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2022年9月 3日 (土)

坂上の玉 雨が降ったら 傘をさす

「雨が降ったら傘をさす」(松下幸之助翁)

 

 私はその言葉を思い出して、雨が降ったら傘をさして散歩をすることにした。今までは、雨が降ったらそれを口実に散歩を止めていた。人は言い訳をしだすと何でありである。やると決めたことを簡単に破ってしまう。だから私は雨が降っても、傘をさして無理しても散歩をすることにした。

 人は坂の上の置かれたボールのような存在だ。意識をして下に転がらないようにいつも筋肉を使わないと、下に転げ落ちてしまう。その場で何もしないと、ボールは下まで自然に転げ落ちる。下まで落ちるとは、「死」である。使わない器官は退化する。だから雨が降ろうが槍が降ろうが、筋肉は使わねばならぬ。さすがに大雨時は散歩を控えるが、普通の雨なら、私は傘をさして朝の散歩を継続している。死んでもいいが、健康第一である。

 

 そうは言っても後30年間もこの歩ける健康状態が続くわけではない。人は老い死んでいく。80歳、90歳になればその散歩も叶うまい。だからこそ歩けるうちに歩かないと、歩く筋力が減退してしまう。普通に歩けるとは何と幸せなことか。日本人男性の平均健康寿命は72歳で、平均寿命の81歳である。日本では9年間を寝たきりで過ごす人が多い。60歳の定年後、5年程ぶらぶら過ごしたら、後7年後には寝たきりか、認知症(脳死)になる年なのだ。だから第二の人生の大事を急げ、である。時間は待ってくれない。

 66歳の時、中学校の同窓会に参加した。その時、当時のクラス仲間の2割が既に亡くなっていることを知って愕然とした。次は自分の番なのだ、と。

 私は健康で過ごせて、歩けることに感謝して、毎日歩いている。

 

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運動不足の害

 早稲田大学スポーツ科学学術院の川上泰雄教授は以前、宇宙飛行士が国際宇宙ステーションに長期滞在した場合、体がどうなるかという実験をした。無重力の状態を再現するため、被験者に3週間、ほぼ寝たきりの状態で過ごしてもらった。その結果、実験開始から2週間目には太ももの筋肉が14%も減少した。14日間で14%ということは、1日1%の割合で太ももの筋肉が減ったことになる。通常の成人の場合は加齢により太ももの筋肉が1年で約0.5%減るそうなので、1日で2年分も筋肉が減ったことになる。

 

怖いのは筋肉だけでなく、脳への影響

 「脳は体に『動け』という指令を与える機会が少なくなると、その神経系にマイナスの適応が起きてしまい、思うように体を動かすことが出来なくなるんです。ですから、運動を続けるということは、筋肉を鍛えるとともに、神経系を刺激し鍛えるという意味もあるんです」(川上教授)

運動不足だと1日で2年分の筋肉が落ちる? 自粛生活での行動が分かれ道 | パラサポWEB (parasapo.tokyo)

https://www.parasapo.tokyo/topics/30566

 

成年重ねて来たらず
一日再び晨(あした)なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月は人を待たず

  陶淵明(365~427年)『雑詩十二首』

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  馬場恵峰書

2022-09-02  久志能幾研究所通信 2480  小田泰仙

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2022年9月 2日 (金)

私の「ものつくり工房」完成

 2年前に別宅を入手してから、少しずつ居間を整備してきた。約2年が経ち、やっと居間が「ものつくり工房(仕事部屋)」として成長した。部屋だって目標があれば成長するのだ。

 少しお金はかかった。運命学では「お金とは、新しい可能性を模索するための資源」である。お金は貯めて死蔵するものではない。お金自体に価値はない。お金は使ってなんぼである。人生経営での課題は、持てる資源をどこに、どう配分して、いつ使い、どう最大の成果を上げるかである。その人生経営の社長は、自分である。

 

 新しい部屋から新しい人生が始る。新しい畳から、新しい多くの可能性が生まれる。古女房ではだめなのだ。新しい世界では、畳は新しくなければならない。人は裸で生まれて裸で死んでいく。お金はあの世に持って行けない。生きている間に、良き服を着て、良い人と語り合い、良いものを作る。そこからご縁が生まれる。「もの」とは作品、著書、イベント、教育、貢献等で、自分が社会へ送り出した知的財産である。最終的な作品は、自分自身である。

 私にとって新しい服とは、書斎であり、仕事部屋であり、新たに身に付けた知識である。人物鑑定をするなら、その人の書斎と書棚を見れば、一目瞭然である。それでその人の人生観が分かる。

 

