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2023年4月10日 (月)

生きるとは

 

 生きるとは、「必ず死ぬ命」を抱えて、過去、未来を振り切り、今を自分に与えられたお役目に全力で取り組む活動である。

 

 私は人生を2005年3月27日に、そう定義した。先日、過去の京大カードの中からこの言葉を発見した。2005年とは、定年の5年前である

 

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 活動をせず、無為に生き永らえるだけでは、生きたとは言わない。人生で何をやったかが問われる。そう思ってがむしゃらに生きてきた。

 

 お役目とは天命である。そのお役目は、「私」にではなく、「自分」に与えられたお役である。

 

 自分と言う存在は、ご先祖を10代前に遡ると1024人の親が存在する。そのご先祖1024人以上の家系の代表として、DNAを引き継ぎ、今を生きている。

 

 人は人生劇場で、お役が与えられる。主役の王様の役も有れば、脇役もある。奴隷の役もある。天が差配した役をえり好みはできない。その役も、時代と場所で位置付けが変わる。その時代も場所も親も自分では選択できない。

 

 自分が戦争時代に生れて、特攻隊に選ばれたやも知れぬ。戦争に一兵卒として駆り出され、ソ連のシベリアに抑留されなかったことを喜ぼう。終戦後、父と叔父がシベリア抑留の身となり、叔父はシベリアの土になった。

 

 自分とは、全体の中の「自ら」の「分」である。周りに支えられた存在である。

 それに対して「私」とは、利己の世界である。「私」とは、稲(のぎ偏)を、腕(ム)で抱え込んだ姿の象形文字である。

 

2023-04-09  久志能幾研究所通信 2663号  小田泰仙

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2023年4月 3日 (月)

宗教団体脱会後(7/12) 生前火葬から逃走

自尊心と誇りが燃やされ灰になる

部長の末路

 定年退職とは生前葬である。定年延長として会社に残ると会社で「生前火葬」の葬儀がある。生前火葬では魂が焼かれる。生前葬が終わったのだから部長、課長の肩書は剥奪され、無地の白い名刺となる。白い経帷子のような派遣社員制服を着る。そして自分より能力の低い部下に、引導を渡される。派遣社員扱いで働かされ、自分の自尊心と誇りが燃やされ灰にされる。職位権限がないので、周りから軽んじられる。2,3年も務めると焼きもちの火よりも強烈で、長時間の火力に嫌気がさす。満期の5年の刑期を務める人は稀である。よほど面の皮が厚いか心臓に毛が生えているか、家のローンが残っているかでないと、続かない。その定年後の5年間で、すっかり精力、気力が燃やされて、魂の抜け殻だけが残り、生前火葬が終了する。あとは徘徊の人生が待っている。

 

料理長の末路

 職人の世界でも、辣腕の料理長として長年君臨していても、定年になって元の職場で働けば、若造から「ジジイ」扱いされ、「おいジジイ、この皿洗っとけ」である。「ジジイ」ならまだましで、「クソジジイ」ではプライドも消滅である。

 

逆縁の菩薩

 私は定年後の元部長が、昔の部下の課長の下でヘイコラとしている卑屈な姿を見て、定年後に会社に残るのをやめた。定年後の悲惨さを教えてくれた元部長は逆縁の菩薩であった。

 定年後の5年間で仕事は同じ、給与は半分以下で働けば、精力と気力を使い果し、その後の起業がほぼ困難になる。定年後の起業には体力も気力もいる。その大事な時期を生前火葬で灰にされてはかなわない。定年と言う生前葬が終わったら、その後は人生の主として歩みたい。裕福でも奴隷生活は嫌である。

 

コンビニ店の奴隷並みに転落

 定年後、会社に残って働けば、元基幹職でも給与は約三分の一に激減する。それでも年金よりは倍近く多い。定年後の計画がないなら、それでもかまわない。それでは、年間1,800時間の自由が奪われる。定年後の自由時間は、サラリーマンという奴隷生活から解放された黄金の時間である。

 年金での生活にプラス150万円程を稼ぐために1,800時間の自由時間が奪われる。150万円を1,800時間で割ると、ファーストフード店やコンビニのアルバイトの時給以下となる。

 時給 1,500,000円÷1,800時間=833円/時間

 

 会社は、経験豊かな人材を格安でこき使える。自分の老計・死計を考えると、有益な選択肢ではない。それで私は、早期入棺を拒否し、生前火葬から逃走した次第である。

 

