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2022年9月17日 (土)

病気は真剣に治す 最悪の病気は自分病

 

 目標がない人間に病気は治せない。(第59代横綱 隆の里)

 

 病気になれば、受験勉強もまともにできず、試験も受からない。

 稽古もまともにできず横綱にもなれない。

 経済の勉強もできず、お金も稼げない。だから夢の実現も難しい。

 仕事は体力で勝負である。病気になれば人生の成功はない。

 

 だから私は、病気になったら、医師任せにせず、医学を勉強して、自分で医師を探し、自分でその治療方法を探した。医師は治療を施すが、患者の病気は治せない。病気を治すのは、自分自身である。生命体の勉強をすることは、生きかた、死にかたの勉強にもなり、有益であった。

 

 そもそも病気になるとは、ご先祖からのリース物件である「人体」という機器を、過酷に使い過ぎたのだ。病気とは、仏様と御先祖からの警告メッセージである。その修繕に、使用違約金を払って修理(治療)するのが御先祖様、仏様に仁義を切ることなのだ。その治療費をけっちてはならない。

 

病気を治す

 まず病気の気配に気づく。

 病気になる前に、その未病の原因を見付ける。

 その病気の研究をする。

  私は白内障、緑内障になったとき、眼の医学書を3冊買いこんだ。

  価格2万円が2冊と3万円が一冊である。医学書は高いのだ。

  なにせ、見ることは生きることだ。私は治そうと必死であった。

  私がガンになった時は、関連図書を50冊買った。

  それでがんを研究し、日本のガン治療現場の真実を知った。

 それでその病気の原因を考える。

 病気の原因を取り除く。

 再発防止をする。

 病気を研究し、得た成果を人に伝授する。知識は病気を防ぐ力なのだ。

 病気に関する情報は、情けの報せなのだ。それは知施である。

 

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 眼の医学書は価格2万円が2冊、3万円が一冊

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 それなのに、多くに医師は病状を見て、対処療法で胡麻化すから病気が治らない。その方が楽で儲かるからだ。

 なぜその症状が表れたかを、自分で調べないとダメだのだ。

 

 高血圧症で降圧剤を飲むから、治らない。応急処置の降圧剤が原因で認知症、がんになってしまう。高血圧を引き起こした食事や生活習慣を改善しないと治らない。放置するとがんになる。

 私は真島消化器クリニック(久留米市)の真島院長の指導で2年がかりで高血圧を治した。その治療は食事療法だけである。

 

 熱が出たからと、解熱剤を飲むから、体の免疫力が下がり、もっと大きな某気になる。熱とは、体内の白血球が入ってきたバイキンと戦って熱を出したのだ。その熱を薬で下げると免疫力が低下する。

 抗菌グッズばかり使うと、体の免疫力が低下して、新型コロナにも罹りやすくなる。やるべき対策は免疫力の向上である。

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 がんは生活習慣病である。狂った食生活、狂った生活習慣を正さないと、手術で患部を摘出しても、再発する。

 私に多くの知識が有ったから、がんセンターの標準治療コースの一つである抗がん剤治療を担当医師とけんか別れをして拒否した。高齢者には、抗がん剤治療は体を痛めてしまい、それで免疫力が低下して死んでしまう。人はガンではしなない。抗がん剤治療で免疫力が低下して、肺炎等で死ぬのだ。知識とは病気に対する武器なのだ。

 

 検査で健康にはなれない。本来、健康であれば、検査などいらない。病院に行くと、過剰検査で病気にされる。 

 

大垣病

 大垣市が衰退したのは、現象で、それを対処療法で対策しても効果がない。その真の原因は為政者の間違った政策だ。大垣病を治すには、政治の長の首を挿げ替えればよい。そんな市長を選ぶ大垣市民の意識改革が、最大の治療である。

このコロナ禍で市民の生活が大変な時、増税であるゴミ袋有料化などを施行する石田仁市長と近沢正議員は、市民の敵なのだ。それを手術で除去しないと大垣病は治らない。

 

日本病

 この30年間の経済停滞は、間違った政治を継続している官僚、政治家の責任である。そんな政治家を選んでいる国民の意識改革しか、治療法がない。余りに愚劣な政治に対して、選挙でお灸をすえない選挙民にも責任がある。

 

自分病

 性格はほんとうは、とても変わりやすい。だた人間は、自分を変えないための能動的な努力を絶えずやっている。だから変わらない。(アルフレッド・アドラー)

 人間は、慣れ親しんだ立ち位置が心地よいのだ。だからそれを変えることには、抵抗する。特に高学歴の官僚は、今まで必死に受験戦争、出世競争の生存競争を勝ち抜いてきて、やっと掴んだ利権の世界を手放さない。それが現在の日本の世界だ。だから失われた30年が生まれた。それを反面教師として、自分を変えないと自分病を治せない。

