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2019年12月12日 (木)

危機管理 人生道を走る乗り物

 長年乗る車を選定するなら、自分の命を守る車でありたい。フロント部の短い一リットルカーや軽自動車では、トラックに追突した場合、トラックの荷台の下に潜り込んでしまう形になる。それでは事故になったら人生が終ってしまう。

 いくら安全装置が完備しても、ベンツと軽自動車や小型車とが正面衝突をすれば、小さな車の被害が大きくなるのは誰が考えても自明である。

 だから安全上は、車のエンジン部が長い2000ccクラス以上のセダンが望ましい。それが衝突事故を起こした場合、自分を守る緩衝機能を果たしてくれる。

 

死の席

 車に乗せてもらうにも、後部座席の右側(運転席の後)が安全で望ましい。右側が難しければ後部の左席である。助手席は、米国ではデスシート(死の席)と言われ、事故時に一番死亡率が高い席である。だから私はお客さんを乗せる場合は、助手席には座らせないようにしている。それが気配りである。

 

人生道を走る車で自己防衛

 自分が人生道を走る場合、その乗り物のフロント部に防御壁を装備して走るべし。それが危機管理である。必要なら上司に必要悪の付け届けをしよう。それが企業の戦場で最前線に飛ばされないための自己防衛壁である。

 私の職場の1年後輩のD君は、上司に逆らったので、技術職なのに欧州の営業部に飛ばされて、その不慣れな環境と心労から病気になり50代半ばでこの世を去った。上司の好き嫌いで「死の助手席」に座らされたのだ。会社の人事は、極論すれば、好き嫌いである。それなら自己防衛すべきである。

 私の両親は、私のために上司に盆暮れの付け届けは欠かさなかった。お陰で私は出世はしなかったが、危険な部署に飛ばされることは避けることが出来た。両親に感謝である。無事これ名馬である。

 自分を運んでくれる体の保守こそが危機管理である。狂った運転をせず、狂ったガソリン(食事)を入れずに走りたい。正しい運転で、ご先祖から頂いた命を大事に運びたい。

 

2019-12-12 久志能幾研究所通信 1423  小田泰仙

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