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2023年3月24日 (金)

宗教団体から脱会後(2/12) 自分ファースト

 

全ては自分の幸せの為

 今までは猪突猛進のトヨタ教信徒として、教祖様の為、教団の為、お国の為に滅私奉公してきた。モーレツ社員とも揶揄されたこともあった。私は脇目も振らず、準ブラック企業で、高度経済成長期を仕事一筋に駆け抜けてきた。

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高度経済成長からバブル崩壊

 1973年から1990年の18年間で、前職の会社の売り上げは6.8倍に急成長した。その前の1966年から1972年までの6年間の成長は2.13倍である。毎年30%以上の成長である。平成時代の30年間で日本経済の成長率がゼロであった惨状から見れば、当時は本当に高度経済成長期であった。

 そして1991年にバブルが崩壊して、私の前職の事業部の売上は70%も減ってしまい、経営危機になった。そしてリストラが始まった。天国から地獄に突き落とされたのだ。当時の同業他社も多く倒産した。私はその社内リストラの前に昇格して、好調な事業部に異動となっていた。塞翁が馬である。

 リストラと言っても、社内の人員配置変更である。首切りではない。それがトヨタ教の凄さで、他社のような希望退職(首切り)はなかった。

 

 平成不況時以降に入社して働いてきた若者に比べれば、私の時代は幸せであった。頑張っただけの成果も手に入ったので、不幸とは感じなかった。しかし、今、冷静に当時を振り返ると、少々洗脳されていたようだ。

 

教祖様として生きる

 だから退団後は、自分が「自分人生有限会社」の教祖様として、自分の幸せの為に生きるつもりだ。今は洗脳された頭を正常に戻す「修行」に力を入れている。

 しかし還暦後に、自分を幸せにする時間は、少ない。そのことに思い至らず、時間など無限にあると錯覚している人は多い。日本人の平均寿命は81歳であるが、健康寿命は72歳である。72歳を過ぎれば、病院通いか、寝たきりか、認知症になる人が大半である。還暦後は、健康で走り回れる時間が12年しかない現実を正視すべきだ。

 

 自分は何のために生れてきたのか。最低でも一人に人間を幸せにする義務が私にはある。その一人が自分である。そのための残された時間は12年である。定年延長などすれば、時間はほとんどなくなる。だから私は定年延長せず辞めた。

 

天上天下唯我独尊

 お釈迦様が、ある王子から人生相談をされた。王子は妻からの「私とあなたと何方が大切か」との問いに悩まれていた。お釈迦様は、「自分も自分が一番いとおしく思う」と答えられた。

 お釈迦様が仰った「天上天下唯我独尊」とは、「この世で一番尊いものは自分である」との意味である。自分が一番尊いと思うから、相手も同じように自分が一番尊いと思っている。だから、相手も同じように大事にすべきとの教えである。

 退団後、会社を離れたら、会社ファーストを捨て、自分ファーストでよい。自分を大事にして、世の中に貢献すればよい。自分を大事にしない人は、他人も大事にしない。その極端な例が自爆型のテロリストである。

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2023-03-24  久志能幾研究所通信 2650  小田泰仙

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2023年3月 5日 (日)

「虚空心経」で人生を料理する

 

 ずっとその昔、自分有限会社教の教祖様が人生教学を修行していた時、「人は空であり、空は人である」と悟られ、人間関係の苦しみから抜け出されました。

  人不異空 空不異人 人即是空 空即是人

 この世の人は、実体のないもの(空)であり、空ということは、人(空)以外にはあり得ない。すなわち人は実体のないものであり、実体のないものが人なのである。だから、いくら憎悪愛情に満ちた人間関係であっても、50年も経つと夢幻の世界になる。80年も経つと、人はこの世から消える。死後、形あるお骨として残っていても、80年も経てばお骨は土に還り、見える世界から消滅する。

 

虚空:仏語。何も妨げるものがなく、全てのものの存在する空間を意味する。

 

 

 人の存在は空だから、性善説も性悪説も当てはまらない。性悪説だからといって、悪人が永遠に悪人であるはずがない。人の性悪さが変わらねば、人を教育する意味がない。人ものカネは無常である。

 性善説として、人を躾・教育もせずに放置すれば、インドで発見されたオオカミ少女のようになってしまう。有名女優が息子にお小遣いを月に50万円を与えても、その教育を放棄すれば、子供は覚せい剤常用の犯罪者になってしまう。口でいくら立派なことを言っても、親の後姿を子供が見て育つ。子供はその親の言うことは聞かず、親の行動を真似する。そして国民に後ろ足で泥を掛ける始末となる。だから性善説も性悪説も正しくない。人は空なのだ。

 

