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2019年11月16日 (土)

小川敏、最期の日の後悔

 今まで、己が過ごしてきた世界が、利己の世界か、利他の世界であったかを考えたい。今までの日々、一刻、一刻の時間を何に使ってきたかを考えたい。せめて第二の人生を送る際に、考えたいことである。第二の人生には、老後だけでなく、ひとっ跳びに来世に逝くことも含まれる。

 時間なぞ、幾らでもあると思って安易に過ごしてきた人生が、ある時、残り時間数分になる時が、必ず来る。医師から余命宣告をされ、頭がまっ白になるときもあるだろう。人間で、死ななかった人はいない。死を前提に、人生を考えないから、愚かな人生を送るのだ。お釈迦様は亡くなられるとき、あの世が有るともないとも言わず、「ただ精進せよ」と言い残されて旅立たれた。それが人の勤めなのだ。

 

余命宣告

 余命1週間と宣告されれば、好きなことして過ごせばよい。しかし余命2年なら、享楽的な時間の過ごし方ではなく、自分の命の使命を考えるはずだ。虚楽的な生活は1か月がせいぜいで、2年も時間があると、命を世のために使うことを考えるのが、良識ある人間である。

 定年は会社人生の死である。それを前提に38年間の会社人生を考えないから、定年後が惨めになるのだ。

 毎日が人生の駆け込み乗車のような生活で、人生最期の瞬間に後悔をしないのか、考えたい。最期の時は10年後かもしれないが、明日かもしれないのだ。心筋梗塞、交通事故、テロ事件、天災地変等で人生の一寸先は闇である。私の仕事仲間も、私の定年前後の時期に、24名が亡くなっている。多くは還暦前での死である。今、自分が癌になり、手術をして生還できた奇跡を神仏に感謝している。

 

人生の走馬灯

 人間の最期の瞬間は、今までの人生の出来事が、何万枚もの映像となって走馬灯のように目の前を横切ると言われる。人生の最後ではなかったが、南雲クリニックの南雲吉則医師は、今まで張り合っていたご尊父が急逝されて、御尊父との最後のお別れ時に、父との出来事が走馬灯のように目の前を横切ったという。それで医師として、世のためにやっていく覚悟が出来たという。それからの人生を、世の中から癌を半減させるために命を捧げているという。私は、その南雲吉則先生に診察して頂けるご縁を頂いて感謝である。

 

小川敏の後悔

 大垣市長の小川敏は、今まで市長としてやってきたことは、すべて自己満足、利己の世界の悪行であった。その結果が大垣市の没落である。大垣市民の不動産財産を半分に減らしたのだ。私の不動産財産も激減した。

 小川敏が自慢する「ギネス水饅頭の共食い記録挑戦」での恥行、「死政100執念忌念行事」は、利他の行事ではなく、小川敏の自己満足の市民税大浪費行事であった。大垣市民を泣かした利己の行事であった。小川敏がそんな愚劣な行事に時間をかけたことの後悔は、最期の瞬間になって、如何に愚劣であったかを悟るのだ。でもその時では遅いのだ。

 歴代の大垣市長は全員、現役死を遂げている。大垣市長は激務である。小川敏が現役死する確率はかなりの高い確率である。これは統計学での仮説である。神仏からの推定である。その激務の職を5期20年も務めるのは、自殺行為なのだ。小川敏は、無為無策の無能政治に固執して大垣を没落させた。狂っているとしか思えない。

 

多選禁止の条令を

 そういう異常事態を想定して、大垣市の市長選挙の多選禁止の条令を作るべきだ。

 神仏は、天網恢恢疎にして漏らさずの世界である。我々は、小川敏の愚行を他山の石として、観るしかない。小川敏のような大垣史上最低の市長がいるから、他の立派な市長が映える。その愚行を、反面教師として自分と大垣市の糧にすればよいのだ。

 

人は何のために生きるのか、死ぬのか

 どんな生物でも、自分の種族の防御と種の保存がDNAに刻まれた本能である。人生の残り時間が明確になると、利己のためよりも種族のために生きるのが霊長類である。金を残すよりも、子孫、種族のために何が出来るかを模索して生きるのだ。大垣市長として、大垣のために、大垣に子供たちのために命を捧げるのがリーダである。小川敏にその覚悟があるとは、過去の言動から見て、とても思えない。

 ギネス水饅頭を食い漁る小川敏は、爬虫類の脳に支配されているとしか思えない。大垣市民として悲しいことだ。小川敏は、知識偏重の日本の教育システムが生んだ怪物の象徴である。50年前のペーパーテストの結果だけで、大垣と日本の未来が左右されるのだ。これが現代日本が閉塞状態になっている根本原因である。大垣市の不幸、日本の悲惨である。

Photo     3つの脳

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 馬場恵峰書

 

2019-11-15 久志能幾研究所通信 No.1399  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月14日 (木)

人生駆け込み乗車は禁止。何を死に急ぐ?

