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2022年8月 9日 (火)

ソニーα7RⅣで昇龍を撮る

 

 今回、後藤さんの工房で木彫の龍を撮影して、いろんなノウハウを獲得した。そのカメラの設定値は、絞り11固定、iso感度を自動応答にして(最大12,800まで)、シャッタースピード1/30で、手持ち撮影すれば、奥までピントが合って、画像にノイズも乗らないで撮影できる、である。画素数6100万の高密度で、常用感度12,800でノイズを気にせず撮影できるなんて、夢のようだ。

 カメラの画素数は6100万画素(9505× 6336)で、1ファイル41メガバイトである。今回は様子見でrawデータは止めにした。

 撮影した工房内は暗く、撮影には不向きな環境である。それでもソニーα7RⅣはなんなく仕事をこなしてくれた。50年前にブルーエンジェルスが名古屋空港に来たときの撮影は、感度ASA400の(当時の)高感度フィルムであったことを思い出すと、今の時代で最先端のカメラを駆使できる幸せを感じる。

 

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バランス重視

 問題は、カメラの技術進歩が速すぎて、データ容量の拡大スピードに周辺機器の進歩が追いつていないことだ。CPUが遅いパソコンでは、大容量のデータを扱うのが辛い。またカメラ店での印画でも、プリンターが600dpiだから、普通のサイズの印画では、画素数の大きさの差が目えない。

 最新のカメラで画素数が一億のカメラも手が届く時代となった。しかし、それを使いこなすには、周辺機器を全て買い直さないと使い物にならない。なにごともバランスが必要だ。

 

ハイスペック不要

 政治家や実業家でも、高学歴のハイスペックを誇っている人もいる。それは単にその昔、ペーパーテストのための記憶力だけが良かっただけで、人間的に優れているわけではない。革新を続けていたソニーも、東大出の役員が増えたら、心の病になる社員が激増したという。そして業界のモルモットと言われ、革新的製品を出し続けて来たソニーの社風は、並みの会社並みに堕ちた。あのストリンガー社長がアイボの開発を止めさせた。ソニー没落の始まりであった。人間として優秀とは何かを考えさせられる事例である。

 

昇龍とは

 上に立つ人は、何も才能で突出していなくても、当たり前に人の痛みや悲しみを理解できる人でよい。仕事は部下がやってくれるのだ。その環境創りが出来る人であれば良い。人々は干ばつになると弁財天に雨乞いをお願いする。弁財天の頭に鎮座する龍が、雨を降らすのではない。龍は雨雲の神様を動かして、雨を降らせるのだ。要は龍は天気運行会社の社長である。

 上に立つ人に必要なのは、才能ではなく、会社の夢を実現させたいという情熱である。情熱から生まれる上昇気流である。その実現のために龍は黙って部下を眺めるだけだ。その情熱が龍のように上昇気流を社内に巻き起こす。昔のソニーにはそれがあった。今のソニーにはそれがない。

 私は、自分有限会社の社長として、ソニーを他山の石として自省している。

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 彫刻師後藤大地氏作  後藤さんの工房にて

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2022-08-08   久志能幾研究所通信 2456  小田泰仙

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2022年8月 2日 (火)

ちゃぶ台返しは佛様の情け

 

 何ごとも自分の意志で動く、とだけ考えていると、事があったとき動揺しやすい。自分の意志を超えたものにも目を向けて生きたい。

     松下幸之助著『人生心得帖』 p50

 

 この歳になり分かったことは、過去の辛い出来事は「佛様のちゃぶ台返し」である、である。どんなに努力をしてきても、辛い出来事(ちゃぶ台返し)を経験すると、それがすべてオシャカとなる。それが人生の転機となり、そこで頑張れば、逆に人生が好転したことを20年後に分かるのだ。

 ちゃぶ台返しがあっても、腐らず今まで通りの精進を続けると、何時しか、そのちゃぶ台返しが、人生の序列がオールリセットとなり、出直しに導いてくれた。人生でやり直しはできないが、出直しは出来るのだ。

 

