ma_人生経営・会社経営 Feed

2023年5月 3日 (水)

自分編集の解体新書は重量800㎏

 

 私は新聞、雑誌、週刊誌、月刊誌を再編集して一つの書として読んでいる。私には、新聞や週刊誌などが、貴重な情報源である。しかし読むべき箇所、残しておくべき箇所は数ページだけである。それをそのまま残せばかさばってしまう。またそれを次に読むとき、余分のページまで見なければならぬ。それを避けるため、必要なページだけ切り抜いて、A4クリアシートに挟んで、読んだ時間順に10㎝幅のA4ボックスファイルに放り込んでいる。

 1つのボックスファイルで約10㎏。その数が80個、総重量で約800キロである。それを随時入れ替えながら繰り返し読んでいる。その資料が不要と判断すれば、そのファイルだけ廃棄である。だからこの新書は日日更新されている。これは世界唯一の私が編集する現世情報の「解体新書」である。

 

Dsc02459s

 これで56個のボックスファイル

.

『解体創智』

 わずか数百円の雑誌や週刊誌で、全てのページに読む価値が詰まっているはずがない。本でも同じである。僅か千円ほどの本で、読むべきか所は数頁だけである。

 数センチの分厚い月刊誌『文芸春秋』でも項目別に分割してバラバラにすれば、厚み数ミリの資料になる。それをA4クリアシートに入れれば良いだけである。

 私は必要な記事を雑誌から切り抜きしてファイルしている。本は必要な個所を抜き書きして京大カード化している。それを40年間の継続して、現在、約64冊、総重量で約640キロ、京大カードは1万枚に「成長」した。私が読破した本や雑誌を解体し、まとめて編集して作り上げた。これは私だけの世の中の雑学の解体新書である。これを『解体創智』と名付けた。

 その中には10年分の"International Herald Tribune"紙も含まれる。私が奈良県の勤務地に転勤になった時、この英字新聞を購読した。聞けばその市での購読者は私一人であったという。この英字新聞は私の英語の師の後藤悦夫先生からの推薦であった。その構文が、テクニカルライティングの勉強になるとの理由である。

 この『解体創智』の各ページは、有名な著者の記事やゴーストライターが書き上げた名文が並んでいる。なかなかに人生の訓言や戒めの言葉も多く、読みごたえがある。健康情報も下ネタさえもある。その中から、有名人の記事や、流行の話題を別ファイルにまとめている。それから私の著作活動のヒントを得ている。

 更に、参加した講演会資料、演奏会、購入した機器のカタログ、大事な領収書もクリアシートに入れて放り込んである。この資料群は、いわば私の行動の歴史の記録でもある。それを読み返すと、当時、こういうことをしていたとの日記にもなっている。

 

P1100993s

 厚み26mmの『文芸春秋』でも、特集部だけを切り取ると厚み4mmのファイルになる。

.

創造とは

 創造とは、過去のアイデアの解体と結合の産物である。新発明は、天才だけに可能だが、創造は凡人でも可能である。ソニーのウォークマンだって、過去の技術を再分解して再統合した産物である。決して新しい発明があったわけではない。音楽レコード盤は発明だが、ウォークマンは創造である。

 創造の「創」とは、「倉(きず)」と「リ」(砥石と刀)から作られた象形文字である。このきずとは刀傷である。刀傷で出来た傷跡に焼酎を吹きかけ、さらしを巻いてなにくそと頑張る姿が、創造の世界である。その傷口から新しい細胞が生まれて、傷口を埋めていく。傷だらけにならねば、新しものは生まれない。

 週刊誌、雑誌、新聞記事は人間模様の傷口の歴史である。その人類の失敗記録から、新しい智慧が生まれる。その失敗は、他人が自分の代わりにしてた貴重な失敗記録である。それを他山の石として活用しよう。それが智慧となる。

 

 

2023-05-03  久志能幾研究所通信 2679号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

 

2023年4月25日 (火)

余命宣告 HDの死

  ハードディスクの寿命は約5年である。私のディスクトップパソコンを使い始めて約6年が経ち、HⅮに少し異常が出てきた。HⅮ診断ソフト(CrystalDiskInfo 無料ソフト)を使って確認すると、警告の黄色表示である。間もなくハードディスクが寿命を迎えることが分かった。