今日という日は、残り人生の最初の日

   チャールズ・デイトリッヒ

 

 人生の目的地は死である。一日一日、残り人生は少なくって行く。どんなにあがいても、人生120年である。それを意識しないから、準備が疎かになって、人生が無為に過ぎていく。金を稼ぐのが目的の人生に没頭するから、人生の目的が何であるかに思い至らず、金の奴隷人生で終わっていく。会社の仕事がないと、日々、生きていけなくなる体となる。それは人間の人生ではない。

人生では、時間は十分にあるのだ。しかしその準備をしていないから、土壇場になって慌てるから、人生の駆け込み乗車となる。そんなに慌てて三途の川の渡し船に乗らなくてもよい。

 己は何のために生を受けたのか。それを考えていないから、日々の雑用に追われるだけの人生となる。金儲けに走って、いつしか本来の人としての生きる目的も果たさず、究極の目的地である死に着いてしまう。

人は時間なぞ、幾らでもあると思い、今日が最期の日かもしれないとは思わない人が大多数である。

 

駆け込み乗車が出来ない体

 私は、大病をして体力がなくなり、駅で走って電車に駆け込む技が使えなくなった。つくづくと老いと病後の体力の減少を痛感している。

 しかし電車に乗るのにしても、準備をして余裕をもっていくと、待つ間に買い物ができ、目的地に行く過程を考えることが出来る。余裕で特急電車に乗ることもできる。

私は大病をして、人生駆け込み乗車の愚を悟った。それよりも人生の特急電車にのって、無駄な雑務と無縁の人生を考えたい。慌てれば、人生の三途の川を渡るための電車が満員電車になって、座れない。それでは、辛かろう。日々の生活の追われては、人生はおしまいである。人生の駆け込み乗車では、本来の夢の実現は、叶わない。

人生でも、ゆっくりと人生の目的を見極め、余裕をもってご縁の電車にのればよい。目的地(死)は同じである。何をそんなに急いで、目的地に行くのか。人生時間はいつも赤字である。人生は、その赤字幅をいかに小さくするかである。

 

2019-11-14  久志能幾研究所通信 No.1398  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月12日 (火)

吾は権現様・佛様である

 「吾」とは神のお告げの意味と神具で使う器具の象形からなる文字で、「われ」を意味する。吾の「口」とは神のおつげの意味。音符の「五」は、棒を交差させて組み立てる器具の象形である。神のおつげを汚れから守るための器具のさまから、「ふせぐ」の意を表す。そのさまを借りて、「われ」の意味を表す。漢字を創った古代人は、人間には佛性があることを知っていた。

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図1 「吾」の象形文字

 

佛様は己の内に存在

 修証義に曰く「佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん(釈尊および歴代の祖師のその昔は我々であった。我々の将来は祖師である)」。佛はどこにもいない。己の内に存在すると道元禅師は言う。己の内なる佛の声は聞こえるが、それに耳を塞ぎ、欲に負けて、やってはいけないことを犯し、食べすぎ、飲みすぎ、集めすぎ、貯めすぎの強欲に走る人間の弱さから来る業を、罪という。「足る知る」を理解しながら、それが自制出来ない弱さの鬼性と、神の御告げに耳を傾ける佛性の両方を持つのが人間である。

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権現様とは

 己が市長なら、その身は大垣市の「権現」でもある。権現とは、佛菩薩が衆生を救うために仮の姿をとって現れるさまを言う佛語である。市長が佛の代理の権現様として、市民のために口でいくら立派な訓語を垂れても、その後姿に綻びがあると、化けの皮が剝がれる。市民は小川敏の後姿にきつねの尻尾を見る。知らぬは市長ばかりなり。小川敏が、佛様より預かった大事な大垣市を市長権限でめちゃめちゃにした結果、大垣市は衰退した。全ては小川敏の強欲の結果である。市民は騙せても、100歳になった大垣市の氏神様は、その履歴を知っていて、限度を超えると反乱を起こす。それが衰退という現象である。

 

非常事態から目を背ける市長

 己の佛性に目覚めない限り、いくら高いカネを払ってIT化、ロボット化を、行政改革、新市庁舎建設に金を継ぎこんでも、猫に小判である。

 小川敏が、日本の最高学府を出たと誇っても、目の前の事態に対処できなければ、無能なのだ。それは40年前に単なる知識を得ただけなのだ。それは陳腐化した。志があり、大垣を良くしたいなら、然るべき行動がとれるはず。市長の小川敏は、目の前の衰退という異常事態になす術が取れず、ギネス水饅頭の共食いの宴に酔い痴れた。大垣市制100執念忌念行事に執着して市民税3億5千万円金を浪費した。日頃の節約の大号令と相反する言動だが、本人は痴呆症なのか、それに気が付かない。

 

