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2022年9月29日 (木)

善は急げ 2年ぶりの墓参り

 

 今日(2022年9月28日)、2年ぶりに墓参りに彦根に行ってきた。昨年は、コロナ禍でとても出かけられなかった。また昨年は私の体力的にも厳しい状況であった。がんの手術後2年目で、体調が不安定であった。

 少し涼しくなり、状況も少し好転したので、お墓参りに出かけた。

 

写経奉納

 その時、今まで書き溜めた写経を約30枚持参した。それを菩提寺に奉納した。これは今まで一日2行ずつ写経してきた分である。1枚の写経をすると約1時間かかり、とても毎日は続かない。馬場恵峰先生は、一日2行で良いから写経を続けると良いと言われたので、それを実行している。それが今まで約30枚溜まっていた。馬場恵峰先生は、写経こそが御先祖への一番の供養だと言われた。

 

お墓の経緯

 このお墓は7年前の2015年に建てた。たまたま、親戚である京都の尼寺で住職であった叔母が亡くなり、その家が絶家になってしまった。それでその家のお墓の面倒は誰が見るかで問題となり、私がそのお守りをする事を申し出て、私が自家のお墓を改建する過程で、3家のお墓を統合する話となった。それで、6基のお墓を統合して3基のお墓に改建した。

 

 7年経った今では、このお墓を建てることは、物理的、金銭的、精神的、体力的にも、とてもじゃないが出来ない状態だ。良い時に決断をして、立派なお墓を建てて良かったと、今回墓参りをして、しみじみと思った。

 

 当時、馬場恵峰先生も健在でお墓の字を揮毫して頂けた。お墓開眼法要にも、馬場恵峰先生ご夫妻に、九州からわざわざ参列して頂けた。しかしその先生も、奥さまの三根子先生もその4年後には亡くなられた。

 

 当時、たまたま金銭的にも余裕があり、レクサス以上の価格になった墓費用を都合できた。今は癌闘病生活での出費と別宅事務所を購入したため、すっからかんで、今ならこのお墓は作れない。

 

 当時は精神的にも体力的にも元気で走り回っていた。お墓の字の揮毫で九州まで飛んで、先生にお願いできた。その後、がんを患い、すっかり体力がなくなり、とてもそんな大プロジェクトを実行できない状態だ。

 

 またこの原石を中国で加工して、輸入したが、現在はそれも経済、政治的に叶わない。そのお墓の石自体が中国から入手できない。またそれを加工する職人もいないそうだ。中国でも、職場環境が厳しい石職人には成手がないそうだ。日本と同じである。豊かになった中国の若者も、3K職場の石職人は避けるそうだ。

 

善は急げ

 お墓などは、作ろうと思っても作れるものではない。作れる時と作れるご縁が無いと作れない。これは自分の力だけではない。見えざる力が働いたとしか思えない。何ごとも、やれるときにやらないと永遠にできない。それを先人は、「善は急げ」と言ったのだろう。今日、住職様と雑談をしていて、本件を住職様は「善は急げ」で良かったと表現された。

 当時、私はトヨタの石田退三氏が言う「悪いことに使うのでなければ、カネは何とかなる」という言葉を信じて、お墓を建てた、それが「善は急げ」なのだ。

 

 このお墓を建てられたのは、人知を超えた働きがあったと感じている。お墓に向かい手を合わせ、その見えないものに畏敬を感謝の気持ちで手を合わせた。

今私が此の世に存在するのも、ご先祖様があってのこと。晩年の松下幸之助翁は「感謝と畏れを忘れるな」とよく言ったという。お墓を前にそれを思い出した。

 

墓地の惨状

 お墓参りをして、回りのお墓を見ても、墓参りに来ている人は皆無であった。いつもなら数人は必ず姿をみかけたのだが。またお墓の前に、お花も供えられていない。皆さんはコロナ禍で墓参りにも来ていないようだ。

 帰りにお土産を買うため、近くの「たねや」に寄ったが、店内は閑散としていた。以前のお店は、お客が溢れているのと様変わりである。2階の食事場所も閉鎖である。以前は10名ほどの店員が忙しくしていたのに、今日は3名しかおらず、コロナ禍に襲われた菓子店の惨状を目のあたりにした。

 政府ののろまな対策に怒り心頭である。またこの国民の災難の時、それにかこつけて強欲な金儲けに走る輩にも怒り心頭である。

 

2022-09-28  久志能幾研究所通信 2503  小田泰仙

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2022年9月24日 (土)

豊田章一郎 座有銘 天地人知仁勇

 

天地人知仁勇

企業にとって 天の時、

地の利、人の和を働かせ、

知恵を働かせ、

社会に対する人徳を持ち、

挑戦する勇気を忘れないことが重要である。

   豊田章一郎

 

 喜一郎はよく「天地人知仁」といっていた。企業にとって大切な要素がそれらだということです。タイミングがよくないといけない、場所もよくないといけない、それから人の和ですね。知は「知恵」、仁は「思いやり」。私流の解釈ですが、私はそれに「勇気」の勇をつけて「天地人知仁勇」を座右の銘にしております。