 それで死ぬ前に(壊れる前に)、内臓HⅮのデータを別のHⅮに移行し、内臓HⅮを入れ替えた。

 そのHⅮ診断ソフトで警告が出た時に、量販店でHⅮを確保して(取り寄せに時間がかかる)、交換時期を探っていた。HⅮがクラッシュしてからでは遅いのだ。HⅮの死は必然である。今日の12時にPCをエディオンさんに持ち込み、その5時間後に修理が完了した。

 準備万端で、早め早めの対応が危機管理である。これが突然のHⅮクラッシュでは悲惨である。HⅮは壊れて当たりまえである。今まで、私は数度のHⅮクラッシュを経験している。そうなれば大事なデータが失われてしまう。蓄積したデータは自分の人生の記録なのだ。それを失うとは、人生を失うに等しい。

 

E20230403

      CrystalDiskInfo の診断画面

. 

生老病死

 どんなものにも寿命がある。世の全てのものには生老病死がある。花の命は1日、HⅮは5年の命、冷蔵庫なら10年、会社人生は38年、人の寿命は81歳、健康寿命は72歳である。

 どんなものでもおおよその寿命は分かっている。その寿命が尽きる前に、やるべきことをやっておこう。長生きできても、100歳では思うように体が動かせない。己の体が衰弱しきった1か月前では、何処にも行けない。そもそも死の直前では、気力も萎えて、何もできない。美味しいものも食べられない。だから死の2年前までに、やるべきことをやっておく。それが死計である。人が死ぬことは、必然である。

 

 人として、生命が誕生するのは、1億円の宝くじが連続で百万回当たると同じくらいの偶然である(筑波大学名誉教授村上和雄)。しかし死は100%必然である。だからその得難い幸運を手に入れたのだから、死ぬ前にしっかりと楽しもう。還暦まで働けば、社会への義務は果たせた。後はやりたいことをやって、楽しもう。楽しみながら世の中に貢献しよう。

 

 還暦後は、奴隷生活を送るのを止めよう。共産党や新興宗教団体の奴隷生活から逃げ出そう。奴隷生活の共産党員も高齢化で、今回の統一選挙で、91議席も議席を減らした。同じ理由で、東京都練馬区議選では、鉄の結束の公明党が4人落選である。全国では12名の落選である。

 大垣市の住民も、村社会からの奴隷扱いの強制投票圧力を受ける。それから目を覚まさないと、奴隷のままで人生を終わる。地域利権者の候補だけに投票しては、大垣市は良くならない。

 

 死の前までに楽しいことをやっと置かないと、死の床で後悔する。自由人として、自分の意思を明確にしないと、死の床で後悔する。

 いつやるの? 今でしょう! 時間は命である。人の命は日々尽きていく。人の明日は分からない。

 

 1

   馬場恵峰書

2023-04-25  久志能幾研究所通信 2675号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年4月21日 (金)

人生最大のバクチ 人に賭ける

 

失敗の代償 

 飲むことで失敗をしでかしても、禁酒して出直せばよい。買うのに失敗しても金を出して買い直せばよい。しかし人生の博打を打ち直すことは難しい。それに失敗すると時間を失うのだ。モノはカネを出せば元に戻せるが、失った時間は、いくら金を積んでも取り戻せない。

 人生の最大の博打とは人の選択である。そのプロジェクトで誰に賭けるかである。失敗すると人生の時間を失う。時間とは、命である。命とは、その人が人生で使える時間の総量である。

 その人を選ぶ、会社を選ぶ、結婚相手を選ぶ、全て博打を打つと同じで、その成否が人生を決める。それは確率論で少しは変えられる。

 孟母三遷も人生の危険な人を避けるための確率論である。人生を共にする人やモノを選ぶのは、博打を打つと同じだ。それに勝利する確率を上げる選択、危険に巻き込まれる確率を下げる選択を取れば、その確率は変えられる。

 日露戦争でも、日本は東郷平八郎に賭けた。だから日本海海戦で勝利を得て、ロシアに勝てた。そのかける人の選択を誤れば、日本はロシアに負けて、領土を割譲させられて、北海道はロシア領になっていたかもしれない。

 その時の人事の選択理由は、「東郷平八郎は運がいい男であった」であった。

 第二次世界大戦が起きたのは、ドイツ国民がヒトラーを選択したのが、最大の原因である。そのため、日本は戦争に巻き込まれた。それで私の父の弟の2人がビルマで戦死し、地獄のシベリアで抑留されシベリアの土になった。当時の日本の選挙で、国民が戦争に走るような議員を選んだのだ。