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ものつくりのための道具

 先日、ドラフターを設置してやっと仕事部屋としてさまになった。ドラフター横の机も、倉庫で20年間寝ていた机を活用した。立机も2年前に、山路先生に特注で作ってもらい設置した。使っているとモノが増えていき、机面が狭く感じたので、最近、机面を20cmほど拡大する追加工事を山路先生にしてもらった。

 立机での仕事だから、椅子は置いていない。私は「仕事の疲れは仕事で取る」がモットーである。だから椅子は不要である。

 電気スタンドは、1970年代に英国で製造されていたモデルで、2004年に復刻された製品である。落ち着いたデザインに魅了されて、ヤマギワ電気で購入した。

 

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資料

 資料も50年分のスクラップ資料(約300㎏)が整理できた。それは日経ビジネス、週刊ダイヤモンド、東洋経済、Will、致知、ゲーテ、週刊誌等のバックナンバー、記事のスクラップである。

 ニューヨークタイムズも8年分を整理した。これは後藤悦夫先生から勧められて、購読を始めた。2010年から2017年までの8年分の新聞の抜粋である。ニューヨークタイムズの記事は、テクニカルライティング上で勉強になると後藤先生から言われた。

 書棚(幅80×高180㎝)を別宅に14個導入した。自宅には4トンの蔵書がある。

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  50年分のスクラップ資料

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  8年分のニューヨークタイムズ

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 またパソコンが普及する前は、B6のカード(京大カード)で情報を整理していた。そのカード数が約10,000枚を超えた。それをB6ケースに整理した。それを立机の横に設置した。今でもそれを活用している。これも私が50年間、京大カードにメモを書き続けてきた人生跡である。

 

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IT道具

 プリンター兼コピー機(ブラザー製、2万円)も新設した。安価なWindow11ノートパソコンも先月に導入した。CPUはセロンだが、意外と性能がよく、安いパソコン(約9万円)を見直した。

 モニターもドラフターと場所を入れ替えた。モニターだからテレビは映らない。なにせアンテナ線もない。また電話を設置していない。静寂な環境を一方的に破壊するのは電話である。だから電話線は設置していない。必要な時、スマホを持ってくるだけだ。

 

おもてなし

 来る人行く人は皆福の神である。心しておもてなしをしよう。来客用の椅子も低座椅子を用意した。昔から使っていた普通の椅子の足を切って、低座椅子に改造した。低座椅子は、座ると視点が低くて、部屋が広く感じられて、落ち着いた気持ちになる。

 来客用で、小型冷蔵庫も設置した。中には飲み物しか入れていない。料理道具はケルトと小型電磁コンロだけである。

 

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ものつくり

 本箱の上のグライダーの模型キットは50年前の年代物である。結局組み立てず、そのままになっていた。その模型キットの箱を展示である。いつか組み立てたいと思っている。

 その横のヘリの箱は、ゴム動力式のスウェーデン製の模型キットである。美濃市の模型店で昨年、購入した。もったいなくて組み立てていない。これは飛ばせば直ぐ壊れそうだ。

 今後、飛行機の図面も書きたいし、音楽サロンの建築図面も書きたい。

 

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 馬場恵峰書

2022-09-01  久志能幾研究所通信 2479  小田泰仙

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2022年8月30日 (火)

ドラフター購入、鉛筆で線を引き夢を形にする

 

ご縁

 数年前から欲しいと思っていたドラフターを2022年8月24日に購入した。奇しくも町内の地蔵盆祭りの日である。私がドラフターに触らなくなって、約30年が経過していた。

 

 これもご縁である。欲しいと思っても、品物が手に入らない。今、正規の新品のドラフターを買えば40万円である。さすがにその値段では経済的に手が出ない。たまたま状態の良い中古品がメルカリで見つかり、それを入手した。商品の代金は安かったが、京都から大垣まで運ぶのにその代金以上のカネが必要であった。たまたま運んでくれる知人が出現した。これもご縁である。

 ドラフターは精密機器であるので、クロネコも佐川も西濃運輸にも、京都から大垣への運搬を断られた。そこで仏様が恩人を遣わしてくれた。感謝である。

 

 またいくら欲しくても、置き場所がなければ買えない。今は家にモノがあふれていて、とてもじゃないが大きな物は置き場所がない。たまたま2年前に別宅を入手して、今は仕事場があるので、大きなドラフターが置ける。これもご縁である。

 どんな出会いにも、ご縁があることを実感である。

 

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デジタルよりもアナログ

 真っ白な空間に一本の線を引く。その線を重ねて面ができあがる。その面が重なって立体が出来る。まるで人生の設計図を描くようだ。

 それはパソコンで文字を書くか、メモ用紙に手書きの字を書くかの差である。CADで図面を書くか、キャンパスに筆で絵を描くかの差である。位置情報、空間情報、夢への思いをどれだけ込めて、自由奔放に実際の形に創造するのだ。それにはアナログが適している。