市長の小川敏の後姿から尻尾が見える

 2001年、前市長の小倉満氏が現役で亡くなられた。その後を小川敏が市長を引き継いだ。しかしいくら高学歴を誇っても、志がなければ、大垣市の経営はできない。

 それから18年が経って、大垣市は没落した。大垣市の経済状態と小川敏の経営能力を的確に表す地価は、18年間連続で下落の一途である。結果として市長就任当時から50.2%も地価が暴落した。大垣市の顔である大垣駅前商店街の81%が閉店した。小川敏があらぬ力を投入したので、大垣市役所の給与は県下一の高さになり、その働きぶりは県下最低となった。その財源を児童生徒の教育費から強奪し、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低となった。そのあおりで、昨年の猛暑の時、大垣市の小中学校のエアコン設備率は2.1%で、県下最低レベルの現状が露見した。岐阜県の他市は、ほとんど100%のエアコン設備率である。この有様は市民として恥ずかしい。

 市長の小川敏は、いくら高尚な行政方針やIT化、ロボット化を唱えても、それは線香花火のような泡沫事業ばかりである。大威張りで始めた「大垣中心市街地活性化計画」は大失敗であった。活性化計画を実施したら、大垣駅前商店街の20%の店がシャッターを下ろした。小川敏はそれに口をつぐむ。

 

紺屋の白袴

 小川敏は、東大法学部を出たのに法律の基礎を知らない。知らないのならまだしも、守らない。行政の長なのに、経営のケの字も知らない。市の経営に経済知識が必用なのに、経済音痴である。知識はあっても、智慧がない。恥を知らない。ギネス水饅頭の共食いで、どれだけ大垣が笑いものになったかを認識できない。組織の長なのに、人の心が読めない。

 小川敏が大垣市理念を唱えても、現実の行政政策が愚劣だから、大垣市の経営が出来るはずがない。市民が市長の後姿を見て、「あんたの放漫行政経営のため大垣駅前商店街が崩壊した。それの総責任者のあんたに、そんなことは言われたくない」が本音である。

 誰のお陰で大垣市の今日があると思うのか。その小川敏の感謝の念の希薄さが、大垣市衰退の最大原因である。

 

基礎工事の杜撰さ

 小川敏のイケイケドンドンの大垣行政から市長の尻尾が透けて見える。己を支える基盤(体、市職員、市民、社会)への感謝の念が薄く、生かされていることへの認識が薄い。前のめりで高尚な言葉を列挙するが、足元が固まっていないと、土台から崩れてしまうのではと危惧している。事件が起こると基礎工事の手抜きや白蟻に侵されたような惨状が露見する。2017年11月4日のドローン墜落人身事故はその基礎がないため、起きた必然の事故である。

 

蟻塚

 人は山には躓かないが、小さな蟻塚に躓く。佛様は全てを閻魔帳に記載して、大垣市の病気を通して閻魔帳の中間報告をされる。多くの人が佛の御心も知らず、地獄への近道へ足を向ける。人生曼荼羅には全てが描かれている。人生経営での学びである。ご縁の貸借対照表に人生の歩みが表われる。縁の残高が少ない政治屋が人生で躓く。

2p1030050s   図2 白蟻に食われた柱

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   図3 脚下照顧  馬場恵峰書

 

2019-11-12   久志能幾研究所 No.1396 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

2019年11月 9日 (土)

53年後の浦島太郎物語と閻魔様物語

善男善女の仏様の集会 中学の同窓会

 2019年11月9日の今日、53年ぶりの中学校の卒業同窓会をあり、参加した。どの顔を見てもその面影がなく、「貴方はどなたでしたっけ?」ばかりである。3年前にも同窓会があり、皆と会っているのだが、私に認知症の気があるのか、全く3年前の記憶がない。情けない思いである。

 これは浦島太郎と竜宮城お姫様の53年後の出会いである。善男善女の出会いである。中学卒業後、53年後に玉手箱を空けたら、皆同時に歳をとり、よきジジババになって再会したのだ。

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4無し同窓会

 今回の同窓会は、K幹事が、「カラオケなし、出し物なし、恩師出席なし、二次会なし」を強固に主張してくれて、拘った4無しの同窓会にしてくれた。恩師を呼ばなかったのは、恩師が出ると、どうしても気を使わないといけないので、会話がぎこちなくなるとの判断であった。ただただ皆でお喋りを3時間するという方針で、実に気持ちのよい同窓会であった。いままで参加した同窓会、ОB会とは格段に差のある同窓会になった。

企画の大切さ

 何ごとも計画、志、目的でそのプロジェクトの全てが決まる。今までは、幹事が皆さんに喜んでもらおうと、色んな企画をするのだが、それは自己満足で終わっている。実際に顧客の立場で考えたら、その反対のことをしている場合が多い。

 学校の丸暗記の試験だけはできた市長の小川敏の都市行政で、大垣は没落した。自己満足の計画であった。知識はあっても、智慧がないための結果である。計画、企画には知恵が必要なのだ。

 自分は何のためにそのプロジェクトの企画をしているか、顧客の立場で考えているのかを自省すべきである。

 同窓会なら、数十年ぶりに会った仲間なのだから、じっくりとお喋りをしたい。それを下手な聞きたくもない他人のカラオケの大声で、仲間との会話が邪魔されるのは本末転倒なのだ。カラオケを歌って自己満足している輩のレベルが低いのだ。イベントの出し物に引き込まれるのは、昔の仲間との会話に身が入っていないのだ。

