ちゃぶ台返しは佛様の情け
何ごとも自分の意志で動く、とだけ考えていると、事があったとき動揺しやすい。自分の意志を超えたものにも目を向けて生きたい。
松下幸之助著『人生心得帖』 p50
この歳になり分かったことは、過去の辛い出来事は「佛様のちゃぶ台返し」である、である。どんなに努力をしてきても、辛い出来事(ちゃぶ台返し)を経験すると、それがすべてオシャカとなる。それが人生の転機となり、そこで頑張れば、逆に人生が好転したことを20年後に分かるのだ。
ちゃぶ台返しがあっても、腐らず今まで通りの精進を続けると、何時しか、そのちゃぶ台返しが、人生の序列がオールリセットとなり、出直しに導いてくれた。人生でやり直しはできないが、出直しは出来るのだ。
「情け」とは「心」が「青い」と書く。佛様も茶目っ気があり、たまに若気を発揮する。佛様は完全無欠の神様ではなく、人が精進して就任した位である。まだまだ人間味がある。
東大安田講堂事件
1968年から始まった東大紛争で、全共闘が闘争継続を主張して安田講堂等校舎の占拠・封鎖を続けた。1969年1月18日から19日にかけて、警視庁の出動要請を受けた機動隊が、安田講堂の封鎖解除と共闘派学生の大量検挙を行った。その騒動のため、1969年の東大入試が中止となった。
その影響の入試ドミノ倒し現象で、私は国立大学受験の全てを失敗し、滑り止めの私学に入った。そんな影響も受けず、有名大学に入学できた優秀な人を羨ましく思った。
私は必死に受験勉強をしてきたが、来年も大学入試がどうなるか不明と脅され、父の定年の関係で、私学に行くことを受け入れた。
このちゃぶ台返しが無ければ、当時の私のそこそこの学力で、二期校の国立大学に入学し、そこそこの成績で卒業しただろう。しかし周りは二期校とはいえ、国立大学に入学できた優秀な学生ばかりである。その成績では、そこそこの企業にしか就職できなかっただろう。多分、母の意向で地元の企業に就職したと思う。
それが、世の中で、生まれた才能に支配された序列のままの世界で生きることになる。それが東大入試中止で、ちゃぶ台返しが起きた。
また「あの大学紛争は何だったんだ」との思いは今もある。学生の本分は勉学である。それを放棄して、大学紛争に没頭するなどお花畑のオツムである。
大学生活
私は大学入試の失敗の悔しさがあり、大学では真面目に勉強をした。当時の私学では、多くの仲間が遊んでいた。また私学では学園紛争は無縁で、ノンポリが殆どであった。その中で一番を取るのは、大学入試より簡単であった。当時の大学入試はレッドオーシャン(血まみれの海)であったが、大学の中はブルーオーシャンであった。その甲斐あって、特待生を獲得し、卒業時は総代として卒業証書を受け取った。そのため、トヨタ系の会社も推薦で入社できた。おかげで世界を相手に仕事が出来た。大学で特待生であったことは、その後の部署配置にもよい影響をもたらした。お陰でやりがいのある仕事に恵まれた。
しかし、その十字架のせいで、辞めたいと何回も思ったが、それが出来なかった。それが長い会社生活には幸いした。お陰で定年まで勤めることが出来た。それも佛様のちゃぶ台返しのお陰である。
2022-08-02 久志能幾研究所通信 2450 小田泰仙
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