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2023年2月16日 (木)

文句を言わず、行動  慈工程完結

馬場恵峰師の人生

 どんなことでも文句を言わない。試練として受け入れる。

 行動を伴なわないお祈りをしないと成就しない。祈ると同時に、それにふさわしい行動を取ること。

 自分が変わらないと周りも変わらない。自分が変わろうとしない限り、何も変わらない。 

   明徳塾で 馬場恵峰師  2006年5月28日

 

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 馬場恵峰師 明徳塾にて 2006年6月28日

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トヨタの生産

 トヨタ生産システムでは、「前工程は神様、後工程はお客様」という。前工程から流れてきた部品は、文句を言わず、作業指示書通りに作り、後工程に流す。神様に文句を言っても無駄である。自工程で完璧にしないと、後工程に迷惑をかける。

 自分達の工程で問題があれば、自分達でカイゼンに取り組んで、問題を無くす。自工程完結である。後工程に不良品を流さない。それがトヨタ生産システムの原則である。

 

 KK問題は、後工程という日本社会に人間の不良品を流したと同じである。その製造責任者に責任がある。親の責任である。

 

私の人生

 出会った事件や降りかかった事件は、自分を成長させてくれるご縁である。その事件では、みんな同じ条件である。文句を言わず、その事件を解決する知恵を出して、対処する。その回数が多ければ、その分、大きく成長する。私はそうやってきた。回避したり、文句を言うだけで、何もしないのが一番悪い。その事例を避けても非難されない事例をも受け入れるが、人生修行である。

 大きな社会現象では、微力な自分ではなんともできない。しかし自分の範囲内(自工程)で、出来ることは当然として、できない事にでも最大限の努力をする。できなくてもよい。それの対策を考え続け、対策を打つだけでよい。大河に一滴を注ぐつもりで、成果が出なくてもよい。他からの援助が無くてよい。覚悟して取り組む。私の哲学「自工程完結」である。

 

大垣行政

 大垣行政に不満があれば、市役所に意見を出せばよい。お祈りしても大垣行政は良くならない。市民が黙ったままで行動しないから、汚役人はやりたい放題につけあがる。ゴミ袋有料化政策が良い例だ。

 ゴミ袋有料化議案に賛成投票をした市会議員に、次回の選挙で投票しなければよいのだ。議員の誰が市民の敵かを見極めよう。それが多くの市民のための慈しみの行動である。それが慈工程完結である。

 

2023-02-16  久志能幾研究所通信 2617  小田泰仙

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2023年2月15日 (水)

豊田章一郎 座有銘 天地人知仁勇、決断の成果

 

 豊田章一郎氏が2月14日に亡くなられた。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

久志能幾研究所通信: 豊田章一郎の座有銘 天地人知仁勇

yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2022/09/post-fff9.html

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 私は、豊田章一郎氏の座有銘「天地人知仁勇」を知り感銘を受けた。

  喜一郎はよく「天地人知仁」といっていた。企業にとって大切な要素がそれらだということです。タイミングがよくないといけない、場所もよくないといけない、それから人の和ですね。知は「知恵」、仁は「思いやり」。私流の解釈ですが、私はそれに「勇気」の勇をつけて「天地人知仁勇」を座右の銘にしております。(豊田章一郎)

 私は、トヨタの中興の祖・三代目社長石田退三が大事にしていた児玉源一郎のことばも大事にしている。

 「何でもわるいことに使う金でなければ、あとからそいつは何とでもなる。金のことをトヤカク考えていて、やらねばならぬことの時期を失するなぞ、おおよそ馬鹿げている」  石田退三著『トヨタ語録』P174 WAC

 この考えが、現地現物やジャストインタイムのトヨタ生産システムを生み、トヨタの世界展開を推進し、業務改革を推進し、世界一の自動車メーカに成長する礎となった。

 また、この考え方は、古希を迎えた私が、新しい家を買う決断を後押しすることになった。豊田章一郎氏の「天地人知仁勇」と児玉一造氏の「悪いことに使うのでなければ、カネは何とかなる」の教えを守ってきた因果である。トヨタ教の教義である。

 児玉一造は、明治から大正期の実業家で、東洋綿花株式会社(トーメンを経て豊田通商と合併)を創設した。児玉一造は、豊田利三郎トヨタ自動車工業初代社長の実兄である。石田退三氏の上司でもあった。

 

その決断の2年後

 私がその家を購入後、2023年で2年が経過した。その結果として当時、無謀な決断のように言われたが、現在、その決断をして良かったと回想している。

 この家は、現在、自分の仕事部屋、仕事の来客用の応接間、ピアノ室、写経室としても活用している。

 また自宅で溢れる本を収納するの書庫としても活用している。今回、本箱を12台も新設した。80 ×25 ×180㎝の本箱を12台である。

 現在、その家の倉庫は、町内の会議室として活用している。また町内の防災準備として水、食料品、防災トイレの仮保管庫としても提供しており、町内から感謝されている。

 また馬場恵峰先生の書の展示室としても活用している。山路徹先生作のテーブル等の作品も多数、設置出来ている。町内の会議室用として、山路先生にトチ材のテーブルを特注で作ってもらった。残りの4つのテーブルは、山路先生から無償提供を受けた。有難いことだ。きっと仏様からのご配慮だろう。だから今「悪いことに使うのでなければ、云々」の言葉を噛みしめている。

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 仕事部屋 兼 応接室  3つの机は山路徹先生作

 右手の机は、立って仕事をするための特注机。だから椅子はない。

 左手にあるドラフターの設置は長年の夢だった。

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 馬場恵峰先生書を展示する座敷

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  座敷  机と椅子は山路徹先生作

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 写経室 机は山路徹先生作

 

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 ピアノ室のヤマハNS1000M  スピーカー台は山路徹先生作

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 ピアノ室

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 集会場 兼 仮防災倉庫 100インチの電動スクリーンを設置

 5つの机は山路徹先生作、 奥は防災トイレと水、食料品の置場

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  山路先生作のトチのテーブル

  椅子は飛騨木工産で、山路先生から格安で譲ってもらった。


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  防災トイレと水、食料品のストック

  現在、町内の住民の1日分の防災トイレと水、食料品を備蓄中。

  順次3日間分に増やす予定。

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2023-02-15  久志能幾研究所通信 2616  小田泰仙

