書に書法の「理」があり、人生に処法の「理」あり
「理」から外れた書を貰っても自分のためにならない。書の師と経営の師とは別である。いくら経営の神様の書でも、書の理に反した書を弟子に配布すれば、無理を振りまくことになる。言葉には魂が籠り、書にはその人の人格が現れる。
いくら恩義を感じる師の弟子でも、人生の処法の「理」に外れた行いは、人を傷つける。それは義理を欠くという。それを人生で無「理」という。それが分からない人には、今後、よからぬ迷惑を受ける恐れがあるので、私は今後の縁を切った。触らぬ神に祟りなしである。私は今日、その人から不義理な仕打ちを受けた。いくら縁があっても、芸が高くても、金があっても、地位が高くても、「理」に反していれば、どこかで破綻する。人間として、生き方の処方の「理」を守ろう。
生体の食法の「理」に反した食品は、体を傷つける。添加物まみれのファストフードは毒である。それを食べ続ければ、がんになるのは、自然界の「理」である。現代日本人は、戦後、拝金主義に染まった食品業界に毒を盛られたのだ。
己の利権のために添加物を無秩序に認可した汚役人に毒を盛られたのだ。自然界の「理」に反したから、日本でガンが激増しているのだ。
「理」に反して偏向しているマスコミは、食品業界の宣伝費に目が眩み、それを正しく報道することはない。マスコミは報道の道を外れて「理」性を失っている。
人間は動物としての生理的生き方の「理」に反した生活を送るから病気になる。生物としての生き方の「理」を考えよう。動物は、食べて、動いて、寝る。そのバランスが崩れた時、病気になる。食べ過ぎて、動かず、睡眠不足の生活を送るから、病気になる。
2022-07-20 久志能幾研究所通信 2438号 小田泰仙
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