 環境が激変しているのに、変わらないのは病気である。変わらないと、自然界では生きていけない。進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残る生き物は、変化に対応できる生き物だ。強い種や頭の良い種ではない。」という。

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊

 

2022-09-17  久志能幾研究所通信 2493  小田泰仙

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著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2022年9月 8日 (木)

書道の秘訣、仕事道の秘訣

 

 うまく書こうと思わない事。(それでは何時までたっても書けない)

 今の実力で、良い紙に、よい筆で、良い環境で、真剣に全力で書く。

 そうすれば後世に残る。安い紙に書くから残らない。 

    馬場恵峰師談  

     日中友好書画交流展で(大村市)  2012年12月14日

 

 

上記の恵峰先生の教えを自分の仕事に当てはめる

 上手く世渡りをしようと思わない事。それはゴマすり、見栄っ張りで、表面的なお化粧をすることだ。

 今の実力で、よい材料で、よい道具で、今の環境で文句を言わず、真剣に全力で仕事に向う。そうすれば、後に残る仕事になる。妥協して仕事をするから残らない。

 その具体的成果を私は学んだ。その成果とは、具体的に有意差のある投資をすれば、具体的な投資回収を得る、である。ただしその投資回収は目に見えない形で、忘れたころの10年後である。

 

私の人生投資

 私は人より良い道具を選び、環境に不満を言わず、出来ることだけを自分で変え、自分を教育して、そういう縁が巡ってくるようにした。仕事の段取りを改善して、真剣に仕事に向かう。カネはかかったが、それに見合った成果が得られた。

 PCはいつも最高のもの(半分趣味)、良い本を選び(読書が趣味)、教師は日本一の人物を探し(師選びの目利き)、良き芸術作品を手に入れ(絵の目利き)、良い部屋を借り、良き書斎を作って仕事をしてきた。なぜそんな日本一の先生に教えを受けられたのか。それは私が最高を求めたからだ。

 

 米国自動車殿堂入りした田口玄一博士から、実験計画法を教えてもらった。

  これは前会社の教育部が頑張って田口玄一博士を招いてくれたお陰である。

 篠田義明先生から、テクニカルライティングを教えてもらった。

  先生の講義を聴いて、これは本物だと確信した。それからのめり込んだ。

  篠田義明先生はテクニカルライティングで日本の第一人者である。

 ミシガン大学スチーブンソン教授、マセイズ教授から講義を受けた。

  両師ともテクニカルライティングの世界的権威である。

  100万円を払って、ミシガン大学で講義を受けた。

 松本明慶先生から、人生を教えてもらった。

 百歳の伊與田先生から論語を教えてもらった。 

 眼科医の三好輝之先生から、指導を受けた。(歴代世界第2位の手術数)

 塩沼亮潤大阿闍梨のお話しを4回聴いた。東京、京都と足を運んだ。

 安岡正篤師の話を何回もテープで聞いた。

  講演テープは全巻100巻で、価格100万円。

 

 世界の美術館・博物館を延べ80館以上に行き美術品の見る眼を養った。

  海外に行けた時、観光地ではなく美術館・博物館を意識して回った。

 

 馬場恵峰先生から16年間、人生を教えてもらった。

  九州に飛んだ費用は、16年間で一千万円を超えた。九州までの旅費宿泊費と書画購入費が高いのだ。それが無駄だったとは思わない。

 

 お金は使ってなんぼである。貯めて持っているだけでは死蔵である。お金はお足である。それ閉じ込め、外に出さないと、お金に恨まれる。貯めても預金通帳の数字が変わるだけだ。それをあの世には持って行けない。死ぬ時に後悔する。遺族が喜ぶだけだ。最大の投資先は自分である。

 

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 馬場恵峰先生  当時85歳

  日中友好書画交流展で  2012年12月14日

 

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 大村テレビの取材を受ける恵峰先生 

  日中友好書画交流展で  2012年12月14日

 

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 馬場恵峰先生の道具

  墨は昭和天皇が使われたと同じもの。価格80万円。

  筆は象牙製で、150万円。

  硯は端渓麻子坑産で数百万円。現在は中国から持ち出し禁止。

  古来、端渓硯の産地として端渓三大名坑とされてきたのは、老坑、抗仔巌、麻子坑を指す。老坑は2000年頃、坑仔巌、麻子坑は2007年頃に閉鎖され、それから採石されておらず、今後もその予定はない。そのため、これら三大名坑の硯が希少になってきている。

 

2022-09-08  久志能幾研究所通信 2486  小田泰仙

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2022年9月 7日 (水)

老道の終りは、人生事業の廃業

 

 今日(9月7日)、町内の方より、立て続けに2件の死亡連絡を受けた。時節柄2件とも家族葬である。この訃報が私のブログ記事「希望を持ち、努力で老道を歩み、感謝して永眠する」の翌日なので、なにか神仏の啓示を受けた気がした。人が老化すれば、死に近づくのだ。どんな事象もメッセージを自分に発している。それを真摯に受け止め、今後の生き方を見直したい。