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2023年2月13日 (月)

宿命の東日本大震災、運命の新しき風を起こせ、Keep up Japan 

 

 2023年3月11日で、東日本大震災が起きてから12年である。干支が一巡する。厳しい訓練を経た選手が世界一の成績を上げる。同じように、日本は厳しい自然災害の訓練というべき試練を何度も受けてきた。それだけ日本民族は、より強靭となり、防災意識も高くなった。運命共同体の結束意識も高くなった。災害に対する対策を続けて、国土も強固になった。多くの地震被害を受けて、耐震強度のある家が増えた。防災環境も整ってきた。厳しい自然現象が日本人を育てた。

 それと比較すると他国の脆弱ぶりが明らかになる。2023年2月6日に起きたトルコ大地震では、東日本大震災を上回る死傷者が出ている。トルコには耐震強度のある家が少なかったようだ。火事場泥棒も頻発している。隣国で起きた地震でも、建物倒壊は日本の比ではない。

 

危機管理

 人知を超えた自然災害は、人間の手では為す術もない。出来ることは、その被害を最小限にする事前対策と、その後の手段を考えておくことだけだ。防災対策こそが危機管理である。それをやることが人生の強靭化である。

 

人生の災害

 そんな大きな自然災害でなくても、自分の人生では、交通事故、突然死、肉親の死、会社の倒産、受験失敗、左遷等、それに匹敵する災難が目白押しである。それで挫折してしまったら、人生の終わりである。災難で倒れることが恥ではない。そこから立ち上がれないのが、恥なのだ。

 そういう試練は、神仏が己を試している。これでも幸せになれるかい?と試している。宇宙という大きな世界で、自分というちっぽけな世界で生きている人間は、儚い存在だ。この自然界で大災害が起きて当たりまえである。

 己が自然災害の多い日本に生れたのは宿命である。その宿命の中、運命を良い方に変える取り組みをすればよい。だから心身ともに強くなればよい。倒されたら、起き上がればよい。過去の悲しみを慈しみ、人を励まし、未来を見つめて前進する。それが日本人だ。そうやって日本は前進してきた。先人の歴史を学ぼう。

 今、私は2035年±5年に起きると予想される南海トラフ大地震の準備で忙しい。

 

試練に立向かう

 私も会社では辛い目に何度もあってきた。それを打破しようと多くの本を読み、師を探し、研修会に参加して、自分を成長させてきた。試練が自分を育ててくれた。

 だから皇室特権を利用して、ぬくぬくと試験等の試練をやり過ごしてきたKK親子に、国民が共感するはずがない。言われなきバッシングを受けてきた現皇后陛下雅子様に、日本国民は、より親近感を抱くはずだ。

「新しい風」

 私は東日本大震災の被害を受けた人々の姿を表現した中島清画伯の「新しい風」をデパートで見付けて、購入し、自宅に飾った。それを見ていると勇気をもらえる。

 絵の右部は、災害を受けて悲しんでいる姿である。それに寄り添っている子の持つ袋に「Cheer up! Japan」の文字がある。

 中央部は仲間が被害者を励ましている姿である。国民が支援している姿である。被災者を見つめる子の帽子に「FUKUSHIM」の文字がある。

 左部は、その悲しみを乗り越え、未来を見据える子供の姿である。帽子に「Keep up Japan」の文字がある。そこに新しい風が吹いている。

 

山路徹先生作の台

 その絵のイーゼル代わりに使っている台は、山路徹先生作である。その台はもともとスピーカー台用に作ってもらった。それが不要になったので、このイーゼルとして再活用した。サマになって気に入っている。

 

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 右側部  過去の悲しみと国民の慈しみの目

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 左側部  未来を見つめる目

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   山路徹先生作の台

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2023-02-13  久志能幾研究所通信 2614  小田泰仙

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2023年2月 6日 (月)

人生劇場「生活芸」を育てる  緩慢なる洗脳殺人

 

 武智先生に受けた薫陶の中で、「一番いいものを見て一番いいものの中に育っていないと芸が貧しくなる」とよくおっしゃっていた。

 中村雁次郎著『私の履歴書⑨』日本経済新聞 2005年1月10日

 

 人生劇場で主人公として、良いものの中で育たないと自分の演ずる芸が貧しくなる。下品に洗脳されると、生活芸が貧困化して、人格が殺される。

 

 これは物理の法則である。「物理」とは物の「理」を学ぶ学問である。朱に交われば赤くなる。赤の絵の具と白の絵の具を混ぜれば、赤くなる。宇宙根源の理である。

 

一番良い親の背中

 子供は親のいうことは聞かない。親のやっている通りになる。子供は親に染まるのだ。私は両親の働く姿を見て育った。内職までして働いている両親を見て、私は遊んでいるわけにはいかない。

 

一番良い上司の影響

 いい上司の下で育つと、仕事の仕方が豊かになる。悪い上司の元で働くと、仕事の芸が貧しくなる。私は会社時代、多くに部長の下で働いたが、親会社から出向してきたО部長に感銘を受けた。その薫陶を受けて、私の仕事芸が変わった。

 今まで多くに上司に仕えてきた。私が間違い(上司に気に喰わない事)をすると、多くは感情に任せて怒ってきた。しかしО部長は叱るのだ。怒ると叱るとは違う。

 親会社では使い物にならない人間が、子会社に部長として出されてきた。その部長は部下を怒りまくり、多くの中間管理職を鬱病にしていった。それこそ緩慢なる洗脳殺人である。私は管理部署の職制として、その心が壊れた基幹職を受け入れた。また「管理部署は閑だろう」と、他の部署の課長が、心の壊れた若手(その課長が追い詰めたのだ)を多く送り込んできた。

 人は言葉一つで殺せるのだ。それは緩慢なる洗脳殺人である。

 