   豊田章一郎

 

豊田章一郞(1925年生まれ):彼は1981年にトヨタ自動車販売株式会社代表取締役社長(第4代)兼トヨタ自動車工業株式会社取締役に就任した。翌1982年、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併に誕生したトヨタ自動車株式会社の初代代表取締役社長に就任した。

 豊田章一郞は、娘婿の藤本進が大蔵省の駐在員として出向していたことから、マニラで奥田碩と知り合う。以後、交流を深め、奥田改革の後ろ盾となり、豊田本家としてグループ全体の求心力の役割も果たした。

この項、Wikipeda[豊田章一郎]より

 

 2000年頃、その奥田改革が昔の動かざるド田舎のトヨタを、世界のトヨタに変えた。その改革の影響が私の前職の会社にも及び、私も業務改革に取り組むことになった。それで自分の人生も変わった。

 

言葉とのご縁

 いい言葉との出会いが、行動に勇気を与え、人生を変える。

 私は、自分人生有限会社の社長として、何か決断する時、この言葉を思い出す。

 何か小さなご縁があり、小さな決断をせねばならない時、それは天の時か、地の利があるか、人の和を期待できるかを考え、知恵を出せば解決できると見通しがあれば、GOの決断をしている。その決断が社会に対する人徳の行動で、自分を成長させる機会であれば、勇気を持って決断をしてきた。

 

事務所購入の決断

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 事務所内の仕事部屋兼応接室

  立机、応接机とモニター台は山路先生作(トチの木)

  この事務所では、立ったままで、PC作業、事務仕事である。だから椅子が無い。

  ドラフターも手に入れた。

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 2年前に別宅を事務所として買った時も、豊田章一郎氏の言葉が背景にあった。2年前の朝、知人と歩いていた時、売り物件をたまたま見つけて、夕方には買う意思を不動産会社に連絡した。これは我が人生で時間当たりの価格が、数百万円になり、私の人生最大の買い物であった。

 時間当たり価格=[価格]÷[買う決断までの時間]

 

 その時も、この10年間、土地と家屋をさがしていた時に出会った不動産であった。それも前職の定年延長を拒否して大垣に帰郷しなければ出会えなかったご縁である。この10年間、不動産を探し続けなければ出会えなかったご縁だ。今の自宅からも近く、買う決断にあたり、知人の自治会長からの情報も得られた。

 カネは知恵を絞ってかき集めた。年金暮らしの古希では、ローンを組めないので、現金を用意しなければならぬ。泣く泣く「金遣いの荒い?2号さん(レクサスLS)」とも別れた。この物件は事務所として使えるので、社会に対する御恩返しもできる。まさか古希を超えて家を買うとは想定外であった。この歳で家を買うには勇気がいるのだ。

 それも今まで少し大きな決断を何回もしてきた「訓練」の成果なのだ。人生経営とは、決断と失敗を繰り返さないと向上しない。だれでも最初から名経営者ではない。多くの失敗をして、人生の名経営者になるのだ。

 

2022-09-24  久志能幾研究所通信 2500  小田泰仙

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2022年9月22日 (木)

人生の五大テーマ

 

 人生を作り上げるうえで、大きなテーマが5つある。それを意識して生きるか否かで、人生が変わる。

 人生の五つの幸福を五福と呼ぶ。長寿・富裕・健康と徳を好むこと,天命を全うすることだ。それを達成するために課題が五大テーマである。

 課題とは、あるべき姿と現実の乖離をいう。その乖離をなくすために何を為すかが、人生の要訣だ。

 

1 運を良くする

 学校の成績が良くても、有名大学の学歴も、それで成功するとは限らない。松下幸之助翁は、小学校も出ていない。それで成功した。田中角栄は、高等小学校卒である。それで有能な総理大臣になった。学歴が、運を良くするために有るわけではない。

 学歴だけでは運は良くならない。だから運を良くする術を一生かけて自得するのだ。運が良くなければ、長寿も富裕も健康も手に入らない。

 

 しかしその秘訣は分からない。運の良い人の後姿から手探りで学ぶしかない。それも百人百様の秘訣があるようだ。その中で松下幸之助翁は間違いなく運の良い人であった。私は彼の発言や伝記を読めば、運が良くなる機鋒を学べると判断した。

 私は松下幸之助翁の発言集(全45巻)や「経営百話」のテープを聞いて、それから薫習として得ようとしている。松下幸之助翁の著書や録音は100冊ほど集めた。田中角栄に関する著書も集めている。

 またPHP主催の松下幸之助経営塾(ひと月に一泊2日の研修を5か月間、費用100万円)にも、参加して、松下幸之助翁の生き方の一端を学んだ。

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   松下幸之助経営塾  2012年9月15日 京都PHP本社にて

 