 私は創造的な仕事にはドラフターに優位性があると判断した。今から、自分の夢をドラフターで書いて、それを実現するのだ。金儲け、時間効率を考えて図面を書くのではない。自分の夢を、ドラフターで、時間をかけて、手書きで書いていく人生の道を一歩一歩、確認しながら歩くのと同じである。無理やり走らなくてもよいのだ。時間に追われて走るのではないのだ。

 

私の経歴

 もともと私は技術者として、図面を書くのは好きであった。中学生のころから、飛行機の図面をよく書いていた。書くといっても航空雑誌の付録の図面を烏口でトレースして図面を描いただけである。それをもとに木製のソリッドモデルを作って遊んでいた。

 

 大学2年生の時、親にねだってドラフターを買ってもらった。当時の購入金額が6万円である。当時の仕送りが1万5千円で生活できた時代である。初任給が7万円チョットの時代である。ドラフターは高かったが、大学で特待生を獲得して授業料を免除したため、ご褒美として買ってもらった。

 就職して会社でドラフターを、仕事としてフルに使うので、自宅のドラフターは使うことはなくなり、10年後くらいに知人に譲ってしまった。

 

会社時代

 ドラフターは私がメシを食うために使った道具である。要求された仕様を満たすため、必死で線を引く。カンバンに追われ、上司の圧力を受けて、20年間、線を描き続けた。私は設計図を描く職人であり、機械開発技術者であった。ドラフターは、技術者には侍の刀と同じである。

 

CADの時代

 1990年ごろからドラフターからCADに変わっていったが、私にはドラフターが性に合っていた。その頃より、少し偉くなって、図面を描くのは若手の部下に任せるようになり、CADにはあまり触らなくなった。できた図面を検図する立場である。

 

技術管理部で三次元CAD導入

 それから時が流れ、部署が変わり、2000年から技術管理部署に異動になり、事業部の三次元CAD化を導入する責任者となった。親会社からの要求で三次元CAD化を進めた。しかし実際の創造的な開発には、その利用に疑問を感じていた。親会社が「三次元CAD化しないと仕事を出さない」と「脅迫」するのでは、いたしかたなかった。殿様の言う事は絶対なのだ。

 

 殿様が「カラスは白」と言えば、カラスは白なのだ。定年になり会社を離れて、やっと「カラスは黒」と言えるのは、幸せなことなのだ。

 

定年後の夢

 CADは金儲けを効率的に行うための道度である。定年後は、効率的に金儲けをする必要もない。夢の図を、思いを込めて一本一本と描いていくには、手書きでドラフターを使って描けばよいと判断して、ドラフターを購入した。そのデータを三次元データとして入力するのは、機械的な職人の仕事である。それは作業であって創造ではないのだ。

 

2022-08-30  久志能幾研究所通信 2477  小田泰仙

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2022年8月17日 (水)

豊かになるための方法

 

そのために必要な行動

 1 健康優先の生活を送る。

 2 豊かになりたいという熱望を持つ。

 3 縁を神仏の恵みと考え、縁なき縁は追わない。

 4 よき師を選択する。

 5 よりよいものを求め続ける。

 6 利他の精神で、義務と権利のバランスをとる。

 7 余分に払う、「まけろ」と言わない。

 8 神仏を敬う。

 

私は豊かになりたいと願い、鍛錬を続けている。

 

豊かさの方程式

 この世の出来事は、全て人間の為せる技の成果だ。その技は一朝一夕には身に付かない。仕事の技も武芸の技も、豊かになる技も同じである。そのために練習や鍛錬を積んで、初めて手に入る。

 日本の武道には、「生涯無敗伝説の宮本武蔵が『五輪書』で強調した「鍛錬」という言葉がある。 『鍛とは千日(3年間)の稽古、錬とは1万日(30年間以上)の毎日欠かさずの練習』をさす。だから30年の練習でやっと一人前である。それで世間とは一線を画した技が手に入る。並みの技で豊かにはなれない。

 

 グローバル経済教では、いかに自分は楽をして他人のカネを巻き上げるかに、血道を上げる。そんな簡単に手に入ったカネは、簡単に飛んでいく。カネの神様は地道な努力が好きなのだ。

 

 豊かさとは、カネがあることではない。心が豊か、生活の質が豊か、身体が健やかであって、初めて豊かな人生を送れる。豊かさは、求めるレベルを欲望で割れば、その価値が計算できる。どんなにカネや資源の豊富さを誇っても、欲望のレベルが大きければ、限りなくゼロに近い。餓鬼に世界に迷い込む。欲望を小さくさえすれば、豊かな生活が生まれる。