 国の未来は、議員、市長、知事、首相の選択に懸かっている。心して選挙に行こう。

 

人の選択

 友、結婚相手、師という人の選択なら、観相学で判断すればよい。

 男の顔は履歴書、女の顔は請求書である。「男は40過ぎたら顔に責任を持たねばならぬ」とリンカーンは言った。人の人格は、顔を観ればわかる。

 

会社の選択

 就職先の会社を選択するなら、経営理念、歴史、創業者を調べればよい。

 不祥事を起こしている会社はまた同じような事件を起こす。歴史は繰り返す。自動車会社のN社の生い立ち、労働争議の歴史をみれば、将来は予見できる。ゴーンはそれに付け込んだのだ。

 

確率論

 人生の選択は丁半の博打ではない。手順を踏み調べれば、8割の確率で危険を避けることが出来る。後の2割は人生の綾である。運命は95%が運である。それが運命だ。宿命ではない。

 だから私は人相学を学び、会社の歴史を学び、宗教家の人物像を学び、歴史を学び、相手の文章能力を調べ、日本人としての感性を観ている。そうこうしていたら、所蔵する書籍の重量が5トンを超えた。

 

選挙

 選挙での選択でも同じである。私は候補者の日頃の言動を調べ、選挙ポスターの顔を熟視して、誰に投票するか決めている。

 

Img_43851s

 

2023-04-21  久志能幾研究所通信 2673号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

男の悲甲斐性 飲む、ウツ、買う

 

 飲むとは酒を飲むである。酒は少量でも発がん物質である。酒を飲めば、そのアルコールの分解で、毒物を分解処理するのと同じプロセスを肝臓が行う。肝臓の処理にも限界がある。もともと日本人という人種は、アルコールの処理が欧米人より弱い。酒に適量もないし、酒は百薬の長でもない。

 酒を飲み、頭を酩酊状態にしてまで、人生や仕事のことを語り合う必要は無い。頭が酩酊状態では、同じ話を何度も繰り返しグダグダ言うのがオチである。

 酒を飲まねば仲良くなれないなら、仲良くなどしなくてもよい。私はそんな縁は、ご縁がなかったのだと達観する。

 私は5年程前に完全禁酒とした。

 

 2つ目の悲甲斐性の「ウツ」とは、鬱にならない、である。「鬱」とは葉が生い茂り過ぎている状態を表す漢字である。

 甲骨文字・金文は「林」+「勹」(かがんだ人)+「大」(立った人)、人が生い茂った草木の中に隠れる様子を象る。 「茂る」を意味する漢語{鬱 /*ʔut/}を表す字。 「爵」の略体を加えて「鬱」となる。

 

「鬱」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.jp)

 https://okjiten.jp/kanji2081.html

 

 鬱の意味は、その持てる能力以上に、負荷がかかった状態である。鬱病とは、脳力以上に負荷がかかり過ぎ、体と頭が悲鳴を上げている状態である。治療方法は単純明快で、負荷を減らせばよいだけだ。

 根が張り、健やか成長して大木になってから、葉が生い茂るのはよい。しかし成長もしていない状態で、葉だけ生い茂っても、末路は枯れるだけだ。

 人が鬱病になると、現代医学業界は治療と称して、薬漬けにする。鬱病患者はますます治らなくなる。要は医師の金儲けである。その方が儲かるから、医師にとっては、患者のことは知ったことではない。

 

 

私の鬱病

 私は管理部の管理職として、うつ病の部下を多く預かった。しかしその部下を医師に任せても、守秘義務とかで、その病状の情報は全く私には入ってこない。医師のやりたい放題である。だから私は、鬱病関係の本を数十冊集めて勉強した。

 その本から得た結論は、「鬱病になったら、医者にかからず、仕事の負荷を減らし、太陽を浴び、規則正しい生活で過ごせば、自然と治る」である。

 私自身が会社時代に鬱病寸前になった時、私は自分で治療方法を調べて、自分で治した。その時、会社の保健婦は「小田さんは軽い鬱状態だから、薬を飲めばすぐよくなりますよ」だった。