 松下幸之助も、今の時代に生れれば、成功は無かった。田中角栄も、高度経済成長期が終わった後に生れたら、総理大臣にはなれなかった。その時代に生れたのも運の良さである。

 自分が現代の日本に生れ、今生活している幸運を喜ぼう。それを最大限に活用しよう。自分が日本の80年前の太平洋戦争中に生きていれば、地獄である。私は赤紙でビルマの最前線に送られて餓死して、名誉の戦死である。またロシアや中共や北朝鮮で生活していれば地獄である。私の反政府的な批判言動では、すぐ反政府転覆活動家、スパイ扱いで逮捕され死刑である。

 そこで分かったことは、運が良いも悪いも、一生懸命にやらないと運は良くならない。

 また自分は運が良いと信じて行動しているか、である。松下幸之助翁は周辺に、運が良いと信じている人しか集めなかった。これはナポレオンも同じ行動を取っていた。運が良いと信じている人は、行動が大胆である。大胆は幸運を呼ぶ。

 また運を良くするには、感謝こそ大きな要素の一つであることは間違いない。松下幸之助翁は人生は運が90%を支配するという。松下幸之助翁は迎賓館に宇宙根源の社を建てて、いつも祈っていた。

 だから神仏から加護を受けられるような行動が必要だ。ただし、祈りさえすれば運が良くなるわけではない。神仏を敬い、感謝して祈る姿勢が、己の生き方を謙虚にして、自分自身の行動を見直すことになり、運が良くなるのだろう。

 

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2 人生を豊かにする

 五福の一つが禄である。そこそこに裕福でないと、人生を豊かに送れない。それは単純に勤勉であるのが必須である。その前に、両親が勤勉であることが必要条件だ。

 最近、町内のまだ60代の方が孤独死をされた。彼はまだ50代で早期に退職して働いていなかった。生きている限り、労働することは何らかの社会奉仕である。まずそこから始まる。社会に何かの奉仕すれば、必ず何らかの恩恵が還ってくる。情けは人の為ならず、である。

 

3 魂を浄化する

 人間は、動物として生まれ、人間になるために修行をしていると言える。醜い動物の精神状態のままで死ぬのは、情けない話だ。野獣の精神のままでは、五福はあり得ない。

 

4 天寿を全うする

 命とは、自分がこの世で使える時間の総量である。命を全うするとは、ご先祖様、仏様より貸して頂いたリース物件の体を大事に使い、そのリース物件を寿命まで使うこと。往々に体を酷使したり、食べ過ぎたりして、寿命を短くする人が多い。

 健康管理こそ、運を良くする大事な要素だ。健康でなければ天寿を全うはできない。

 

5 天命(使命)に早く気付き、それを成就する

 自分が何のために生れたか、その使命は何なのかを、速く気が付くのが大事だ。それを意識しないから、単に生き永らえる生活に堕落する。

 仕事こそ、生き甲斐であり、社会に対する恩返しである。仕事をすることが自分の遺作である。生涯現役こそ、天命を全うすること。

 

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 馬場恵峰書

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2022-09-22  久志能幾研究所通信 2498  小田泰仙

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訂正 「知りたることを……」の発言者

 

「知りたることを人に教えざるは、借りたる金を返さざるが如し」の発言者は、石川理紀之助である。

 以前、この言葉は福沢諭吉の言葉としてブログに上げたが、読者様より指摘があり、再調査したところ、石川理紀之助であることを確認しました。ご指摘ありがとうございました。

 

2022-09-21  久志能幾研究所通信 2496  小田泰仙

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2022年9月19日 (月)

孤独死の防止対策  腐乱遺体に啓発される

 

 超大型台風14号が接近中の2022年9月19日、町内で独居老人が孤独死して、その発見が遅れたため遺体が腐乱した状態で発見された。この事件が、今後の生き方(死にかた)の意識変化、町内の人的交流の向上の取り組みを始めることになった。

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事件発生

 9月19日10時頃、私が朝の散歩から帰宅して風呂に入ろうとしたら、近所の方から、「隣の家から異臭がする」との通報を受けた。その状況を確認に行った。

 その家は玄関に鍵がかかっておらず、玄関を開けて声をかけても返事がない。網戸の窓が少し開いており、ハエがたかっていた。異様な腐臭がある。

 この家は少しワケありの家で、独居老人が住んでいる。町内の自治会にも入っておらず、近所付き合いもない家である。

 それで家の中に入るのを止めた。孤独死である可能性が高いと判断して、110番通報をした。そこで119番に連絡するように言われて、今度は119番に電話である。この種の緊急連絡は、先に119番であることを、初めて知った。

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現場検証

 すぐ赤い(?)救急車がサイレンを鳴らしてやってきて、隊員が現場家に入って行き、死亡を確認したようだ。私は赤色の救急車を初めて見た。これは非常時、多くの消防隊員を運搬するための車両である。大災害の時、司令塔にもなる車両である。

