ma_人生経営・会社経営 Feed

2020年10月19日 (月)

「7人の敵」より手強い「108人の敵」と闘う

 

スランプ、挫折の意味

 人は逆境にならないと、自分を直そうとはしない。スランプや逆境こそ、自分を見つめ直し、自分を成長させる機会なのだ。

 私も左遷、降格、裏切り、試験に落ちる、師との別れ、大病で手術、鬱病症状、交通事故等の挫折があり、それをバネに頑張って、今がある。

 

108人の主人公

 古風な母からは「男は外に出れば7人の敵がいる」と教えられた。しかしもっと恐ろしい敵が、己の内に108人も存在する。その敵が己を殺し、家族を殺す。

 人間は、好調な時は己の内の潜む108人に唆されて、やりたい放題に過ごす。そのお調子者の誘惑者とは、108の煩悩を背負い、己の内に居候する108人の主人公である。その居候は、欲にまみれた餓鬼である。「欲」とは谷底に突き落とされても、欠けないと書く。しかし人間は、欲が無くなれば、命がない。生きたいという欲こそが生命体の核である。

 金も欲しい、女も欲しい、酒も飲みたい、働かず遊びたいでは、まるで飢えた動物だ。畜生は満腹になれば、それ以上の餌は求めない。それなのに強欲な人間は、食べても食べても、金を集めても集めても、満足ということを知らない。飢えた餓鬼タリアンである。

 

タイムリミット

 幸いなことに、何時までも狂宴は続かない。いくら続いても20年である。栄華を極めた豊臣秀吉の狂乱も20年は続かなかった。自分で薬まで調合する健康管理オタクの徳川家康でさえ、73歳で死んでいる。

 いくら健康優良児で病気知らずでも、老いと死は避けれない。いくら体が頑強でも、歳を取れば認知症の罹患率が急増する。認知症になれば、脳死も同然である。そこまでして生きたいのか、自問しよう。

 東京都福祉保健局の調査によれば、70代前半では4.3%に過ぎないないが、70代後半になると10.1%に跳ね上がる。80代前半が23.1%、80代後半が43.6%で、90歳を超えると69.2%が認知症になってしまう。(『週刊新潮』 2016.9.9)

 

確実に来る未来  老いと死

 己もいつしか歳を取り、目も悪くなり、頭の回転も鈍くなり、口も早く回らず、アレソレばかりしか言えず、腹も出て醜い肥満体になり、病院通い、薬漬けの日々となる。人並み以上の悪食、過食、過飲という狂った生活が、脳や体を犯し、認知症、癌、心筋梗塞、脳梗塞、脳出血になり、その狂宴が止る。そのため集めた金を使う機会もなく、仏様に呼ばれてしまう。「いくらでも金を出すから助けてくれ」と言っても、仏様は聞く耳を持たぬ。

 だからこそ、足るを知り、利他を知らねばならぬ。生老病死に対して覚悟をしなければならぬ。やるべきことを、やれるうちに済ませねばならぬ。今のうち、生きているうちである。

 別に偉くならなくてもよい。金持ちにならなくてもよい。生まれて、やるべき使命を全うするため、真っ黒になって働いて、世のためになる事をして、人知れず死んでいく。それが人間の生き方だ。

「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」(天台宗の開祖・最澄)

 

河村義子先生の死

 河村義子先生は、死を悟って最後の5年間を全力で生きられた。やりたいことを全てやって悔いを残さず旅立たれた。早すぎる死ではあったが、素晴らしい生き方である。

 最後の5年間、1か月間のドイツ演奏旅行から帰られた義子先生が、「やりたいことをやり切ったので、いつ死んでもいい」と言うので、なんと大げさなと呆れた思い出がある。当時、私は先生の病を知らないので呆れたが、今になって先生の心境が理解できる。

 

「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」親鸞聖人

 

死の準備

 河村義子先生も、大垣の音楽界に尽力して、いつか私の目の前からフェードアウトして、ある日、訃報が飛び込んできた。それで私も自分の死に目覚めた。その直後、私に癌が見つかり生への葛藤が始った。

 私は、自身の葬儀・戒名・遺産相続の段取りをしてから手術に臨んだ。お墓は3年前に再建した。手術後、墓誌に戒名を刻んだ。まだ生きているので、彫った字に朱を入れた。人は生まれ、生き、裸で死んでいく。それに納得して従った。手術での死を怖いとは思わなかった。生死は仏様の管轄だ。

 

108人との闘い

 人生では、優柔不断で強欲な己という主人公が、自分の中に潜む108人の狂気の敵と戦わなければ、人生ゲームに負ける。身を正さねばならぬ。手ごわい敵は、倒しても倒しても入れ替わり立ち代わり襲ってくる。ある時は天女の仮面を被って「そんなに頑張らんでよろしがな。楽しみましょうよ、食べましょうよ、飲みましょうよ」と意志薄弱な己を誘惑する。