 人は状況によっては人殺しもする邪鬼の存在にもなる。性善説や性悪説だけでは戦争と平和の時代を生き延びられない。

 戦争の時、敵を殺さねば、己が殺される。銃後の家族を守るため、敵を殺さねばならぬ。戦争で10万人を殺せば英雄である。勲章がもらえる。

 民間人10万人が焼死した東京大空襲を指揮した米国の将軍カーチス・ルメイは、戦後、日本国から勲章をもらった。昭和天皇はその直接の授与を拒否された。それは戦争で勝った側の論理である。狂気であるが、それが世の定めである。それこそ空である。平和の時、3人を殺せば殺人罪で死刑である。何が正しいかなどの正義論は存在しない。法律も正義も時代と人の都合により変わる。だから人も空であり、人が作った法律も空である。

 

 そして愛憎感情、創作活動、政治活動といった行動もまた同じである。共産独裁主義C国で、民衆主義を唱えれば、死刑である。アメリカで共産主義万歳と言えば、レッドパージで国外追放である。だから思想も空である。

 会社の人事も所詮は人の好き嫌いだけのこと。人が変われば、評価が変わる。その人は会社で10年経てば、その部署からいなくなる。人は空である。だから人事も空である。

 トヨタを変えた第8代社長の奥田碩氏は、上司の受けが悪く、フィリピンに飛ばされていた。それを豊田章一郎氏が見出した。奥田碩社長がトヨタを変えて、田舎のトヨタを世界のトヨタにした。だから人事など空である。人も空、人事も空である。

 ゴッホが描いた絵は、その当時、ごみ扱いであったが、100年後、数百億円で取引された。だから芸術家の創作活動も空なのだ。「芸」とは匂い草の象形文字である。芸術ほど、時代と人に影響される分野はない。それこそ人の好み次第の存在で「空」である。その人が80年後には、この世に存在しないのだ。

 

 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

 

 あらゆる存在は空を特質としているから、生じることも滅することもない。汚れることも清まこともない。お金が増えたと言って、コンピューター上の数値だけの話である。政府が変われば、お金は紙くずにもなる。いくら金持ちでも砂上の楼閣である。勝者必滅の法則である。永遠のお金持ちなどいない。お金はあの世は持って行けない。お金も有効期限があり、生きている間の80年間だけである。だからそれは空である。

 私の曽祖父は、虎の子の退職金を銀行に預けていたら、1947年の預金封鎖によってひきだせなくなり、預金封鎖が解除された時は、紙屑になっていた。の曽祖父は40年間勤めて得た退職金を奪われたのだ。だから私は政府を信用しない。政府も空なのだ。

 

平家物語 敦盛の最期

「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。」

 

 だから宗教の教えも空である。宗教とはその家の教えである。いわば家訓である。生きるとは、自分の人生を料理する尊い修行なのだ。仏教もキリスト教もイスラム教もその教えは、全国チェーン版のファミリーレストランの料理と同じである。それは宇宙根源の法則を、縦に切り、横に切り、斜めに切って見えた教えをその宗教の教義にしているだけだ。切り方が違うだけで、その本質は同じである。だから宗教も空である。時代と地域と民族により、それに併せて教えが変わるだけだ。世界はその本質も知らずに醜い宗教戦争を繰り返している。それが空である人の歴史である。

 

 人生は夢のように儚いからこそ、知恵を出し、賢く選択して生きねばならぬ。それが虚空の人生道を歩む方法である。

 

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 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩像

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 馬場恵峰書 

2023-03-04  久志能幾研究所通信 2631   小田泰仙

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2023年3月 1日 (水)

医師に見放されて、死神と闘う

 

 自分が変わらない限り、相手は変わらない。それは仕事でも、恋愛でも、人間でも、相手が癌細胞でも同じだ。ガン細胞という死神は、自分内の細胞が変化した細胞である。有能な医師が観察しても、正常な細胞と癌細胞の区別が難しいという。自分が変わらなければ、癌細胞はどんどんと増殖していく。

 

 癌細胞は太古の時代から変わらない。恐竜の骨にもがんの跡が発見されるという。がん発生は生物のさだめであるから。人体にがんが出来るのは、人間がイモリのような細胞再生能力を放棄して、免疫能力を付けるという進化の道を選んだ結果である。

 人体はガン細胞と免疫細胞との戦いの微妙なバランスの上で成り立っている。人間の体内には、1日に5,000個のがん細胞が発生する。それをその都度、免疫細胞ががん細胞を殺している。そのバランスを乱す生活をすれば、体内の免疫機能だけではがんを押さえられなくなり、がんになる。ガンになった原因が、自分の生活のあり方にあるのだから、自分が変わらねば、がんは治せない。がんは生活習慣病である。

 

がん戦争宣告

 1971年、当時のニクソン大統領が「がん戦争宣告」をしてから、米国政府は50年間でガン治療方法の開発に10兆円を使った。しかし現段階で戦果は芳しくない。要は対処療法で戦ったから戦果がでなかった。元を断たなきゃダメなのよ。

 それの第一原因は、自分達が変わらなかったからだ。真因は、拝金主義者の西洋人が金儲けに走り、世界に拝金主義を蔓延させ、人間らしい生活スタイルを放棄させたからだ。それが日本に波及した。敵は外にいるのではなく、自分達の内部にいた。

