講演会品質とカメラマン人格
2019年12月10日、プレジデント社開催のネッツトヨタ南国の横田英毅相談役の経営塾に参加した。そこでの問題は、その経営塾の講義の間、専属のカメラマンがビデオと写真を撮影して、一眼レフCANON 5DⅣのシャッター音がうるさかったことである。ミラーレスカメラが出現する前までは、一眼レフのカシャカシャというシャッター音は仕方がないと諦めていた。
講演会や経営塾の講義内容を商品として売るなら、一眼レフカメラのシャッター音のない静寂な講演会にして欲しい。講師の話に没頭したいのだ。
無音カメラを愛用
私は2年前から、演奏会用にミラーレスカメラSony α9の無音カメラを愛用して、演奏会では周りに迷惑をかけないように無音で撮影している。場所も演奏会ホールの一番後ろで、望遠レンズを使って撮影である。また演奏中はその席から動かない。動けば音楽演奏に集中している聴衆に迷惑である。
それと比較して、雑誌社主催の講演会での一眼レフのシャッター音が気になった。雑誌社のカメラマンが、まるでそのシャッター音に無神経なのだ。主催者も無神経である。カメラマンは講演内容など気にしていないのだろう。それでは撮影する画像の品質も悪かろと推察してしまう。
そのカメラマンは、70~200mm望遠レンズを装備して撮影しているのだから、講師の遠くから撮影すれば良い。それを聴衆の前に出てきて撮影するので、目障りで不愉快である。カメラマンの音と動きが暴力である。「講演会」という商品を破壊している。
他社の例
これは致知出版社の講演会でも同じである。素人と思われるカメラマン(女性社員や若手一般社員)が真剣に聞いている聴衆の前にきて、一眼レフのデカいシャッター音をマシンガンのように平気で立てて撮影している。数多くシャッターを切れば、その分、仕事をしているように思うのか、撮影する写真枚数も多すぎる。雑誌に掲載される公演中の写真は1、2枚のみである。要はド素人の撮影者なのだ。この件は、致知出版社の主催者の幹部に苦言しても、少しも改善されない。カメラマンが変われば、元の木阿弥であった。
問題は、カメラマンの横で話を聞いている聴衆にとって耳障りであること。後でその出版社から発売された講演CDを聞くと、そのパシャパシャというシャッター音が録音されている。それを聞くたびにその講演のか所でシャッター音の雑音を聞かされることだ。一度気になると、その録音の話の途中で、ますます気になる。
大垣市の例
11月9日に大垣市で開催された歴史講座「明智光秀の生誕地」でも、大垣市役所の専属カメラマンが静かな講演会会場で一眼レフの大きなシャッター音を立てて撮影していた。それが私の真横でパシャパシャなので、余計に気になった。それで大垣市の文化レベルが分かってしまう。大垣市は文化には金をケチるのだ。大垣市は、痴呆的行事には億単位の金を散財するが、文化への設備投資にはビタ一文出さない。
つい最近、河村義子先生の演奏会で、中日新聞社のカメラマンが私の横で一眼レフの大きな音を立てて撮影していた。私は無音のミラーレスカメラであった。それで中日新聞社の文化レベルが露見してしまった。
テレビ報道でも、記者会見の撮影現場では、一眼レフのシャッター音がすさまじい。それが当たり前と思うことが異常である。世は無音シャッターのカメラが主流になりつつある。講演会主催者は世の技術の動向を見て欲しい。
全員が経営者
自分はカメラマンで撮影するだけ、自分は講演会を運営するだけ、自分は客を集めるだけと、全体の講演会を「経営する」という視点が主催者にないから、品質の悪い商品(講演会・経営塾)が出来上がる。それは部分最適の経営をしているのだ。講師は満点、カメラマンも満点、司会者も満点、客集めも満点。しかし全体評価はイマイチとなる。だから客に感動を与える商品を提供できないのだ。それでは他社の猿真似の商品になってしまう。日本の経営が行き詰まってているのは、経営者が部分最適を追い求めすぎ、顧客のことと全体最適を考えていないからだ。結果として部分最適に特化した欧米に負ける経営となっている。欧米の価値観は金儲け至上主義、部分最適主義である。
ネッツトヨタ南国の経営
ネッツトヨタ南国では、全員が経営者の意識で、お客様が何を望んでいるかを、社員全員に考えさせて客に感動を売る経営をしている。私はその経営に興味があり、今回、横田さんの講演会を知り、東京に聴きに行った。
2019-12-14 久志能幾研究所通信 1424 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
コメント