 「情け」とは「心」が「青い」と書く。佛様も茶目っ気があり、たまに若気を発揮する。佛様は完全無欠の神様ではなく、人が精進して就任した位である。まだまだ人間味がある。

 

 

東大安田講堂事件

 1968年から始まった東大紛争で、全共闘が闘争継続を主張して安田講堂等校舎の占拠・封鎖を続けた。1969年1月18日から19日にかけて、警視庁の出動要請を受けた機動隊が、安田講堂の封鎖解除と共闘派学生の大量検挙を行った。その騒動のため、1969年の東大入試が中止となった。

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 その影響の入試ドミノ倒し現象で、私は国立大学受験の全てを失敗し、滑り止めの私学に入った。そんな影響も受けず、有名大学に入学できた優秀な人を羨ましく思った。

 私は必死に受験勉強をしてきたが、来年も大学入試がどうなるか不明と脅され、父の定年の関係で、私学に行くことを受け入れた。

 このちゃぶ台返しが無ければ、当時の私のそこそこの学力で、二期校の国立大学に入学し、そこそこの成績で卒業しただろう。しかし周りは二期校とはいえ、国立大学に入学できた優秀な学生ばかりである。その成績では、そこそこの企業にしか就職できなかっただろう。多分、母の意向で地元の企業に就職したと思う。

 それが、世の中で、生まれた才能に支配された序列のままの世界で生きることになる。それが東大入試中止で、ちゃぶ台返しが起きた。

 

 また「あの大学紛争は何だったんだ」との思いは今もある。学生の本分は勉学である。それを放棄して、大学紛争に没頭するなどお花畑のオツムである。

 

大学生活

 私は大学入試の失敗の悔しさがあり、大学では真面目に勉強をした。当時の私学では、多くの仲間が遊んでいた。また私学では学園紛争は無縁で、ノンポリが殆どであった。その中で一番を取るのは、大学入試より簡単であった。当時の大学入試はレッドオーシャン(血まみれの海)であったが、大学の中はブルーオーシャンであった。その甲斐あって、特待生を獲得し、卒業時は総代として卒業証書を受け取った。そのため、トヨタ系の会社も推薦で入社できた。おかげで世界を相手に仕事が出来た。大学で特待生であったことは、その後の部署配置にもよい影響をもたらした。お陰でやりがいのある仕事に恵まれた。

 しかし、その十字架のせいで、辞めたいと何回も思ったが、それが出来なかった。それが長い会社生活には幸いした。お陰で定年まで勤めることが出来た。それも佛様のちゃぶ台返しのお陰である。

 

 

2022-08-02   久志能幾研究所通信 2450  小田泰仙

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2022年7月30日 (土)

夢の実現のため

 「できるはずだ」と確信すれば、脳はそれを実現するために最大限のアウトプットを行おうとする。それが凡人の思考方法である。凡人がバカげたことを成し遂げる。バカでないと、やれないことがある。

 「できるわけがない」と思えば、脳はその優秀ない機能を動員して、「出来ない」理由を考え始める。それがエリートの思考方法である。エリートは、馬鹿げた無駄なことはやらない。

 

 文字での目標値は、上から視線の説得である。それに対して、イメージ図での完成予想図は、納得である。人は他人を説得するのは大好きだが、説得されるのは大嫌いなのだ。だから自分を説得させず、自分で納得できるイメージ図は、夢実現に最適である。

 だから私は、そのイメージ図を家のあちこちに掲げている。そしてそれを見ながら、時折更新をしている。それで日々、夢の実現に向けて歩んでいる。

 

 どんな夢も一日にはならない。ローマは一日にして成らず、である。馬場恵峰先生が日中文化資料館を建てたのは60歳の時だが、その1億円の借金が完済されたのは84歳の時である。先生の夢が84歳で完成したのだ。夢が大きければ、それだけ時間がかかる。「千里の道も一歩から」である。だからこそ、長生きせねばならぬ。

 