 

がんの原因

 がんになった生活環境、食生活、生きる考え方を変えないと、がんは治らないし、再発する。ガンになる要素の半分はストレスである。やりたいこともやらず、抑圧された生活を送れば、何時かは癌になる。40年前に比べれば、現代社会ははるかに抑圧された社会になっている。食生活も生活環境も激変である。

 がんが40年前と比べて4倍になったのにはワケがある。要は、現代人はそれだけ不自然な状態で生活をしているのだ。

 

末期癌が完治

 医師のがん治療能力で、がんの治療が左右される。知人は岐阜の大病院で、末期がん宣告を受け、治療を放棄された。知人は医師から「抗がん剤でも放射線でも、処置をしても精々3ヶ月の命」と余命宣告され、「後は自由にしてください。当医院での治療は終わりです」と宣告されたという。

 そこで慌てた知人は、日本最高の医学を求めて関西の大学病院に行き、診察を受けた。その結果、その癌は切れば治ると言われた。「それは希望的観測で?」と聞いたが、医師は自信をもって「切れば治る」と断言した。その手術から5年後、医師から「おめでとうございます。完治です。がん手術後5年の観察期間が過ぎました。転移は有りません」と言われ、現在、8年目でピンピンしている。

 

ガン治療の偏差値の差

 要は、岐阜のがんの医学のレベルが低く、関西のレベルは高かったのだ。岐阜の医師では手術できないガンを、関西の医師は手術をして治した、である。がんのレベルを見るのも人間の医師である。その能力差は病院や医師によって大きい。それが現実である。関西の大学の偏差値が高いのにはワケがある。

 

 私のがん治療では、大垣の市民病院ではなく、愛知県がんセンターを選んだ。それは正解であった。そうしたのは、父を大垣市民病院で亡くした苦い経験からである。その父が私を守ってくれたと信じている。

 

無為無策

 だから末期がんで医師に見放されても、骨になるまで、無為に過ごしてはならない。生きている限り、解決の手段を探すのだ。自分が変わらない限り、早期の死があるだけである。それはガンという病気だけではない。人生のすべてに当てはまる。「骨になるまで待つ」とは死神に取りつかれた考えだ。

 

ガン治療

 そして対処療法でガン部を摘出したら、がんになった真因を取り除く生活をすることである。そうしないから再発する。抗がん剤治療は対処療法であり、根絶治療ではない。

 

がん撲滅戦争

 どの医者も、手術後は今まで通りの生活で良いという。手術をした医師は、外科医でガン部を摘出するだけの役割である。真因の追及と再発防止には関与しない。医師も保険点数にならないことはしない。骨になるまで待っても、誰も教えてくれない。自分で動いて探すしかない。医師だってがんを分かっていない。医師だって癌になり、倒れている。

 1971年にニクソン大統領が始めた「がん撲滅戦争宣言」から、50年も経ったが、10兆円も使って、今だ膠着状態である。日本ではこの40年間で、がんは4倍に増えた。

 父も手術後、医師に言われた通りの今まで通りの生活をして、がんが再発し、1年後に亡くなった。

 

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  山路徹画 

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2023-03-01  久志能幾研究所通信 2629  小田泰仙

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2023年2月27日 (月)

キャンピングカーブーム? コロナ茶番劇?

 

 2月26日、愛知県国際展示場で開催際されていた「キャンピングカー展示会」に行ってきた。その一角のブースで山路徹先生の積み木展が開催されていたからだ。会場に着いたが、先生に電話をしても出てくれない。実は先生は携帯を家に置き忘れていた。 涙😿 携帯電話も、身に着けていなければゴミである。

 先生に会うには、入場するしかない。チケット売り場で驚いた。長蛇の列である。なおかつチケット代は1,100円である。聞けば、この長蛇の列はすくなくなったところで、午前中の1/4ほどだという。〆て、入場者数は2日間合計12,181人。チケット売り上げ金額1,300万円。

 私は電車で大垣駅から中部国際空港駅まで来たが、それでも往復で4千円ほどかかる。名古屋市内から家族で来ても、優に1万円を超す。それでも、展示ホール内は大勢の家族連れが見て回っていて大混雑である。展示車は135台である。私はそんなにもキャンピングカーに人気があり、ブームだとは知らなかった。それで少し調べてみた。

 

キャンピングカーブームの実態

 一般社団法人日本RV協会の「キャンピングカー白書2022」によると、2021年のキャンピングカー販売額は、新車、中古車を合わせて635.4億円で過去最高である。キャンピングカー累積保有台数も136,000台と過去最高となり、キャンピングカーの愛好者が増え続けていると「協会」は言う。

ホンマかいな。

 しかし幕張メッセでのジャパンキャンピングカーショー2020の来場者数は、 3日間で、合計66,493名。ジャパンキャンピングカーショー2021では、来場者数は3日間で合計24,166名と激減である。だからそんなにブームとはいいがたい。