幼馴染の記憶 

 I君は、私といつも模型屋に行ったというが、私の記憶が全くない。後で思い出したことは、中学校ではなく、小学校での幼馴染であった。当時、父の会社の廃止されたプールのコンクリート壁で、一緒に戦争ごっこをしたことを思い出した。

 今、写真をやっている女性と写真づくりの話題で意気投合して、楽しい時間を過ごせた。

 

生涯現役の教え

ほどんどの人が現役引退で、仕事を継続している仲間は少なかった。その中でも、子供、病気、盆栽、姑の悪口、等の話しがなかったのは良かった。

 私の所属したクラス仲間は、11名が参加して10クラス中で最大の参加者数であったが、亡くなられた仲間が9名もいて、それも最大の数となった。実に2割が亡くなっている。仏様に生かされている幸せを感じた。

 私は93歳の馬場恵峰先生の後姿を追い続けて、生涯現役を目指してきた甲斐があった。色々と皆と話し合って比較してみると、私の行動力が飛びぬけていた。良き師を目標に持つことは、長生きの秘訣である。長生きしても体が動き、現役でないと、意味がない。

 

市長の批判

 余談で、小川敏市長の批判がでると、大盛り上がりである。小川敏市長の政策が間違っている証明である。同級生のみんなが同じ感想を持っていることが確認できたのは、収穫であった。これは今回の同窓会のおまけの話しである。

 

閻魔様の代理

 72人の仏様が、今まで生きてきた己の生きざまが正しかったかどうかを教えてくれた。正しくはなかったかもしれないが、間違った生き方ではなかったことだけは分かった。それだけでも大収穫である。

 今年、私は癌が発見されて手術をしたが、死なずに生還できた。皆と会えた。こんな僥倖はない。感謝である。人生の折り返しで、同窓生の仲間が閻魔様の代理で、その審判をしてくれた。

 同学年の450名中、参加者は72名。生きていて、参加したくとも参加できない人もいる。病気で参加できない人もいる。諸般の事情で参加できない人もいる。閻魔様が、参加を許してくれなかったのだ。それを参加できた幸せを感じるべきだろう。同窓会のご縁がきても、参加の意思と閻魔様の許可がないと参加はできないのだ。ここでの再確認は、健康でご縁がなければ、同窓会に参加もできないこと。人生の基本的なルールである。

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 馬場恵峰書

 

2019-11-09 久志能幾研究所通信 No.1393  小田泰仙

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2019年11月 8日 (金)

終活 御本尊の佛事異動

 2019年11月6日、大切に保管していた前の御本尊の仏像を、松本工房に預けた。来年2月にお炊き上げして頂く。2015年、仏壇に納めていた仏像の御本尊様を、今の明慶先生作の御本尊の仏像に変えた時、そのままお炊きあげもどうか思ったが、2015年まで当家を20年間守っていただいた仏様なので、押し入れの奥にしまっておいた。

 今回、私が大病を患い、今後のことを考え、前の御本尊様をお炊き上げにしていただくことにした。何時までも、そのままというわけにもいかない。生あるもの何時かは滅する。それがこの世の掟である。私の死後、御本尊様が不敬に取り扱われるのも本意ではない。これは、その前にやるべき終活の一つである。明慶先生作の御本尊は菩提寺に納佛するように遺言書を作成した。

 

新旧比較

 今回、松本工房に預けるため、しまってあった前の御本尊と明慶先生作の新しい仏像(釈迦如来像)を再度比較する機会を得た。前の仏像は、母が亡くなり、父が仏壇を買ったときに同時に購入した。父はかなりお金を出したと言うが、今回、2つの比較をすると、明慶先生作の仏像と格段の差があることを(当たり前を)再確認した。値段が1桁違うはずなので、やはり安いモノにはワケがある。高いモノにもワケがある。

 仏壇に納める御本尊の仏像は、通常は2mくらいの距離から、また暗い仏壇の中に鎮座する御本尊様だから、その詳細をじっくりとは眺めていないものだ。今回、写真に撮りじっくりと眺めてその詳細が判明した。

 

旧の仏像は

 お顔に締まりがない。

 目の彩色も緻密さがない。

 材質は不明である。金の塗装であるので生地の部分が分からない。

 本体の下にホゾがなく、台座に接着されている。

 光背の作りが貧弱

 台座の模様細工も貧弱

 光背の取り付けも簡単なはめ込み構造。

 華盤の化粧なし。

 台座の彫刻が荒い。黒塗装で胡麻化している。

 

明慶先生の仏像は

 お顔も威厳がある。

 岩田明彩師による目入れは、前とは比較できないくらい緻密。 

 材質は白檀製で塗装なし。

 本体の下にはホゾで固定されている。 

 光背の細工が緻密。透かし彫りである。

 光背は台座に凹部を彫り、そこに差し込まれる構造。

 光背も白檀製。だから緻密な細工が出来る。

 華盤の化粧つき

 台座の彫刻が緻密。台座も白檀製である。

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 松本明慶大仏師作 釈迦如来像 白檀 2015年

 御精魂の入魂儀式前のお姿

 