 人生ゲームは、最初から自分の思い通りにならないように設定されている。人生ゴールを邪魔する煩悩という敵とは、108の仮面を被った己である。それをどう克服するかが問わる。克服する過程が、自分の成長であり、佛になる(成仏)道なのだ。

 

最強の敵

 しかしその108人の敵を倒しても、もって手ごわい敵が残っている。それが己である。その相手は佛にもなれば鬼にもなる己である。己の感情をコントロールできて初めて、成仏である。

 

物理(佛理)の法則

 その精進を放棄すれば、人間ではない畜生道を歩む。それで認知症になれば、大当たりである。此の世では、本人は天国、家族は地獄である。あの世でどうなるかは、逝ってみないと分からない。

 物理(佛理)の法則では、プラスがあればマイナスが必用だ。此の世でプラスなら、あの世はマイナスである。来世の答えは自明である。

P10600161s  馬場恵峰書

2020-10-19 久志能幾研究所通信 1792  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年10月14日 (水)

青い鳥 探し求めて 三千里

 

 私はお宝を求めて、絵や彫刻、仏像、陶芸作品を探し求めてこの30年間で世界の70以上の美術館、博物館を回った。しかし欲しいと思う真のお宝は見つからなかった。

 その昔、欧州に飛んだ時(出張のついで)、隣りの席に座った画商に、名画の値段は人の命の値段と同じであると教えられた。当時、バルブの最盛期で、その画商はパリのオークションに絵を買いに行くところだと言う。

名画とは

 それに対して、私の名画の定義は、捕まってもいいから盗みたくなる絵である。西洋で名画・お宝と認められても、日本では価値観が違うからお宝ではない。西洋で億円単位といわれる絵を只でやると言われても、自宅の和室に飾ろうとは思わない。16世紀の暗いゴテゴテした絵を和室には飾れない。

 そんな盗みたくなるような絵は、西洋の美術館にはなかった。そのお陰(?)で、名画盗みの罪を犯すこともなかった?

 もしお宝として絵に投資するなら、マスターピースと呼ばれる西洋の古典の絵画である。値段も最低1億円以上の絵でないとダメである。それなら確実に値上がりする。その絵画取引の業界では、1億円以下の絵は、ポスター扱いである。

 日本でも日展で特選を受賞した画家が描いた60万円の絵でも、売る時は東京のオークション会場に出して、やった3万円で売れる。それで私は痛い目に会った。

青い鳥 

 この30年間程、世界の美術館をさ迷い続け、還暦を過ぎてから、青い鳥は外国ではなく、自分の家の中、自分自身の中に見つけた。そのお宝とは、自分の健康であった。

 

健康がお宝

 健康でないと、仕事ができないし、仕事も頼まれない。

 だから金も貯まらない。

 健康でないと、仕事を通して世の中に貢献できない。

 何のために生れたのか。人を喜ばせるためだ。

 病気では税金を利己的に使いすぎる。

 日本の医療費43兆円(2019年)。増える一方だ。

 健康でないと、人生も楽しめない。

 世界一の金持ちになっても、56歳で死んでは人生の意味がない。

 天才でない凡人の我々は健康で長生きすることだ。

 仕事の依頼は、お金を貯めた人でなく、お金を使った人に来る。

 仕事は能力ではなく、喜んで多く仕事をする健康な人にやってくる。

 私だって、頼みに行くと嫌な顔をする病弱な相手などに頼まない。

 大金を持っていても、使わないと世間では相手にされない。

 吝嗇なヤツの所に誰も頼みに行かない。吝嗇は精神の病気である。

 精神が不健康で吝嗇な市長が居座ると、その都市は没落する。

 大垣市のように。

 お金があっても、健康でないと使えない。

 大きな事業は健康でないと取り組めない。その気力も出ない。

 何かを学ぼうにも、健康でないと、学び、記憶する気力が起きない。

 

 ♪ オレはカネも女もいらぬ ♪ もそっと健康が欲しい ♪

 ついでに、もう少し髪の毛が欲しい ♪

 

 健康でないと、皮膚細胞の増毛機能も活発にならない。病気では、外見の髪の毛に気を使う気にもなれない。貧乏でも健康であれば、肌もきれいだし、元気でお金を稼ぐことが出来る。お金持ちにもなれば、やりたいことも出来る。

 これは大病を経験しないと分からない。仏様はそれを教えるために、私に大病を授けた。健康は失って初めてその価値に気が付く。人間は愚かである。今の私は超健康オタクである。私は死んでもいいから、健康管理最優先で生活している。

 

警告

 仏様は親切である。体の異常を体の変化で、いつも教えてくれている。その啓示を無視するから、不幸になる。

 お腹の出っぱりの増加、体重増、ズボンが太って履けなくなった、高血圧、物忘れ、「あれそれ」を多発が目につく、喉の渇き、疲れやすさ、こむら返りの頻発、薬の増加等、全て仏様からの異常通知のお手紙なのだ。