 「死亡を確認したようだ」とは、私は直接、その現場を確認していないからだ。救急隊員に「状況はどうでしたか?」と聞いたら、彼も腐乱遺体の対応で大変なのであろう、「そんな業務上のことは教えられません」と怒られてしまった(汗!)。そりぁそうだ。彼らの現場の苦労を察した。彼が「今から検死官が来ます」と言うので、家の人の死亡を知った。

 その後、白い救急車が到着した。その後、警官、検視官、パトカーがやってきて大騒ぎである。パトカーが一番最後に到着だが、事件性がないと判断したためか、そういう結果となったようだ。私も第一通報者として事情を聴かれ、2時間ほど付き合わされた。

 

孤独死

 この人は、近所の人と付き合いがなく、自治会にも入っていない。顔を合わせれば、近所の人と挨拶をする程度であった。新聞も取っておらず、孤立していた。親戚の連絡先も不明である。多分生活が苦しいので、そういう経費を出せない経済状態であろう。悲しい人生だ。

 どうもこの暑さの中、エアコンを稼働させずにいて、熱中症が原因で亡くなられたようだ。死後10日ほどで、この暑さで腐敗が進んだようだ。

 その時、警察の現場検証やその後の処置で、総勢15名ほどの消防署、警察の方が走り回っていた。町内が騒然として、その周りを遠巻きに近所の人が見守っていた。その折、台風14号の雨が降らなかったのは幸いであった。事後処理が終わって片付いた後、その夜には雨足が激しくなった。それも苦労をされた関係者への神仏のご配慮だろう。

 

仏様からのメッセージ

 今回の事件を仏様からの啓示として、自分の死に方と今後の生き方、および町内の独居者に対する対応を見直した。

 

死にかたを見直す

 人の明日は分からない。人は必ず死ぬのだ。どんな夫婦でも、子供は独立して家を出て行き、何方かが先に逝き、最後はその家で一人になり、孤独死となる。

 若い人でも、突然死はある。一人住まいの青年だって孤独死の恐れはある。

 日本の独居老人数は、未婚率の増加や、核家族化の影響を受けて、単独世帯(世帯主が一人の世帯)が増加している。2040年には単独世帯の割合は約40%に達すると予測されている。特に、65歳以上の単独世帯数の増加が顕著である。

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 図表4-1-1-1 単独世帯率の推移と65歳以上の単独世帯数の推移(2020年以降は予測)

(総務省 HPより)

 

 

 自分の最期は美しく逝きたい。人様に迷惑をかけずに逝きたい。この世のためになるものを遺して逝きたい。

 よりよく死ぬためには健康が第一である。だから私は日に2回、永眠の練習をしている。残念?だが、必ず朝と昼寝の1時間後に目が覚めるので、まだ生かされている。仏様が、「まだこの世でやることがある」と言っていると解釈している。私は昼寝をすることで健康を保っている。

 健康の為、朝の散歩を欠かさない。今日も、雨が降りそうな中、傘をもって散歩をした。その後、今回の出来事であった。

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 尊厳ある死のための準備

 人様に迷惑をかけてはいけない。人は必ず死ぬのだ。その時の迷惑を最小限にして、この世を去りたいものだ。腐乱した己の死体を処理させるのは、消防署、警察の方や関係者に多大の迷惑をかける。その家が賃貸物件なら、事故物件となってしまう。

 人は必ず死ぬ。その時、死体を適切に葬儀に回せば、それは定常業務として処理してくれるので、そんなに人様に迷惑をかけない。

 だから独居者が亡くなられても、速くそれが発見される装置を作りたい。それを町内に広めたい。それが町内の安全に役立つだろう。それを試作することを決めた。

  町内だけの力では、経済力のない家庭の生活保護の力まではないが、尊厳ある死の環境づくりにはお手伝いができるだろう。人間として尊厳ある状態で葬儀を迎えられるようにしておきたい。それが孤独死をしても速やかに発見される体制づくりである。それが間接的に町内の交流が向上するはずだ。

 今回は不幸な事件であったが、これを神仏の啓示として、こんなことが二度と町内で起こらないように対策を打つことにした。

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日頃の行動を見直し

 定期的な日頃の行動を近所に見せる。

  人が倒れても、近所の人が異常に早く気が付いてくれるはず。

 近所づきあいを濃くする。

  近所の人の異常を早く感知する。

 利他の生活を送る。

 新聞購読を止めない

  新聞が郵便ポストに溜まると、異常を近所の人に早く分かってもらえる。

  今回の事故の家は新聞を取っていなかった。

  今回、新聞購読の予想外の有効性を発見した。偏向した新聞を読んでもしかたがないので、購読中止を検討していた最中であった。新聞は購読継続とした。

 夏はエアコンをケチらず付ける(私は昔から実行中)