 その夢の実現の為、2倍働けば、2倍早く実現する。人の倍の知恵を出せば、2倍早く実現する。人の2倍の投資(人・モノ・カネ・時間)をすれば、8倍の速度で実現する。

 狭い世界に閉じこもっていないで、障子を開けて世界を見れば、新しい展開が生まれる。佐吉翁曰く「障子を開けてみよ。外は広いぞ」。そうすれば知識と見識が増える。沢山取り組んで、多く失敗すれば、それだけ智慧が付く。智慧こそが、夢を実現する加速機である。智慧が1の努力を100倍にしてくれる。

 

 洗脳されて信じれば、普通のおばさんが1億円を統一教会に嬉々として寄進してしまう事態となる。悪いことでも、それを良いと騙されて行えば、悪魔が助けて、怖ろしいことが起きる。人間は、その気になれば何でも出来るのだ。

 この世の事象は、色即是空、空即是色、である。事象に善悪はない。それに色を付けるのは人間の意識である。

 だから、それが世のために良いことなら、堂々とやればよい。きっと仏様が助けてくれる。いつか世間が認めてくれる。

 

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 「マジョなるキャットサロン」のイメージ図

  魔女の絵は「すずはらりんご」さん作  

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2022-07-30  久志能幾研究所通信 2447号  小田泰仙

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2022年7月28日 (木)

虫歯菌と共生して虫歯予防、四運を一景に競う

 

 四運とは季節で言えば春夏秋冬である。人生で言えば、生老病死である。人生を季節に例えれば、春もあれば冬もある。

 一景とは、いつも同じ姿勢で対峙するとういう意味である。春でも浮かれず、冬でも沈みこまず、同じ姿勢で生活をする。

 人生で病気になっても、健康を謳歌しても、会社生活で出世しても、左遷させられても、全部同じ姿勢で受けとめよ、である。

 「 四運を一景に競う」とは道元禅師の言葉である。

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 虫歯や病気も一景として、冷静に来たご縁として見つめれば、その因果応報がみえてくる。それを見極めれば、解決策も出てくる。今回、虫歯というご縁を頂き、その原因と対策を調べることで、これからの生活を良くする策が見つかった。歯こそは、生きていくうえで、大事な食べ物を最初に処理をする大事な器官である。生きていないと、夢が実現しない。

 

共生

 人は大自然の中では一つの生き物に過ぎない。多くの生き物と共生して生きている。人間の体には無数の細菌と共生している。その口内には、大人で300~700種類の細菌が住む。よく歯磨きをしている人の口中には1000億~2000億個の細菌がいる。あまり磨かない人、磨けていない人には4000億~6000億個がいる。ほとんど磨かない人には1兆個もの細菌がいる。これは便より多い値である。

 それを口内の一部だけを磨くだけの歯磨きで、虫歯を防げると思うのは、お笑いである。まるで汚水が流れる川に打ち込まれた柱だけを磨いて、その柱の腐食防止が出来た思うようなものだ。

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虫歯の原因と予防

 今回、新たに獲得した知見は、「どんな食べものにも糖分があり、食べることで、中性であった口内は、酸性に変化する。口の中の菌は200万年も人間と共生してきた。虫歯菌は口から入ってきた食べ物を食べて排泄物として酸性の溶液を出す。それが歯の石灰質を融かす。その後20~40分間で、唾液の力でpHが戻り、再石灰化が始まり融けた歯を修復する。それで口内は元の中性に戻る。しかし食べ続ければ、口の中は酸性のままで、虫歯菌が繁殖する」である。

 食べ物を食べた後は、歯が常に虫歯菌に晒されている。それを守っているのは、唾液の力である。虫歯菌に侵蝕された石灰質層を唾液が復元してくれる。

 寝る前に何かを食べれば、寝ている間には唾液の循環が少ないので、虫歯菌が繁殖する。だから虫歯になる。

 (テレビに洗脳されて)絶えず間食をしていれば、唾液で修復する間がなく、虫歯になる。

 間食をせず、3食の間の時間を置けば、虫歯になりにくい。

 