 私は高血圧の異常警告を受け、大垣から久留米市まで飛んで行った。遠い近いの問題ではない。仏様からのリース物件に事故が起きたのだ。お陰で脳梗塞、心筋梗塞になる寸前で、それの正しい治療を始めることが出来た。速やかに久留米に飛んだ自分を褒めてあげたい。

 

 腹回り 1センチ増えて 秋を知る。

 あれそれを 頻繁に言い ボケを知る

 

誰よりも誰よりも自分の体を愛せよ。

 下記は馬場恵峰師の89歳の時の揮毫。この色紙は2015年の墓再建での開眼法要の時、先生から頂いた色紙である。この時のご縁で、今までの病気では、ご先祖が私を助けてくれたと信じている。合掌。

89

2020-10-14 久志能幾研究所通信 1787  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

精神構造体の基本

 

 建物は中の構造が一番大事だ。外側の形式など、後からいくらでも直せる。

 私の親が40年前に立てた家は、構造がしっかりしているから、リフォーム工事が出来た。もっとも新築以上の費用がかかった。家族との想い出があったから後悔はしていない。

 近所の同時代に建てたプレハブ住宅は、リフォームが出来ず、全面建て替えとなっている。

 

人間の構造

 人間では、その精神構造が一番大事だ。その精神が腐っていると、いくら体裁を整えても、人生の途中で破綻する。その基本は、心の健全性と、若さ、柔軟性である。

 若い頃にシッカリした精神構造を作っておけば、後は微調整で人生の荒波を乗り越えられる。だから精神だけは、青春であるようにすべきだ。

 その精神構造も若くなければ、人生を乗り切れない。太くても枯れた枝に体重をかけて乗ると、ポキッと折れる。ところが細くても末端に葉が生えている枝に乗っても簡単には折れない。同じことが人間の精神にも言える。

 心に柔軟性があれば、コンプライアンスという心の復元力で、人生の荒波にも耐えられる。それがないと横波を受けて人生で沈没する。

 

心の形成

 自分作りの基本は、価値観の形成である。幼い時は躾教育である。親を敬い、世間の常識を學ぶ。実社会では、これがいいこと、これが大切ということを現地現物で体験する。

 今は教える側の親が堕落しているから、手の施しようがない。

 親が子供を猫可愛がりで甘やかすから、子供が成長しない。「教」育とは、「老」人が「子」供を鞭で打つ姿の象形文字である。子供は動物で生まれて、躾で人間になる。今の子供は動物のまま成長した小人が多い。

 

リモート学習

 ところがテレビ会議やリモート学習では心の教育ができにくい。講演でもテープで聞けば、同じ話でもパッション(講師の情熱)が伝わらない。

 新型コロナ対策でリモート学習が大流行である。前職の会社でも後年、新人教育がテレビ会議方式の講義になってしまったが、その効果を私は疑問視している。私は、それは手抜き教育だと思う。リモート指導では、教師のパッションが伝わらない。教師も投げやりな機械的な講義となってしまう。そんなことでいいのだろうか。

 世間の流行に惑わされず、良き師を探して人生を航海しよう。

Img_43851s

  馬場恵峰書

2020-10-13 久志能幾研究所通信 1785  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月13日 (火)

自分が変われない18の理由

 

 みんな変わらなくちゃ、変わろうと叫んでいる。しかし変われない。何故なら、その前になぜそうなったかを考えないからだ。そうなってしまった原因を見付け、それを潰さないと自分は変われない。

 

1 変わろうという気が薄いから

 変える気がないだろう。変えたいという気が薄いだろう。変わって大金持ちになりたい気がないだろう。

 人間は、何もせず変わらないのが一番楽なのだ。変われば周りと軋轢を生じて、己が傷つくのが怖いのだ。楽をしては変われない。何ごとも「気」が大事だ。本気、やる気が人生を創る。人生は気力の勝負である。そのためには健康が第一。

 変わるには、金も時間もかかる。覚悟をして取り組まないから変われない。自己変革プロジェクトを立ち上げよう。

 

2 生存的生き方をしているから

 今の状態がいつまでも続くと安易に考えているから変われない。生存的生き方をすれば、死から目を背け、それに蓋をして、金儲けや虚楽的に生きることになる。死を考えないから、もっと金をもっと金をという生き方になる。

 生命的生き方をすれば、死を意識して生きざるを得ない。何時死に直面するかもしれないと思うと、生き方を変えざるを得ない。生とは死を含めた生命体である。

 

 天地終始なく、人生生死あり

    頼山陽 立志の詩

 

3 問題が起きても対処療法ですませるから

 真因を見付けて、対策を打たないから、何時までも同じことが続く。

 何故なぜを5回繰り返せ

 

4 10年後、20年後の夢、志がないから

 夢がないから、今のままに安住する。それでは変わろうというモチベーションが出ない。そのためには、一生実現できないような夢を持つこと。

 