 

 一人の方はこの春に町内の悩ましい案件で、一緒に打ち合わせをしたばかりのご縁である。73歳でガン死である。暫らく顔を見ないなと思っていたら、この訃報である。この方は、自分とあまり年齢が変わらないし、自分も3年前にがんを患ったので、他人ごとではない思いである。

 もう一人は、町内最高齢の102歳の方である。天寿である。それはめでたいことだ。長寿は3大福の一つである。福禄寿こそお宝で、人生に頑張った証しである。

 

人間稼業の見直し

 死とは人間稼業の廃業である。人間は「人生」という事業を展開している。その事業を経営する以上は、何度もその事業の見直が必要だ。それに遅すぎることも多すぎることもない。

 

 人は、定年退職をして悠々自適の生活でも、何らかの社会貢献はしているはずだ。人生事業を経営するには、事業の定義の定期的な確認が必要だ。この世で永続するものはない。どんな事業も何時かは、衰退するし、その定義自体も陳腐化する。

 ドラッカーはそのため、①事業環境の定義、②使命とするものの定義、③強みの定義を見直せと言う。

 自分が生きていることが社会に役立っていなければ、人生事業を継続する意味がない。それでは、生きているのではなく、生き長らえているだけの存在となる。会社でも、人間稼業でも、生きている限り、社会に付加価値を与える存在でありたい。

 

生きるとは

 生きるとは、「必ず死ぬ命」をかかえて、過去・未来を振り切り、今、自分に与えられたお役目に全力を尽くすこと。

 定年後、自分が置かれた環境で、自分が社会にどんな貢献をしているか、見直すのはよいことだ。自分の使命を見直すのも必要だ。その使命を全うするのに、自分の強みは何かを再確認するのも必要だ。そうすれば、生涯現役として生きられる。

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 馬場恵峰書

2022-09-07  久志能幾研究所通信 2485s  小田泰仙

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希望を持ち、努力で老道を歩み、感謝して永眠する

 

 つい先日、入社して新入社員として走り回っていたと思っていたのに、いつの間にか老いを意識する日々となった。人にとって50年間などあっという間だ。私もあちこちに体の不自由さを意識する歳となっている。

 若い頃は、人様より3割も多い髪の毛(母からの遺伝)に床屋さんがいつも手を焼いていたが、いつの間にか消滅......(苦笑い)。

 

 紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし (修証義)

 

命の健康寿命

 「老」とは歳を取ることではない。歳をご先祖から頂いた結果として「老」である。それは幸せなことだ。その「老」を頂けず、還暦前に亡くなった仕事仲間の数は20人を超えた。中学校のクラス仲間の2割が、66歳までに死んだ。体の弱かった私が、過酷なビジネス戦争を生き延びれたのは、ご先祖様のご加護だろう。

 その私も平均健康寿命の歳を超えてしまった。嫌でも死を意識してしまう。せめて年甲斐もない醜態は見せまいと思う。それが「老い」の戒めである。

 

練った道

 「老」を頂くとは、練った道を歩むことだ。若気の至りが満ちていた時は、がさつな振る舞いで、荒地の道しか歩めなかった時代がある。練った道なら、人が多く歩いてくれる。自分の設計した道に賛同してくれる。

 

オイル

 「老」という字には「結ぶ」という意味がある。男と女が結婚して新生児が生まれる。物事は二つのモノが結ぶことで、生成発展する。異質なものが結合して新しものが生まれる。新しいものが生まれることを創造、化成という。異質なものを結べる力を持つのが「老」である。それが智慧である。異質なものを結ぶには、軋轢が生じる。それを潤滑油のオイルで滑らかにする。それが老いるである。

 

化ける

 「化」の偏の「イ」は背の伸びた若者を意味する。「ヒ」は腰の曲がった老人の意味である。若者と老人が結びついて、新しい文化が生まれる。古典の文化が新しくなり、化けたのだ。老から若者に伝承された芸術が、創造される。伝承されて芸術がより高度に化けていく。老人は、その成果を「置いて」人生舞台から下りればよい。

 

推敲

 同じことを何度も何度も繰り返し、より良い作品になるように練っていく。それが推敲・老練である。作品は見直した回数が多いだけ、作品は良くなっていく。自分の最大の作品は、「自分の歴史」という人生なのだ。失敗が多いだけ、見直した数だけ、よりよい人生となっていく。

 

ノーシードは老の反対語

 エリートは最初からノーシードで良いポジションから勝負なので、人生を歩くには楽である。しかしエリートは一度でも失敗すれば、それでゲームセットである。

 しかし非エリートは、何度も失敗をして、それが経験として積み重なり、人生をやり直せる。私は非エリートの道でやってきた。それが練った道を歩んだことだ。

 