 

 立って半畳、寝て1畳、食べて1合である。どんなにカネを集めても、女を多く所用しても、どんなに家を沢山持っても、いくら車を数多く所有しても、一人の人間がそれに使える時間は限られる。飲みすぎ、食べ過ぎになれば、死が早くなる。どんなに金があっても時間は一日24時間しかない。健康寿命は72歳である。寝たきりになれば、カネがあっても使えない。豊かさの価値を考えよう。日本の富豪のように数兆円を集めても、あとどう使うの?である。

 

 豊かさの価値 = 理想の求める量 ÷ 欲望の量

 

1 健康

 どんなに豊かになっても、健康でなければ、絵にかいた餅である。豊かになるための第一条件には、健康が最優先である。

 自分の体は、神仏からの預かりものである。大事に使わないと、すぐ神仏から取り上げられる。それでは豊かになれない。

 エリートと称される人たちは、精神的には弱く挫折しやすい。心身が健康であって、初めて豊かなのだ。

 

2 熱望

 豊かであるためには、豊かになりたいという強い欲を持つことだ。誰よりも強く願うことだ。人生での勝負で、勝ちたいと思わないと、絶対に勝てない。皆が勝ちたいと思っている思っているから、その中で戦うは、闘争心が必須である。それは豊かさも同じである。

 豊かになりたいなら、豊かになる努力、鍛錬をすることだ。それなくして、豊かにはなれない。ただしどんな努力をしても、人間には器の大きさと人生のタイムリミットがある。それを忘れないようにしよう。

 

3 ご縁

 縁のめぐり合わせは人知を超えている。来た縁は大事にすることだ。また縁がない現実は、神仏が「縁がない」と言っているのだ。「縁がないという縁」を授かったのだ。そんな縁を無為に追うから豊かになれない。縁なき縁は追わずである。

 

4 よき師を3年かけて探す

5 何度も繰り返す

 どんなモノでも、最初から理想のものが手に入るわけではない。家だって3回建てないと満足した家にはならないという。それは万物に共通する。そのためには、最終的にどんな姿にするか長期ビジョンを持つことだ。最後の姿を目指して、鍛錬することだ。

 

6 分相応

 自分は全体の中の自らの「分」を頂いているだけだ。全体を考え(利他)、自分の義務を果して、初めて獲物が手に入る。そうでないと、分不相応として回りから嫉妬される。それでは豊かになれない。

 

7 投資

 豊かであれば、金品サービスを提供してくれる仲間に、感謝を込めて余分に払うのが、ご正道である。回り回って、きっと倍返しで返ってくる。それが豊かさである。

 だから金品サービスを提供してくれる仲間に、「まけろ」などと言ってはならない。値引き交渉などしなくても、豊かになれば相手が勝手に安くしてくれる。

 そのための最大の投資先は、自分である。自分に投資をすることだ。勉強することだ。

 

8 神仏

 そのご縁は全て神仏の賜物だ。神仏にお願い事はダメである。神仏は、感謝をして敬おう。縁は理を超えたところにある。捨てる神あれば拾う神あり。仏様はもっと人情がある。天はお茶目ないたずらをする。それに従おう。

 

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馬場恵峰書

2022-08-17   久志能幾研究所通信 2465  小田泰仙

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2022年8月10日 (水)

「働きかた改革」よりも「死にかた改革」

 

「私は死ぬために(行動し)、諸君は生きながらえるために(正論を唱える人間に死刑さえも宣告する)。もっとも両者のうちのいずれが、いっそう良き運命に出会えるか、それは神より外に誰も知る者がない。」

(久保勉訳『ソクラテスの弁明』岩波文庫

 死刑を宣告されたソクラテスはそう言って、毒杯を仰いで死んだ。

 朱記は著者。

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  Wikipedia 「ソクラテスの死」より

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「働きかた改革」

 政府は「働きかた改革」を推進している。しかしそれは血迷った政策だ。厚生労働省の役人は、「働きかた改革」の目的を、■働き手を増やすこと、■出生率の上昇、■労働生産性の向上と捉えている。

 下記は政府の働きかた改革のパンフレット

000474499.pdfをダウンロード

 つまり経済的な末梢的目的のための「働きかた改革」であって、人間の幸せを考えた本当の「働きかた改革」ではない。政府はその結果が思わしくないので、移民政策で逃げ道を探っている。

 日本人の幸せを政府は、増税、移民、がん増加原因の放置、医療費激増の放置、コロナ対策のデタラメで台無しにしている。すべて官僚の利権を確保するための働きかた改革である。

 