  今回の家ではエアコンを稼働させていなかったようだ。

 頻繁にお互い安否確認を出来る仲間を増やす。

  孤独は素晴らしいが、孤立は最悪である。

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町内の自治会規則を見直し

 現在、町内の自治会に入会していないと、大垣広報も配布されないし回覧板も回らない。未入会者は、往々に新聞も取っていない。だから異常の発見が遅れる。

 未入会者にも大垣広報や町内回覧板が回るようにすれば、その回収状態で、その家の異常が早期に発見できるだろう。

 未入会者の台帳も整備出来て、異常時に連絡先も判明できる。

 今回の方はまだ65歳未満で、大垣市からの見守り対象者としても登録されていない。民生委員の方も手出しができない状態であった。どんなに若くても、突然死は起こりうる。その対策が必要だ。

 今回は、当事者の年齢も、親族の連絡先も、自治会未加入のため、住民情報の登録がなく、不明であった。警察が他市の住む親族を住民基本台帳から探して連絡したようだ。当日の夕方にその親族の方が来られた。

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30年前の我家の孤独死対策

 30年前、母が早くなくなり、高齢の父が大垣の実家で一人で暮らすことになった。遠方に勤務する私は、父の孤独死が心配で、対策を打った。それは父に毎朝、私宛に電話をかけてもらうことだ。たった一言の電話だけだが、10年間それを続けた。自分で息子に電話をかけるという行動は、生きる気力の維持に効果があっただろう。

 最終的には父はガンになり、それが原因で86歳で亡くなった。家族の絆で、10年間も父の命を守れてよかったと思っている。世間をみていると、妻が亡くなると、数年で夫が亡くなるケースが多い。それを防げてよかったと思う。今回の孤独死の事故を見ると、絆の大事さを再確認した。

 

2022-09-19  久志能幾研究所通信 2495  小田泰仙

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2022年9月17日 (土)

病気は真剣に治す 最悪の病気は自分病

 

 目標がない人間に病気は治せない。(第59代横綱 隆の里)

 

 病気になれば、受験勉強もまともにできず、試験も受からない。

 稽古もまともにできず横綱にもなれない。

 経済の勉強もできず、お金も稼げない。だから夢の実現も難しい。

 仕事は体力で勝負である。病気になれば人生の成功はない。

 

 だから私は、病気になったら、医師任せにせず、医学を勉強して、自分で医師を探し、自分でその治療方法を探した。医師は治療を施すが、患者の病気は治せない。病気を治すのは、自分自身である。生命体の勉強をすることは、生きかた、死にかたの勉強にもなり、有益であった。

 

 そもそも病気になるとは、ご先祖からのリース物件である「人体」という機器を、過酷に使い過ぎたのだ。病気とは、仏様と御先祖からの警告メッセージである。その修繕に、使用違約金を払って修理(治療)するのが御先祖様、仏様に仁義を切ることなのだ。その治療費をけっちてはならない。

 

病気を治す

 まず病気の気配に気づく。

 病気になる前に、その未病の原因を見付ける。

 その病気の研究をする。

  私は白内障、緑内障になったとき、眼の医学書を3冊買いこんだ。

  価格2万円が2冊と3万円が一冊である。医学書は高いのだ。

  なにせ、見ることは生きることだ。私は治そうと必死であった。

  私がガンになった時は、関連図書を50冊買った。

  それでがんを研究し、日本のガン治療現場の真実を知った。

 それでその病気の原因を考える。

 病気の原因を取り除く。

 再発防止をする。

 病気を研究し、得た成果を人に伝授する。知識は病気を防ぐ力なのだ。

 病気に関する情報は、情けの報せなのだ。それは知施である。

 

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 眼の医学書は価格2万円が2冊、3万円が一冊

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 それなのに、多くに医師は病状を見て、対処療法で胡麻化すから病気が治らない。その方が楽で儲かるからだ。

 なぜその症状が表れたかを、自分で調べないとダメだのだ。

 

 高血圧症で降圧剤を飲むから、治らない。応急処置の降圧剤が原因で認知症、がんになってしまう。高血圧を引き起こした食事や生活習慣を改善しないと治らない。放置するとがんになる。

 私は真島消化器クリニック(久留米市)の真島院長の指導で2年がかりで高血圧を治した。その治療は食事療法だけである。

 

 熱が出たからと、解熱剤を飲むから、体の免疫力が下がり、もっと大きな某気になる。熱とは、体内の白血球が入ってきたバイキンと戦って熱を出したのだ。その熱を薬で下げると免疫力が低下する。

 抗菌グッズばかり使うと、体の免疫力が低下して、新型コロナにも罹りやすくなる。やるべき対策は免疫力の向上である。

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 がんは生活習慣病である。狂った食生活、狂った生活習慣を正さないと、手術で患部を摘出しても、再発する。

 私に多くの知識が有ったから、がんセンターの標準治療コースの一つである抗がん剤治療を担当医師とけんか別れをして拒否した。高齢者には、抗がん剤治療は体を痛めてしまい、それで免疫力が低下して死んでしまう。人はガンではしなない。抗がん剤治療で免疫力が低下して、肺炎等で死ぬのだ。知識とは病気に対する武器なのだ。

 

 検査で健康にはなれない。本来、健康であれば、検査などいらない。病院に行くと、過剰検査で病気にされる。 

 