 偉大な仕事は夢で始まり、情熱で維持され、責任感で成就される

      堺屋太一訓語

 

5 学び、変革のために身銭を切らないから

 会社や組織から与えられた教材で済ませるから、他と差別化できない。

 身銭を切らないと、真剣になれない。

 自己投資こそ、最大の財テクである。

 

6 縁を求めないから

 人生の変革は師が運んでくれる。縁を求めて、多くの人に会わないと、人は変われない。

 ド田舎の剣の道場の名人は、江戸の名もない道場主に負ける。江戸の道場主は、多くの剣の達人と他流試合をしているからだ。

 

7 動かないから

 変わるための機会があれば、ニューヨークにでも飛んでいけ。

 近い、遠いの問題ではない。動けば、何らかの具体的な答えが得られる。動かないから、ニュートンの第一法則により、何時までも動かないものは永遠に止まっている。変わらない。

 

8 道具で変わろうとするから

 トヨタでは問題解決とは2割がツールで、8割が考えることだと言われる。自己変革セミナーというツールを受講しても、自分の考え方を変えないと変わらない。いくらITツールでもAIでも、それは所詮道具でしかない。

 

9 荷物を降ろさないから

 50年も生きていると、多くのしがらみのお荷物を背負い込む。それを捨てないと変われない。その95%を捨てても、生きていくうえで何の問題もない。

 過去の栄光など、些細な雑事である。己も過去の習慣に縛られているから変われない。

 大垣市長の小川敏も、過去の母親のしがらみに縛られているから変われない。母から吝嗇という教えのお荷物を背負うから、大垣の未来に投資ができない。だから大垣市の児童生徒一人当たりの教育費を最低にしても平気なのだ。それでは大垣市は変われない。小川敏は過去の知識だけに縛られて行政を牛耳るから、大垣市政は変わらない。だから大垣は没落した。

 日本政府も、中国との利権のしがらみがあるから、経済停滞が続く。

 日本も過去の高度成長の成功体験があるから、体旧態依然たる経済政策に縛られて、米国のGAFAに負けている。

 

10 内なる108人の自分に振り回されるから

 108の煩悩を打ち捨てないと自分は変われない。内なるもう一人の己を切り捨てないと変わらない。変わらないのは、アクセルとブレーキを同時に踏むが如くの行動を取っているからだ。10年一日の同じ過ちをしているから変われない。

 

11 群れるから

 目的もなく群れるとその影響を受けて、変われない。群れの仲間は貴方が変わって去って行かないように呪文をかけて縛り付ける。群れて仲間と飲んで、自分はどれだけ成長したか、変われたかを自問しよう。

 愚痴を言い合うだけでは変われない。黙って自分を成長させる「変革」を実行しなければ、変れない。

 

12 薬物を飲むから

 酒は肝臓で薬物と同じ過程を踏まないと無毒化されない。だからWHОでは酒は薬物と分類している。薬物である酒によって酩酊された頭で、いくら議論しても自分は変われない。

 

13 安いものを買うから

 人生の価値判断が安さだけとなるから、より高いレベルを目指す志が薄れる。それでは変われない。下方に変わるのは簡単にできる。それは人間ではない。

 高いモノは職人の魂に触れる。だから自分も変わろうという気になる。

 

14 世間体を気にするから

 どうせあと50年は生きられない。後は野となれ山となれ、で覚悟を決めれば、何でも出来る。そういう人間に変わろう。人間はちっぽけな存在だ。何を気にするのか。

 

15 健康管理をしないから

 変わるためには意思と体力が必用だ。そのベースは健康である。死んでもいいら健康管理である。その基本は食である。医食同源である。美味しいモノには毒がある。その毒を、食べたいだけ食べれば、病気になる。病身では変われるはずがない。

 

16 挫折を人生の糧としないから

 事故が起きても、真因を探して再発防止をしないから変われない。挫折こそ、自分が変わるチャンスなのだ。仏様が変われと言っている。そうなった真因を明確にして自分が変わる燃料としよう。

 

17 畜生界で生きているから

 欲望に身を任せて動物として生きれば、変わる必要を感じない。畜生が畜生を狩る、畜生が魚を釣る。それでは魂の浄化はできない。霊長類の人間として生れた以上、魂の浄化をして精神の向上を目指さないと変われない。

 

18 祈らないから

 変わるためには、変わりたいと真剣に祈って、神仏の力を借りよう。使えるものは、神仏の助けも借りよう。人を超えた世界の力は、人知を超える。

039a34401s  馬場恵峰書

2020-10-13 久志能幾研究所通信 1785  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月12日 (月)

運動方程式第2に従う  磨墨知526.