政府高官のああ勘違い

 政府官僚は、「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」、「働く人のニーズの多様化」の課題には、投資や改革による生産性向上と就業機会の拡大や働く環境の改革が必要だと考えて、多様な働き方を選択可能にして、成長と分配の好循環を構築し、働く人が将来の展望を持てるようにする、と綺麗ごとを述べている。

 

 この政策が実情にあわないから、また政策が間違っているから、全く成果が上がらない。しかし政府は間違いを認めず(高級官僚は自分の出世に響くから絶対に間違いを認めない)、だから政府はやけくそで、移民政策に逃げ道を求めている。

 その結果は、この30年間が雇用の減少と賃金の下落である。この30年間の日本の経済成長率はゼロである。誰が見ても政府の政策が間違っている。

 

洗脳

 「人は何のために働くのか」が曖昧のままだから、厚生労働省の「働きかた改革」のキャチコピーに騙されるのだ。「改革」とさえ言えば、国民を洗脳できると高級官僚は安易に考えている。

 人は何のために働くか。なんの為なら命を捧げてその仕事に一生を捧げることが出来るか、を明確にすべきである。日々、糧を得るためにだけ働くなら、犬畜生と変わらない。霊長類の頂点に立つ人間なら、その日暮らしでは情けない。

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 労働とは

 仏教では、ただひたすら働くことが説かれる。佛になるための修行である。 働くとは、利他行である。自分自身の我欲からの解脱である。

 欧米の考えでは、労働は神から与えられた苦業で、カネが出来れば早期引退が理想である。後の余生は遊んで暮らしたい、である。日本人は欧米とは価値観が違うのだ。特に米国はグローバル経済主義が蔓延してから、いかに楽をして他人からカネを巻きあげるかに血道を上げている。

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何のために

 もっとまじめに、何のために死ぬかを考えよう。そうすれば働きかたが変わる。人が生きるとは、何のために死ぬかが目的で、働きかたは、単なる一手段なのだ。その目的が明確なら、生涯現役で働ける。何のために死ぬかの意識がないから、定年退職後には、粗大ゴミ、ぬれ落ち葉、終わった人、徘徊老人、認知症になるのだ。

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 馬場恵峰書、文責は小田泰仙

 

2022-08-010   久志能幾研究所通信 2458  小田泰仙

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2022年8月 9日 (火)

ソニーα7RⅣで昇龍を撮る

 

 今回、後藤さんの工房で木彫の龍を撮影して、いろんなノウハウを獲得した。そのカメラの設定値は、絞り11固定、iso感度を自動応答にして(最大12,800まで)、シャッタースピード1/30で、手持ち撮影すれば、奥までピントが合って、画像にノイズも乗らないで撮影できる、である。画素数6100万の高密度で、常用感度12,800でノイズを気にせず撮影できるなんて、夢のようだ。

 カメラの画素数は6100万画素(9505× 6336)で、1ファイル41メガバイトである。今回は様子見でrawデータは止めにした。

 撮影した工房内は暗く、撮影には不向きな環境である。それでもソニーα7RⅣはなんなく仕事をこなしてくれた。50年前にブルーエンジェルスが名古屋空港に来たときの撮影は、感度ASA400の(当時の)高感度フィルムであったことを思い出すと、今の時代で最先端のカメラを駆使できる幸せを感じる。

 

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バランス重視

 問題は、カメラの技術進歩が速すぎて、データ容量の拡大スピードに周辺機器の進歩が追いつていないことだ。CPUが遅いパソコンでは、大容量のデータを扱うのが辛い。またカメラ店での印画でも、プリンターが600dpiだから、普通のサイズの印画では、画素数の大きさの差が目えない。

 最新のカメラで画素数が一億のカメラも手が届く時代となった。しかし、それを使いこなすには、周辺機器を全て買い直さないと使い物にならない。なにごともバランスが必要だ。

 

ハイスペック不要

 政治家や実業家でも、高学歴のハイスペックを誇っている人もいる。それは単にその昔、ペーパーテストのための記憶力だけが良かっただけで、人間的に優れているわけではない。革新を続けていたソニーも、東大出の役員が増えたら、心の病になる社員が激増したという。そして業界のモルモットと言われ、革新的製品を出し続けて来たソニーの社風は、並みの会社並みに堕ちた。あのストリンガー社長がアイボの開発を止めさせた。ソニー没落の始まりであった。人間として優秀とは何かを考えさせられる事例である。

 

昇龍とは

 上に立つ人は、何も才能で突出していなくても、当たり前に人の痛みや悲しみを理解できる人でよい。仕事は部下がやってくれるのだ。その環境創りが出来る人であれば良い。人々は干ばつになると弁財天に雨乞いをお願いする。弁財天の頭に鎮座する龍が、雨を降らすのではない。龍は雨雲の神様を動かして、雨を降らせるのだ。要は龍は天気運行会社の社長である。