口の中を中性の時間を長く保つのが、虫歯予防

 そのためには間食を止める。虫歯菌も生きている。その虫歯菌も200万年も人間と共生してきた生物だ。消毒薬でその虫歯菌を殺せば、人間も死んでしまう。その虫歯菌と共存するために、唾液の力を削がないようにしよう。唾液が虫歯を抑制してくれる。

 食事前に歯磨きをしよう。口内環境を良くして、食後に口内環境を整えるためだ。歯磨きをするなら食後は30分後に。食事の直後は、口内が酸性となっているので、歯磨きは不適切である。歯が削られてしまう。

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   食事後の口内のpH変化

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 間食を減らせば、歯が酸で溶かされる時間が減る。それが虫歯予防になる。

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 虫歯予防には、赤い部分を減らせよい。つまり間食を減らす。

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以上はYouTube「魔法の虫歯予防法」(夢デンタルチャンネルより)

大久保弘道歯科医師

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 結論として、いくら「歯磨きさえをすれば虫歯にならない」は嘘である。虫歯の最大の原因は、資本主義の売り上げ至上主義で、国民が飽食に「洗脳」されて、絶えず食べている習慣にさせられたのが原因である。

 それが原因で、口内の環境が悪くなり、虫歯菌が大活躍するのだ。歯を磨いても、ごく一部の掃除に過ぎず、口全体に住み着く口内菌にはほとんど影響がない。やるべきことは、唾液の循環をよくすることだ。口内菌に餌を常時与えないことだ。

 飽食は虫歯になり、糖尿病になり、がんになるのだ。そして命を無くす。食品メーカは、他責で儲かり、医療業界もそのおこぼれに預かる。

 そんなに食べ続けて、早く死にたいの? 食べ過ぎるとは、他の生き物の命を奪い過ぎる事。そのしっぺ返しは必ず来る。それが宇宙根源の理である。

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   馬場恵峰書

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2022-07-28  久志能幾研究所通信 2446号  小田泰仙

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2022年7月27日 (水)

無価珍、夢の実現に向けて

 

 カネもない、人もいない、時間もない、その状況下で夢を実現する。それが自分人生有限会社の経営者に課せられた宿命だ。人こそが、何もないこと処から、有形の形にすることが出来る存在である。悪いことに使うのでなければ、またそれが世のためになることなら、カネは何とでもなる。人の手もなんとかなる。しかしご縁との出会いは何ともならない。

 

ご縁

 ご縁の電車が来たら、その機を逃してはならない。カネも人もいなくても、一番大事な機(時)が到来したのだ。電車が来たら飛び乗らねばならぬ。それを逃すと、二度と来ない。後からカネや人のめどが立っても、電車が出たあとでは、何ともならない。自分が生きていられる時間は限られている。明日にも閻魔様から招集令状が来るやも知れぬ。

 ご縁との出逢いは、1億円の宝くじが連続で百万回当たる確率と同じである。自分がこの世に生まれてきたのも、同じ確率である。そのご縁を一生で一度のご縁、最初で最後のご縁と思うべきだ。

 その辺の市井の母親が、その気にされて、一億円を怪しい教団につぎ込む時代である。それが原因で安倍さんが殺された。カネなど何とでもなるのだ。カネとは貯める財産ではない。社会を有意義に過ごすための利用券である。

 

無価珍

 自分は荒野をさ迷い歩く乞食和尚と思えばよい。どんなに財宝を貯めても、来世には持って行けない。どんなに着飾っても死ぬ時は裸である。人は裸で生まれて裸で死んでいく。貴方が着飾った姿は、アレキサンダー大王の晴れ着姿より立派なのだ。それが死ぬときに、何になるのだ。

 布袋和尚は、弥勒菩薩の化身のお坊様である。和尚は三千世界を乞食のような姿で自由奔放に走り回っておられる。何物にもとらわれないから、自由奔放である。特定の新興宗教に縛られることもない。人生で何かに縛られれば地獄行きだ。和尚の背中には堪忍袋を抱えている。その中に「無価珍」というお宝を入れている。