 鬱病患者は、真面目な人ほどかかる。かのチャーチルも梅原勝彦社長((株)エーワン精密)も鬱病になった。

 

ベンツに乗る、二号さんを持つ、別荘を持つ

 ベンツに乗ることも財布にとっては鬱病である。自身の財力以上にベンツはカネを使うから、家の財政が破綻する。それは家庭会計の鬱である。

 二号さんを持つことも、人間関係の鬱病である。自分が複数の女性を満足させる財力、体力、世間体能力以上の負荷を人生にかけるから、自然に破綻する。また世の男性のひがみを受けて、社会的に抹殺させられる。自分にそれだけの甲斐があればよい。しかし、今の税制では、日本の男性の99.9%はそれは不可能である。

 二号さんに乗ることは、楽しいが、乗っていない時の維持費が大変なのだ。それはベンツを所有することと同じである。

 

買う

 モノを買うとは、日々日銭が出ていくことだ。モノを買えば、何時かは壊れて買い直さねばならぬ。モノも生老病死である。モノを買えば、毎年、そのモノの減価償却費を積み立てねばならぬ。だからモノを買うと、その分の減価償却が増えていく。300万円の車を買えば、10年後には300万円の金がまた必要となる。それは冷蔵庫でもエアコンでも同じである。

 そのモノが自分の一部となって、自分を助けてくれるかどうかを、熟慮して買うべきだ。人は往々に衝動買いをしてしまうのだ。

 

 大垣市の石田仁市長は、2021年に県下一豪華な新市庁舎を建てたので、その維持費と減価償却費が必要となり、「ゴミが増えた」と大嘘を言って、ごみ袋有料化をごり押しした。

 

 

2023-04-20  久志能幾研究所通信 2672号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年4月14日 (金)

宗教団体脱会後(11/12) 無職を生きる

忙殺

 仕事を受け持つと忙しい。忙しいとは、心を亡くすと書く。心が殺されるのだ。その仕事に縛られるとは、奴隷である。奴隷は洗脳されていやいや働かされている。還暦になれば、会社と言う宗教団体から定年という名目でお役御免にされる。だから、定年後は自由人として無職を貫こう。無職ほど、やらねばならぬことが増える。仕事なら、言われた一つのことだけを期限通り、やればよい。要求された仕様だけ満足すれば、それで終わりである。それは職人の世界。

 

無職

 しかし無職ではそういうわけにいかず、以前より忙しい。それはお金の問題ではなく、自身の満足度であるからだ。それにはジレンマがある。仕事ならコストパフォーマンスがあるから、無制限に時間をかけるわけにはいかない。

 しかしそれを自分の天職として取り組むら、自分が満足するまでやり続けることが出来る。だから社会に役立つことを真剣にするには、無職でないとできない。

 

Img_63601s

 

2023-04-14  久志能幾研究所通信 2668号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2023年4月10日 (月)

生きるとは

 

 生きるとは、「必ず死ぬ命」を抱えて、過去、未来を振り切り、今を自分に与えられたお役目に全力で取り組む活動である。

 

 私は人生を2005年3月27日に、そう定義した。先日、過去の京大カードの中からこの言葉を発見した。2005年とは、定年の5年前である

 

P10700601s

 活動をせず、無為に生き永らえるだけでは、生きたとは言わない。人生で何をやったかが問われる。そう思ってがむしゃらに生きてきた。

 

 お役目とは天命である。そのお役目は、「私」にではなく、「自分」に与えられたお役である。

 

 自分と言う存在は、ご先祖を10代前に遡ると1024人の親が存在する。そのご先祖1024人以上の家系の代表として、DNAを引き継ぎ、今を生きている。

 

 人は人生劇場で、お役が与えられる。主役の王様の役も有れば、脇役もある。奴隷の役もある。天が差配した役をえり好みはできない。その役も、時代と場所で位置付けが変わる。その時代も場所も親も自分では選択できない。

 

 自分が戦争時代に生れて、特攻隊に選ばれたやも知れぬ。戦争に一兵卒として駆り出され、ソ連のシベリアに抑留されなかったことを喜ぼう。終戦後、父と叔父がシベリア抑留の身となり、叔父はシベリアの土になった。

 

 自分とは、全体の中の「自ら」の「分」である。周りに支えられた存在である。

 それに対して「私」とは、利己の世界である。「私」とは、稲(のぎ偏)を、腕(ム)で抱え込んだ姿の象形文字である。

 