 上に立つ人に必要なのは、才能ではなく、会社の夢を実現させたいという情熱である。情熱から生まれる上昇気流である。その実現のために龍は黙って部下を眺めるだけだ。その情熱が龍のように上昇気流を社内に巻き起こす。昔のソニーにはそれがあった。今のソニーにはそれがない。

 私は、自分有限会社の社長として、ソニーを他山の石として自省している。

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 彫刻師後藤大地氏作  後藤さんの工房にて

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2022-08-08   久志能幾研究所通信 2456  小田泰仙

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2022年8月 2日 (火)

ちゃぶ台返しは佛様の情け

 

 何ごとも自分の意志で動く、とだけ考えていると、事があったとき動揺しやすい。自分の意志を超えたものにも目を向けて生きたい。

     松下幸之助著『人生心得帖』 p50

 

 この歳になり分かったことは、過去の辛い出来事は「佛様のちゃぶ台返し」である、である。どんなに努力をしてきても、辛い出来事(ちゃぶ台返し)を経験すると、それがすべてオシャカとなる。それが人生の転機となり、そこで頑張れば、逆に人生が好転したことを20年後に分かるのだ。

 ちゃぶ台返しがあっても、腐らず今まで通りの精進を続けると、何時しか、そのちゃぶ台返しが、人生の序列がオールリセットとなり、出直しに導いてくれた。人生でやり直しはできないが、出直しは出来るのだ。

 

 「情け」とは「心」が「青い」と書く。佛様も茶目っ気があり、たまに若気を発揮する。佛様は完全無欠の神様ではなく、人が精進して就任した位である。まだまだ人間味がある。

 

 

東大安田講堂事件

 1968年から始まった東大紛争で、全共闘が闘争継続を主張して安田講堂等校舎の占拠・封鎖を続けた。1969年1月18日から19日にかけて、警視庁の出動要請を受けた機動隊が、安田講堂の封鎖解除と共闘派学生の大量検挙を行った。その騒動のため、1969年の東大入試が中止となった。

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 その影響の入試ドミノ倒し現象で、私は国立大学受験の全てを失敗し、滑り止めの私学に入った。そんな影響も受けず、有名大学に入学できた優秀な人を羨ましく思った。

 私は必死に受験勉強をしてきたが、来年も大学入試がどうなるか不明と脅され、父の定年の関係で、私学に行くことを受け入れた。

 このちゃぶ台返しが無ければ、当時の私のそこそこの学力で、二期校の国立大学に入学し、そこそこの成績で卒業しただろう。しかし周りは二期校とはいえ、国立大学に入学できた優秀な学生ばかりである。その成績では、そこそこの企業にしか就職できなかっただろう。多分、母の意向で地元の企業に就職したと思う。

 それが、世の中で、生まれた才能に支配された序列のままの世界で生きることになる。それが東大入試中止で、ちゃぶ台返しが起きた。

 

 また「あの大学紛争は何だったんだ」との思いは今もある。学生の本分は勉学である。それを放棄して、大学紛争に没頭するなどお花畑のオツムである。

 

大学生活

 私は大学入試の失敗の悔しさがあり、大学では真面目に勉強をした。当時の私学では、多くの仲間が遊んでいた。また私学では学園紛争は無縁で、ノンポリが殆どであった。その中で一番を取るのは、大学入試より簡単であった。当時の大学入試はレッドオーシャン(血まみれの海)であったが、大学の中はブルーオーシャンであった。その甲斐あって、特待生を獲得し、卒業時は総代として卒業証書を受け取った。そのため、トヨタ系の会社も推薦で入社できた。おかげで世界を相手に仕事が出来た。大学で特待生であったことは、その後の部署配置にもよい影響をもたらした。お陰でやりがいのある仕事に恵まれた。

 しかし、その十字架のせいで、辞めたいと何回も思ったが、それが出来なかった。それが長い会社生活には幸いした。お陰で定年まで勤めることが出来た。それも佛様のちゃぶ台返しのお陰である。

 

 

2022-08-02   久志能幾研究所通信 2450  小田泰仙

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2022年7月30日 (土)

夢の実現のため

 「できるはずだ」と確信すれば、脳はそれを実現するために最大限のアウトプットを行おうとする。それが凡人の思考方法である。凡人がバカげたことを成し遂げる。バカでないと、やれないことがある。

 「できるわけがない」と思えば、脳はその優秀ない機能を動員して、「出来ない」理由を考え始める。それがエリートの思考方法である。エリートは、馬鹿げた無駄なことはやらない。