老の道を歩く

 私は日々「理」と「文」の世界を結んで、新しい世界を創っている。

 私は人間と非人間の佛の世界を結んで、経典を書いている。

 私は「病」と「健康」を結んで、生と死を考えている。それは病を得ないと悟れない。病とはご先祖からの啓示である。自分で自分の生活を正さないと、病は治らない。

 失敗のない人生は、試験管ベービの人生だ。私は多くの経験を結んで、老いて、練った道を歩みたい。それが人間の歩む道だ。

 馬場恵峰先生は94歳まで現役で活躍され、最後は1か月程寝込まれ、皆さんに見守られて眠るように1月1日に亡くなられた。私が病床にお見舞いすると、恵峰先生は「縁ありて花開き、恩ありて実を結ぶ。ありがとう、ありがとう」と何度も言って涙ぐまれた。良き師の最善の生き方を見せてもらえて幸いであった。

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    馬場恵峰書

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2022-09-06  久志能幾研究所通信 2484  小田泰仙

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2022年9月 4日 (日)

仁和寺の水先案内人はあらま欲しき事なり

 

 私が本の選択をする手法を紹介します。私が本を買う場合は、新聞や雑誌の書評欄を参考にしている。乱読で多量に読むのも良いが、自分の人生時間には限りがある。その時間を大事にするため、本を多く読むよりも、良書の選択が大事である。それには信用ある書評が有益だ。書評こそ、本が溢れる大海の水先案内人(先達)である。人生で良き水先案内人を探すのが、良き人生を送るために必要である。私は泰観院の水先案内人である。泰観院は私のために建ててもらったお寺である。将来、私はそこの住職になる。

 

 仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、あるとき思ひ立ちて、ただ一人、徒歩より詣でけり。………

 少しの事にも 先達はあらまほしき事なり。

         吉田兼好 徒然草 第52段

 

整理集約

 私は新聞や雑誌の書評を切り抜いて、クリアファイルにファイルをしている。切り抜きと言っても、そのまま新聞を4つ折りにしてファイルするだけだ。新聞で気になった図書広告をそのままファイルである。雑誌の書評は、書評欄をそのまま1頁分を切り抜くか、コピーしてファイルするだけである。手間はなるべくかけない。

 情報取集の要点は、整理するな、一か所にまとめろ、である。

 

まとめ

 最近、その資料を整理しなおして、16冊のクリアファイルにまとめた。整理と言っても、ただファイルしただけだ。情報は一か所にまとめることに価値がある。一冊に40ポケットのあるクリアファイルで、約50年分の人生水先案内資料が収まった。私のお宝である。

 

人生見直し

 日々、そのファイルを見直して購入図書を探している。その昔、自分がどんな本に興味を持ったか、その成長の記録がそのファイルにはある。

 時折、中から選んで本を注文しても、絶版になっていることがあり、焦ることがある。しかしアマゾンで中古品も手に入るので、何とか入手している。その書評を読むだけで、本の内容の半分は手に入る。それも智慧の糧である。

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酒を飲むより読書を

 酒を飲んでくだをまくより、本と静かに対話した方が、人生は豊かになる。

 酒の問題点は、酒は少量でも発癌性物質となることだ。また酒は頭を酩酊させ、同じことを何度も話す痴呆現象を起こさせる。それは脳の短期記憶領域が酒で麻痺するからである。それを繰り返すと認知症になるようだ。脳の細胞を酒の毒で繰り返し攻撃すれば、脳細胞は死ぬのだ。

 アルコール消毒とは、アルコールが細菌を殺すこと。同じように、体内の血液中に入ったアルコールが脳細胞も殺す。60歳以上のアルコール依存症の人のうち、4割以上が何らかの認知機能障害を合併しているという報告もなされている。

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2022-09-03  久志能幾研究所通信 2481  小田泰仙

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2022年9月 3日 (土)

坂上の玉 雨が降ったら 傘をさす

「雨が降ったら傘をさす」(松下幸之助翁)

 

 私はその言葉を思い出して、雨が降ったら傘をさして散歩をすることにした。今までは、雨が降ったらそれを口実に散歩を止めていた。人は言い訳をしだすと何でありである。やると決めたことを簡単に破ってしまう。だから私は雨が降っても、傘をさして無理しても散歩をすることにした。

 人は坂の上の置かれたボールのような存在だ。意識をして下に転がらないようにいつも筋肉を使わないと、下に転げ落ちてしまう。その場で何もしないと、ボールは下まで自然に転げ落ちる。下まで落ちるとは、「死」である。使わない器官は退化する。だから雨が降ろうが槍が降ろうが、筋肉は使わねばならぬ。さすがに大雨時は散歩を控えるが、普通の雨なら、私は傘をさして朝の散歩を継続している。死んでもいいが、健康第一である。

 

 そうは言っても後30年間もこの歩ける健康状態が続くわけではない。人は老い死んでいく。80歳、90歳になればその散歩も叶うまい。だからこそ歩けるうちに歩かないと、歩く筋力が減退してしまう。普通に歩けるとは何と幸せなことか。日本人男性の平均健康寿命は72歳で、平均寿命の81歳である。日本では9年間を寝たきりで過ごす人が多い。60歳の定年後、5年程ぶらぶら過ごしたら、後7年後には寝たきりか、認知症(脳死)になる年なのだ。だから第二の人生の大事を急げ、である。時間は待ってくれない。