2023-04-09  久志能幾研究所通信 2663号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年4月 3日 (月)

宗教団体脱会後(7/12) 生前火葬から逃走

自尊心と誇りが燃やされ灰になる

部長の末路

 定年退職とは生前葬である。定年延長として会社に残ると会社で「生前火葬」の葬儀がある。生前火葬では魂が焼かれる。生前葬が終わったのだから部長、課長の肩書は剥奪され、無地の白い名刺となる。白い経帷子のような派遣社員制服を着る。そして自分より能力の低い部下に、引導を渡される。派遣社員扱いで働かされ、自分の自尊心と誇りが燃やされ灰にされる。職位権限がないので、周りから軽んじられる。2,3年も務めると焼きもちの火よりも強烈で、長時間の火力に嫌気がさす。満期の5年の刑期を務める人は稀である。よほど面の皮が厚いか心臓に毛が生えているか、家のローンが残っているかでないと、続かない。その定年後の5年間で、すっかり精力、気力が燃やされて、魂の抜け殻だけが残り、生前火葬が終了する。あとは徘徊の人生が待っている。

 

料理長の末路

 職人の世界でも、辣腕の料理長として長年君臨していても、定年になって元の職場で働けば、若造から「ジジイ」扱いされ、「おいジジイ、この皿洗っとけ」である。「ジジイ」ならまだましで、「クソジジイ」ではプライドも消滅である。

 

逆縁の菩薩

 私は定年後の元部長が、昔の部下の課長の下でヘイコラとしている卑屈な姿を見て、定年後に会社に残るのをやめた。定年後の悲惨さを教えてくれた元部長は逆縁の菩薩であった。

 定年後の5年間で仕事は同じ、給与は半分以下で働けば、精力と気力を使い果し、その後の起業がほぼ困難になる。定年後の起業には体力も気力もいる。その大事な時期を生前火葬で灰にされてはかなわない。定年と言う生前葬が終わったら、その後は人生の主として歩みたい。裕福でも奴隷生活は嫌である。

 

コンビニ店の奴隷並みに転落

 定年後、会社に残って働けば、元基幹職でも給与は約三分の一に激減する。それでも年金よりは倍近く多い。定年後の計画がないなら、それでもかまわない。それでは、年間1,800時間の自由が奪われる。定年後の自由時間は、サラリーマンという奴隷生活から解放された黄金の時間である。

 年金での生活にプラス150万円程を稼ぐために1,800時間の自由時間が奪われる。150万円を1,800時間で割ると、ファーストフード店やコンビニのアルバイトの時給以下となる。

 時給 1,500,000円÷1,800時間=833円/時間

 

 会社は、経験豊かな人材を格安でこき使える。自分の老計・死計を考えると、有益な選択肢ではない。それで私は、早期入棺を拒否し、生前火葬から逃走した次第である。

 

生前火葬から逃走

 誰にでも守るべき自尊心がある。それを放棄するのは奴隷の人生である。還暦まで生きてきて、そこまで落ちぶれたくはない。私は、絡め手の引き留め工作を振り切って、焼かれる前に逃亡した。生前火葬からの逃走後に、多くのご縁が生まれた。生前火葬されていれば、新しい人生は生まれなかった。

.

現代社会の病

 現代の日本社会が停滞しているというが、現在の会社組織が持てる人材を有効活用せず、経験豊富な人財を奴隷のように処遇している結果なのだ。年功序列を捨て、安易な拝金主義に染まった結果が、今の日本の没落なのだ。1%の富裕層と99%の貧民層の格差社会を生む真因である。そこを見直さないと、日本の復活はない。

4k8a02371s 

  馬場恵峰書

.

 

2023-04-03  久志能幾研究所通信 2660  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年4月 1日 (土)

宗教団体脱会後(5/12) 良く死ぬとは、NYの夢幻

 

 何もせず、無為に生き永らえるのは醜い末路だ。生涯現役で働いている姿は美しい。定年まで働けば、社会に対する義務は果たしたことになる。会社で働かなくなったら、その分、社会に貢献するために働けばよい。それが良く死ぬことだ。どうせ、人間は絶対に死ぬのだ。死ぬ時、後悔しないため、良く死ねるように行動したい。

 

 人は死後、何を集めたかでは評価されない。何を与えたかである。自分の人生と世の中にどんな感動を与えたかである。

 死ぬ時に思うことは、素晴らしい人生ではなくても、素晴らしく楽しんだ人生でありたい。それが良く死ぬことだ。

.