 

 文字での目標値は、上から視線の説得である。それに対して、イメージ図での完成予想図は、納得である。人は他人を説得するのは大好きだが、説得されるのは大嫌いなのだ。だから自分を説得させず、自分で納得できるイメージ図は、夢実現に最適である。

 だから私は、そのイメージ図を家のあちこちに掲げている。そしてそれを見ながら、時折更新をしている。それで日々、夢の実現に向けて歩んでいる。

 

 どんな夢も一日にはならない。ローマは一日にして成らず、である。馬場恵峰先生が日中文化資料館を建てたのは60歳の時だが、その1億円の借金が完済されたのは84歳の時である。先生の夢が84歳で完成したのだ。夢が大きければ、それだけ時間がかかる。「千里の道も一歩から」である。だからこそ、長生きせねばならぬ。

 

 その夢の実現の為、2倍働けば、2倍早く実現する。人の倍の知恵を出せば、2倍早く実現する。人の2倍の投資(人・モノ・カネ・時間)をすれば、8倍の速度で実現する。

 狭い世界に閉じこもっていないで、障子を開けて世界を見れば、新しい展開が生まれる。佐吉翁曰く「障子を開けてみよ。外は広いぞ」。そうすれば知識と見識が増える。沢山取り組んで、多く失敗すれば、それだけ智慧が付く。智慧こそが、夢を実現する加速機である。智慧が1の努力を100倍にしてくれる。

 

 洗脳されて信じれば、普通のおばさんが1億円を統一教会に嬉々として寄進してしまう事態となる。悪いことでも、それを良いと騙されて行えば、悪魔が助けて、怖ろしいことが起きる。人間は、その気になれば何でも出来るのだ。

 この世の事象は、色即是空、空即是色、である。事象に善悪はない。それに色を付けるのは人間の意識である。

 だから、それが世のために良いことなら、堂々とやればよい。きっと仏様が助けてくれる。いつか世間が認めてくれる。

 

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 「マジョなるキャットサロン」のイメージ図

  魔女の絵は「すずはらりんご」さん作  

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2022-07-30  久志能幾研究所通信 2447号  小田泰仙

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2022年7月28日 (木)

虫歯菌と共生して虫歯予防、四運を一景に競う

 

 四運とは季節で言えば春夏秋冬である。人生で言えば、生老病死である。人生を季節に例えれば、春もあれば冬もある。

 一景とは、いつも同じ姿勢で対峙するとういう意味である。春でも浮かれず、冬でも沈みこまず、同じ姿勢で生活をする。

 人生で病気になっても、健康を謳歌しても、会社生活で出世しても、左遷させられても、全部同じ姿勢で受けとめよ、である。

 「 四運を一景に競う」とは道元禅師の言葉である。

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 虫歯や病気も一景として、冷静に来たご縁として見つめれば、その因果応報がみえてくる。それを見極めれば、解決策も出てくる。今回、虫歯というご縁を頂き、その原因と対策を調べることで、これからの生活を良くする策が見つかった。歯こそは、生きていくうえで、大事な食べ物を最初に処理をする大事な器官である。生きていないと、夢が実現しない。

 

共生

 人は大自然の中では一つの生き物に過ぎない。多くの生き物と共生して生きている。人間の体には無数の細菌と共生している。その口内には、大人で300~700種類の細菌が住む。よく歯磨きをしている人の口中には1000億~2000億個の細菌がいる。あまり磨かない人、磨けていない人には4000億~6000億個がいる。ほとんど磨かない人には1兆個もの細菌がいる。これは便より多い値である。

 それを口内の一部だけを磨くだけの歯磨きで、虫歯を防げると思うのは、お笑いである。まるで汚水が流れる川に打ち込まれた柱だけを磨いて、その柱の腐食防止が出来た思うようなものだ。

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虫歯の原因と予防

 今回、新たに獲得した知見は、「どんな食べものにも糖分があり、食べることで、中性であった口内は、酸性に変化する。口の中の菌は200万年も人間と共生してきた。虫歯菌は口から入ってきた食べ物を食べて排泄物として酸性の溶液を出す。それが歯の石灰質を融かす。その後20~40分間で、唾液の力でpHが戻り、再石灰化が始まり融けた歯を修復する。それで口内は元の中性に戻る。しかし食べ続ければ、口の中は酸性のままで、虫歯菌が繁殖する」である。

 食べ物を食べた後は、歯が常に虫歯菌に晒されている。それを守っているのは、唾液の力である。虫歯菌に侵蝕された石灰質層を唾液が復元してくれる。

 寝る前に何かを食べれば、寝ている間には唾液の循環が少ないので、虫歯菌が繁殖する。だから虫歯になる。

 (テレビに洗脳されて)絶えず間食をしていれば、唾液で修復する間がなく、虫歯になる。

 間食をせず、3食の間の時間を置けば、虫歯になりにくい。

 