 66歳の時、中学校の同窓会に参加した。その時、当時のクラス仲間の2割が既に亡くなっていることを知って愕然とした。次は自分の番なのだ、と。

 私は健康で過ごせて、歩けることに感謝して、毎日歩いている。

 

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運動不足の害

 早稲田大学スポーツ科学学術院の川上泰雄教授は以前、宇宙飛行士が国際宇宙ステーションに長期滞在した場合、体がどうなるかという実験をした。無重力の状態を再現するため、被験者に3週間、ほぼ寝たきりの状態で過ごしてもらった。その結果、実験開始から2週間目には太ももの筋肉が14%も減少した。14日間で14%ということは、1日1%の割合で太ももの筋肉が減ったことになる。通常の成人の場合は加齢により太ももの筋肉が1年で約0.5%減るそうなので、1日で2年分も筋肉が減ったことになる。

 

怖いのは筋肉だけでなく、脳への影響

 「脳は体に『動け』という指令を与える機会が少なくなると、その神経系にマイナスの適応が起きてしまい、思うように体を動かすことが出来なくなるんです。ですから、運動を続けるということは、筋肉を鍛えるとともに、神経系を刺激し鍛えるという意味もあるんです」(川上教授)

運動不足だと1日で2年分の筋肉が落ちる? 自粛生活での行動が分かれ道 | パラサポWEB (parasapo.tokyo)

https://www.parasapo.tokyo/topics/30566

 

成年重ねて来たらず
一日再び晨(あした)なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月は人を待たず

  陶淵明(365~427年)『雑詩十二首』

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  馬場恵峰書

2022-09-02  久志能幾研究所通信 2480  小田泰仙

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2022年9月 2日 (金)

私の「ものつくり工房」完成

 2年前に別宅を入手してから、少しずつ居間を整備してきた。約2年が経ち、やっと居間が「ものつくり工房(仕事部屋)」として成長した。部屋だって目標があれば成長するのだ。

 少しお金はかかった。運命学では「お金とは、新しい可能性を模索するための資源」である。お金は貯めて死蔵するものではない。お金自体に価値はない。お金は使ってなんぼである。人生経営での課題は、持てる資源をどこに、どう配分して、いつ使い、どう最大の成果を上げるかである。その人生経営の社長は、自分である。

 

 新しい部屋から新しい人生が始る。新しい畳から、新しい多くの可能性が生まれる。古女房ではだめなのだ。新しい世界では、畳は新しくなければならない。人は裸で生まれて裸で死んでいく。お金はあの世に持って行けない。生きている間に、良き服を着て、良い人と語り合い、良いものを作る。そこからご縁が生まれる。「もの」とは作品、著書、イベント、教育、貢献等で、自分が社会へ送り出した知的財産である。最終的な作品は、自分自身である。

 私にとって新しい服とは、書斎であり、仕事部屋であり、新たに身に付けた知識である。人物鑑定をするなら、その人の書斎と書棚を見れば、一目瞭然である。それでその人の人生観が分かる。

 

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ものつくりのための道具

 先日、ドラフターを設置してやっと仕事部屋としてさまになった。ドラフター横の机も、倉庫で20年間寝ていた机を活用した。立机も2年前に、山路先生に特注で作ってもらい設置した。使っているとモノが増えていき、机面が狭く感じたので、最近、机面を20cmほど拡大する追加工事を山路先生にしてもらった。

 立机での仕事だから、椅子は置いていない。私は「仕事の疲れは仕事で取る」がモットーである。だから椅子は不要である。

 電気スタンドは、1970年代に英国で製造されていたモデルで、2004年に復刻された製品である。落ち着いたデザインに魅了されて、ヤマギワ電気で購入した。

 

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資料

 資料も50年分のスクラップ資料(約300㎏)が整理できた。それは日経ビジネス、週刊ダイヤモンド、東洋経済、Will、致知、ゲーテ、週刊誌等のバックナンバー、記事のスクラップである。

 ニューヨークタイムズも8年分を整理した。これは後藤悦夫先生から勧められて、購読を始めた。2010年から2017年までの8年分の新聞の抜粋である。ニューヨークタイムズの記事は、テクニカルライティング上で勉強になると後藤先生から言われた。

 書棚(幅80×高180㎝)を別宅に14個導入した。自宅には4トンの蔵書がある。

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  50年分のスクラップ資料

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  8年分のニューヨークタイムズ

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 またパソコンが普及する前は、B6のカード(京大カード)で情報を整理していた。そのカード数が約10,000枚を超えた。それをB6ケースに整理した。それを立机の横に設置した。今でもそれを活用している。これも私が50年間、京大カードにメモを書き続けてきた人生跡である。

