないのだ。自分の代で、人生を全うするために使う消費材である。子孫に土地家屋を残しても、遺産相続争いの種になるだけで、不幸の基である。少子高齢化で、土地の値段は下がる一方である。不動産に財産価値はない。持っていれば、税金がかかり、年々価値も下がる。更地にすれば税金3倍である。家は資産価値ゼロである。

 だから人生での最大の投資すべき先は、自分自身である。人こそが、ゼロから無限の価値を創造することが出来る「お宝」である。

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 馬場恵峰書

 

2019-11-17 久志能幾研究所通信 No.1401  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。