一番良い佛像彫刻を見て育つ

 私はこの10年間で、300体×2回×10年=6,000体の松本明慶佛像を見てきた。松本明慶佛像彫刻展は年間2回開催される。一回当たり、約300体の佛像が展示される。それが開催さると、私は東奔西走で必ず出向いて佛像を鑑賞した。お陰で佛像を見る眼が育った。

 「佛」とは「人」と「非」からなる象形文字で、人にあらずと書いて「佛」である。人ではない存在を形にした造形は、人の理想の形を心に刻む。

 

一番良い絵を見て育つ

 私はいままで世界の80館以上の美術館・博物館を回った。お陰で名画と呼ばれる作品を直接鑑賞することが出来きて、鑑賞眼が育ったようだ。

 私の名画の定義は、「捕まっても良いから盗んで、自宅に飾りたい絵」である。残念ながら、海外にはそんな絵は無かったので、盗まず、捕まらずに済んでいる。何億円の絵でも、バカでかくゴテゴテした古い油絵は日本家屋に似合わない。

 

一番良い友人と共に育つ

 日頃付き合う友の影響は大きい。自分と価値観の合った友人でないと切磋琢磨ができにくい。価値観の合わない人と一緒に居ると、どうしても相手に迎合することもあるから、自分の芸が目減りする。孟母三遷の教えで、良き友を選ぶのが大事だ。

 進学校で皆が必死に勉強をしている中、一緒に学び育つと自然と学ぶという「芸」が磨かれる。皆が遊び惚けている学校で育つと、その「学習芸」が貧しくなる。

 

一番良い師の元

 良い師が自分を育ててくれる。三年かけて師を探せ、である。師からの教えは薫陶である。霧の中を歩けば、自ずと衣が濡れるのだ。それと同じで、師と行動を共にすれば、その考えが伝わってくる。

 

一番いい言葉

 言葉の影響を受けるのは、自分である。人に吐く言葉でも、一番大きく影響を受けるのは自分だ。良い言葉を吐けば、自分が励まされる。悪い友と付き合い、後ろ向きの言葉を浴びれば、どうしてもマイナスの影響を受ける。それは人生芸の貧困化である。 

 

CMでの悪い影響

 毎日、ファストフードのCMを見せつけられれば、自然とその食品に手を出してしまう。体に良い食事への感性が鈍くなり、健康を考えて食べるという「喰う芸」が貧しくなる。食が豊かになり、日本人が総グルメになった。その結果が、2022年度の医療費44.2兆円越えである。しかし不健康病を併発した。「喰う芸」の貧しさが原因である。

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2023-02-06  久志能幾研究所通信 2607  小田泰仙

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2023年2月 2日 (木)

親戚付き合い、墓付き合い、はかない付き合い 

 

 知人は墓を建て、今まで疎遠であった親戚と新たに親戚付き合いを始めた。しかしその後、その家からは結婚式にも呼ばれないし、法事にも呼ばれないし、主が亡くなっても1ケ月も連絡がなく、その後、コロナ禍の影響で家族だけで葬儀は執り行うとの連絡が来たそうだ。つまり葬儀参列拒否である。親戚付き合い拒否の通知であるようだ。

 その人の心情や信心深さは言葉にしなくても、長年の人に対する行動で伝わってくる。

 だからコロナ禍の最中とはいえ、その行動には違和感があったようだ。その縁者には、親の後姿での教育が出来ていなかったと思うしかない。

 

 これでは「墓関係だけの付き合い」である。「墓付き合い」である。それは「墓が無い」と同じ、「はかない(墓無い? 儚い?)」付き合いである。それは現代の世相を表しているようだ。

 

コロナと共に去りぬ

 最近の結婚式は、上司などを呼ばず、近親の親族だけですませ、友人たちだけで別にパーティを開催するようだ。上司も遠縁の親族など呼ばないという。

 現代人は、人との関係を断ち切りたいと思っているようだ。スマホだけの虚構の世界に埋没する現代社会を象徴しているかのようだ。

 

 本来、日本の冠婚葬祭とは、ある意味で親族の生存確認である。また最近は、親族も遠く住んでいるケースが多く、滅多に会う機会が無い。その近況を確認し合うのが冠婚葬祭での集まりである。特に話があるわけではない。お互い顔を見るだけで安心できるのが血のつながった社会なのだ。それが昔から、一族郎党が厳しい世の中を生きてきて身に着けた生活の知恵である。

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人間関係の変化

 それが今はコロナ禍を大義名分に人間関係が消滅しようとしている。会社でも在宅勤務である。自宅で誰とも話さず、黙々とネットを通じて仕事をする。

 20年程前、私がバリバリの仕事人であったころ、メールでのやり取りに限界を感じて、なるべく直に会って話をするように心がけるようになった。当時は会社内でもメール文化が始り、大量のメールが行き来していた。室長ともなれば、一日に100~200通のメールが舞い込む。それをサバくために、メールの文章ではどうしても表現がきつくなり、けんか腰になりかねない状況に追い込まれる。特に、私のようにテクニカルライティングをマスターして文章にすると、キツイ表現になってしまう。

 またアメリカの心理学者アルバード・マレービアン博士の研究によれば、文章では、その言葉の7%しか相手に届かない。後は、声の質(高低)、大きさ、テンポで38%、顔の表情で55%の情報が伝わると言う。人間以外の動物は、全て言葉以外の非言語コミュケーションで済ませている。人間も動物の一つである。多くを非言語表現で真の意思を表している。

 だからメールでは真の心情は届かないのだ。それでコミュニケーションの限界を感じて、大事な情報の場合は、伝達の手段を変えた。つまりフェースフェースの直接対話である。それから見ると、現在はまだ当時より退歩してきているようだ。その対応は未成熟になったと感ずる。

 昔ながらの人情ある人間関係がコロナと共に去って行った。これで日本社会がより殺伐たる人間関係になる要因が増えた。これは小さな綻びである。それが今後拡大することが怖しい。少子高齢化社会で殺伐たる未来が見える。

 

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   「武道としての情報設計_C1_文書道」 より

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仏壇での後姿

 最近は家に仏壇のない家も増えた。ハウスメーカのモデルハウスに見学に行っても、仏壇を置くスペースが用意された家は皆無である。親が仏壇に手を合わせている姿が、子供への最大の教育なのだ。子供は親の言う通りにはならず、親がやっている通りになる。