 無価珍とは、カネでは買えない何物にも代えがたいお宝である。それが飛び出さないように、その袋口をしっかりの握りしめる。それを「堪忍袋の緒を締める」という。

 自分が考える「無価珍」とは何かを考えよう。私は志や夢が無価珍であると考える。

 

Dsc099581s 馬場恵峰書

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2022-07-26  久志能幾研究所通信 2444号  小田泰仙

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2022年7月21日 (木)

オダ仏教の勝負事

「人生勝負に生きる」  

 三人の大先生の総和において、私が徹底的に叩き込まれたものは、「人生すべては勝負である。勝負のすべては闘志と努力である」ということだった。

   石田退三著『トヨタ語録』 p84

 

 その昔、トヨタ生産方式教に入信(?)していた私には、トヨタの石田退三氏は神様のような存在だ。しかし上記の言葉は少し物足りない。闘志と努力の大前提として、生かされていることと健康があるからだ。

 

石田 退三(1888年 - 1979年)は、豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)及びトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の社長会長相談役。 戦後のトヨタ自動車の建て直しをし、「トヨタの大番頭」と呼ばれる。 また、豊田英二と共に「トヨタ中興の祖」とも呼ばれる

 この項、wikipediaより

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解雇

 生死は神仏の管轄範囲である。しかし歴史小説を読んでいると、なぜこの人物がこの場面で死んだのか、なぜこの主人公が生き延びたのかを考えたくなる場面が多い。思うに、人事部の閻魔大王様の逆鱗に触れ、人生劇場から解雇されたようだ。それが突然の死なのだろう。

 だからこそ神仏に恥じない生き方が問われる。世のために生きている人には、神仏の加護があるようだ。

 

人生舞台の俳優に必須

 また自分の病気の経験から、健康でないと人生舞台に立てない。そうでないと闘志も努力もあったものではない。健康とは体と心の健やかさを言う。体が正常で、心も健やかでないと、何ひとつ完遂出来ない。いくら体が頑強で、有名大学出でも、精神を病んでは生きる屍である。そういう事例を会社生活で多く見てきた。

 自分も鬱病寸前の状態を経験した。そうなると、舞台に立つのが辛い。またがんを患い、その療養生活で健康の有難さを痛感した。健康でないと汗水たらして働くことができず、1円も稼げない。人生を生きるとは、最大の勝負事である。持てる資源の頂いた命を最大限に活用する。だから人生の勝負で健康が最優先である。

 

夢の実現

 夢の実現のためには、死んでもいいけど、まず健康管理である。生死は神仏に任せよう。それから夢の実現へ道の一歩が始まる。千里の道も一歩より。だから私は夢の実現の為、毎朝の散歩を欠かさない。

 自分の健康管理は、当たり前を当たり前にこなす。それしかない。人の最大の敵は、怠惰に走り勝ちのもう一人の自分なのだ。その敵と闘わないと、病気にされる。

 

快気祝い

 私は2019年2月のガン手術から回復の目途が立ち、その快気祝いに、馬場恵峰先生に「福如雲」を揮毫してもらい、それを皆さんに配った。2019‎年‎10‎月‎10‎日、恵峰先生は黙々15枚の色紙に揮毫をされた。感謝である。

 馬場恵峰先生が亡くなられたのは、その14ケ月後の2021年1月1日であった。ご冥福をお祈りいたします。

 

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 2019年10月10日 揮毫 

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 揮毫は色紙の後ろ側から書く。そうしないと字がこすれて色紙を汚すから。


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 2022-07-21  久志能幾研究所通信 2439号  小田泰仙

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書に書法の「理」があり、人生に処法の「理」あり

 

 「理」から外れた書を貰っても自分のためにならない。書の師と経営の師とは別である。いくら経営の神様の書でも、書の理に反した書を弟子に配布すれば、無理を振りまくことになる。言葉には魂が籠り、書にはその人の人格が現れる。

 