内なる御本尊

 自分の中には御本尊様なる主人公が存在する。その主人公が我儘な己と相談しながら、表の行動を支配している。その主人公とは、別名で潜在意識といい、人の行動の9割を支配している。人の行動に現れるのは、氷山の一角なのだ。そのご本尊様の品格が、己の行動に出る。そのもう一人の御本尊様の人格を上げないと、人格が高まらない。内なる御本尊の「人格」を磨くのは人である。最高の人格は最高の人格でしか磨けない。低い人格の人で磨かれた人は、それ相応の低いレベルである。だからこそ己を磨いてくれる師は、選ばなければならない。

 その師が身近にいなければ、他山の石から学べばよい。人は人から学ぶ。「俺には関係ない」と縁を取りに行かないから、人格が磨かれない。興味があれば、東京でも九州でも、ローマでもウィーンにでも飛ぶべきだ。私はそうしている。己は内なる御本尊様を左遷という人事異動(佛事異動)させていないか、反省したい。

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 馬場恵峰書

 

追記

 昨日、2019年11月7日は、東京で正倉院展を見学、その後、プレジデント社の経営塾に参加した。その後、懇親会もあり、病み上がりの身にはハードスケジュールで、結果として体調も崩し深夜に帰宅したので、ブログをお休みしました。恐縮です。

2019-11-07 久志能幾研究所通信 No.1392  小田泰仙

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2019年11月 4日 (月)

手術後、18kgの激やせ、脱皮

 今年の2月に手術をしてから8か月間で、約18kgの激やせである。腹囲は17cm減である。いわば今まで18kgの石油缶か18キロのセメント袋を担いで生きてきたのだ。それが無くなって身軽にはなった。ただ今は体力も同時に無くなったので、歩くのも辛く、まだ体はだるい。体力が付けば、身軽になって良いことだろう。

 

脱皮

 スーツやズボンが着用できなくなる肥満を「脱皮」という。2019年10月31日、伊勢神宮に参拝するため8か月ぶりにスーツを着たら、ズボンがだぶだぶで、愕然とした。これでスーツが総て駄目になった。これは逆の「脱皮」である。しかし正の脱皮よりも、健康にははるかによい。今までが、不健康であったのだ。

 肥満はガンの最大原因である。ご用心、ご用心。要は、今まで食品企業が、手を変え品を変え、食品、菓子を売っていた誘惑に負けていたのだ。テレビのコマーシャルは食品ばかりである。つまり美味しいものに目がくらみ、自制心を無くして食べ過ぎたのだ。

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  腹囲は17cm減

 

 人は他の命を食べていかないと生きていけない。しかし食べ過ぎると肥満になる。つまり他の命を余計に殺して生きてきたのだ。病気になったのは、他の命を粗末にし過ぎた罰なのだ。そして天罰が当たって、病気になったのだ。

 食べ足りなくて病気になった人は少ないが、食べ過ぎて病気になる人は多い。

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  馬場恵峰書

 

共生(きょうせい)

 小賢しい人間は、天災が起きると、自然との「共生(きょうせい)」が大事というが、大きな存在の自然現象は、小さな人間のことなど構っていない。自然は、時として人間を無視して猛威を振う。最近頻繁に起きる堤防の決壊、漏水事故を100年に一度だという。人間社会で2000年の歴史の中、地球の40億年の歴史の中の100年など小さな時間である。それを「100年に一度の大災害、自然と共生」と己の対策の不手際を言い訳にするのは、役人の傲慢さである。

 

共生(ともいき)

 「共生(きょうせい)」というのは、人間が一方的に思う驕りである。仏教用語で「共生」とは「ともいき」という。自然も人間も宇宙の一部として、共に生きている。人間は小さな存在だ。自然の片隅で小さく生かされている存在である。その現実を忘れ、自然を征服したとか、他の命を豊漁だ、大食い競争だ、グルメ大会だ、と食欲に任せて貪るから、天罰が当る。病気は、自分の生き方を見直せとの仏様からのメッセージである。天災は、人間の無力さを思い知る機会である。

 愚かな人間は、自分が18キロ缶を腹に抱えていることに気が付かない。現在、日本では30%の男性、20%の女性が肥満である。それが癌の要因である。

 

2019-11-04 久志能幾研究所通信 No.1389  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月 3日 (日)

伊勢神宮に参拝できる幸せ

 2月に癌の手術を受けた後、今日までガンの転移もなく、無事に生かされていることに感謝するため、2019年10月31日、伊勢神宮に参拝した。以前から行こうと思っていたが、今まで伊勢神宮参道の1キロを歩く自信がなかったので、体力回復の時期を待っていた。

 

人生のわき道を歩く

 伊勢神宮の宇治橋を渡った後の鳥居を通り、人生の大通りに相当する伊勢神宮参道の大通りに入ると、すぐ横に右に入る道がある。そこを右に曲がって、静かなわき道に入り、伊勢神宮の神苑を歩いた。正宮までの歩く距離はほとんど同じである。私はこの道をいつも選んで歩いている。静かで、神聖な気持ちで歩けるのだ。この神苑内の道から、並行する大通りを多くの人が歩いている姿を見ながら歩ける。何も混雑した道を選ぶことはない。庭園の庭木を鑑賞しながら歩ける。