 コロナ禍のおり、家族だけで3密を避けて旅行するには、キャンピングカーは最適のようでブームだという。また定年後、ホテルを利用せず、全国を車で回り、その車の中で寝泊まりするというスタイルもあるようだ。

 しかしキャンピングカー販売額が、新車中古車で年間635.4億円に達していると言っても、一台600万円と仮定すれば、販売数は合計で年間1万台チョットである。日本の車販売数の約400万台から見れば、1パーセント以下である。それでブームとは大げさだ。

 

私の結論

 男が持つことが夢で、しかし持ってはいけないものが、妾(2号さん)と別荘である。持てば必ず人生でつまずく。でも私も男の子だから、頭では分かっていても欲しい気持ちは一杯だ…. 。以前に衝動的に2号さん相当のレクサスLSを買ったが、やはりカネが続かず、手放した。。。。 涙 😿

 愚かなことはやってはダメだと分かっていても、やってみて失敗しないと理解したことにならない。それを智慧という。

 

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 所詮は、キャンピングカーは動く別荘の位置付けである。キャンピングカーをすぐには買えないが、夢を求めて展示会に家族連れで遊びに来るのではないか。

市場規模600億円では、商売として規模が小さすぎる。

 高価な部類では1千万円以上の値札が付いている。それではベンツが買えてしまう。   そんな車がバカスカ売れるとは思えない。私の回りを見ても、キャンピングカーを持っている知人はいない。

 別荘を買っても、そう頻繁に利用はしないもの。たまに行っても、まずその掃除で疲れてしまうという。たまにしか行かないから、別荘内はほこりまみれ、庭は雑草が生い茂っている。それならホテルの方がよほど楽という。キャンピングカーも同じで、そう頻繁に使うとは思えない。所有者もそんなに頻繁に有給を取るわけにもいくまい。またその維持費も大変だろ。駐車場の確保も大変だ。それが問題ない人は、キャンピングカーでなく、高級ホテルを使うはず。

 所詮、キャンピングカーブームは、メーカに踊らされたコロナ茶番劇である。そんな2号さんのようなキャンピングカーに金を使うと、地道に積み上げてきた「積み木」が崩れてしまう。

 

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2023-02-27  久志能幾研究所通信 2628  小田泰仙

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2023年2月21日 (火)

経典を読む、哲学書を読む

 

 この40年間、私はほぼ毎日、読経で朝のお勤めをしている。1年365日×40年で累計14,600回の読経である。40年間も読経を続けて、やっと仏教の説く哲学がおぼろげに分かってきた。

 私はこの10年程は、ほぼ毎日写経をしている。写経と言っても毎日2行だけである。約10日間で、一枚の般若心経の写経が完成する。そうしないと続かないと馬場恵峰先生に教えられた。般若心経を全部写経すると優に1時間はかかる。毎日2行だけなら5分ですみ、継続できる。

 読み、書くから、体に仏教の教えがしみ込んでくる。その目的は、自分の生き方を探すためである。私には仏教の経典は哲学書である。

 釈迦は、来世が有るとも無いとも言われなかった。現世での修行だけを説かれた。釈迦が死ぬ時も、弟子達には「怠るな、だだ精進せよ」だけを言い遺された。

 だから仏教の経典は極楽浄土に行くためのおまじないではない。それを理解すると、新興宗教に騙されることはなくなるだろう。

 仏教の経典を読むとは、自分の人生を考えることだ。自分が体験し、経典に照らして考えて歩んだ自分史がオダブツ教の経典である。私は自分自身の経典を書いている。

 

仏教

 哲学とは、生の存在、死の意味と時間を考える学問である。そういう意味の哲学を説いた宗教は仏教だけである。

 仏教の経典とは、釈迦が人生の中で考え、悩み、実践した認識を弟子たちに説いた説教を、後世の弟子たちがまとめたのが経典である。

  (石原慎太郎著「人間の一生とは、なんだ」『プレジデント2022.4.1号』)

キリスト教

 聖書はキリストの一代記である。聖書は、人間に対する愛、虐げられたユダヤ人への共感を説いている教えである。そこには哲学はない。後からギリシャ哲学を援用してきて、神学が出来上がったにすぎない。

  (石原慎太郎著「人間の一生とは、なんだ」『プレジデント2022.4.1号』)

イスラム教

 イスラム教は、唯一絶対の神(アッラー)を信仰し、神が最後の預言者を通じて人々に下したとされるクルアーンの教えを信じ、従う一神教である。その教えは、法律、道徳、倫理を含んだ社会規範である。その絶対的存在として神が存在する。神は死後の天国地獄の行き先を決めるだけで、生前中の善悪への罰則は、イスラム教の経典が決める。それは神の仕事ではない。

 イスラム教は砂漠を中心として厳しい環境で生まれた宗教だから、その教えの経典の内容は厳しい。また現実的である。だから「目には目を歯には歯を」という教義である。

 ユダヤ教やキリスト教と同じ一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじるとともに、全ての信徒がウンマと呼ばれる信仰共同体に属すると考えて、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじ、それが維持されるための教えである。