生前火葬から逃走

 誰にでも守るべき自尊心がある。それを放棄するのは奴隷の人生である。還暦まで生きてきて、そこまで落ちぶれたくはない。私は、絡め手の引き留め工作を振り切って、焼かれる前に逃亡した。生前火葬からの逃走後に、多くのご縁が生まれた。生前火葬されていれば、新しい人生は生まれなかった。

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現代社会の病

 現代の日本社会が停滞しているというが、現在の会社組織が持てる人材を有効活用せず、経験豊富な人財を奴隷のように処遇している結果なのだ。年功序列を捨て、安易な拝金主義に染まった結果が、今の日本の没落なのだ。1%の富裕層と99%の貧民層の格差社会を生む真因である。そこを見直さないと、日本の復活はない。

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  馬場恵峰書

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2023-04-03  久志能幾研究所通信 2660  小田泰仙

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2023年4月 1日 (土)

宗教団体脱会後(5/12) 良く死ぬとは、NYの夢幻

 

 何もせず、無為に生き永らえるのは醜い末路だ。生涯現役で働いている姿は美しい。定年まで働けば、社会に対する義務は果たしたことになる。会社で働かなくなったら、その分、社会に貢献するために働けばよい。それが良く死ぬことだ。どうせ、人間は絶対に死ぬのだ。死ぬ時、後悔しないため、良く死ねるように行動したい。

 

 人は死後、何を集めたかでは評価されない。何を与えたかである。自分の人生と世の中にどんな感動を与えたかである。

 死ぬ時に思うことは、素晴らしい人生ではなくても、素晴らしく楽しんだ人生でありたい。それが良く死ぬことだ。

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大きな後悔

 死ぬ時の後悔とは、やりたいことをやってなかった後悔だ。人は何時までも若くはない。若い時にやれたことが、老いるとできなくなる。人は永遠には生きられない。生きているうちに、動けるうちに、やりたいことをやる。それがやれてなかったことが、死ぬときの大きな後悔となる。

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良く死ぬための条件

 いくら金があっても、健康でなければ旅行にも行けない。人にも会えない。美味しいものも食べられない。ましてや仕事もできない。良く死ぬためには健康であるべきだ。寝たきりで生きながらえても、生きたことにはならない。船が港を出て出航しても、その湾内を長い間、漂流しているだけでは、長い航路をしたことにはならないと同じだ。最期の1か月ほどは致し方ないが、それまでは現役で動き回るように体を健康に保つ取り組みをすることだ。馬場恵峰師も、94歳まで現役で過ごされた。死の直前の一か月ほど寝込まれただけだ。

 健康とは体と心の健やかさである。そのために日頃の節制が必要だ。

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大垣をよくするため

  大垣市の行政の恥部を世間に晒すのも、大垣をよくするための行動である。健全なる精神と体でなければ、大垣の恥部は見えない。恥部を明らかすれば、大垣市の皆さんが目覚めて、立ち上がってくれる。大垣をよくするための行動を取ってから引退すれば、良く死ぬことになる。市民が目覚めれば、大垣は良くなる。大垣は当時、西濃の小京都と呼ばれたのだ。大垣を良くするきっかけを作れば、あの世に逝ったとき、大垣を建設した先人たちからも褒めてもらえるだろう。

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 馬場恵峰書

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ニューヨークの記憶

 私は1994年、ニューヨークに10日間の旅行をした。その時に歩いた総距離が114㎞である。一日平均16㎞の歩きである。万歩計を付けて、ニューヨークの街を一日中歩いていた。下記の表は、その記録である。

 しかし今、私に同じことをできる体力はない。いい時に行って、いい思い出が作れて良かったと思う。今ならコロナ禍で海外にも行けない。

 また当時、世界貿易センタービルの最上階104階に上って、ニューヨークの摩天楼群を見下ろすことが出来た。その7年後、911テロで世界貿易センタービルは消滅してしまった。もう上りたくても、そのビルがないのだ。私には、人生の一期一会を象徴する事件であった。

 

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世界貿易センタービル104階からの展望

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 世界貿易センタービル104階から下を見る

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 世界貿易センタービル104階から自由の女神像が見える

 

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 フェリーからの眺め 

 右手に世界貿易センタービル、左手に自由の女神像が見える。

 もうこの世では眺めることができない姿である

 