 それはA宮家騒動を見ればわかる。KK問題でも、世代断絶の異常が垣間見える。「KK息子は父の墓前にお参りもせず、花を供えたことはない」と週刊誌報道である。KK息子が皇族と結婚できたのだから、そんな慶事は、渡米前に父の墓前に報告するのが人間の道である。それだけでKK母子の異常な行動が理解できる。私は、あのような人格(人欠く?)になりたくないと反面教師として眺めている。皇族は世の中の風潮を象徴しているようだ。

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2023-02-02  久志能幾研究所通信 2602  小田泰仙

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2023年1月28日 (土)

太上は ニコニコ黙って 腐縁切る

 

 太上とは、ファーストクラスに乗る人である。そういう人の行動を真似すると人生を成功に導ける。また幸せな人生にすることが出来る。昔の中国では、太上になるための教育方法を「孟母三遷」と言った。

 美月あきこ著『ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣』(祥伝社、2009年)によれば、ファーストクラスに乗る人は、CAにはほとんど負荷をかけず、お世話をしていて心地よいという。それがエコノミークラスやビジネスクラスに乗る人達との差だという。エコノミークラスやビジネスクラス乗る人たちは、CAに最大限のサービスを要求するという。ファーストクラスに乗る人はそんな意地汚いことはしないそうだ。

 そこに私は人生の縮図を見た。人生の航空旅行は、ファーストクラスに乗るつもりで生きていきたい。

 私の「死ぬまでにやりたい100項」の一つが、ファーストクラスで飛ぶことだが、まだ実現できていない。お金があるからファーストクラスに乗れるのではない。お金が出来て、なおかつその資格を仏さまが認めてくれたら、そのご褒美で乗れるのだと思う。そのために頑張りたい。

 しかし12時間ほどのフライトで、100万円は高すぎる。そんな考えの貧乏人根性ではファーストクラスに乗るのは無理ある。それよりも架空の人生航路でファーストクラスの人生を送ることを考えるのがよい。それが「太上は ニコニコ黙って 腐縁切る」である。人生は悪縁や腐縁を避けられれば、極楽のファーストクラスの人生を送れる。

 

悪縁・腐縁

 私はこの20年間、経営者向けの研修会に多く参加して、多くの社長と出会いがあった。しかし社長だから、人格者だと思っていたら、実際はピンからキリまでいることを発見した。社長といっても中小零細企業の社長である。大企業の人格ある社長とは違うのだ。社員数だって数人から数百人の会社まである。自分で起業すれば、誰でも社長である。だから全ての社長が人間的に出来ているはずがない。

 中には人格の高い人もいたが、その反面、詐欺同然のことをする社長、車検に出した私の車を営業車代わりに乗り回した自動車整備会社の社長、ドタキャンをして違約金まで踏み倒す非常識人、統一教会まがいの新興宗教を勧誘してくる社長等と様々な社長のくずが多くいた。

 私はそんな輩達とはすぐに縁を切ったので、大きな被害に遭わずにすんだ。

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道徳観念の無い社長に騙された

 G経営者研究会で知り合った自動車整備会社の社長に、自車の車検をお願いした。車検後、入れたはずのガソリンがほとんど無い。おかしいと思い、ドラレコを確認すると、その社長が私の車を営業車代わりに乗り回していることが録画されていた。なおかつ運転中に電話で営業活動をしていた。当時はハンズフリーの携帯がない時代で、法律違反である。

 それでその社長とは距離を置き、二度と車検は依頼していないし、付き合いも断った。10年ほど経つが、従業員が4名のその会社は全く発展していない。当たり前である。それが仏様のお裁きだろう。同じG経営研究会の仲間だからと信用した自分が愚かであった。

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宗狂社長から勧誘された

 新興宗教を勧誘してきたのはG経営研究会の元会長である。大きな会計事務所の会長とグルになって勧誘をしてきた。私は、その経営研究会が社長たちの集まりの元会長であったので、信用してしまった。それが大きな間違いであった。その教団は統一教会と同レベルの怖ろしい教団であった。

 下手をすれば、私は全財産を失い、失明するところであった。その教団では、入団すると太陽を見つめる修行が課される。その会長もその修行の話しはしなかったが、「前に何かのきっかけで失明寸前になった」ことがあると私に告白した。多分、太陽を見つめる修行をして失明寸前になったのだろう。弱視の私がその修行をすれば、失明確実であった。

 また信徒数と建てた教団本部建設費用から計算すると信徒一人当たり1千万以上の金が寄進として吸い上げられている

 その教団から脱会しようとすると、地域の信徒が大勢自宅に押し掛けてきて「無間地獄に堕ちるぞ」と大騒ぎをして脱退を阻止するという。

 数年前、岐阜県のある村長が襲撃される事件が起きた。犯人は捕まっていない。教団の新本部建設の用地問題で、それに関係していると噂になったが、真相は闇の中である。

 その家で葬儀があると、地域の信徒が全てを取り仕切り、香典は全て持ち去ってしまうという。

 私を救ったのはネット情報であった。一時は試しに入会して、ダメなら退団すればよいと安易に思っていたが、緊急事態として、入会儀式直前に、関係を断った。危ないところであった。

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経営者の倫理観無し

 G経営研究会のある経営者は、あるОB会のイベントの幹事を引き受け、ホテル予約のダブルブッキングをやらかした。その経営者は懇意のホテルに新規の予約をしたのだが、先に予約したホテルのキャンセルを忘れた。それでドタキャン扱いとなり、数10万円の違約金を請求された。その幹事は金が無いとホテルに泣きつき、1万円で勘弁してもらったという。かの経営者は金が無いと言いながら、ベンツを乗り回してした。その幹事はG経営研究会の有力幹部である。その経営者は、子供向きに論語の先生もやっていた。論語読みの論語知らずである。

 私はそのイベントの幹事に誘われ、途中まで一緒に活動した。しかしその過程で彼らの不誠実なやり方に呆れ、反吐が出て、私は幹事を降りた。それが正解であった。そのまま付き合っていれば大変なことになる処であった。