    

 F=mα

 同じ力でも質量が小さくなれば加速度がつく。人生の荷物を降ろして身軽になろう。老いれば持つもの(質量)が小さくなる。身軽になって飛び回ろう。加速度を上げれば、大きな力となる。加速度を感じる生き方をしよう。日々変化、日々挑戦、それが加速度のある人生だ。毎日が大切な日、焦らず、迷わず、前進して留まらなければ、加速度のある人生だ。自分の持つ資源を再発見して活用こそ、人生の加速度を上げる。

 

鎧を脱ぐ

 自己が身に着けた鎧が動きを鈍くする。難波時には、全てを捨てた人が助かる。生きようとする欲さえ捨ててしまえ。生きるか死ぬかは天の差配である。生死に人は無力である。どん底まで沈めば、おのずと浮かび上がる。

 身に沁みついたしがらみを捨てよう。ちっぽけのなプライドが身を沈没させる。非常時は恥も外聞もなく助けを求めよう。そこで真の味方が明白になる。昨年、癌になってそれを痛感した。遠くの親戚よりも、近くの知人である。

4k8a93761s

 馬場恵峰書

 

2020-10-12 久志能幾研究所通信 1784  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

貴方を認知症にする敵とは?

 

 人生で戦うべき相手は、内なるもう一人の己である。その相手は手ごわい相手である。敵は時に108の姿に変身して、手を変え品を変え己を誘惑する。優柔不断で、いつも己に勝てないのに、生存競争が激しい娑婆の商売相手、ギャンブル相手、市場の競争相手に勝てるはずがない。戦うべき相手は、内なる己なのだ。

 毒であることが分かっていても、食欲の誘惑には勝てない己だ。「肥満防止でお饅頭は一個しか食べない」ともう一人の己に約束したのに、その誘惑に勝てず、ついもう一つお饅頭を食べてしまう。それで人生で勝てるわけがない。

 お饅頭は糖質の塊である。糖質はアルツハイマー型認知症の遠因となる。認知症になれば、もう一人の己と闘う気力も失せる。敵は狡猾である。

 

認知症リスク

 「60歳以上の住民1,017人を1988年から15年間に渡って追跡調査した結果、糖尿病の人は正常な人に比べ、2.1倍もアルツハイマー型認知症を発症するリスクが高いことが分かりました」(久山町研究に携わる九州大学大学院・清原裕教授)

 糖尿病発症の原因は糖質以外に、AGE(終末糖化産物)も大きな要素である。AGEは、糖質とタンパク質が生体内で反応してできた「超悪玉の糖化したタンパク質」である。

 AGE牧田クリニックの牧田善史院長が話す。「AGEは様々な老化現象を引き起こす物質です。血液中や血管に蓄積されて動脈硬化の原因となり、コラーゲン繊維に蓄積して骨粗しょう症や白内障の原因となる。また肌の弾力性を失わせ、シワ、たるみ、シミのもとになる。

 アルツハイマー型認知症は、脳の中にアミロイドβという異常なタンパク質が蓄積し、『老人班』と呼ばれるシミが脳にできる。その老人班に大量のAGEが含まれているのが分かってきたのです。このAGEを溜め込まないかが、アルツハイマー型認知症の予防のカギだと考えられる」

 その対策として、高血糖体質からの脱却、すなわち「糖質オフ」の食生活を心がける。

 

食べ物に含まれるAGEでは、

 フランクフルトソ―セイジ(11,270ku)、

 マヨネーズ(9400ku)、

 ベーコン(9023ku)、

 プロセスチーズ(8677ku)、

 チキンナゲット(8627ku)、

 ピザ(6825)、

 ローストビーフ(7071ku)、

 ハンバーガ(5418ku)、

 マカロニグラタン(4070ku)、

 ポテトチップス(2833ku)、

 フライドポテト(1,522ku)がある。

 ちなみに、ご飯は9ku、食パン(トースト)83ku、パスタ112ku、である。

   出典:米国栄養士会雑誌

 伊藤隼也著「アルツハイマーは糖質オフで防ぐ!」『週刊文春 2014.1.16』号を抜粋、編集

 

戦う相手

 人生で己に襲い掛かる最強の敵は、内なるもう一人の己である。しかし内なるもう一人の己は、いつでも戦う「お相手」をしてくれる。どこかに出かけて戦う必要もない。もう一人の己は自分の都合に合わせて、いつでも戦う「訓練」の相手さえもしてくれる。自分の意志さえさえ固ければ、もう一人の己という敵は親切なのだ。

 しかし50年間の食欲との戦いで、いつも己は負けていた。その敗戦の傷が肥満である。出っ張ったお腹が負け戦の勲章である。それが癌の遠因にもなる。

 人は人の中で人となる。己の内には、煩悩に取りつかれた108人の己がいる。それが人生の敵である。それが入れ替わり立ち代わり、もう一人の己になって、減量に挑戦する己に誘惑の声をかけてくる。「小田さん、ダイエットは明日からすればよろしいがな。今日は食べましょうよ」と。なんと愛すべき身内の敵だろう。彼は天使の仮面を被った悪魔なのだ。

 私は内なる108人と一年に一人ずつ戦い、全員に勝ってから世を去りたい。だから108まで死ぬわけにはいかない?