 一般には法律と見做される領域まで教義で定義している。イスラム教では、信者の内心は問われない。教義では、正しい行いをしているかを問うだけだ。天国に行けるかは神が決めることであるので、一般の司祭はそれには関知しない。その行為が、死ぬまでは、人間の間で問題にされないなどの点で、仏教やキリスト教徒は大きく異なる。

 つまりイスラム教の教えは、社会を運営するための法律を含めた道徳的な社会規律の教えである。そこにも人間としてあるべき哲学はない。

 この項、wikipedia「イスラム教」を編集加筆

 

2023-02-20  久志能幾研究所通信 2621  小田泰仙

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2023年2月16日 (木)

文句を言わず、行動  慈工程完結

馬場恵峰師の人生

 どんなことでも文句を言わない。試練として受け入れる。

 行動を伴なわないお祈りをしないと成就しない。祈ると同時に、それにふさわしい行動を取ること。

 自分が変わらないと周りも変わらない。自分が変わろうとしない限り、何も変わらない。 

   明徳塾で 馬場恵峰師  2006年5月28日

 

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 馬場恵峰師 明徳塾にて 2006年6月28日

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トヨタの生産

 トヨタ生産システムでは、「前工程は神様、後工程はお客様」という。前工程から流れてきた部品は、文句を言わず、作業指示書通りに作り、後工程に流す。神様に文句を言っても無駄である。自工程で完璧にしないと、後工程に迷惑をかける。

 自分達の工程で問題があれば、自分達でカイゼンに取り組んで、問題を無くす。自工程完結である。後工程に不良品を流さない。それがトヨタ生産システムの原則である。

 

 KK問題は、後工程という日本社会に人間の不良品を流したと同じである。その製造責任者に責任がある。親の責任である。

 

私の人生

 出会った事件や降りかかった事件は、自分を成長させてくれるご縁である。その事件では、みんな同じ条件である。文句を言わず、その事件を解決する知恵を出して、対処する。その回数が多ければ、その分、大きく成長する。私はそうやってきた。回避したり、文句を言うだけで、何もしないのが一番悪い。その事例を避けても非難されない事例をも受け入れるが、人生修行である。

 大きな社会現象では、微力な自分ではなんともできない。しかし自分の範囲内(自工程)で、出来ることは当然として、できない事にでも最大限の努力をする。できなくてもよい。それの対策を考え続け、対策を打つだけでよい。大河に一滴を注ぐつもりで、成果が出なくてもよい。他からの援助が無くてよい。覚悟して取り組む。私の哲学「自工程完結」である。

 

大垣行政

 大垣行政に不満があれば、市役所に意見を出せばよい。お祈りしても大垣行政は良くならない。市民が黙ったままで行動しないから、汚役人はやりたい放題につけあがる。ゴミ袋有料化政策が良い例だ。

 ゴミ袋有料化議案に賛成投票をした市会議員に、次回の選挙で投票しなければよいのだ。議員の誰が市民の敵かを見極めよう。それが多くの市民のための慈しみの行動である。それが慈工程完結である。

 

2023-02-16  久志能幾研究所通信 2617  小田泰仙

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2023年2月15日 (水)

豊田章一郎 座有銘 天地人知仁勇、決断の成果

 

 豊田章一郎氏が2月14日に亡くなられた。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

久志能幾研究所通信: 豊田章一郎の座有銘 天地人知仁勇

yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2022/09/post-fff9.html

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 私は、豊田章一郎氏の座有銘「天地人知仁勇」を知り感銘を受けた。

  喜一郎はよく「天地人知仁」といっていた。企業にとって大切な要素がそれらだということです。タイミングがよくないといけない、場所もよくないといけない、それから人の和ですね。知は「知恵」、仁は「思いやり」。私流の解釈ですが、私はそれに「勇気」の勇をつけて「天地人知仁勇」を座右の銘にしております。(豊田章一郎)

 私は、トヨタの中興の祖・三代目社長石田退三が大事にしていた児玉源一郎のことばも大事にしている。

 「何でもわるいことに使う金でなければ、あとからそいつは何とでもなる。金のことをトヤカク考えていて、やらねばならぬことの時期を失するなぞ、おおよそ馬鹿げている」  石田退三著『トヨタ語録』P174 WAC

 この考えが、現地現物やジャストインタイムのトヨタ生産システムを生み、トヨタの世界展開を推進し、業務改革を推進し、世界一の自動車メーカに成長する礎となった。

 また、この考え方は、古希を迎えた私が、新しい家を買う決断を後押しすることになった。豊田章一郎氏の「天地人知仁勇」と児玉一造氏の「悪いことに使うのでなければ、カネは何とかなる」の教えを守ってきた因果である。トヨタ教の教義である。

 児玉一造は、明治から大正期の実業家で、東洋綿花株式会社(トーメンを経て豊田通商と合併)を創設した。児玉一造は、豊田利三郎トヨタ自動車工業初代社長の実兄である。石田退三氏の上司でもあった。