 私は、師の名誉の為にその後始末に走り回った。九州の師にも相談し、そのホテルに出向き、お詫びとして書も進呈した。

 その1年後、その幹事のゴ贔屓のホテルは耐震問題で、取り壊された。その思い出の出のホテルは跡形もない。仏様のお裁きだろう。

 先の道徳観念の無い社長とこの経営者は大の仲良しである。類は類を呼ぶのだろう。友を見ればその人の人格が分かる。

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住む世界が違う人との腐れ縁

 私のピアノ先生が、数年前、最期の演奏会を計画した。懇意の演奏家たちをドイツから招いての演奏会である。私は当時、先生の病状もその決意も知らなかった。私がそのチケット購入を先生と縁の深い事務局長にお願いしたら、「休みの日に、わざわざ出かけねばならないほどの演奏会ですか」と言われ購入を断られた。その答えを私から聞いて、先生曰く「あの人は住む世界が違うのよ」であった。それ以来、私はその人と縁を切った。

 その1年後、先生が突然亡くなられた。それは私には突然の訃報であった。その人は、通夜に来たが、義理で来たようで、焼香を済ませると早々に帰って行った。私はその姿を見て、縁を切って正解であったと確信した。

 

他山の石

 人生では悪縁と付き合うと、それに影響されて、自分の人生に悪影響を及ぼす。やんごとなき方のKK問題は、穢れた悪縁との付き合いが原因で、大騒動になった例である。

 それは仏教の縁起である。その悪縁を他山の石として学べばよい。他山とは多くの人の生き方の例を示す言葉である。その縁は玉石混交である。

 

縁切り

 出会った縁が、悪縁と認定出来たら、「いつもニコニコ、太上は黙って悪縁を切る」を実行しよう。悪縁の人に説教やアドバイスをしても無駄である。そんなことをすれば、逆恨みされるのがオチである。その人とは「この世では縁が無い」という縁をいただいたのだ。お釈迦様でも「仏の顔も三度まで」と仰せだ。そう思い、そっとその人から離れるのが、人生の危機管理である。別名「君子危うきに近寄らず」である。

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊

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2023-01-28  久志能幾研究所通信 2599  小田泰仙

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2023年1月15日 (日)

縁起 「この世で縁がない人」との付き合い方

 

 性善説、性悪説を唱えるのは儒教である。「全てのことは縁に始る」との縁起説は仏教である。これは恵峰先生の三回忌法要で圓鏡寺の住職様が、説法でこの教えを説かれた。

 私は、昨年12月24日に九州での恵峰先生の三回忌、昨日(1月14日)に東京での親戚の三回忌に参列して縁起説を意識した。恵峰先生は、儒教の「性善説、性悪説」の教えを否定された。性悪説に従えば、悪人がいくら勉学、修行をしても、善人にはなれないことになるからだ。

 

 仏教の縁起説では、人生は縁の出会いで始まる。良い出会いが、良い縁を招く。だから良き出会いを求めばならぬ。また出会いを良いものにする努力をしなければならない。

 その出会いは全て心が決める。心とはすなわち、その人の魂である。魂の向上を目指さないと、人生は豊かにならない。類は類を呼ぶからだ。

 

4k8a93721s 馬場恵峰書

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縁の多様性

 世間を騒がしているKK問題もやんごとなきお家の騒動も、全て悪縁、穢れた縁との付き合いから始まっている。縁起である。

 安陪さんを殺めた山上徹也容疑者も、その母が間違った教えの縁に関わったのが始まりである。間違った縁につながると、間違った思想に洗脳されてしまう。それから、いくら正気に戻そうとしても無駄である。

 

縁なきご縁

 親戚関係でも、相手がある考えに思い込むと(洗脳状態)、いくら当方が正論を言っても、理解しようとさえしない。だから話し合いが無駄である。それは山上徹也被告の母を説得して1億円のお布施を止めさせるようなものである。その人とは「この世では縁がない」という縁でつながっている。

 現在、私が分かり合えていない親戚たちは80歳以上である。もう時間が無く、生きている間に分かり合える縁もなかろう。それが、「この世では縁がない」という縁である。つい最近、その中の2名が亡くなった。私と分かり合えないままに世を去ったのだ。歳月という名の「佛様のお裁き」である。

 

 515事件では、犬養毅首相が「話せば分かる」というのに、反乱軍は「問答無用」と発砲した。此の世では縁がなかった。その極端な例の惨劇である。

 

 もしお釈迦様が生きておられて、習近平と話し合う機会があっても、ご縁が無いから、分かり合えないであろう。我々が思い違いの人との分かり合いが無理なのと、同じである。

 

全方位外交の愚

 日本には1億2千万人の人間がいる。全能でない凡人の我々は、その全てに人間と縁を結べるわけではない。限られた付き合いの中で、その縁を結んでも、「縁がない人」と無理に縁を結ぼうとするから軋轢が起きる。そういう縁には、近づかず、そっと縁を遠ざけるのが、賢い人の行動である。

 お釈迦様は、全ての人と仲良くせよとは仰せでない。お釈迦様でさえも、縁なき衆生を「縁なき衆生は度し難し」と突き放されている。お釈迦様ではない凡人の我々は、全ての人と平等に付き合うなど無理なのだ。

 第二次世界大戦中のドイツでヒトラーから迫害を受けたユダヤ人で、命を守れたのはドイツから逃げ出した人達だけであった。狂人のヒトラーと個人で戦うのは、狂気の沙汰なのだ。ライオンが襲ってきたら、ウサギのような我々は逃げるしかない。

 

 日本政府も狂国や敵国と、全方位友好外交をする必要はない。それなのに、ノー天気外交で、媚中派の岸田政権は、敵国、味方国の区別なく全方位友好外交を強行している。財界の太鼓持ちのマスコミに踊らされている現状は、痴呆症外交である。次の選挙で自民党にお灸を据えないと、日本国家が危なくなる。

 

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2023-01-15  久志能幾研究所通信 2589  小田泰仙

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2023年1月13日 (金)

「コンド―さん」と絶縁 ご縁のカンバン方式

 

 私は「今度、〇〇します」が口癖の人とは、意識的に縁を遠ざけている。そういう人には、「今度は」は永遠にやってこない。

 私ががんになり、それを伝えると、そういう人は「今度お見舞いに行くね」と言うが、その人が今だかって来たためしがなかった。現実に、そういう人が数人もいた。

 そのうちの一人から4年ぶりにメールの年賀が来て、「一度会いたいですね」と書いてあったので、何時もどうぞ、と返信したが、全く応答がない。

 私ががんになり、その件で、虚言を吐く多くの知人が明らかになり、喜ばしい限りだ。残り少ない人生で、そんな人と付き合いを避けることは、自分の人生時間を創造することなので嬉しいのだ。

 

 人生でやりたいことがあれば、今、やればよい。今度やろうとして、そんな「今度」は永遠にやってこない。いつやるの? 今でしょう!