 2018年に馬場恵峰先生ご夫妻を伊勢神宮に案内した時も、この道を選んで歩いた。想い出の道である。

P1070224s   宇治橋を渡って右折した大通り 

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  そこを右の脇道に入るとそこが神苑

P1070227s  神苑内の道の静けさ 

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  神苑内の道から元の大通りに戻る

体力の衰えを実感

 従来、宇治橋を渡って、約15分で内宮の正宮に到着するのだが、今回は体力がないため人並みの速度では歩けず、25分もかかって正宮に到着した。参道を歩く大勢の人が、私を追い抜いていった。それも人生である。人生は自分のペースで歩けばよいのだ。他人に左右されることは、愚かである。

 

特別参拝

 正宮では、垂れ幕の向こう側の砂利の境内に入り特別参拝をした。特別参拝は、「特別参宮章」を見せれば、誰でも出来る。伊勢神宮に式年遷宮のために寄進をすれば、「特別参宮章」が発行される。私は毎年、1万円を寄進して、「特別参宮章」を頂いている。寄進額が1万円でも10万円でも、特典は同じである。その有効期限は2年間である。特別参拝には、スーツ、ネクタイ着用の正装が必用である。

 例年だと、別の人と2,3人と一緒に境内に案内をされ参拝するが、今年は前後に待ち人がいなくて、私一人で神官に案内をされて、境内で一人だけで参拝をさせて頂いた。ありがたいこと。

 

お伊勢参りは、社会の実相を表す

 伊勢神宮の境内では、旗を持ったツアコンに案内されて、行列で歩く集団がいる。男女がペアで歩く人もいる。外人が物見遊山で来る人もいる。学校から集団で来ている学生もいる。新人研修か何かで、若い社員が集団で来ているものいる。一人でお参りしている人もいる。

 ここでは自分という人間は、社会でどういう位置付けなのかが客観的に見える。体力低下で、今回はお参りの集団についていけず、後からとぼとぼと歩いて参拝者たちを観察する機会を得て、感じたことである。とぼとぼと歩く己の姿は、これからの生き方に示唆を与えてくれた。皆と競争して早く歩く必要はない。到着する場所は同じなのだ。神さまが後から来ても、特別扱いをしてくれる。自分を信じて、遅くてもいいから、自分の足で歩むことである。

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 正宮の前の参道  いろんな人が参拝に訪れる

赤福

 参拝が終わって、いつものようにおかげ横丁の赤福に寄った。いつも食べるぜんざいを注文したかったが、ぜんざいは11月1日からとのことで、食べそこなった。ぜんざいが冬だけの商品であることを初めて知った。それで赤福2個を食べた。お伊勢さんの赤福をおかげ横丁で食べられる幸せを感じた。

 

2019-11-03 久志能幾研究所通信 No.1388  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月29日 (火)

終活 戒名 人生15分前の行動

 私は、日程表に基づいた行動で、電車でも1本前、2本前に乗り、会議でも15分前に集合、と早め早めの準備、行動を心がけている。

 2019年10月29日、馬場恵峰先生に私の戒名を揮毫してもらう為、日帰りで長崎県大村市に出かけた。人生を80年間として、一生の行事の15分前とは、300日前に相当する。だから人生では1年単位で考えて、その準備をするのが最善である。死ぬ数年前に葬式を想定して、戒名を決め、先生に揮毫をしてもらい、それを墓誌に刻む。葬式の手配は、2月の手術前にすませた。お寺さんにお金も支払い済である。では、墓誌への戒名の記載は、いつやるのか、今でしょう。だから今日、九州に出かけて、戒名を揮毫して頂いた。

 

何時までもあると思うな、親とカネ

 先生も93歳である。何時までも揮毫をして頂けるわけではない。早め早めの行動が、安心を生む。故河村義子先生のように、死は突然なのだ。自分の死はある程度予測がつくが、親の死や、特に師の死は突然で、往々に茫然自失に陥る。いつまでも、あると思うな、親とカネである。

 

墓誌の書き方 

 先生は、今までの8名の戒名の後に、私の戒名を揮毫した。私が4年前に自家の墓を改健して、ご先祖の8名の菩提を弔った意味で、墓誌全体のバランスをとって、私の戒名は少し太い字で揮毫をしたという。単に戒名を書けば良いわけではないのだ。

 

元気をもらう

 93歳の恵峰先生に私の戒名の揮毫をしてもらい、深夜に自宅に帰着した。先生宅の滞在時間は3時間であった。当日は、朝5時50分に家を出て、23時の帰宅である。恵峰先生に戒名を書いてもらって元気になった。先生の元気な姿を見ていると、おちおち死んでなんかいられない。

 書家の師に戒名を揮毫してもらえるのもご縁である。稀有なご縁として有り難いことだと感謝している。

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 墓誌の戒名を揮毫中の馬場恵峰先生

 

