宗教団体脱会後(11/12) 無職を生きる
忙殺
仕事を受け持つと忙しい。忙しいとは、心を亡くすと書く。心が殺されるのだ。その仕事に縛られるとは、奴隷である。奴隷は洗脳されていやいや働かされている。還暦になれば、会社と言う宗教団体から定年という名目でお役御免にされる。だから、定年後は自由人として無職を貫こう。無職ほど、やらねばならぬことが増える。仕事なら、言われた一つのことだけを期限通り、やればよい。要求された仕様だけ満足すれば、それで終わりである。それは職人の世界。
無職
しかし無職ではそういうわけにいかず、以前より忙しい。それはお金の問題ではなく、自身の満足度であるからだ。それにはジレンマがある。仕事ならコストパフォーマンスがあるから、無制限に時間をかけるわけにはいかない。
しかしそれを自分の天職として取り組むら、自分が満足するまでやり続けることが出来る。だから社会に役立つことを真剣にするには、無職でないとできない。
2023-04-14 久志能幾研究所通信 2668号 小田泰仙
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