大きな後悔

 死ぬ時の後悔とは、やりたいことをやってなかった後悔だ。人は何時までも若くはない。若い時にやれたことが、老いるとできなくなる。人は永遠には生きられない。生きているうちに、動けるうちに、やりたいことをやる。それがやれてなかったことが、死ぬときの大きな後悔となる。

.

良く死ぬための条件

 いくら金があっても、健康でなければ旅行にも行けない。人にも会えない。美味しいものも食べられない。ましてや仕事もできない。良く死ぬためには健康であるべきだ。寝たきりで生きながらえても、生きたことにはならない。船が港を出て出航しても、その湾内を長い間、漂流しているだけでは、長い航路をしたことにはならないと同じだ。最期の1か月ほどは致し方ないが、それまでは現役で動き回るように体を健康に保つ取り組みをすることだ。馬場恵峰師も、94歳まで現役で過ごされた。死の直前の一か月ほど寝込まれただけだ。

 健康とは体と心の健やかさである。そのために日頃の節制が必要だ。

.

大垣をよくするため

  大垣市の行政の恥部を世間に晒すのも、大垣をよくするための行動である。健全なる精神と体でなければ、大垣の恥部は見えない。恥部を明らかすれば、大垣市の皆さんが目覚めて、立ち上がってくれる。大垣をよくするための行動を取ってから引退すれば、良く死ぬことになる。市民が目覚めれば、大垣は良くなる。大垣は当時、西濃の小京都と呼ばれたのだ。大垣を良くするきっかけを作れば、あの世に逝ったとき、大垣を建設した先人たちからも褒めてもらえるだろう。

4k8a02491s

 馬場恵峰書

.
ニューヨークの記憶

 私は1994年、ニューヨークに10日間の旅行をした。その時に歩いた総距離が114㎞である。一日平均16㎞の歩きである。万歩計を付けて、ニューヨークの街を一日中歩いていた。下記の表は、その記録である。

 しかし今、私に同じことをできる体力はない。いい時に行って、いい思い出が作れて良かったと思う。今ならコロナ禍で海外にも行けない。

 また当時、世界貿易センタービルの最上階104階に上って、ニューヨークの摩天楼群を見下ろすことが出来た。その7年後、911テロで世界貿易センタービルは消滅してしまった。もう上りたくても、そのビルがないのだ。私には、人生の一期一会を象徴する事件であった。

 

00010010s

世界貿易センタービル104階からの展望

00010012s

 世界貿易センタービル104階から下を見る

00010014s

 世界貿易センタービル104階から自由の女神像が見える

 

00010026s

 フェリーからの眺め 

 右手に世界貿易センタービル、左手に自由の女神像が見える。

 もうこの世では眺めることができない姿である

 

16___4

Dsc077392s

 馬場恵峰書
.

2023-03-31  久志能幾研究所通信 2657  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2023年3月28日 (火)

柴田節郎陶展 青磁の季節 決断の季節

 

 柴田節郎陶展で見つけた素敵な青磁を購入した。この茶碗で白湯を飲むつもりだ。今でも私は毎朝、起きた時に白湯を一杯飲んでいる。体には白湯が一番よい。よい器でよい飲み物を飲む。それが心身ともよい効果を得られる。百金の器では、魂の成長がないだろう。

 私が朝一番に飲むのはコーヒではなく、白湯である。白湯は50℃から60℃くらいが最適である。今は白湯でも、わざわざ沸騰させてから温度を下げなくても、温度設定できる電気ケルトでそれが可能となった。

 白湯として一度、水を沸騰させるのは、昔は浄水器がなかったからだ。水道水のカルキ等を除去するのには、沸騰させる必要があったから。

 

 

白湯の効果

 白湯を飲むと、胃腸全体が温まり活性化する。胃腸が活性化すると消化が促進され、老廃物の排泄も促進される。それで便秘防止となる。

 白湯を飲むと内臓が温まる。その結果、基礎代謝が上がる。基礎代謝が約1割上がる。その結果、血液のめぐりが良くなり、冷え性の改善や脂肪燃焼による肥満防止にもなる。身体が温まるとリンパの流れや血流が良くなり、体調がよくなる。