 

トヨタ生産システム

 それをトヨタ生産システムでは、カンバン方式という。必要な時に必要な数だけを前工程から引いて、必要な数だけを生産して、後工程に流す。早からず、遅からず、である。 

 人生でやるべき事を確実にやっていれば、幸せのご縁は必ずやってくる。幸運の女神もトヨタ生産方式に則って幸運を生産している。トヨタ生産方式で生産すれば、効率的で、女神さまも楽なのだ。

 それが「縁ありて花開き、恩あって実を結ぶ」である。

  

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2023-01-13  久志能幾研究所通信 2588  小田泰仙

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2023年1月 3日 (火)

一念の計は、山籠もり禊にあり

 

 今年の大晦日と元旦は、大垣フォーラムホテルに籠って「一念の計(一年の計)」を考えた。山籠もりとして、ホテルの最高の部屋に籠り、外界の喧騒を断ち切り、冷水で身を清め、今までの人生の振り返り、今後の人生を考える時間を持てたのは、有意義であった。それは私の禊ぎでもあった。それが一事一心一念道である。

 大垣フォーラムホテルさんからの厚遇に感謝である。これも亡き馬場恵峰先生の陰ながらの御差配と感じた。

 

展望

 その修行は、ホテルの天井界(8階)にある一番大きな部屋を利用した。その部屋は通常の部屋の3倍の広さである。寝室も居間とは別にあり、トイレも洗面台もクローゼットも2つある部屋である。居間には台所の流しも備わっている。宮様も利用するお部屋である。天上界からの展望も素晴らしく、初日の出(ただし1月2日。元旦は寝過ごして拝めなかった)も拝めた。冷水シャワーで身も清めた。

 また展望の視野内に、元三洋電機(羽島市)のアーチ型の巨大なソーラーパネルも眺められて、その最後の姿を拝んだ。このパネルは今年中には撤去されるとのこと。時代の流れを感じた。その現実に万物の生老病死を突き付けられた。生物だけではなく、建物にも生老病死があり、永遠の命はないことを思い知らされた。

 やりたいことが出来るのは、生きているうち、今のうちなのだ。自分の今までの人生を展望して、残りの人生を精一杯に生きようと決意した。今、生きていることが奇跡なのだ。

 人の生は偶然だが、死は必然である。

 人生計画は死から逆算して、立案すべきである。

 いつまでもあると思うな 親と自分の命。

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    天井界の部屋

 

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       元三洋電機のアーチ型ソーラーパネル  ホテル8階の部屋より   2023年1月2日

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振り返り

生老病死、ご縁は夢幻

 この部屋は、2018年4月、私が馬場恵峰先生ご夫妻を彦根と関ヶ原合戦場跡に案内した後、大垣で恵峰先生をお泊めした部屋である。翌日、私は恵峰先生ご夫妻を名鉄犬山ホテルへレクサスLSでお送りした。三根子先生に大変喜んでもらえて幸せであった。

 そのレクサスLSも、恵峰先生が大垣に来られることが決まり、それならばと構えていたら、ご縁で直前に入手できた。しかし、私はレクサスLSの維持費の高さに音を上げて2年後には手放した。別荘と二号さんは、持ってはならないのだ。乗らない時の維持費が大変なのだ。しかしそれも良きご縁で、よき経験であった。早からず、遅からず、ご縁はやってくる。恵峰先生ご夫妻をレクサスLSで送迎できたことは稀有の必然のようなご縁であった。今は、レクサスLSを買う気になれない。それは佛のご差配であったようだ。レクサスLS所有は108の夢の一つであったが、実際それを所有して見ると、「ああこんなもんか」と現実に目が覚めるのだ。それも良き経験である。今ではそれは夢幻であった。それも人生を振り返るための貴重な経験である。人生ではやってはいけないことをやってみて、やってはならないと悟るのだ。人とは愚かな存在だ。

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「佛様のお裁き」 

 その翌日の10月21日、馬場恵峰先生は塾ОB会の講師として、名鉄犬山ホテルに泊られた。しかしそのホテルは1年後の2019年8月に急に閉鎖された。耐震強度問題が露見して、安全上の観点で、取り壊されてこの世から消滅した。それも因果である。先生が泊まられた時、事故が起きなくてよかったと思う。宿泊客の命を最優先にした名鉄さんの決断は素晴らしいと思う。建物さえ、生老病死の因縁があり、あっという間に消滅する。まるで人の生死のようだ。

 それが今回、ご縁があり、私自身が大垣フォーラムホテルのその部屋に泊まることになった。自分でその部屋に泊まってみて、恵峰先生ご夫妻を極上のいい部屋にお泊めして良かったと改めて思った。

 翌日に恵峰先生が泊まられた名鉄犬山ホテルの部屋は普通室であった。馬場恵峰先生はその会の講演者なのだから、一般よりも格上の部屋にすべきだと思う。それが講師の先生への敬意である。

 その酷い扱いに比べて、私はよいことをしたと、改めて4年前のことを思い出し、嬉しくなった。それは名鉄犬山ホテルを予約した幹事達の人格の低さから起きた事件である。人格に低い人間は、何をやってもダメなのだ。当時、私はその幹事たちと事前準備をしている途中で、彼らの人格の低さに反吐が出て、私は幹事役を辞退して縁を切った。