大垣病

 大垣市が衰退したのは、現象で、それを対処療法で対策しても効果がない。その真の原因は為政者の間違った政策だ。大垣病を治すには、政治の長の首を挿げ替えればよい。そんな市長を選ぶ大垣市民の意識改革が、最大の治療である。

このコロナ禍で市民の生活が大変な時、増税であるゴミ袋有料化などを施行する石田仁市長と近沢正議員は、市民の敵なのだ。それを手術で除去しないと大垣病は治らない。

 

日本病

 この30年間の経済停滞は、間違った政治を継続している官僚、政治家の責任である。そんな政治家を選んでいる国民の意識改革しか、治療法がない。余りに愚劣な政治に対して、選挙でお灸をすえない選挙民にも責任がある。

 

自分病

 性格はほんとうは、とても変わりやすい。だた人間は、自分を変えないための能動的な努力を絶えずやっている。だから変わらない。(アルフレッド・アドラー)

 人間は、慣れ親しんだ立ち位置が心地よいのだ。だからそれを変えることには、抵抗する。特に高学歴の官僚は、今まで必死に受験戦争、出世競争の生存競争を勝ち抜いてきて、やっと掴んだ利権の世界を手放さない。それが現在の日本の世界だ。だから失われた30年が生まれた。それを反面教師として、自分を変えないと自分病を治せない。

 環境が激変しているのに、変わらないのは病気である。変わらないと、自然界では生きていけない。進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残る生き物は、変化に対応できる生き物だ。強い種や頭の良い種ではない。」という。

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊

 

2022-09-17  久志能幾研究所通信 2493  小田泰仙

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2022年9月 8日 (木)

書道の秘訣、仕事道の秘訣

 

 うまく書こうと思わない事。(それでは何時までたっても書けない)

 今の実力で、良い紙に、よい筆で、良い環境で、真剣に全力で書く。

 そうすれば後世に残る。安い紙に書くから残らない。 

    馬場恵峰師談  

     日中友好書画交流展で(大村市)  2012年12月14日

 

 

上記の恵峰先生の教えを自分の仕事に当てはめる

 上手く世渡りをしようと思わない事。それはゴマすり、見栄っ張りで、表面的なお化粧をすることだ。

 今の実力で、よい材料で、よい道具で、今の環境で文句を言わず、真剣に全力で仕事に向う。そうすれば、後に残る仕事になる。妥協して仕事をするから残らない。

 その具体的成果を私は学んだ。その成果とは、具体的に有意差のある投資をすれば、具体的な投資回収を得る、である。ただしその投資回収は目に見えない形で、忘れたころの10年後である。

 

私の人生投資

 私は人より良い道具を選び、環境に不満を言わず、出来ることだけを自分で変え、自分を教育して、そういう縁が巡ってくるようにした。仕事の段取りを改善して、真剣に仕事に向かう。カネはかかったが、それに見合った成果が得られた。

 PCはいつも最高のもの(半分趣味)、良い本を選び(読書が趣味)、教師は日本一の人物を探し(師選びの目利き)、良き芸術作品を手に入れ(絵の目利き)、良い部屋を借り、良き書斎を作って仕事をしてきた。なぜそんな日本一の先生に教えを受けられたのか。それは私が最高を求めたからだ。

 

 米国自動車殿堂入りした田口玄一博士から、実験計画法を教えてもらった。

  これは前会社の教育部が頑張って田口玄一博士を招いてくれたお陰である。

 篠田義明先生から、テクニカルライティングを教えてもらった。

  先生の講義を聴いて、これは本物だと確信した。それからのめり込んだ。

  篠田義明先生はテクニカルライティングで日本の第一人者である。

 ミシガン大学スチーブンソン教授、マセイズ教授から講義を受けた。

  両師ともテクニカルライティングの世界的権威である。

  100万円を払って、ミシガン大学で講義を受けた。

 松本明慶先生から、人生を教えてもらった。

 百歳の伊與田先生から論語を教えてもらった。 

 眼科医の三好輝之先生から、指導を受けた。(歴代世界第2位の手術数)

 塩沼亮潤大阿闍梨のお話しを4回聴いた。東京、京都と足を運んだ。

 安岡正篤師の話を何回もテープで聞いた。

  講演テープは全巻100巻で、価格100万円。

 

 世界の美術館・博物館を延べ80館以上に行き美術品の見る眼を養った。

  海外に行けた時、観光地ではなく美術館・博物館を意識して回った。

 

 馬場恵峰先生から16年間、人生を教えてもらった。

  九州に飛んだ費用は、16年間で一千万円を超えた。九州までの旅費宿泊費と書画購入費が高いのだ。それが無駄だったとは思わない。

 

 お金は使ってなんぼである。貯めて持っているだけでは死蔵である。お金はお足である。それ閉じ込め、外に出さないと、お金に恨まれる。貯めても預金通帳の数字が変わるだけだ。それをあの世には持って行けない。死ぬ時に後悔する。遺族が喜ぶだけだ。最大の投資先は自分である。