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 馬場恵峰書
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2023-03-31  久志能幾研究所通信 2657  小田泰仙

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2023年3月28日 (火)

柴田節郎陶展 青磁の季節 決断の季節

 

 柴田節郎陶展で見つけた素敵な青磁を購入した。この茶碗で白湯を飲むつもりだ。今でも私は毎朝、起きた時に白湯を一杯飲んでいる。体には白湯が一番よい。よい器でよい飲み物を飲む。それが心身ともよい効果を得られる。百金の器では、魂の成長がないだろう。

 私が朝一番に飲むのはコーヒではなく、白湯である。白湯は50℃から60℃くらいが最適である。今は白湯でも、わざわざ沸騰させてから温度を下げなくても、温度設定できる電気ケルトでそれが可能となった。

 白湯として一度、水を沸騰させるのは、昔は浄水器がなかったからだ。水道水のカルキ等を除去するのには、沸騰させる必要があったから。

 

 

白湯の効果

 白湯を飲むと、胃腸全体が温まり活性化する。胃腸が活性化すると消化が促進され、老廃物の排泄も促進される。それで便秘防止となる。

 白湯を飲むと内臓が温まる。その結果、基礎代謝が上がる。基礎代謝が約1割上がる。その結果、血液のめぐりが良くなり、冷え性の改善や脂肪燃焼による肥満防止にもなる。身体が温まるとリンパの流れや血流が良くなり、体調がよくなる。

 

後日談

 10日ほど前、私はこの青磁の茶碗を買う予約した。先日、知人が柴田節郎陶展に来て、それを気に入って注文を入れた。しかし既に私がツバを付けていたので叶わなかった。

 芸術品との出会いは、一瞬である。一期一会である。その時、買う決断をしないと永遠にお別れである。先に買うと決断して予約を入れておいてよかった。

 決断もその決断をする回数で決断力が養われる。要は経験数で勝負である。失敗をしてもいいから、多くの決断をすることだ。小さな決断を多くすると、大きな決断はさりげなく出来る。

 

 

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 柴田節郎作 青磁茶碗    右側の茶碗を購入 (Saganにて)

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   自宅で撮影

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 波佐見焼  字は馬場恵峰書

 

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 波佐見焼  字は馬場恵峰書

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2023-03-28  久志能幾研究所通信 2655号  小田泰仙

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2023年3月27日 (月)

宗教団体から脱会後(4/12) 酒からの解脱

 

完全断酒

 酒は頭の働きを麻痺させる薬物である。酒は教団の悪口、上司の悪口の発散手段として活用されてきた。しかし薬物の力を借りて、仲良くするような宴会は宗教団体の儀式と同じである。

 

 それも退団(退職)すれば、そんなことで酒を飲む必要もない。酒は少量でもがん発生の毒物である。若い時は免疫力も高いから問題が起きにくい。しかし退職する還暦ともなれば、免疫力も若い時の数分の1程度に下がる。だからその毒の全身へのダメージも大きくなる。だから断酒が望ましい。

 

 私は定年の前後で、数回、宴会で救急車を呼ばれる事態が発生した。それを契機に完全禁酒とした。私は酒に弱く、飲むと寝てしまう。それを周りが焦って救急車を呼んでしまうのだ。これ以上周りに迷惑をかけてはならないと思い、完全禁酒とした。

 

 酒は世界保健機関(WHO)の定義では、薬物である。食品は胃で消化吸収であるが、酒のアルコールは肝臓で、薬物と同じ工程で分解、無毒化、体外排出である。その分、肝臓の細胞に負荷をかける(細胞が死滅する)。頭の働きも麻痺させる。だから宴会とは薬物パーティである。

 

お布施

 酒の価格には、日本政府教団へのお布施が半分以上も占める。酒の価格の半分は税金である。その酒で飲んべえが病気になれば、政府教団は、医者を通してがっぽりと医療費としてカネを巻き上げる。酒が原因の無駄なお布施は止めよう。

 

酒の害

 酒の毒で、年間300万人が死ぬ(WHO公表)。日本では年間約3万人が死ぬ(WHO公表値から推定)。マスコミはこの件は声を小さくして報道する。

 正義の味方のはずのマスコミも、酒メーカらの広告収入が莫大なため、酒の弊害については何も言わない。それどころか日経新聞では、日本酒特集、焼酎特集、洋酒特集といった日曜日特別版まで発行する始末である。