 

その決断の2年後

 私がその家を購入後、2023年で2年が経過した。その結果として当時、無謀な決断のように言われたが、現在、その決断をして良かったと回想している。

 この家は、現在、自分の仕事部屋、仕事の来客用の応接間、ピアノ室、写経室としても活用している。

 また自宅で溢れる本を収納するの書庫としても活用している。今回、本箱を12台も新設した。80 ×25 ×180㎝の本箱を12台である。

 現在、その家の倉庫は、町内の会議室として活用している。また町内の防災準備として水、食料品、防災トイレの仮保管庫としても提供しており、町内から感謝されている。

 また馬場恵峰先生の書の展示室としても活用している。山路徹先生作のテーブル等の作品も多数、設置出来ている。町内の会議室用として、山路先生にトチ材のテーブルを特注で作ってもらった。残りの4つのテーブルは、山路先生から無償提供を受けた。有難いことだ。きっと仏様からのご配慮だろう。だから今「悪いことに使うのでなければ、云々」の言葉を噛みしめている。

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 仕事部屋 兼 応接室  3つの机は山路徹先生作

 右手の机は、立って仕事をするための特注机。だから椅子はない。

 左手にあるドラフターの設置は長年の夢だった。

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 馬場恵峰先生書を展示する座敷

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  座敷  机と椅子は山路徹先生作

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 写経室 机は山路徹先生作

 

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 ピアノ室のヤマハNS1000M  スピーカー台は山路徹先生作

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 ピアノ室

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 集会場 兼 仮防災倉庫 100インチの電動スクリーンを設置

 5つの机は山路徹先生作、 奥は防災トイレと水、食料品の置場

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  山路先生作のトチのテーブル

  椅子は飛騨木工産で、山路先生から格安で譲ってもらった。


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  防災トイレと水、食料品のストック

  現在、町内の住民の1日分の防災トイレと水、食料品を備蓄中。

  順次3日間分に増やす予定。

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2023-02-15  久志能幾研究所通信 2616  小田泰仙

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2023年2月13日 (月)

宿命の東日本大震災、運命の新しき風を起こせ、Keep up Japan 

 

 2023年3月11日で、東日本大震災が起きてから12年である。干支が一巡する。厳しい訓練を経た選手が世界一の成績を上げる。同じように、日本は厳しい自然災害の訓練というべき試練を何度も受けてきた。それだけ日本民族は、より強靭となり、防災意識も高くなった。運命共同体の結束意識も高くなった。災害に対する対策を続けて、国土も強固になった。多くの地震被害を受けて、耐震強度のある家が増えた。防災環境も整ってきた。厳しい自然現象が日本人を育てた。

 それと比較すると他国の脆弱ぶりが明らかになる。2023年2月6日に起きたトルコ大地震では、東日本大震災を上回る死傷者が出ている。トルコには耐震強度のある家が少なかったようだ。火事場泥棒も頻発している。隣国で起きた地震でも、建物倒壊は日本の比ではない。

 

危機管理

 人知を超えた自然災害は、人間の手では為す術もない。出来ることは、その被害を最小限にする事前対策と、その後の手段を考えておくことだけだ。防災対策こそが危機管理である。それをやることが人生の強靭化である。

 

人生の災害

 そんな大きな自然災害でなくても、自分の人生では、交通事故、突然死、肉親の死、会社の倒産、受験失敗、左遷等、それに匹敵する災難が目白押しである。それで挫折してしまったら、人生の終わりである。災難で倒れることが恥ではない。そこから立ち上がれないのが、恥なのだ。

 そういう試練は、神仏が己を試している。これでも幸せになれるかい?と試している。宇宙という大きな世界で、自分というちっぽけな世界で生きている人間は、儚い存在だ。この自然界で大災害が起きて当たりまえである。

 己が自然災害の多い日本に生れたのは宿命である。その宿命の中、運命を良い方に変える取り組みをすればよい。だから心身ともに強くなればよい。倒されたら、起き上がればよい。過去の悲しみを慈しみ、人を励まし、未来を見つめて前進する。それが日本人だ。そうやって日本は前進してきた。先人の歴史を学ぼう。

 今、私は2035年±5年に起きると予想される南海トラフ大地震の準備で忙しい。

 

試練に立向かう

 私も会社では辛い目に何度もあってきた。それを打破しようと多くの本を読み、師を探し、研修会に参加して、自分を成長させてきた。試練が自分を育ててくれた。

 だから皇室特権を利用して、ぬくぬくと試験等の試練をやり過ごしてきたKK親子に、国民が共感するはずがない。言われなきバッシングを受けてきた現皇后陛下雅子様に、日本国民は、より親近感を抱くはずだ。