 いくら恩義を感じる師の弟子でも、人生の処法の「理」に外れた行いは、人を傷つける。それは義理を欠くという。それを人生で無「理」という。それが分からない人には、今後、よからぬ迷惑を受ける恐れがあるので、私は今後の縁を切った。触らぬ神に祟りなしである。私は今日、その人から不義理な仕打ちを受けた。いくら縁があっても、芸が高くても、金があっても、地位が高くても、「理」に反していれば、どこかで破綻する。人間として、生き方の処方の「理」を守ろう。

 

 生体の食法の「理」に反した食品は、体を傷つける。添加物まみれのファストフードは毒である。それを食べ続ければ、がんになるのは、自然界の「理」である。現代日本人は、戦後、拝金主義に染まった食品業界に毒を盛られたのだ。

 

 己の利権のために添加物を無秩序に認可した汚役人に毒を盛られたのだ。自然界の「理」に反したから、日本でガンが激増しているのだ。

 

 「理」に反して偏向しているマスコミは、食品業界の宣伝費に目が眩み、それを正しく報道することはない。マスコミは報道の道を外れて「理」性を失っている。

 

 人間は動物としての生理的生き方の「理」に反した生活を送るから病気になる。生物としての生き方の「理」を考えよう。動物は、食べて、動いて、寝る。そのバランスが崩れた時、病気になる。食べ過ぎて、動かず、睡眠不足の生活を送るから、病気になる。

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2022-07-20  久志能幾研究所通信 2438号  小田泰仙

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2022年7月19日 (火)

師の後姿から洗脳される

 

 「自分だって出来る」と思わせるのも洗脳である。「できない」と思い込んでいる「脳味噌を洗い流して」「自分は出来る」と思う頭に変えるのも洗脳である。良い洗脳である。新たな発想で、新事業を展開する。それも師が後ろ姿でその行動を見せて、弟子を洗脳した結果である。

 

 馬場恵峰先生は60歳の時、1億円の借金を背負い、社会貢献として日中文化資料館と図書館を建てた。実家の家屋敷を担保に入れ、生命保険に入り、銀行から1億円を借りた。そして24年かけて借金を完済した。その時、御年、84歳である。それまでに、中国に自費で240回も訪中をしている。一回の旅費30万円としても、総額7,200万円の投資である。中国人への教育のためである。先生は浙江工科大学の客員教授も務められた。

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 日中文化資料館(敷地350坪)  平成元年 建設

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  三昧楼(付属図書館) 平成五年 建設

 

 それを見ていた宮崎市のY弟子は、家業の自動車整備工場を経営していたが、更に重機も整備できる新事業を始めた。新規の投資費用は1億円。彼の年齢は60歳前後である。

 

 同じく恵峰先生に感化された盛岡市の電気工事屋のS弟子は、仙台市で新しい事業を始めた。既に家業は息子に社長を譲っている。投資費用1億円。彼の年齢も、60歳前後である。

 

 私の美術の先生である山路徹先生は、81歳である。先日、「木育 ものつくり展」を企画、実行された。その活動的な姿を見ていると、自分ものうのうとしていられない。

 良き師に洗脳されるのは、幸せである。

久志能幾研究所通信: 「木育 ものつくり展」 見学記

yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2022/07/post-4294.html

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 私も恵峰先生に触発され、音楽ホールを建てる夢のため動き始めている。そのタイミングで200坪の土地も見つかった。具体的に動けば、具体的に何かが起きてくる。

 現在、1年前に手に入れたホール予定物件より、更に進化したホールを作ろうと計画中である。これもホール予定物件を手に入れたから、生まれたご縁である。ホール予定物件は、貸出ギャラリーにしようと計画を変更した。

 

 

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  旧の計画図   現在、新しいイメージ図を構想中

 

2022-07-19  久志能幾研究所通信 2437号  小田泰仙

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2022年7月 3日 (日)

壁にぶつかり小休止 勇気と智慧を抱え 一歩前進

 

 人間稼業を長くやっていると、壁にぶち当たることは、何度でもある。人生で壁があって当たり前である。壁のない人事(人の営み)などない。

 その時、壁の大きさや高さを嘆いても何の解決にもならないことは、経験的に分かることだ。自分が変わらないかぎり何も変わらない。自分が自分の殻を破り、能力を付け成長して、はじめて壁を乗り越えられる。