 「酒はほどほどにするから、大丈夫」と酒飲みは言うが、そのブレーキの理性を破壊するのが酒である。酒を飲んで、ほどほどはあり得ない。

 酒で病気になる人が増えれば、国の総医療費が上がり、結果として健康保険料が高くなる。福祉に回るカネも防衛費に回る金も減る。酒飲みは国賊者である。

 

【2018年9月22日 AFP】世界保健機関(WHO)は21日、飲酒が原因で年間300万人が死亡しており、その数はエイズ(AIDS、後天性免疫不全症候群)や暴力、交通事故による死者数の合計を上回るとする報告書を発表した。このうち4分の3以上が男性だという。

 

 定年後に、酒を飲むだけが楽しみとは、人間として情けない。それは酒の奴隷である。定年後は奴隷解放として、酒という支配者から解脱しよう。

 私は一時は酒に洗脳され、ニューヨークまで行って2000ドルのデキャンタまで買う狂気を演じた。しかし天罰(としか思えない)で、そのガラスコップの一つを割ってしまった。美人薄命である。

 美しものにはトゲある。美味しいものには毒がある。

 

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2023-03-27  久志能幾研究所通信 2653号  小田泰仙

         ブログ開始後 2132日目

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2023年3月24日 (金)

宗教団体から脱会後(2/12) 自分ファースト

 

全ては自分の幸せの為

 今までは猪突猛進のトヨタ教信徒として、教祖様の為、教団の為、お国の為に滅私奉公してきた。モーレツ社員とも揶揄されたこともあった。私は脇目も振らず、準ブラック企業で、高度経済成長期を仕事一筋に駆け抜けてきた。

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高度経済成長からバブル崩壊

 1973年から1990年の18年間で、前職の会社の売り上げは6.8倍に急成長した。その前の1966年から1972年までの6年間の成長は2.13倍である。毎年30%以上の成長である。平成時代の30年間で日本経済の成長率がゼロであった惨状から見れば、当時は本当に高度経済成長期であった。

 そして1991年にバブルが崩壊して、私の前職の事業部の売上は70%も減ってしまい、経営危機になった。そしてリストラが始まった。天国から地獄に突き落とされたのだ。当時の同業他社も多く倒産した。私はその社内リストラの前に昇格して、好調な事業部に異動となっていた。塞翁が馬である。

 リストラと言っても、社内の人員配置変更である。首切りではない。それがトヨタ教の凄さで、他社のような希望退職(首切り)はなかった。

 

 平成不況時以降に入社して働いてきた若者に比べれば、私の時代は幸せであった。頑張っただけの成果も手に入ったので、不幸とは感じなかった。しかし、今、冷静に当時を振り返ると、少々洗脳されていたようだ。

 

教祖様として生きる

 だから退団後は、自分が「自分人生有限会社」の教祖様として、自分の幸せの為に生きるつもりだ。今は洗脳された頭を正常に戻す「修行」に力を入れている。

 しかし還暦後に、自分を幸せにする時間は、少ない。そのことに思い至らず、時間など無限にあると錯覚している人は多い。日本人の平均寿命は81歳であるが、健康寿命は72歳である。72歳を過ぎれば、病院通いか、寝たきりか、認知症になる人が大半である。還暦後は、健康で走り回れる時間が12年しかない現実を正視すべきだ。

 

 自分は何のために生れてきたのか。最低でも一人に人間を幸せにする義務が私にはある。その一人が自分である。そのための残された時間は12年である。定年延長などすれば、時間はほとんどなくなる。だから私は定年延長せず辞めた。

 

天上天下唯我独尊

 お釈迦様が、ある王子から人生相談をされた。王子は妻からの「私とあなたと何方が大切か」との問いに悩まれていた。お釈迦様は、「自分も自分が一番いとおしく思う」と答えられた。

 お釈迦様が仰った「天上天下唯我独尊」とは、「この世で一番尊いものは自分である」との意味である。自分が一番尊いと思うから、相手も同じように自分が一番尊いと思っている。だから、相手も同じように大事にすべきとの教えである。

 退団後、会社を離れたら、会社ファーストを捨て、自分ファーストでよい。自分を大事にして、世の中に貢献すればよい。自分を大事にしない人は、他人も大事にしない。その極端な例が自爆型のテロリストである。

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2023-03-24  久志能幾研究所通信 2650  小田泰仙