「新しい風」

 私は東日本大震災の被害を受けた人々の姿を表現した中島清画伯の「新しい風」をデパートで見付けて、購入し、自宅に飾った。それを見ていると勇気をもらえる。

 絵の右部は、災害を受けて悲しんでいる姿である。それに寄り添っている子の持つ袋に「Cheer up! Japan」の文字がある。

 中央部は仲間が被害者を励ましている姿である。国民が支援している姿である。被災者を見つめる子の帽子に「FUKUSHIM」の文字がある。

 左部は、その悲しみを乗り越え、未来を見据える子供の姿である。帽子に「Keep up Japan」の文字がある。そこに新しい風が吹いている。

 

山路徹先生作の台

 その絵のイーゼル代わりに使っている台は、山路徹先生作である。その台はもともとスピーカー台用に作ってもらった。それが不要になったので、このイーゼルとして再活用した。サマになって気に入っている。

 

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 右側部  過去の悲しみと国民の慈しみの目

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 左側部  未来を見つめる目

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   山路徹先生作の台

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2023-02-13  久志能幾研究所通信 2614  小田泰仙

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2023年2月 6日 (月)

人生劇場「生活芸」を育てる  緩慢なる洗脳殺人

 

 武智先生に受けた薫陶の中で、「一番いいものを見て一番いいものの中に育っていないと芸が貧しくなる」とよくおっしゃっていた。

 中村雁次郎著『私の履歴書⑨』日本経済新聞 2005年1月10日

 

 人生劇場で主人公として、良いものの中で育たないと自分の演ずる芸が貧しくなる。下品に洗脳されると、生活芸が貧困化して、人格が殺される。

 

 これは物理の法則である。「物理」とは物の「理」を学ぶ学問である。朱に交われば赤くなる。赤の絵の具と白の絵の具を混ぜれば、赤くなる。宇宙根源の理である。

 

一番良い親の背中

 子供は親のいうことは聞かない。親のやっている通りになる。子供は親に染まるのだ。私は両親の働く姿を見て育った。内職までして働いている両親を見て、私は遊んでいるわけにはいかない。

 

一番良い上司の影響

 いい上司の下で育つと、仕事の仕方が豊かになる。悪い上司の元で働くと、仕事の芸が貧しくなる。私は会社時代、多くに部長の下で働いたが、親会社から出向してきたО部長に感銘を受けた。その薫陶を受けて、私の仕事芸が変わった。

 今まで多くに上司に仕えてきた。私が間違い(上司に気に喰わない事)をすると、多くは感情に任せて怒ってきた。しかしО部長は叱るのだ。怒ると叱るとは違う。

 親会社では使い物にならない人間が、子会社に部長として出されてきた。その部長は部下を怒りまくり、多くの中間管理職を鬱病にしていった。それこそ緩慢なる洗脳殺人である。私は管理部署の職制として、その心が壊れた基幹職を受け入れた。また「管理部署は閑だろう」と、他の部署の課長が、心の壊れた若手(その課長が追い詰めたのだ)を多く送り込んできた。

 人は言葉一つで殺せるのだ。それは緩慢なる洗脳殺人である。

 

一番良い佛像彫刻を見て育つ

 私はこの10年間で、300体×2回×10年=6,000体の松本明慶佛像を見てきた。松本明慶佛像彫刻展は年間2回開催される。一回当たり、約300体の佛像が展示される。それが開催さると、私は東奔西走で必ず出向いて佛像を鑑賞した。お陰で佛像を見る眼が育った。

 「佛」とは「人」と「非」からなる象形文字で、人にあらずと書いて「佛」である。人ではない存在を形にした造形は、人の理想の形を心に刻む。

 

一番良い絵を見て育つ

 私はいままで世界の80館以上の美術館・博物館を回った。お陰で名画と呼ばれる作品を直接鑑賞することが出来きて、鑑賞眼が育ったようだ。

 私の名画の定義は、「捕まっても良いから盗んで、自宅に飾りたい絵」である。残念ながら、海外にはそんな絵は無かったので、盗まず、捕まらずに済んでいる。何億円の絵でも、バカでかくゴテゴテした古い油絵は日本家屋に似合わない。

 

一番良い友人と共に育つ

 日頃付き合う友の影響は大きい。自分と価値観の合った友人でないと切磋琢磨ができにくい。価値観の合わない人と一緒に居ると、どうしても相手に迎合することもあるから、自分の芸が目減りする。孟母三遷の教えで、良き友を選ぶのが大事だ。

 進学校で皆が必死に勉強をしている中、一緒に学び育つと自然と学ぶという「芸」が磨かれる。皆が遊び惚けている学校で育つと、その「学習芸」が貧しくなる。

 

一番良い師の元

 良い師が自分を育ててくれる。三年かけて師を探せ、である。師からの教えは薫陶である。霧の中を歩けば、自ずと衣が濡れるのだ。それと同じで、師と行動を共にすれば、その考えが伝わってくる。

 

一番いい言葉

 言葉の影響を受けるのは、自分である。人に吐く言葉でも、一番大きく影響を受けるのは自分だ。良い言葉を吐けば、自分が励まされる。悪い友と付き合い、後ろ向きの言葉を浴びれば、どうしてもマイナスの影響を受ける。それは人生芸の貧困化である。 