 

後日談

 10日ほど前、私はこの青磁の茶碗を買う予約した。先日、知人が柴田節郎陶展に来て、それを気に入って注文を入れた。しかし既に私がツバを付けていたので叶わなかった。

 芸術品との出会いは、一瞬である。一期一会である。その時、買う決断をしないと永遠にお別れである。先に買うと決断して予約を入れておいてよかった。

 決断もその決断をする回数で決断力が養われる。要は経験数で勝負である。失敗をしてもいいから、多くの決断をすることだ。小さな決断を多くすると、大きな決断はさりげなく出来る。

 

 

Dsc00050s

 柴田節郎作 青磁茶碗    右側の茶碗を購入 (Saganにて)

Dsc00340s

   自宅で撮影

Dsc092551s

 波佐見焼  字は馬場恵峰書

 

Dsc08983s

 波佐見焼  字は馬場恵峰書

.

2023-03-28  久志能幾研究所通信 2655号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年3月27日 (月)

宗教団体から脱会後(4/12) 酒からの解脱

 

完全断酒

 酒は頭の働きを麻痺させる薬物である。酒は教団の悪口、上司の悪口の発散手段として活用されてきた。しかし薬物の力を借りて、仲良くするような宴会は宗教団体の儀式と同じである。

 

 それも退団(退職)すれば、そんなことで酒を飲む必要もない。酒は少量でもがん発生の毒物である。若い時は免疫力も高いから問題が起きにくい。しかし退職する還暦ともなれば、免疫力も若い時の数分の1程度に下がる。だからその毒の全身へのダメージも大きくなる。だから断酒が望ましい。

 

 私は定年の前後で、数回、宴会で救急車を呼ばれる事態が発生した。それを契機に完全禁酒とした。私は酒に弱く、飲むと寝てしまう。それを周りが焦って救急車を呼んでしまうのだ。これ以上周りに迷惑をかけてはならないと思い、完全禁酒とした。

 

 酒は世界保健機関(WHO)の定義では、薬物である。食品は胃で消化吸収であるが、酒のアルコールは肝臓で、薬物と同じ工程で分解、無毒化、体外排出である。その分、肝臓の細胞に負荷をかける(細胞が死滅する)。頭の働きも麻痺させる。だから宴会とは薬物パーティである。

 

お布施

 酒の価格には、日本政府教団へのお布施が半分以上も占める。酒の価格の半分は税金である。その酒で飲んべえが病気になれば、政府教団は、医者を通してがっぽりと医療費としてカネを巻き上げる。酒が原因の無駄なお布施は止めよう。

 

酒の害

 酒の毒で、年間300万人が死ぬ(WHO公表)。日本では年間約3万人が死ぬ(WHO公表値から推定)。マスコミはこの件は声を小さくして報道する。

 正義の味方のはずのマスコミも、酒メーカらの広告収入が莫大なため、酒の弊害については何も言わない。それどころか日経新聞では、日本酒特集、焼酎特集、洋酒特集といった日曜日特別版まで発行する始末である。

 「酒はほどほどにするから、大丈夫」と酒飲みは言うが、そのブレーキの理性を破壊するのが酒である。酒を飲んで、ほどほどはあり得ない。

 酒で病気になる人が増えれば、国の総医療費が上がり、結果として健康保険料が高くなる。福祉に回るカネも防衛費に回る金も減る。酒飲みは国賊者である。

 

【2018年9月22日 AFP】世界保健機関(WHO)は21日、飲酒が原因で年間300万人が死亡しており、その数はエイズ(AIDS、後天性免疫不全症候群)や暴力、交通事故による死者数の合計を上回るとする報告書を発表した。このうち4分の3以上が男性だという。

 

 定年後に、酒を飲むだけが楽しみとは、人間として情けない。それは酒の奴隷である。定年後は奴隷解放として、酒という支配者から解脱しよう。

 私は一時は酒に洗脳され、ニューヨークまで行って2000ドルのデキャンタまで買う狂気を演じた。しかし天罰(としか思えない)で、そのガラスコップの一つを割ってしまった。美人薄命である。

 美しものにはトゲある。美味しいものには毒がある。

 

47_1

 

2023-03-27  久志能幾研究所通信 2653号  小田泰仙

         ブログ開始後 2132日目

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。