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2023年3月 5日 (日)

「虚空心経」で人生を料理する

 

 ずっとその昔、自分有限会社教の教祖様が人生教学を修行していた時、「人は空であり、空は人である」と悟られ、人間関係の苦しみから抜け出されました。

  人不異空 空不異人 人即是空 空即是人

 この世の人は、実体のないもの(空)であり、空ということは、人(空)以外にはあり得ない。すなわち人は実体のないものであり、実体のないものが人なのである。だから、いくら憎悪愛情に満ちた人間関係であっても、50年も経つと夢幻の世界になる。80年も経つと、人はこの世から消える。死後、形あるお骨として残っていても、80年も経てばお骨は土に還り、見える世界から消滅する。

 

虚空:仏語。何も妨げるものがなく、全てのものの存在する空間を意味する。

 

 

 人の存在は空だから、性善説も性悪説も当てはまらない。性悪説だからといって、悪人が永遠に悪人であるはずがない。人の性悪さが変わらねば、人を教育する意味がない。人ものカネは無常である。

 性善説として、人を躾・教育もせずに放置すれば、インドで発見されたオオカミ少女のようになってしまう。有名女優が息子にお小遣いを月に50万円を与えても、その教育を放棄すれば、子供は覚せい剤常用の犯罪者になってしまう。口でいくら立派なことを言っても、親の後姿を子供が見て育つ。子供はその親の言うことは聞かず、親の行動を真似する。そして国民に後ろ足で泥を掛ける始末となる。だから性善説も性悪説も正しくない。人は空なのだ。

 

 人は状況によっては人殺しもする邪鬼の存在にもなる。性善説や性悪説だけでは戦争と平和の時代を生き延びられない。

 戦争の時、敵を殺さねば、己が殺される。銃後の家族を守るため、敵を殺さねばならぬ。戦争で10万人を殺せば英雄である。勲章がもらえる。

 民間人10万人が焼死した東京大空襲を指揮した米国の将軍カーチス・ルメイは、戦後、日本国から勲章をもらった。昭和天皇はその直接の授与を拒否された。それは戦争で勝った側の論理である。狂気であるが、それが世の定めである。それこそ空である。平和の時、3人を殺せば殺人罪で死刑である。何が正しいかなどの正義論は存在しない。法律も正義も時代と人の都合により変わる。だから人も空であり、人が作った法律も空である。

 

 そして愛憎感情、創作活動、政治活動といった行動もまた同じである。共産独裁主義C国で、民衆主義を唱えれば、死刑である。アメリカで共産主義万歳と言えば、レッドパージで国外追放である。だから思想も空である。

 会社の人事も所詮は人の好き嫌いだけのこと。人が変われば、評価が変わる。その人は会社で10年経てば、その部署からいなくなる。人は空である。だから人事も空である。

 トヨタを変えた第8代社長の奥田碩氏は、上司の受けが悪く、フィリピンに飛ばされていた。それを豊田章一郎氏が見出した。奥田碩社長がトヨタを変えて、田舎のトヨタを世界のトヨタにした。だから人事など空である。人も空、人事も空である。

 ゴッホが描いた絵は、その当時、ごみ扱いであったが、100年後、数百億円で取引された。だから芸術家の創作活動も空なのだ。「芸」とは匂い草の象形文字である。芸術ほど、時代と人に影響される分野はない。それこそ人の好み次第の存在で「空」である。その人が80年後には、この世に存在しないのだ。

 

 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

 

 あらゆる存在は空を特質としているから、生じることも滅することもない。汚れることも清まこともない。お金が増えたと言って、コンピューター上の数値だけの話である。政府が変われば、お金は紙くずにもなる。いくら金持ちでも砂上の楼閣である。勝者必滅の法則である。永遠のお金持ちなどいない。お金はあの世は持って行けない。お金も有効期限があり、生きている間の80年間だけである。だからそれは空である。

 私の曽祖父は、虎の子の退職金を銀行に預けていたら、1947年の預金封鎖によってひきだせなくなり、預金封鎖が解除された時は、紙屑になっていた。の曽祖父は40年間勤めて得た退職金を奪われたのだ。だから私は政府を信用しない。政府も空なのだ。

 

平家物語 敦盛の最期

「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。」

 