 

洗脳教育、躾

 人の性格は、幼年期から脳が97%も完成する13歳までに、ダメ親から10万回も悪い刺激を受ける。それで頭の思考がカチンカチンに固まっている。それが人の性格である。それを打破するなど至難の業である。歪んだ性格は、親からの躾の影響である。その典型の例がKK息子である。

 それを心理学者のエリック・バーン博士は、TA(対人交流)という理論でまとめた。

 人は一日に20回も選択をするという。目の前の事象で右がいいか、左がいいかの選択で、それを約10万回も繰り返して、脳の思考回路が固まる(20回×365日×13年=94,900回)。その選択の過程で、両親の無言の圧力や親の顔色を見ることもあり、選択肢が決まって性格が出来てくる。ある意味、子供の性格は親による洗脳の結果である。三つ子の魂百まで、である。それを潜在意識という。

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修正教育

 そういう自己の性格を改造するため、自己啓発セミナーや、経営者セミナーで私は百万円単位のカネを使った。お陰で、多少はその性格を正しい方向に少し軌道修正することが出来たようだ。しかしカチンカチンの固定観念に少しヒビが入っただけである。

 

観察

 それ故、相手を変えることは、仏様でも難しいのに、凡人の我々がそんなことをできるはずがない。我々に出来ることは、相手がどう変わったかを観察することだけだ。

 人生での壁はプロジェクトの壁もあるが、一番大きな壁は人間関係である。会社生活で一番悩まされた壁が、人間関係である。まるで嫁姑戦争と同じである。

 

神の目

 そういう事態を、第三者の目で離れて見て、一歩下がって見て、上から、下から眺めてみて、やっと解決できる手段が分かる。しかしサラリーマン時代の私にはその余裕がなく、ドタバタ劇を演じてしまった。今思うと滑稽である。いまそんな修羅場から一歩離れてやっと冷静に観察ができる。

 

洗脳された汚役人・政治屋

 人の性格が変わらないことを示すのは、官僚や政治家の言動である。自分の利権のために働くと、次の行動も同じになる。そうやって長年、汚役人・政治屋を続けといると、国民や市民のことなど目に入らなくなる脳構造となる。その結果が、食品添加物の認可数が世界一の日本が出来上がる。不況でも平気で増税をする政治屋が出来上がる。

 利権に洗脳されると、市民がコロナ禍で雇止めや、狂乱物価で困っていても、自分達の利権のため「ゴミ袋有料化」を強引に進める大垣市の石田仁市長や近沢正議員(ゴミ袋有料化推進委員長)、市会議員達の利権集団が結成される。それが洗脳の恐ろしさだ。

 

世界の化学合成添加物認可数

日本   … 約350品目

 日本で実際の使われている添加物は1500種ほどである。日本の汚役人が利権に洗脳された結果である。その影響で国民の2人に一人をガンになる環境にした。

 

アメリカ…約130品目

ドイツ …約 60品目

フランス…約 30品目

イギリス…約 20品目

 

日本では厚生労働省が指定する指定添加物455品目のほか、昔から使用されていて安全性に問題がないと認められている既存添加物365品目、植物や動物などが原料の天然香料が約600品目、食品が添加物として使用されている。

https://toyokeizai.net/articles/-/282865?page=2#:~:text=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E3%81%AF%E5%8E%9A%E7%94%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D,%E7%94%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

 

2022-07-03  久志能幾研究所通信 2424号  小田泰仙

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2022年6月28日 (火)

恵峰師から学んだ老計・死計

 

 馬場恵峰先生は2021年1月1日に亡くなられた。私は師の後ろ姿を15年間見てきて、老年期から最期までの生き方を学ばせてもらった。それは老計と死計である。

 今まで多くの師を看取ってきたが、最期まで見守れたのは恵峰先生だけである。死にゆく恵峰師は、段々と弱っていき、静かに息を引き取られた。人間として当たり前の自然な穏やかな死にかたを教えてくれた。