 

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IT道具

 プリンター兼コピー機(ブラザー製、2万円)も新設した。安価なWindow11ノートパソコンも先月に導入した。CPUはセロンだが、意外と性能がよく、安いパソコン(約9万円)を見直した。

 モニターもドラフターと場所を入れ替えた。モニターだからテレビは映らない。なにせアンテナ線もない。また電話を設置していない。静寂な環境を一方的に破壊するのは電話である。だから電話線は設置していない。必要な時、スマホを持ってくるだけだ。

 

おもてなし

 来る人行く人は皆福の神である。心しておもてなしをしよう。来客用の椅子も低座椅子を用意した。昔から使っていた普通の椅子の足を切って、低座椅子に改造した。低座椅子は、座ると視点が低くて、部屋が広く感じられて、落ち着いた気持ちになる。

 来客用で、小型冷蔵庫も設置した。中には飲み物しか入れていない。料理道具はケルトと小型電磁コンロだけである。

 

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ものつくり

 本箱の上のグライダーの模型キットは50年前の年代物である。結局組み立てず、そのままになっていた。その模型キットの箱を展示である。いつか組み立てたいと思っている。

 その横のヘリの箱は、ゴム動力式のスウェーデン製の模型キットである。美濃市の模型店で昨年、購入した。もったいなくて組み立てていない。これは飛ばせば直ぐ壊れそうだ。

 今後、飛行機の図面も書きたいし、音楽サロンの建築図面も書きたい。

 

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 馬場恵峰書

2022-09-01  久志能幾研究所通信 2479  小田泰仙

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著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2022年8月30日 (火)

ドラフター購入、鉛筆で線を引き夢を形にする

 

ご縁

 数年前から欲しいと思っていたドラフターを2022年8月24日に購入した。奇しくも町内の地蔵盆祭りの日である。私がドラフターに触らなくなって、約30年が経過していた。

 

 これもご縁である。欲しいと思っても、品物が手に入らない。今、正規の新品のドラフターを買えば40万円である。さすがにその値段では経済的に手が出ない。たまたま状態の良い中古品がメルカリで見つかり、それを入手した。商品の代金は安かったが、京都から大垣まで運ぶのにその代金以上のカネが必要であった。たまたま運んでくれる知人が出現した。これもご縁である。

 ドラフターは精密機器であるので、クロネコも佐川も西濃運輸にも、京都から大垣への運搬を断られた。そこで仏様が恩人を遣わしてくれた。感謝である。

 

 またいくら欲しくても、置き場所がなければ買えない。今は家にモノがあふれていて、とてもじゃないが大きな物は置き場所がない。たまたま2年前に別宅を入手して、今は仕事場があるので、大きなドラフターが置ける。これもご縁である。

 どんな出会いにも、ご縁があることを実感である。

 

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デジタルよりもアナログ

 真っ白な空間に一本の線を引く。その線を重ねて面ができあがる。その面が重なって立体が出来る。まるで人生の設計図を描くようだ。

 それはパソコンで文字を書くか、メモ用紙に手書きの字を書くかの差である。CADで図面を書くか、キャンパスに筆で絵を描くかの差である。位置情報、空間情報、夢への思いをどれだけ込めて、自由奔放に実際の形に創造するのだ。それにはアナログが適している。

 私は創造的な仕事にはドラフターに優位性があると判断した。今から、自分の夢をドラフターで書いて、それを実現するのだ。金儲け、時間効率を考えて図面を書くのではない。自分の夢を、ドラフターで、時間をかけて、手書きで書いていく人生の道を一歩一歩、確認しながら歩くのと同じである。無理やり走らなくてもよいのだ。時間に追われて走るのではないのだ。

 

私の経歴

 もともと私は技術者として、図面を書くのは好きであった。中学生のころから、飛行機の図面をよく書いていた。書くといっても航空雑誌の付録の図面を烏口でトレースして図面を描いただけである。それをもとに木製のソリッドモデルを作って遊んでいた。

 

 大学2年生の時、親にねだってドラフターを買ってもらった。当時の購入金額が6万円である。当時の仕送りが1万5千円で生活できた時代である。初任給が7万円チョットの時代である。ドラフターは高かったが、大学で特待生を獲得して授業料を免除したため、ご褒美として買ってもらった。

 就職して会社でドラフターを、仕事としてフルに使うので、自宅のドラフターは使うことはなくなり、10年後くらいに知人に譲ってしまった。

 

会社時代

 ドラフターは私がメシを食うために使った道具である。要求された仕様を満たすため、必死で線を引く。カンバンに追われ、上司の圧力を受けて、20年間、線を描き続けた。私は設計図を描く職人であり、機械開発技術者であった。ドラフターは、技術者には侍の刀と同じである。

 

CADの時代

 1990年ごろからドラフターからCADに変わっていったが、私にはドラフターが性に合っていた。その頃より、少し偉くなって、図面を描くのは若手の部下に任せるようになり、CADにはあまり触らなくなった。できた図面を検図する立場である。