 だから宗教の教えも空である。宗教とはその家の教えである。いわば家訓である。生きるとは、自分の人生を料理する尊い修行なのだ。仏教もキリスト教もイスラム教もその教えは、全国チェーン版のファミリーレストランの料理と同じである。それは宇宙根源の法則を、縦に切り、横に切り、斜めに切って見えた教えをその宗教の教義にしているだけだ。切り方が違うだけで、その本質は同じである。だから宗教も空である。時代と地域と民族により、それに併せて教えが変わるだけだ。世界はその本質も知らずに醜い宗教戦争を繰り返している。それが空である人の歴史である。

 

 人生は夢のように儚いからこそ、知恵を出し、賢く選択して生きねばならぬ。それが虚空の人生道を歩む方法である。

 

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 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩像

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 馬場恵峰書 

2023-03-04  久志能幾研究所通信 2631   小田泰仙

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2023年3月 1日 (水)

医師に見放されて、死神と闘う

 

 自分が変わらない限り、相手は変わらない。それは仕事でも、恋愛でも、人間でも、相手が癌細胞でも同じだ。ガン細胞という死神は、自分内の細胞が変化した細胞である。有能な医師が観察しても、正常な細胞と癌細胞の区別が難しいという。自分が変わらなければ、癌細胞はどんどんと増殖していく。

 

 癌細胞は太古の時代から変わらない。恐竜の骨にもがんの跡が発見されるという。がん発生は生物のさだめであるから。人体にがんが出来るのは、人間がイモリのような細胞再生能力を放棄して、免疫能力を付けるという進化の道を選んだ結果である。

 人体はガン細胞と免疫細胞との戦いの微妙なバランスの上で成り立っている。人間の体内には、1日に5,000個のがん細胞が発生する。それをその都度、免疫細胞ががん細胞を殺している。そのバランスを乱す生活をすれば、体内の免疫機能だけではがんを押さえられなくなり、がんになる。ガンになった原因が、自分の生活のあり方にあるのだから、自分が変わらねば、がんは治せない。がんは生活習慣病である。

 

がん戦争宣告

 1971年、当時のニクソン大統領が「がん戦争宣告」をしてから、米国政府は50年間でガン治療方法の開発に10兆円を使った。しかし現段階で戦果は芳しくない。要は対処療法で戦ったから戦果がでなかった。元を断たなきゃダメなのよ。

 それの第一原因は、自分達が変わらなかったからだ。真因は、拝金主義者の西洋人が金儲けに走り、世界に拝金主義を蔓延させ、人間らしい生活スタイルを放棄させたからだ。それが日本に波及した。敵は外にいるのではなく、自分達の内部にいた。

 

がんの原因

 がんになった生活環境、食生活、生きる考え方を変えないと、がんは治らないし、再発する。ガンになる要素の半分はストレスである。やりたいこともやらず、抑圧された生活を送れば、何時かは癌になる。40年前に比べれば、現代社会ははるかに抑圧された社会になっている。食生活も生活環境も激変である。

 がんが40年前と比べて4倍になったのにはワケがある。要は、現代人はそれだけ不自然な状態で生活をしているのだ。

 

末期癌が完治

 医師のがん治療能力で、がんの治療が左右される。知人は岐阜の大病院で、末期がん宣告を受け、治療を放棄された。知人は医師から「抗がん剤でも放射線でも、処置をしても精々3ヶ月の命」と余命宣告され、「後は自由にしてください。当医院での治療は終わりです」と宣告されたという。

 そこで慌てた知人は、日本最高の医学を求めて関西の大学病院に行き、診察を受けた。その結果、その癌は切れば治ると言われた。「それは希望的観測で?」と聞いたが、医師は自信をもって「切れば治る」と断言した。その手術から5年後、医師から「おめでとうございます。完治です。がん手術後5年の観察期間が過ぎました。転移は有りません」と言われ、現在、8年目でピンピンしている。

 

ガン治療の偏差値の差

 要は、岐阜のがんの医学のレベルが低く、関西のレベルは高かったのだ。岐阜の医師では手術できないガンを、関西の医師は手術をして治した、である。がんのレベルを見るのも人間の医師である。その能力差は病院や医師によって大きい。それが現実である。関西の大学の偏差値が高いのにはワケがある。

 

 私のがん治療では、大垣の市民病院ではなく、愛知県がんセンターを選んだ。それは正解であった。そうしたのは、父を大垣市民病院で亡くした苦い経験からである。その父が私を守ってくれたと信じている。

 