 

因果応報

 この世で起こる事象には原因がある。物忘れ、認知症、アルツハイマー型認知症発症の真因を探って、その対策をすべきだ。物忘れがひどくなったのは、酷くなるような食生活や生活習慣を長年送ってきたのだ。世の中は最高の事しか起こらない。その食事が生み出す最高の結果が認知症である。美味しいモノには毒がある。

 

祈りとは

 祈りとは、己と内なる仏様との約束である。自分に対する約束を果たす訓練である。自分という仏様に対する小さな約束を破っては、人生で戦う外の敵に勝てるわけがない。まず自分に対する小さな約束を守る訓練をして、もう一人の己に勝つことだ。

 

人生の第4コーナ

 70年間も人間稼業をやってきて、そろそろ内なる己に勝たないと、人生が終わってしまう。もう人生レースで第4コーナを回ったのだ。チェッカーフラッグが振られたのだ。危機感を持とう。残された時間はそんなに多くない。誘惑を振り切り、正気でゴールのテープを切りたいものだ。

 そうしなから65歳の年代で15%、75歳のそれの25%もが認知症になってしまった。認知症は癌よりも恐ろしい。罹患したら簡単には治らない。

20140709_15

 日本経済新聞 2014年07月09日

 

2020-10-12 久志能幾研究所通信 1783  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月11日 (日)

赤の女王仮説  磨墨知527.

 

 全力で走っていないと取り残される。回りはそれ以上で動いている。取り残されるとは、仲間を失い、自分の時間を失うこと。それで日本は失われた30年が生まれた。挽回には次元の違う道具の選択が必用だ。

 

孫悟空とアリスの戦い

 「私の国では・・・」と、アリスはあえぎながら言いました。「さっきのように長い時間とても早く走れば、普通は別の場所に行けるんですけど・・・」「何というのろまな国じゃ!」と女王は言いました。「この国ではな、同じ場所にとどまりたいと思えば、力の限り走らなければならないのじゃ。もし別の場所に行きたいのなら、少なくともその2倍の速さで走らねばな」

      (ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』)1865年

 

 我々の技術開発やビジネスの世界は、まるでお釈迦様に力比べを挑んだ孫悟空の物語を再現しているのかと、『鏡の国のアリス』の引用を読んで思い浮かべた。お釈迦様の掌の外が世界標準で、掌の上が自分たちの世界なのだ。どこにベンチマークを置くかで、世界観が変わる。全力で走っていても(走っているつもりでも)、周りが見えないと所詮は、お釈迦様の掌の上で走り回っている猿と同じである。「開発が出来た、出来た」と、開発部方針書の成果反省欄に書いても、それは雲の中に立つ5本の柱(お釈迦様の指)に、孫悟空が「我ここまで来たり」と自慢げに書き付ける行為と同じである。完成したと思った時、時間は止まり、周りから置いていかれる。

 

大垣版「浦島太郎物語」

 小川敏は、大垣駅前商店街の活性化のため、大垣駅前に大金をかけて「カメの池」を建設しても、それは「死の亀の池」になって、人が寄り付かない。まるで孫悟空のつもりの小川敏が「我ここまで来たり」と自慢げに宣伝しているようだ。

 50年前の浦島太郎に扮して、カビの生えた思想の小川敏が、死んだカメの背中に乗って登場である。そんな考えだから、大垣駅前再開発の玉手箱の蓋を開ければ、寂れ果てた大垣駅前通りが煙となって出現である。小川敏は駅前の超一等地を消滅させた。

 P1120570s

P1120252s

アリスの警告

 グローバル経済主義社会では、全力で走ってやっと現状維持である。50年前の古びた知識で勝負しては負ける。智恵を出さないから負ける。それを150年も前に、『鏡の国のアリス』が寓意で警告している。

 

日本と大垣の失敗

 アベノミクスでも、小手先の経済政策だけで、本質の対策をしなかったので失われた30年を挽回できなかった。米国の成長率は3%、欧州は2%、日本はたった1%である。経済の現実が正しいのだ。

 大垣ではその成長率がマイナス1%である。大垣市政も、「大垣市中心市街地活性化計画」、「死の亀の池設置」、「元気ハツラツ市行事」や「大垣未来ビジョン」で同じ過ちをしている。その結果が、小川敏の無為無策無能政策で大垣の19年間の連続の没落である。

 

お釈迦様に恥じない選択を

 日本や大垣市という閉じた世界で天狗になっていても、グローバル経済主義社会の波に洗われると、天狗の鼻はどん底に突き落とされる。昔はよかったなどは、負け犬の遠吠えである。世界の価値観が変わって、競争するための道具が変わったのだ。それに日本と大垣は気が付かず、30年の失われた期間が生じた。今回の新型コロナ危機は、「それを見直せ、何かを変えよ」とお釈迦様は警告する。お釈迦様は親切なのだ。間違っていれば、それを教えて下さる。