 

技術管理部で三次元CAD導入

 それから時が流れ、部署が変わり、2000年から技術管理部署に異動になり、事業部の三次元CAD化を導入する責任者となった。親会社からの要求で三次元CAD化を進めた。しかし実際の創造的な開発には、その利用に疑問を感じていた。親会社が「三次元CAD化しないと仕事を出さない」と「脅迫」するのでは、いたしかたなかった。殿様の言う事は絶対なのだ。

 

 殿様が「カラスは白」と言えば、カラスは白なのだ。定年になり会社を離れて、やっと「カラスは黒」と言えるのは、幸せなことなのだ。

 

定年後の夢

 CADは金儲けを効率的に行うための道度である。定年後は、効率的に金儲けをする必要もない。夢の図を、思いを込めて一本一本と描いていくには、手書きでドラフターを使って描けばよいと判断して、ドラフターを購入した。そのデータを三次元データとして入力するのは、機械的な職人の仕事である。それは作業であって創造ではないのだ。

 

2022-08-30  久志能幾研究所通信 2477  小田泰仙

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2022年8月17日 (水)

豊かになるための方法

 

そのために必要な行動

 1 健康優先の生活を送る。

 2 豊かになりたいという熱望を持つ。

 3 縁を神仏の恵みと考え、縁なき縁は追わない。

 4 よき師を選択する。

 5 よりよいものを求め続ける。

 6 利他の精神で、義務と権利のバランスをとる。

 7 余分に払う、「まけろ」と言わない。

 8 神仏を敬う。

 

私は豊かになりたいと願い、鍛錬を続けている。

 

豊かさの方程式

 この世の出来事は、全て人間の為せる技の成果だ。その技は一朝一夕には身に付かない。仕事の技も武芸の技も、豊かになる技も同じである。そのために練習や鍛錬を積んで、初めて手に入る。

 日本の武道には、「生涯無敗伝説の宮本武蔵が『五輪書』で強調した「鍛錬」という言葉がある。 『鍛とは千日(3年間)の稽古、錬とは1万日(30年間以上)の毎日欠かさずの練習』をさす。だから30年の練習でやっと一人前である。それで世間とは一線を画した技が手に入る。並みの技で豊かにはなれない。

 

 グローバル経済教では、いかに自分は楽をして他人のカネを巻き上げるかに、血道を上げる。そんな簡単に手に入ったカネは、簡単に飛んでいく。カネの神様は地道な努力が好きなのだ。

 

 豊かさとは、カネがあることではない。心が豊か、生活の質が豊か、身体が健やかであって、初めて豊かな人生を送れる。豊かさは、求めるレベルを欲望で割れば、その価値が計算できる。どんなにカネや資源の豊富さを誇っても、欲望のレベルが大きければ、限りなくゼロに近い。餓鬼に世界に迷い込む。欲望を小さくさえすれば、豊かな生活が生まれる。

 

 立って半畳、寝て1畳、食べて1合である。どんなにカネを集めても、女を多く所用しても、どんなに家を沢山持っても、いくら車を数多く所有しても、一人の人間がそれに使える時間は限られる。飲みすぎ、食べ過ぎになれば、死が早くなる。どんなに金があっても時間は一日24時間しかない。健康寿命は72歳である。寝たきりになれば、カネがあっても使えない。豊かさの価値を考えよう。日本の富豪のように数兆円を集めても、あとどう使うの?である。

 

 豊かさの価値 = 理想の求める量 ÷ 欲望の量

 

1 健康

 どんなに豊かになっても、健康でなければ、絵にかいた餅である。豊かになるための第一条件には、健康が最優先である。

 自分の体は、神仏からの預かりものである。大事に使わないと、すぐ神仏から取り上げられる。それでは豊かになれない。

 エリートと称される人たちは、精神的には弱く挫折しやすい。心身が健康であって、初めて豊かなのだ。

 

2 熱望

 豊かであるためには、豊かになりたいという強い欲を持つことだ。誰よりも強く願うことだ。人生での勝負で、勝ちたいと思わないと、絶対に勝てない。皆が勝ちたいと思っている思っているから、その中で戦うは、闘争心が必須である。それは豊かさも同じである。

 豊かになりたいなら、豊かになる努力、鍛錬をすることだ。それなくして、豊かにはなれない。ただしどんな努力をしても、人間には器の大きさと人生のタイムリミットがある。それを忘れないようにしよう。

 

3 ご縁

 縁のめぐり合わせは人知を超えている。来た縁は大事にすることだ。また縁がない現実は、神仏が「縁がない」と言っているのだ。「縁がないという縁」を授かったのだ。そんな縁を無為に追うから豊かになれない。縁なき縁は追わずである。

 