2019-10-29 久志能幾研究所通信 No.1383  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月26日 (土)

人生道、下山途中で一休み

茶屋で一休み

 霊山羽黒山の2,446段の石段を下山する途中に、一休みできる茶屋がある。道中の半分の位置で、「二の坂」上り口付近である。ついつい餅に目がくらんで、茶屋に入った。そこの茶席から、鶴岡市の平野が見渡せる絶景の場所である。私はそこで風景を見ながら休息して、餅と抹茶を食した。

 「杵つき力餅2個の抹茶セット」で600円、「杵つき力餅5個と抹茶セット」で850円であったが、山を下りてきてお腹がすいたので、杵餅5個セットを選択した。しかしそれは私には少々量が多すぎて、選択を間違えたようだ。食い意地に反省である。人生の下り坂では、食べる量(入力)は半分でよいのだ。何時までも若くないのだ。

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Dsc07872s_2 「二の坂」上り口付近

Dsc07842s   茶屋

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芭蕉翁三日月塚

 この茶店の直ぐ近くに松尾芭蕉の「芭蕉翁三日月塚」がある。芭蕉は、元禄2年(1689年)に、この場所を訪れ「涼しさや ほうの三日月 羽黒山」の句を詠んでいる。それに因んで命名された塚である。

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芭蕉翁三日月塚

 

何を残すのか

 長い人生で、山を下るとき、今まで歩いてきた行程を振り返り、一時、ゆっくりとお茶を食する余裕があっても良いものだ。今までの人生の振り返りもせず、一目散に目的地を目指すのは、味気がない。

 私の定年後2年目の2012年4月、学友・F君が死去した。享年63歳。癌の発病後4ヶ月で死去であった。彼は卒研仲間で、大手自動車に入社して、定年後の再雇用中であった。「そろそろ自分の時間が欲しい」との元気な姿の写真の入った年賀状を頂いた矢先のこと。「久しぶりに食事でもどう?」と家に電話をしたら、先日亡くなったと言われて絶句した。

 

脳が支配する時代

 私の同期24名中、退職時に在籍していたのは8名のみ。後は退職、転籍である。その他、部下でうつ病になったのが3名。精神異常が1名。周りの職場を見るとうつ病者は数知れず。私も退職前の一時期、陰湿ないじめでうつ病寸前になった。病院に行けばうつ病と診断されるのが明白であったので、関係の本を読み漁り自力で直した。

 日本の企業も、グローバル経済主義の影響で拝金主義が横行し、社員が不幸に陥ぅている現実がある。それを防ぐのが責任者の勤めである。しかし役員・部長は成果主義に染まり、部下や10年後の会社のことは眼中に無い。利己に染まった脳が支配する世界である。「仲間を助け、後世にDNAを伝承する」という魂を重んじた日本は、今はない。会社がおかしくなれば、日本国もおかしくなる。それが現代の日本の姿である。私はなんとかしたいと模索をしている。

 

霊山の言霊

 魂の声が聞こえるのが、霊山の雰囲気である。その地で、人生は、一歩一歩、その意味を考えながら歩みたいもの。目的地である「死」は決まっている。山路の終着地は麓であるが、それが旅の死である。どんな「旅」にも終りとしての「死」がある。会社であれば「定年」が死である。第二の人生にも、真の終りがある。それまでに、何を後世に残すのかである。享楽的に残り人生を下っても、虚しさだけが残る。脳は快楽を求めても魂は、それを求めていない。

 

認定書

 この場所で記帳をすると、「霊山羽黒山の2,446段の石段を踏破」の認定証を頂ける。無料であるが、そのお店に寄らないと、それを提供されないので、無料とはいいがたい。しかしこの二の坂を登ってもきても、下ってきても、認定書は頂ける。

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2019-10-26 久志能幾研究所通信 No.1380  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年10月25日 (金)

旅の峠・人生の峠 死出の旅

松尾芭蕉の旅

 松尾芭蕉の「奥の細道」の旅は、芭蕉が最上川の急流を舟で下り、霊山巡礼登山で、旅の峠を迎えた。芭蕉は山岳信仰の霊山で知られる出羽三山の一つである月山に登った。元禄2年(1689)6月6日、頭を白木綿の宝冠で包み浄衣に着替えて、会覚阿闍梨と共に宿泊地の羽黒山南谷の別院から山頂まで8里(約32km)の山道を登り、弥陀ヶ原を経て、頂上に達した。時は既に日は暮れ、月が出ていた。山頂の山小屋で一夜を明かし、湯殿山に詣でた。他言を禁ずとの掟に従い、湯殿山については記述がない。唯一、阿闍梨の求めに応じた句として、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」で秘境の感銘を詠んでいる。現代でも、湯殿山での撮影は禁止されている。

 奥の細道は、この峠を境に雰囲気が大きく変わる。1994年、芭蕉三百年恩忌で「奥の細道全集」を書かれた馬場先生も、この峠を境に、巻を分けて構成された。

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 馬場恵峰先生と「奥の細道全集」上下巻 2011‎年‎9‎月‎14‎日

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039a31731s_2  馬場恵峰書 「奥の細道」全集