 新しい世界では、そこで通用する新しい札束を得ないと飯が食えない。世界は新しい円札を求めている。それを旧円の札束を出しても受け取ってもらえない。それは、封建社会、士農工商、学歴社会、上位下達、滅私ご奉公、多時間労働、男尊女卑、重厚長大ではない。

 

発想の転換を

 日本は、新幹線で世界最速の時速320キロ走って優位に競争しているつもりが、競争相手は次元の違い世界で勝負をかけている。光ファイバー網で情報をやり取りして、光の速度で競争している。それでは日本が勝てるわけがない。古い考えでエンジンの出力を倍にしてもダメなのだ。発想を変えて、道具を変えないと勝てない。

 

日本の未来、中国の未来

 不況とは、好況と好況の間にある1~2年間の調整期間である。10年も20年も続く失われた30年を不況とは言わない。昔は考えなくても、作れば売れたのだ。しかし今は、人並みにやっていれば、漸減である。要は、時代が変わった。世界を相手に競争する道具が変わったのだ。それに頭の古い為政者は理解できない。だから古い考えの為政者は速やかに退場すべきだ。

 下記は、私が2005年に新入社員教育で使った資料である。そのヒントは、リコーさんの業務改革プレゼン資料である。前職の中国の現地法人の新入社員にも英語と日本語のチャンポンで、テレビ会議方式で講義をした。

 

末路

 それから15年後の想定外の結果は、中国が日米の技術を盗用、ウイグル族を使って奴隷労働、それを使って激安製品の輸出、ウイグル族から臓器摘出でカネ儲け、軍事拡大、高利貸しのような「一路一体」政策、等の想定外の方法で経済成長したこと。お釈迦様もそこまでは見通せなかった。それは人間のやることではないからだ。

2

 技術教育資料「IT時代のナレッジと自己研鑽」(2005年)

 

2020-10-11 久志能幾研究所通信 1782 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月 9日 (金)

バブルが終活の眼を歪める  相対性原理で観察

 

 遺産の相続税を軽減し、老後の生活のため、業者に踊らされてアパート経営に乗り出す小金持ちの老人が多い。しかし儲かるのは業者(不動産屋、土建屋)だけである。不動産屋が10年間の家賃の保証をしますと言っても、その分が10年後の落とし前として相場の家賃から減額される。不動産屋は損をしない。土建屋もアパートを建てるだけだから儲かる。損はアパートを建てた家主である。

 

 私の幼友達もアパートバブルに踊らされて、アパートを建てた。部屋が埋まらず、借金が1億円にもなり、その金利の返済で困っている。今は家が余って空き家が増え続けているのだ。

 

 儲かる話は、相対的理論で、相対的に見て相手が儲かるのであって、己が儲かる話などない。そんなに儲かれば、自分達だけでやるだろう。私が不動産屋なら、そうする。欲の皮が突っ張れば、眼のレンズが歪み、相対的な見え方を歪ませて見せている。

 

2020-10-09 久志能幾研究所通信 1779  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

成長とは「自分を捨てる覚悟」

 

 世間で頭がいいと言われている輩は、記憶力だけが頼りだから、その知識を捨てられない。その知識が間違っていても、それに固執する。

 私みたいな馬鹿は、間違った階段を上ってみて、そこに違和感を覚えたら、早々にそこから飛び降りることが出来る。頭のいい人は、今までの努力に未練が残り、メンツを考えてできない。それは捨てるには惜しい名誉、学歴、経歴が、己の行動を縛っているからだ。

今ここ

 過去の経歴は幻影である。今が現実なのだ。50年前の駿馬も、過去に囚われて過ごすと、50年後に認知症寸前の驢馬に落ちぶれる。老いても惚けていない正気の頭で作り出す未来こそが、現実への道である。それが使命である。

栄光も一秒過ぎた時点で、過去の幻影となる。今しかない。今の積み重ねが未来を創る。過去の栄光に囚われると、思考停止で罪重ねの人生となる。

 

誓願

 その未来への行動こそが、「化けて」現実となる。人は生きているから化けることが出来る。死んでから化けて出るよりも、生きている間に、化けて聖人になろう。夢を実現することは、自分の「誓願」である。誓願とは、仏教でもキリスト教でも、共に修道者が神仏に立てる誓いである。

 

過去のお荷物

 いくら過去の栄光を誇っても、それが自分の一部となって助けてくれるかどうかまで考えないから、一歩前に進めない。過去の栄光は、今のお荷物なのだ。お荷物のシガラミに手足を取られて、前進できないのだ。