4 よき師を3年かけて探す

5 何度も繰り返す

 どんなモノでも、最初から理想のものが手に入るわけではない。家だって3回建てないと満足した家にはならないという。それは万物に共通する。そのためには、最終的にどんな姿にするか長期ビジョンを持つことだ。最後の姿を目指して、鍛錬することだ。

 

6 分相応

 自分は全体の中の自らの「分」を頂いているだけだ。全体を考え(利他)、自分の義務を果して、初めて獲物が手に入る。そうでないと、分不相応として回りから嫉妬される。それでは豊かになれない。

 

7 投資

 豊かであれば、金品サービスを提供してくれる仲間に、感謝を込めて余分に払うのが、ご正道である。回り回って、きっと倍返しで返ってくる。それが豊かさである。

 だから金品サービスを提供してくれる仲間に、「まけろ」などと言ってはならない。値引き交渉などしなくても、豊かになれば相手が勝手に安くしてくれる。

 そのための最大の投資先は、自分である。自分に投資をすることだ。勉強することだ。

 

8 神仏

 そのご縁は全て神仏の賜物だ。神仏にお願い事はダメである。神仏は、感謝をして敬おう。縁は理を超えたところにある。捨てる神あれば拾う神あり。仏様はもっと人情がある。天はお茶目ないたずらをする。それに従おう。

 

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馬場恵峰書

2022-08-17   久志能幾研究所通信 2465  小田泰仙

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2022年8月10日 (水)

「働きかた改革」よりも「死にかた改革」

 

「私は死ぬために(行動し)、諸君は生きながらえるために(正論を唱える人間に死刑さえも宣告する)。もっとも両者のうちのいずれが、いっそう良き運命に出会えるか、それは神より外に誰も知る者がない。」

(久保勉訳『ソクラテスの弁明』岩波文庫

 死刑を宣告されたソクラテスはそう言って、毒杯を仰いで死んだ。

 朱記は著者。

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  Wikipedia 「ソクラテスの死」より

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「働きかた改革」

 政府は「働きかた改革」を推進している。しかしそれは血迷った政策だ。厚生労働省の役人は、「働きかた改革」の目的を、■働き手を増やすこと、■出生率の上昇、■労働生産性の向上と捉えている。

 下記は政府の働きかた改革のパンフレット

000474499.pdfをダウンロード

 つまり経済的な末梢的目的のための「働きかた改革」であって、人間の幸せを考えた本当の「働きかた改革」ではない。政府はその結果が思わしくないので、移民政策で逃げ道を探っている。

 日本人の幸せを政府は、増税、移民、がん増加原因の放置、医療費激増の放置、コロナ対策のデタラメで台無しにしている。すべて官僚の利権を確保するための働きかた改革である。

 

政府高官のああ勘違い

 政府官僚は、「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」、「働く人のニーズの多様化」の課題には、投資や改革による生産性向上と就業機会の拡大や働く環境の改革が必要だと考えて、多様な働き方を選択可能にして、成長と分配の好循環を構築し、働く人が将来の展望を持てるようにする、と綺麗ごとを述べている。

 

 この政策が実情にあわないから、また政策が間違っているから、全く成果が上がらない。しかし政府は間違いを認めず(高級官僚は自分の出世に響くから絶対に間違いを認めない)、だから政府はやけくそで、移民政策に逃げ道を求めている。

 その結果は、この30年間が雇用の減少と賃金の下落である。この30年間の日本の経済成長率はゼロである。誰が見ても政府の政策が間違っている。

 

洗脳

 「人は何のために働くのか」が曖昧のままだから、厚生労働省の「働きかた改革」のキャチコピーに騙されるのだ。「改革」とさえ言えば、国民を洗脳できると高級官僚は安易に考えている。

 人は何のために働くか。なんの為なら命を捧げてその仕事に一生を捧げることが出来るか、を明確にすべきである。日々、糧を得るためにだけ働くなら、犬畜生と変わらない。霊長類の頂点に立つ人間なら、その日暮らしでは情けない。

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 労働とは

 仏教では、ただひたすら働くことが説かれる。佛になるための修行である。 働くとは、利他行である。自分自身の我欲からの解脱である。

 欧米の考えでは、労働は神から与えられた苦業で、カネが出来れば早期引退が理想である。後の余生は遊んで暮らしたい、である。日本人は欧米とは価値観が違うのだ。特に米国はグローバル経済主義が蔓延してから、いかに楽をして他人からカネを巻きあげるかに血道を上げている。

 .

何のために

 もっとまじめに、何のために死ぬかを考えよう。そうすれば働きかたが変わる。人が生きるとは、何のために死ぬかが目的で、働きかたは、単なる一手段なのだ。その目的が明確なら、生涯現役で働ける。何のために死ぬかの意識がないから、定年退職後には、粗大ゴミ、ぬれ落ち葉、終わった人、徘徊老人、認知症になるのだ。

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 馬場恵峰書、文責は小田泰仙

 

2022-08-010   久志能幾研究所通信 2458  小田泰仙

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