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私の「奥の細道」紀行

 小さな私的な人生でもドラマがあり、人生の峠がある。しかし、その峠にもたどりつけず鬼門に入った仲間が身近で11名にも及ぶ。還暦を迎えて、無事に人生の峠に辿り着けた有難さを強く感じる。

 私は大垣に帰郷した2010年9月から毎日、「四季の路」を雨の日も雪の日も歩き続け、16カ月後の2011年末に累計で2,400kmを歩いた。芭蕉が東京深川から大垣までの道中とほぼ同じ距離である。別に意識をしたわけではない。ただ毎日、5kmを継続して歩いた。芭蕉は160日をかけて「奥の細道」を歩き、私は500日弱をかけて2,400kmを歩いた。その後も数年間は、「朝の旅」で歩き続けていた。

     

人生の下り坂

 その後、私は大病をして、人生の峠を迎えた。今、人生の峠を越え、山を下る道を歩いている。今回、思いついて、羽黒山に詣でた。2019年10月24日、羽黒山の山頂までバスで行き、三神合祭殿を参拝してから麓の随山門まで、2446段の石段を歩いて下りてきた。距離にして1700メータ、2時間の下山路であった。

 三神合祭殿は月山、羽黒山、湯殿山の三神を合祭した日本随一の大社殿である。ここに参ると3つの山に参拝したと同じご利益があるという。

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 羽黒山 山頂の三神合祭殿  2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎11:55

 

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 羽黒山 ニの坂  合計2,446の石段が続く。私は、この道を下った。

   2019年10月24日‏‎、13:25

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山道の途中の全部の神社に参拝

 羽黒山の山道には、山頂の「三神合祭殿」から麓の「門前の宮」、「随神門」まで、大小合わせて21社ほどの神殿、祠、社がある。その全ての神仏に寄って、生かされていることへのお礼を述べて手を合わせた。このため、全行程で2時間も時間がかかった。当日の朝にホテルを出る前は、斎戒沐浴としてお風呂に入り、冷水を浴びて身を清めて現地に向かった。

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 葉山衹神社   2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎13:28

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 麓の随神門   2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎14:06

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下山の難しさ

 人生登山では、登るより、下るのが難しいし、体力と気力、知性がいることを実感した。上りは体力に任せて皆と一緒に、一気に登れる。しかし下るには、足元を注意して慎重に下りないと、石段を踏み外す。下るときは、登るときほど、体力がないのだ。私が下る最中で出会った登りの若い人が、上まで行き、その後の下りの行程で、私を追い抜いて行った。その若い人が、山を下る方が膝にきて辛いと言っていた。

 羽黒山の下山では、足場の幅狭い石段で、時には足を横に向けないと石段を踏み外す。その危険性は上る時よりも大きい。それで登るよりも多くの時間を要した。下山の終了寸前で、膝がガクガクになってしまった。

 

智慧

 登山は、上るより下る方が大変であるとは、知識として知っていた。今回、下山のつもりではなく、山頂より少し降りて、そこで写真を撮ってから戻る予定で山頂を出発した。ところが勢いで、そのまま下山してしまった。引き返せない所で、この件に気が付いたが既に引き返すには遅かったのが実情である。実際に痛い目をあって身に付くのが智慧である。今回、これを体得した。

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   馬場恵峰書 2017年仲夏

 

下山で命を落とす

 私の会社時代の仲間の多くが、今までの人生の登り調子で還暦後を過ごして命を落とした。体が変わっているのに、今までの山に登る調子で、山を下りて、人生の遭難をしたのだ。

 私ももうじき70である。病み上がりでもあるし、それを意識して、慎重に山を下りた。ガイドブックでは羽黒山の石段は、2446段で、1,700メータの距離、必用時間は60分とある。途中で全社に参拝したためもあるが、私は下山に3時間弱も要した。

 今回の旅は、新潟に前泊して、山形県の鶴岡駅前を2019年10月24日10:42発のバスに乗り、羽黒山山頂駅に11:35に着き、そこから下山して、麓の随神門駅から14:35発のバスに乗り、鶴岡駅前に15:08に着いた。当日の深夜23時、自宅にたどり着いて、今回の羽黒山への参拝PJを終えた。

 

松尾芭蕉は死に装束で登頂

 松尾芭蕉も「奥の細道」の紀行で、この山を登り下りた。時に45歳である。頭を白木綿の宝冠で包み浄衣(死に装束)に着替えての登頂である。芭蕉は「奥の細道」の紀行を大垣で結び、その後、伊勢神宮の式年遷宮に参拝して、5年後に伊賀で亡くなっている。享年50歳。松尾芭蕉は、人生の覚悟の旅として「奥の細道」を歩いた。当時は、人生50年の時代である。45歳と言えば、今では70歳くらいだろう。自分の齢に重ねて、人生を思う。

Dsc07785s ‎  羽黒山の三神合祭殿境内にある松尾芭蕉の像

  2019‎年‎10‎月‎24‎日、‏‎11:48

2019-10-25 久志能幾研究所通信No.1378  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。