 

カネの世界と無縁

 群れから離れて生きよ。群れれば考えなくなる。自分の存在を見つめよ。

 これは馬場恵峰先生が日本書道界に属せず、一人で書道をやって来られた。今の書道界は、カネの世界で、段を授与する世界や展示会の世界は、カネで動いていることに嫌気がさしておられて、師はそれと断絶した世界で生きてこられた。そのお陰で、多くの恵峰先生の書を入手できたことを喜びたい。私のお宝である。

 

孤独と孤立

 一人でいても寂しくない自分を育てよ。人は裸で生まれて裸で死んでいく。誰も一緒に死んでくれない。

 寂しいと思うから、心が乱れて、時間が作れなくなる。一人なら無限の時間が創れる。芸術家は孤独である。しかし孤立ではない。

 人は生れ、成長曲線に乗り成長をして、その後、放物線を描いて落下するように死んでいく。永遠に一直線の成長曲線に乗っているわけではない。成長が終われば、後は死ぬだけだ。その落下の放物曲線を如何に長く持たせるかだけである。

 

生涯現役

 生きている限り、現役で生涯をかけた仕事に邁進する。それが一番の幸せである。朝起きて、特にやることのない一日など地獄である。それは世の中から必要とされていない存在である。早く死んだ方が、世のためである。

 師は最後の1か月程は寝込まれたが、それまでは現役として活躍された。弟子の指導、全国を駆け巡り講演活動、後進のために多くの書を遺された。

 

老計・死計とは、五福の完成

 恵峰先生は幸福になる5つの要素を実践され完成された。人間の幸せは、五福(長寿、富、健康、道徳を好む、天命を全うする)である。94歳の天寿を全うするのは大変だ。

 その後ろ姿がその五福を実践する姿であった。いくら立派なことを言っても、病気ではダメだ。早死にしてはダメだ。貧乏ではダメ。がめついだけで徳が無ければ、人はついてこない。

 人が死んで残るのは、その人の徳の航跡なのだ。その人の想い出なのだ。カネはあの世に持って行けない。残ったカネにはなんの有難みもない。すぐ消える。しかし思い出は何時までも、後進の心に残る。

 

花鳥風月の世界に

 私は、今まで理工系の社会で生きてきて、かならず数値的に優劣をつける社会で生きてきた。だからどうしても価値観がそのように染まりがちである。しかし、会社を離れてからは、そういう社会とは違った世界に身を置くのが良いと渡部昇一先生は主張される。だから今はそういう生活を心がけている。

 馬場恵峰先生と付き合ってそういう生活を目の当たりにして、心が落ち着くようだ。それが老年期の理想的な過ごし方である。

 

恵峰先生の幸せ

 恵峰先生は、がんが見つかったが、高齢で手術もできず、余命も見えたので、家族が自宅で最後まで面倒を見る事を決意された。それで入院もされず、自宅で亡くなられた。先生は、病院で薬漬けの入院生活ではなく、介護の人が定期的に訪問され、自宅で大勢の弟子のお見舞いに囲まれ、穏やかに過ごされた。家族が交代で先生のお世話をされ、1か月ほど自宅で過ごされ、眠るように2021年1月1日に永眠された。

 

 私のお見舞いの訪問時は、私は先生から空気みたいに扱われた。要は家族と同じ扱いである。それが一番うれしかった。穏やかに、先生と最後の時間を過ごすことが出来て幸せであった。先生は、突然死でもなく、自然なお別れであった。私もそういうお別れをしたいと思う。それが恵峰先生の最後の「死に方」の教えであった。

 

最期の言葉

 私が先生から聞いた病床での教えは「縁あって花開き、恩有って実を結ぶ」、「ありがとう」である。それを何度も口にされた。それが先生の94年間の人生の総括である。

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 馬場恵峰書

 この書は2016年に贈って頂いた。先生が、この書を揮毫された2006年は、私が先生と出会った年である。それを今日、気が付いた。不思議な因縁である。

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2022-06-28  久志能幾研究所通信 2419号  小田泰仙

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