無為無策

 だから末期がんで医師に見放されても、骨になるまで、無為に過ごしてはならない。生きている限り、解決の手段を探すのだ。自分が変わらない限り、早期の死があるだけである。それはガンという病気だけではない。人生のすべてに当てはまる。「骨になるまで待つ」とは死神に取りつかれた考えだ。

 

ガン治療

 そして対処療法でガン部を摘出したら、がんになった真因を取り除く生活をすることである。そうしないから再発する。抗がん剤治療は対処療法であり、根絶治療ではない。

 

がん撲滅戦争

 どの医者も、手術後は今まで通りの生活で良いという。手術をした医師は、外科医でガン部を摘出するだけの役割である。真因の追及と再発防止には関与しない。医師も保険点数にならないことはしない。骨になるまで待っても、誰も教えてくれない。自分で動いて探すしかない。医師だってがんを分かっていない。医師だって癌になり、倒れている。

 1971年にニクソン大統領が始めた「がん撲滅戦争宣言」から、50年も経ったが、10兆円も使って、今だ膠着状態である。日本ではこの40年間で、がんは4倍に増えた。

 父も手術後、医師に言われた通りの今まで通りの生活をして、がんが再発し、1年後に亡くなった。

 

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  山路徹画 

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2023-03-01  久志能幾研究所通信 2629  小田泰仙

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2023年2月27日 (月)

キャンピングカーブーム? コロナ茶番劇?

 

 2月26日、愛知県国際展示場で開催際されていた「キャンピングカー展示会」に行ってきた。その一角のブースで山路徹先生の積み木展が開催されていたからだ。会場に着いたが、先生に電話をしても出てくれない。実は先生は携帯を家に置き忘れていた。 涙😿 携帯電話も、身に着けていなければゴミである。

 先生に会うには、入場するしかない。チケット売り場で驚いた。長蛇の列である。なおかつチケット代は1,100円である。聞けば、この長蛇の列はすくなくなったところで、午前中の1/4ほどだという。〆て、入場者数は2日間合計12,181人。チケット売り上げ金額1,300万円。

 私は電車で大垣駅から中部国際空港駅まで来たが、それでも往復で4千円ほどかかる。名古屋市内から家族で来ても、優に1万円を超す。それでも、展示ホール内は大勢の家族連れが見て回っていて大混雑である。展示車は135台である。私はそんなにもキャンピングカーに人気があり、ブームだとは知らなかった。それで少し調べてみた。

 

キャンピングカーブームの実態

 一般社団法人日本RV協会の「キャンピングカー白書2022」によると、2021年のキャンピングカー販売額は、新車、中古車を合わせて635.4億円で過去最高である。キャンピングカー累積保有台数も136,000台と過去最高となり、キャンピングカーの愛好者が増え続けていると「協会」は言う。

ホンマかいな。

 しかし幕張メッセでのジャパンキャンピングカーショー2020の来場者数は、 3日間で、合計66,493名。ジャパンキャンピングカーショー2021では、来場者数は3日間で合計24,166名と激減である。だからそんなにブームとはいいがたい。

 コロナ禍のおり、家族だけで3密を避けて旅行するには、キャンピングカーは最適のようでブームだという。また定年後、ホテルを利用せず、全国を車で回り、その車の中で寝泊まりするというスタイルもあるようだ。

 しかしキャンピングカー販売額が、新車中古車で年間635.4億円に達していると言っても、一台600万円と仮定すれば、販売数は合計で年間1万台チョットである。日本の車販売数の約400万台から見れば、1パーセント以下である。それでブームとは大げさだ。

 

私の結論

 男が持つことが夢で、しかし持ってはいけないものが、妾(2号さん)と別荘である。持てば必ず人生でつまずく。でも私も男の子だから、頭では分かっていても欲しい気持ちは一杯だ…. 。以前に衝動的に2号さん相当のレクサスLSを買ったが、やはりカネが続かず、手放した。。。。 涙 😿

 愚かなことはやってはダメだと分かっていても、やってみて失敗しないと理解したことにならない。それを智慧という。

 

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 所詮は、キャンピングカーは動く別荘の位置付けである。キャンピングカーをすぐには買えないが、夢を求めて展示会に家族連れで遊びに来るのではないか。

市場規模600億円では、商売として規模が小さすぎる。

 高価な部類では1千万円以上の値札が付いている。それではベンツが買えてしまう。   そんな車がバカスカ売れるとは思えない。私の回りを見ても、キャンピングカーを持っている知人はいない。