 

CMでの悪い影響

 毎日、ファストフードのCMを見せつけられれば、自然とその食品に手を出してしまう。体に良い食事への感性が鈍くなり、健康を考えて食べるという「喰う芸」が貧しくなる。食が豊かになり、日本人が総グルメになった。その結果が、2022年度の医療費44.2兆円越えである。しかし不健康病を併発した。「喰う芸」の貧しさが原因である。

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2023-02-06  久志能幾研究所通信 2607  小田泰仙

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2023年2月 2日 (木)

親戚付き合い、墓付き合い、はかない付き合い 

 

 知人は墓を建て、今まで疎遠であった親戚と新たに親戚付き合いを始めた。しかしその後、その家からは結婚式にも呼ばれないし、法事にも呼ばれないし、主が亡くなっても1ケ月も連絡がなく、その後、コロナ禍の影響で家族だけで葬儀は執り行うとの連絡が来たそうだ。つまり葬儀参列拒否である。親戚付き合い拒否の通知であるようだ。

 その人の心情や信心深さは言葉にしなくても、長年の人に対する行動で伝わってくる。

 だからコロナ禍の最中とはいえ、その行動には違和感があったようだ。その縁者には、親の後姿での教育が出来ていなかったと思うしかない。

 

 これでは「墓関係だけの付き合い」である。「墓付き合い」である。それは「墓が無い」と同じ、「はかない(墓無い? 儚い?)」付き合いである。それは現代の世相を表しているようだ。

 

コロナと共に去りぬ

 最近の結婚式は、上司などを呼ばず、近親の親族だけですませ、友人たちだけで別にパーティを開催するようだ。上司も遠縁の親族など呼ばないという。

 現代人は、人との関係を断ち切りたいと思っているようだ。スマホだけの虚構の世界に埋没する現代社会を象徴しているかのようだ。

 

 本来、日本の冠婚葬祭とは、ある意味で親族の生存確認である。また最近は、親族も遠く住んでいるケースが多く、滅多に会う機会が無い。その近況を確認し合うのが冠婚葬祭での集まりである。特に話があるわけではない。お互い顔を見るだけで安心できるのが血のつながった社会なのだ。それが昔から、一族郎党が厳しい世の中を生きてきて身に着けた生活の知恵である。

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人間関係の変化

 それが今はコロナ禍を大義名分に人間関係が消滅しようとしている。会社でも在宅勤務である。自宅で誰とも話さず、黙々とネットを通じて仕事をする。

 20年程前、私がバリバリの仕事人であったころ、メールでのやり取りに限界を感じて、なるべく直に会って話をするように心がけるようになった。当時は会社内でもメール文化が始り、大量のメールが行き来していた。室長ともなれば、一日に100~200通のメールが舞い込む。それをサバくために、メールの文章ではどうしても表現がきつくなり、けんか腰になりかねない状況に追い込まれる。特に、私のようにテクニカルライティングをマスターして文章にすると、キツイ表現になってしまう。

 またアメリカの心理学者アルバード・マレービアン博士の研究によれば、文章では、その言葉の7%しか相手に届かない。後は、声の質(高低)、大きさ、テンポで38%、顔の表情で55%の情報が伝わると言う。人間以外の動物は、全て言葉以外の非言語コミュケーションで済ませている。人間も動物の一つである。多くを非言語表現で真の意思を表している。

 だからメールでは真の心情は届かないのだ。それでコミュニケーションの限界を感じて、大事な情報の場合は、伝達の手段を変えた。つまりフェースフェースの直接対話である。それから見ると、現在はまだ当時より退歩してきているようだ。その対応は未成熟になったと感ずる。

 昔ながらの人情ある人間関係がコロナと共に去って行った。これで日本社会がより殺伐たる人間関係になる要因が増えた。これは小さな綻びである。それが今後拡大することが怖しい。少子高齢化社会で殺伐たる未来が見える。

 

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   「武道としての情報設計_C1_文書道」 より

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仏壇での後姿

 最近は家に仏壇のない家も増えた。ハウスメーカのモデルハウスに見学に行っても、仏壇を置くスペースが用意された家は皆無である。親が仏壇に手を合わせている姿が、子供への最大の教育なのだ。子供は親の言う通りにはならず、親がやっている通りになる。

 それはA宮家騒動を見ればわかる。KK問題でも、世代断絶の異常が垣間見える。「KK息子は父の墓前にお参りもせず、花を供えたことはない」と週刊誌報道である。KK息子が皇族と結婚できたのだから、そんな慶事は、渡米前に父の墓前に報告するのが人間の道である。それだけでKK母子の異常な行動が理解できる。私は、あのような人格(人欠く?)になりたくないと反面教師として眺めている。皇族は世の中の風潮を象徴しているようだ。

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2023-02-02  久志能幾研究所通信 2602  小田泰仙

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