口の中を中性の時間を長く保つのが、虫歯予防

 そのためには間食を止める。虫歯菌も生きている。その虫歯菌も200万年も人間と共生してきた生物だ。消毒薬でその虫歯菌を殺せば、人間も死んでしまう。その虫歯菌と共存するために、唾液の力を削がないようにしよう。唾液が虫歯を抑制してくれる。

 食事前に歯磨きをしよう。口内環境を良くして、食後に口内環境を整えるためだ。歯磨きをするなら食後は30分後に。食事の直後は、口内が酸性となっているので、歯磨きは不適切である。歯が削られてしまう。

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   食事後の口内のpH変化

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 間食を減らせば、歯が酸で溶かされる時間が減る。それが虫歯予防になる。

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 虫歯予防には、赤い部分を減らせよい。つまり間食を減らす。

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以上はYouTube「魔法の虫歯予防法」(夢デンタルチャンネルより)

大久保弘道歯科医師

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 結論として、いくら「歯磨きさえをすれば虫歯にならない」は嘘である。虫歯の最大の原因は、資本主義の売り上げ至上主義で、国民が飽食に「洗脳」されて、絶えず食べている習慣にさせられたのが原因である。

 それが原因で、口内の環境が悪くなり、虫歯菌が大活躍するのだ。歯を磨いても、ごく一部の掃除に過ぎず、口全体に住み着く口内菌にはほとんど影響がない。やるべきことは、唾液の循環をよくすることだ。口内菌に餌を常時与えないことだ。

 飽食は虫歯になり、糖尿病になり、がんになるのだ。そして命を無くす。食品メーカは、他責で儲かり、医療業界もそのおこぼれに預かる。

 そんなに食べ続けて、早く死にたいの? 食べ過ぎるとは、他の生き物の命を奪い過ぎる事。そのしっぺ返しは必ず来る。それが宇宙根源の理である。

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   馬場恵峰書

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2022-07-28  久志能幾研究所通信 2446号  小田泰仙

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2022年7月27日 (水)

無価珍、夢の実現に向けて

 

 カネもない、人もいない、時間もない、その状況下で夢を実現する。それが自分人生有限会社の経営者に課せられた宿命だ。人こそが、何もないこと処から、有形の形にすることが出来る存在である。悪いことに使うのでなければ、またそれが世のためになることなら、カネは何とでもなる。人の手もなんとかなる。しかしご縁との出会いは何ともならない。

 

ご縁

 ご縁の電車が来たら、その機を逃してはならない。カネも人もいなくても、一番大事な機(時)が到来したのだ。電車が来たら飛び乗らねばならぬ。それを逃すと、二度と来ない。後からカネや人のめどが立っても、電車が出たあとでは、何ともならない。自分が生きていられる時間は限られている。明日にも閻魔様から招集令状が来るやも知れぬ。

 ご縁との出逢いは、1億円の宝くじが連続で百万回当たる確率と同じである。自分がこの世に生まれてきたのも、同じ確率である。そのご縁を一生で一度のご縁、最初で最後のご縁と思うべきだ。

 その辺の市井の母親が、その気にされて、一億円を怪しい教団につぎ込む時代である。それが原因で安倍さんが殺された。カネなど何とでもなるのだ。カネとは貯める財産ではない。社会を有意義に過ごすための利用券である。

 

無価珍

 自分は荒野をさ迷い歩く乞食和尚と思えばよい。どんなに財宝を貯めても、来世には持って行けない。どんなに着飾っても死ぬ時は裸である。人は裸で生まれて裸で死んでいく。貴方が着飾った姿は、アレキサンダー大王の晴れ着姿より立派なのだ。それが死ぬときに、何になるのだ。

 布袋和尚は、弥勒菩薩の化身のお坊様である。和尚は三千世界を乞食のような姿で自由奔放に走り回っておられる。何物にもとらわれないから、自由奔放である。特定の新興宗教に縛られることもない。人生で何かに縛られれば地獄行きだ。和尚の背中には堪忍袋を抱えている。その中に「無価珍」というお宝を入れている。

 無価珍とは、カネでは買えない何物にも代えがたいお宝である。それが飛び出さないように、その袋口をしっかりの握りしめる。それを「堪忍袋の緒を締める」という。

 自分が考える「無価珍」とは何かを考えよう。私は志や夢が無価珍であると考える。

 

Dsc099581s 馬場恵峰書

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2022-07-26  久志能幾研究所通信 2444号  小田泰仙

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