 別荘を買っても、そう頻繁に利用はしないもの。たまに行っても、まずその掃除で疲れてしまうという。たまにしか行かないから、別荘内はほこりまみれ、庭は雑草が生い茂っている。それならホテルの方がよほど楽という。キャンピングカーも同じで、そう頻繁に使うとは思えない。所有者もそんなに頻繁に有給を取るわけにもいくまい。またその維持費も大変だろ。駐車場の確保も大変だ。それが問題ない人は、キャンピングカーでなく、高級ホテルを使うはず。

 所詮、キャンピングカーブームは、メーカに踊らされたコロナ茶番劇である。そんな2号さんのようなキャンピングカーに金を使うと、地道に積み上げてきた「積み木」が崩れてしまう。

 

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2023-02-27  久志能幾研究所通信 2628  小田泰仙

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2023年2月21日 (火)

経典を読む、哲学書を読む

 

 この40年間、私はほぼ毎日、読経で朝のお勤めをしている。1年365日×40年で累計14,600回の読経である。40年間も読経を続けて、やっと仏教の説く哲学がおぼろげに分かってきた。

 私はこの10年程は、ほぼ毎日写経をしている。写経と言っても毎日2行だけである。約10日間で、一枚の般若心経の写経が完成する。そうしないと続かないと馬場恵峰先生に教えられた。般若心経を全部写経すると優に1時間はかかる。毎日2行だけなら5分ですみ、継続できる。

 読み、書くから、体に仏教の教えがしみ込んでくる。その目的は、自分の生き方を探すためである。私には仏教の経典は哲学書である。

 釈迦は、来世が有るとも無いとも言われなかった。現世での修行だけを説かれた。釈迦が死ぬ時も、弟子達には「怠るな、だだ精進せよ」だけを言い遺された。

 だから仏教の経典は極楽浄土に行くためのおまじないではない。それを理解すると、新興宗教に騙されることはなくなるだろう。

 仏教の経典を読むとは、自分の人生を考えることだ。自分が体験し、経典に照らして考えて歩んだ自分史がオダブツ教の経典である。私は自分自身の経典を書いている。

 

仏教

 哲学とは、生の存在、死の意味と時間を考える学問である。そういう意味の哲学を説いた宗教は仏教だけである。

 仏教の経典とは、釈迦が人生の中で考え、悩み、実践した認識を弟子たちに説いた説教を、後世の弟子たちがまとめたのが経典である。

  (石原慎太郎著「人間の一生とは、なんだ」『プレジデント2022.4.1号』)

キリスト教

 聖書はキリストの一代記である。聖書は、人間に対する愛、虐げられたユダヤ人への共感を説いている教えである。そこには哲学はない。後からギリシャ哲学を援用してきて、神学が出来上がったにすぎない。

  (石原慎太郎著「人間の一生とは、なんだ」『プレジデント2022.4.1号』)

イスラム教

 イスラム教は、唯一絶対の神(アッラー)を信仰し、神が最後の預言者を通じて人々に下したとされるクルアーンの教えを信じ、従う一神教である。その教えは、法律、道徳、倫理を含んだ社会規範である。その絶対的存在として神が存在する。神は死後の天国地獄の行き先を決めるだけで、生前中の善悪への罰則は、イスラム教の経典が決める。それは神の仕事ではない。

 イスラム教は砂漠を中心として厳しい環境で生まれた宗教だから、その教えの経典の内容は厳しい。また現実的である。だから「目には目を歯には歯を」という教義である。

 ユダヤ教やキリスト教と同じ一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじるとともに、全ての信徒がウンマと呼ばれる信仰共同体に属すると考えて、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじ、それが維持されるための教えである。

 一般には法律と見做される領域まで教義で定義している。イスラム教では、信者の内心は問われない。教義では、正しい行いをしているかを問うだけだ。天国に行けるかは神が決めることであるので、一般の司祭はそれには関知しない。その行為が、死ぬまでは、人間の間で問題にされないなどの点で、仏教やキリスト教徒は大きく異なる。

 つまりイスラム教の教えは、社会を運営するための法律を含めた道徳的な社会規律の教えである。そこにも人間としてあるべき哲学はない。

 この項、wikipedia「イスラム教」を編集加筆

 

2023-02-20  久志能幾研究所通信 2621  小田泰仙

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