 

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 馬場恵峰先生  当時85歳

  日中友好書画交流展で  2012年12月14日

 

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 大村テレビの取材を受ける恵峰先生 

  日中友好書画交流展で  2012年12月14日

 

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 馬場恵峰先生の道具

  墨は昭和天皇が使われたと同じもの。価格80万円。

  筆は象牙製で、150万円。

  硯は端渓麻子坑産で数百万円。現在は中国から持ち出し禁止。

  古来、端渓硯の産地として端渓三大名坑とされてきたのは、老坑、抗仔巌、麻子坑を指す。老坑は2000年頃、坑仔巌、麻子坑は2007年頃に閉鎖され、それから採石されておらず、今後もその予定はない。そのため、これら三大名坑の硯が希少になってきている。

 

2022-09-08  久志能幾研究所通信 2486  小田泰仙

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2022年9月 7日 (水)

老道の終りは、人生事業の廃業

 

 今日(9月7日)、町内の方より、立て続けに2件の死亡連絡を受けた。時節柄2件とも家族葬である。この訃報が私のブログ記事「希望を持ち、努力で老道を歩み、感謝して永眠する」の翌日なので、なにか神仏の啓示を受けた気がした。人が老化すれば、死に近づくのだ。どんな事象もメッセージを自分に発している。それを真摯に受け止め、今後の生き方を見直したい。

 

 一人の方はこの春に町内の悩ましい案件で、一緒に打ち合わせをしたばかりのご縁である。73歳でガン死である。暫らく顔を見ないなと思っていたら、この訃報である。この方は、自分とあまり年齢が変わらないし、自分も3年前にがんを患ったので、他人ごとではない思いである。

 もう一人は、町内最高齢の102歳の方である。天寿である。それはめでたいことだ。長寿は3大福の一つである。福禄寿こそお宝で、人生に頑張った証しである。

 

人間稼業の見直し

 死とは人間稼業の廃業である。人間は「人生」という事業を展開している。その事業を経営する以上は、何度もその事業の見直が必要だ。それに遅すぎることも多すぎることもない。

 

 人は、定年退職をして悠々自適の生活でも、何らかの社会貢献はしているはずだ。人生事業を経営するには、事業の定義の定期的な確認が必要だ。この世で永続するものはない。どんな事業も何時かは、衰退するし、その定義自体も陳腐化する。

 ドラッカーはそのため、①事業環境の定義、②使命とするものの定義、③強みの定義を見直せと言う。

 自分が生きていることが社会に役立っていなければ、人生事業を継続する意味がない。それでは、生きているのではなく、生き長らえているだけの存在となる。会社でも、人間稼業でも、生きている限り、社会に付加価値を与える存在でありたい。

 

生きるとは

 生きるとは、「必ず死ぬ命」をかかえて、過去・未来を振り切り、今、自分に与えられたお役目に全力を尽くすこと。

 定年後、自分が置かれた環境で、自分が社会にどんな貢献をしているか、見直すのはよいことだ。自分の使命を見直すのも必要だ。その使命を全うするのに、自分の強みは何かを再確認するのも必要だ。そうすれば、生涯現役として生きられる。

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 馬場恵峰書

2022-09-07  久志能幾研究所通信 2485s  小田泰仙

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希望を持ち、努力で老道を歩み、感謝して永眠する

 

 つい先日、入社して新入社員として走り回っていたと思っていたのに、いつの間にか老いを意識する日々となった。人にとって50年間などあっという間だ。私もあちこちに体の不自由さを意識する歳となっている。

 若い頃は、人様より3割も多い髪の毛(母からの遺伝)に床屋さんがいつも手を焼いていたが、いつの間にか消滅......(苦笑い)。

 

 紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし (修証義)

 

命の健康寿命

 「老」とは歳を取ることではない。歳をご先祖から頂いた結果として「老」である。それは幸せなことだ。その「老」を頂けず、還暦前に亡くなった仕事仲間の数は20人を超えた。中学校のクラス仲間の2割が、66歳までに死んだ。体の弱かった私が、過酷なビジネス戦争を生き延びれたのは、ご先祖様のご加護だろう。

 その私も平均健康寿命の歳を超えてしまった。嫌でも死を意識してしまう。せめて年甲斐もない醜態は見せまいと思う。それが「老い」の戒めである。

 

練った道

 「老」を頂くとは、練った道を歩むことだ。若気の至りが満ちていた時は、がさつな振る舞いで、荒地の道しか歩めなかった時代がある。練った道なら、人が多く歩いてくれる。自分の設計した道に賛同してくれる。

 

オイル

 「老」という字には「結ぶ」という意味がある。男と女が結婚して新生児が生まれる。物事は二つのモノが結ぶことで、生成発展する。異質なものが結合して新しものが生まれる。新しいものが生まれることを創造、化成という。異質なものを結べる力を持つのが「老」である。それが智慧である。異質なものを結ぶには、軋轢が生じる。それを潤滑油のオイルで滑らかにする。それが老いるである。

