成長とは「自分を捨てる覚悟」
世間で頭がいいと言われている輩は、記憶力だけが頼りだから、その知識を捨てられない。その知識が間違っていても、それに固執する。
私みたいな馬鹿は、間違った階段を上ってみて、そこに違和感を覚えたら、早々にそこから飛び降りることが出来る。頭のいい人は、今までの努力に未練が残り、メンツを考えてできない。それは捨てるには惜しい名誉、学歴、経歴が、己の行動を縛っているからだ。
今ここ
過去の経歴は幻影である。今が現実なのだ。50年前の駿馬も、過去に囚われて過ごすと、50年後に認知症寸前の驢馬に落ちぶれる。老いても惚けていない正気の頭で作り出す未来こそが、現実への道である。それが使命である。
栄光も一秒過ぎた時点で、過去の幻影となる。今しかない。今の積み重ねが未来を創る。過去の栄光に囚われると、思考停止で罪重ねの人生となる。
誓願
その未来への行動こそが、「化けて」現実となる。人は生きているから化けることが出来る。死んでから化けて出るよりも、生きている間に、化けて聖人になろう。夢を実現することは、自分の「誓願」である。誓願とは、仏教でもキリスト教でも、共に修道者が神仏に立てる誓いである。
過去のお荷物
いくら過去の栄光を誇っても、それが自分の一部となって助けてくれるかどうかまで考えないから、一歩前に進めない。過去の栄光は、今のお荷物なのだ。お荷物のシガラミに手足を取られて、前進できないのだ。
過去の栄光を捨てられなかったゼロックスが、富士写真フイルムに吸収されそうになった。下手な抵抗は滅亡への道である。そんなゼロックスに未来はないだろう。
過去の栄光を背負ったライカカメラがデジタル化に後れを取って、日本勢に負けている。
VWが排ガス不正で、EVに力を入れているが、それは対処療法にすぎず、車作りの基本に帰らない、また躓くだろう。VWは中国と共に沈むだろう。
過去の栄光に輝くソニーが、欧米式経営方式を導入して、成長が頓挫した。ソニーは欧米式経営で短期利益を追いすぎて、過去を否定する冒険心を捨てた。だからソニー製品は輝きを失った。
日本の過去
今の日本が膠着状態で閉塞感があるのは、過去の高度成長期の成功体験を捨てられないからだ。時代が変わり、価値観が変わったから、昔の価値観を捨てないと、未来は作れない。
日本の高度成長期では、滅私ご奉公、多時間労働、男尊女卑、大量生産、年功序列、グローバル経済主義、生産第一に囚われてた。今もそれに固執しているから、日本はGAFAに負けている。
アサヒビールの樋口廣太郎社長は、過去の栄光の銀行での経歴を全て捨てて、アサヒビールの再建に取り組み、アサヒスーパドライを開発してアサヒビールを再建した。新しい世界で生きていくためには、過去を殺さねばならぬ。
エリートの末路
養老院で、渋い顔をして、腕組みをして孤立している老人がいる。昔は飛ぶ鳥を落とす勢いのエリートであったが、老いれば只の老人だ。彼は過去が忘れられず、プライドがあるから、人に迎合しない。だから養老院でも、孤立して誰も近寄らない。それで本人に本音を聞くと、「寂しい」という。これは知人の介護福祉士さんから聞いた実話である。
覚悟
これは仏語である。真理を悟ることである。覚悟とは、「学びの館」で皆と喧々諤々の議論をしながら、その状況を「見る」ことだ。「覚」とは「學」の冠に「見る」である。「學」とは、子供たちが互いに議論している様を表した象形文字である。「悟」とは「吾」の「心」である。
過去を捨てるとは危険な行為だ。覚悟がないとできない。しかしそうしないと成長しない。
自問しよう。何時まで過去を背負っているのか?
断捨離で捨てるべきは、モノではない。
捨てるべきは自分の過去である。
2020-10-09 久志能幾研究所通信 1778 小田泰仙
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