 「佛様のお裁き」が、幹事達のドタキャンの露見とその後の不祥事である。そしてその思い出のホテルの取り壊しである。私は、その時の自分の絶縁の決断を褒めてあげたいと思う。悪縁と付き合うと、その分の大事な人生時間が潰される。

 そのOB会の直前、その幹事たちのドタキャン失態が露見した。私はその幹事役を降りていたので関係が無かった。しかし馬場恵峰先生の名誉のため、私はその後始末に走り回ることになった。恵峰先生と相談して、迷惑をかけた旅館に塾ОBの代表としてお詫びをして、先生の書を進呈した。その書は「縁あって花開き、恩あって実を結ぶ」の掛け軸であった。

 違和感を覚える人との付き合いは、心配が現実の危ない事件に発展する。この件で、よき知恵を授かった。その感性を大事にすることが危機管理である。

P1100226s 名鉄犬山ホテル   2018‎年‎3‎月‎27‎日撮影(事前調査で訪問)

 その1年後、取り壊された。その跡地には2022年3月1日、新しいホテルが開業した。

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  名鉄犬山ホテル前の駐車場で  この車で恵峰先生を送迎した。

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歳月人を待たず

 その翌年の2019年2月、私はガンの手術を受け、病床に伏した。手遅れ寸前で5年後の生存率は、51%の状態であった。なんとか生き延びることが出来た。佛さまが助けて下さったようだ。

 その10か月後の2019年12月13日、恵峰先生は自身の死を悟られたようで、中国へお世話になった方々に最後の挨拶をするため中国旅行に出発された。その前日、「夕焼け小焼け」の童謡の意味を先生の教室で解説された。それが恵峰先生の生徒たちへの最後のメッセージであったようだ。三根子先生は、その3か月後の2020年3月3日に突然、亡くなられた。それから新型コロナウイルスが猛威を振るい、私が九州に行けなくなり、8か月が経ったら、恵峰先生が倒れられた。その後、一月ほど寝込まれ2021年1月1日、亡くなられた。

 恵峰先生が死の床で繰り返し口にされたのは、「縁あって花開き、恩あって実を結ぶ」、「ありがとう、ありがとう」の感謝の言葉であった。

 もう恵峰先生をこの大垣フォーラムホテルの部屋にお泊めする機会はこない。私は1週間前(2022年12月24日)に馬場恵峰先生の三回忌に参列したばかりで、一連の流れに、歳月人を待たず、を痛感した。

 故馬場恵峰先生の高台に立つ図書館2階の書斎からは、長崎空港、九州高速道路、長崎新幹線(当時は建設途中)が眺められて、恵峰先生は、よく思索にふけっておられた。このホテル8階からの眺めも、同じように、名神高速道路の車、東海道新幹線の走る姿が眺められて、感慨にふけさせられた。

 

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 日中文化資料館の図書館2階からの眺め  2011年4月2日

  大村湾の長崎空港と目の前に九州高速道路と長崎新幹線の予定地が見える。

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今後の計画

ホテルでのお仕事

 私は、その部屋の6人用会議机に資料を広げ、もう一つの机にはノートPCを置き、人生計画作成のお仕事に没頭した。作業エリアが広く、資料を広げたままに出来るため、私は今までになく快適に思索を練ることが出来た。年に一度、静かな環境で自分の人生を振り返ることは良いことだ。

 部屋には計2台の大型テレビが設置されていたが(居間に1台、寝室に1台)、一度も電源は入れなかった。未来の計画をして夢を見たいのに、下世話で騒々しいテレビなど見る気にならない。

 禁酒しているので酒は一滴も飲まず、コーヒーと白湯だけで過ごした。この宿泊は、今までの穢れを落とす山籠もりの禊なのだから。

 

持ち込んだ資料は、

 「人生計画・自戒」のクリアファイル、

 「死ぬまでにやりたい108の夢」のクリアファイル、

 「人生の課題」のクリアファイル、

 青山俊董著『わが人生をどう料理するか』、

  叔母が青山俊董堂長より頂いた本で、叔母が私に贈ってくれた。

  青山俊董堂長は、私の叔母(京都の尼寺の住職)の師である。

 田口佳史著『超訳 言志四録』、

 松本明慶友の会会誌「苦楽吉祥」最新号、

 大村智博士の新聞記事、

 書抜きした京大カードから抜粋した約50枚で、ある。

 

 「人生計画・自戒」のクリアファイルには、「18歳から105歳までの人生実績・計画表」、自戒の言葉、「家系図」、研修記録、自分の性格分析等がファイルされている。自戒の言葉や年度計画も40年前からの資料が残してある。その変遷が、それで自分の歴史であり、自分の成長も辿れる。年に一度、それらを見直して今後の10年間の予定を考えている。

 「108の夢」のクリアファイル、には「死ぬまでにやりたい108の夢」の資料がファイルされている。今までの実績、これからやりたいことのリストを更新した。まだやりたいことが108個まで出しきれていないのが残念だ。紙にやりたいことを書いておくと、自然と実現するものだ。夢の実現には、まず見える形にするのが、秘訣である。

 「課題」のクリアファイルには、教育問題、認知症問題、少子化問題、日本再生、大垣再生、資金調達等の自分で考えたいテーマの資料(雑誌の切り抜き等)をファイルしている。それを見直して、新たな知見を書き込んだ。

 溜め込んだ情報と知識を、賢さで智慧に消化すると新たな知見が浮かんでくる。そのために場を変えてみるのも効果があった。それも極端に変えるのも良いことだ。それで惰性の人生が変えられる。

 ニュートンの運動力学第一法則は、止まっているものは永遠に止まっている、である。それを変えるには、少しの力を与えればよい。

 

 

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 大きな机の上に広げた資料を展望

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永眠の練習

 部屋の寝室には大きなダブルベッドと普通サイズ(それでもデカい)のベッドの2つが設置されていた。貧乏性の私は初日は、大きなダブルベッドは遠慮して、普通サイズのベッドで寝た。しかし翌日の夜、気を取り直して、使えるものを使わないと勿体ないと考え直し、2日目は大きなダブルベッドを使って、永眠の練習をした。お陰で熟睡が出来きて、日の出前に目が覚め、2日の日の出を拝むことが出来た。

