尖った鉛筆に母の愛、無謀な東大進学、H様問題
私が学生時代、飛行機好きの私は名古屋大学の航空学科に進学したい夢を抱いたが、東大に入るよりはるかに難しいことが分かった。また当時は、日本の航空機産業が壊滅状態で就職口も皆無に近く、メシが食えないと分かり早々に諦めた。私の学力と志望校のレベルがあまりにかけ離れていた。どんな夢でも叶わないことはないはずだが、それに対する道が隔絶しすぎていると、嫌でも納得して諦める。それが普通の人間の常識だ。だから私の飛行機好きはあくまで趣味でとどまっていた。
進学校での辛い日々
並みの才能では、進学校でいくら必死に勉強しても上位になれない冷酷な現実があった。あまり勉強していないような学友が、はるかに良い成績を出している。進学校では、周りは自分より成績の良い生徒ばかり。そういう現実を知って、社会の厳しさを実感する。学力が平均より少しだけしかよくない私は、進学校で塗炭の苦しみを味わった。
当時(1960年代末)は、団塊の世代がしのぎを削り、4当5落と言われた受験戦争時代である。自分がそういう時代に生れた宿命である。しかし時代が変って生まれれば、特攻の隊員に選ばれたやもしれれぬ。父の5人兄弟のうち3名が戦争に行き、2名は戦死である。私が平和な時代に生れたことに感謝である。
私が地元の進学校に合格した時、母は喜んでくれた。私が学生時代には、両親から「勉強しろ」と言われたことは一度もない。私は自分で勉強を真面目にこなして、同時に趣味として飛行機に凝っていた。
母のあたたかい支援
それでも、学業では毎夜1時、2時、3時まで机に向かう日々であった。母は黙って夜食を作ってくれて、鉛筆も削ってくれていた。当時は何とも思わなかったが、今、その鉛筆の束を眺めると母の愛情を感じる。
(今は、当時の睡眠を削って勉強したことを反省している。脳生理学の研究では、睡眠はしっかりとらないと記憶力が低下することが分かってきた。)
その鉛筆の束は今でも大事に残してある。今見ると、まるで花を生けたあるように見える。当時の鉛筆入れは、廃空き缶利用である。当時の母の節約ぶりが推察できる。それが母として最大限の愛情の証しだと思う。母は若い頃は華道の池ノ坊の師範であった。また洋裁の先生であった。できた母であった。
その尖った鉛筆の削り方で、母の尖った性格を思い出す。母は標準偏差から外れた能力の持ち主だった。知人の社長が「お前の母親は、大垣中の会社社長の誰でも太刀打ちできない。女傑だ」と一目置いていた。それでも母は私の勉強の仕方には何も言わなかった。
今にして振り返ると、経営上(師範として教育上で)の観点から、母は自分の経験したことのないことには、口を出さなかったのだと思う。私も会社に入って多くの仕事を経験して、その仕事を経験しないと偉そうに口は出せないのだ。現場の人が一番よく知っているのだ。会社では研究開発部に長く所属していたので、全て自分でやる経験をさせてもらった。それが自分の宝である。
50年前に母が削った鉛筆の束。今も母の形見として大事に保存している。
今見ると、花を活けたように見える。
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天皇陛下対応
多分同期の中では、私が誰より多くの種類の仕事の経験をしたと思う。1975年頃(不況の折)、工場実習の名目で土方の仕事、コンクリート打ち、道路つくりもさせられたこともあった。その道路は、トヨタの天皇(豊田英二社長)が来社さることで社内が大騒ぎとなり、研究開発部への道を舗装することが決まった。それで実習中の若手(技術者)を集めて道路工事が始まった。私はその工事に一土方として駆り出された。今にしては、お笑いの対応である。当時は大不況で、会社にカネがなかったのだ。それで土方とはどんなものかを実体験した。
また私は3Kの最たる現場(鍛造、鋳造、熱処理工場)の管理職も担当した。また特設消防隊長として放水訓練も経験した。だから管理職として、現場を経験して多くの知見を得た。経験がないと、現場の人間には何も言えない。だから両親は私の受験勉強に対して、何も言わなかったのだろう。50年経って今になりそれに思い至った。母は若い頃は華道の池ノ坊の師範であった。できた母であった。
H様問題で炎上
現在、ネット上でH様問題が炎上している。世には息子の絶対的学力が低いのに、息子を見栄で東大に行かせたいと裏で画策する親がいる。両親とも学生時代は勉強を真面目にせず、遊び惚けて下駄を履かせてもらって卒業した。両親は苦労をしていないので人間が出来ていないようだ。
だからこの両親は安易に東大入試を上から視線で眺めている。自分が受験勉強を真面目にしてこれば、それがそれだけ難しいかはわかる。両親は学生時代には遊び惚けていたのだ。それなのに、息子には勉強方法に口出し、超有名進学校で受験勉強を強いても滑稽である。
有名進学校では勉強についていくだけでも大変だ。だからその裏の画策が「蒸気」を逸している。要は思考の沸騰点を超えている。だから国民は呆れている。皇統の危機である。子供の将来は親次第である。自分が管理職、経営者として実務をこなしてきた故にわかる、この両親に感じる違和感である。
子供は親の背中を見て育つ。H様問題は、良き反面教師の実例である。
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2022-12-21 久志能幾研究所通信 2572 小田泰仙
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