 過去の栄光を捨てられなかったゼロックスが、富士写真フイルムに吸収されそうになった。下手な抵抗は滅亡への道である。そんなゼロックスに未来はないだろう。

 過去の栄光を背負ったライカカメラがデジタル化に後れを取って、日本勢に負けている。

 VWが排ガス不正で、EVに力を入れているが、それは対処療法にすぎず、車作りの基本に帰らない、また躓くだろう。VWは中国と共に沈むだろう。

 過去の栄光に輝くソニーが、欧米式経営方式を導入して、成長が頓挫した。ソニーは欧米式経営で短期利益を追いすぎて、過去を否定する冒険心を捨てた。だからソニー製品は輝きを失った。

 

日本の過去

 今の日本が膠着状態で閉塞感があるのは、過去の高度成長期の成功体験を捨てられないからだ。時代が変わり、価値観が変わったから、昔の価値観を捨てないと、未来は作れない。

 日本の高度成長期では、滅私ご奉公、多時間労働、男尊女卑、大量生産、年功序列、グローバル経済主義、生産第一に囚われてた。今もそれに固執しているから、日本はGAFAに負けている。

 アサヒビールの樋口廣太郎社長は、過去の栄光の銀行での経歴を全て捨てて、アサヒビールの再建に取り組み、アサヒスーパドライを開発してアサヒビールを再建した。新しい世界で生きていくためには、過去を殺さねばならぬ。

  

エリートの末路

 養老院で、渋い顔をして、腕組みをして孤立している老人がいる。昔は飛ぶ鳥を落とす勢いのエリートであったが、老いれば只の老人だ。彼は過去が忘れられず、プライドがあるから、人に迎合しない。だから養老院でも、孤立して誰も近寄らない。それで本人に本音を聞くと、「寂しい」という。これは知人の介護福祉士さんから聞いた実話である。

 

覚悟

 これは仏語である。真理を悟ることである。覚悟とは、「学びの館」で皆と喧々諤々の議論をしながら、その状況を「見る」ことだ。「覚」とは「學」の冠に「見る」である。「學」とは、子供たちが互いに議論している様を表した象形文字である。「悟」とは「吾」の「心」である。

 過去を捨てるとは危険な行為だ。覚悟がないとできない。しかしそうしないと成長しない。

 自問しよう。何時まで過去を背負っているのか?

 断捨離で捨てるべきは、モノではない。

 捨てるべきは自分の過去である。

 

2020-10-09 久志能幾研究所通信 1778  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月 7日 (水)

アインシュタインの相対性理論を使う 磨墨知522

  

E=mC^2 

  E:エネルギー

  m:質量

  C:質量の速度

 

 たとえ質量が小さくても、速度が大きいとそのエネルーギは極めて大きい。時間がエネルギーを制御する。質量を速度でカバーしよう。自分の能力が小さければ、スピードを上げて補おう。それを妨げるのは、優柔不断である。優柔不断では、人生速度を上げられない。

 

格物致知

 速度を2倍にすれば、エネルギーは4倍になり、目の前の障害を打破して、人間として達成すべき境地に、半分の時間で到達する。

 エネルギーが溢れていれば、鬼神さえも退く。織田信長は、神仏さえ焼き討ちした。比叡山を守る僧侶武士さえ敵ではなかった。

 人は多くの失敗をして、やってはいけないことをやってみて、やってはいけないと理解する。それが智慧であり、格物致知である。私は自分が人並みの能力しかないと自覚して、とにかく多くのことを早く経験(失敗)しようと走り回った。嫌われもしたが、エリートではないので、それしか手がないのだ。抵抗があるから、揚力が出る。それで痛い目に多く会ったが、それは智慧を得るための税金で必要悪ある。

 

税金

 会社でも多くの利益を得れば、税金を多く納める。それは社会のインフラの使用料金である。だから多く稼いで、多く税金を納めるほうが幸せなのだ。それを脱税するから、仏様から罰が当たる。

 

人の成長

 人は動物として生まれて、霊長類の人間に成長して死ぬ。躾、学習、精神の修養がなければ、動物のまま老いて、動物として死ぬ。今の世は、あまりに幼いまま大きくなった老人が多い。

 

生存的境遇

 それは単に生きるための方策、知識しか学ばなかったからだ。より豊かに、より楽に、より贅沢に生きる術しか学ばなかったからだ。それは生存的境遇で生きてきたためである。だから人間的には成長しない。ある意味、守銭奴で終わる。死を想定せず、生存的に生きるから、死の間際で慌てるのだ。

 

生命的境遇

 それに対して生命的境遇で生きれば、何のために生まれたのか、使命は何かを考え、人間の命を輝かせて生きることが出来る。その境遇に達するには、人の倍のスピードで経験を積むことだ。生命とは、生と死がセットで生命である。死を前提に生きるから、限られた命を精一杯生きようとする。それが時間の創造である。

 やることをやり切れば、従容として死を迎えることが出来る。よく働いた一日が、安らかな眠りを誘うように、よく働いた人生は、安らかな死が与えられる。それが天命を全うすることだ。

 

4k8a93781s  馬場恵峰書

2020-10-07 久志能幾研究所通信 1776 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。