 人は毎日が永眠の練習である。一生の内、一度だけ目が覚めない時がある。それが永眠(死)である。私は次の言葉が大好きだ。

 よく働いた一日は、安らかな眠りが与えられる。よく働いた一生は安らかな永眠を賜る。

             ゲーテ

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2023-01-03  久志能幾研究所通信 2581  小田泰仙

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2022年12月28日 (水)

宗教はウーバーイーツと同じ

宗教とはご先祖の教え

 宗教の「宗」は、「ウ冠」と「示」からなる象形文字である。ウ冠は我家の事、「示」は神事でお供えや生贄を置く台の象形文字である。つまりその家の教えが宗教である。言うなればご先祖から伝わる家訓である。

 つまり仏教とは、お釈迦様(仏の悟りを開かれた方)の説かれた教えである。キリスト教はキリスト様の教えである。すべてを称して宗教である。

 家訓とは、「正直であれ、勤勉であれ、盗むな、人を殺すな」等のその家の教えである。三井家の家訓、豊田家の家訓、住友家の家訓の内容は、まるで宗教の経典と同じである。すばらしい家訓がその家を繁栄に導いた。神様が繁栄に導いたわけではない。ご先祖の教えが家を繁栄に導いたのだ。いわば人生を生きていくための家庭料理法のようなレシピである。

 その例として住友家の家訓を文末に示す。住友財閥は、日本の三大財閥の1つで、ロスチャイルド財閥を超える世界最古の財閥である。その歴史は400年以上前にさかのぼる。

  それに対して仏教やキリスト教やイスラム教の三大宗教は、全国チェーン店レストランのレシピである。そのレシピは家庭料理と中身が大きく変わるわけではない。言っていることは、人間として当たり前のことを戒律として定めただけだ。家庭料理と外食レストラン(大量生産、大衆向け)の料理の中身が同じであるのに似ている。

 まるでスマホで外食を頼むウーバーイーツ(Uber Eat)と同じで、信じる宗教(好きな料理)を何処に頼むかで、配達される料理が変わる。日本では新興宗教が跋扈しているので、すこし宗教の興味を持てば、信徒獲得に飢えた新興宗教団体が入会勧誘に飛んでくる。まるでウーバーイーツの出前と同じである。

 Uber Eats の登録店舗数が2021年に 10 万店を超えた。Uber Eats は2016 年 9 月に東京で 150 のレストランパートナーとして始まり、現在 Uber Eats は 35 都市以上で展開している。

 日本には18万余の宗教団体があるという。その数はUber Eatsといい勝負である。日本では、一人平均2~3個の宗教を信じているようだ。それは馴染みの個人営業の飲食店(Uber Eat)があると同じである。

 

日本の宗教の実態

 日本の信者数は2億1972万人、日本の宗教法人総数は18万3581(文化庁 1994年度『宗教年鑑』より)。日本の人口は1億2千万人だが、統計によると、一人2つぐらいの宗教を掛け持ちしているようだ。意思を持って信者になるには、高校生くらいにならないと思想が確立しないだろう。それを考えると8,000万人が信者候補である。だから一人で3つぐらいの宗教を信じているようだ。つまり神様、仏様、鬼太郎様である。日本人はキリスト教のように一神教でないので、節操がない。

 

オダブツ教

 だから自分の家の代々の家訓をその家の宗教として子供に教えればよい。小田家の家訓を宗教にしたのが、オダブツ教である。世界の宗教の本質は同じである。その宗教が生まれた環境でその戒律が変わる。貧乏な家の家訓と裕福な家の家訓が違うように、温暖な環境の地で生まれた仏教は穏やかな戒律である。厳しい砂漠の環境で生まれたユダヤ教、キリスト教は厳しい戒律を信徒に課している。

 しかしその本質は同じである。宗教とは茶筒を環境により切り方を変えて見える世界の差と同じである。茶筒を横に切れば丸、縦に切れば長方形、斜めに切れば楕円形である。見える形は違うが本質は同じである。まるで盲人が像を撫でて、その形態を他人に伝えると同じである。愚かな人間にはその本質を伝えきれない。

 

新興宗教の怖ろしさ

 家庭料理と外食レストランの差は、それに洗脳という調味料が有るか無いかである。その調味料は麻薬のようなものだ。それに気が付くかどうかで、人生が変わる。ある人は、麻薬のような調味料に洗脳されて、一億円もお布施を出す事件が起きた。そのバタフライ効果で、安陪さんが殺された。宗教とは何かを自分で考えず、宗教に嵌った人の末路である。

 宗教とは我が家の教え、助けてくれるのは自分と悟れば、人生に破綻はない。

 ベートベン曰く「神に頼るとは何事か。自分で解決せよ」と。

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資料

住友家 家訓

1. 主務の権限を越え、専断の所為あるべからず。

2. 職務により自己の利を図るべからず。

3. 一時の機に投じ、目前の利に走り、危険の行為あるべからず。

4. 職務上過誤、失策、怠慢、疎漏なきを要す。

5. 職務上に係り許可を受けずして、他より金銭物品を受領し又は私借すべからず。

6. 名誉を害し、信用を傷つくるの挙動あるべからず。

7. 私事に関する金銭の取引その他証書類には各店、各部の銘柄をもちうべからず。

8. 廉恥を重んじ、貧汚の所為あるべからず。

9. 自他共同して他人の毀誉褒貶に関して私議すべからず。

10. 機密の事を漏洩すべからず。

11. わが営業は信用を重んじ、確実を旨とし、もって一家の強固隆盛を期す。

12. わが営業は時勢の変遷・理財の得失をはかり、弛張興廃することあるべしといえども、いやしくも浮利に走り軽進すべからず。

13. 予州別子銅山の鉱業は我が一家累代の財本にしてその業の深長は実に我が一家の隆衰に関す。よろしく旧来の事跡に徹して将来の便宜をはかり、ますます盛大ならしむべきものとす。

 

  

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2022-12-27  久志能幾研究所通信 2576  小田泰仙

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