 

化ける

 「化」の偏の「イ」は背の伸びた若者を意味する。「ヒ」は腰の曲がった老人の意味である。若者と老人が結びついて、新しい文化が生まれる。古典の文化が新しくなり、化けたのだ。老から若者に伝承された芸術が、創造される。伝承されて芸術がより高度に化けていく。老人は、その成果を「置いて」人生舞台から下りればよい。

 

推敲

 同じことを何度も何度も繰り返し、より良い作品になるように練っていく。それが推敲・老練である。作品は見直した回数が多いだけ、作品は良くなっていく。自分の最大の作品は、「自分の歴史」という人生なのだ。失敗が多いだけ、見直した数だけ、よりよい人生となっていく。

 

ノーシードは老の反対語

 エリートは最初からノーシードで良いポジションから勝負なので、人生を歩くには楽である。しかしエリートは一度でも失敗すれば、それでゲームセットである。

 しかし非エリートは、何度も失敗をして、それが経験として積み重なり、人生をやり直せる。私は非エリートの道でやってきた。それが練った道を歩んだことだ。

 

老の道を歩く

 私は日々「理」と「文」の世界を結んで、新しい世界を創っている。

 私は人間と非人間の佛の世界を結んで、経典を書いている。

 私は「病」と「健康」を結んで、生と死を考えている。それは病を得ないと悟れない。病とはご先祖からの啓示である。自分で自分の生活を正さないと、病は治らない。

 失敗のない人生は、試験管ベービの人生だ。私は多くの経験を結んで、老いて、練った道を歩みたい。それが人間の歩む道だ。

 馬場恵峰先生は94歳まで現役で活躍され、最後は1か月程寝込まれ、皆さんに見守られて眠るように1月1日に亡くなられた。私が病床にお見舞いすると、恵峰先生は「縁ありて花開き、恩ありて実を結ぶ。ありがとう、ありがとう」と何度も言って涙ぐまれた。良き師の最善の生き方を見せてもらえて幸いであった。

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    馬場恵峰書

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2022-09-06  久志能幾研究所通信 2484  小田泰仙

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2022年9月 4日 (日)

仁和寺の水先案内人はあらま欲しき事なり

 

 私が本の選択をする手法を紹介します。私が本を買う場合は、新聞や雑誌の書評欄を参考にしている。乱読で多量に読むのも良いが、自分の人生時間には限りがある。その時間を大事にするため、本を多く読むよりも、良書の選択が大事である。それには信用ある書評が有益だ。書評こそ、本が溢れる大海の水先案内人(先達)である。人生で良き水先案内人を探すのが、良き人生を送るために必要である。私は泰観院の水先案内人である。泰観院は私のために建ててもらったお寺である。将来、私はそこの住職になる。

 

 仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、あるとき思ひ立ちて、ただ一人、徒歩より詣でけり。………

 少しの事にも 先達はあらまほしき事なり。

         吉田兼好 徒然草 第52段

 

整理集約

 私は新聞や雑誌の書評を切り抜いて、クリアファイルにファイルをしている。切り抜きと言っても、そのまま新聞を4つ折りにしてファイルするだけだ。新聞で気になった図書広告をそのままファイルである。雑誌の書評は、書評欄をそのまま1頁分を切り抜くか、コピーしてファイルするだけである。手間はなるべくかけない。

 情報取集の要点は、整理するな、一か所にまとめろ、である。

 

まとめ

 最近、その資料を整理しなおして、16冊のクリアファイルにまとめた。整理と言っても、ただファイルしただけだ。情報は一か所にまとめることに価値がある。一冊に40ポケットのあるクリアファイルで、約50年分の人生水先案内資料が収まった。私のお宝である。

 

人生見直し

 日々、そのファイルを見直して購入図書を探している。その昔、自分がどんな本に興味を持ったか、その成長の記録がそのファイルにはある。

 時折、中から選んで本を注文しても、絶版になっていることがあり、焦ることがある。しかしアマゾンで中古品も手に入るので、何とか入手している。その書評を読むだけで、本の内容の半分は手に入る。それも智慧の糧である。

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酒を飲むより読書を

 酒を飲んでくだをまくより、本と静かに対話した方が、人生は豊かになる。

 酒の問題点は、酒は少量でも発癌性物質となることだ。また酒は頭を酩酊させ、同じことを何度も話す痴呆現象を起こさせる。それは脳の短期記憶領域が酒で麻痺するからである。それを繰り返すと認知症になるようだ。脳の細胞を酒の毒で繰り返し攻撃すれば、脳細胞は死ぬのだ。

 アルコール消毒とは、アルコールが細菌を殺すこと。同じように、体内の血液中に入ったアルコールが脳細胞も殺す。60歳以上のアルコール依存症の人のうち、4割以上が何らかの認知機能障害を合併しているという報告もなされている。

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2022-09-03  久志能幾研究所通信 2481  小田泰仙

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